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6名の任命拒否は 菅総理の 高等戦術だった
[私のコメント]
■ 任命拒否は「学問の自由」の侵害ではない
> 今回の問題が「学問・思想・言論の自由」と全く関係していないのは明らかだ。
> 単に研究活動の傍らに行う「名誉職」に選ばれませんでした、というだけの話である。
> もっと言ってしまうと、この6人が学術会議の会員にならなくとも、日本全国で84万人いる学者や、市井の人々の「学問の自由」にはなんの影響もない。
その通りです。
日本学術会議は税金の投入された、総理所轄の(総理が管理する)行政機関。
ここに属さなくても、学問は自由にできるので、「学問の自由の侵害」であるわけもありません。
■ 大学教授も「学問の自由の侵害」と喚く学術会議の学者を厳しく批判
> 福井県立大学の島田洋一教授は、SNSでこんな厳しい意見を述べている。
>《「学問の自由が侵された」と騒ぐ日本学術会議面々の言動を見ていると、仰々しい肩書を与えられることで歪んだエリート意識が増幅され、「専門バカ」が「バカ専門」に転じていくさまがよく分かる。
これ以上、大学教員は愚かで鼻持ちならないと世間に印象付けることはやめてもらいたい。迷惑だ》(10月3日)
上記の通り、大学教授も「学問の自由の侵害」と喚く学術会議の学者を厳しく批判しています。
「仰々しい肩書を与えられることで歪んだエリート意識が増幅され、「専門バカ」が「バカ専門」に転じていくさまがよく分かる。」とは手厳しい指摘。
もっともだとうなずけますが‥。
■ 日本学術会議は歪んだ問題組織で 日本政府は長年改革を進めてきた まだ改革途上
> 日本政府は、ずっと「カネだけ出して、口は一切挟みませんという方針ではダメだよね」ということになって、日本学術会議の「改革」を進めてきた。
たとえば、2003年の総合科学技術会議意見具申「日本学術会議のあり方について」を受けて行われた日本学術会議法改正では、「人材の停滞や硬直化を避ける」という目的のために、任期制・定年制や外部評価制度が導入されている。
つまり、日本学術会議は歪んだ問題組織で 日本政府は長年改革を進めてきたということ。
改革はまだ完了しておらず、改革途上なのです。
■ 日本学術会議は 諸外国の「アカデミー」とは全く異なる存在 民間資金ゼロの法的には政府の機関
> 怒りのおさまらない学者センセイもたくさんいらっしゃる。
その根拠としてよく出されるのが、「日本学術会議は全米科学アカデミー、英国のロイヤルソサエティなどと同じアカデミーなので、これに政府が介入をしてくるなんてムチャクチャな話は聞いたことがない」というものだ。
> これも無理筋の主張
> 全米科学アカデミーは法的地位として非営利組織なので「独立」、英国王立協会(ロイヤルソサエティ)は自治組織として登録されている慈善団体なので「独立」、フランス科学アカデミーも独立機関なので「独立」、ドイツ科学アカデミーレオポルディーナも非営利組織なので「独立」、カナダロイヤルソサエティーも同じだ。
> 我らが日本のアカデミーにはどんな記載がなされているのか。法的地位としては「政府機関」という位置づけ
> 日本学術会議は「全額国庫負担」で民間資金も「0」と記載されている。
以上の通り、諸外国のアカデミーは政府から独立した独立組織。
片や、日本学術会議は、毎年10億円という全額巨額の税金で運営されている、総理管理の政府機関。
独立したまともなアカデミーとはとても言えない組織です。
■ 任命拒否は菅総理の高等戦術 狙いは「日本学術会議」の問題点を国民に知らしめて改革を進めること
> 今回の騒動が盛り上がって「そもそも学術会議って何なの?」という声が大きくなれば、2005年の法改正をしたときのように、「日本学術会議のあり方検討会」などが立ち上がるだろう。
つまり、実はこれも行政改革の一環で、「日本学術会議という組織の異常さと、そこに居座り続ける学者センセイたちの、国民とあまりにもかけ離れた特権意識」を浮かび上がらせるために、わざと物議を醸すような強引な手法をとっていたとしたら――。
> 「ガースー、恐るべし」ではないか。
その通りで、現に自民党の政調では「日本学術会議」という組織の問題点の洗い出しを行うと、発表しました。
つまり、任命拒否は菅総理の高等戦術であり、狙いは「日本学術会議」の問題点を国民に知らしめて改革を進めることと考えられます。
菅総理、恐るべし!
