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靖国神社を参拝する 台湾の李登輝・元総統
[私のコメント]
■ 亡くなった台湾の李登輝・元総統 靖国神社を参拝していた 「涙が出ます。温かい気持ちになりました」」
> 先の大戦で日本人として出征しマニラで戦死した兄がまつられる靖国神社(東京)に参拝。「62年ぶりに兄に会えて、涙が出ます。温かい気持ちになりました」と、思いを語った。
靖国神社は、明治以降の日本の戦争・内戦において戦歿した軍人や軍属を祀る神社です。
日本人として出征し戦死された李登輝氏のお兄様も祀られており、参拝の折の想いはひとしおだったのでしょう。
日本のために命を捧げられた方々に哀悼の想いを持つのは、まっとうな日本人なら当たり前のこと。
阿修羅の諸君も靖国神社を参拝されることをお勧めします。
特に桜の咲く時期は素晴らしく、奥の日本庭園も趣があります。
■ 日本精神を学び、日本を愛した李登輝・元総統 親日・台湾の礎となった 李登輝・元総統の想いは今後も生き続ける
> 日本統治時代の台湾で生まれ京都帝国大(現京都大)で学び、「私は22歳まで日本人だった」と語るほどの親日家だった李氏。その根底には、日本から学んだ「日本精神」があった。
2000(平成12)年に台湾の総統を退任して以降、計9回にわたり来日。
俳人、松尾芭蕉の「奥の細道」を歩き、東日本大震災の被災地にも足を運ぶなど、日本を愛し続けた人生だった。
上記の通り、当時台湾は日本であり、李登輝・元総統は日本の精神を学び日本を愛するようになった。
その結果として、ありがたいことに台湾は大いなる親日となっています。
日本と台湾は互いを尊重、尊敬しあい、今後も友好関係を深めていくでしょう。
李登輝・元総統の想いは今後も生き続けるのです。
[記事本文]
台湾民主化の父、李登輝氏が97歳で亡くなった。日本統治時代の台湾で生まれ京都帝国大(現京都大)で学び、「私は22歳まで日本人だった」と語るほどの親日家だった李氏。その根底には、日本から学んだ「日本精神」があった。2000(平成12)年に台湾の総統を退任して以降、計9回にわたり来日。俳人、松尾芭蕉の「奥の細道」を歩き、東日本大震災の被災地にも足を運ぶなど、日本を愛し続けた人生だった。
1回目の訪日は平成13年。岡山県倉敷市の病院で持病の心臓病の治療を受けた。16年末から17年にかけては、日本統治時代の台湾で治水事業に活躍した八田與一(よいち)や尊敬する哲学者の西田幾多郎の出身地である石川県や、自身が通った京大のある京都府などを巡った。
19年には、かねて念願だった「奥の細道」を探訪。芭蕉も参詣した宮城県松島町の瑞巌寺(ずいがんじ)を訪れ、日本三景の一つ、松島を見て「松島や 光と影の 眩(まぶ)しかり」と自作の句を詠み、後に句碑も建立された。
このときの滞在では、先の大戦で日本人として出征しマニラで戦死した兄がまつられる靖国神社(東京)に参拝。「62年ぶりに兄に会えて、涙が出ます。温かい気持ちになりました」と、思いを語った。
20年に沖縄県を訪問した際には、仲井真弘多知事(当時)などとの昼食会の席上で尖閣諸島(同県石垣市)を「日本の領土」だと改めて表明。21年には、「台湾の民主化と政治改革に大きく影響した」と語った幕末の志士・坂本龍馬の故郷、高知県などにも足を伸ばした。26年には大阪府、東京都、北海道を訪れた。
27年には国会議員超党派有志による要請を受け、台湾総統経験者として初めて国会施設で講演。福島県と宮城県も訪問し、同県岩沼市の「千年希望の丘」で東日本大震災の慰霊碑に献花し、犠牲者に追悼の祈りをささげた。
28年には石垣島を訪れ、30年の最後の訪日先も沖縄だった。李氏は講演で「日中間における尖閣諸島や南シナ海の問題など、絶えず周辺国家との緊張状態を作り出し、潜在的な軍事衝突の可能性を生み出している」と中国の強硬な海洋進出を批判。民主主義と自由を共有する日本と台湾が連携していく重要性を、最後まで訴え続けた。
https://www.sankei.com/life/news/200730/lif2007300084-n1.html
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