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漢民族の起源と中国の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/597.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 19 日 08:28:55: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 漢民族による極悪非道の世界侵略の歴史 投稿者 中川隆 日時 2021 年 3 月 23 日 06:42:29)


漢民族の起源と中国の歴史


中国人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/272.html

稲作とオーストロネシア語族集団の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/258.html

チベット人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/273.html

バイカル湖地域人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/297.html

中国貴州省のフェイ人(Hui、回族)の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/497.html

モンゴル人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/360.html

ウイグル人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/564.html

アーリア人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html

ハプログループ O2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/177.html

ハプログループ O1a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/200.html

ハプログループ O1b2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/176.html

ハプログループ Q (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/179.html

ハプログループ N (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/180.html

ハプログループ C2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/175.html

▲△▽▼

コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/382.html

中国大好き _ 古代中国人はコーカソイドだった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/287.html

コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html

漢民族による極悪非道の世界侵略の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/538.html

有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/204.html

宮脇淳子 皇帝たちの中国 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/139.html

これを聞けば中国がよく分かります _ 宮脇淳子 「真実の中国史」講義 
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/170.html

▲△▽▼

中国人は頭がおかしい
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/555.html

儒教
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/440.html

道教
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/455.html

4000年の歴史を誇る 本場中華料理は不味くてとても食えない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/864.html

▲△▽▼

中国は共産主義国ではなく古来からの皇帝が支配する儒教国家
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/567.html

中国では、法律は、皇帝の命令である。だから、皇帝は、法律に従わなくていい。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/615.html

独裁者列伝 _ 毛沢東
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/805.html

中華人民共和国で唯一の共産主義者だった周恩来
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1597.html

独裁者列伝 _ 習近平
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/806.html

中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html  

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コメント
1. 中川隆[-5256] koaQ7Jey 2021年4月25日 17:45:41 : tsLYkqpsAM : RmxSMVpLU2RJcFE=[37] 報告
【ゆっくり解説】中華三大女傑 呂后 【漢】





中華三大女傑の一人で、漢王朝の創始者劉邦の皇后となり権勢を振るった呂后の生涯について紹介します。

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2. 中川隆[-5255] koaQ7Jey 2021年4月25日 17:46:16 : tsLYkqpsAM : RmxSMVpLU2RJcFE=[38] 報告

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唐王朝に壊滅的な打撃を与えた黄巣の乱の指導者 黄巣を紹介します。
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人々から非難され続けてきた南宋の宰相 秦檜を紹介します。
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後漢末に太平道を率いて黄巾の乱を起こし、後漢王朝に挑戦した宗教指導者 張角を紹介します。
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中華の歴史上初めて遊牧帝国を築いた 匈奴の冒頓単于を紹介します。
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3. 2021年5月02日 07:17:34 : HARXuMhTrK : aGhscUlOMUNHV1U=[6] 報告
【ゆっくり解説】逆視点の世界史 第2回 清から見た日清戦争
2020/11/17




今回は主に清から見た日清戦争について解説します。
朝鮮や三国干渉のウェイト大きい?知らんな
4. 中川隆[-4426] koaQ7Jey 2021年6月05日 08:18:35 : G3Hqt2fLQw : RTV5dkcvQ2NLV2s=[6] 報告
櫻井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
5. 中川隆[-4286] koaQ7Jey 2021年6月12日 08:08:42 : SMioo6dT5M : TU9xanMxb00ydkE=[6] 報告
06-12 密かに進行していた「新・共産党」潰しの動き
2021/06/12





過去に存在した本物の共産主義者はGHQだけだったよ、毛沢東はマルクスの著書を一冊すら読んでおらず、自分の事を中国皇帝だと言っていたインチx共産主義者だよ:
共産主義者ばかりだった GHQは日本を意図的にインフレにして資本家の資産を奪い、一億総中流社会を作り上げた
一億総中流社会を作ったのは共産主義者のGHQ, 一億総中流社会を壊したのがグローバリスト
日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
ソ連・中共・東欧も含めた世界の国で中間層が部厚かったのは平成バブル崩壊までの日本だけです。
特に自称社会主義国のソ連や中共は極端な階級社会で、下の階級の人間は絶対に上に上がれない社会でした。
戦後の日本が理想の共産社会に近い一億総中流社会になったのは、終戦直後に GHQ が農地改革、意図的なインフレと預金封鎖、極端な累進課税で人為的に所得再分配をやった結果なのです。
何もやらなければ現在のアメリカみたいに、マルクスの預言通りの階級社会になるに決まっています。
平成バブル崩壊までの日本が世界で最も成功した社会主義国だと言われていたのは
すべて GHQ の共産化政策の結果なのです。
20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのも GHQ の教育方針の結果でしょう。
ユダヤ国際金融資本と GHQ は日本を共産化しようとして農地改革と人為的インフレ生成・金融封鎖を行った
フランクリン・ルーズベルト大統領やニューディール派は親共産主義だったので、戦後の日本を階級か無い疑似共産社会にしようと計画していた。

それで平等主義的な日本国憲法を制定、
農地改革で地主の土地を取り上げて貧民にタダ同然で分配、
貧民が土地を買う金を出せる様に人為的なインフレを起こし
預金封鎖で資産家の資産を取り上げた

戦後の人為的なインフレはそういう背景で起こされた 

 東京の小売物価は、全国平均と比べて高く推移する傾向があった。その東京の小売物価指数で見てさえ、1946年のピーク時のインフレ率は500%「程度」に過ぎない。

▲△▽▼

戦後の日本のインフレは戦時中の借金とは何の関係もない
米軍に国土を焼け野原にされ、供給能力が極端に落ち込んだ1946年の日本であってさえ、物価が6倍「程度」のインフレでしかなかったのだ。

 当時の我が国の供給能力は、戦前と比較して実に2割の水準にまで落ち込んだと考えられている。供給能力の8割を喪失してさえ、インフレ率が500%程度で済むわけだから、日本国の生産力や技術、さらには「人材」の蓄積は凄まじい限りだ。
戦後、物が不足したのは米軍が意図的に物資を市場に出さなかったから。
別に需要が生産量より多かったからではないですね。

戦争体験者は、敗戦後はアメリカの占領の下で、「さらにひどい食糧難」を経験したと語っている。
コメの遅配、欠配が続き、どこの家庭でも買い出しに出て、「闇米」を手に入れなければ食べていけない状況が続いたのは、アメリカの占領政策によるもの。

終戦直後は大したインフレは起きなかった。
円がその後安くなったのはアメリカの命令で戦時国債を踏み倒す為に意図的に紙幣をそれまでの何十倍も発行したからだ
アメリカが日銀にやらせたのは、それまでの 1円札を100円札に名称変更して、戦時国債の額面だけは昔と同じままにしておいた。
戦後の農地解放と同じで、アメリカは地主の金を貧農・小作人に再分配させる為に円の額面を変えたんだ。 だからハイパーインフレとは全く違う。
その結果、農民はすべて自民党支持層になって日本が共産化する可能性がなくなったたんだ。
ドイツやジンバブエのハイパーインフレとは中身が全然違うよ

因みに、日本が一億総中流、世界で一番成功した社会主義国と言われる様になったのは

・GHQ の農地改革で富農の土地をインフレ前に強制買い取り、小作農にインフレ後にインフレ前の金額と同額(タダ同然)で売ってその金額だけ売主に渡した
・意図的なインフレと預金封鎖で富裕層の預金を没収

が原因

要するに、日本を共産化する為にブルジョアジーの持つ農地と銀行預金・国債を没収してプロレタリアートに再分配したんだ
損したのは預金を没収された資産家と農地改革で農地を昔の地価と同じ額面のままインフレで安くなった新円札で売らされた大地主だけ
6. 中川隆[-5141] koaQ7Jey 2021年7月04日 07:57:17 : oK8CEMlMsc : dnU4eC52a0R2cC4=[6] 報告

中国共産党を裏切ると家族と友人を全員殺される

07-03 中央紀律委員会が突然チンパンメンバーの名前をブッ込んで来た!
2021/07/03






07-04 拘束された青幇メンバーのその後
2021/07/04




周恩来をイイ人だと思ってた人に申し上げます。ごめんなさい!
7. 2021年7月10日 13:41:20 : 6eADMhy2go : UTZqV0FibS5aYmc=[13] 報告
雑記帳 2021年07月10日
上田信『人口の中国史 先史時代から19世紀まで』
https://sicambre.at.webry.info/202107/article_10.html


https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E2%80%95%E2%80%95%E5%85%88%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%8B%E3%82%8919%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%BE%E3%81%A7-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%8A%E7%94%B0-%E4%BF%A1/dp/4004318432


