2021年01月27日 石原伸晃が無症状で即PCR検査コロナ陽性で即入院?東京は自宅待機療養者8千人?でやはり自公与党はコロナ対策散漫なのは自分達は特別待遇=無症状でも即PCR・即入院だから安心故! 追記:2021.1.27,送迎帰宅後TV付けたら国会審議: 昨日は当初?自民で変えた。 その後に回した時にコロナ感染経験の小川立民が菅さんの咳を気にしてた! (今日の昼帯で田崎が菅・小川は以前から仲が良いコメント) 総理がクラスター原因になるのか?それも天命かも? 田村厚労相には小川感染時の接触者として20.11月時のPCR検査したかも一切答えず。 石原の坂本現職大臣会食もPCR検査有無答えず。 これが個人情報で逃げれる事か?! 国会クラスターに成ればもっと分かるかもと期待も? 今日は社会党石橋の息子?立民で聞いてたが咳込む人も多く、衆参両院コロナ・クラスターをまた連想した。下らない答弁に喝!で国会コロナ・クラスターが国民の願望か?天罰か? 「嘘つき」の次は「空っぽ」という国の悲劇:菅答弁を聞く限り支持率下落は今や底なし日刊ゲンダイ http://www.asyura2.com/20/senkyo278/msg/705.html 投稿者 赤かぶ 日時 2021 年 1 月 27 日 21:05:15: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU 石原伸晃議員が入院した国立大学附属病院を10月に「視察」していた! 田崎史郎氏は「知り合い」と擁護もやはり国会議員の立場を利用(リテラ) http://www.asyura2.com/20/senkyo278/msg/691.html 投稿者 赤かぶ 日時 2021 年 1 月 26 日 21:15:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU 【本稿】 石原慎太郎長男自民大幹部が無症状で即PCR検査コロナ陽性で即入院?東京は自宅待機療養者8千人?でやはり自公与党はコロナ対策散漫なのは自分達は特別待遇=無症状でも即PCR・即入院だから安心故! 「野党議員は自宅待機 自民党議員は無症状即入院」ツイートは不正確【??】 1/26(火) 12:00 毎日新聞 「野党議員は自宅待機なのに自民党議員は無症状即入院」ツイートは不正確
新型コロナウイルスに感染した国会議員9人のリストを示し、自民党議員が無症状で入院しているのに野党議員は入院できないと対比させたツイートが広く拡散している。しかし、実際には入院した野党議員もいるほか、発熱して入院した自民党議員もおり、このツイートは不正確【❔】大野友嘉子/統合デジタル取材センター】 ◇1万3000件のRT 2万2000件の「いいね」 このツイートは、23日に「きじにゃあ(哲学猫)」というアカウントから「こういうことも次の選挙まで忘れたらあかんな」というコメントつきで投稿された。25日午後6時現在、1万3000件以上リツイート(RT)され、2万2000件以上のいいねがつく異例の拡散ぶりだ。 このツイートは次のように記している。 無所属 桜井→自宅待機 立憲 小川→自宅待機 立憲 羽田→高熱・死亡後陽性 共産 清水→高熱・自宅待機 自民 高鳥→即入院 自民 渡嘉敷→即入院 自民 竹本→無症状・即入院 自民 安藤→自宅待機 自民 石原→無症状・即入院 順に桜井充参院議員▽小川淳也衆院議員▽羽田雄一郎参院議員(元国土交通相、死去)▽清水忠史衆院議員▽高鳥修一衆院議員▽渡嘉敷奈緒美衆院議員▽竹本直一衆院議員(前IT・科学技術担当相)▽安藤高夫衆院議員▽石原伸晃衆院議員(元自民党幹事長)――を指すとみられる。 ◇立憲の小川氏は入院 自民の竹本氏は発熱 しかし、毎日新聞が報道や各議員の公式サイト、議員事務所などへの取材で確認したところ、小川氏と竹本氏については明らかな誤りだった。清水氏もずっと自宅にいたわけではない。 小川氏は昨年11月16日に発熱し、陽性が判明した翌17日に入院。退院後、毎日新聞の取材にその体験を語っている。 竹本氏は無症状ではなく、昨年12月24日に発熱して検査を受け、陽性が判明。その日のうちに入院した。 