「文明諸国」の主要メディアは、この数十年一貫として、パレスチナとイスラエルの紛争を「報復の連鎖」や「数千年にわたる宗教紛争」のように報道しているが、“パレスチナ人の災厄”や“パレスチナの危機”は、「報復の連鎖」や「宗教紛争」でもたらされたものではない。
“パレスチナ人の災厄”や“パレスチナの危機”は、ある民族(宗教集団)の一部(シオニスト)が、自分たちの聖書と自分たちの現在的状況を根拠に、英国を中心とした「文明諸国」の後ろ盾を得て、なんら正当性がない土地の強奪とそこでの国家建設を推し進めてきたことに起因するものである。
タイトルのような表現を掲げたからと言って、イスラエル(ユダヤ教徒)のみが、“強奪と虐殺”の歴史を重ねてきたと言いたいわけではない。
他の国々をあげつらうのは控えるが、日本も、日本国内でも虐殺を伴う共同体間の戦争を行ってきたし、近代になってからは、領域拡大を目指す政策を掲げ、日清戦争(台湾領有)・日露戦争(中国での利権確保)・朝鮮併合・満州事変(満州国建国)・宣戦布告なき対中国泥沼戦争・「太平洋戦争」(東南アジア及び太平洋諸地域占領)と武力を背景とした強奪や殺戮などを行った。
しかし、現在なお、自分たちの聖書とナチスの“ホロコースト”を根拠にイスラエルの存続と拡張を計っている政治的シオニストに対しては、“強奪と虐殺”の歴史を重ねる者たちという烙印を押さざるを得ない。
■ 近代パレスチナ問題のあらまし
パレスチナ問題は、端的に言うと、「ある共同体があった。先祖がここで国を形成していたから土地を買いたいという人たちが現れ、それに対して土地を売る共同体の成員もいたが、売りたくも譲る気もない土地ばかりになってきたら、土地を買いたいと言っていた連中が野盗集団に変身し、暴力で土地を奪うようになった。そのうち、連中は、よそではとんでもない迫害にあったし、元々神が我々に約束した土地なのだからという理屈を付けて、国家創設まで宣言した。それに対抗して戦争を仕掛けたら、連中には強力な後ろ盾もあったため負けてしまい、土地をさらに奪われていった。連中は、我々に一応自治区という名目での領域を認めているが、よその国にいる仲間を呼び寄せ、交渉の合意にも素知らぬ顔で武力を行使してそのなかにどんどん“入植地”を築き占領地を増やしている。このような歴史的経緯と現実に対して、生存権を賭けた戦いを仕掛けると、連中や連中の後ろ盾になっている人たちはテロリストだと言って糾弾し、連中は、重武装の正規軍を追加派遣して、殺戮と破壊を繰り返す」といったものである。
このような経緯と現実のどこに、「報復の連鎖」だとか「宗教紛争」だと言えるものがあるだろうか。
パレスチナ人は、正当に保有していた状態で奪われてしまった生存基盤を取り返す戦いを行っているだけである。
■ パレスチナ問題とテロリズム
正規軍を持つことを許されず財政的に維持することもできないパレスチナが政治的シオニストの暴虐に対抗して戦う方法は、国際世論への訴えと自己の身体を賭けた“テロ”のみといってもいいだろう。
国際社会を動かす実効的な力を持つ「文明諸国」メディアが、「宗教紛争」を語り、せいぜい「イスラエルも悪いがテロに走るパレスチナも悪い」といった状況であれば、パレスチナには“テロ”という手段しか残されていないことになる。
9・11空爆テロ以降、「テロはとんでもない悪」であり「対テロの戦いであれば国際法にも国内法にも縛られない」といった雰囲気が醸成されているが、テロの容認は“自滅”への道につながりかねない国家統治者の判断は別として、ひとり一人は、安易にテロそのものを“普遍的な悪”と同調すべきではないと考えている。
個々人が、一つ一つのテロ行為に対して、誰がどういう目的で実行し、誰を対象にして行われたテロであるかを考え、評価すべきものである。
あるテロ行為に対して、悪だと判断する人もいれば、善だと言う人もいるというものである。
これまでも書き込みを行ってきたが、9・11空爆テロはブッシュ政権(米国権力機構)が実行したテロだと考えている。
そして、犯行声明もないあのとんでもないテロが、「アフガニスタン侵攻」の名目となり、「反イスラム戦争」の足掛かりになるのなら、3000人近くの民間人犠牲者を出したものであっても“善”だと思う人たちがいてもおかしくないと思う。
9・11空爆テロについては、ブッシュ政権が実行者であると考えなくとも(米国の権力機構は緊急事態に対応力もない無能集団でテロリストの擁護者だという見方も可能)、これまで報道されてきた内容で、ウサマ・ビンラディン氏やイスラム過激派(アルカイダ)の犯行だというブッシュ政権の主張を真に受けている人は、自己判断力を喪失しているか放棄してしまい、ある目的のためならば9・11空爆テロも“善”だと考える人たちの精神的奴隷になってしまっていると言えるだろう。
