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(回答先: アーリア人の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 02 日 07:20:02)
ウイグル人の起源
雑記帳 2021年04月04日
新疆ウイグル自治区の青銅器時代以降の住民のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_4.html
現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区(以下、新疆と省略)の古代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Wang et al., 2021)が公表されました。中華人民共和国北西部に位置する新疆は、何千年もの間、ユーラシア東西の移動の交差点として機能してきました。青銅器時代(BA)には早くも、新疆には古代ユーラシア草原地帯とシベリアとアジア中央部とアジア北東部の人口集団に影響を受けた、多様な文化が存在しました。多くの考古学的発見により示唆されているように、新疆へのこれらの文化的影響は、地域と期間により異なりました。新疆北部の遺跡では、アルタイ山脈の紀元前3300〜紀元前2500年頃となるアファナシェヴォ(Afanasievo)文化および紀元前2750〜紀元前1900年頃となるチェムルチェク(Chemurchek)文化とのつながりが明らかにされてきました。
新疆西部の青銅器時代墓地には、移動輸送および発達した冶金術と関連する物質が含まれており、草原地帯西部および天山地域の紀元前1700〜紀元前1500年頃となるアンドロノヴォ(Andronovo)文化に由来する可能性が高そうです。青銅器時代の新疆は、内陸アジア山地回廊(IAMC)を介してアジア中央部西方とのつながりがあり、コムギやオオムギのような農業で重要性の高い穀類がもたらされ、河西回廊を通じてアジア東部とのつながりがあり、ホウキモロコシがもたらされた可能性が高そうです。さらに、新疆東部の青銅器時代人口集団は、中華人民共和国北部の甘粛省および青海省(甘粛青海)地域のアジア東部人と文化的つながりを共有しています。新疆の青銅器時代の小河(Xiaohe)遺跡と天山北路(Tianshanbeilu)遺跡に関する過去の研究は、Y染色体の一塩基多型とミトコンドリアDNA(mtDNA)の超可変領域の限定的な数を用いており、新疆の過去の遺伝的歴史を解明できません。
中期〜後期青銅器時代(MLBA)を経て紀元前800〜紀元前200年頃の鉄器時代(IA)には、ユーラシア草原地帯の遊牧民集団が新疆のさまざまな地域に影響を及ぼしました。そうした集団の一つがスキタイで、タガール(Tagar)文化やパジリク(Pazyryk)文化やサカ(Saka)文化のようないくつかの人口集団の連合でした(関連記事)。一部の埋葬習慣の記録から、中期青銅器時代シベリア南部のオクネヴォ(Okunevo)文化は、草原地帯関連祖先系統を限定的に有し、新疆北部にも影響を及ぼした、と示唆されています(関連記事)。
鉄器時代遺跡1ヶ所の最近のゲノム研究は、新疆東部における草原地帯関連祖先系統を報告しました。おもに草原地帯となる新疆周辺地域の古代ゲノム研究はさらに、鉄器時代における広範な人口集団移動と西方草原地帯関連祖先系統の混合を裏づけます(関連記事)。しかし、新疆全域の草原地帯関連祖先系統の程度は、より多くの古代DNAがなければ不明です。その後、紀元前200年頃以後、新疆は匈奴や突厥など多くの重要な遊牧民連合により支配されました。これらの集団はとくに新疆に影響を及ぼし、権力の頻繁な移行から、歴史時代(HE)も文化的に混合された期間だった、と示唆されるものの、新疆の人口構造がこれらの文化的変化に影響を受けたのかどうか、古代DNAなしには確定できません。
全体として、古代新疆の人口集団の遺伝的構造は、青銅器時代から鉄器時代を経て歴史時代までの変化と同様に、特徴づけられていません。言語学的に、トカラ語とコータン語の存在も調べるべき重要な問題です(関連記事)。現在の新疆人口集団に関するゲノム研究からは、頻繁な移住と遺伝的混合を伴う複雑な遺伝的構造が示唆されます。しかし、わずか数遺跡の古代DNAデータしかないので、過去の人口集団構造と混合の全体像を再構築する能力は限られています。したがって、青銅器時代と鉄器時代と歴史時代の古代遺伝データを得ることは、新疆の人口集団構造の時空間的変化を特徴づけるのに重要です。
●データの概要
新疆全域の41ヶ所の遺跡から、4962〜500年前頃となる古代人237個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)データが得られました。網羅率は31〜5515倍です。これら237個体の完全なミトコンドリアゲノムは、時代・地域・文化により分類されました。青銅器時代では、4962〜2900年前頃の63個体のデータが得られました。これには4800〜4000年前頃となる前期および中期青銅器時代(EMBA)の新疆北部の24個体が含まれます。このうち18個体はチェムルチェク文化と関連しており(北部チェムルチェクEMBA、4811〜3965年前頃)、2個体はアファナシェヴォ(Afanasievo)文化と関連しています(北西部アファナシェヴォEMBA、4570〜4426年前頃)。新疆西部のイリ渓谷のアファナシェヴォ文化と関連する3標本(西部アファナシェヴォEMBA、4962〜4840年前頃)が得られ、新疆北部のアファナシェヴォ文化と関連する標本と組み合わされて、北西部アファナシェヴォEMBA集団が形成されます。
