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(回答先: ベトナム集団焼身自殺事件 証言テープはこうして作られた4 投稿者 HEM 日時 2002 年 6 月 11 日 23:36:03)
殿岡 本多氏がマンザック師からテープを貰った経緯をおうかがいしたい。
マンザック 本多さんから私に連絡がありました。反共の記事を書くために、テープをくれないかと、手紙をよこしたんです。このときは「先生に近い立場だ」といってきた。「先生の立場を確保しますから、テープを下さい」と手紙がありました。
殿岡 どうして本多さんにわたったテープは、私のもっているテープと内容が違うのですか?
マンザック 本多さんの持っているテープは短く編集されたものらしいですね。
殿岡 短く切ったんですね。何のために短くしたんですか?
マンザック それは私にはわからない。
殿岡 私は一九七七年にアメリカに行きました。そのときに先生は私にオリジナルのテープをくださったわけでしょう。ロスに行くときに、二本テープを持っていったわけですか?
マンザック 十二年前の話なので、どうだったか、よく覚えていないんです。誰がテープをダビングしたかわからない。一度アメリカにあるベトナム放送から、このテープを一般に聞かせたいという要請があった。私がこのテープを渡して、番組を作ったらしいです。そのときに、短くしたテープができたことも考えられる。
殿岡 そうすると、誰が作ったか、誰が録音したかわからないわけですね。
マンザック いくつか可能性が考えられるということです。パリではコピーを作る時間がなかった。
殿岡 いずれにしろ、これがオリジナルで、これからコピーができたということはまちがいないですね。
マンザック そうです。
二本のテープの違い
殿岡 本多さんが「テープを下さい」といってきたときのことを聞きたいんですけれども。私がマンザック先生からうかがったのは、もう裁判がすすんできていた去年、本多さんから手紙があったということですね。裁判のことは何もいわないで、「とにかくテープをください」といってきたと聞いたんですけども。
マンザック そのとおりです。
殿岡 先生は裁判とは関係があるとは思わないで、本多さんに短いほうのテープをあげたわけですね。
マンザック そのとおりです。
殿岡 本多さんの手紙をお持ちですか?
マンザック 今持っていないので、アメリカに帰ってから探します。手紙は英語、ベトナム語、日本語の三通りがあります。何十枚もある手紙です。
殿同 今、先生と本多さんの間で手紙のやりとりがありますか?
マンザック 彼にテープを渡したあとは、全然ありません。裁判のことが心配だったのでしょう。
殿岡 本多さんは本当はどう思ったのでしょうか、先生の意見を聞きたい。
マンザック 本多さんはこの事件は本当か嘘かわからないが、そのままこの事件を紹介したのでしょう。しかし、それは危ない、いけないことです。
殿岡 どうしてですか?