 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2020年8月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は先史時代から19世紀までを対象とした人口の観点からの中国通史ですが、おもに取り上げられているのは明清期で、とくに18世紀の人口爆発が詳しく検証されています。確かに、現代中国を理解するうえでこの人口爆発は重要でしょうから、妥当な配分だと思います。本書が対象とする空間的範囲は、「中国文明が包摂した」人口です。

 当然、人口の手がかりとなるような同時代の文献のない時代の推定人口は、信頼性が低くなります。本書は、中国で刊行された人口に関する書籍には、史書の記載を無批判に用いたものが少なくない、と注意を喚起します。現在に伝わる漢字文化圏最初の人口統計は、前漢末期の紀元後2年のものです。本書も指摘していますが、重要なのは、この人口統計はあくまでも王朝が把握できた範囲にすぎない、ということです。これを踏まえないと、三国時代の前後における「中国人」もしくは「漢民族」の絶滅、といった現代日本社会の「愛国者」が好む的はずれな言説に引っかかってしまいます。

 中世以降の中国人口史の特徴の一つは、南方の比重増加です。すでに唐代中期に人口は南方が北方を上回っていましたが、宋代にはその差が拡大し、人口は12世紀には1億人を突破していたと推測されています。ダイチン・グルン(大清帝国)支配下の18世紀に、人口爆発が起きます。明代に進んだ人頭税と土地税の銀納化を前提として、18世紀前半までに地丁銀と呼ばれる新たな税制が成立し、長く続いてきた人頭税が廃止されて土地税の中に繰り入れられます。これにより、それまで隠れていた人口が表に出た、と以前から説明されています。人口統計の基礎的データはこの改革を境に戸口から民数に変わり、人口史研究では画期となります。

 しかし本書は、18世紀を通じて人口は増加し、18世紀半ばには2億人程度だったのが、19世紀半ばには4億人にまで増加する理由は別にあった、と指摘します。別の理由として以前から指摘されているのは、トウモロコシやサツマイモやジャガイモといったアメリカ大陸原産作物が16世紀後半にもたらされたことです。しかし本書は、これら新たな作物が人口急増の要因に直結した、と断定することには慎重です。本書は、族譜に基づく歴史人口学の成果を参照して、18世紀における溺女(女児の間引き)の抑制を1要因として挙げ、その背景に貨幣経済の浸透による貧富の格差拡大に伴う、貧しい男性の地域社会からの脱出がある、と指摘します。また本書はこれと関連して、死亡の季節的変動が18世紀には平準化し、平均寿命が低下し、男性の未婚率が上昇したことを挙げ、18世紀には農業に依存しない生き方が広がったと推測します。

 この18世紀の人口急増とそれによる地縁・血縁に頼れない男性の増加が、19世紀後半に集中的に発生した、太平天国の乱に代表される叛乱をもたらした、と本書は指摘します。人口急増が社会不安につながった、というわけです。この社会状況の不安定化のなかで、19世紀半ばから後半にかけて死亡の季節的変動が17世紀の水準にまで戻ります。本書は最後に、現代の人口統計から過去の人口史を読み取れることも指摘します。2015年の人口では55〜69歳以上で人口が急減しており、これは大躍進政策の影響と指摘されています。

https://sicambre.at.webry.info/202107/article_10.html

8. 2021年9月12日 12:26:47 : s7eQxBySSI : UzR1dVVLYS5qbmM=[15] 報告
 中国共産党が世界に拡散する拝金主義・人命無視
2021年09月12日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1615.html


 中国では、人間は立派な食材であった。人を食べる文化が記録されたのは、たぶん春秋時代の書物からだと思うが、2500年前、孔子の大好物が人肉の塩漬け(醤醢)だったと記録されている。
 https://jimusiosaka.hatenablog.com/entry/20050628/p1

 人を食材の対象にしなくなったのは、1970年代、田中角栄が数十兆円というODAを中国に与え、1980年以降は、世界的な産業大国にのし上がって、世界中の食材が中国になだれ込むようになって以降のことだ。
 たぶん、20世紀末まで中国で人間が食べられていた証拠がある。

 なぜ、そうなるかというと、中国は日本の25倍の国土と14億の人口で、広いように見えるが、実は人間生活に適した国土面積は、日本の数倍にすぎず、残りは不毛の砂漠や山岳地帯である。
 おまけに公称14億という人口はウソで、本当は20億人はいると考えている人が多い。だから、中国は、どこに行っても人、人、人で、プライバシーが保てない。
 公的統計制度が設けられたのは、建前上1953年頃だが、実際には1990年になっても正確な国家統計システムは成立していない。本当の人口は、誰にも分からない。

 中国には、1979年から2014年まで、「一人っ子政策」が施行され、二人産んだ家庭には高額な罰金など処罰が与えられた。
 二人目の妊娠が発覚すると、強制連行されて避妊手術を強要されたことは映画にもなっている。
 秘密裏に複数の子を作った家庭は、子供を養子に出すならマシな方で、なかには臓器提供用としてマフィアに叩き売ることも珍しくなかった。
 ブルースリーの「ドラゴン危機一髪」に、臓器移植用の子供の氷漬け死体が描かれていることで、臓器ビジネスが、少なくとも半世紀以上前からあったことを裏付けている。

 子に対する愛情のある親は、秘密裏に子を育てたが、戸籍も公民権も教育も受けられず、「黒亥子」(ヘイハイズ)と呼ばれる番外国民になるしかなかった。
 彼らは、働けるようになると、「食べさせるだけ」という奴隷工場に送られることが多かった。20世紀末における中国の驚異的な産業躍進は、実はヘイハイズの低賃金が支えていたのだ。
 そして、その総数は、推定で2億人以上はいると考えられている。

2009年3月3日 中国を暴走させるヘイハイズ 2009年03月16日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-287.html

  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1418.html

 少なくとも数億人の「闇に隠れた人権を持たない人々」が中国にいる。彼らには教育も与えられず、公民権もなく、ひたすら奴隷労働で食べながら年を重ねてゆく。
 これによって、中国の資本家は、非常な低コストで製品を作ることができるため、世界中に極端に安い中国製品で侵略を行っている。中国に潰された世界の産業は半端な数ではない。

 日本の中小零細企業群が崩壊させられた本当の事情も、実は「一人っ子政策」にあると考えてもよい。中国共産党の権力も、彼らの奴隷労働の上に成立しているのだ。
 数年前から、中国でヘイハイズを必要としなくなった事情は、彼らの代わりに、チベットやウイグルの人々を奴隷労働に駆り立てているからだ。

 このような中国社会で起きることは、「人命軽視・無視」の思想が人々に定着してしまうことだ。
 中国では人の命が、あまりにも軽い。

 中国人の命は安い 2020年02月18日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1034.html

 https://www.newsweekjapan.jp/satire/2017/12/post-6.php

 中国共産党が、法輪講信者を不法拘束し、その臓器を売買して金儲けする、とてつもなく恐ろしい「臓器ビジネス」を始めたのは、1999年、江沢民の指示によるといわれるが、この事実が、今世紀になって、さまざまなメディアによって中国国民に広く知られるようになったのだが、中国国内で、これを糾弾する勢力が一向に現れない。
 もちろん、共産党に刃向かえば皆殺しになる恐怖から身動きできない事情があるとしても、もっと臓器ビジネス糾弾の声が世界中に漏れてきてもよさそうだ。

 これは、中国の人々が、人命軽視・無視の思想に慣らされているからと、いうこともできる。中国では人の命は吹けば飛ぶほどに安いのだ。
 大紀元に、以下のニュースが掲載された。

 24時間鳴り止まぬ騒音...中国買収の鉱山、セルビア住民の暮らしを破壊 2021年9月11日
 https://www.epochtimes.jp/p/2021/09/78768.html

 セルビア東部の都市ボルの郊外に位置するクリベリ村には、銅鉱石を採掘・加工する巨大な鉱山が広がる。ここでは、中国企業が株式の過半数を所有する鉱山で大規模な採掘事業が進められている。村の住民は、産業汚染により農業が破壊され、24時間止むことのない騒音とほこりに苦しめられている。

