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菅少年は監督の指示に従わず、頑にフォームを変えなかった 菅義偉 隠された経歴と裏の顔
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279170
2020/09/27 日刊ゲンダイ
野球チームではトップバッター(菅義偉首相)/(C)日刊ゲンダイ
「(菅義偉の実父)和三郎さんのイチゴ『ニューワサ』がブランド化されて本格的に売り上げが伸びていったのは、われわれが高校生になる頃でした。義偉君は小学生の頃からずっと羨ましい存在でした」
湯沢市議会議長だった由利昌司が少年時代の次のようなエピソードを明かしてくれた。
「小学生の頃、冒険王という月刊の漫画雑誌があってね、義偉君の家にはそれが毎月配達されていました。冒険王を買ってもらえる子供なんて、1学年に2〜3人いるかどうか。そんな時代でした。義偉君の家は小学校の近所だったので、漫画を読みたい友だちが家の前で並んで待っていたのを覚えています。本が届くと、義偉君は友だちに封を開けさせて、先に読ませていました」
菅家では祖父喜久治の電力会社勤めに加え、戦後、満州から引き揚げてくるやイチゴ栽培に取り組んだパワフルな和三郎のおかげで、暮らし向きに困った印象はない。おかげで小、中学校時代の菅は、野球に没頭した。菅の家に集まる小学生たちも、その仲間だった、と由利が振り返った。
「遊び仲間は、だいたい運動のできる連中でした。当時は野球部なんてない。だから、もとは試合があるたび、1学年2クラスの中からメンバーを募り、地域の大会に出場していました。それが小学4年生になると、選手が固定された。官房長官はスポーツ万能だったですなあ。小、中通して野球チームに選ばれ、それなりに強かった」
この頃は学習塾などに通う子供は皆無だった。菅たちが中学生になる頃に秋ノ宮が雄勝郡に編成され、菅たちの野球チームは秋ノ宮中学3年のとき、周辺中学との郡大会に出場した。由利の舌が滑らかに回る。
「義偉君は3番サードだったと何かの雑誌に書いてあったけど、トップバッターですよ、大将は。僕は2番バッター。あるとき監督が義偉君のバッティングフォームを変えようとしたのだけど、本人は頑として言うことを聞かない。大将は落合博満選手のフォームに似ててね、自分の独特なスタンスでやっていました」
どこにでもある片田舎の少年野球風景である。菅少年は奔放に育った。小、中学校時代のもうひとつの特技が渓流釣りだ。今では玄人はだしと評判の趣味で、同じ秋田県出身の矢口高雄原作の漫画「釣りキチ三平」のモデルではないかともいわれる。
「釣りキチ三平は成瀬川で、大将は家の近くの役内川で釣っていたから、ちょっと違うけど、似たようなもんかな。イワナやヤマメを竿の先の針でボーンと引く、引っかけです。私らは親が釣り竿を買ってくれるわけもなく、川に潜るか、せいぜい竹竿で釣っていたけど、義偉君は立派な釣り竿を持っていてね。畳めて次々と足すタイプの竿。そんなのは釣りを商いにしているプロか、道楽でやる年配者くらいだったけど、その中に交じってやっていました」(前出の由利昌司)
菅はある意味、片田舎の特別な子供だったのかもしれない。=敬称略、つづく
森功 ノンフィクション作家
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、2003年からノンフィクション作家として活動を開始。「ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき」「同和と銀行」「腐った翼 JAL消滅への60年」「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」など著書多数。最新刊は最新刊は「ならずもの井上雅博伝 ヤフーを作った男」(講談社)。
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