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(回答先: ほほう!「 宗教は馬鹿のためにある」 投稿者 あのう、ボケ仙人さん...そしてむむさん... 日時 2002 年 9 月 09 日 03:29:31)
習慣や考え方の異なる土地で暮らすのは大変じゃのう。ご苦労さんなことじゃ。しかし、良い学びの機会じゃから、多面的に、貪欲に学んでおくれな。
ところで、ご質問のむきじゃが、ワシの説明不足でちょっと誤解が生じておるようじゃ。
まず、宗教と言う言葉の解釈じゃが、日本ではこれを皆、自分勝手にやっとるところに誤解と偏見など混乱が起きてしまっとるわな。宗教とは言葉のとおり「教えの元、根本」じゃ。しかし、教えとは何んじゃとなると、それは「人が幸せとなって行く道」「生きとし生けるものが調和(まつろい)弥栄えて行く道」を指し示す教えのことだわな。言い方を変えれば、霊格の向上。波動を高める。魂を清める、軽くする。内包する光を強める。等などあるぞ。また、その教えの発信源は主神であり、宇宙意志としても良いのう。だから、本来、宗教の出所は一つであり、我々が求めて進む道の頂上も「幸せの世界」へと集束すると言えるので、その意味で宗教は一つとしても良いじゃろうな
ところがおっとどっこいで、世間の言うところの「宗教」は、その頂のへ至る道筋のことだったり、その道を行く集団のことをだったりしているので困るわな。しかも、その道だって神が選んだ聖人が指し示した道だけじゃなく、レベルの低いものやら、後で宗教者と呼ばれたような人が勝手に改ざんして分岐したり、主神の目的を混乱させるため、真面目な顔をして、実は人をおとしめる道など限りない数の道が出現しとるからな。真面目に勉強せんとゴチャゴチャになるわな。
だから、ワシが言うのは、宗教目的たる「魂の向上」を厳しく求め行くならば、道は、実は生活のすべてにあるのだから、科学教、医学教、金銭教、SEX教とそこに「幸せへの道」が見えるとしたら、どれでも良いと意味じゃぞ。しかし、日本人には、魂のレベルで価値観が刷り込まれておるでな、「生きとし生けるものが調和(まつろい)弥栄えて行く道」をコンセプトとし、心を整え感性を澄ませば、自ずから進むべき道と、避けるべき道が身魂相応に判別できるはずじゃぞ。
また、自らの道を選ぶにしても何の基礎知識もなければ、迷い道に入りやすいでな。人が幼稚園から小学校へやがて大学へと学びのステージを上げて行くように、この道も、幼稚園、小学校クラスの知識、判断力は欲しいわな。かつては、日本の日常生活の中にその道の基礎があったが、今は希薄となっとるでな、どこぞの宗教団体に入信して学びはじめんと、いつまでたっても、幼稚園すら卒業できん状況じゃのう、悲しい国となったのう日本は。
さて、あんたは宗教は持ってない。と言っておったが、「魂の向上」が良い響きに感じる人間であったら、日本人として宗教を持っているはずだぞ。ただ団体に所属しとらんと言う意味じゃな。
かつてイザヤ・ベンダサン(ユダヤ人のフリをした日本人じゃったらしいが)が日本民族は「日本教という信者だ」と述べておったが、ワシもそう思っておる。(最近は崩れてきたがのう)日本人は、生活そのものに「神への道」(人格を重んじ、魂を磨くことに心を砕き、目に見えない存在と融合した暮らし)が自然に入りこみ、生活そのものを修行の場ととらえておったと思う。(死後の世界への意識)
それは、ある意味で仏教のお蔭ではあるが、もともと日本古来から脈脈と受け継がれてきた神道(後から、神道と呼んだだけじゃがのう)にあった訳で、神道の根本理念は日本人の命に染み付いておるはずじゃ。「神仏を崇める。先祖や親を大切にする。徳を積みなさい。一日一善。人に迷惑をかけない。人を苦しめたり、悲しめてはいけない。困っている人がいたら助ける。命を粗末にしない、無駄な殺生はしない。ものは大切にする」等などに表われておるぞ。と言うことで、日本教と言い辛いなら、神道で良いぞ。、世界というレベルでみればそれ充分であろうし、外国人を騙すわけじゃなく、世渡りじゃろうて。氏神様やお地蔵さんの話。お伊勢さんや天照大神の話をしてやれよ。何かあるじゃろ。そして、それらの中にある心象風景とあんたの今住まう国の有様を比較して考えておくれな。日本人特有な何かを感じるじゃろう。ユダヤ人のラビの書いた本を読んでいたら、ユダヤ教と言う特定の宗教を意識したことはなく、それは、ユダヤ人特有の価値観や、習慣、風習を指し示している様に思う。とあったが、日本もそのように思う。本人が気付いていないだけじゃないかな。そんな気もするぞ。
もっといろいろ伝えたいが、ちょっと疲れたから、ここらで終わるとするぞ。旨く説明となったかのう。説明が不十分と感じたらまた聞いとくれな。むむさんの質問事項でも言いたい事があるが、また機会ががあったらな。