日本学術会議、大学に所属もしていないのに30年以上も会員をやっていた共産党員が過去にいた 1ひよこちゃん(千葉県) [US]2020/10/09(金) 11:53:44.18ID:zkx9qpMQ0?2BP(1501) 福島要一(ふくしま よういち)(1907〜1989) 略歴:1907 年東京に生まれる。旧制第一高等学校を経て 1934 年東京帝国大学農学 部農学科を卒業。1934 年より 39 年まで農林省農事試験場に勤務し、その後1939 年 中国にわたり、1943 年まで北京大使館の農政班に勤める。その後帰国し農林省の農 事試験場農業気象部に勤め、1947 年に農林省統計調査部作物報告課長となり、1949 年辞任。同年日本学術会議会員となり 1985 年まで 36 年間活動した。 <福島文庫解説> 相原昭夫(全国農業教育研究会) 福島要一先生は、1949 年農林省を辞任後、生涯を在野で通した。その業績は、学者・ 研究者としてよりも啓蒙家としてのものが大きい。研究室を持たず、同僚も弟子もいな いという学問環境の中にあって、啓蒙家としての福島先生の遺産は多くの著作と大量の 資料である。 https://i.imgur.com/dutoNkM.jpg h ttp://yamazaki-i.org/DenshiKou/E_Kou_61.pdf 「日本学術会議 首相、『6人任命せず』は当然」 ─ 屋山太郎 1980年代の学術会議はまるで共産党の運動体だった。定員数は同じ210人。これを 30委員会に振り分けるから一委員会7人ずつである。会員は学会に加わっている人の 選挙。この中で常に選ばれる人物に福島要一という人物がいた。彼は第5部(原子力関 連の委員会)に属していたが他の6人は福島の能弁に誰も反論できなかった。その様を 見て桑原武夫氏(京都大フランス文学)がある雑誌に「3人で210人を支配する方法」とい う皮肉な随筆を書いた。桑原氏によるとこの委員会は最初7人全員が参加していたが、 福島氏が一日中喋っているから嫌気がさして、次回は3人になる。結局福島氏に2人は 説得されて部会一致の採決をしてしまう。学術会議は50年と67年には「戦争に関わる学 問には協力しない」と宣言した。一連の運動は共産党の行動方針そのもので、改善策と して人選のやり方を全く変えることにした。福島要一氏は農水省の出身で、共産党系学 者に号令して毎回、当選してきた。この農業経済学者が日本の原発政策を主導したの である。加藤寛氏(慶大教授)の提案で投票は学会員たちだけにし、会員を選出する方 法に改めた。 h ttp://www.jfss.gr.jp/article/1334 2ひよこちゃん(千葉県) [US]2020/10/09(金) 11:53:54.19ID:zkx9qpMQ0 ※科学史・科学哲学の泰斗である村上陽一郎氏が書いた記事 ※学術会議を牛耳っていた「ある政党」は日本共産党、「F氏」は福島要一と思われる 学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか? ─ 村上陽一郎 日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況 下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支 配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさ せた後は、あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に 政党に牛耳られる事態が続きました。 今、思えば、そうした状態を見ぬ振りで放置した研究者や会員に大きな責任があるの ですが、見かねた政府が改革に乗り出し、それなりの手を打って来ました。1984年に会 員選出は学会推薦とすることが決まり、2001年には総務省の特別機関の性格を明確に し、2005年には、内閣府の勢力拡大とともに、総理直轄、実際には内閣府管轄の特別 機関という形で、日本学術会議は完全に国立機関の一つになりおおせました。 h ttps://wirelesswire.jp/2020/10/77680/ 3ひよこちゃん(千葉県) [US]2020/10/09(金) 11:54:05.29ID:zkx9qpMQ0 ※当時衆議院議員だった山中貞則の国会での発言 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第17号 昭和30年7月29日 山中貞則:しかもその中には明瞭に届出の共産党員もおられます。私どもとしてはそう 思っているわけです。たとえば国分一太郎、福島要一という人、こういう人は届出党員で あります。 h ttps://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=102204280X01719550729&spkNum=237&single ※『全貌』という昔の反共系雑誌に載っていた福山要一に関する記事を抜粋したブログ 摘録 雑誌ゼンボウ昭和50年10月号 「学術会議の名物男 福島要一氏の華麗なる“変身術”」 h ttps://ferreira.exblog.jp/30246113/ 4ひよこちゃん(千葉県) [US]2020/10/09(金) 11:54:15.11ID:zkx9qpMQ0 題目「思想対立が引き起こした福島原発事故」(相田英男) …また東大農学部を卒業して農林省に勤めていた 福島要一(ふくしまよういち)という 農学者がいた。福島は共産党系科学者達の強い推薦を受けて、第一回学術会議選挙 に当選したものの、直後にレッド・パージにより農林省を解雇されてしまう。しかし解雇さ れた井尻、福島は共に、無所属のままで学術会議員に立候補して、分厚い左翼系研究 者の固定票を背景としてその後も当選を続けた。 福島は1986年までの36年もの間、無所属のまま学術会員の資格を失わず、様々な委 員会を取り仕切り活躍したことから、後には「ミスター学術会議」とまで呼ばれることにな る。井尻、福島に代表される「民科系」の左翼学者が、何度も議員に選ばれ続けること が、体制側から学術会議が警戒される大きな要因となっていた。 h ttp://www.snsi.jp/tops/kouhouprint/1805 h ttps://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1602212024/1-4
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