マンザック この記事が読者を迷わせるからです。もともと本多さんの立場は共産政府に近いということを知りました。もし本多さんがこのとき本当のことを書いたら、ベトナム政府はあまりよく思わないでしょう。だから現政権に賛成したように書いた。もし本当のことを書いたら、本多さんはそれ以後ベトナムには行けないからでしょう。
殿岡 だいたい二つのテープがなぜあるのかはわかりましたね。
マンザック 短くしたテープは、ベトナム放送で放送したときのものじゃないでしょうか。本多さんには短いほうを渡しました。
本多記者がマンザック師から手にいれたテープを聞いてみたが、たしかに焼身自殺した十二人の名前を読み上げる声ははいっていない。しかも、私のテープと聞き比べると、はるかに録音状態が悪く、途切れ途切れに入っている個所もある。自分が手に入れたテープだけを問題にして、名前が入っていないから、私の持っているテープもデタラメだというのは早計にすぎはしまいか。
くりかえしていうが、私のテープには、ちゃんと十二人の名前がはいっているのである。
本多記者が、ベトナムに行ってティエン・ハオ師の談話が本当だと思ったというのは私はどうしても信じられない。愛国仏教会が「セックス・スキャンダルで死んだ」というのは本当か嘘かわからないと本多記者は言っている。ほかに一緒に日本の新聞記者が行ったが、誰もそんなことを書かなかったのである。
本多記者が法廷に持ち出したテープと比較するために、私自身の古いテープを久し振りに通して聞く機会となった。昔、私にテープの内容を訳してくれたフィン・ロン・ティエン君の親友であるフー・ダン・クエ君がテープの区切り区切りで説明を加えてくれる。するといままで解らなかった幾つかの事柄が解明されて、これも興味ぷかかった。
勤行はまず鉦と太鼓のドドドドという合図で始まり、お経の中心部分は薬師禅院院長のテイク・フエ・ピエン師によって唱えられ、他の十一人の僧尼の役割はいわばバック・コーラスである。
これが約一時間続くのだが、お経が判りづらいのは、ベトナムでも同様だそうで、私連日本人に聞きとれるのは冒頭と末尾の「南無抄本師釈迦牟尼仏」の唱名だけである。しかしベトナムのお経は日本のそれより遥かに音楽性が豊かで、勤行は華やかに高まって終る。
続いてフエ・ピエン師が例の殉教の声明を全く高ぷることなく朗々と読み進んでいく。クエ君は裁判で問題とされる姓名を読み上げる個所を何度もテープを巻き戻して丹念にチェックする。そしてしきりに舌打ちするのを耳にして、裁判のことばかり念頭にある私は、私の紹介した内容が誤っていたのかしらと不安になる。しかしそうではなく、クエ君は十四歳の若さでこの殉教に加わったティック・ヌー・ジュウ・ニエム(俗名=レ・ティ・ウット)の身の上に同情を禁じえないのである。「ネー、十四歳なんですね」と、繰り返しいう。
「無名戦士を讃える歌」
声明がまた「南無沙大師釈迦牟尼仏」で終り、いよいよ殉教の準備が全て整った禅堂のくつろいだ様子は私を驚かせる。ピエン師は仏教を讃える短い歌を二曲歌う。お坊さんになることはいろいろ苦しいことを伴うけれど、人々の幸福に尽くせるという喜びもある、といった内容だそうである。堂内にやってきている少数の信者との会話も聞える。フエ・ピエン師が「なぜ、録音をするのか」という問いに、女性の声が「真相を知らせるためです」と答えたりしている。
女性信者の一人がベトナム人の誰もが知っている「無名戦士を讃える敬」を歌う。いま目前で死のうとしている十二人の僧尼を国民を守って戦場に擁れた兵士になぞらえているわけである。
もちろん僧尼の死を悼み別れを惜しむ痛切な信者の泣き声も聞える。しかしピエン師は、「私には同胞が苦しんであげる(一つではなく)沢山の泣き声が聞えています」と答え、他の僧尼の決意を励ますようである。
そうしたやりとりが焼身自殺を目前に控えた人々の振舞いとはとうてい思えない落着きと軽やかさをもってなざれているのである。これはどうしたことであろうか。
やがてテープの録音はスイッチを切る機械音で終っている。フエ・ピエン師がいった通りに薬師禅院は火の海となり、十二人の僧尼は「自らの体に火を点して薬師如来の灯明となった」のである。
彼等の願いは「ベトナム人が・ベトナム人を、人間が人間を平気で殺すようなことをなくすため、心ない人々が一刻も早く改心し、反省するよう促すため、そして真理と理想を守り輝かせる」ことであった。一夜明けて、十二人の遺体は三つの棺に重ねもちにされて運び去られたという。完全に炭化した遺体は乱暴な扱いで音をたてて崩れた、と伝える証言がある。
殉教とセックス・スキャンダル。崇高と汚辱・背信──これほど際立った対比もないものだ。久しぶりに聞いたテープに、改めてベトナム戦争とは何だったのか、感慨を新たにするものである。