 ことの発端は2018年。セルビア政府による公募で、中国最大級の金鉱山会社・紫金鉱業集団が鉱山開発の契約を決めた。政府発表によると、銅鉱山・精錬所を管理するRTBボルの株式63%を12億6000万ドルで取得した。残りの株式37%は現地政府が保有する。後に同社は、セルビア紫金波尔銅業と社名を変更した。

 それ以降、採掘場は3交代制で24時間稼働し続けてきたという。近隣住民は騒音に悩まされ、降り注ぐ粉塵は農作物をだめにした。米ラジオ・フリー・ヨーロッパの取材に応じた住民は、真夜中でも騒音は鳴り響き、生活のすべてに支障をきたしていると語る。

 住民のパウン・ボグダノビッチ氏は、政府と紫金鉱業に被害を訴えてきたが、毎回「何とかする」と軽くあしらわれてきた、と怒りを露わにした。また、自宅への唯一の道が紫金鉱業社により管理されていると話す。

 2020年、ボル市当局は深刻な大気汚染をめぐり、紫金鉱業を告訴した。セルビア環境保護庁(SEPA)が公表したデータによると、紫金鉱業の二酸化硫黄(SO2)の排出量は、連日にわたり1立方メートルあたり350マイクログラムの規制値を超え、その7倍近くに上る日もあったという。告訴内容によれば、2019年の大気汚染は住民の健康を危険にさらすレベルだった。

 紫金鉱業は告訴を受け、作業を一時停止した。同社は二酸化硫黄の過剰排出の理由として、古い集塵・排ガス装置と脱硫装置の深刻な損傷であることが確認されたと発表した。

 セルビアのエネルギー大臣ゾラナ・ミハイロビッチ氏は、紫金鉱業社による環境汚染を受け、1000世帯あまりの住民の立ち退きを計画していると公表した。しかし、時期は明確にされていない。

 セルビア政府は7月、紫金鉱業が今後6年間で当初の計画を上回る19億ドルの投資を計画していると発表した。今後も、同社と戦略的パートナーとして関係を維持していくとの見解を示した。

 住民のズラタ・ツベトコビッチ氏は、どんな補償があるのかも明確にされていないと訴えた。「先祖代々受け継いできた土地に値段をつけることはできない。二度とこの土地に戻って来られないだろう」と胸の内を明かした。
 
 欧州議会議員は1月、欧州委員会のオリバー・バルヘリイ欧州近隣・拡大交渉担当委員に宛てた書簡の中で、セルビアにおける中国の投資事業は、「無謀なプロジェクトであり、透明性に欠けている」と指摘した。広範囲にわたる環境や周辺住民に壊滅的な影響を与えている可能性があるとし、EU機関とセルビア政府に対策を講じるよう求めた。
**************************************************************
 引用以上

 中国企業が、外国に行くと、必ず上に描かれたような人権無視・人命軽視の問題を起こす。それを現地行政に巨額の賄賂を送ることで、もみ消すというパターンだ。
 中国には「人権」という概念が存在しないに等しいので、住民の健康を守ろうという進出企業側の意識は存在しない。
 ただただ、中国共産党の裏の綱領である「拝金主義」を実行するだけなのだ。

 中国は、世界中で同じような人権無視の無茶苦茶ビジネスを展開しているが、実は日本でも例外ではない。
 あなたは、日本国土が中国共産党関係者によって、どれほど買収されているか知っているか?
 自民党の二階俊博という中国共産党の代理人が、中国に不利な情報を公開しないよう圧力をかけているので、きちんとした情報が伝わってこないのだが、例えば北海道を見てみよう。

 https://honichi.com/news/2019/09/25/chinahokkaido/
 北海道の3000ヘクタール、静岡県に匹敵する面積が、すでに中国人の所有物となっている。例えばニセコに行ってみると、右を向いても左を向いても中国人の超大金持ちばかりで、背後を向けばオーストラリア人だといわれる。
 日本全土で、どれほど買収されているかといえば、たぶん数県分はいってるだろう。

 もちろん、表だって中国共産党が直接買収するわけではなく、シンガポールなどのペーパーカンパニーの名前で買いあさっている。このあたりは、実に要領がいい。
 中国人は、外見上日本人と区別がつきにくいので、現地を視察しても一見では分からないところがミソだ。

 彼らの思想は、日本と同じ人権重視か? といえば、もちろん違う。彼らは中国の伝統的な人権無視・人名軽視の文化を携えて日本にやってきている。それどころか、メンツとウソで固めた中国文化は、法令コンプライアンスを嘲笑するように、中国人が持っている運転免許の大半が偽造だといわれている。

 もちろん、こうした中国人の買収を規制しようとした動きもあったが、自民党には中国共産党代理人として君臨する、二階俊博や秋元司、竹中平蔵らがいて、河野太郎の父親、洋平でさえ、中国共産党と深い関係があると噂されていて、彼らが、中国共産党の日本国土買収阻止の規制を潰し、支援しているのだ。
 https://news.goo.ne.jp/article/mag2/world/mag2-502103.html

 そこで、もしも中国人土地所有者が、日本国内で起業した場合、上に紹介したセルビアのような事例が、日本中の至るところに蔓延すると予想するのは当然だ。
 何よりも、20年前から、中国は、日本の国土の水源地に狙いを定めて買収を進めてきた。
 https://toyokeizai.net/articles/-/429632

 日本の民法や自治体法が、外国からの侵略的買収に無知であり無力であることから、なんと土地の地下水源まで、規制する法律がない。
 したがって、ある日突然、中国人所有者が日本人の水資源を止めることさえ可能なのだ。
 中国共産党がヒマラヤ水資源を自国に分捕ることで、インドの水資源を枯渇させている戦争行為と同じ事が日本でも起きるのだが、それに対する備えや立法措置は皆無である。

 ウイグルやチベットで起きている人権破壊を放置すれば、同じことが必ず日本でも起きるのだ。
 我々は、中国人が、日本人と同じ道徳的価値観を得るまで、中国共産党による秘密裏の土地買収、水資源独占を許してはならない。

 このような言論は、日本人の未来を守るために絶対に必要だが、ブログランキングを見ていると、実に悲惨な、脳天気ブログであふれかえっている。これでは、これから日本で何が起きるのか、読者は想像されたい。
 私のブログは、グーグルから検索排除されていて、どんなにアクセスが多くても、検索下位に沈んでしまい、人々の目に触れないように仕組まれている。
 これも、自民党が私のような政権批判を、人々の目に触れさせないように操作していることを知って欲しい。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1615.html

9. 2022年2月19日 09:05:50 : DR0kCQxDRS : dmtpWTNDbS5oSVU=[3] 報告
雑記帳
2022年02月19日
会田大輔『南北朝時代 五胡十六国から隋の統一まで 』
https://sicambre.at.webry.info/202202/article_19.html

https://www.amazon.co.jp/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%99%82%E4%BB%A3%E2%80%95%E4%BA%94%E8%83%A1%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89%E9%9A%8B%E3%81%AE%E7%B5%B1%E4%B8%80%E3%81%BE%E3%81%A7-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-2667-%E4%BC%9A%E7%94%B0-%E5%A4%A7%E8%BC%94/dp/4121026675


 中公新書の一冊として、中央公論新社より2021年10月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、現代日本社会では前後の時代と比較して人気が低そうな南北朝時代を、気候変動などに伴うユーラシア全域の大きな移行期の一部として把握し、柔然やエタフルや突厥といったユーラシア内陸部勢力と北朝および南朝との関係も取り上げます。本書はまず、南北朝時代の前提として西晋の崩壊(永嘉の乱)を取り上げます。これにより、黄河流域を遊牧民、長江流域を漢人(本書は漢人という枠組みを前提として漢代から南北朝時代を把握しますが、これが妥当なのか、私には疑問が残ります)が支配する、南北分断の状況が生じます。この激動の前提として指摘されているのが、後漢の頃にはすでに現在の山西省や河北省のあたりで匈奴と漢人の混在があったことです。西晋を滅ぼしたのは劉淵が建国した漢ですが、この漢とその後の五胡諸政権(五胡十六国という用語は実態に反する、と本書は指摘します)に共通する重要な特徴として、漢人と遊牧民を分治する二元統治体制があります。五胡諸政権のうち本書が重視するのは、後に北魏につながる代です。代を建国した拓跋氏は、鮮卑の一部族です。五胡諸政権では、君主には器量が強く要求されたため、後継者争いで不安定化することが多く、代も例外ではありませんでした。代は376年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に前秦に滅ぼされます。

