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Re: 『出版の自由』ジョージ・オーウェル から 投稿者 ウォッチャー 日時 2002 年 6 月 03 日 22:29:51:

(回答先: Re: 『出版の自由』ジョージ・オーウェル から 投稿者 ウォッチャー 日時 2002 年 6 月 02 日 21:24:26)

 愚痴になってしまいました。
 メディアがどうあろうが、自分にできることをすること、またメディアに対する批判が必要なときは批判していくこと、それが正しいのでしょう。

 二つばかり、メディアを考えるうえにおいて参考になるものをあげておきます。

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 『人間を幸福にしない日本というシステム』 カレル・ヴァン・ウォルフレン著 から

(前略)
 日本では、いまなお秘密主義が権力行使の重要な手段であり、一般の人びとはものを知らされないまま幻想を植えつけられている。
 日本の官僚は支配階級に属している。官僚が権力をふるえるのは、一つには彼らが普通の人びとの知らないことを知っているからだ。官僚は知識人や編集者や他の政府当局者とともに支配階級という少数派を形成している。
 この支配階級はふかく情報に通じている。支配階級は普通の人びとが知らないことを知っている。彼らは、知識の点で大多数の日本人と異なっている。大多数の日本人は、現実のタテマエ論的な説明で満足するよう期待されているからだ。何世紀にもわたる「知る者」と政治的に無知な者との分離が、こうしていまもつづいている。
 社会や階級にたいする日本人一般の考えでは、無知が称えられさえする。多くの日本人にとって、ものごとを知らないことはときとして称賛に値するのである。これは、純粋さを礼賛する日本人の伝統に合致する。この場合、普通の人びとは無知なるがゆえに純粋だとされるのだ。たとえば、「ナイーブ」という言葉は、日本ではどちらかというと肯定的な意味で使われる(ナイーブだと言って人を褒めることさえできる)。だが、私の知るかぎり、日本以外の場所では人のことをナイーブだと評するのはその人を軽蔑している(せいぜいのところ気の毒だと思っている)ことを意味する。
 日本の官僚は、自分たちの属する権力機構をあからさまに分析されるのを好まない。いや、この言いかたは控え目にすぎる。官僚は、真の分析を恐れているのである。それもそのはずだ。なぜなら、彼らの権力機構がつねに正確に説明され広く理解されれば、絶えず非難されるようになり、やがては官僚機構が機能しなくなると思われるからだ。秘密主義は、日本の官僚独裁主義を成功させるために必要な条件なのである。
 みなさんも、自分の経験からこのことがおわかりだと思う。たいていの読者は、自分のおかれた状況の明確な理解を意図的に妨害されていると感じたことがあるはずだ。「バブル経済」など、本書でとりあげる問題のいくつかは、官僚の権力行使についてもっと明らかにされていれば、そもそも起こりえなかったのである。

 「しかたがない」の政治学

 日本人が完全に市民として振る舞うのは難しい。それは、市民に必要な知識の多くを奪われているからだ。日本は官僚と経済団体の役員によって管理されているが、その実情は「タテマエ」の裏に隠されている。日本の市民の明日やさらにその後の生活に影響する最も重要な決定も、通常は公に議論されない。「バブル経済」の発生と終息への大蔵省の関与は、その最たる例だ。
 日本の人びとは、しばしば官僚からでたらめな話を聞かされる。それは、官僚が面目を保とうとし、正確な情報が伝われば実現の見込みのない計画を、ごり押しして実行しようとするからだ。
 さらに、日本の新聞の大半は、市民に情報を提供することが自分たちの第一の使命だとは思っていない。それゆえ、新聞は一般の日本人を「純粋」だが政治的に無知に保つのに手をかしている。日本の新聞は、政治や経済や生活上の表向きの現実であるタテマエを「管理」するために協力しているのである。
 この管理された「現実」は、私たちが努力すれば見出せる本当の現実とは非常に異なっている。たしかに、理論と実際の不一致は、すべての民主主義国家を含めてどこにでも存在する。だが、私がここで指摘している日本における落差は、他の先進工業国よりもはるかに大きい。
 日本の市民は、管理された「現実」がどのようなものであれ、たいていはそのなかで行きづまりを感じている。表向きの現実が管理されたつくりものにすぎないことに、ときには気づくかもしれないが、結局はそれを受け入れざるをえない。というのも、まわりの世界がすべてそれによって動いているからだ。日本人がこうした状況にはまりこんだとき、口をついてでるセリフが「しかたがない」である。
「しかたがない」と言うことは、政治的な主張でもある。おそらくほとんどの日本人は、こんなふうに考えたことはないだろう。だが、この言葉の使われ方には、政治的に重大な意味がある。「しかたがない」と言うたびに、いま自分が問題にしている点を改めようとする試みが、すべて失敗に終わると言っているのに等しいからだ。こうして、変革をもたらそうとする試みはいっさい成功しないと考えるよう、他の人びとに勧めていることにもなる。いつも「しかたがない」と言い、まわりの状況を正しくないと思いながら受け入れざるをえないと考えていれば、政治的な無力感を生むことになる。正しいと思わない規則にしたがうよう求められたとき、まさにこういう事態になる。

(中略)


