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記者座談会 大阪市廃止仕掛ける黒幕は誰か 外資や財界の代理人・維新
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/18853
2020年10月24日 長周新聞
大阪市では自民党にかわって首長ポストや議会での多数派を独占した「維新の会」が、二度目となる「大阪市廃止・特別区設置」(都構想)住民投票に持ち込んでいる。国政レベルでは「自民一強」が定着しているなかで、自民党に対抗する野党のような格好で大阪でにわかに勢力を伸ばした維新が、「二重行政の解消」「既得権益を打ち砕く」といいながら執拗に固執してきた大阪市の廃止・解体は、いったい誰のための改革であり、なぜここまで世論を二分する騒ぎになっているのか――本紙は、この間の大阪市内での取材をもとに記者座談会で整理した。
改革派装い公共財産売り飛ばす手法
A この間、大阪市民から「都構想」についての意見、ここに至るまでの10年間の維新体制で行政や市民生活がどのように変化したかについて取材してきた。
「都構想」については居住地域や世代などによって反応は様々で、「正直どちらがいいのかよくわからない」と頭を悩ませている人も多い。商売人のなかでは「前回が最後だったはずでは?」「コロナで明日の生活もままならないのに考える余裕がない」という苛立ちの声も少なくない。
前回の投票結果からも明らかなのは、交通インフラや行政機能、大企業などが集中する梅田を中心とした市北部は比較的に賛成が多く、中小企業や商店街、古い住宅地が多い南部や下町地域ほど反対が多いという傾向だ。これも単純に色分けはできないが、年齢的にも女性や高齢者ほど反対が多く、男性や若者には推進が多いともいわれている。
このように地域や世代によって世論が二分するのは、維新の改革が世代間の対立を煽るものであったり、今回の「都構想」が大阪市を四つに切り分けるものであるため、地域や世代によって明暗が分かれ、そこに格差が生まれるからだ。みんながハッピーになるなら、これほど対立などしないし、そもそも国も住民投票を義務づけない。リスクがあるからこそ住民に判断を委ねている。
市民からは「利便性の高いところは集中的に資本投下されてますます栄えるが、不便な地域はますます不便になる」「府に財源を握られるとカジノビジネスなどの大規模開発にお金が使われるようになり、中小零細企業支援や高齢者福祉など弱者のセーフティーネットがこれまで以上に切り捨てられるようになる」という懸念の声が多く聞かれる。維新政治の下で市民が実感してきたことでもある。
B 「都構想」をいい出した橋下元市長自身、5年前の住民投票のさい、「都構想をめぐる賛否は、現制度のままでなんとかやっていけるという守旧派と、古い制度を変えて新しい大阪をつくることで今より発展させていこうという改革派の違いであり、両者がわかり合うことはない」といっている。あたかも既得権のある旧勢力とたたかう改革急進派という装いだが、あえて市民同士を分断させ、その矛先は切り捨てられる弱者の側に向いている。現在ある賛成・反対の傾向から見ても、強者(富者)が弱者(貧者)を食う、あるいは切り捨てることによって「大阪が発展・成長する」という論理だ。それは彼らの唯一の経済成長戦略がカジノ誘致であることからもわかるし、この10年間の維新改革がそうだった。
A 市民から聞いた橋下改革に始まる維新政治を一言であらわすなら、強きを叩くと見せかけて弱き者の首をどんどん絞めていく――の連続だったといえる。
「民間が苦しんでいるのだから、市職員は破産会社の社員と思え!」と公務員を徹底的に叩きながら、市民に必要な数々の福祉施設や地下鉄やバスなどの公共インフラまでも統合・民営化し、外資や大手に売り飛ばした。「現役世代への重点投資だ」といいながら、高齢者の福祉バスを廃止したり、敬老パス、高齢者施設などのサービスや補助を一挙に削った。「税金に頼らず営業努力をしろ」といって音楽団や伝統芸能関係、地域振興会(町内会)や商店街への補助も打ち切った。