 383年の淝水の戦いでの大敗により前秦は急速に衰退し、華北は再び分裂状態に陥ります。この混乱の中で、386年に代は復興し、同年には拓跋珪が魏王と改称します(北魏)。北魏は後燕を破って華北の有力国となり、398年に国号を正式に魏と決定し、拓跋珪は皇帝に即位します(道武帝)。道武帝は409年に息子の拓跋紹に殺害され、その紹を兄の拓跋嗣が殺して即位します(明元帝)。422年に陣中で没した明元帝の後継者となった太武帝は積極的に親征して442年に華北を統一し(北朝)、その権威が高まるとともに、北族の重臣の発言力は低下します。太武帝の時代には仏教が弾圧され、それを太武帝に強く勧めたのは、漢人官僚の代表とも言うべき崔浩でした。しかし、崔浩は450年に突如誅殺されます。崔浩誅殺事件については、『国書』編纂において拓跋氏の先祖や遊牧的風習をそのまま書いたためと言われてきましたが、国家の得失や同時代への部分的批判を石碑で公開したことが、太武帝の権威を損なうものとして誅殺されたのではないか、との解釈が提示されています。太武帝も後継者をめぐる暗闘の中で殺害され、その後継者の文成帝も465年に二十代で没し、献文帝が即位します。471年、まだ18歳の献文帝は突如として皇太子に譲位し(孝文帝)、太上皇帝として国政を執ることとなりました。これが日本の律令制の太上天皇の起源となります。北魏は、次第に漢人官僚を登用していき、中国的制度の導入を進め、遊牧文化と中国文化の接触により、独自の政策が生み出されていきました。

 献文帝は476年に没しますが、馮太后による毒殺とも言われています。孝文帝はこの時数え年でまだ10歳だったので、馮太后が実権を掌握して改革を進めます。この改革により北魏の華北支配は、漢人豪族を通じての表層的なものからより直接的なものへと強化されます。この一連の改革で実施された均田制は、後に日本の律令制にも取り入れられます。490年に馮太后が没すると、じょじょに政務に関わっていった孝文帝が全面的に実権を掌握します。孝文帝の新政期には、礼制や言語や官制や遷都など広範にいわゆる中国化政策が進められます。こうした中国化政策の目的は「天下統一」で、「伝統」を継承すると自認している南朝貴族の統治を見据えたものでもあった、と本書は指摘します。しかし、孝文帝の改革の結果、北族の結束は崩れて階層分化が起きます。

 499年に没した孝文帝の後継者となった宣武帝は、孝文帝の諸改革を継承します。これにより、階層分化がさらに進んで北族の間で不満が高まり、523年に六鎮の乱が勃発します。洛陽遷都により重要性の低下した六鎮では、とくに不満が高まっていました。六鎮の乱とともに北魏各地で反乱が起き、華北は戦乱状態に陥ります。この混乱の最中でも北魏朝廷は権力闘争が続き、爾朱栄が実権を掌握し、華北の再統一におおむね成功します。爾朱栄はいわゆる中国化路線に否定的で、北魏前期体制の復活を志向しましたが、もはや全面的な復古は無理な状況でした。爾朱栄はその権勢を孝荘帝に警戒されて殺害され、諸勢力が決起して華北は再び混乱状態に陥ります。この混乱を経て北魏は、高歓が実権を掌握する東魏と、宇文泰が実権を掌握する西魏に分裂します。軍事的にも経済的にも文化的にも、東魏が西魏を圧倒していました。中下層の北族が中核を占める西魏では、復古的政策が進められます。

 一方の南朝は、西晋瓦解後に西晋王族が江南で建てた東晋に由来します。東晋では漢人貴族が高位を占める貴族制が成立し、東晋からの禅譲という形で420年に皇帝に即位し、宋を建国します。宋では皇帝が東晋以来の貴族に対して権力強化を図りつつ、儀礼などで新たな「伝統」が創出されていき、魏晋以来の華北文化の継承という自認もあったのか、南朝には漢代以来の「伝統」が伝えられている、と後世には解釈されるようになります。南朝にとって北朝(5世紀では北魏)との抗争は決定的に重要で、北朝の周辺諸国との外交により、北朝を牽制していました。また、軍事衝突のない期間には、南朝と北朝は交渉において、立ち居振る舞いや学術討論などにより、相互に文化面での優位性を示そうとしました。宋は後継者争いで疲弊し、479年に禅譲の形で斉が建国されます。本書は、儒学では北朝がやや優れ、仏教はほぼ同水準、玄学・文学では南朝が優越していた、と評価します。その斉は、暗君の出現により同族に滅ぼされ、502年に梁が建国されます。宋と斉の粛清は同時期の北魏より激しく、皇帝・恩倖寒人と皇族・貴族の対立構造で理解されてきましたが、近年では、皇帝の下で貴族と恩倖寒人がともに政治を動かしていたものの、皇帝が皇族中の第一人者にすぎなかったため、帝位継承が不安定化し、官僚同士の党争が絡み合って政情不安に陥った、と指摘されています。また、南朝の貴族制については、家格により厳密に固定されていた、との印象よりずっと流動的だったようです。

 5世紀後半には南朝よりも北朝の方が相対的に安定していましたが、6世紀前半には南朝の方が相対的に安定するようになります。梁は、事実上建国者である武帝一代で滅亡しましたが、その治世は半世紀近くに及び、その治世の大半は安定していました。武帝は一流貴族を尊重しつつ、寒門出身の知識人を積極的に登用し、貴族層にも学問・教養を求め、梁では学問に励む風潮が生まれ、武帝自身が一流の知識人でした。こうした風潮の中、『文選』など文化面で大きな成果があがりました。武帝は仏教に傾倒し、外交でも仏教が大きな役割を果たしました。ただ、武帝は仏教に傾倒して寛大な自画像に拘るあまり、梁では次第に規律が弛緩して治安も悪化していきました。さらに、銅銭の不足から鉄銭に切り替えたことでインフレにより経済が混乱しました。このように不安定化していった梁を崩壊に追い込んだのが、548年に起きた侯景の乱でした。侯景は552年に殺害されますが、この一連の大乱で梁は分裂して縮小し、陳覇先が557年に陳を建国しましたが、梁の中核地域を抑えたものの、領土は梁よりもはるかに小さくなりました。侯景の乱に始まる一連の争乱により、南朝の貴族は没落していきます。

 南北朝時代も終盤に入り、南朝では侯景の乱を経て陳が、北朝では北魏が東西に分裂し、禅譲の形で、東魏は550年に北斉に、西魏は557年に北周に交代します。北斉ではいわゆる中国化政策が進められ、東魏と西魏の力関係を継承して、国力では北周に優越していました。しかし、北斉でも後継者争いによる権力闘争は激しく、軍事力の低下と判断の誤りにより577年に事実上北周に滅ぼされました(最終的な滅亡は581年)。北斉は短期間で滅亡しましたが、その制度は後の隋と唐に継承されました。北周では皇帝権の強化が図られ、優勢な北斉を滅ぼしますが、相次ぐ皇帝の夭逝により、581年には隋に取って代わられます。陳は北斉と北周の対立に乗じて領土を拡大しましたが、北周が予想外に早く北斉を滅ぼして華北を統一し、北斉から交代した隋に攻め込まれた陳は589年に滅亡します。こうして、中華は短い西晋期を除いて約400年ぶりに統一されました。

https://sicambre.at.webry.info/202202/article_19.html

10. 2022年3月26日 16:37:45 : yCCTUAAjGk : RWlLbFNmbGpJaEk=[4] 報告

2022年03月26日
柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』
https://sicambre.at.webry.info/202203/article_26.html

https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE24%E6%99%82%E9%96%93-%E7%A7%A6%E6%BC%A2%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E8%A1%A3%E9%A3%9F%E4%BD%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E6%80%A7%E6%84%9B%E3%81%BE%E3%81%A7-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-2669-%E6%9F%BF%E6%B2%BC-%E9%99%BD%E5%B9%B3/dp/4121026691

 中公新書の一冊として、中央公論新社より2021年11月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はおもに秦と漢の日常史を詳しく解説しますが、門外漢には、古代の漢文史料にも当時の庶民の具体的な日常生活を復元できる記述が少なからずあることは意外でした。本書は考古学の成果も踏まえて、当時の日常生活を詳しく復元しており、もちろん現代と当時では日常生活に大きな違いがありますが、一方で同じく農耕開始以降の人間生活だけに共通点も多く、身近に思えるところが少なくありません。また、本書は一般向けであることを強く意識してか全体的に平易な叙述にしており、その点でも当時の生活を身近に感じられるようになっています。