4237〜4087年前頃となる松樹溝(Songshugou)遺跡の3個体(NSSG_EMBA)と、4500年前頃となるカバ(Habahe)遺跡の1個体は、その文化に関連する情報がなく、別々に分析されました。新疆東部では、青銅器時代の3600〜3000年前頃となる南湾(Nanwan)遺跡の1個体(東部BA)と、後期青銅器時代の追加の25標本が得られました(3000〜2900年前頃の東部LBA)。天山北路と南湾の密接な考古学的関係を考慮して、本論文の南湾遺跡1個体のハプログループ情報が既知の天山北路個体群と統合され、東部青銅器時代集団が構成されました。さらに、新疆南東部に位置するタリム盆地東部の小河遺跡の第4層〜第5層の10標本が収集されました(3929〜3572年前頃となる南東部小河BA)。これらの分類は、青銅器時代の新疆の東部・西部・北部・南東部の人口集団を表しています(図1)。
鉄器時代に関しては、新疆全域で2900〜2000年前頃の128標本が収集されました(図1)。そのうち27標本は新疆東部で(東部IA)、15標本は新疆北部で(北部IA)、55標本は新疆西部のイリ地域で(西部IA)、31標本は新疆南部で(南部IA)得られました。異なる南部IA遺跡群は、その高い文化的異質性と広範な地理的分布のため1つの大集団に統合されず、別々の集団として分析されました。南部IA集団のSZGLK_IA(19標本)とSWJEZKL_IA(12標本)はタリム盆地に由来し、SWJEZKL_IAはチベット高原に隣接する新疆南西部の高地に由来します。天山東部の石人子溝(Shirenzigou)遺跡の既知の鉄器時代10個体(2200年前頃)のハプログループ情報も、収集されて分析されました。
青銅器時代と鉄器時代の個体群のミトコンドリアゲノムデータに加えて、2000〜500年前頃となる歴史時代の個体群のmtDNAも配列されました。歴史時代の遺跡群の標本規模とひじょうに混合された文化を考慮して、まず地理的位置に基づいて標本群が分類され、次に追加で文化に基づいて細分化されました。合計で5集団が分類され、1つは新疆西部(西部HE、11個体)、3つは新疆南部(15個体のSBZL_HE、10個体のSSPL_HE、9個体の南部ホータン)、1つは新疆東部の白楊河(Baiyanghe)遺跡の1個体(東部HE)です。さらに、新疆周辺地域の既知の古代人738個体と現代人7085個体のmtDNAデータが得られ、これら全ての人口集団は、以前の遺伝学的研究に基づいていくつかの下位集団に分類されました。
一般的に、標本抽出された新疆の古代人口集団全てについて、母系(mtDNA)の遺伝的距離(FST)と地理的距離との間に正で有意な相関係数が見つかります。したがって、新疆の古代人口集団はひじょうに混合しており、低い地理的構造を有していた可能性が高そうです。青銅器時代と鉄器時代と歴史時代の新疆人口集団の遺伝的比較も、ヌクレオチド多様性の変動を明らかにしました。鉄器時代と歴史時代の人口集団は一般的に、青銅器時代人口集団と比較してより高いヌクレオチド多様性を示し、青銅器時代と比較して鉄器時代と歴史時代における人口集団の移住と混合の増加を示します。鉄器時代と歴史時代の人口集団では、西部HEが最も高い多様性を示し、新疆南部人口集団で最も低い多様性が観察されました。以下、本論文の図1です。
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●青銅器時代新疆人口集団の遺伝的起源と複雑性
青銅器時代新疆集団間の遺伝的違いと類似性を決定するために、まずmtDNAハプログループ(mtHg)頻度に基づいて主成分判別分析(DAPC)が行なわれました。PC1軸は地理的に東西の人口集団変動を、PC2軸は地理的に南北の人口集団変動を説明します(図2A)。一般的に、全人口集団は主要な4クラスタに区分されます。それは、アジア北東部(NEA、シベリアとアジア東部北方)、アジア南東部(SEA、アジア東部南方とアジア南東部)、草原地帯中央部、ヨーロッパ(トゥーラーンとヨーロッパ)です。新疆古代人全標本は、NEA人口集団から草原地帯中央部およびヨーロッパクラスタへと伸びる勾配に位置し、これら古代新疆人口集団がNEAと草原地帯中央部とヨーロッパの人口集団との関連性をさまざまな程度で有していた、と示唆されます。
アファナシェヴォ文化(4962〜4840年前頃となる北西部アファナシェヴォEMBA)と関連する、新疆北部および西部の青銅器時代個体群は、西方の草原地帯関連人口集団(西部草原地帯EMBAおよびMLBA)に囲まれている、と明らかになります(図2A)。対照的に、新疆北部のチェムルチェク文化と関連するEMBA個体群(北部チェムルチェクEMBA)と松樹溝遺跡個体群(NSSG_EMBA)は、他の中央部草原地帯人口集団により囲まれるそれぞれ別個のクラスタを形成します(図2A)。以前おもに青銅器時代草原地帯人口集団で報告された、mtHg-U・H・Rの高い割合が観察されました。これらEMBA人口集団間の有意な遺伝的分化はありませんが、北部チェムルチェクEMBAのみが、草原地帯西部両人口集団(西部草原地帯EMBAおよびMLBA)とは有意な遺伝的分化を示します(図2B)。北部チェムルチェクEMBAは中央部草原地帯MLBAとも有意な遺伝的分化を示しますが、中央部草原地帯EMBAとは示さず、DAPCの位置と一致します。