さらには「学力を低下させるダメ教師、クソ教育委員会」といって親たちの不満をすくい上げる形で、学校運営に競争原理を持ち込み、民間人校長を登用して教職員の首切りや人件費削減をやり、学校統廃合や民営化に拍車を掛けた。だが、頻繁なテスト実施による学力競争を煽ったものの、10年たっても大阪市の学力ランキングは全国最下位であり、むしろ学力格差や教育行政の荒廃が進んだといわれる。常に市民同士の対立と分断を煽りながら、弱い方から剥奪していくという手法だ。公務員叩きは、そのまま市民叩きへと移行し、大阪市そのものをなくすところまで行き着いた。
今回の「都構想」でも「東京の中央集権に挑むために強い大阪をつくる」といいながら、攻撃の矛先を大阪市に向け、市民が使っている財源や権限を丸ごと奪いとる。全国の政令市トップである大阪市と大阪府がそれこそダブルエンジンで国と対峙する方がよっぽど強力だと思うのだが、国から財源を引っ張るのではなく、近くにある大阪市の財布に手を突っ込むわけだ。
このように、いっていることとやっていることが180度違う詐欺・ペテンの類いがもっともらしくはびこっているから、市民が頭を抱えている。「時代の寵児」のようにメディアがそれを無批判にお茶の間に垂れ流し、「歯に衣を着せず痛快なことをいう」「実行力がある」と思わせているうちに、気がついたら大阪市の自治権限まで天秤に掛けられ、身ぐるみ剥がされたうえに手足までもがれようとしている。この住民投票は雰囲気で決める人気投票でもなく、維新vs自民党、維新vs共産党といった政党争い選挙でもない。市民自身の生活を規定する仕組みを放棄するか否かを選択するものであり、その権利は一度手放してしまえば二度と返ってこないものだ。
C そもそも「大阪都」にはならず、正式には「大阪市廃止」の構想なのに、行政の説明パンフレットにも「都構想」としか書いていない。大阪市長や府知事が「なにも難しい話ではない。今よりもっと大阪が発展するだけの話」「なにも心配する必要はありません」と吹聴している様子は、まるで契約書の中身を見せずにサインを迫る押し売り詐欺の常套句のようで、市民からは「マルチ商法」の声も聞かれる。「ちょっと待てよ」という声が次第に強まっている。
都構想」賛成に回った公明党と維新の会の合同街宣(18日、大阪市内)
労組特権化批判逆手に 大がかりな仕掛け
B 大阪外の府県から見ると、大阪市廃止という住民にとってマイナスでしかない「構想」に見えるのに、なぜこれほど市民の中で賛成・反対が拮抗するのか? という素朴な疑問が湧く。全国を見ても、近年は静岡市やさいたま市など、国と直接渡り合える権限と財源を得るためにわざわざ合併してまで政令指定都市の仲間入りをする都市が多いなかで、元祖政令市である大阪市は逆に特別区に格下げするのだから、それはまるで「身売り」のようなものだ。現在、愛知県知事と名古屋市長が揉めているが、名古屋市を潰して「愛知都構想を」という論議にはならない。現在の国の地方交付税制度の下では政令市の方がはるかに優位にあるからだ。
維新サイドは「明治以来の中央集権体制に大阪から風穴を開けるのだ!」と大上段から叫んでいるものの、国政レベルでは「野党でも与党でもなく“ゆ党”」といわれるコウモリ的存在で自民党とも馴れ合い、大阪での居丈高な振る舞いとは違って、既存勢力に立ち向かう迫力は乏しい。首相案件としてタダ同然で国有地を払い下げた森友学園問題でも、学校認可など陰で「大活躍」していたのも維新だった。表の茶番劇と裏腹に机の下では手を握り合う「同じ穴のムジナ」であることが広く暴露されている。元々党首を安倍晋三にお願いするほどだったわけで、さながら大阪における安倍自民の別働隊といったところだ。
C その大阪市廃止を推進し、かなり無慈悲なサービス削減をやってきた維新が、このように大阪を席巻し、大阪市廃止の騒ぎにまで発展したのは、やはり他県とは異なる大阪の歴史的な事情を利用した大がかりな仕掛けがあるからだと思う。