 本書で意外だったのが高齢者の割合で、本書の記述に従うと、前漢の山東半島近くの東海郡では、90歳以上の割合が0.765%になります。2017年時点で、世界で最も高齢化が進展しているとされる日本において、全人口に占める90歳以上の割合が1.6%、アメリカ合衆国では0.8%ですから、本書の記述に従うと、前漢の東海郡は前近代としては異例の高齢化社会のようにも思います。もちろん、前近代社会の平均寿命の短さは子供の死亡率の高さに起因しますし、15歳まで生き延びれば、社会が安定していた場合には60歳以上まで生きる可能性は低くなかったでしょうが、それにしても意外なほどの高齢者の割合の高さです。なお、ある研究によると、江戸時代の仙台藩では全人口に占める90歳以上の割合が0.029%です。また、当時の人口調査の信頼性の問題もあります。この件に関する疑問は私の無知に起因するかもしれないので、今後どこかで参考文献を読んだ時に改めて調べてみたい問題です。

 当時の食糧に関しては、コムギがどれほど食べられたかは疑問とされています。コムギの粉食は唐代以降に盛んになったと言われているそうですが、漢代にもコムギの粉食はあった、との見解もあるそうです。本書は、漢代にコムギがまったく食べられていなかったとは考えにくいものの、その普及度は過大視できず、コムギの粉食は漢代から唐代にかけて漸増したのだろう、と指摘します。食性分析から春秋戦国時代における性差の拡大を示した研究では、漢代においてコムギ・オオムギ・マメ類は貧困層の飢饉対策用の社会的地位の低い食糧で、漢代末には製粉技術の革新によりコムギは麺類に用いられる価値の高い食材と認識されるようになった、と指摘されています(関連記事)。

 なお、本書では「春秋時代までは山東半島にヨーロッパ系に連なる人びとの痕跡もあるが、秦漢時代にはそれもなくなり、現代中国人に連なる人びとが圧倒的になってゆく」とされていますが、この研究は古く、後に間違っていると指摘されており(関連記事)、最近のミトコンドリアDNA(mtDNA)に関する研究でも、春秋時代の山東半島に「ヨーロッパ系に連なる人びと」が存在した痕跡は示されていません(関連記事)。当時の人々の容貌については、色白が高く評価されていたようで、色白志向が単にヨーロッパを規範とする近代化に起因するものではなく、根深いものであることを示唆します。出展を忘れましたが、薄い肌の色を好むのは通文化的との研究があり、現生人類(Homo sapiens)では時代と地域を問わず広く見られる傾向かもしれません。

 当時の農業は地域差があったようで、華北では雨水に依拠する畑作(天水農業)が中心でした。華北では、夏に雨が降り、穀物とともに雑草も田畑で繁茂するだけではなく、土壌の乾燥化・砂漠化の起きやすい黄土での耕作が必要となることなどから、農作業は重労働だったようです。華南では水田稲作が盛んで、焼畑が行なわれた地域もありました。穀物以外の農民の収入源にはおもに麻と絹を対象とした織物業がありましたが、アワなどと麻や桑とは栽培の時期や場所が重なりやすく、一般農家における織物業の生産量は多くなかったようです。織物業以外には、漁業や狩猟も農業と兼業されていました。

 当時の性愛については、少なくとも上層階級では同性愛がそれほど差別されていたわけではなく、比較的多様だったようです。ただ、不特定多数との乱交や獣姦や近親相姦は倫理に反するとされ、イトコ同士の性交も罪となりました。これは、支配層で近親婚が盛んだった古代日本とは対照的です。現代日本社会ではイトコ同士の婚姻が認められており、これは近親婚を禁忌とする社会からは奇異に見えるのかもしれません。近親婚の禁忌は時代・地域・階層によりかなりの違いがあり、興味深い問題なので、今後も少しずつ調べていくつもりです。

https://sicambre.at.webry.info/202203/article_26.html

11. 中川隆[-9084] koaQ7Jey 2024年9月18日 11:10:16 : DBoMxojc5k : ZjFEWExLdHkzUTY=[14] 報告
<■456行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
雑記帳
2024年09月18日
中原の周代の人類のゲノムデータ
https://sicambre.seesaa.net/article/202409article_18.html

 中原の周代の人類のゲノムデータを報告した研究(Wu et al., 2024)が公表されました。本論文は、中華人民共和国河南省滎陽(Xingyang)市高村(Gaocun)郷の官荘(Guanzhuang)遺跡で発見された周代の人類11個体のゲノムデータを報告しています。この11個体は黄河流域新石器時代人類集団との顕著な遺伝的連続性を示していますが、前期新石器時代華南人類集団的な遺伝的構成要素もより低い割合ながら見られ、完新世における華北と華南との双方向の遺伝子流動(Ning et al., 2020)が改めて示唆されます。また、官荘遺跡個体群における、ごくわずかなユーラシア草原地帯集団的な遺伝的構成要素も示されました。

 さらに、外れ値(outlier、略してo)個体では、完新世アムール川(Amur River、略してAR)流域人類集団的な遺伝的構成要素も示されました。周代の中原には、アムール川流域などアジア北東部(Ancient Northeast Asia、略してANA)の完新世人類集団的な遺伝的構成要素を有する個体も存在したのでしょうが、散発的だったのかもしれません。また、とくに魏晋南北朝時代以降の北方からの人口流入について言えるのでしょうが、中原の方がユーラシア東部北方の遊牧民的な集団よりも人口が圧倒的に多かったため、集団遺伝学的観点では、ユーラシア東部北方の遊牧民的な集団は中原の人類集団に大きな遺伝的影響を残さなかった、と考えられ、中原における後期新石器時代から現代までの遺伝的連続性が指摘されています(He et al., 2021)。周代の中原で一般的にどの程度、ANA完新世人類集団的な遺伝的構成要素が浸透していたのか、分かりませんが、人口比の大きな違いのため、現在ではその痕跡が顕著に希釈されたのでしょう。それは、官荘遺跡個体群におけるわずかなユーラシア草原地帯集団的な遺伝的構成要素にも当てはまるのかもしれません。ただ、この官荘遺跡の外れ値個体のゲノムデータは低品質なので、本論文の分析結果が将来修正される可能性もありそうです。

 本論文では、官荘遺跡で発見された周代の1個体における近親交配の痕跡も確認されており、後代の同姓不婚の厳しい原則に見られるような、近親婚への強い忌避はまだなかったのかもしれませんが、近親婚への忌避は、同じ周代でも地域や年代や階層による違いが大きかった可能性も考えられ、過度な一般化は避けるべきでしょう。なお、当ブログでは原則として「文明」という用語を使わないことにしていますが、この記事では、以下の本論文の翻訳において「civilization」の訳語として「文明」を使います。また、本論文では夏王朝の存在が大前提とされているようですが、私は夏王朝の「実在」にはかなり懐疑的ですし(落合.,2023)、新石器時代から周代の頃までの歴史を「民族」の概念で語ることにも慎重であるべきではないか、と考えています。

 この記事での時代区分の略称は以下の通りです。新石器時代(Neolithic、略してN)、前期新石器時代(Early Neolithic、略してEN)、中期新石器時代(Middle Neolithic、略してMN)、後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)、鉄器時代(Iron Age、略してIA)、青銅器時代(Bronze Age、略してBA)、後期青銅器時代(Late Bronze Age、略してLBA)、鉄器時代(Iron Age、略してIA)、後期青銅器時代〜鉄器時代(Late Bronze Age to Iron Age、略してLBIA)。


●要約

 周王朝期(紀元前1046〜紀元前256年)の中国の中原で、頻繁な戦争や多文化および多民族統合の減少を伴いながら、社会的階層がじょじょに強固になっていきました。これらの社会的現象はまとめて、当時の人口集団の遺伝的構造に影響を及ぼしました。しかし、この期間の遺伝的歴史の理解は、古代DNA研究が限られているため、ほとんど不明なままです。この研究では、中国の中原に位置する周王朝期の官荘遺跡の古代人11個体のゲノムの取得に成功しました。その調査結果は、黄河流域新石器時代人口集団との顕著な遺伝的連続性を明らかにし、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)の分析による遺伝的多様性を強調しました。人口構造分析はさらに、官荘遺跡人口集団と黄河流域の古代の人口集団との間の遺伝的類似性を確証し、近隣地域の古代の人口集団との遺伝的交換を示唆しました。興味深いことに、官荘遺跡共同体内の近親交配の痕跡は、同じ姓もしくは氏族内の近親婚に対する同時代の結婚規則の厳重な強制に疑問を呈します。これらの遺骸那新事実は、古代の人口動態および社会的組織の複雑な相互作用への洞察を著しく深め、同時に中国文明の多民族の複雑な進化を見るための、遺伝学的観点を提示します。