エリートを気取る学者先生や、間抜けなワイドショーは、菅総理の手のひらで踊らされている状態なのです。
菅総理により、「日本学術会議」の改革は一気に進むでしょう。
[記事本文]
■ ダイヤモンドオンライン
● 「学問の自由が侵害される」は 行き過ぎた攻撃ではないか
日本学術会議が推薦した6人の学者を、菅義偉首相が任命拒否したことが大きな問題になっている。野党は臨時国会で追及する構えだという。
JNNの最新世論調査でも、これを「妥当ではない」と考えているのは51%。このまま具体的な理由の説明がなくモヤモヤ答弁を繰り返せば、70%という高い内閣支持率にもダメージがあるかもしれない。
「なぜ任命を拒否したのか」「なぜあの6人だったのか」というところは、国民としてもぜひ知りたいところなので、マスコミや野党の皆さんには頑張っていただきたいと思う。が、一方でこの騒動に乗じて、かなり無理筋というか、モンスタークレーマーの言いがかりのような攻撃を紛れ込ませる人があまりに多いのには、やや辟易とする。
それは、「学問の自由が侵害される!」という攻撃だ。
たとえばこの問題を扱ったニュースを検索してみると、そのタイトルにはこんな煽り気味のワードが散見される。
「菅首相が安倍時代もしなかった言論弾圧」「学問と思想の弾圧危惧」「ついに剥き出しになった言論弾圧首相の本性」
こういう話を聞くと脊髄反射で血が騒ぐという人たちの気持ちもわからないでもないが、イデオロギーを抜きにちょっと冷静に考えれば、今回の問題が「学問・思想・言論の自由」と全く関係していないのは明らかだ。
とどのつまり、この話は6人の学者が「特別職国家公務員」に入れませんでした、ということに過ぎないからだ。菅首相が気に食わない学者を大学から追いやったとか、科研費を打ち切ったとか言うなら確かに「弾圧」だが、単に研究活動の傍らに行う「名誉職」に選ばれませんでした、というだけの話である。
もっと言ってしまうと、この6人が学術会議の会員にならなくとも、日本全国で84万人いる学者や、市井の人々の「学問の自由」にはなんの影響もない。
「無知無学の人間はこれだから」と頭を抱える学者センセイもたくさんいらっしゃると思うが、同様の指摘はほかでもない、学者の皆さんからも出ている。たとえば、日本学術会議の会員になった経験もある政治学者の篠田英朗氏は、SNSでこのような考えを示している。
《若い頃に一時期学術会議の末席を汚させていただいたことがありますが、私は業績不足ですから二度と誘われることはないので安心して言いますが、任命されないほうが学問の自由を享受できる、というのが普通の学者の本音だと思います。〉(10月2日)
● 「政府介入」「解釈の変更」 というのは無理筋な言い分
もっと辛辣なことをおっしゃる学者もいる。福井県立大学の島田洋一教授は、SNSでこんな厳しい意見を述べている。
《「学問の自由が侵された」と騒ぐ日本学術会議面々の言動を見ていると、仰々しい肩書を与えられることで歪んだエリート意識が増幅され、「専門バカ」が「バカ専門」に転じていくさまがよく分かる。これ以上、大学教員は愚かで鼻持ちならないと世間に印象付けることはやめてもらいたい。迷惑だ》(10月3日)
こういう話をすると、「個々の学者が任命された、任命されないという小さな問題ではなく、学術会議という独立した機関の人事に政府が介入をしたことが大問題なのだ」と怒る人たちがいらっしゃる。1983年の中曽根康弘首相(当時)が国会答弁をしたように、学術会議推薦者への任命は「形式的」だと政府の文書にあるのだから、その方針をちゃんと守らないのは「解釈の変更」だと大騒ぎをしているのだ。
ただ、残念ながらこれもやはり無理筋だ。
実は日本政府は、ずっと「カネだけ出して、口は一切挟みませんという方針ではダメだよね」ということになって、日本学術会議の「改革」を進めてきた。たとえば、2003年の総合科学技術会議意見具申「日本学術会議のあり方について」を受けて行われた日本学術会議法改正では、「人材の停滞や硬直化を避ける」という目的のために、任期制・定年制や外部評価制度が導入されている。