大阪市はかつて「役人天国」と呼ばれ、職員数は5万人規模と政令市の中でも突出して多く、そのなかで労働組合が自民党市政のもとで与党勢力となって隠然と力を握っていたり、同和関連団体の勢力も強く、行政機関よりも力を持っていた時代がある。しかし、そのなかで「カラ残業」「ヤミ専従」といった不正がはびこり、苦しさを増す市民の生活感覚とかけ離れたその放漫な実態がクローズアップされ、おおいに問題視されていた。そのような市民の怒りや不満を吸い上げる格好で、タレント弁護士だった橋下徹が政界に登場し、「税金が不正に使われている」「既得権を打破する」として劇場型のキャンペーンと行政改革を断行した。
はじめはこれに痛快さを感じる市民は多くいたと思う。労働者の権利や弱者の権利を振りかざしながら、現実には真面目な組合員や市民の上にあぐらをかいて一部が特権化して私腹を肥やす癒着関係ができあがっていたからだ。その利権に突っ込むことから「橋下劇場」が始まり、そのうち多くの公共物が公から切り離され、多くの市民が苦しむ結果になったことを思えば、市民や労働者の利益を代表するべき労働組合がそのように住民からかけ離れて特権化、貴族化していたことの犯罪性を考えざるを得ない。全国的にも、今ではすっかり与党側に与している連合なども同じく、大企業と馴れ合い、自分たちの利益しか考えない体質が有権者から見透かされている。橋下率いる維新はこのような土壌を徹底的に利用して「公に甘えるな」「競争社会だ」と市民に対して新自由主義的な政策をやりまくる口実にした。橋下徹及び維新誕生につながる土壌があり、そこに突っ込まれたように見えて仕方がない。
ショック・ドクトリン コロナの最中に仕掛け
A ところが10年経ってみると、本当の目的は「市民・有権者のため」ではなかったことが市民の経験からも明らかだ。細かく挙げればキリがないが、地下鉄、バス、公営住宅管理、ゴミ収集事業、保育・幼稚園、病院、大学、公衆衛生機関、技術研究所、水道事業など……ありとあらゆるインフラを統合・民営化の対象にして次々に公共運営から切り離している。すべて130年にわたる大阪市の歴史の中で積み上げてきた公共財産であり、必要不可欠なライフラインでもある。黒字のうちはいいが、赤字になれば誰の手に渡るかも定かではない。
市役所自体も窓口業務の8割ほどは、大阪維新の顧問だった竹中平蔵が会長の人材派遣大手パソナに外注し、各区の窓口で住民とのトラブルが絶えないといわれるようになった。「すでに市役所の窓口業務はパソナが仕切っている」「保険料も2カ月滞納したらすぐに支払い督促が来る。それも市役所ではなく、見たこともない委託業者からで、支払わなければすぐに差し押さえると脅された。以前より問答無用の対応になっている」という声もあった。
大阪府も維新が首長になった周辺市でも、窓口業務はパソナ、パソナで、入札でもパソナグループ同士が競い合う状態だ。「コスト削減」といいながら、市民の個人情報や生活にかかわる重要な実務を低賃金の派遣社員にやらせて、パソナが事業費を中抜きする。公務員を徹底的に叩いた後、その口実だった「既得権」がパソナに移ったというだけの話なのだ。
B 職員からの情報では、正規職員の削減で、臨時職員やアルバイトなしには通常業務もままならないのに、国勢調査や住民投票などの選挙事務が入ることで余計に現場は逼迫して、その分窓口対応や事務処理に影響が出ているという。
人員削減と民営化を進めたこともあり、コロナ給付金の支給は全国一遅く、次々に市独自の住民サービスが低下し、不祥事が起きるたびに市民の反感も高まる。そこで、その元凶である市長自身が「こんな大阪市役所はなくすべきだ!」「中之島(市役所)一族に負けるな!」などといっているのだからまったく意味が分からない。
C 「身を切る改革」という松井府知事(当時)が「退職金ゼロ」を宣言してメディアに「全国初」などと報道させたが、よくよく見れば退職金を48カ月(一期4年)で割った額を月給に上乗せさせたため、年間の受取額は逆に増えていたというから驚く。「二重行政の前にその二枚舌をなんとかしろ」という声もある。一事が万事この調子で、デマをセンセーショナルに流して注目度を上げるのが常套手段のようだ。