●研究史

 中原は一般的に、黄河流域の中流域と下流域を指します。中原は古代中国における農耕栽培の拠点、および古代中国分類の発祥地として機能しました。この地域では、彩陶を伴う仰韶(Yangshao)文化および黒陶を伴う龍山(Longshan)文化や、その後の夏や殷(商)や周の文明を含めて、重要な古代文化が繁栄しました。中原地域では古代社会の発展と繁栄があっただけではなく、多民族および多文化の交流および相互作用にとっても重要な地域となりました。古代DNA技術の急速な発展に伴って、研究者は古代DNAから得られた情報と考古学的発見を組み合わせることによって、中原における人口集団の遺伝的構造や移住パターンや文化的相互作用を調べてきました。たとえば、中期および後期新石器時代の中原における人口集団間のある程度の遺伝的連続性が確証されてきました(Ning et al., 2020)。一方で、中国南部およびアジア南東部(Southeast Asia、略してSEA)からの遺伝的構成要素が中期新石器時代後に増加しました(Ning et al., 2020、Gao, and Cui., 2023)。ミトコンドリアDNA(mtDNA)の証拠と考古学的研究も、中原の新石器時代人口集団と近隣人口集団との間の相互作用を浮き彫りにしてきました。しかし、中国の中原におけるさまざまな地域と時代の人口集団間の遺伝的差異、とくに青銅器時代における古代人口集団の遺伝的構造や、近隣人口集団との相互作用は、不明なままです。

 周王朝期には、社会構造の大きな変化や社会階級分化の激化や王朝中心地の移行や広範な人口移動や近隣人口集団との相互作用増加がありました。これらの変化は、古代中国文明の発展にとって強固な基盤を築きました。さらに周王朝は、近親婚の有害な影響を軽減するため、同じ姓もしくは氏族の個体間の結婚を禁止した結婚制度など、厳格な儀式制度も制定しました。先行研究では、近親交配現象が中原において4000年以上前にすでに出現していた、と明らかにされてきました(Ning et al., 2021)。しかし、この近親交配現象が周王朝期における結婚への厳格な制限のため減少したのか、あるいは消滅したのかは、不明なままです。これに基づくと、周王朝期の中原における人口集団の遺伝的構造の調査は、青銅器時代における人口集団の変化と社会的構造包括的理解にとって重要です。

 この研究では、中国の中原の周王朝期における重要な考古学的遺跡である、官荘遺跡から古代人11個体のゲノムの取得に成功しました。包括的な古代DNA解析および以前に刊行された中原から得られた古代ゲノムデータの統合を通じて、周王朝の人口動態史と近親婚の発生に光を当てることが目的とされます。その調査は、中原における官荘遺跡人口集団と新石器時代人口集団との間の遺伝的連続性を強調する一方で、かなりの遺伝的多様性を論証します。最後に本論文は、官荘遺跡人口集団における近親交配の遺伝的証拠を提供し、周王朝の社会的構造と結婚慣行とその潜在的結果の理解に新たな観点を提示します。


●資料と手法

 官荘遺跡(北緯34度51分03秒、東経113度22分32秒)は、中華人民共和国河南省滎陽市高村郷の官荘村に位置します(図1)。2010〜2014年にかけて、鄭州大学歴史学院は大規模な発掘調査を実施し、官荘遺跡が大小の都市を伴う「凸型」配置によって特徴づけられることを明らかにしました。注目すべきことに、官荘遺跡は放射性炭素(¹⁴C)年代測定に基づいて、世界最古級の貨幣鋳造工房跡と確証されており、その年代は紀元前640〜紀元前550年頃にさかのぼります。2018年のさらなる発掘では、墓や土器窯や灰溝を含めて豊富な遺物が発見され、周王朝期における官荘遺跡の重要性が確認されました。古代DNA解析のため、11個体の歯と錐体骨が収集されました。以下は本論文の図1です。
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 この11個体(表1)から抽出されたDNAは、汚染率や古代DNAに特徴的な損傷などによって信頼性が検証され、124万ヶ所の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)一式(Mathieson et al., 2015)からの無作為標本抽出戦略によって、遺伝子型データが生成されました。このデータは、アフィメトリクス(Affymetrix)社のヒト起源(Human Origins、略してHO)パネル(597573ヶ所のSNP)と124万パネル(1233013ヶ所のSNP)から得られた、世界中の現代人と古代人の遺伝子型データセットと統合されました。この2点のデータセットは、AADR(The Allen Ancient DNA Resource、アレン古代DNA情報源)第50.02版(Mallick et al., 2024)から得られました。以下は本論文の表1です。
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 官荘遺跡個体群の遺伝的性別は、X染色体とY染色体の網羅率の比較によって判断されました。つまり、男性ならばY染色体の網羅率はX染色体とほぼ同等で、常染色体の約半分となり、女性ならば、Y染色体の網羅率ほぽゼロで、X染色体の網羅率は常染色体とほぼ同等です(Fu et al., 2016)。官荘遺跡個体群のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)も決定されました。官荘遺跡個体群の親族関係も分析されましたが、1個体(GZM25-1)は網羅率がたいへん低く、mtDNAの汚染率が5%超だったので、除外されました。READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)とKINと不適正塩基対率(pairwise mismatch rate、略してPMR)の異なる3手法の適用によって、官荘遺跡の10個体の遺伝的近縁性が評価されました。近親交配水準を評価するため、hapROHを用いて同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の分布分析が行なわれました。

 HOデータセットで主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行され、現在の人口集団の一式2組、つまりユーラシア人口集団とアジア東部人口集団で、主成分(PC)が計算されました。現在の人口集団で計算された最初の2主成分に、古代人標本が投影されました。1%未満の頻度のアレル(対立遺伝子)と強い連鎖不平衡のあるSNPの除去後に、ADMIXTUREで教師なし混合分析が実行されました。ADMIXTUREのK(系統構成要素数)は、2〜20まで実行されました。最小交差検証誤差に基づいて、最適な実行が特定されました。

 外群f3統計とf4統計の計算によって、官荘遺跡人口集団と他の古代および現代の人口集団との間の共有されている遺伝的浮動が調べられました。外群f3統計はf3形式(ムブティ人;X、官荘遺跡個体)で実行され、ムブティ人は外群人口集団、Xはユーラシア人口集団です。f4統計はf4形式(ムブティ人、A;官荘遺跡個体、B)で実行されました。AとB/官荘遺跡個体との間の追加の遺伝子流動が調べられました。ここでは、Aが古代および現代のユーラシア人口集団、Bがアジア東部のさまざまな地域の古代の人口集団です。黄河流域の古代の人口集団が官荘遺跡人口集団とより多くの祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を共有しているのかどうか、検証するため、f4形式(ムブティ人、A;官荘遺跡個体、B)のf4統計も評価されました。標準誤差は5cM(センチモルガン)のジャックナイフによって計算されました。

 PCAやf統計や以前に刊行された研究の結果に基づいて、混合モデル化のため供給源人口集団が選択されました。具体的に12の人口集団が基底外群として使用され、それは、アフリカ中央部熱帯雨林狩猟採集民であるムブティ人、アンダマン諸島のオンゲ人、アメリカ大陸先住民であるミヘー人(Mixe)、レヴァントのナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)の新石器時代農耕民(イスラエル_ナトゥーフィアン)【ナトゥーフィアンは一般的には続旧石器時代とされます】、イランのガンジュ・ダレー(Ganj Dareh)遺跡の新石器時代農耕民(イラン_ガンジュダレー_N)、続旧石器時代ヨーロッパの狩猟採集民(Hunter-Gatherer、略してHG)であるイタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体(北イタリア_ヴィッラブルーナ_HG)、アナトリア半島の新石器時代農耕民(トルコ_N)、シベリア南部西方のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊で発見された続旧石器時代狩猟採集民(ロシア_ウスチイシム_HG)、ニューギニア先住民(パプア人)、ロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見されたヨーロッパ最古級の現生人類(Homo sapiens)個体(ロシア_コステンキ14)、アジア南東部関連祖先系統を有する台湾の漢本(Hanben)遺跡で発見された鉄器時代個体(台湾_漢本_IA)、山東半島の前期新石器時代人口集団(山東_ EN)です。競合する混合モデルを比較するため、循環戦略が採用され、基底部外群一式に供給源人口集団が一つずつ追加され、qpAdmが繰り返し実行されました。


