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「政治の師」より梶山静六や野中広務の名前を強調する理由 菅義偉 隠された経歴と裏の顔
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279448
2020/10/03 日刊ゲンダイ
国会議員になってからは、なぜか”政治の師”にあまり触れなかったのに…(故小此木彦三郎衆院議員の墓参りをする菅首相)/(C)共同通信社
10月に入ったので、9月16日の菅義偉新政権誕生以降の2週間、新聞各紙が掲載する首相動静で、月内に首相の会っためぼしい経済人を拾いあげてみた。日銀や政府関係者を除くと、次のような顔ぶれが並ぶ。
<18日 竹中平蔵パソナグループ会長>
<20日 村井純慶応大教授、高橋洋一嘉悦大教授>
<21日 経済ジャーナリストの財部誠一氏、大和総研の熊谷亮丸チーフエコノミスト、金丸恭文フューチャー会長兼社長、新浪剛史サントリーホールディングス社長、竹森俊平慶応大教授>
<25日 デービッド・アトキンソン小西美術工芸社社長>
<27日 全国地方銀行協会の大矢恭好会長、渡瀬裕哉早稲田大公共政策研究所招聘研究員>
<28日 似鳥昭雄ニトリホールディングス会長>
<29日 新田嘉一平田牧場グループ会長、古賀信行経団連審議員会議長、三村明夫日本商工会議所会頭、桜田謙悟経済同友会代表幹事>
<30日 阿部俊則住宅生産団体連合会会長>
すでにお気づきだろう。首相の経済ブレーンには上げ潮派、リフレ派と呼ばれる市場競争主義を唱える経済関係者が多い。初めて会ったのが竹中で、次が高橋……。菅自身、彼らから政策を授けられてきた。現在進めている政策の分析は稿を改めるが、新自由主義と見られるゆえんがそこにある。
ちなみにサントリー社長の新浪の父親は横浜の港湾荷役業者で、同じ横浜の小此木彦三郎の秘書として政治の道に入った菅とは因縁深い。
「30歳前後のとき、事務所を辞めて秋田へ帰る、と切り出したのです。そしたら、小此木さんが唐突に『野呂田芳成(元農水大臣)さんの参議院選挙の応援で秋田に行くから、お前もついて来い』と言って、連れていかれた。で、秋田に着いたら、お前のうちに行くって言いだした。そうして両親に会い、『もう少し鍛えさせてもらえませんか』と頭を下げるではありませんか。とうぜん両親は『お願いします』と答えるほかない。小此木さんは、私のことを可愛がってくれて、鍛えてくれました」
菅は拙著「総理の影 菅義偉の正体」(小学館)の取材で、そう語っていた。菅にとって小此木彦三郎は、まさしく政界における師であり、小此木の秘書時代がなければ、今の本人の姿はありえない。
もっとも国会議員になった菅は、なぜか梶山静六や野中広務のことを師事してきたと強調し、これまであまり小此木のことには触れなかった。
首相になって初めて記者団を引き連れて墓参し(写真)、小此木に「内閣総理大臣就任の報告をした」とアピール。と同時に、「師である小此木が農家を継げと迫る郷里の父親を説得した」という美談として、先のエピソードが広まっている。だが、立身出世物語として美しく語られる政界での菅の姿は、そう奇麗なものではない。=敬称略
森功 ノンフィクション作家
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、2003年からノンフィクション作家として活動を開始。「ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき」「同和と銀行」「腐った翼 JAL消滅への60年」「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」など著書多数。最新刊は最新刊は「ならずもの井上雅博伝 ヤフーを作った男」(講談社)。
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