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中野剛志 経済論集
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/506.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 2 月 06 日 11:59:40: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 経済学の歴史、信用貨幣論、MMT 投稿者 中川隆 日時 2020 年 12 月 11 日 18:48:52)

中野剛志 経済論集

中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html  

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コメント
1. 中川隆[-7674] koaQ7Jey 2021年2月06日 12:44:44 : G6I5aLKuSU : OUx2U2EwZGdJajI=[15] 報告

経済・政治 中野剛志さんに「MMTっておかしくないですか?」と聞いてみた
2020.3.31
https://diamond.jp/articles/-/230685

「財政健全化しなければ財政破綻する」という常識に真っ向から反論するMMT(現代貨幣理論)が話題だ。「日本政府はもっと財政赤字を拡大すべき」という過激とも見える主張だけに賛否両論が渦巻いている。常識とMMTのどちらが正しいのか? 「経済学オンチ」の書籍編集者が、日本におけるMMTの第一人者である中野剛志氏に、素朴な疑問をぶつけまくってみた。(構成:ダイヤモンド社 田中泰)

経済学200年の歴史で、最もスキャンダラスな理論

――中野さんは、賛否両論を呼んでいるMMT(Modern Monetary Theory)の中心的論者であるL・ランダル・レイが書いた『MMT 現代貨幣理論入門』(2019年8月刊)の日本版の序文を書いていらっしゃいますが、どういう経緯で執筆されたのですか?


『MMT 現代貨幣理論入門』L・ランダル・レイ 東洋経済新報社
中野剛志(以下、中野) 私がはじめてMMTについて触れた『富国と強兵 地政経済学序説』という本を2016年に出版したんですが、その担当編集者にこの本の翻訳書を出したらどうかとすすめたんです。それが2018年のことですから、アメリカ民主党のオカシオ・コルテス議員がMMT支持を表明する前のことです。まさかMMTが米国内で大論争になり、それが日本に飛び火してくるとは思っていませんでした。

――なるほど、それで序文を依頼されたわけですね。いままさに、アメリカ民主党の大統領候補者争いで健闘しているサンダース議員の政策顧問に、MMTの主唱者のひとりであるステファニー・ケルトン・ニューヨーク州立大学教授がついているそうですから、アメリカでは、これからさらにMMT論争が広がりそうですね。それにしても、500ページを超える大著で、3400円(税別)という高価格本としては、よく読まれていますね?


『富国と強兵 地政経済学序説』中野剛志 東洋経済新報社
中野 そのようですね。アメリカから日本にMMT論争が飛び火して、財務省や主流派の経済学者を中心に、MMTはそんなことは言っていないのに、「野放図に財政出動するなんてバカげている」といった批判が噴出して、多くの国民も「MMTって何なんだ?」と関心をもったのでしょう。MMTを体系的に説明する入門書が出版されたら、これを読まずに議論するのはフェアじゃないですからね。

――この本が出てから、日本におけるMMTに対する批判はどうなりましたか?

中野 当初よくあった「トンデモ理論」「単なる暴論」といった批判はやんでしまった感じもしますが、単に世の中の話題としてMMTの旬が過ぎただけなのかもしれません。それは、わからないですね。

――私は、もっと批判が出て、議論が深まってほしいと思っています。中野さんのMMTの解説を読んでいると、「なるほど」と思うんですが、一方で、私には経済学の素養がないので、何かを見落としていて、騙されてるんじゃないかと不安になるからです。

中野 なるほど。

――もちろん、当初、MMTは“ポッと出の新奇な理論”なのかと思いましたが、かなり歴史的な蓄積のある理論であることもわかっているつもりです。しかし、MMTの議論を見聞きしていると、これまで、なんとなく“当たり前”と思ってきたことが、次々に覆されるので、戸惑いも感じてしまうんです。

中野 そうですね。MMTは、20世紀初頭のクナップ、ケインズ、シュンペーターらの理論を原型として、アバ・ラーナー、ハイマン・ミンスキーなどの卓越した経済学者の業績も取り込んで、1990年代に成立した経済理論ですから、その原型も含めて考えれば約100年におよぶ歴史をもっています。