 情報の罠

 民主主義の実現のためには、一般の人びとに情報が公開されていなければならない。公開されていない場合は、戦っても手に入れなくてはならないだろう。民主主義と説明責任(アカウンタビリティ)と情報は、分かちがたく結びついていることを忘れてはならない。
 ところが情報の入手については、日本の市民は欧米の民主主義国の市民よりはるかに不利な立場にある。日本の市民は、人びとを無知に保とうとする「管理者たち」の根強い伝統と闘わなければならない。
 多くの情報が、すでにみなさんに向けて発信されている。だが、第一部で述べたように、政治に関する情報はその多くが偽りの現実の維持に寄与するものだ。だから、日本の市民は偽りの情報にとりわけ敏感でなくてはならない。それらは、みなさんが疑いをもたないような情報源から発信されているのだ。
 私が知っている多くの欧米諸国やアジア諸国とくらべて、偽りの情報が組織的かつ狡猾な手口で流されている点で、日本は最悪だ。私が本書で論じてきた日本の社会・政治構造は、主としてこうした欺瞞によって成り立っている。みなさんは、偽りの情報を流す大きな媒体について知る必要がある。それは制度と思想である。制度のなかには、大半の日本人が決して疑いを抱かないものもある。また、思想のなかには、日本人がいつも当然のように受け入れているものもある。日本人は、偽りの情報を流すこれらの媒体と対決しなければならない。日本が価値のある国、信頼できる国として生き残れるかどうかは、この媒体の力を弱められるかどうかにかかっているのだ。

(中略)


 乗っ取られた市民社会

 日本の市民社会の悲劇は、乗っ取られたことだった。市民社会が繁栄する見込みは、独立した労働組合がつぶされ、戦後に短期間ながら独立していた司法機関がふたたび官僚の支配下におかれたとき、すでに大きく損なわれた。だが、日本の市民社会を最終的に乗っ取ったのは、大新聞だった。大新聞は、批判的な政治分析を妨害し、官僚の権力を支持し、世論を反映するのではなく捏造し、巨大な偽りの現実をかかげて、市民社会を乗っ取ったのである。
 世論の問題から論じていこう。日本人の一人ひとりが社会や政治の問題について意見をもっているのは間違いない。つまり、日本人は個人として意見をもっている。個人としての意見のほぽ似通ったものを多数集めたものを、私たちは普通、世論と呼ぶのである。
 しかし、誰が、あるいは何がこれらの意見を集めるのか?民主主義国においては、新聞がこのきわめて重要な役割をはたしている。だが、日本の新聞はその役割をはたしているだろうか?
 いや、はたしていない。日本の新聞の社説やニュース解説の論調は大新聞同士では似たり寄ったりのことが多いがしばしば日本人が個人的に表明している意見と対立するのである。
(後略)

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 『超陰謀』 ジョナサン・バンキン著 から

 消費という靄の中で、我々の自己意識はどうなってしまうのだろう?大衆文化に身を埋没させていくにつれ、それを失ってしまうのだ。広告によって提供されたイメージに自らを合わせようと必死になるがゆえ、現実との接触を失ってしまう。
 真実のみを伝えようとしているメディアの部門があるだろうか?今でも、新聞やテレビのニュース番組は世界の真の実情を我々に知らせようともっぱら努めているのだろうか?
全ての主な報道機関が生き残っていくために広告を頼みの綱としているということをしばらく忘れてみるとよい。20余りの国内企業および多国籍企業だけがアメリカの新聞・雑誌の大半を所有していることを忘れてしまってみるとよい。記者たちはニュース・ソースとして「公式情報源」に頼りすぎており、それらの情報源が提供してくれる情報を奴隷のごとく信用してしまっているため、その他の点では「尊敬できる」報道機関がCIAの浸入を易々と受けてしまっている。特に評判の悪いある事件では、「ニューヨーク・タイムズ」のC・L・ザルツバーガー記者(同紙のオーナーの甥)が、「ブリーフィング・ペーパー」と呼ばれるCIAの新聞発表を署名記事の中で逐語的に再録した。
 多くの外国の首都において、CIAは新聞に潜入し、場合によっては自ら新聞を経営している。そしてそれらの新聞に現れる偽情報がしばしばアメリカの新聞に「逆流」していくのだ。CIAが流した語の一つとして、イタリアの赤い旅団がソビエトKGBと関係しているというデマがあったが、作家のクレア・スターリングはこれを、ソ連が国際テロリズムの背後にある勢力だという陰謀論の根拠として自作「恐怖のネットワーク」の中で利用した。レーガンの初代国務長官アル・ヘイグ(これまたキッシンジャーの子分)が、クレアの本とその中に述べられていたKGB陰謀論を取り上げ、同政権の中央アメリカにおける政策を正当化するために用いた。
 また、レーガン政権は「民間外交局」を設けたが、響きのよいその名称とは裏腹に、ニカラグアのコントラについては好意的な報道をし当時支配権を握っていたサンディニスタについては評判をおとしめるよう、主な報道機関に対し言い聞かせたり圧力を加えたりするプロパガンダ・キャンペーンをその真の目的としていた。プロパガンダ・キャンペーンは効果を発揮した。レーガン政権の計画に対しては「プロパガンダ」というのは強すぎる言葉だとお思いの方がいらっしゃるかとも思うが、マーチン・リーとノーマン・ソロモンの両作家が、まさにその言葉を使っているホワイトハウス内部の回覧メモを発見したのである。
 知っていることが全て間違いだという場合、何が正しいかをどうやって突き止めるのか?決定的な答えはない−−−−ただ疑問が存在するだけだ。
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