●官荘遺跡の古代人のゲノムデータ

 官荘遺跡の11個体の歯と錐体骨からDNAが抽出されました。浅いショットガン配列決定を用いて、充分な内在性ヒトDNA(3.82〜79.76%)のある全個体がさらに配列決定され、0.017〜0.953倍の低い常染色体網羅率が得られました(表1)。古代ゲノムの信頼性はいくつかの手法で検査されました。第一に、全標本は、古代DNAに特徴的な、死後の化学的損傷パターンを示し、短い平均断片長を有していました。第二に、ミトコンドリア汚染が推定され、個体の大半は低水準(5%未満)でしたが、例外は個体GZM25-1です(6.4%の汚染)。第三に、男性については、X染色体上の核汚染が推定され、全男性は5%未満の汚染率でした。その後、集団遺伝学的分析を容易にするため、個体GZM25-1を除く10個体のゲノムが刊行されている2点の参照データセット、つまり124万SNPおよびHOデータセットと統合されました。10個体は124万SNPパネルと重複する18857〜417696ヶ所のSNPを網羅していました(表1)。


●片親性遺伝的分析

 全個体でmtHgの分類に成功しました。大きな分類では合計10系統のmtHgが検出され、D(D5a2a1 + 16,172、D5b1c)やZ(Z4a1a、Z3)やG(G1c1、G3a2 + 152)やB4d2やM7b1a1やM20*やM11cが含まれており、これらはアジア東部において一般的に見られます。これらのmtHgのうち、DとGとB4とZは中国北部の古代の人口集団でも確認されたのに対して、M7b1a1は中国南部の古代広西チワン族自治区人口集団で見つかりました(Wang et al., 2021)。これらの調査結果から、官荘遺跡個体群は高水準の母系の遺伝的多様性を示す、と示唆されます。注目すべきことに、mtHg-D5a2a1・G1c1・B4d2は中原地域の仰韶分化および龍山文化の人口集団で発見されており(Ning et al., 2020)、官荘遺跡人口集団は中原地域において新石器時代以降の人口集団と母系での遺伝的関係を共有しているかもしれない、と示唆されます。

 男性6個体のYHgの特定に成功し、その全系統はユーラシア東部型(Q1a1a、O2a2b、C2b1b、N1a)で、高い父系の遺伝的多様性を示します。YHg-Cはおもにアジア北東部で見つかっており、ツングース語族話者民族集団において優勢な父系です。YHg-Nはアジア東部の北部の現代の人口集団において一般的でした。一方で、YHg-Q・Oは現代の漢人集団のかなりの割合を構成しています。これらの調査結果から、官荘遺跡人口集団には複数の父系および母系起源がある、と示唆されます。

●親族関係推定と両親の近縁性

 結果の精確性を保証するため、PMRとREADとKINという3通りの異なる手法を用いて、官荘遺跡の10個体の遺伝的近縁性が推定されました。その推定を通じて、官荘遺跡の10個体は遺伝的に親族関係にはなかった、と確証されました。さらに、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の評価が実行され、官荘遺跡個体群における近い過去での近親交配があったのかどうか、判断されました。結果の堅牢性を確保するため、ここではROH分析が、「124万」パネルと重複する10万ヶ所以上のSNPを含む標本のみに限定されました。本論文の評価から、2個体(GZW29とGZM76)が4cM超のROH断片を有している、と明らかになりました(図2)。以下は本論文の図2です。
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 より具体的には、個体GZM76には全体的にごく少数のROHしかなく、20cM超の全ROH断片の合計はゼロでしたが、個体GZW29については、ROH断片(4cM超)の累積長が135cMで、長いROH断片(20cM超)の合計は86cMです。ROHの合計および長さの分布から、個体GZW29はマタイトコ同士の両親の子供だった、と示唆されます。先行研究では、近親婚の現象は、稀ではあるものの中原地域では後期新石器時代に発生した、と明らかにされてきました(Ning et al., 2021)。それにも関わらず、官荘遺跡における近親婚の継続的発生から、「周王朝期における姓もしくは氏族内の結婚禁止」の婚姻慣行が官荘遺跡では厳格に守られていなかった、と示唆されます。


●官荘遺跡人口集団の遺伝的構造

 官荘遺跡個体群の遺伝的特性を特徴づけるため、まずPCAが実行されました。これには、本論文で新たに配列決定された古代人のゲノムおよび中国の中原から得られた以前に刊行された古代人のゲノムの、現代ユーラシア人口集団を含む背景の枠組みに投影されました。その結果、官荘遺跡個体群は黄河流域中流域から下流域の古代の人口集団および現代の中国北部の漢人と密接にクラスタ化する(まとまる)、と分かりました(図3)。注目すべきことに、1個体(GZM10)はこの黄河関連クラスタと比較すると、PC1上では西方集団に向かってのわずかな逸脱を示しました。以下は本論文の図3です。
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 この分析をさらに改善するため、アジア東部人のゲノムに焦点を当てた追加のPCAが実行されました。これで明らかになったのは、官荘遺跡個体群は中国の中原の青銅器時代から鉄器時代の古代の人口集団(黄河_LBIA)や現代の北方漢人集団との強い遺伝的類似性を示します、ということです。対照的に、個体GZM10はこのクラスタから逸れているので、この個体は官荘_oと命名されました。さらに、本論文のモデルに基づく教師なしADMIXTURE模擬実験分析は、ユーラシアの古代人と現代人の構造の包括的県会を提供します。この分析はPCAの結果と一致するパターンを明らかにし、官荘遺跡個体群と黄河流域の古代の個体群との間の顕著な遺伝的類似性を示唆します(K=10で最小交差検証誤差)。さらに、官荘_oはアジア北東部集団と関連するより多くの遺伝的構成要素を示しました。以下は本論文の図4です。
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 同様の結果は、外群f3分析(ムブティ人、検証対象;官荘遺跡個体)でも観察できます。f3統計のより大きな値から、官荘遺跡人口集団は外群であるアフリカのムブティ人との分離後に検証対象の人口集団とより多くの遺伝的浮動を共有していた、と示唆されました。官荘遺跡人口集団は黄河流域の古代の人口集団(黄河関連人口集団)や現代の漢人集団とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有している、と分かり(図5A)、黄河関連人口集団に含まれるのは、廟子溝(Miaozigou)遺跡の中期新石器時代個体群(廟子溝_MN)、石峁(Shimao)遺跡の後期新石器時代個体群(石峁_M)、黄河_MN、黄河_LN、焦作聶村(JiaoZuoNieCun、略してJXNT)遺跡および漯河市固廂戦(Luoheguxiang、略してLG)遺跡個体群(黄河_LBIA)です。以下は本論文の図5です。
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 f4形式(ムブティ人、黄河関連集団;官荘遺跡個体、ユーラシア東部古代人)のf4統計の実行によって、官荘遺跡人口集団と黄河流域の古代の人口集団との間の遺伝的関係がさらに評価されました。その結果は有意な負の値を明らかにし、これは官荘遺跡人口集団と黄河関連祖先系統との間の遺伝的類似性をさらに確証しました。要約すると、これらの調査結果から、中原地域の人口集団は長期にわたって遺伝的連続性を維持してきた、と示唆されます。


●中原のLBIA個体群における遺伝的多様性

 f4形式(ムブティ人、参照;官荘遺跡個体、X)のf4統計を用いて、官荘遺跡人口集団とX人口集団との間の遺伝的相違が評価されました。「参照」集団には古代と現在の287人口集団が含まれ、X人口集団は、北方および南方地域や中原を含むアジア東部のさまざまな古代の人口集団で構成されます。官荘遺跡人口集団と選択された人口集団との間で、特定の遺伝的差異が観察されました(図5B)。たとえば、Xが黄河流域の新石器時代人口集団だった場合、官荘遺跡人口集団と、アミ人(Ami)やアタヤ人(Ataya)やカンボジア人アジア南東部人口集団との間のある程度のアレル共有があり、黄河流域人口集団と現在の中国南部およびアジア南東部の人々との間の遺伝的類似性は新石器時代後に連続的に強化されてきた、と示唆され、これは先行研究(Ning et al., 2020)の調査結果と一致します。