さらに、中央値結合ネットワークでは、西部草原地帯EMBA個体群は、北西部アファナシェヴォEMBAとmtHg-U4・U5・H15で、北部チェムルチェクEMBA とmtHg-U4・U5・H2・H6a・W3で、NSSG_EMBAとmtHg-U4でクラスタ化します(図3D)。mtHg-H2・H5は草原地帯西部関連人口集団に存在し、mtHg-H6aはアルタイ地域のオクネヴォ文化と関連する人口集団に存在します。mtHg-D4jの存在により裏づけられる北部チェムルチェクEMBA とNEAとのつながり(バイカルEBA)も見つかり、それはこれら2人口集団で、ネットワーク分析におけるわずか4ヶ所の変異で異なっており、シベリア地域を含むアジア東部北方に存在しました(図3E)。HBHのEMBA1標本のmtHgはU5で、より多くの草原地帯西部と関連するつながりが示唆されます。したがって、新疆の西部および北部両人口集団は、EMBAにおいてかなりの草原地帯西部関連祖先系統を有していた、と示されます。以下、本論文の図2です。
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東部集団(東部BAおよびLBA)は新疆北部および西部のEMBA個体群とは別にクラスタ化する、と明らかになります。東部集団は両方、DAPCでは古代および現代のNEAとクラスタ化します(図2A)。東部BAおよびLBAは、mtHg-Dの高い割合(それぞれ36.70%と32.00%)を有しています。mtHg-Dは、中国北部人(18.20〜44.80%)および古代モンゴル人(31.20%)など古代および現代のNEA人口集団(関連記事1および関連記事2)で一般的です(図1A・3E)。東部LBAはこれらNEA人口集団の一部と有意ではない遺伝的距離を示します。具体的には、甘粛省・青海省(GQ)の古代2人口集団、つまりGQ斉家(Qijia)文化BAおよびGQ卡約(Kayue)文化LBAと、現代4人口集団、つまり日本人とモンゴル人とツー人(Tu)とオロチョン人(Oroqen)です。
東部BAおよびLBAは両方、草原地帯西部関連のmtHg-Uを有していますが、ヨーロッパよりもNEAの系統の方でより高い割合を示し、後の標本ではより多くのヨーロッパ系統が確認されます(東部BAでは20%、東部LBAでは36%)。このパターンはDAPCと一致し、東部LBAの位置は東部BAと比較してユーラシア西部人の方に近くなっています。さらに、mtHg-D4b2b4は匈奴と東部LBAの両方でも見つかり(図3E)、共有されるNEA祖先系統の存在に起因する、東部LBAと匈奴の人口集団間の直接的関係を示唆します。したがって、東部BAおよびLBA人口集団は、より多くのNEAとのつながりを示しますが、草原地帯西部関連系統の存在(mtHg-Uが東部BAでは16.7%、東部LBAでは8%)も、草原地帯西部関連人口集団との追加のつながりを裏づけます。
南東部小河BA はDAPCではNEA集団とクラスタ化し、それは東部BAおよびLBAと類似していますが、古代および現代のシベリア人祖先系統を有する人口集団へのより多くの類似性を示します。南東部小河BAは、NEA人口集団およびシベリア南部のバイカル湖地域近くのシャマンカ(Shamanka)人口集団など、古代および現代のシベリア人口集団に存在するmtHg-C4の高い割合を示します。この人口集団は、他の青銅器時代新疆集団を含む他の全ての古代および現代の人口集団と比較して、有意な遺伝的距離を示すことにおいて独特ですが、シベリアの現代の3人口集団、つまりエヴェン人(Even)とエヴェンキ人(Evenk)とヤクート人(Yakut)とは最短の遺伝的距離を示します。これらの結果は、小河遺跡に関する以前の研究と一致します。以下、本論文の図3です。
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新疆の東部および西部の青銅器時代と鉄器時代と歴史時代の標本群では、mtHg-R1bも見つかっています。青銅器時代では、北部チェムルチェクEMBAで2個体、北西部アファナシェヴォEMBAで1個体、NSSG_EMBAで1個体、南東部小河BAで1個体、東部IAで1個体、西部IAで1個体、西部HEで2個体です。mtHg-R1bはロシア北西部のカレリア(Karelia)など(関連記事)ヨーロッパ東部狩猟採集民だけではなく、カザフスタンのボタイ(Botai)文化個体群(関連記事)やダリ(Dali)遺跡個体群(関連記事)でも報告されました。さらに、ボタイ文化(関連記事)および草原地帯関連人口集団では、新疆東部の標本(東部LBA)と同様に、mtHg-K1b2が共有されていました。
