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※続きは週刊文春、2020年9月17日号をご覧ください
あすの文春。
— ジャーナリスト 田中稔 (@minorucchu) September 9, 2020
菅義偉「美談の裏側」 集団就職はフェイクだった
文春砲がガース―のウソを暴く
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— resonance (@Resonance0317) September 9, 2020
実家はカリスマ農家、
父は町議、姉2人は教師
菅<義偉>「美談の裏側」
集団就職はフェイクだった https://t.co/heeSKoE7jx
実家はカリスマ農家、父は町議、姉2人は教師 菅義偉「美談の裏側」 集団就職はフェイクだった
※文字起こし
「イチゴ畑から日本の頂点へ(米ウォール・ストリート・ジャーナル紙)」。菅義偉官房長官が出馬会見で語った立身出世物語は多くの人の心を掴み、世論調査の支持率も急上昇している。だが、その「美談」は真実なのか? 総力取材で“新総理”の半生を辿ってみると――。
“影”と呼ばれ続けた男が、スポットライトを浴びた瞬間だった。
九月二日、午後五時。自民党総裁選に出馬を表明した菅義偉官房長官は、自らの「原点」を話し出した。
「雪深い秋田の農家の長男に生まれ、地元で高校まで卒業しました。卒業後、すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てまいりました……」
叩き上げの苦労人――。翌日から、こうした「美談」がテレビ番組などを通じ、日本中に伝わっていった。三日夜に公開された緊急世論調査(朝日新聞デジタル版)でも、菅氏は三八%の支持を得てダントツの一位。石破茂元幹事長(二五%)と岸田文雄政調会長(五%)を引き離した。
「秋田で育ったという話が良かったのかな」
結果を受けて菅氏は、こう目を細めたという。
候補者の来歴がことさらクローズアップされるのは、一国のリーダーを選ぶにあたり、それが大きな意味を持つからだ。わけても菅氏の場合、地方で苦労して育ったという経験が「地方創生」や「観光立国」など自身が掲げる政策にも色濃く反映されていると語る。
だが、過去にはリーダーを目指しながらも自らの語る経歴に詐称疑惑が浮上した候補者たちが、国内外にいた。アメリカでは、〇四年の大統領選で軍歴詐称疑惑が報じられたジョージ・W・ブッシュ。日本でも今年六月、小池百合子都知事の学歴詐称疑惑が取り沙汰されたのは記憶に新しい。
実は、菅氏の「苦労人伝説」を巡っては、明らかな「フェイクニュース」も流布されている。
その一つが学歴だ。例えば、出馬会見翌日の日刊スポーツ(九月三日付)は〈法大夜間部を卒業〉と報道。だが、「夜間卒」については、菅氏はこれまで否定しており、法政大学も「同姓同名の人物が第一部法学部政治学科を卒業しております」としている。
ただ、こうした「フェイク」が政治家の支持に繋がることは非常に危うい。ましてや、菅氏は次期総理が確実視される人物だ。自民党幹部の一人も「苦労人エピソードに誇張や嘘が混じっていないか」と不安視する。そこで小誌は今回、菅氏の経歴や政策を徹底検証した――。
イチゴの売上は三億七千万円
一九四八年、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現・湯沢市秋ノ宮)に生まれた菅氏。父・和三郎氏(二〇一〇年に死去)は南満州鉄道のエリート職員だったが、終戦に伴って妻と二人の娘を連れて秋田へ引き揚げ、農業を始めた。そこに誕生したのが、長男の菅氏だ。
本人は故郷について、こう振り返っている。
〈私の田舎はものすごく貧しいところでした(略)高校卒業後、たいていは農業を継ぐんですが、豪雪地帯ですから、結局冬には出稼ぎに行くんです〉(『週刊文春WOMAN』一九年夏号)
貧しい田舎、出稼ぎ。こうした言葉からは、かつての菅少年の労苦が滲むようだ。実際はどうだったのか。
秋ノ宮小、同中学校から湯沢高校まで菅氏と同級生だった伊藤英二氏が語る。
「中学校は一学年に百五十人くらいいたのですが、高校に進学したのは三十人ほど。当時、進学するにはある程度、家が裕福でなければならなかったんです」
そんな環境のもと、菅氏は当時、地元では上から二番目という進学校、湯沢高校への進学を果たす。
「義偉は髪を伸ばしていたんです。当時、髪を伸ばしているのは裕福な証拠でした。床屋に行くのはお金がかかる。俺なんかは母親にバリカンで丸坊主にしてもらっていたから」(同前)