清水氏は高熱が出ていったん下がった昨年12月31日に陽性が判明、1月3日まで自宅で療養したあと保健所の指示でホテルに隔離され、その後再度の自宅療養を経て回復した。 その他の議員については誤りではないが、1月22日午後に陽性が分かって入院した石原氏については、不整脈があることを理由に医師に入院するよう言われたと事務所は説明している。 ◇「上級国民」への疑念が陰謀論を招く 冒頭のツイートをめぐっては次のようなツイートが相次いだ。 <自民以外は皆、平民 今の日本はそんなもんです> <#打倒上級国民 一般人の感染者は入院先が見つからずに自宅待機なのに、無症状の自民党議員だけが即入院できるのか>【来日李朝両班下人集団=日本会議】、2019年に起きた東京・池袋の車の暴走事故で、運転していた旧通産省工業技術院長が逮捕されなかったことをきっかけに広く使われるようになった言葉だ。 今回のツイートが拡散した背景にも同じ流れがあると五野井郁夫・高千穂大教授(国際政治学)は指摘する。森友・加計学園や「桜を見る会」などの疑惑を例に挙げ、こう分析する。 「安倍政権下で政権に近い一部の人が優遇されているのではないかという疑念が人々の間で生まれたのではないでしょうか」 また、検査前に亡くなった野党の羽田氏と即入院できた自民党の石原氏が対照的に映ったことも臆測に拍車をかけたと五野井氏はみる。「命が助かる・助からないと権力との距離が関係していると受け止めた人は多いのではないでしょうか」【アベノリスク!】 立憲民主党の説明によると、羽田氏は昨年12月24日深夜に発熱。25日に2日後のPCR検査を予約し、27日に検査に向かう途中に容体が急変して死亡。検視でコロナ感染が判明した。 「石原氏が優先的に入院できたかどうかは今後、検証されるべきことです」と五野井氏は指摘した上で、誤った情報の拡散に警鐘を鳴らす。「自分の信じたいものだけを信じる傾向がネットの普及とともに増幅されており、その現象の一つといえます。事実に基づかないで批判するのは陰謀論ともいえ、危険です」 2017年05月23日 北朝鮮の地名は平壌以外知らず韓ドラ:千秋太后と金孫ミサイルで北倉?ネット検索:徳川郡市の記述に確信!2010.3.3〜6ソウルで読めた漢字:北村・石原・・・1415年 - 徳川郡が置かれた。 2016年03月16日 病院は近くに欲しいが葬儀場要らない日本人エゴ?高級住宅地ほど酷い!その解決策が韓国病院葬=救急総合病院に安置室・葬儀室設置義務化で簡単に出来る事を庶民に金掛けさせる日本! JAPAN IS(AS) NO.1以来、日本人は上ほど腐って来た。 明治期の遣欧使節団は今こそ必要だが、バカが行っても仕方がない。 論文書かせて優勝者準優勝者に行かせよう! 国公立総合病院には安置室・葬儀室を裏・地下に作れば、すぐ解決なのに。 金のある人は青山でも何処でも盛大にやってくれ! 日本の庶民は詐欺師にネギかも状態だ! 韓国、病院の裏に葬儀場…2015年04月18日(土) テーマ:2015・3月 ソウル 国立中央病院の敷地内に葬祭場が………ある!? 葬儀場?…まじっ? しかも裏が葬祭場で、横が看護大学…って、ほんまでっか!? (コネストさん地図)
せっかちな韓国人だけど、さすがにこれはイタダケナイと思いましたが…こちらでは普通なんですって 温かいうちにストレッチャーに乗せられ、そのまま裏へご移動とか…ヽ((◎д◎ ))ゝ 逆にお骨を拾う日本人のしきたりを韓国人は驚くそう 冠婚葬祭ってよりいっそう文化、風習等の違いがでますね… ホント、余談でスミマセンおじぎ 韓国は病院に葬儀場がある? 2016年03月16日 朝ドラ後あさイチ葬式=直葬家族葬だと安置場所無い?=韓ドラで病院の地下に安置・直葬式出来て墓所も建物で施錠透明ポリカのロッカー仕様!日本が一番ボッタくり体質だ! ソウルに2010.3.3~6行った時に石原焼肉店看板多く見た。 当時は石原裕次郎が日本で遊ぶと直ぐバレるから韓国で遊びお店を持たせたのかと勝手に想像した事が有る。 李朝徳川郡出自の徳川天領・御三家・譜代領には李朝両班科挙落第者や技術者・罪人囚人等が所払いで多く流入してた?! =石原家も伊予出身 =家康の母の再嫁先=久松松平 2019年11月10日 煽り運転常習地は徳川天領御三家譜代領!