mtHg-R1bの中央値結合ネットワークでは、北西部アファナシェヴォEMBAと関連する、新疆北部および西部のEMBA標本(紀元前3012〜紀元前2890年頃)がネットワークの中央に位置し、1ヶ所のみの変異によりボタイ文化個体群と分離する、と示されます(図3B)。この分枝は、NSSG_EMBAおよびダリ遺跡の1個体を含む別の分枝と関連しています(図3B)。これは、古代北ユーラシア(ANE)人口集団との深い祖先系統のつながり、もしくはカザフスタンの地理的に近接する人口集団とのいくつかの遺伝的繋がりを示唆しているかもしれません(関連記事1および関連記事2)。新疆人口集団の1個体でもmtHg-R1bが見つかり、小河遺跡の人々の新疆北部とのつながりも示唆しているかもしれません。したがって青銅器時代において、新疆北西部人口集団がアファナシェヴォ文化およびチェムルチェク文化など草原地帯西部関連文化集団に、新疆南東部人口集団がNEAやシベリア南部の人口集団への高い遺伝的類似性を示し(図4A)、近隣人口集団および多様な文化的背景の共同体との複雑な相互作用が示唆されます。
●鉄器時代新疆におけるより大きな文化的およびmtHgの多様性
鉄器時代(IA)の新疆における人口集団の移動と変化をよりよく理解するため、新疆全域の128標本が分析されました。一般的に、北部IAを除く全ての新疆鉄器時代集団は、青銅器時代集団よりも高いmtHg多様性を示し、ユーラシア東西からのより多くの移住と伝達が示唆されます。鉄器時代集団間の遺伝的分化(FST)はほぼ有意ではなく、鉄器時代における高水準の混合が示唆されます(図2B)。DAPC(図2A)では、北部IAはは、中国北部のGQ馬家窯(Majiayao)文化EBAやフブスグル(Khovsgol)LBA、中国北部の現代シボ人(Xibo)、シベリアの現代ヤクート人といったNEA人口集団の近くにクラスタ化し、これは草原地帯関連祖先系統を有する人口集団と密接にクラスタ化する新疆北部のEMBA人口集団と対照的です。NEAへのこの高い類似性は、アジア東部の主要な2つのmtHg(図1A)、つまりD(53.30%)およびF(13.30%)と、GQ馬家窯EBAやGQ斉家BAやGQ卡約LBAやLTP_IAといった中国北部人口集団との低いFST値によっても表されます。中央値結合ネットワークはさらに、一部のサカ文化個体群(天山サカIAのmtHg-D4j8)とともに、北部IAとNEAの個体群間のつながり(mtHg-D4eとD5a)を示唆します。さらに、草原地帯関連mtHg-U4(6.70%)・H5(6.7%)と、トゥーラーン(現在のトルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン)関連mtHg-U7(6.7%)も観察され(図3D)、これらの集団との遺伝的つながりが示唆されます。
新疆東部IAと既知のSRZG_IAを含む2人口集団があります。東部IAとSRZG_IAの両方は、中国北部のGQ斉家BAとひじょうに低い遺伝的距離を示し、青銅器時代標本の東部LBAと一致します(図2B)。DAPCでは、東部IAとSRZG_IAは草原地帯中央部クラスタに位置しますが、東部IAがNEA人口集団とのわずかに大きな類似性を示すのに対して、SRZG_IAの既知の標本群は、草原地帯西部関連祖先系統を有する人口集団と密接に集団化します(図2A)。東部IA(22.20%)と比較して、草原地帯西部関連mtHg-U祖先系統のより高い割合(40%)も観察され、DAPCを裏づけます(図1A)。さらに、東部IAにおける匈奴のmtHg-D4b2bに表される NEAのmtHg-D(14.8%)も見つかりました(図3E)。アジア中央部のmtHgも見つかりました。東部IAにおけるトゥーラーン固有のmtHg-T2d1(ウズベキスタンMLBA)は、トゥーラーン人口集団と共有される追加の類似性を反映している可能性が高そうです。したがって、東部IA人口集団は、NEAとヨーロッパ両方のmtHgを示すだけではなく、トゥーラーン人口集団との追加の遺伝的類似性も共有します。
DAPCでは、西部IA人口集団はNEAとヨーロッパの人口集団の勾配に位置し、サカやフンなど草原地帯中央部のIA人口集団と密接に集団化します(図2A)。このユーラシア東西との類似性は、他の鉄器時代3地域と比較しての、ユーラシア東西のmtHgの多様な配列でも見られます(図1A)。西部IAは2つの主要なヨーロッパのmtHg-U(20.40%)およびH(18.50%)と、NEAのmtHg-C(14.80%)およびD(11.10%)を含みます(図1A)。西部草原地帯MLBA系統とのつながりも、mtHg-T2b34およびU5a2a1で観察されますが、一部地域の青銅器時代標本では観察されません。mtHg-T2b34の中央値結合ネットワークも、西部IAと西部草原地帯MLBAのつながりを示します。この高いmtHg多様性はさらに、NEAおよびヨーロッパの人口集団の多くが西部IAとひじょうに低い値を示すFST値に反映されています。
さらに、トゥーラーン固有のmtHg-HV(HV18およびHV20)とW(W3b)の存在(図3C)は、トゥーラーンから内陸アジア山地回廊(IAMC)を通ってイリ地域への人々の移住の可能性を示唆します。mtHg-G3a3(匈奴HP)やC4a1a+195およびC4+152(天山フン)やH101(中央部サカIA)の存在などいくつかの重要な外れ値も観察され、草原地帯遊牧民集団とのつながりの可能性が示唆されます。mtHg-C4・G3a3・H101の系統発生ネットワークも、西部IAと、鉄器時代草原地帯遊牧民のサカ文化や匈奴やフンの人口集団との間のわずかな違いを有する直接的つながりを示し(図3A)、古代のサカ文化や匈奴やフンの移住におけるイリ地域の潜在的な役割を示唆します。