「都構想」をめぐっても、40年前のバブル期のハコモノ行政を取り上げて、「二重行政で破綻寸前だった大阪」「それを立て直したのは維新」「都構想で発展する」と市府の職員を総動員して宣伝させているが、出してくる数字もデータも裏付けがなかったり、比較対象の片方の単位をいじっていたり、教育予算の単位を%ではなく‰(パーミル=1000分の1)にして、まるでうなぎ登りであるかのように虚飾して見せたり、市民からすればなにが本当で嘘なのかわからなくなる。一つの嘘なら問題になるが大量に一斉に放出したら問題にならない法則というか、「嘘も100回いえば真実になる」の印象操作で市民の頭をガンガンかき乱していく。それをコロナでみんなが不安を抱えている最中に仕掛けており、まさに「ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)」だ。
競争原理で格差が拡大 公教育を破壊
A 維新が売り文句にしている「給食費無料」「クーラー設置」「塾代の補助」などで「もっともサービスを拡充させた」という教育行政を見ても、子どもや学校に徹底的な競争原理を持ち込んで格差が拡大した。維新政治が集約されているともいえる。
まず教育基本条例で教員を締め付け、グローバル人材の確保、つまりエリート校だけを優遇する方針にした。米国でおこなわれて失敗した「メリットペイ」といわれる、全国学力調査やその他の学力標準テストの結果を校長や教員の人事評価やボーナス、学校予算に反映させる制度を導入している。
市では、高校入試制度を毎年のように変え、入試の合否を左右する「内申書」の評価をそれまで中学3年生からだったのを1年生にまで拡大し、その内申点を決定する独自テストをいくつも導入した。中学1年生から1年中テスト漬けになって点数稼ぎに追い立てられ、ふるいにかけられてこぼれ落ちた子どもたちは入試競争から取り残されていくため、みんなが塾に通わなければならない事態になった。教師を叩き、学校予算を削っておきながら、塾代補助をして民間競争を奨励したため、教育現場はより崩壊が進んだといわれる。
同時に大阪府でも府立学校条例を作り、9つの府立高校の学区制度を廃止し、どこでも受けられるようにしたうえで学校間競争を煽った。その結果、必然的に学力の高い高校に成績のいい子どもが集まるようになり、橋下徹の母校などいくつかの進学校には、それだけ多くの予算を配分し、修学旅行で海外に行くための助成もするが、学力の低い高校は「3年連続の定員割れ」をした時点で自動的に廃校リストに入るように条例化した。電車代などが賄えない家庭の経済格差は、そのまま学力格差にもなる。各地から人材を集めて東大合格者を何人も出すようなエリート校が生まれる一方で、「低ランク」のレッテルを貼られた学校は意欲を削がれ、「クラスの半分が不登校」という学校もあるという。一握りのエリートをつくるために、その他大勢が蹴り落とされる構図となり、大阪府全体の学力は以前にも増して低下している。「次世代への重点投資」というが、その「次世代」とはごく一握りのエリート育成であり、多くは蚊帳の外なのだ。
B 公立小学校も適正化条例で、11学級以下の学校を自動的に統廃合の対象にした。2019年度は市立小289校のうち84校がその対象となり、多いところでは5校まとめて統廃合という計画もある。市南部の古くからの住宅地では、少子高齢化が進んでいるから特に多い。だが、大阪市内ではかつて資産を持つ住民から「子どもや地域のために」と土地の提供を受けて創設された学校も多く、学校施設は住民の行事や集会場としても利用されるなど、コミュニティの核になってきた。それを条例化することによって、保護者や地域住民と話し合って基本的な合意を得たり、代替施設などの検討をする手間を省いて、問答無用で廃校にできる。
廃校となった校舎は地域住民も「使用禁止」となり、利便性の高いところから民間売却が進み、次々にタワーマンションや商業施設などに姿を変えている。いずれも一等地にまとまった土地が確保されるため、大手の不動産業者や開発業者が鵜の目鷹の目で狙っている。これまで大阪市が持っていた都市計画権限が府に移譲されるため、市から府に統合させた施設、学校などは、地域住民の意向を無視してでも府の都合で開発できるようになる。
2015年に廃校となった大阪市立今宮小学校(大阪市西成区)
