ここにおわす御方を、どなたとこころえる。 《総理大臣、菅御老公であらせられるぞ》 水戸黄門は国民番組。 勧善懲悪で、スカットできる。 と、団塊の世代は再放送も視聴する話を耳にする。幕末は、徳川光圀の水戸学に始まる。 (忠ウィキに、礼記の忠孝の説明あり ×士規武則 〇士規七則) 明治政府は、御三家水戸徳川の徳川光圀と徳川斉昭、楠木正成に官位の正一位を追贈を行っている。 光圀の功績は、皇国史観や南朝正統。 楠木正成を「嗚呼忠臣楠氏之墓」と忠義の臣として顕彰した。 斉昭は、尊王攘夷論(会沢征志斎)や「忠孝一致」主義。 実子は徳川慶喜(御三卿一橋へ養子)。 慶喜に、皇国史観のアマテラスや万世一系を教えた。 慶喜は朝廷に弓を引けず恭順した。 尊王攘夷派は、楠木正成(後醍醐天皇の忠義忠誠の臣、武将)を信奉し参詣し、楠公祭も行った。 〈正成は、戦前教育で大楠公と教えられ、「七生報国」は故事。 忠臣の鑑として、皇居に銅像が立つ〉 記紀が出た奈良時代の統治は儒教の「徳」が求められた。 古事記序文にある天武天皇の徳を讃える 『道軼軒后 徳跨周王』 (意訳;黄帝よりすぐれ、その徳は周の文王よりもすぐれている) 〈軒は,中国最初の皇帝・黄帝。 周王は文王で、湯武放伐、酒池肉林、殷鑑遠からずの故事の時代。 暴君の代名詞、桀王と紂王。 その紂王を討ち、儒教では、聖人とされる〉
儒教の統治に、江戸幕府は「忠孝」の朱子学を官学とした。 光圀は、明(中国)亡命者の朱舜水。 幕府は、李氏朝鮮の捕虜で儒学者の姜(カンハン)に、(藤原惺窩→林羅山)朱子学を学んだとされる。 忠孝で、君臣の上下身分を固定。 家臣は、主君に絶対忠誠、終生奉公となる。 主君に忠誠の家臣の 殉死(追腹)は禁止され、家の世襲となり血族血縁に関わりなく男性の養子を主君にできた。 「忠臣は二君に仕へず、貞女は両夫に見えず」 忠の絶対化で、主君を失くしたり離れる家臣に、仕官先は 無い。 無職無収入の牢人(浪人)となる。 《貞女・・・ 女大学で武家女性に教えた。 女性の不倫を叩く マスコミもこういう伝統で生きている。 男性は叩かれない。 家族間のことを面白く報道してはいけないが》 武家諸法度の一条。 2代秀忠『文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムヘキ事』(元和令 1615年)。 光圀の時代、5代綱吉『文武忠孝を励し可正礼儀事』(天和令 1683年)。 この法は幕末まで変わらない。 (水戸黄門)縮緬問屋の老人に、町人は孝悌(年寄りや目上を敬う)で接する。 副将軍の御老公となると、 悪代官も町人も土下座(忠誠と礼儀)を無意識に行う。 忠孝、五倫、六諭衍義などの倫理道徳が百姓町人 に広まり、躾ととなっていった。 団塊の世代は、戦前に教育を受けた親世代から伝えられている。 明治の長州閥は、松下村塾門下が主導した。 吉田松陰は『凡そ君と父とは其義一なり』(孟講余話)。 松下村塾の士規七則は『君臣一体、忠孝一致 唯だ吾が国を然りとなす』で、大陸と違い我国独自という。 「忠孝一致」を天皇の赤子に当て嵌めれば、天皇を三度諫めても聞き入れなければ泣いて従えとなる。
で、維新の政治体制は、王政復古の大号令で奈良時代に戻った。 大宝律令の律令制。 公地公民の 王土王民。 王土王民は、土地や人民は王の支配するもの。 維新も版籍奉還として行った。 しかし、 鎌倉時代からの土地私有制、民衆仏教が700年も続き、神仏分離令の神道国教化も強制したが抗議や 一揆で実現できなかった。 〈中国や北朝鮮は、幕藩の連合国家や私有制、多宗教の歴史が日本のように 無い〉 人民は、四民平等で平民、憧れのお武家と同じ姓を名乗れた。 お武家は、華士族となる。 〈初代首相・伊藤博文は、武士の家来・中間の子で、士族と平民の間の卒族とされた〉 統治政策は、潰れても「忠孝一致」の思想教育はできる。 松下村塾の山縣有朋が関わった「軍人勅諭」 「教育勅語」。 軍人勅諭は、皆兵制となり、主に、平民の兵士への教育となる。 前文は皇国史観。 条文の一と二は、武家諸法度一条のコピーである。 『軍人は忠節を尽すを本分とすへし』、次に『軍人は 礼儀を正 しくすへし』。 『上官の命を承くること実は直に朕が命を承る義なりと心得えよ』。 忠義忠誠は 江戸から続く、奉公先の主人にも忠誠が社会慣習。 (五倫)父子の親と君臣の義を容易に結びつけれる 時代である。 〈「上官の命令はつつしんで受けること、これは天皇の直接命令で、正しい(義)と心得よ」の ような伝統は、軍事訓練の指導法と一緒に学校の体育に取り入れられて、体育会系の問題になる〉 高齢者世代から上は、忠孝一致の言葉を知らなくても、忠孝を躾として育っている。 皇国史観の記紀は 読めば物語や神話。 天皇バンザイは、忠孝一致イデオロギー。 物事同じにするのと混乱する。 ということで、忠誠は、水戸黄門の思想背景にあり、なんで土下座をするんだろうと感がることも必要。 この思想は、右も左も無く、伝統的にある思想で、単一なイデオロギーは、全体主義に陥りやすい。 「お答えを差し控える」とは、裏を返せば、知る必要は無いであり、黙って従えと同じになる。
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