(回答先: チューリップ球根暴落事件 1 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 15:27:22)
英国とアイルランドは、隣国同士なのに、あまり仲が良くありません。
まるで、東アジアの二つの国ソックリです。
何故、仲が悪くなったのか?
その一つの理由は、以下に述べる歴史にあると思います。
1649年アイルランドは、クロムウェルによって征服され、イギリスの植民地となります。
アイルランド人の土地の所有は禁止されます。
アイルランド人は、イギリス人の土地所有者の小作農として働くしかなかったのです。
1801年イギリスは、アイルランドを併合します。
1829年カトリック教徒開放法により、宗教的な差別はなくなります。
この頃、イギリスは、毛織物産業が盛んになり、原料となる羊の飼育が儲かる産業になります。地主達は小作人を追い出して、土地を囲い込み、羊を飼いたいと思ったのです。
小作地から追い出されたアイルランド人は、路頭に迷います。
自由競争の経済原理には適合しますが、人道的には大問題ですね。
そして、1845年、最大の悲劇は始まります。
この頃のアイルランド人の主食は、ジャガイモでした。
この年、ジャガイモに胴枯れ病が発生して、全ジャガイモ畑に伝染します。
丹精こめて作ったジャガイモが、まったく食べられないのです。
アイルランド人は、食料不足で栄養失調になり、小作料も払えません。地主は、ジャガイモよりも、羊を飼ったほうが儲かります。
地主は、「囲い込み」をするために、アイルランド人を土地から追い出します。
疫病の対策がわかりません。当時は、細菌や消毒法が発見されていなかったのです。
次の年も収穫がなく、その次ぎの年もジャガイモは枯れてしまいます・・・
蓄えも底をつきます。
◆◆なんと100万人のアイルランド人が、餓死したと言われています。◆◆
◆◆(アイルランド大飢饉)◆◆
大飢饉が起こる前のアイルランドの人口は、820万人といわれています。
アイルランドに残っても、餓死とチフスが待っているだけです。
若者を中心に、故国に見切りをつけ、海外に脱出する人が増えます。
自由と希望の新大陸、アメリカへ移住した者は、100万人に達します。
あのケネディ大統領の祖父も、その一人なのです。
イギリス、オーストラリアへも民族大移動は、続きます。紅茶で有名なリプトン家は、その末裔です。
アイルランドの人口は、餓死者と移住者で350万人も減ってしまいます。
アイルランドの飢餓を克服するため、イギリス政府とイギリス人は、支援活動も行っていたようです。
しかし、善意のほうは、直ぐに忘れます。
この不幸な出来事に関して、イギリスに責任があると思う人が、
アイルランド人の多数を占めています。
地主の悪辣な行為や政府の無策のみが、語り継がれます。
この反英感情は、アイルランドの独立運動に結びついていきます。
1870年、イギリスはアイルランド土地法を制定して、アイルランド人小作農の土地所有を援助します。
しかし、アイルランド人達は、納得しません。
1916年4月24日、アイルランドの急進派は、武装蜂起しますが、鎮圧され、指導者は処刑されます。
彼らは、英雄としてアイルランド人の尊敬を集めます。
1922年、アイルランドは、イギリス連邦の自治領(アイルランド自由国)となります。
カナダやオーストラリアと同じ扱いでした。
イギリス国王に忠誠を誓うことと、北アイルランドが領有されないことが、アイルランド人には不満でした。
1949年4月、アイルランド人は、アイルランド共和国として悲願の独立を果たします。
しかし、取り残された北アイルランド(プロテスタント系が多い)では、IRA(アイルランド共和軍)が南北統一を目指して、ゲリラ活動を続けます。
1997年、イギリスのブレア首相が
「大飢饉で大量の餓死者が出たのは、イギリス政府の自由放任経済にも責任がある」
と謝罪します。
この発言は、両国内で論争を巻き起こしました。
1998年、IRAとイギリスは、歴史的和解に成功します。
何処の国も、同じような問題で苦労してますね。
◆◆さて、大飢饉が発生して、大量の難民が発生しそうな国が◆◆
◆◆日本の近くにありますね。◆◆
◆◆ 「餓死者が出たのは、日本人とアメリカ人の責任」◆◆
◆◆などと150年間、言われないようにしないと大変ですよ。◆◆