 そして、MMTは、世界中の経済学者や政策担当者が受け入れている主流派経済学が大きな間違いを犯していることを暴きました。しかも、経済学とは、貨幣を使った活動についての理論のはずですが、その貨幣について、主流派経済学は正しく理解していなかったというんです。もし、MMTが正しいとすれば、主流派経済学はその基盤から崩れ去って、その権威は地に落ちることになるでしょう。

 こんなスキャンダラスなことは、アダム・スミス以来、約200年の歴史をもつ経済学でもそうそうなかったことです。あなたが戸惑うのも無理ないと思います。

「日本に財政破綻があり得ない」ことは財務省も認めている
――もしも、現実の経済政策に影響を与えている主流派経済学が大きな間違いを犯しているとしたら、一大事です。しかし、「主流派経済学の理論が基盤から崩れ去る」と聞くと、やはり「まさか」という気がします。そこで、改めてMMTについてご説明いただけませんか? そして、私の素朴な疑問にお応えいただきたいのです。

中野 わかりました。誤解を恐れずに、MMTを最も手短に説明するとこうなります。日英米のように自国通貨を発行できる政府(中央政府+中央銀行)の自国通貨建ての国債はデフォルトしないので、変動相場制のもとでは、政府はいくらでも好きなだけ財政支出をすることができる。財源の心配をする必要はない、と。

 経済学の世界では、よく「フリーランチはない」と言われますが、国家財政に関しては「フリーランチはある」んです。自国通貨発行権をもつ政府は、レストランに入っていくらでもランチを注文することができる。カネの心配は無用。ただし、レストランの供給能力を超えて注文することはできませんけどね。

――いきなり、強烈な違和感が……。「政府はデフォルトしないから、いくらでも好きなだけ財政支出できる」と聞くと、やはり抵抗を感じます。政府やマスコミはずっと「これ以上財政赤字を増やしたら、財政破綻する」と言い続けていますし、多くの国民もそう思っているはずです。

中野 まぁ、そうですね。それが社会通念でしょう。でも、「日本政府はデフォルトしないから、いくらでも財政支出できる」というのは、MMTを批判する人々も同意している、あるいは同意できる、単なる「事実」を述べているにすぎないんです。

――単なる事実? しかし、「GDPに占める政府債務残高」は240%に近づいており、主要先進国と比較しても最悪の財政状況です(図1)。これも厳然たる事実ですよね?


https://diamond.jp/articles/-/230685?page=2


中野 ああ、これはよく見るグラフですね。たしかに、「GDPに占める債務残高」は深刻な財政危機に陥っているギリシャやイタリアよりずっと悪くて、日本はダントツの最下位です。

 だけど、それっておかしな話だと思いませんか? むしろ、このグラフを見たら、こう考えるべきなんです。なぜ、ダントツで最下位の日本ではなく、ギリシャやイタリアが財政危機に陥ってるのか、と。日本とギリシャが同じならば、日本の財政は2006年くらいの時点でとっくに破綻してなければおかしいじゃないですか?

――たしかに、そうですね。なぜ、そうなっていないんですか?

中野 簡単な話で、ギリシャとイタリアはユーロ加盟国で、自国通貨が発行できないからです。かつて、ギリシャは「ドラクマ」、イタリアは「リラ」という自国通貨をもっていましたが、両国は自国通貨を放棄して共通通貨ユーロを採用しました。そして、ユーロを発行する能力をもつのは欧州中央銀行だけであって、各国政府はユーロを発行することはできません。

 だから、ユーロ建ての債務を返済するためには、財政黒字によってユーロを確保するほかなく、それができなければ財政危機に陥ります。自国通貨発行権をもつ日本とは、まったく状況が異なるのです。

――では、2001年に財政破綻したアルゼンチンは? アルゼンチンには「アルゼンチン・ペソ」という自国通貨がありますよね?

