http://www.asyura2.com/20/senkyo276/msg/268.html
Tweet |
「共食いはしていない!」…南極から生還した“タロジロの奇跡”への誤解
2020/09/12 06:00
https://news.goo.ne.jp/article/phpbiz/nation/phpbiz-20200911142941767.html
《1957年から1958年にかけて、国家プロジェクトとして実施された第一次南極観測越冬。極寒の南極に置き去りにされ、1年後、奇跡の再会を果たしたタロとジロの2頭の兄弟犬の存在は、日本中に感動を巻き起こした。
しかし、この「タロジロの奇跡」には、知られざる"第三の生存犬"の存在があった。その歴史に埋もれた"第三の犬"の正体に迫った書籍『その犬の名を誰も知らない』では、タロ、ジロと再会をはたした唯一の隊員である、北村泰一氏は、著者である元新聞記者の協力を得て、その謎の解明にとりかかるが。
その過程で、タロジロ奇跡の生還について誤解されていることに対して北村氏が語る場面がある。本稿では、その一節を紹介する。》
※本稿は嘉悦洋著、北村泰一監修『その犬の名を誰も知らない』(小学館集英社プロダクション刊)より一部抜粋・編集したものです
最大の謎、2頭の犬は食料をどう確保していたのか?
タロとジロが南極で生きていたことに、当時の人々は仰天した。「置き去りカラフト犬、二頭が生存」の報道は、世界中に衝撃を与えた。昭和史に残るビッグニュースであり、まさに奇跡だった。
やがて、人々は不思議に思い始める。
タロとジロは、いったいどこで食料を手に入れていたのだろう?
北村氏は、食料の謎を解明することにこだわった。
「食料の謎を解くことは、『第三の犬』の特定に寄与するかもしれない」
そう言うのだ。私たちは、まず、60年前の諸説について、考察することにした。
第一次越冬隊が撤収する際に、鎖につないだ犬の前に置いた食料は数日分だった。すぐに第二次越冬隊が基地に入る。それまでのつなぎだから十分、という判断だった。
ところが二次越冬は急きょ中止になった。昭和基地は無人化した。目の前にある数日分の食料など、犬たちはすぐに食べ尽くしただろう。
鎖から逃れられなかった7頭は死亡。1頭を解剖した結果は、完全餓死だった。鎖から逃れた犬たちが直面したのは、生きていくために新たな食料を確保することだった。
いったいどこで? どうやって? 情報皆無の中で、さまざまな推理が新聞や雑誌に発表された。
まず有力視されたのは「昭和基地に残置された人間用の食料を食べた」という説だった。人間用食料説は分かりやすく、説得力もあったため、当初はかなり支持された。
しかし、第三次越冬隊が昭和基地を調査した結果、建物や通路内に残置した人間用の食料を犬たちが食べた形跡はないことが明らかになり、この説は消えた。
それでも、北村氏は一次越冬隊撤収時の人間用食料に関する記録などを集めるよう指示した。
集めた中で最も信頼できそうな資料は「食糧委員会への報告書・昭和基地食料在庫調べ」だった。
重要なのは、これらの食料については「撤収する時に再点検し、保存に十分注意をして残置した」と明記している点だ。
つまり第一次越冬隊は、海水浸入で使えなくなった天然冷凍庫にあった食品のうち、海水漬けになったものは現場に残置したが、被害を免れた食品のうち、建物や通路内でも保存可能な食品は天然冷凍庫から運びだして保管していた。
もともと建物内や、屋外に保管されていた食料も含めて、二次隊が来たら確実に使えるように、しっかり収納するなり、整理するなりしたうえで、厳重に保存されていたわけだ。
永田武第三次観測隊長も、昭和基地の建物を調査した直後、内部はほとんど完全に保たれており、食料も利用できるという内容の報告を、日本の上層部に上げている。
確かに、こうした記録を確認していくと、厳重に梱包された人間用食料を犬たちが食べることは不可能だったことが確認できて、すっきりする。
「これで、人間の食料を食べたという説は排除できることが確認できた。問題は犬用食料。これは手強いですよ」
北村氏が言うように、こちらは謎だらけだ。
基地には、係留された犬たちの前に置いた数日分の食料とは別に、箱に入った約1か月分の干鱈、ミガキニシン、ドッグペミカンが置かれていた。ところが、これらの食料もまったく食べた形跡がなかった。
二次越冬隊が来たら、すぐに犬たちに餌を与えなくてはならない。犬に不慣れな隊員が餌を短時間で与えられるように、犬用食料が入った箱は開梱しておいた。つまり、犬にとっても簡単に食べられる状態になっていた。
それなのに、犬たちは干鱈一匹すら食べていなかったのだ。
この点は大きな謎だ。じっくり調査していく必要がある。私たちは、先に、他の説の検証を急いだ。
はっきりと否定されている「共食い説」
まず共食い説。「犬同士で共食いしたのではないか」という説は、当時かなり話題になった。タロ、ジロが、つながれたまま死んだ仲間を食べたというわけだ。一次越冬隊員の中にも共食い説を採る人物もいた。
動物学では1500種を超える動物の共食いが確認されている。決して異常な行動ではない。それでも、多くの国民は、そんなことは信じたくはなかった。
幸い、第三次越冬隊に参加した北村隊員が発見したゴロたち七頭の遺体は、いずれもきれいなままだった。共食い説はあっさり排除された。
しかし、タロ、ジロが共食いしていなかったという情報は、当時大きく報道されたわけではなかった。愛犬家など一部の国民は胸をなでおろしたが、一般には知られることがほとんどなかった。
このため、共食い説は完全に否定されたのに、面白おかしく語られ、現在でもそう思い込んでいる人が意外にいる。猟奇的な話を信じたがる人は、いつの時代にもいるのだ。そのことが北村氏は残念でならない。
「共食いはなかった。このことを、あの時しっかり伝えなかった私たち元隊員にも責任がある。再検証を進めるにあたって、この共食い説はあらためて強く否定しておきたい」
北村氏が、すでに否定されている説でも確認は必要だと言った背景には、この思いがあったのだろう。
(仁王像補足)
この問題は、9月に某民法局でやっていた。真相が明らかになったのは、2018年。立役者は犬ぞりの管理隊員(北村)と某ジャーナリストであった。二人は丹念に資料を調べ、関係者への聞き取りも行った。
その結果判ったのは、犬ぞりのリーダー犬・リキの存在だった。リキは方向感覚が特段に優れ、一度迷子になったことがあったが、猛吹雪のなか昭和基地に戻ってきたという実績があった。このリキをはじめ他の若干の犬たちも、リキに率いられて昭和基地から100キロもはなれた鯨の肉などを蓄えた第二の基地まで連れて行ったということだった。
タロとジロは残されたとき1歳だった。リキをはじめ他の犬たちはおそらく年を食っていて、1年間持ちこらえられなかったと考えられる。
なお、犬たちの半数は、海か溝に落ちたらしく行方不明。残りの犬たちの遺骸は見つかった。そのなかにリキも確認されている。
リキ亡き後も、タロとジロは100キロ離れた基地で鯨を食べ、迎えに来るのを信じて昭和期に戻ってきたいた(というのが番組の結論)。
(何故か昭和基地に放置された食料には手がつけられていなかった。木箱が破れなかったか)
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK276掲示板 次へ 前へ
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK276掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。