『テロリズムとは、暴力機構を保有する組織が、国際法や国内法などの法的根拠がないまま保有する暴力機構を行使し反対勢力を抑え込もうとする考え方や行動様式で、反対勢力がその暴力に恐怖し怯える情況を醸成し、敵対的行動を差し控えざるを得なくなる状況をつくり出すことを目的にしたもの』だと考えている。
歴史的に見れば、教科書レベルでも扱われている「清教徒革命」・「フランス革命」・「アメリカ独立革命(戦争)」・「勅命を得るまでの明治維新」・「ロシア革命」・「中国の諸革命」も、それを担った勢力は、テロリズムを活用した。
この意味で、ジョージ・ワシントン、ロベス・ピエール、レーニン、薩長などの志士に限らず、革命派みなテロリストである。
■ ムスリムとユダヤ教徒は長期にわたって共存してきた
パレスチナ問題が「宗教紛争」と言えない理由は、ローマ帝国及びビザンチン帝国の時代も、ユダヤ教徒とキリスト教徒(カソリック・正教会・単性派)は、それぞれの帝国の統治ルールのなかで共存し、イスラム世界が中東・アフリカ・スペイン・小アジアを支配するようになっても、同じようにそのような状況が続いていたからである。
カソリック(ローマ教皇庁)が企てた「十字軍」に対しても、ユダヤ人(=ユダヤ教徒)とムスリムは共同で対抗してエルサレムを防衛しようとした。そのため、ユダヤ人も数万人の犠牲者を出した。
イスラム支配のなかでも、ユダヤ教徒とキリスト教徒(ほとんどが正教会系と単性派)は、同じ一神教の信仰者と位置づけられ、ムスリムに準じる扱いを受けてきた。
ビザンツ帝国が滅亡の危機にあるとき、帝国の主力であった正教会キリスト教徒たちの多くが、「西方カソリック教徒に支配されるよりは、ムスリムの支配を望む」と言ったくらいである。
ムスリムとユダヤ教徒が対立するようになったのは、端緒は19世紀末からだが、ヨーロッパ在住のユダヤ教徒がシオニズムを掲げ、イスラエル建国をめざして、パレスチナ人を殺してまで土地を略奪するようになった20世紀になってからである。
それは、宗教が云々といったものではなく、自分の生活基盤と権利を守ろうとする人たちと異教徒であればとうてい承服できない根拠を持ち出して土地を強奪しようとした人たちの戦いである。
■ 古代イスラエルエルの滅亡はローマ帝国によるものではなく自壊である
「古代イスラエルはローマ帝国によって滅ぼされた」という見方をしている人たちもいるが、古代イスラエルは、ヘロデ王朝→アグリッパ王朝のなかで深まっていった内紛で自壊したと言ったほうが滅亡の歴史的経緯には合っている。
ローマ帝国は、西欧やアフリカ地中海沿岸の地域で行ったのと違い、イスラエルの領域に植民地を求めたわけではなく、支配権と税の貢納を求めた。
ローマ帝国支配下でも、ユダヤ人たちの「財産権」・「商業活動権」・「耕作権」・「宗教的信仰と祭祀の自由」は認められていた。
ヘロデ王はユダヤ人のある勢力からはローマ帝国の傀儡と見られたため、内戦的な動きが強まり、ユダヤ人の手でまともな統治ができなくなった現在のイスラエル+パレスチナにほぼ相当する地域は、ローマ帝国の属領にされてしまった。それでも、前述の権利と自由は保障されていたのである。(ヘロデ王朝やアグリッパ王朝には別の支配領域が付与された)
古代イスラエルの滅亡は、サドカイ派(祭司及び政治的支配階級)とパリサイ派(律法尊重の一般人)の内部対立が激化したため、ローマ帝国軍が“治安出動”してなんとか状況打開をはかったが、メシア待望の熱狂に身を委ねた一部が頑強に抵抗したためにエルサレムの神殿まで焼け落ちたというものである。
祭司階級出身であるフラウィウス・ヨセフスの言説をまともに受け入れることはできないが、彼の著である「ユダヤ戦記」によれば、祭司をないがしろにして神殿を占拠し徹底抗戦を唱える勢力は、神殿を汚し、彼らに反対する市民を虐殺しまくり、エルサレムを死臭と飢えの苦しみに満ちた都市に変えたという。
エルサレムを包囲したローマ帝国軍部隊は、無駄な殺戮を避けるために降伏を呼び掛け続けたが拒絶されてしまい、市内の混乱が手のつけられない状況になったため決着をつけたという。
ヨセフスは、「ユダヤ戦記」のなかで、徹底抗戦派をゴロツキと呼び、彼らによって汚された神殿は破壊されるべきだとも語っている。
■ 「約束の地」は既に人で溢れていた
