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10月 06, 2020 日々雑感(My impressions daily)
<政府が日本学術会議が推薦した新会員候補のうち6人を任命しなかった問題で5日、映画人有志が抗議声明を発表した。声明に加わったのは、青山真治、是枝裕和、瀬々敬久、塚本晋也、森達也各監督や脚本家、プロデューサーら22人。
声明では、政府が2016年の補充人事の際に、学術会議の推薦者任命に難色を示して欠員が出たことなどを挙げ、安倍政権時代から狙っていた介入を菅政権が実行に移したと指摘。今回の問題は「学問の自由だけでなく表現の自由への侵害であり、言論の自由への明確な挑戦だ。放置するなら介入はさらに露骨になることは明らか。映画も例外ではない」と抗議し、6人の候補の任命と経緯の説明を求めている>(以上「毎日新聞」より引用)
三日連続で「日本学術会議」の委員任命拒否に関してのブログを掲載することを容認して頂きたい。決して任命拒否問題に飽き飽きしたとか、任命拒否するも菅氏の「自由」であって、当然ではないか、と短絡した考えを持たないでいただきたい。
いやそれ以上に「日本学術会議を民営化すべきだ」との暴論まであるのには驚く。そして官房長官が10億円に上る日本学術会議の年間運営予算の内幕まで公開するに到っては唖然とする。
それなら官房長官は安倍自公政権下の官房機密費七十数億円の内訳を公開してはどうか。国家による闇支出を正当化する論理があるなら、それも公開して頂きたい。
日本学術会議を政府機関にしているのは学者諸氏の意見を政策に採り入れるためでもあるが、それは先の大戦に到った政治家諸氏の軍部に片寄った政策決定を反省したことから設置されたものだ。
専門家の意見が政治家の意見と異なるから任命拒否をする、というのは許されざることだ。それは菅氏個人に任命権があるのではなく、総理大臣たる職務に任命権が付与されているからだ。つまり独立した機関の日本学術会議が選任した委員を総理大臣に拒否する権能は与えられていない、総理大臣は日本学術会議の選任した委員を無条件に任命するだけだ。
独立した機関なら日本学術会議を民間機関にすれば良いではないか、との与太議論を吹っ掛ける似非・評論家がいるようだが、政府直轄の機関が政府に提言するから意味があるのではないか。当代を代表する学識を有する専門家が国事に関して意見具申するのは民間機関で出来るものではない。それらは特定の団体の利益代表として陳情するものでしかない。
映画監督などが「学問の自由だけでなく表現の自由への侵害であり、言論の自由への明確な挑戦だ。放置するなら介入はさらに露骨になることは明らか。映画も例外ではない」と抗議した、というのは当然ではないか。文部省選定映画でない限り、映画監督こそ民間で資金難に喘ぎながら映画を製作している。
だからといって彼らは日本学術会議を民営化しろ、とは叫ばない。民営化がいかに困難かを知っているからだ。日本企業で数百年の歴史を持つ老舗がなぜ数少ないか、それに対して寺社仏閣が千年の歴史を誇るものがゴロゴロしているか、その理由がお解りだろうか。それは「民営」で税を課されているか、国家守護の下「税」を免じられているかの相違にある。「民営」で税を課されるものは、いつかは滅びる運命にあることを認識すべきだ。日本学術会議がいつかは滅びる存在で良いと考えるのか。
いわば日本学術会議は学問の自由の象徴だ。いかなる学説や論説を持とうと、それが優れたものであるなら学術会議の会員に選任される、という政権と独立した仕組みこそが日本の学問の自由を守ることになる。
それが政府の管轄する機関として存在することに意味がある。故中曽根康弘氏のたった一日の葬儀に国費一億円を支出することを考えれば、年間予算10億円を投じることがそれほど酷い税の濫費だろうか。学問の自由を守るコストだとは考えられないだろうか。
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