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Re: 【経済学者のトンデモ理論】 デフレーション・インフレーションそして通貨 《その5》 投稿者 マイケル・ハドソン 日時 2002 年 2 月 26 日 21:42:24:

(回答先: 【経済学者のトンデモ理論】 デフレーション・インフレーションそして通貨 《その5》 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 26 日 14:25:00)

日本の経済の衰退の原因は金融制度にある(1)

 大半の人は学校で学んだ理論や哲学に沿って出来事を理解し、それを基盤にして新聞やテレビ報道により、頭の中でさらにその形を補っていく。しかし経済理論は実際の世界の変化に追従してはいない。国家が経済問題に直面するのは、政策立案者の考えが時代遅れのためである。本論文では、現在日本が抱える問題を分析するための新しい概念を紹介する。金融制度改革論議の実態を見極めると同時に、返済不能になった金融機関が日本の貯蓄をいかに誤った方向に投資してきたか、そしていわゆるビッグバンによって日本の金融市場が外国の投機家に開放されることによって、この状況がどのように悪化していくかについて検討したい。
 新しい概念はこの小冊子で説明するには余りにも難しい。そこでまずは経済における貯蓄にいろいろな方法があるため、その違いを明確にする4つの基本事項について説明する。

1) 生産手段への投資は、有形資産に対する「債権」を急増させる。債券や銀行融資、抵当ローンなどは、経済の収入から金利を絞り取る。これはもともと「英国病」と呼ばれていたものであり、そこにおける収入の増加は金利や賃貸料によって大幅に吸収される。それが米国に感染し、今度は日本がこの病気にかかろうとしている。
2) 貯蓄が融資や債券投資などに使われることを考えれば、ある人の貯蓄は他者の負債に等しくなる。したがって貯蓄率の高い経済は、その分負債も高い。イギリスや米国の銀行は準備金を国債に投資するが、日本の銀行は株式に投資する割合が高い。通常これは日本のバランスシートの強化につながるはずであるが、株価低迷時には銀行は預金者に対して純債務者となる。
3) 貯蓄には、預金を増やす、借金を返済する、株や生産手段へ直接投資する、という3とおりの方法がある。日本で増えているのは使える預金の増加ではなく、借金の返済の割合である。
4) 新規株式公開(IPO)や産業向け長期融資は生産高や生産性増加のための直接投資につながるが、新規建設融資を除く不動産貸付は地価を高騰させるだけである。これは資産価値を押し上げ、不動産所有者を金持ちにする一方で、土地の抵当ローンの負債を増加させ、賃貸収入を利払いに回すことになる。


 なぜ日本の貯蓄が直接投資ではなく金融・不動産部門に流れるのかはこれで説明がつく。バブル期には貯蓄が地価や株価の高騰を煽っていたが、それがはじけるとバブルの時に累積した負債の利払いに貯蓄の大半が費やされることになったのである。この貯蓄が負債を生むという状況は、富と負債を国家のバランスシートにすれば最も端的に表れる。一国の経済のバランスシートは、左側に資産、右側に負債がくる。支払い能力のある企業は、負債よりも資産の方が大きく、その差が正味資産となる(資産 - 負債 = 正味資産)。この考え方は、企業の年次報告書にあるバランスシートと同様で万国共通である。

資産 = 負債 + 正味資産
 好景気になると資産は膨張する。1991年まで日本でも不動産や株価が急騰した。この増加分を抵当にして、さらに借金が行われた。不動産と株式市場が低迷した後も、貯蓄と負債の循環で生まれた借金は帳簿に残っている。多くの不動産開発業者やその投機を資金面で支えた銀行は資産価値の暴落により負債額が資産を上回り、その結果、正味資産がマイナスになった。
 資産価値の低下が1991年以来、日本の金融機関を苦しめている。バブルの時代、人々は借金して不動産や株式市場の投機を行い、裕福になった。しかし、この投機の後には負債の山だけが残された。環境汚染と同様、この負債の後始末には莫大なコストがかかるのである。