新疆南部のSZGLK_IAは、DAPCで草原地帯およびアジア中央部人口集団の近くに位置するので、草原地帯およびアジア中央部との強いつながりを示しますが、SWJEZKL_IAはNEAおよび草原地帯中央部祖先系統を有する人口集団の近くに位置し、NEAのmtHg-C(25.00%)およびD(25.00%)を高頻度で有します(図1A)。mtHg分析から、SZGLK_IAはmtHg-H(26.3%)とU(5.3%)を比較的高い頻度で有しており、これらのmtHgは、西部草原地帯MLBAなど古代ユーラシア西部人口集団に存在しました。SZGLK_IAは西部草原地帯MLBAとの低いFST値も示します。
草原地帯MLBAとのつながりは、西部草原地帯MLBAには存在するものの、西部草原地帯EMBAには存在しないmtHg-T2b34・H5a1・U5a2a1・N1a1a1aの存在により、さらに強化されます。さらに、SZGLK_IA におけるmtHg-HV12とR2+13500も、トゥーラーンからのアジア中央部のつながりを明らかにします。アジア中央部人との密接な類似性は、SZGLK_IAをイラン銅器時代およびトルクメン前期新石器時代と比較してのより低いFST値で、さらに見つかりました。さらに、SWJEZKL_IAもトゥーラーン関連系統(mtHg-H13a2a)を有しており、トゥーラーンとのいくつかのつながりが示唆されます。
鉄器時代人口集団は全体として、激しい混合にも関わらず、新疆全域で明確な人口集団構造を示します。北部IAと高地のSWJEZKL_IAがより多くのNEA祖先系統を有する一方で、西部IAと東部IA人口集団はNEAとヨーロッパ両方の祖先系統を示し、SZGLK_IAはMLBAにおける草原地帯西部関連人口集団とのより多くのつながりを示します(図4B)。さらに、全鉄器時代人口集団はトゥーラーン人口集団との遺伝的つながりを示します。これら鉄器時代標本群において、東部IAと西部IAとSZGLK_IAは、北部IAと比較して、トゥーラーン人口集団とより多くの類似性を共有します。これはさらに、内陸アジア山地回廊(IAMC)が果たした重要な役割を示唆します。それはおそらく、この地域で広く見られたバクトリア・ マルギアナ複合(BMAC)文化集団と類似した祖先系統を有する、トゥーラーンの人々の移住増加につながりました。以下、本論文の図4です。
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●新疆における鉄器時代と歴史時代の間の遺伝的連続性
青銅器時代と鉄器時代の個体群に加えて、鉄器時代後の遺伝的多様性をさらに評価するため、2000〜500年前頃となる歴史時代の遺跡の46標本のmtDNAが配列されました。一般的に、歴史時代の個体群は新疆以外の他の古代人口集団と比較して、古代新疆人口集団と最小のFST値を示す、と明らかになりました。DAPCでは、西部HEは古代草原地帯中央部個体群とともに、西部IAやSRZG_IAやSBZL_HEやSZGLK_IAの他の鉄器時代個体群と密接にクラスタ化します(図2A)。西部HE人口集団も、西部IAに存在した、同じNEA系統(mtHg-Cが27.30%、mtHg-Gが9.10%)とヨーロッパ系統(mtHg-Hが9.10%、mtHg-Uが18.20%)を示します(図1A)。西部HE人口集団はさらに、西部IAでも見られた、フン(mtHg-C4a1a+195)とサカ文化(mtHg-H101)とトゥーラーンのmtHgを有します。西部HEと西部IAとの間の密接な類似性は、低いFSTでさらに示されます。新疆東部の歴史時代の1標本はmtHg-D4で、より多くのNEAとのつながりを示唆します。
3ヶ所の遺跡(SBZL_HEとSSPL_HEとSHetian_HE)の南部HE個体群は、さまざまな類似性を示しました。SBZL_HEは南部HEではmtHg-D(13.3%)を有している点で独特ですが、SSPL_HEは草原地帯西部関連のmtHg-Hを高い割合(60%)で有しています(図1A)。mtHg頻度は同じパターンを示し、SBZL_HE個体群はSHetian_HE(mtHg-Cが11.1%)およびSSPL_HE(0.00%)と比較して相対的に高いNEAとの類似性(mtHg-A・C・Dで33.3%)を示し、草原地帯西部関連人口集団とのより高い類似性(SSPL_HEではmtHg-Hが60%、mtHg-Uが20%、mtHg-TおよびWが10%)を示し、DAPCでは草原地帯関連人口集団と密接に集団化します(図2A)。歴史時代の3人口集団は、草原地帯西部関連およびトゥーラーン人口集団と低いFST値を示し、同じ地域の鉄器時代人口集団(SZGLK_IA)と類似しています。しかし、南部HE標本群(SBZL_HE)と西部IAにおけるフン関連のmtHg-D4j5が見つかりました。mtHg-D4ネットワークから、西部IAとSBZL_HEは天山フンHEと少ない変異で分離しており(図3E)、鉄器時代の新疆西部と歴史時代の新疆南部との間のつながりと、イリ地域から新疆南部へのフンの南方への移動を反映しているかもしれません。
●青銅器時代と鉄器時代と歴史時代の新疆個体群のミトコンドリアゲノム比較
