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菅家は恵まれた家 姉2人は国立大に、弟は慶大に進んだ 菅義偉 隠された経歴と裏の顔
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279224
2020/09/29 日刊ゲンダイ
菅首相は高校に進学できる2割のなかにいた恵まれた家庭に育っている(C)日刊ゲンダイ
秋ノ宮中学校を卒業した菅義偉は1964年4月、秋田県立湯沢高校に入学した。東京五輪が開かれる半年前のことだ。戦後の混乱から抜け出し、高度経済成長に東京が沸き立つ半面、東北の農村の暮らしはまだまだ楽ではなかった。
湯沢高校は戦中の43年に旧制中学として開校し、菅は19期卒業生に当たる。高校のホームページを見ると、当時1学年8クラスあり、卒業生は男子330人、女子64人で合計394人もいる。湯沢市議会議長だった由利昌司は懐かしそうに目を細めながら語った。
「当時、秋ノ宮中学校の卒業生で、地元の高校に進学する生徒は2割しかいませんでした。残りの8割は中学を卒業してすぐに農業を継ぐか、あるいは東京に行って集団就職していました。都内の夜間高校に通いながら働く同級生が非常に多い時代でした」
これこそ集団就職である。だが、菅は高校に進学できる2割のなかにいた。恵まれた家庭に育っている。
湯沢高校は秋田県内屈指の進学校として今も人気がある。菅たちの頃、1学年400人近くいた生徒数は、過疎化のせいで年々減り、現在は200人そこそこしかいない。卒業生のほとんどが東北大や秋田大をはじめとした大学に進学する。過去の報道によれば菅本人は高校時代に野球部に所属したことになっているが、実際は帰宅部だ。
「義偉君は高校で野球をやりたかったのだろうけど、お父さんに、『勉強だけしていればいいから、文化部にも入っては駄目だ』と言われてたみたいだな」(前出の由利昌司)
菅たち秋ノ宮出身の生徒の通学路は、直線距離にして20キロ以上あるので、徒歩では通えない。春夏は秋ノ宮の家からバスで旧国鉄奥羽本線の横堀駅まで出て湯沢駅に向かった。だが、雪の降る11月から3月になると、バスがないので湯沢に下宿せねばならない。高校進学は冬のあいだの下宿費用も含め、家計の負担となるため、多くの中学生が高校に進学できなかったのである。だからこそ、このあたりの家庭では、高校進学が切実な問題だったのである。
そんな豪雪地帯にあって、本人のほか2人の姉と弟という4人の子供たちがいた菅家では、4人とも高校に通わせている。戦前、満州に渡って満鉄社員になり、戦後もイチゴ栽培で名を成したバイタリティーあふれる父、和三郎は、息子の義偉が中学を卒業する頃、雄勝町議会議員に当選し、4期16年ものあいだ町会議員を務めてきた。2人の姉は北海道教育大学に進学して高校教諭になり、弟は慶大を卒業している。
しかし、当の菅本人だけは、いつの間にか大学進学をあきらめた。それは決して経済的な理由からではなかった。本人が認めているように、高校を卒業した菅が上京したのは父親に反発して家を飛び出しただけだ。 =敬称略、つづく
森功 ノンフィクション作家
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、2003年からノンフィクション作家として活動を開始。「ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき」「同和と銀行」「腐った翼 JAL消滅への60年」「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」など著書多数。最新刊は最新刊は「ならずもの井上雅博伝 ヤフーを作った男」(講談社)。
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