表だって数値化されない「含み益」も勘案すれば計り知れない規模で、これらを一挙に大阪府や民間に譲渡することになれば、「公共」から「私企業」へ膨大な富の移動をもたらす。しかも民間委託については「一括発注が効率的」としているため、売却先は大手に集中し、これまで分割で受注していた地元の中小企業は蚊帳の外に置かれる結果になっている。
外資の草刈り場と化す 水道民営化やカジノ
C 中小企業支援を打ち切る一方で、外資大手が流入しているのも特徴だ。
府市統合した水道を一括した民営化案が否決された後、大阪市内全域の水道メーター検針・計量審査と水道料金徴収業務を仏ヴェオリアに委託した。また、大阪府主導の第三セクターが保有していた府周辺域で運行している「泉北高速鉄道」(本社和泉市)を、松井知事時代に米投資ファンド・ローンスターに781億円で売却することを決め、「鉄道事業の安定的な経営や安全輸送ができなくなる」と市民や自治体の猛反発を受けて売却先を南海電鉄に変更する騒動にもなった。国事案ではあるが、関西国際空港と伊丹空港の運営権も、2016年にオリックスとフランス企業の連合体が握っている。
「小泉改革」で規制改革会議トップとして大規模な規制緩和や郵政民営化を推進したオリックス(会長・宮内義彦、社外取締役・竹中平蔵)は、大阪のIRカジノ構想で米大手のMGM(ラスベガス)とともに参入競争を展開している。カジノなど日本では2年前まで犯罪行為であり、国内に何のノウハウもない。外資の独壇場であるし、日本の富を吸い上げていくために参入してくるだけだ。
つまり、やっていることは「二重行政」をやり玉にあげつつ、これまで市民のために拡充させてきた公共サービスを縮小させ、その公共財産を切り売りする。それによって都市のスクラップ&ビルドを進め、大阪全体を外資や東京大手の草刈り場にしてしまうものだ。「既得権の温床である岩盤規制を打ち破る」「改革を止めるな」「郵便サービスは下がらない」といって分割民営化した郵便局の末路は、従業員は「自爆ノルマ」で追い回され、窓口ではアフラック(米)の保険を売らされ、サービスは年々下がり、地方局は廃止され、料金は値上がりし、不動産も切り売りされて、あれよあれよという間に株式も外資の手に渡っている。今回とやり方がそっくりなのは、背後勢力が同じだからだ。
大阪を外資とりわけカジノ産業の市場にするには、公共の概念をはじめ、その地で培われた歴史、伝統、文化は邪魔でしかない。そこで歴史的に強い自治意識を持つ大阪市は潰してしまう方が効率的であるから、270万市民が結束して刃向かえないようにするため大阪市を廃止し、バラバラに分割してしまえ、というのが「都構想」の本質のようにみえる。
維新がIRカジノ誘致を進める夢洲(大阪市此花区)
A 大阪では90年代に入って、三井住友をはじめ関西系企業の本社機能が東京に移転し、製造業ではパナソニック、シャープ、三洋などの「身売り」や工場閉鎖、大手製薬会社などでも外資化が急速に進んだ。
その下請だった中小企業が軒並み倒れ、大阪の強みだったものづくり産業が衰退するのと並行して、カジノを中心にしたインフラ開発や投機ビジネスの盛り場にするために乗り込んでいる。カジノ推進法まで可決させ、その利権争奪が激しさを増す過程で維新が登場している。誰が維新の背後におり、何のために利用しているのかだ。相当な資金力がなければあのような政党は維持できない。
B 「都構想」は、経団連や関西経済連合会などの財界がずっと前から主張してきた道州制の一環であり、当初は自民党を使ってやらせようとしたが上手くいかなかったため、代理人を橋下徹の維新に乗り換えたというのが本筋だろう。松井一郎にしても、馬場伸幸(代議士)にしても維新の主要メンバーの多くはもとは大阪自民党の窓際族で、橋下ブームに乗っかっる形で「維新の会」に参画している。地域政党なのに膨大な経費がかかる国政選挙に数百人もの候補者を立てたり、主要メディアに抱えられているのは、背後に財界の支えがあるなによりの証左だ。ただ内実や役回りを見る限り、私たちのような山口県民にいわせてもらえば「維新」というより「黒船を手引きする会」くらいのネーミングの方がしっくりくる。人情味豊かな古き良き大阪に黒船が襲来しているではないかと思うような光景なのだ。