I. 日本の奇跡的な経済成長の理由
 日本の戦後の復興はよく「奇跡」と呼ばれる。奇跡というのは、それが人間の理解を超えているからであり、それが奇跡の本質でもある。しかし、よく調べれば、ほとんどの場合奇跡にも当然の原因が存在する。経済の場合それが厄介なのは、奇跡的にすばらしかっただけに過ぎないことを、エコノミストは自分の雇い主が望む政策のお陰であったと主張する点にある。その結果、奇跡の本質が見過ごされてしまう。
 例えば、金融エコノミストは日本の高度成長は日本の貯蓄率の高さによるものと説明した。日本製品の品質やサービスが優れていたこと、国内価格を海外より高く設定することで日本企業が高い利潤を生み、それが事業拡大につながったことなどさまざまな要因があるにも拘らず、日本人が贅沢品を購入するよりも貯蓄に励んだことが日本の繁栄をもたらしたというのである。
 家庭だけでなく、日本企業も株主への配当よりも、長期的な投資戦略で設備や技術の近代化を最優先してきた。日本企業の株主である銀行や保険会社は、設備や技術への再投資がエレクトロニクス業界などで1980年代に成功の兆しが見られるまで辛抱強く待った。長期的な資本増を求めた金融機関は、比較的多くの所得を準備高に充て、それを主に日本企業の株式に投資したのである。
 消費者や一般企業、銀行、保険会社の貯蓄率が高いことが日本経済の台頭に大きな役割を果たしたのは確かである。しかし、国力はその貯蓄をいかに投資するかで決まる。日本では富に対する金融債権よりも、富を生み出す生産手段へ投資されていた。日本人の貯蓄率は依然として高いが、貯蓄ではバブル後の不景気から抜け出すことはできない。問題は、1960年代と1970年代の高度経済成長期には存在していて、現在では欠けているものが一体何であるかを知ることにある。
 それは貯蓄の「使い道」である。日本が行ったことの中で各国が見逃している部分は、日本が貯蓄を新規の直接投資に環流していた点にある。日本企業は世界最高の技術や経営手法を買い取り、日本流のやり方で実用化し、比類のない成功を収めた。そして、世界戦略として天然資源の確保と成長分野の産業の市場開拓を目指したのである。
 当初、日本の株式債券市場は、貯蓄家が利益を上げるだけではなく、投資資金を集める役割を果たしていた。米国やイギリスなどは、資産価値が最も低く、利益率が最も高い国ならどこでも投資して、最大の利益を獲得しようとしていたが、日本は長年にわたり、長期的な視点から自国の経済を基盤に貯蓄を環流してきた。日本の戦後の飛躍によって土地や他の不動産、企業の株価が押し上げられ、この値上がり益が毎年、海外からの投資を日本に引きつけ、円を支えてきた。しかし、この循環はもはや実体の繁栄基盤から切り離されてしまった。
 1985〜1991年のバブル経済は日本にとって大きな転換期となった。バブル期には土地購入のための抵当ローンにより多くの貯蓄が集められ、その一方で生産手段に対する直接投資が削減された。大手銀行は住専などの子会社を作り、産業投資よりも高金利で資金を融資させ始めた。こうして興業銀行は土地銀行へと変貌したのである。この土地銀行が、貯蓄を還流して、金利や賃貸料という負債間接費を増加させた。