中野 アルゼンチンの場合は、外貨建ての国債がデフォルトしたのです。外貨建て国債の場合には、その外貨の保有額が足りなければデフォルトします。

 しかし、日本は、ほぼすべての国債が自国通貨建てですから、自国通貨を発行して返済にあてればいい。なんらかの理由で、「返済しない!」と政治的な意思決定をしない限り、デフォルトすることはあり得ない。実際、歴史上、返済の意志のある国の自国通貨建ての国債がデフォルトした事例は皆無です。

――そうなんですか?

中野 ええ。これは財務省も認めていることで、2002年に外国の格付け会社が日本国債の格付けを下げたときに、財務省は「日・米など先進国の自国建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。」という反論の意見書を出しました。いまも、財務省のホームページに載っています。つまり、MMT批判者も、「自国通貨を発行できる政府の自国通貨建ての国債はデフォルトしない」という「事実」は受け入れているはずなんです。

「国家経営」と「企業経営」を同一視するのは初歩的間違い
――なるほど……。しかしですね、いまの日本の一般歳出のうち、税収等で賄えているのは約3分の2。残り3分の1は新規国債で賄っている状態です。そして、図2のように、累積赤字はどんどん積み上がっています。これが民間企業や家計なら確実に破綻しますよね? だからこそ、政府はプライマリーバランスの黒字化を訴えているのでは?


https://diamond.jp/articles/-/230685?page=3


中野 たしかに、政府債務は積み上がっています。しかし、国家の経済運営を企業経営や家計と同じ発想で考えるのは、絶対にやってはならない初歩的な間違いです。なぜなら、政府は通貨を発行する能力があるという点において、民間企業や家計とは決定的に異なる存在だからです。

 個人や民間企業は通貨を発行できないので、いずれ収入と支出の差額を黒字にして、そこから借金を返済しなければならないのは当然のことです。ところが、通貨を発行できる政府には、その必要はありません。国家は自国通貨を発行できるという「特権」をもった存在ですから、自国通貨建ての債務がどんなに積み上がっても、返済できないということはあり得ない。

 その意味で、共通通貨ユーロを採用したヨーロッパの国々は、自国通貨の発行権という特権を放棄したために、国家であるにもかかわらず、民間主体と同じように、破綻する可能性のある存在へと成り下がってしまったとも言えるのです。

――たしかに、通貨発行権をもつ政府と民間企業・家計を同列に語れないことはわかります。しかし、国家が「特権」をもつからと言って、いくらでも借金ができるなんて、そんなに“うまい話”があるとはにわかに信じられません。
 そもそも政府がこれ以上借金できなくなるときが来るのではないですか? いまの日本には、民間の金融資産(預金)が豊富にあるから、銀行は国債を引き受けることができますが、いずれ民間の金融資産が逼迫してくれば、国債を引き受けることができなくなるはずです。

中野 それも世間でよく言われることで、主流派の経済学者もそう主張しています。だけど、それは完全な誤りです。その証拠に、図3を見てください。国債引受のために民間の金融資産が減っているならば、国債金利を上げなければ新たな国債を引き受けてもらえないはずですよね?

 しかし、1990年代から国債を発行しまくって政府債務残高がどんどん増えて、「国債金利が高騰する、高騰する」と言われ続けてきましたが、ご覧のとおり長期国債金利は下がり続けています。世界最低水準で、ついにはほとんどゼロにまで下がっています。あなたが言うのが本当ならば、こんなことは起きるはずがないですよね?


https://diamond.jp/articles/-/230685?page=3


――そうですよね……。

中野 しかも、国債金利が世界最低水準にあるということは、世界中のどの国よりも国家財政が信認されている証拠でもあります。なぜ、そんな国が財政危機なんですか?

――うーん……。


「財政破綻論者」は根本的な「事実誤認」をしている
中野 実は、なぜこんなことになるのか、「国債金利が高騰する」「財政破綻する」と言い続けてきた経済学者もまともに説明できていません。いや、説明できるはずがないんです。というのは、彼らが根本的な「事実誤認」をしているからです。

――事実誤認ですか?