広告塔と化す吉本芸人 「なぜ」と市民
A 「都構想」は一旦住民投票で可決すると、後からいくら「約束違反だ」といったところで後の祭りだ。現在の法律では、元の政令市には戻れないし、そもそも130年で培ってきたあらゆる財産をとり戻すことは不可能に近い。それがわかっているから橋下徹のような、その場限りのワンポイントリリーフ政治家を使って、嘘でも何でもいいからとにかく市民をだまくらかして押し切るというのが彼らのやり方にみえる。「卑怯」とか「人道的」とか、そんなものは関係ないのだ。「市民が賛成したのだから民主主義だ」という逃げ口上はいくらでもいえる。
B メディアがその広告塔になっていることにも批判は強い。大阪市内の下町を歩いていて、商店のおじちゃん、おばちゃんたちからは「毎日テレビを見ていても都構想の宣伝ばかり」「吉本(興業)が何であんなに維新や都構想を持ち上げるのか」という意見も多かった。「もう笑われへんようになった」と。
吉本本部の実態がどうなっているのか知らないが、もともとは下町の貧乏で虐げられた庶民の娯楽として義理人情を大切にし、偉そうな権力者や「裸の王様」を痛快に笑い飛ばすことで愛されてきたはずなのに、最近では安倍晋三を新喜劇に登場させたり、むしろ逆の意味で積極的に「笑いに政治を持ち込む」をやっている風だ。ワイドショーのコメンテーターあたりのポストまであてがわれ、むしろ権力側でプロパガンダの急先鋒になっているとの評価が定着しつつある。「東京の華やかな世界に浸ってしまったらあんななってしまうんでしょうかね…」と残念そうに語られる声を聞いていると、罪作りだなと感じる。大阪人の愛を裏切っていやしないか? とも思う。
昨今、辺野古基地問題や検察庁法改定、種苗法改定などタレントや芸能人が発言するたびに「タレント風情が政治に口出しするな!」とバッシングの嵐を受けるが、大吉本の芸人ほど政治に口出ししているタレントはいないのではないか。愛され、育てられたはずの大阪の人たちを裏切るようなことをして、お笑いもなにもないだろうと思う。
A ある人が「都構想の唯一のメリットは夢を見れることだ」といっていた。「根拠がなくても、夢を見ているうちは楽しい。しかも政治家やメディアのお墨付きで、実現可能な夢のようにも見える。でも、夢が夢である限り必ず覚めるし、そのときには夢を見た分だけその代償が返ってくるのだ」と。何だか、宝くじを買ってから数字が発表されて落胆するまでのわずかな期間のアレとそっくりのようにも感じた。
金融バブルにしても、不動産バブルにしても同じだ。人々を根拠のない夢物語で熱狂させ、実際の生活は苦しいし、モノは売れず、経済は冷え込んでいるのに株価だけが上昇することに浮かれるマネーゲームにも似ているものがある。「都構想で発展する」が、次は「カジノで発展する」になり、鼻先にニンジンをぶら下げるようにして果てしもなく住民の生活を人質にしながら都市の切り売りが続いていく。その「夢」が「夢」であると分かったときには、その言い出しっぺや胴元は逃げ出して手遅れだったという事態は、個別事例をあげるまでもなく近年溢れている。アベノミクスなんて最たるものだ。
B 橋下徹が「これは憲法改正国民投票の社会実験だ」と豪語していたが、その意味でも、大阪市廃止の住民投票は、西日本最大の都市・大阪を舞台にして市や府行政、メディアなどあらゆる権力を使った国民世論コントロールの壮大な実験場になっていると思う。それだけの外圧が押し寄せており、大阪市廃止をめぐる矛盾は、維新vs自民でも、維新vs野党でもなく、そのような金力・権力をバックにした大阪乗っ取り勢力vs全市民の対決といえる。
全国的に見ても、左右にかかわらず政党の既成勢力が有権者から浮き上がって形骸化している状況の下で、市民自身の良識を束ね政治要求を掲げていく新しい力の登場が求められている。仕掛けられた住民投票ではあるが、逆に大阪からこのような略奪政治を覆す狼煙を上げるチャンスにもなり得ると思う。「明日は我が身」に置かれている全国もその行方を注目している。
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