政治的シオニストは、イスラエルは神によって「約束された地」であるから、自分たちが所有する権利があると主張する。
彼らがそう主張することを止めるわけにはいかないが、ある宗教の神が行った約束を盾にした略奪と虐殺を容認するわけにはいかない。
“異教徒”は、そのようなふざけた約束をイスラエルの民と行った神を拒絶することもできるし、そのような約束があったということ自体がデッチ上げだと主張することもできる。
旧約聖書を読めばわかるように、イスラエルはユダヤ教徒古来の地ではない。
古代イスラエルも、近代の「パレスチナ問題」と同じように、神の約束を盾に、他の人々が数多く住んでいた土地を暴力的に略奪した結果生まれたものである。
以下は、「旧約聖書」からの関連部分の抜粋である。(訳は1955年改訳の日本聖書協会版による)
「出エジプト記」第23章31 「わたしは紅海からペリシテびとの海に至るまでと、荒野からユフラテ川に至るまでを、あなたの領域とし、この地に住んでいる者をあなたの手にわたすであろう。あなたは彼らをあなたの前から追い払うであろう。」
「出エジプト記」第23章33 「彼らはあなたの国に住んではならない。彼らがあなたをいざなって、わたしに対して罪を犯せることのないためである。もし、あなたが彼らの神に仕えるならば、それは必ずあなたのわなとなるであろう。」
「出エジプト記」第33章1 「さて、主はモーセに言われた、「あなたと、あなたがエジプトの国から導きのぼった民とは、ここを立ってわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『これをあなたの子孫に与える』と言った地にのぼりなさい。」
「民数記」第13章27〜29 「彼らはモーセに言った、「わたしたちはあなたが、つかわした地へ行きました。そこはまことに乳と密の流れている地です。これはそのくだものです。しかし、その地に住む民は強く、その町々は堅固で非常に大きく、わたしたちはそこにアナクの子孫がいるのを見ました。またネゲブの地には、アマレクびとが住み、山地にはヘテびと、エブスびと、アモリびとが住み、海べとヨルダンの岸べには、カナンびとが住んでいます」。」
「民数記」第14章4〜10 「彼らは互いに言った、「わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」そこで、モーセとアロンはイスラエルの人々の全会衆の前でひれふした。このとき、その地を探った者のうちのヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブは、その衣服を裂き、イスラエルの人々の全会衆に言った、「わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と密の流れている地です。ただ、主にそむいてはなりません。また、その民を恐れてはなりません。彼らはわたしたちの食い物にすぎません。彼らを守るものは取り除かれます。主がわたしたちと共におられますから、彼らを恐れてはなりません」。ところが会衆はみな石で彼らを撃ち殺そうとした。」
「民数記」第14章11〜12 「主はモーセに言われた、「この民はいつまでもわたしを侮るのか、わたしがもろもろのしるしを彼らのうちに行ったのに、彼らはいつまでわたしを信じないのか。わたしは疫病をもって彼らを撃ち滅ぼし、あなたを彼らよりも大いなる強い国民としよう」。」
「民数記」第21章1〜3 「時にネゲブに住んでいたカナンびとアラデの王は、イスラエルがアタリムの道をとおって来ると聞いて、イスラエルを攻撃し、すのうちの数人を捕虜にした。そこでイスラエルは主に誓いを立てて言った、「もし、あなたがこの民をわたしの手にわたしてくださるのならば、わたしはその町々をことごとく滅ぼしましょう」。主はイスラエルの言葉を聞きいれ、カナンびとをわたされたので、イスラエルはそのカナンびとをわたされたので、イスラエルはそのカナンびとと、その町々をことごとく滅ぼした。それでその所の名はホルマと呼ばれた。」
「旧約聖書」のこれらのような記述を読むと、現イスラエル首相のシャロン氏は、信仰篤きユダヤ教徒とも言えるだろう。
そして、古代イスラエル建国や近代イスラエル建国と「旧約聖書」の関連記述が、アメリカ合衆国の建国・拡張の歴史とアメリカ合衆国の建国神話=「神の祝福を受けた国」に“瓜二つ”であることも指摘できる。
イスラエル建国の正当性が問われることは、アメリカ合衆国建国の正当性が問われることでもある。