それは裏を返せば、それまでの日本学術会議は、人材の停滞や硬直化があって、その活動に対して外部評価もなされなかったということである。こういう学術会議の組織的な問題が、政府の働きかけで少しずつではあるが、「変革」が求められて現在に至るというわけだ。
こういう経緯を知れば、「37年前の政府が口を出さないと言っているんだから、今の政府も黙ってそれに従ってりゃいいんだ!」というのは、時代の変化やこれまでの努力を無視した、何とも不毛な議論だと言わざるを得ない。どれくらい不毛なのかというと、シニア夫婦の喧嘩で、「37年前のプロポーズのときは頭もフサフサだったのに、なんで今はハゲちらかしてんのよ、この嘘つき!」と妻が夫をなじるのと、同じくらい不毛だ。
● 怒りがおさまらない 学者たちの主張とは
もちろん、こういう話をしても「屁理屈をこねるな!何をどう言おうと、菅政権が学者を弾圧しているのは紛れもない事実だ」と怒りのおさまらない学者センセイもたくさんいらっしゃる。その根拠としてよく出されるのが、「日本学術会議は全米科学アカデミー、英国のロイヤルソサエティなどと同じアカデミーなので、これに政府が介入をしてくるなんてムチャクチャな話は聞いたことがない」というものだ。
事実、任命拒否された6人の中のある学者センセイが、某情報番組にリモート出演された際に、出演者から学術会議の存在意義を訊ねられて、しきりに「学術会議はアカデミーなんです。アカデミーがない国でいいんですか」というようなことを、主張されていた。
ただ、これも無理筋の主張だと言わざるを得ない。立派なセンセイのおっしゃることにイチャモンをつけているようで大変心苦しいが、日本学術会議は厳密に言えば、諸外国の「アカデミー」とは似て非なるものなのだ。
先ほど、新しい時代に向けた学術会議の「変革」についてこれまで何度も議論が重ねられてきた、と申し上げたが、その検討会の中で配布された資料の中に、「各国アカデミーのデータリスト(2015年更新版)」というものがある。その名の通り、先進諸国の科学アカデミーを一覧にして比較しているのだが、その中で日本学術会議の「特異性」が際立つ項目がある。それは、「政府機関への帰属」だ。
この資料によれば、全米科学アカデミーは法的地位として非営利組織なので「独立」、英国王立協会(ロイヤルソサエティ)は自治組織として登録されている慈善団体なので「独立」、フランス科学アカデミーも独立機関なので「独立」、ドイツ科学アカデミーレオポルディーナも非営利組織なので「独立」、カナダロイヤルソサエティーも同じだ。
● 世界から見た日本学術会議は アカデミーと呼べるものではない
では、我らが日本のアカデミーにはどんな記載がなされているのか。法的地位としては「政府機関」という位置づけなので、「政府機関への帰属」についても「特別の機関」というよくわからない表現がなされている。
その特別ぶりがよくわかるのが、「年間予算」という欄である。各国のアカデミーが政府との契約や助成金の他に、民間からの寄付や学者たちの払う会費で成り立っており、「独立性を確保するため、さまざまな財源がある模様」という記載があるのに対して、日本学術会議は「全額国庫負担」で民間資金も「0」と記載されている。
つまり、日本学術会議の会員の皆さんは、「我々はアカデミーだぞ。アカデミーにたてつくとは何事か」とやたらと胸を張るが、残念ながら現実としては、法的にも政府との関係的にも、そして独立性を担保するための財源的にしても、とても「アカデミー」と呼べるような代物ではないということなのだ。
● 日本や中国にとって 「学問の自由」は国家が保障するもの
そこで、「じゃあ、日本学術会議というのは一体何なのだ」という疑問が出てくるだろう。実はこの比較データで見ると、日本学術会議と同じく「政府機関」であり、100%国家予算で運営され、民間資金が「0」と明記されている団体がある。それは、チャイニーズアカデミーオブソサエティ、そう「中国科学院」だ。