とりわけ、青銅器時代と鉄器時代の異なる新疆の地域間のmtHg比較は、複数の移住および混合事象の発生を示唆します(図1A)。新疆北部のEMBA人口集団は、mtHg-UおよびHにより示唆されているように、草原地帯西部関連人口集団とのより高い類似性を示していますが、鉄器時代人口集団(北部IA)は、ユーラシア東部人とのより多くのつながりを共有しており、とくに、鉄器時代と歴史時代に固有のmtHg-D4c1b1・D4e1・D4o2aなどmtHg-D4を高い割合で有するNEAで見られるつながりが多く共有されています。FST分析では一貫した結果が明らかになり、新疆北部EMBA人口集団は草原地帯西部関連人口集団との、北部IA は古代NEAとの小さな遺伝的距離を示します。青銅器時代から鉄器時代へのより多くのNEA関連祖先系統へのこの変化は、NEAと新疆北部の人口集団間のより頻繁な移住と混合を示唆します。
新疆西部人口集団は青銅器時代と鉄器時代全体を通じてかなり一致するmtHg構成を示し、草原地帯西部関連mtHg(U5・H15)を有しますが、西部IAはNEAのmtHg(C4・G2・D4)をいくつか共有します。DAPCでは、西部IAはNEAとヨーロッパの人口集団の間に位置し、草原地帯中央部人口集団とクラスタ化します。これは、アファナシェヴォ文化と関連するEMBA個体群(北西部アファナシェヴォEMBA)とは異なります(図2A)。西部IAはトゥーラーン(トゥルクメン前期新石器時代、イラン銅器時代、イランEMBA)とのつながりも示します。したがって、青銅器時代から鉄器時代の遺伝的比較は、イリ地域の果たした重要な役割を裏づけます。イリ地域では、草原地帯関連およびNEA祖先系統を有する人口集団がひじょうに長く存続しました。
新疆東部では、青銅器時代および鉄器時代両集団が、NEA人口集団とのより多くの類似性を示しますが、ヨーロッパ人口集団のmtHgも見つかり、NEAとヨーロッパの混合人口集団の存在が示唆されます。南部IA人口集団はトゥーラーンとのつながりを示し、西部IAと類似しており、新疆西部(イリ地域)から南部への人口集団の移住を反映しているかもしれません。IA人口集団におけるこれらのひじょうに混合した祖先系統は、歴史時代へと続きました。新疆の歴史時代には、NEAとヨーロッパの両人口集団のさまざまな移住と定住が見られたので、ユーラシア東西の両人口集団により創立され確立した「文明」を反映しています。
さまざまな分類が異なる新疆集団間の分散にどのように影響するのか検証するため、古代新疆人口集団間で分子分散分析(AMOVA)検証が実行されました。他集団と比較すると、有意に高い値は、新疆標本群を4集団に分類する時に観察されました。その4集団とは、西部新疆(北部チェムルチェクEMBA、北部アファナシェヴォEMBA、NSSG_EMBA、西部IA、西部HE、SZGLK_IA、SSPL_HE、南部ホータンHE、SBZL_HE)、東部新疆(北部IA、SWJEZKL_IA、東部LBA)、東部IA(東部IA、SRZG_IA)、南東部小河BAです。東部新疆集団はNEA人口集団とより多くの類似性を共有し、西部新疆集団は草原地帯西部関連人口集団とクラスタ化し、東部IA集団は草原地帯中央部およびヨーロッパ人とより多くの類似性を共有します。
●新疆の現代人口集団と古代人との比較
古代新疆人口集団がユーラシア現代人と共有する関係を決定するため、新疆個体群が地理的位置に基づいて下位4集団と比較されました。その下位4集団とは、現代NEA人口集団(pdNEA、シベリアとアジア東部北方)、アジア南東部人口集団(pdSEA、アジア東部南方とアジア南東部)、新疆および周辺地域人口集団(pdCA/XJ)、ヨーロッパとコーカサスとアジア西部を組み合わせた集団(pdEurWA)です。青銅器時代人口集団では、南東部小河BAはpdNEAのシベリア人と、東部LBAはpdNEAのアジア東部人(ツー人と日本人とモンゴル人)と最高の類似性を示しますが、新疆北部および西部EMBAはpdCA/XJおよびpdEurWAと最高の類似性を示し、それはDAPCおよびmtHg分析でも観察されます。鉄器時代と歴史時代の新疆人口集団も一般的に、pdCA/XJと高い類似性を示し、鉄器時代と歴史時代と現代の人口集団間の遺伝的つながりが示されます。さらに、新疆の北部IAおよびSWJEZKL_IAとpdNEAとの有意なつながりが観察されます。
新疆南西部現代人には、ウイグル、キルギス、サリコル(Sarikoli)・タジク、ワハン(Wakhan)・タジクの4人口集団が含まれます。DAPCでは、ウイグルとキルギスはpdCA/XJ人口集団の近くに位置し、サリコル・タジクとワハン・タジクはpdEurWA人口集団とクラスタ化します。本論文の古代新疆標本群は、ウイグルおよびキルギスとクラスタ化し、ヨーロッパ人およびイラン人とのより多くの類似性を示すサリコル・タジクおよびワハン・タジクと比較して、アジア東部人とのより多くの類似性が示唆されます。FST分析では、新疆EMBAおよびIA個体群が、サリコル・タジクおよびワハン・タジクと比較してウイグルおよびキルギスと高い遺伝的類似性を示す一方で、新疆HE標本群はこれらの集団両方と同じような遺伝的類似性を示す、と一般的に観察されます。したがって、要約すると、シベリアとヨーロッパとアジア東部とアジア西部・中央部の全ての主要な祖先系統が、古代と現代の新疆人口集団に存在するという、古代から現代の遺伝的連続性が見つかります。
●考察
