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イチゴで成功した農家で父親が町会議員って少なくとも貧乏ではないわな
— 青粥 (@ihsns1) September 25, 2020
高校卒業後に家業嫌で地元を出たんだし、「我慢強い東北人」みたいなのもなんか違うよーな?
実父は有名な成功者 菅首相は苦労人どころか“お坊ちゃん” 菅義偉 隠された経歴と裏の顔
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279063
2020/09/25 日刊ゲンダイ
東京のベテラン市場関係者なら、今でも「ワサ」と聞けば和三郎氏と覚えてるほど(C)日刊ゲンダイ
菅義偉の生まれ故郷である秋田県湯沢市雄勝町は、かつて雄勝郡秋ノ宮村と称していた。ブランド米「秋田こまち」を生んだ農村である。
菅の実父和三郎は、コメ農家の「こまち農業協同組合」に対抗し、「秋ノ宮いちご生産出荷組合」の旗を掲げ、秋ノ宮イチゴの生産に熱を入れた。自らの名前から付けたブランドイチゴ「ニューワサ」を開発し、大成功を収める。湯沢市議会議長だった由利昌司が懐かしんだ。
「イチゴだけで年に3億円の売り上げがあって、東京の築地市場に売り込むと、『ワサをもっと増やせばいい』と要求が来たもんです」
由利は小学校時代から高校まで菅と同じ学校に通った幼馴染みである。
東北でも屈指の豪雪地帯として知られる秋ノ宮は、もともとイチゴの産地でも何でもなかった。雪深い寒冷地ゆえ、むしろイチゴの栽培には適さないと考えられ、春に最盛期を迎える他の地域より、出荷の時期を遅らせなければならない。
和三郎は逆にこれを利用し、時期外れのイチゴとして売り出した。それが、「ニューワサ」である。和三郎はアイデアマンだった。
さらにイチゴ農協の組合長として、独自の生産、出荷・販売ルートを開拓していった。ニューワサを売り込もうと県内や東北だけでなく、東京や千葉、神奈川、大阪の果物市場を訪ね歩いた。のちに国会議員となった息子の秘書に運転手を頼み、東京を案内してもらったのは、観光のためだけではなく、世話になっている築地市場への挨拶回りもあったわけだ。
「おっかない親父でしたよ、官房長官のお父さんは。とにかく声の大きなお父さんというイメージがありますね」
菅の元秘書で現横浜市議の遊佐大輔はそう振り返った。先の由利はこうも言う。
「和三郎さんは、『稲作農業だけでは、生活が豊かにならない。もっと高収入の作物に切り替えないといけない』というのが口癖でした。それがイチゴだったんです。味が甘いだけでは駄目で、日持ちがよくないといけない、と改良に改良を重ねてつくった品種が『ワサ』でした。東京のベテラン市場関係者なら、今でも『ワサ』と聞けば、和三郎さんがつくったイチゴだと覚えています。私が市会議員になって築地の卸売市場に市場調査に行った時などは、市場の専務さんが応対してくれてね。その時も『雄勝町には、菅和三郎さんって人がいらっしゃるでしょう』って和三郎さんの話題が出ましてな。まだ湯沢と合併する前の雄勝町の頃でしたけど、和三郎さんは東京でも相当有名なんだな、と感心しました」
こうしてニューワサは秋田の名産イチゴとして、全国的に知られるようになる。菅家は戦後、本格的にイチゴ栽培を始め、おかげで暮らし向きが随分豊かになった。菅少年は苦労人どころか、地元名士の“お坊ちゃん”だった。 =敬称略、つづく
森功 ノンフィクション作家
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、2003年からノンフィクション作家として活動を開始。「ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき」「同和と銀行」「腐った翼 JAL消滅への60年」「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」など著書多数。最新刊は最新刊は「ならずもの井上雅博伝 ヤフーを作った男」(講談社)。
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