三河太守で1566年徳川復姓の出自は李朝徳川郡1415年建郡=李氏朝鮮両班的傍若無人・横暴=予算委員会での安倍ヤジと同一の姑息さ証明! 石原家 (愛媛県松山市・八幡浜市・大洲市、兵庫県神戸市須磨区、北海道小樽市、神奈川県逗子市、東京都) 家系 慎太郎によれば、「私も幼い頃家族しての神奈川県から愛媛、広島への大旅行で父や母の実家を初めて訪れた時に会った、まだ元気でいた父の母親と母の父親の記憶をこの旅で見た他の何よりも強い印象で覚えていますが、何故かそれはその後私が成長していってからの方がますます鮮やかで確かな記憶として心に刻まれてきたような気がする。そして父や母が亡くなった後、父や母への追憶に重ねてそれがますます懐かしく鮮やかに思い出されるようになりました。」という[228]。 石原家は潔 (慎太郎の父) の2代前の石原安太夫の時代に絶家となった (理由は不明) [56]。それを再興するため服部家から服部信義の二男の信直が石原家に入った[56]。石原家再興の当主となった1862年 (文久2年)生まれの信直と、1867年(慶応3年)生まれの妻ササヨの間には、潔を含めて6人の子供が生まれた[56]。長男の石原克己、長女の壽万 (すま)、二男の石原静夫、三男の潔、二女の美壽 (みす)、四男の石原真砂 (まさご) の6人である[56]。信直の職業は警察官だった[56]。潔は愛媛県長浜町(現大洲市)に生まれ、幼少期は八幡浜や宇和島など、西宇和、南宇和地区ですごした[229]。 石原本家の菩提寺は八幡浜市保内町の龍潭(りょうたん)寺である[56]。 佐野との対談の中で慎太郎は「うちの本家はそもそも石原ではなく服部なんです。そんな大家でもないけれど、元は、落魄 (らくはく) [230]した士族です。先祖は武田の残党でそれが松山に流れて服部姓を名乗った。弓の名人だったらしく、戦 (いくさ) で七人殺したか、まあ七十人は殺さなかったでしょうが (笑)、それで七つ矢車の家紋を許された。歴代、服部勘助を名乗った服部本家の血筋をひいている親父の親父が石原家に入って、それ以来石原姓を名乗った。」と述べている[56]。 AERA誌のインタビューのとき、ノンフィクション作家の吉田司に慎太郎は「うちは士族の出でね[231]。カッコいいんだ[231]。武田の武士でね、弓矢の名人でね、家紋が7つ矢の矢車なんですよ[231]。武田軍団って、戦強かったでしょ[231]。うちの家訓はね、『明日の戦、わが身無念と心得べし』ってんですよ[231]。つまり死ぬだろうと……[231]。だから俺の親父もわりと覚悟して、毎晩接待で酒飲み続けて、仕事で死んでいった[231]。『今宵の宴、わが身無念と心得べし』じゃないけどね (笑) [231]」と述べている。 祖父・石原信直(警察官) 1862年(文久2年)生 - 1922年(大正11年)没 服部信義の二男として生まれ石原家に入った[56]。 祖母・ササヨ 1867年(慶応3年)生 - 没 父・潔(山下汽船社員) 北海道の小樽にて家族写真 (左から父・潔、弟・裕次郎、母・光子、慎太郎) 1899年(明治32年)12月生 - 1951年(昭和26年)10月没 生い立ち 愛媛県八幡浜に隣接する長浜という港町に生まれた[229]。警察官石原信直・ササヨの三男。父・信直の人事異動に伴って、幼い頃は信直の赴任先である愛媛県各地の派出所を随分転々とさせられた[56]。1922年(大正11年)、父・信直が59歳で亡くなり、子供たちはみんな非常に苦労したという[232]。 山下汽船へ 1913年(大正2年)3月、宇和島男子尋常高等小学校を卒業し、旧制宇和島中学(現在の宇和島東高校)に進んだが、入学から一年もしないうちに同校を中退している[56]。中退の理由はわからない[56]。1914年(大正3年)、山下汽船に入社。当時潔はまだ14歳の少年だった[56]。潔の山下汽船入社時の身分は店童 (てんどう)だった[56]。 慎太郎によれば、「(潔は)本当は大学へ行きたかったんだけど、家の事情で行けなかったようです[232]。家は落魄 (らくはく) [230]する一方だったようですからね[232]」という。 店童 (てんどう)として入社してから5年目台湾赴任時代の1919年(大正8年)12月正式の社員となった[233]。 