新疆の考古学的発見は、過去の人口集団構造および移住に関する好奇心を高めました。競合する仮説の中でほとんどの考古学者が支持する見解は、古代新疆はユーラシア東西両方の人々の混合された連合だった、というものです。新疆周辺の青銅器時代および鉄器時代の人々の高い移動性と混合は、限定的な片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の以前の分析でも裏づけられています。しかし、複数の地域および期間の古代DNAの欠如のため、新疆の過去の人口構造は謎に包まれています。本論文の分析を通じて、新疆の人口集団構造と、それが青銅器時代から現代までどのように変化したのか、特徴づけられました。これらの新たなデータと結果から、ずっと詳細で広範な混合シナリオを提供できます。
新疆周辺の青銅器時代はおもに、EMBAヤムナヤ(Yamnaya)およびアファナシェヴォ文化を含む草原地帯関連祖先系統に代表されます(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。たとえば、西部草原地帯EMBA人口集団は、複数のmtHg(U4・U5・H2・H6a・W3)で新疆北部の松樹溝遺跡個体群とクラスタ化します。これは、松樹溝遺跡のアファナシェヴォ様式の遺物、およびヨーロッパ人的な特徴を示すM15号墓の1個体の身体的特徴と一致します。青銅器時代新疆のチェムルチェク文化の影響の証拠も見つかりました。これは、さまざまな墓地の周囲の擬人化された彫像を伴う石柱の考古学的記録により示唆されます。
ユーラシア東部(NEA)と西部(草原地帯西部関連)のmtHgの存在が見つかったように、新疆内の青銅器時代人口集団は遺伝的にかなり混合されていました。青銅器時代新疆の人々の高い混合にも関わらず、いくつかの特有の類似性が依然として観察されます。たとえば、草原地帯西部関連人口集団は、新疆北部および西部の人口集団(北西部アファナシェヴォEMBAと北部チェムルチェクEMBA)に、より多くのNEAとのつながりを示す新疆東部集団(東部BAおよび東部LBA)よりも多くの影響を及ぼしたようです。NEAとのつながりは、青銅器時代新疆東部の最初の既知の文化である、天山北路文化(3900年前頃)の考古学的に仮定された形成と一致します。新疆の東方に位置する甘粛省の馬家窯・馬廠(Machang)文化は、新疆東部で天山北路文化を、河西回廊でシバ(Siba)文化を形成した、と示唆されました。青銅器時代新疆東部の個体群(東部BA、天山北路文化)も甘粛省・青海省地域(GQ)の人口集団と身体的類似性を示しました。これらの報告と一致して本論文では、新疆東部の後のLBA人口集団も、古代GQ人口集団(GQ斉家BAとGQ卡約LBA)との遺伝的つながりを示す、と明らかになりました。
新疆東部(東部BAと東部LBA)におけるいくつかのユーラシア西部関連mtHgの存在は、ヨーロッパ人的な身体的特徴を有する何人かの個体や、いくつかのユーラシア西部の特徴を有する天山北路文化遺跡の埋葬形態や装飾品や道具とさらに一致します。しかし、南東部小河BA人口集団は、古代および現代のシベリア人口集団とより多くのつながりを示します(図4A)。小河遺跡の考古学的発見には、コムギとキビの穀粒が含まれており、内陸アジア山地回廊(IAMC)沿いの、アジア西部文化と中国北部文化両方からのつながりと交換の可能性が示唆されます。このシナリオは、NEAとユーラシア西部両方からの移住が、青銅器時代新疆人口集団にかなりの影響を及ぼした、と示唆している可能性があります。アファナシェヴォやチェムルチェクやボタイなど、全てのこれら草原地帯関連文化は、おそらくIAMC経路を用いて新疆でその存在を確立した、アルタイ文化の一形態を表せます。さらに、NEAおよびシベリア人との新疆東部および南部青銅器時代人口集団の類似性も、新疆の青銅器時代におけるNEAとシベリアからのより大きな影響を示唆します。
新疆の鉄器時代標本群は、ユーラシア東西系統とのより多くの混合であり続けましたが、青銅器時代と同様に、特定の地域はNEAとヨーロッパの人口集団へのさまざまな類似性を示しました。新疆北部の鉄器時代人口集団は、より多くの古代NEAとのつながりを示しましたが、新疆西部および東部の人口集団(西部IAおよび東部IA)は、NEAとヨーロッパ(トゥーラーンおよび草原地帯西部関連)両方の人口集団との類似性を有しました。新疆西部鉄器時代において、ユーラシア東西との混合された類似性は、混合された文化的および身体的類似性を反映しているかもしれません。
新疆西部の前期鉄器時代の索墩布拉克(Suodunbulake)文化の埋葬構造は、アムダリヤ(Amu Darya)のアジア中央部サパリ(Sapali)およびワケシ(Wakeshi)文化と類似しています。索墩布拉克文化の彩色土器はユーラシア東部文化をより想起させますが、索墩布拉克文化と関連する個体群は、より多くのヨーロッパ人的特徴を有します。鉄器時代初期のスキタイ人によるイリ地域の占領も、鉄器時代新疆西部におけるユーラシア東西両方の人口集団との共有された類似性を説明できるかもしれません。東部IAで観察された継続的なNEAとのつながりは、青銅器時代の天山北路文化および鉄器時代の焉不拉克(Yanbulake)文化との間の連続性を反映しており、焉不拉克文化はさらに、新疆のチェムルチェク文化や新塔拉(Xintala)文化と同様に、甘粛省の辛店(Xindian)文化に影響を受けました。