裕福な暮らしの背景には、父・和三郎氏が手掛けたイチゴの栽培事業があった。
「和三郎さんが地元農家の年収を押し上げるため、冬場に収穫できる作物として取り組んだのがイチゴ。正月前に収穫するイチゴはクリスマス需要を見越したものでした。和三郎さんは地域に二つあった集出荷組合をまとめて『秋ノ宮いちご生産集出荷組合』を設立して、農協には入らず、独自で販路を開拓しました。段ボールに詰めたイチゴを担いで電車に乗って、東京や関西まで売りに行ったのです」(地元のイチゴ農家)
販路開拓と同時に、品種改良を重ね、日持ちが良くて鮮度の落ちにくいイチゴを開発した和三郎氏。そのイチゴを、自身の名前から「ニューワサ」と命名する。
「七〇年代から売り上げが大きく伸びてきて、イチゴ農家が家を建てたり自家用車を買ったりということができるようになった。最盛期は八〇年代で、組合の販売額は当時、三億七千万円に上りました」(同前)
現在で言う“カリスマ農家”だった和三郎氏。菅氏が高校一年生の時から四期にわたり雄勝町議を務めるなど、地元の名士だったという。前出のイチゴ農家からは、今でも「和三郎さんは地域振興、地域経済の発展に尽くされた方です」と賞賛される存在だ。
女性が大学に進学するのは珍しかった時代だが、
「義偉の二人の姉はともに大学に進学し、高校の教師になっています。母親も結婚前は尋常小学校の教員で、叔父や叔母も教員という家系。普通の農家とは違いますね」(菅家を知る人物)
しかし、当の菅氏は高校卒業後、農家を継ぐことに反発を覚え、家出同然で東京を目指したという。この頃の菅氏を紹介する時、頻繁に使われるキーワードがある。「集団就職」だ。
今回の総裁選出馬を受けた菅氏の紹介記事にも、次のような記述が目立つ。
〈出身地の秋田から集団就職で上京し、段ボール工場での勤務などを経て、小此木彦三郎元通産相の秘書や横浜市議を経た苦労人〉(産経新聞九月三日付)
同級生や親戚から懸念の声
メディアを通じて広がっていく「集団就職」というエピソード。ただ、それだけではない。母校・湯沢高校のHPには、一三年七月八日に菅氏が講演した時の発言が紹介されている。
〈「昭和23年に秋ノ宮で生まれ、湯沢高校卒業後に東京の町工場に集団就職した。働きながら(略)」〉
実際に菅氏自身も、後輩たちに向けて「集団就職した」と語っているのだ。
しかし――。
小学校から高校まで菅氏の同級生で元湯沢市議会議長の由利昌司氏は、こう首を傾げる。
「確かに義偉君は高校を卒業して東京の段ボール工場に就職しますが、これは集団就職ではない。集団就職というのは、学校の先生に引率されて上京し、就職先を回って働き口を見つける、というもの。ところが、義偉君は一人で上京している。『集団就職で上京した』という記事を読むたび、どうしてこうなったのか、と不思議なんです」
菅氏の親戚の一人も「間違ったイメージが広がっていることに懸念を抱いていた」と漏らす。
「ある時、義偉さんに言ったんです。そしたら本人も『集団就職したことになっているけど……』と認めていました。ただ、『本当に集団就職した人たちもいる。わざわざ訂正して、そういう人たちを傷つける必要はない。そう思われているならそれでもいい』と」
つまり、菅氏は、自身が「集団就職」だということが「誤解」だとはっきり認識していながら、あえて訂正せずにいたのだ。
上京した菅氏は段ボール工場に就職するが、数カ月で退職。アルバイトで生計を立てつつ、二年遅れで入学したのが、私立大学で当時、最も学費が安かったという法政大学だ。前述したように、卒業したのは夜間部ではなく、法学部政治学科。当時について、ジャーナリスト・森功氏の著書『総理の影』(小学館刊)では〈「基本的には自分でアルバイトしていましたけど、たまに姉から小遣いをもらったりしました」〉などと振り返っている。
一連の証言から見えてくるのは、流布されているように、菅氏は貧しさゆえに集団就職したわけではなく、相応に裕福な家庭だったにもかかわらず、あくまで自らの意思で東京暮らしを選んだということだ。
もちろん、安倍首相らと比べ、菅氏は決して恵まれた境遇で育ったわけではない。さはさりながら、集団就職で上京し、大学は夜間部に通う――そうしたフェイクの「苦労人伝説」が広がっているのも事実。改めてこれらについて、菅氏に尋ねたところ、
「当時の私たちのような就職は集団就職だと認識しています」
大学卒業後は民間企業を経て、小此木彦三郎元通産相の秘書として約十一年間勤務。横浜市議を二期務めた後、九六年の衆院選で初当選した。〇六年発足の第一次安倍政権で総務相として初入閣。第二次安倍政権では官房長官を七年八カ月にわたって務め上げた。