1942年(昭和17年)9月山下汽船小樽出張所は小樽支店に格上げされた[233]。この組織改革に伴って潔はそれまでの小樽出張所長から小樽支店長心得に出世し、翌18年1月1日を以って、正式に小樽支店長となった[233]。慎太郎が10歳のときだった[233]。しかし潔が小樽支店長の肩書を使ったのは二ヵ月にも満たなかった[233]。同年2月15日には東京支店副長の辞令が出て、足かけ8年すごした小樽を後にした[233]。同じ年の10月には子会社の山下近海機船(昭和24年山下近海汽船に改組改称)に転出となり、山下汽船のほうは嘱託扱いとなった[233]。 店童 (てんどう) あがりだったにもかかわらず、最後は関連会社の重役にまで出世した。 人柄 妻光子が書いた『おばあちゃんの教育論』によると、潔は身長百七十五センチ、体重は八十キロもあった大男であだ名は“クマさん”だったという【福沢諭吉級】 先妻は元大同海運社長崎山好春の妻の姪にあたる[232]。 佐野眞一によれば、「山下汽船OBたちの間からは潔を絶賛する声が次々とあがった[232]。その評価のなかに仕事に関するものはほとんどなく、酒や人とのつきあいに関するものばかりだったといってよい[232]。潔が“人間的”魅力にあふれていたことは間違いないようである[232]。」という。 慎太郎によれば、「親父は僕ら兄弟と一緒にいると、いつも相好を崩していた[234]。怒るときは怒ったけど、ああいう偏愛っていうか溺愛っていうか、動物的な愛情の示し方は、おふくろはしなかった[234]。ですから、どこが似てるかっていわれれば、そういうところが似てると思うし、なんか言わなくていいことを言って、平気で相手をコキオロシたりするところは、おふくろに似てるし… (笑) [234]。」という。 晩年 晩年には今まで家になかった仏壇をしつらえて、毎朝出勤する前に必ず合掌してお経を上げるようになったという[235]。 慎太郎によれば、「朝など時折、前夜の接待が遅くまでになって、好きではあったが医者に禁じられている酒を毒と知りつつ自らに強いて接待に努め疲れて戻った父が、眠りも足りなかったのだろう、高血圧のせいもあって、舌がもつれてお経を読む声がいつもと違って少し呂律が回らず、自分でもそれがわかるのかいらいらしながら同じ部分を何度も唱えなおしているのを床の中で聞きながら、子供なりに心を痛めたのを覚えています。そして結局父は五十一歳で、当時としても若死にしました」という[236]。 母・光子(加藤三之助の娘) 母・石原光子 (神戸第二高女時代) 1909年(明治42年)9月生 - 1992年(平成4年)6月没。 生い立ち 2002年(平成14年)2月24日にテレビ朝日系で放送された『グレートマザー物語』では、光子は広島県の生まれと紹介している[57]。 厳島での生活 加藤家は厳島神社の参道で土産物屋を開いた。光子がいくつのとき厳島に移ってきたかははっきりしない。光子は大正末期か昭和のはじめ頃に厳島を出ていった。地元の古老によれば「光子が厳島を出ていったのは、継母との折り合いが悪かったからだろう」という。 神戸での生活、結婚 厳島を出た光子が誰を頼って神戸に出たかについてははっきりしていない。慎太郎によれば「神戸ではおばさんの家に寄宿していたんでしょう。その家は三宮にあって、貿易商だったみたいですよ。そこに預けられたけれど、従姉妹にあたる娘となかなかそりがあわなくて、ずいぶん意地悪されたって言ってましたけど。それで(第二高女を卒業後)東京に行ったんだという言い方をしてましたけどね。名前はたしかタケウチさんといったかな。」という[234]。 光子の神戸での寄宿先は竹内五一商店という貿易商だった[234]。慎太郎は、潔と光子の見合いは芦屋に住む河野という女性が仲介したという話は聞いているが、それ以外は知らない、といった。 1927年(昭和2年)3月に神戸市立第二高等女学校 (現神戸市立須磨高校) を卒業した[234]。第二高女を卒業した光子は絵描きを目指して上京した[234]。 弟・裕次郎 (俳優、歌手) 1934年(昭和9年)12月生 - 1987年(昭和62年)7月没。 同妻・まき子 (元女優) 子どもはない 妻・典子(石田光治の娘) 1938年(昭和13年)1月生 - 典子の父親石田光治は落下傘の紐などを製造する東洋麻糸という紡績会社に勤めていた[237]。