 さらに、官荘遺跡人口集団は、中国の中原の青銅器時代〜鉄器時代の以前に刊行されたゲノム(それぞれ、JXNT遺跡個体群とLG遺跡個体群によって表されます)と比較すると、カザフスタンの鉄器時代遊牧民(カザフスタン_遊牧民_IA)やロシアのタガール(Tagar)文化個体群(ロシア_タガール)やキルギスタンの天山のフン人(キルギスタン_天山_フン)など、ユーラシア草原地帯人口集団との遺伝的類似性を示す、と分かりました。これは、Z得点が−3未満のf4(ムブティ人、参照;官荘遺跡個体、JXNT/LG)の実行によって確証されました。これらの調査結果は、官荘遺跡人口集団における複雑な人口移動を明らかにしました。

 次に、qpAdm手法を用いて、官荘遺跡人口集団と中国の中原の青銅器時代〜鉄器時代の以前に刊行されたゲノム(JXNT遺跡個体群とLG遺跡個体群)の祖先の割合が調べられました。その調査結果では、これら全人口集団が黄河関連人口集団の1方向モデルでモデル化できる、と明らかになりました。追加の供給源としてSEA関連人口集団を組み込むことで、2方向モデルがさらに調べられました。その結果、JXNT遺跡とLG遺跡と官荘遺跡の人口集団はSEA関連人口集団と黄河関連人口集団の混合として模擬実験できる、と示されました。具体的には、官荘遺跡人口集団は黄河関連集団の77.8〜91.7%の祖先系統と、残りのSEA関連集団の祖先系統でモデル化できます。さらに、3方向モデルでユーラシア草原地帯人口集団からの遺伝的影響が観察されました。官荘遺跡人口集団は、黄河関連人口集団(黄河_MNによって表されます)73〜78.1%、SEA関連人口集団(アミ人によって表されます)19.3〜23.6%、カザフスタンの康居(Kangju)集団(カザフスタン_康居)によって表されるユーラシア草原地帯集団2.6〜3.4%で構成される、とモデル化できます(図6)。全体的に、これら最適な混合モデルはf4分析の結果と一致し、官荘遺跡人口集団が多様な祖先の起源を有している可能性を示唆しています。以下は本論文の図6です。
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 最後に、官荘遺跡の外れ値個体の祖先系統の割合の推定が試みられました。その調査結果では、官荘遺跡の外れ値個体(GZM10)は1方向モデルを用いて黄河関連人口集団でモデル化できる、と明らかになりました。注目すべきことに、官荘遺跡外れ値個体におけるANA関連人口集団(アムール川流域祖先系統としても知られています)影響も観察され、第二の供給源として黄河関連人口集団を検討すると、ANA関連構成要素の43.6〜51.7%の割合の寄与があります。PCAとADMIXTUREの結果を組み合わせると、官荘遺跡の外れ値個体は中国の中原の他の人口集団と比較してANA関連人口集団からの遺伝的寄与を示した、と結論づけられました。官荘遺跡の外れ値個体の低網羅率のゲノムが、本論文の調査結果において偏りもしくは疑似的関連をもたらしたかもしれないことに要注意です。この制約を緩和し、本論文の結果を補強するには、より高品質の標本での将来の研究が必要です。要約すると、本論文のデータから、官荘遺跡人口集団は中原において周王朝期に、顕著な遺伝的多様性および近隣人口集団との頻繁な相互作用を示した、と示唆されました。


●考察

 紀元前1046〜紀元前256年にわたる中国史における重要な期間である周王朝は西周と東周に区分され、董襲は春秋時代と戦国時代に区別されます。周の封爵制度は、家族のつながりを政治的戦略と統合し、属国に対する周王の優越性を確立しました。この時代には、顕著な政治的差異遍と大規模な人口移動があり、古代中国の歴史と文化に大きな影響を及ぼしました。重要な考古学的遺跡である官荘遺跡は、西周後期から戦国時代半ばにまたがっています。その考古学的発見から、官荘遺跡は元々西周の東虢(Eastern Guo)の一部で、後に春秋時代において鄭(Zheng)国の一部になった、と示されてきました。これは、古代ゲノム研究での地域内の社会的不安定性と人口移動の解明に重要な研究機会を提供します。

 本論文の分析は、官荘遺跡人口集団と黄河流域の新石器時代人口集団との間の顕著な遺伝的連続性を示唆しました。さらに、mtDNAとY染色体DNAと常染色体ゲノムの統合結果は、官荘遺跡人口集団内の高い遺伝的多様性を明らかにし、それはアジア東部の南方地域からの遺伝的構成要素によって強化されます。これは、アジア東部の北方と南方の人口集団の混合が新石器時代後に強化されていった、との見解(Yang et al., 2020、Ning et al., 2020)をさらに裏づけます。これらの結果は、中国北方の黄河流域と中国南方の長江流域との間の明らかな文化的交流および統合を論証した、考古学的研究の調査結果とも一致します。新石器時代以降、中原の考古学的分化はしだいに長江流域に拡大し、一方で長江流域古代の人口集団は北方へと移動し、稲作や玉工芸など先進的な技術をもたらしました。この双方向の文化的相互作用および人口移動は、中原地域の文化的意味を大きく強化しました。

 さらに、qpAdm分析によって示唆されるように、官荘遺跡人口集団は、草原地帯関連構成要素と関係している祖先的構成要素2.6〜3.4%の、ユーラシア草原地帯人口集団とのわずかな遺伝的類似性を有しているかもしれない、と分かりました。これは、f4統計(ムブティ人、参照;官荘遺跡個体、JXNT)での有意な負のf4(つまり、Z得点が−2.5未満)によってさらに確証され、官荘遺跡人口集団は殷王朝期のJXNT遺跡人口集団とは対照的に、ユーラシア草原地帯人口集団との遺伝子流動を示す、と示唆されます。これらの調査結果は、周代の人々が中原農耕民文明と北方の草原地帯の文化にまたがる地域に、長期間居住していたことに起因するかもしれません。周文化の発展は、殷王朝の先進的な青銅器文明に大きく影響を受け、戎(Rong)や狄(Di)といった部族など、草原地帯人口集団との継続的な相互作用によっても特徴づけられました。この文化的統合現象は、本論文で発見された遺伝的多様性の証拠と組み合わされて、官荘遺跡の複雑な人口動態史を実証します。

 周王朝期には、社会階層や儀式および法律の体系や結婚制度が厳格に定義されていました。『左伝(Zuo Zhuan)』や『礼記(Li Ji)』など古典的文書は、近親交配によって起きる関連危険性を軽減するため、同じ姓もしくは氏族内の近親婚の禁止を強調しました。しかし、個体GZW29のゲノム解析は、マタイトコ同士の子供での観察(Ning et al., 2021)と類似する長いROHの存在を明らかにし、近親婚慣行の存在が示唆されます。さらに、河南省の春秋時代の「Lusixi」遺跡以前に刊行された標本におけるROH分析も、1個体での近親交配の証拠を検出しました。したがって、周王朝の結婚制度がこの地域では厳格には施行されていなかったかもしれない、と仮定されます。さらに、人類学的研究では、GZW29は学童期(6〜7歳から12〜13歳頃)だった、と判断されており、その死因は近親婚の潜在的危険性と関連しているかもしれない、と推測したくなります。この仮説を検証するには、将来の試みは、とくにヒトの健康への近親婚の複雑な影響を包括的に解明する詳細な配列決定データの使用による、疾患関連研究を含まねばなりません。

 結論として、本論文は中原の周王朝人口集団の人口動態および遺伝的動態への独特な片鱗を提供します。観察された遺伝的連続性と多様性と混合パターンは、近親交配の証拠とともに、古代中国を形成した、複雑な社会的および文化的過程への貴重な洞察を提供します。これらの調査結果は、古代の人口構造の理解を深めるだけではなく、初期中国文明における歴史的および文化的発展のより深い背景も提供します。より高い網羅率のゲノムデータとより広範な標本抽出を活用した将来の研究は、中原地域の遺伝的遺産を形成した、複雑な人口動態および歴史的過程を解明するでしょう。


参考文献:
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