新疆南部の人口集団(SZGLK_IA)は、西部草原地帯MLBAおよびトゥーラーンとのより多くのつながりを示しますが、新疆南部の高地の人口集団(SWJEZKL_IA)は、NEAとのより多くのつながりを示します。一部の新疆人口集団の地域的な選好、とくに新疆の南西部と北東部との間の分化から、鉄器時代はひじょうに相互作用的な期間だった、と示唆されます。紀元前200年頃から、新疆を通過するシルクロードが、ユーラシア全域での人口集団移動の促進に影響を有するようになりました。新疆北部の鉄器時代標本群(北部IA)は、GQ地域の河西回廊のNEA人口集団とのより密接な類似性を示す点で、新疆北部のEMBA標本群とは異なる、と明らかになりました。さらに、新疆南部の鉄器時代標本群(SZGLK_IA)も、NEA系統(mtHg-C7b・D4i・D4j1b)を有しており、中国北部とタリム盆地との間のつながりが示され、シルクロード沿いのタリム盆地への人口集団移動の影響と一致します。
歴史時代の人口集団はNEAおよびヨーロッパ両系統を示し続け、新疆における人々の高い移動と混合の維持を反映しています。これら歴史時代の人口集団はひじょうに混合されており、異なる文化的類似性の共存する社会でした(図4C)。北部IAと西部IA両方の人口集団は、サカ文化関連系統を有していると明らかになり、サカ文化の人々は新疆北部および西部で鉄器時代人口集団と混合したかもしれない、と示唆されます。天山の東西両方の人口集団(東部および西部IA)で見られる匈奴系統(図3E)は、紀元前3世紀もしくは紀元前2世紀頃の匈奴人口集団の西方への拡大と一致します(関連記事)。フン人のmtHgが新疆南部の(鉄器時代ではなく)歴史時代の標本群(紀元後421〜538年頃のSBZL_HE)で観察され、フン人のスキタイ人口集団への侵略および紀元後4〜5世紀のフン・スキタイ人の形成と一致し(関連記事)、歴史時代におけるイリ地域からこのフン伝統への南方への移動を示唆します。
新疆東部は、消滅したインド・ヨーロッパ語族のトカラ語と関連しています(関連記事)。古代の写本に基づくと、トカラ語は新疆中央部で紀元後500〜900年頃まで存在していました。一般的に、考古学者はトカラ語を新疆のアファナシェヴォ文化の人々と関連づけています。青銅器時代遺跡群に関する本論文の結果は、タリム盆地の小河遺跡個体群が古代シベリア人口集団と深い祖先的つながりを有している一方で、新疆北部および西部の他のEMBA人口集団はより多くの草原地帯EMBA(アファナシェヴォ文化)とのつながりを示す、という複雑なシナリオを提案します。したがって、おそらくトカラ語は、アファナシェヴォ文化など草原地帯関連祖先系統と関連する人口集団とともに新疆に到来しました。しかし、他の新疆EMBA(4500年前頃)よりも後になる小河遺跡(3900〜3500年前頃)個体群は、代わりに古代シベリア人との深いANEのつながりを有しているので、この仮説の確定にはより多くの標本抽出が必要でしょう。
別の古代言語であるコータン語はインド・イラン語派と関連しており、タリム盆地南部のコータンのニヤ(Niya)遺跡(紀元後200〜500年頃)の古代の記録で最初に観察され、本論文のタリム盆地の標本群(紀元後74〜226年頃のSSPL_HE、紀元後138〜345年頃の南部ホータンHE、紀元後421〜538年頃のSBZL_HE)と同時代です。コータン語は、紀元前200年頃のサカ文化の新疆への拡大と関連しています。多くの鉄器時代および歴史時代の新疆人口集団とサカ文化個体群との遺伝的類似性も観察され、新疆における広範な存在が示唆されます。
まとめると、新疆のミトコンドリアゲノムの歴史は、草原地帯西部関連と草原地帯中央部とアジア北東部とトゥーラーンの遺伝子移入により強く特徴づけられ、さまざまな古代人口集団の連合が青銅器時代から歴史時代にかけてはっきりと見られます。この混合は新疆の現代人口集団の基礎を形成し、古代ゲノムデータを伴う将来の研究は、新疆におけるより多くの混合パターンを明らかにするでしょう。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、あくまでもmtDNAデータに基づいており、核ゲノムデータではやや異なる人口史が、Y染色体ではもっと異なる人口史が示されるかもしれませんが、広範な時代と地域のmtDNAデータに基づいており、たいへん意義深いと思います。確かに、mtDNAでは母系の人口史しか明らかになりませんが、核DNAと比較すると解析がずっと容易なので、より広範な地域と時代のより多くの個体を対象とした古代DNA研究が可能になる、という利点もあります。その意味で、本論文のようにmtDNAを用いた古代DNA研究は、今後も続けられていくでしょう。
参考文献:
Wang W. et al.(2021): Ancient Xinjiang mitogenomes reveal intense admixture with high genetic diversity. Science Advances, 7, 14, eabd6690.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abd6690
https://sicambre.at.webry.info/202104/article_4.html
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