典子は父光治が同社の彦根工場に赴任し召集令状を受け中国戦線に出征した後、母方の実家のある広島市己斐町 (現・西区己斐) で生まれた[237]。光治は典子が生まれて十ヵ月後の1938年(昭和13年)秋、中支の攻略戦で敵の弾丸を受け、胸部貫通銃創で戦死した[237]。 典子が慎太郎と母同士が知り合いだった関係で出会い、淡い憧れのような感情を抱いたのは12歳の頃だったという[237]。 結婚について慎太郎は阿川佐和子との対談で「まあね、面倒臭いからしちゃったんですよねえ[238]。今でいうラブホテルから二人で出てくるのを親戚に見つかって、おっかないおばあさんにいいつけられちゃった (笑) [238]。それで、呼びつけられて“切れるか結婚するか、どっちだ?”って言われて、しょうがないから"結婚します"って決心しちゃったのよ (笑) [238]」と述べている。 長男・伸晃(政治家) 1957年(昭和32年)4月生 - 同妻・里紗(元女優・タレント) 二男・良純(俳優・タレント、気象予報士) 1962年(昭和37年)1月生 - 三男・宏高(銀行員、政治家) 1964年(昭和39年)6月生 - 四男・延啓 (画家) 1966年(昭和41年)生 - 末弟(あるいは従兄弟) 1940年(昭和15年)3月生 - 最初、潔の戸籍に入っていたが、のち他家に養子縁組した[239]。この男性によれば、父親は潔ではなく潔の弟の真砂 (まさご) であるという[239]。なおこの男性の"父"という真砂 (まさご) と"母"という女性の間に正式の婚姻関係はない[239]。この男性が養子縁組した祖母の家と、山下亀三郎の生家は直接の血縁関係はないが、遠い縁戚にあたる[239]。 異母兄(小河姓) 父・潔が先妻との間にもうけた子。 潔の姉壽万 (すま) 夫婦に子供がなかったため養子に行った。1952年(昭和27年)、神戸商大を卒業して山下汽船と同じ資本系列にある第一汽船に入社した[232]。 伯母・壽万 (すま、教員) 父・潔の姉、異母兄 (小河姓) の養母。 慎太郎によれば「壽万 (すま) さんという伯母さんは苦労して資格をとって学校の先生になった」という[232]。 慎太郎の異母兄 (小河姓) によれば「(壽万 (すま) の夫は)一時獣医をやっていましたが、すぐにやめて明石市の市役所の公吏になりました[232]。仕事は税務関係です[232]。養母も明石小学校の教員をやっとったから、生活的には困ったことはありません[232]」という。 伯父・石原克己、石原静夫 父・潔の兄。 1944年(昭和19年)から敗戦までは、本家である克己の石原家は八幡浜から今治に疎開していた[240]。 叔父・石原真砂 (まさご) 1939年(昭和14年)没 父・潔の弟。 叔母・美壽(みす) 父・潔の妹。 認知した子(男、元ホステスとの間に出生、1994年認知) 1996年(平成8年)3月、慎太郎の愛人問題が発覚[241]。このスキャンダルをスクープした写真週刊誌は、「愛人は銀座の高級クラブの元ホステスで、二人の間には一九八〇年代はじめに生まれた男の子もいる[241]。母子はいま母の故郷の雪深い町でひっそりと暮している。」と報じた[241]。 小泉家との関係 妻典子の従兄弟の子にあたる美枝子が政治家の小泉純一郎 (元首相) の実弟・小泉正也と結婚した[242]。 闘病の立民小川氏「特権かよ」石原伸晃氏の即入院に 1/26(火) 5:00配信 日刊スポーツ 小川淳也氏(2020年6月21日撮影)
新型コロナウイルスに自身も感染した立憲民主党の小川淳也衆院議員が25日、闘病体験を引き合いに政府を追及した。 【写真】衆院予算委で、立憲民主党の小川淳也氏の質問に答える菅首相 コロナウイルス対策や経済対策などを盛り込んだ本年度第3次補正予算案を審議する衆院予算委員会がスタート。小川氏は質疑で国会議員9人目の感染者となった自民党の石原伸晃元幹事長の事例を引き合いに政府与党のコロナ対策に関する危機管理の甘さなどを厳しく指摘した。 ◇ ◇ ◇ 新型コロナウイルスの感染症を自ら経験した国会議員による初の質疑で舌戦の応酬となった。小川氏は自民党の石原伸晃元幹事長をやり玉に挙げた。