もちろん、中国科学院は中国のハイテク、自然科学分野を牽引するゴリゴリの最高研究機関だ。レノボやセンスタイムという世界の最先端技術も、こことのつながりで生まれたと言われている。人文・社会分野の研究者も多く参加して、政府や社会への提言だ、科学研究予算の分配だ、という日本学術会議とはまったく組織としての性格が違う。
ただ、権力との距離、独立性ということで言えば、2つの組織は瓜二つなのだ。では、なぜ瓜二つになるのかというと、学問に対する考え方が似ているからだ。アメリカやイギリスという他の先進国は、学問に限らず「自由」や「独立性」というのは基本的に自分たちの手で勝ち取るものだと考えている。
先進的な研究がしたければ、大企業や金持ちからの支援や寄付を受けるよう、学者であってもスーツを着込んで出資者へプレゼンする。もちろん、政府からの仕事も受ける。1つのスポンサーに依存をしないことで、学問や研究の独立性を守るという考え方だ。
だが中国の場合、「自由」や「独立性」というのは基本、国家が認めてくれないと享受できない。「最も成功した社会主義」などと揶揄される日本も、感覚的にはこちらに近い。その象徴が「記者クラブ」だ。
海外のジャーナリストがドン引きする、世界でも珍しいこのシステムは、マスコミによれば「報道の自由」を守るためには絶対に必要だという。政府や役所が認めてくれた「選ばれし人々」だけしか取材ができないシステムを、国家がちゃんと整備して提供してくれないことには、報道の「自由」も「独立性」も守れないというのだ。
そんな国家から特権を与えられた「選ばれし人々」が、「学問の自由を守ってやっているのだ」という上から目線の考え方は、学術会議のセンセイたちからもひしひしと伝わってくる。
先日、ある情報番組を見ていたら、今回任命されなかったという学者センセイがリモートでご出演されていて、今回の騒動で一部から出ている学術会議への批判に対して、やはり思うところがあるのか、いろいろぶちまけていた。
曰く、10億円の税金が投入されているが、会員数で割ると1人50万円程度しかなく、新幹線代も出ないくらいなので、もっと出せと事務局に文句を言った。曰く、10億円の税金が高いというが、これで日本の学問が救われるのだから安いものだ――。
コロナで誰もが生活が苦しい中で、何とも浮世離れしたご発言の数々だが、だからこそ脇目もふらずに真理を追求できるという面もあるので、それはいいとしよう。ずっこけそうになったのは、「学術会議は検察や人事院を上回るほどの独立性を持っていると法律で決められている」とおっしゃったことだ。
法律でそう解釈ができるからと言って、前述のように、世界のアカデミーの「独立」というのはそういう類の話ではない。もしかしてこのセンセイ方は、誰からも何も文句を言われずに、自分たちの思うまま好き勝手に公金を使えることを、「学問の自由」だと勘違いしているのではないか、とちょっと不安になった。
● 異常な組織を知らしめるための 菅首相の「作戦」では?
と同時に、あれほどキレる菅首相がこんなにわかりやすい「学者弾圧」をして、理由も語らないというのは、もしや怒った学者センセイたちがマスコミに登場して、こんな世間ズレした持論を展開させることが狙いなのではないか、という考えさえ頭をよぎった。
確かに、今回の騒動が盛り上がって「そもそも学術会議って何なの?」という声が大きくなれば、2005年の法改正をしたときのように、「日本学術会議のあり方検討会」などが立ち上がるだろう。前回は大して世間の注目を集めなかったが、今回は足もとの問題があるので、国民的な関心が高まるはずだ。
つまり、実はこれも行政改革の一環で、「日本学術会議という組織の異常さと、そこに居座り続ける学者センセイたちの、国民とあまりにもかけ離れた特権意識」を浮かび上がらせるために、わざと物議を醸すような強引な手法をとっていたとしたら――。
もしそうだとしたら、「ガースー、恐るべし」ではないか。
(ノンフィクションライター 窪田順生)
https://news.yahoo.co.jp/articles/6f52fe3fd3abc8d3963098b2de697bcfe3559961
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