 貯蓄が不動産ローンと株式投機に環流するに従い、日本経済の負債はますます増加していった。家庭における貯蓄の形態も変貌した。かつて貯蓄と言えばマイホームの頭金、子供の教育費、老後の生活費などのために所得の一部を蓄えることであった。しかし経済全体においては、負債の返済が貯蓄に変わっていき、1980年代末までには、日本人が行う貯蓄の多くが、住宅などの基本的要求を満たすために行った借金の返済に変貌した。
 エコノミストや経済企画庁などは、借金の返済は消費ではなく貯蓄として計上している。これは否定の否定であって、マイナス分の減少である。就労所得者や企業、不動産投資家や政府の負債が一度積み上げられると、これらの債務者がその後貯蓄を行ってもそのほとんどが借金の返済に充てられてしまうのである。
 負債の増加はゼロサム・ゲームではない。債権者や不労所得者は経済全体の支出の中から償還金や金利を受取り、その金利をさらに新しい融資に回している。賃金所得者の消費や企業の設備投資を犠牲にして金利が支払われる状況を、エコノミストは債務デフレと呼んでいる。消費者、企業、政府が払った利息は経費を差し引いた後、債権者の新しい貯蓄となる。貯蓄ができるのは主に銀行、保険その他関連金融機関といった大規模な機関投資家であり、純個人貯蓄のほとんどを占めるのは全人口のうち富裕層10%である。
 経済の正味資産を理解し、なぜ日本のその資産が赤字になるのかを理解するために、負債と正味資産の合計が資産であることを思い出せばよい。今日の日本の資産価値は、銀行や保険会社、他の企業の抱える負債よりも下回っている(つまり、債務超過の状態である)。
 一国の貯蓄が増えれば負債も増加する。個人や企業が銀行に貯蓄すれば、その預金、つまり資産は銀行にとっては負債となる。これは、預金者に対する銀行の借金である。銀行はこの預金を、預金者に支払う金利より高い金利で貸し出し、その差額で利益を上げる。また、借り手である企業は銀行からの融資を、銀行に支払う金利よりも高い利益率を生むものに投資する。200年前にアダム・スミスは、利益率は平均して金利の2倍であるという経験則を発見した。商人が4%の金利で借金をしたとすれば、実際の取引や事業では8%の利益率を上げたいと考えるということである。しかし、景気が悪い時には必然的にその利益率は低下する。ただし借金は必ず返済しなければならないためここで問題が生じる。返済できなければ担保が没収されることになるのである。
 銀行や保険会社が借金を返済できない場合はどうなるのか。銀行が、不動産などの担保を処分したものの、融資額よりもその価値が低い場合にこうした状態に陥る。その融資額というのは、銀行の預金者に対する、また保険会社の保険契約者に対する負債に相当する。この場合、政府が救済を行うことになり、金融機関の負債が公的資金で賄われることになるのである。
 時間の経過とともに景気は循環するが、貯蓄に対する金利は常に累積し、再投資され、雪だるま式に膨らんでいく。アダム・スミスは、歴史上、負債を返済できた国はないと結論づけている。

