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ボケ仙人さん、こんにちは。はじめまして。ボケ仙人さんの一連の投稿、
興味深く読ませていただいきました。実は今、普段の食事とそこから派生する罪の捉え方に悩んでることがあるのですが、もしよろしければ御答え頂けるでしょうか?
私は、肉食は身体を不浄にし、健康を損ね、罪深いものだと思い、一年ほど前から、肉類は口にしていません。(この考えは間違っているでしょうか?)
ですが最近、動物を飼育し、屠殺して(その生命を絶ち)食べる罪深さと、稲や野菜類を栽培して刈入れ(その生命を断ち)食べる罪深さに「差」があるのだろうか?と悩んでいます。どちらも反自然的に人間の都合でその生命を繁殖させ、生命を収奪しているのではないか?
また、ボケ仙人さんのかつての投稿にあったように、「無駄な殺生をしない」ことは大事ではありますが、無駄な殺生をしないといっても、どこまでが無駄で、どこまでが無駄でないかの線引きは、恣意的な判断ではないだろうか?
そのような恣意的判断で選別した食べ物を食し例え健康体を維持したとして、それは意味のあることだろうか?罪深いという点では何も変わらないのではなかろうか?
無論、罪深いのは当然で、だからこそ「徳積み」が大事なのかもしれませんが……
そこでお聞きしたいのですが、生命を食さねば生命を維持できない罪深さはその命に感謝するだけで、許されるのでしょうか?
また、上記したように、植物を食す罪深さと、家畜及び魚類を食す罪深さに、「差」はあるのでしょうか?
お教えいただければ幸いです。
また、教えて下さいばかりで心苦しいのですが、空海の「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで生の終りに冥(くら)し」とは、どういう意味でしょうか?人生は霊界から来て始まり、還ることで終わるということを言っているのでしょうか?