今では、菅氏も政界有数の資金力を誇る。一八年の収支報告書によれば、資金管理団体の収入は約一億一千万円。普段は赤坂の議員宿舎住まいだが、地元の横浜に超高層タワーマンションの一室を所有し、登記簿によれば、広さは約百平米だ。
「内装はホテルのように美しく、コンシェルジュや警備員もいるのでセキュリティも安心です。高層階にある菅氏の部屋は、隣にはビューラウンジもあり、条件的にはこのマンション内で一番良い部屋だと言えるでしょう。現在の売買価格は一億四千万円程度だと思います」(市内の不動産屋)
その菅氏の政治活動を陰で支えてきたのが、五歳年下の真理子夫人である。だが、森友問題の安倍昭恵夫人の例からも明らかなように、最高権力者に最も近い配偶者は国政に大きな影響を与え得る立場。“次期ファーストレディー”真理子夫人はどんな人物なのか。
「小此木事務所時代に出会ったのが、事務所に居た女性秘書の姉・真理子さんでした。彼女は小此木家で家事手伝いのようなことをしていたそうです。キャンディーズのスーちゃんをほっそりさせたような感じの女性で、表に出るのが苦手なタイプ。昭恵夫人とは正反対です」(自民党関係者)
愛妻家の菅氏。お揃いのジャージで宿舎周辺を散歩したり、「令和」を発表した昨年四月一日夜にはディナーをともにした。自身の誕生日は毎年「ヨコハマ・グランド・インターコンチネンタルホテル」で家族だけでお祝いしているという。
菅事務所元スタッフの女性が語る。
安倍首相が漏らした皮肉
「真理子さんは菅氏の選挙の時、よく両手を胸の前で交差させて『私はもう心配で心配で……。大丈夫かしら』と言っていました」
表に出たがらない真理子夫人が、壇上でマイクを握ったのが、一七年十月に行われた解散総選挙だった。
「当時、北朝鮮のミサイル発射が警戒されていたため、第一声の時も菅氏は官邸を離れられなかった。そこで、代わりに選挙カーに上がったのです」(同前)
そこで真理子夫人は、こう叫んだ。
「公約違反です。菅は私に、選挙の応援をしなくていいと約束していました」
昨年秋には、菅原一秀元経産相や河井克行元法相ら菅氏側近のスキャンダルが次々と報じられたが、その時、真理子夫人は率直な心境を明かしていたという。
「菅氏は『俺を落とそうとする動きがすごい』と落ち込んでいましたが、そんな夫に真理子さんは『これで私は総理夫人にならなくて済むわね』とも声をかけたそうです」(菅氏周辺)
だが、そんな夫人の思いとは裏腹に、十四日に雌雄を決する総裁選は、五派閥から支援を受ける菅氏の圧勝は確実だ。これには「大嫌いな“石破首相”だけは避けたい」(首相周辺)安倍首相も「いい流れだね」と歓迎しているという。
「安倍首相は病院での二度の治療が効いて、声にも張りが戻ってきました。炎症の数値も回復しているそうです。内閣支持率も政権末期としては異例の六割超えで、本人も上機嫌。茂木敏充外相など、会う人会う人からゴルフの約束を持ちかけられているそうです。菅陣営の事務総長、山口泰明衆院議員も『総理とゴルフの約束をしたよ』と言っていました」(同前)
総裁選後に注目されるのが、新首相が解散に踏み切るかどうかだ。
「『来年九月までの暫定政権』という声もありますが、菅氏は全くそんな風には思っていない。コロナの感染者数も低下傾向にある。長期政権を敷くためにも、新政権発足直後のご祝儀相場のうちに解散し、選挙を経て政権基盤を盤石にしようとするのではないでしょうか」(官邸担当記者)
永田町では早くも「十月十三日公示、二十五日投開票」というスケジュールが取り沙汰されているが、安倍首相は菅氏に「今は解散しない方がいいね」と助言しているという。
「“岸田首相”の裏で院政を敷きたかった安倍首相としては、菅氏がワンポイントリリーフならともかく、長期政権を築けば、自らの影響力が削がれてしまう。だからこそ、解散は打たせたくないのが本音。菅氏の支持率が急上昇していることも『私の支持分が乗っかったからね』と少し皮肉めいた言い方をしていました」(前出・首相周辺)
これに対し、10・25総選挙に踏み切り、長期政権を実現したい菅氏。「力を注ぐ」と語るのは、若かりし日々の体験を生かした「地方創生」だ。
だが、菅氏が主導してきた「ふるさと納税」や「GoToキャンペーン」といった政策で利益を得たのは、これまで小誌が指摘してきたように、大手企業や富裕層が中心。中小企業や地方の人々に恩恵が行き渡ったとは言い難いのが現実だ。
※続きは週刊文春、2020年9月17日号をご覧ください
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