II. 日本が再開するのは、富の創造か、それともバブルか
 現代の貯蓄はそのほとんどが不動産ローンに投資されている。米国の場合、70%の融資が不動産分野向けのものである。理由は簡単である。どの国でも依然として不動産が主要な資産であり、担保としても安全だからである。不動産は動かないだけでなく、経済が豊かになり、人口が増加し、公共投資が行われている限りその価格も上昇する。しかし、不動産債務の問題は、新規建築の融資以外、いくら債務が増加しても土地が増えるわけではないので一国の有形資産は増えることはない。そして不動産ローンの増加で地価が高騰する。
 したがって不動産融資は産業投資とは根本的に異なる。地価高騰の中、いかに多額の資金を土地に投じても土地の生産性は上がらない。不動産ローンが上がれば不動産保有費用が増えるだけであり、これは生産性増加のための投資とは全く逆の結果をもたらす。生産性の増加は生産コストの削減につながるが、土地の抵当ローンの負債が高くなれば不動産保有費用が高くなり、その結果、利払いと借金の返済を賄えるよう、不動産の賃貸料を上げなければならなくなる。
 不動産や金融投資家の経済力が上昇するにつれて彼らの政治的権力も増し、圧力団体となって資金力にものをいわせて不動産や地価の値上がり益に対する税的優遇措置を政府に要求するようになる。こうして不労所得に減税がなされた結果、欧米諸国のほとんどで税収が不足し、国家債務を増加させ、国債の利払いや償還のために増税を行わなければならない状況に陥ったのである。
 日本が欧米諸国の金融病にかかった原因の一端は、(大部分が米国留学経験を持つ)大蔵省、日銀のエコノミストや政府のアドバイザーが西欧の最悪の経済および財政手法の採用を勧めたためである。彼らが歓迎したのは就労所得者や企業を犠牲にした上での不動産開発業者や株式投機家の成功であり、架空利益や間接費の増加と、実体の富とを彼らは混同していたのである。
 土地は当然の税基盤であるが、固定資産税を増税することによって地主や開発業者などの不労所得階級が、銀行や保険会社などの抵当ローンの貸し手に返済できなくなれば、結局税金を徴収しても、それを金融機関救済のための緊急融資に回さなければならなくなる。そのため、政府は固定資産税よりも、消費税や所得税、法人税を選び、労働者や企業に課税しているのである。このような理由から、政府は地価の値上がり益にも課税しないのである。もし日本政府が土地の値上がり益に課税するようになれば、日本の一般企業や就労者に課税せずに済み、銀行も土地への融資ではなく、生産的な資本形成のために貯蓄を環流するようになるであろう。
 これまで日本は貯蓄を自国に環流させることで、土地や株式市場、その他の資産価値を他の諸国よりも押し上げ、経済を過熱させてきた。しかし1985年のプラザ合意以降、日銀は円高を抑えようとして貿易黒字や海外からの投資で集まった資金を米国政府に融資したのである。こうして、日本の貯蓄は自国の不動産に対する債権だけではなく、米国や海外の債権にも流れるようになった。
 問題は、投機家達の負債と銀行の支払い能力を維持しながら、地価がどれだけ急速に上昇するかにあった。日本企業は長期展望を行ってきたが、不動産の購入となると日本のバイヤーは先見の明を持たなかった。その結果、ロックフェラー・センターやペブル・ビーチなどをかなり高値で掴まされたのである。ロックフェラー家はロックフェラー・センターを何十年も前から売却しようとしており、1980年代末に日本人バイヤーを見つけるとすぐにこの物件から手を引き、日本人バイヤーはその不動産からの収入では抵当ローンの返済も、租税債務も支払えず、最終的に抵当保持者に物件を引き渡し、立ち去るしかできない状況に追い込まれたのである。
 多くの個人投資家は、貯蓄を国内の不動産や株式に環流させる日本の政策で金持ちになった。日本人も世界の長者番付に登場するようになったが、彼らは日本の輸出急増や技術の近代化を推し進めた人々ではなく、不動産の億万長者であったのである。野心的な投資家は税制の抜け穴を利用して、金持ちになる最も手っ取り早い方法を見つけた。借金で不動産を購入し、その価値が上昇するのを眺める一方で、金利をカバーするために賃貸料を急騰させるというやり方であった。そして、銀行への借金返済後にキャピタルゲインを手にすることを期待した。これが現実にならない場合、つまり、不動産の価値が金利をカバーできるだけ上昇しなければ、不動産所有者はその物件を手放し、後は抵当ローンの貸し手に任せればよかった。
 貸し手が住専の時のように不良債権を肩代わりできなければ、その負担は政府が公的資金で引き受ける。このようにして、日本の不動産バブルは債務汚染へと肥大化した。これは環境汚染と同じように、汚染者には利益をもたらすが、巨額の借金の後始末は経済全体になすりつけられる。今、日本経済はこの債務汚染で窒息しかけている。
 一国の金融制度をどう運営するかという問題は、その国の経済哲学に関係する。金融制度を、個人投資家にキャピタルゲインを儲けさせる手段と考えるべきなのか、それとも生産能力、すなわち生活水準向上のための能力を押し上げるための経済戦略の一部として考えるべきなのか。後者を目的とするのであれば、最善の金融制度の規制や政策は何か。重要なのは大蔵省の規制哲学であり、日本の金融制度のもとで日本の貯蓄をどう環流させるかである。
 日本の金融制度は、古典派エコノミストのいう、生産的債権から非生産的債権に方向転換をした。債務返済のための利益を捻出する方法として新規に直接投資を行うのではなく、不動産部門に借金を負わせた。投資家を金持ちにするためにとられたバブル期の戦略とは、不動産投機家へ融資して、土地やその他の不動産価格を押し上げ、借り手が借金と金利を銀行に返済できるようキャピタルゲインをもたらすことであった。
 歴史には、同じ方向を目指して失敗した例、成功した例があふれている。次回は、歴史から学ぶ教訓について考察する。

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