22日に感染が判明した石原氏は前日21日に自らの派閥の会合で坂本哲志1億総活躍相らと会食していた。小川氏は「てっきり濃厚接触者で来ないのか、と思っていました」と問いただすと、坂本氏は「(席を)2メートル以上離して対面式ではなく、マスクをして、食べる時だけマスクを外した。PCR検査を受け、保健所から濃厚接触者ではないと認定された」などと釈明した。 小川氏は「にわかに信じ難い」と反発。「こういう不用意な会食をこの期に及んでする人たちが、会食時以外、用意周到に本当にマスク着けたんですか? この期に及んで閣僚が会食している。更迭すべきじゃないですか」と、強い語気で菅義偉首相に迫ったが「坂本大臣の発言を信じてますから更迭することは考えていない」とかわした。 感染判明から即座に入院した石原氏には、一部報道で疑問の声もあり、小川氏が引用した。「あれだけ会食ダメ、と言っておきながら自分たちだけは特権かよ。症状ある人が入院できないのに何で無症状で即、入院できるんだ。という声もある」と述べた。そして「入院できない。自宅で亡くなっているという方々が多発している状況の中で、国政にたずさわる、しかも自民党の大幹部が、こういうことだと疑念が生じるのも無理はない」と切り捨てたが菅氏は「1つのご意見として受け止めさせていただく」と短く答弁するなど防戦一方だった。 小川氏は昨年11月17日に感染が判明し、11日間入院した。「近所のクリニックで検査を断られ、東京都の相談センターに紹介された最も近いクリニックまで39度の発熱の中、約1キロ徒歩で移動した」など生々しく訴えた。小川氏は感染判明前日の発熱した16日に田村憲久厚労相ら3閣僚に面談している。田村氏にPCR検査の実施を問うと、田村氏は「個人情報になる」などとして回答を拒否した。一方、坂本氏は答弁でPCR検査について明言。検査の公表に関する認識や解釈が閣僚によって異なるなど、与党の足並みの乱れが目立つ中、野党の追及が続きそうだ。【大上悟】 ◆国会議員の新型コロナウイルス感染 昨年9月18日に陽性確認された高鳥修一衆院議員(自民)が第1号。11月に桜井充参院議員(無所属・自民会派)、小川淳也衆院議員(立民)が感染した。12月には渡嘉敷奈緒美衆院議員(自民)、竹本直一衆院議員(自民)、羽田雄一郎参院議員(立民)、清水忠史衆院議員(共産)が感染し、6人目の陽性者となった羽田氏は12月27日、病院に向かう途中に容体が急変し、国会議員では初の死者となった。今年1月19日に安藤高夫衆院議員(自民)、22日に石原伸晃衆院議員(自民)の感染が確認され、国会議員の感染者は9人となった。 石原伸晃氏感染 “特権”“何で即入院”に菅首相は「意見として受け止める」 1/25(月) 18:25配信 デイリースポーツ 石原伸晃 新型コロナウイルス対策などを盛り込んだ衆院予算委員会が25日午前、始まった。午後には昨年11月にコロナに感染し、入院した立憲民主党の小川淳也議員が質問に立った。 小川氏は自民党の石原伸晃元幹事長が21日にPCR検査を受け、22日に陽性と判明し、既往症があるとして、即日入院したことについて「“あれだけ会食ダメと言っておきながら自分たちだけは特権かよ”“何で無症状で即、入院できるんだ”という声もある」と触れ、「自宅で亡くなっている方々が多発している中、国政に携わる、しかも自民党の大幹部が、こういうことだと疑念が生じるのも無理はない」と指摘した。 これに菅首相は「石原元大臣がどういう形で入院したか私は承知しておりません」とし、「1つのご意見として受け止めさせていただきます」と述べた。 石原氏はPCR検査を受ける直前の21日昼には、自ら率いる石原派の坂本哲志地方創生担当相と野田毅衆院議員と会食をしていた。【無症状でも与党大幹部・議員は掛付医?保健所?経由PCR検査受けられるのか?特権上級国民!野党羽田との差が大きい!石原から自民党に蔓延かも?】 小川氏は、坂本氏にも「不謹慎だと思う。てっきり今日は“濃厚接触者”で(予算委にも)来ないと思っていた」と厳しく質問。坂本氏は3人での会食について「食べる時だけマスク外して」などと感染対策をとっていたなどと主張した。
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