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10月 09, 2020 日々雑感(My impressions daily)
<自民党憲法改正推進本部は8日の役員会で役員人事を了承し、衛藤征士郎本部長体制を発足させた。衛藤氏は早速、「憲法改正原案起草委員会」を設置して年内にも原案を策定すると表明し、与野党対立で停滞する憲法論議の加速化に意欲を示した。しかし、原案策定で自民が独走すれば野党の硬化を招きかねない。直後に身内が「一切これまでの方針に変更はない」と打ち消すなど、早くも足並みの乱れが生じている。
役員には、二階俊博幹事長ら党三役と、党内7派閥のうち閣内にいる麻生太郎副総理兼財務相を除く6派閥の領袖(りょうしゅう)らを「顧問」に据えて挙党態勢を演出。事務総長に新藤義孝元総務相を据えた。新藤氏は、与野党協議の最前線である衆院憲法審査会の与党筆頭幹事をこれまで2年間務め、今後の続投も内定している。
新本部長の衛藤氏は役員会冒頭のあいさつで「現在、議論中の『条文イメージ』は完成された条文ではない。よって党の改正原案を策定するために憲法改正原案起草委員会を立ち上げたい」と発言した>(以上「毎日新聞」より引用)
自民党と公明党に憲法改正を論議する資格が、そもそもあるのだろうか。憲法は「国民の権利」を定め、「国民の義務」を定めたものだが、それは同時に政権権力者に箍を嵌めるものであり、権力者が国民のために遵守すべき事柄を決めたものだ。
だから権力者による「解釈改憲」など決してあってはならない。戦後、自衛権に関して自然人に認められている自衛権は当然国家にも備わっている、と見做して来たのが憲法解釈の限界だった。だから安倍自公政権以前の政権はその則を超えず憲法内での自衛権の整備を行って来た。
しかし安倍自公政権は閣議決定で以前の内閣が「則の範囲」としていた「憲法解釈」を変えてしまった。「集団的自衛権」は自然人に備わっている自衛権とは認められないし、現在議論されている「敵地攻撃」などは論外だ。
そうした憲法を蔑ろにした現・自公政権が憲法改正議論を始めるとは飛んでもないことだ。日本国憲法に「違憲審査」が明確に規定されてないのを良いことに、茶坊主のような官僚・内閣法制局が勝手にお墨付きを与える内閣の憲法解釈など、歴史の批判に決して耐えられるものではない。
自民党の憲法に「自衛隊」を銘記したい、というのは現状追認でしかない。それ以上に集団的自衛権の明文化や(先制)敵基地攻撃の規定まで盛り込もうとするのであれば、第九条の形骸化を目論むものでしかない。
日本国民は先の大戦の悲惨な結末により戦争放棄を選択した。むしろ国会議員諸氏は戦争放棄を憲法に明記する運動を世界に広げるべきではないか。自衛隊はあくまでも自然人に備わった「自衛権」の国家版だという説明に終始すべきだ。憲法規定があるから、自衛隊は領海や領空を超えて作戦行動できない、と米国からの共同戦線に対してお断りすべきだ。その代わり、中共政府を懲らしめる手立ては幾らでもある。経済的な戦争や貿易におけるデカップリングという対中戦争は憲法でなんら規定されてはいない。
憲法改正は国会議員が提起しても良いが、むしろ憲法改正が必要なら国民の側から自然と湧き上がるものではないだろうか。私は違憲審査権を厳密に定めて、最高裁判事の人事も内閣ではなく、裁判所判事による互選で決めるべきだ。もちろん国民審査も必要だが、現行制度は形骸化している。
憲法に定める三権分立をより明確にし、三権の分離を少なくとも司法権の分離を担保しておく必要がある。現行の内閣が最高裁人事まで介入できる余地は徹底的に排除する必要がある。そして法律制定の都度、最高裁判所は違憲審査を行うことにすべきだ。憲法の番人として国会と内閣が暴走して違憲立法していないかを審査すべきだ。もちろん最高裁判所は独立した機関として、司法の独立に研鑽を積む必要がある。もちろん昨今の異を唱えたくなる政権に阿るような判決が少しで減少することを期待するのはいうまでもない。
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