中野 ええ。あなたは先ほど「民間の金融資産(預金)が豊富にあるから、銀行は国債を引き受けることができる」とおっしゃいましたね? つまり、銀行が国債を買う原資は民間が銀行に預けている金融資産だというわけです。そして、政府は、国債を発行することで民間の金融資産を吸い上げて、それを元手に財政支出を行っているのだから、国債を発行すればするほど民間の金融資産は減ると考えているわけですよね?

――そうですね。

中野 しかし、そこが決定的な間違いなんです。事実は逆で、「国債を発行して、財政支出を拡大すると、民間金融資産(預金)が増える」んです。

――ちょっと理解できません……。「国債を発行して、財政支出を拡大すると、民間金融資産(預金)が増える」なんてことがあるわけないじゃないですか?

中野 しかし、それが事実です。理解できないのは、あなたが「貨幣とは何か?」を正しく理解していないからです。もっとも、主流派経済学も貨幣について正しく理解していません。さきほど、「世界中の経済学者や政策担当者が受け入れている主流派経済学が大きな間違いを犯していることを、MMTが暴いてしまった」と言いましたが、このポイントがまさにそれなんです。

 MMT(Modern Monetary Theory)は、その名にmonetaryとあるように、「貨幣」から出発する理論です。現代の世界では、私たちは、単なる紙切れにすぎない「お札」を「お金」として使ったり、貯め込んだりしています。単なる紙切れの「お札」が、どうして「貨幣」として使われているのか? 資本主義経済で「貨幣」がどのように機能しているのか? それを解き明かしたのがMMTです。

 そして、「貨幣とは何か?」を理解すれば、国家財政について正しい認識をもつことができます。さきほどの「国債を発行して、財政支出を拡大すると、民間金融資産(預金)が増える」ということも、それが当たり前のことだと理解できるはずです。

――では、MMTは「貨幣」をどう理解しているのですか?

中野 かなり遠回りの説明になりますが、付き合ってくれますか?

――もちろんです。

2. 中川隆[-7673] koaQ7Jey 2021年2月06日 12:47:56 : G6I5aLKuSU : OUx2U2EwZGdJajI=[16] 報告
「財政破綻論者」は根本的な「事実誤認」をしている
中野 実は、なぜこんなことになるのか、「国債金利が高騰する」「財政破綻する」と言い続けてきた経済学者もまともに説明できていません。いや、説明できるはずがないんです。というのは、彼らが根本的な「事実誤認」をしているからです。

――事実誤認ですか?

中野 ええ。あなたは先ほど「民間の金融資産(預金)が豊富にあるから、銀行は国債を引き受けることができる」とおっしゃいましたね? つまり、銀行が国債を買う原資は民間が銀行に預けている金融資産だというわけです。そして、政府は、国債を発行することで民間の金融資産を吸い上げて、それを元手に財政支出を行っているのだから、国債を発行すればするほど民間の金融資産は減ると考えているわけですよね?

――そうですね。

中野 しかし、そこが決定的な間違いなんです。事実は逆で、「国債を発行して、財政支出を拡大すると、民間金融資産(預金)が増える」んです。

――ちょっと理解できません……。「国債を発行して、財政支出を拡大すると、民間金融資産(預金)が増える」なんてことがあるわけないじゃないですか?

中野 しかし、それが事実です。理解できないのは、あなたが「貨幣とは何か?」を正しく理解していないからです。もっとも、主流派経済学も貨幣について正しく理解していません。さきほど、「世界中の経済学者や政策担当者が受け入れている主流派経済学が大きな間違いを犯していることを、MMTが暴いてしまった」と言いましたが、このポイントがまさにそれなんです。

 MMT(Modern Monetary Theory)は、その名にmonetaryとあるように、「貨幣」から出発する理論です。現代の世界では、私たちは、単なる紙切れにすぎない「お札」を「お金」として使ったり、貯め込んだりしています。単なる紙切れの「お札」が、どうして「貨幣」として使われているのか? 資本主義経済で「貨幣」がどのように機能しているのか? それを解き明かしたのがMMTです。

 そして、「貨幣とは何か?」を理解すれば、国家財政について正しい認識をもつことができます。さきほどの「国債を発行して、財政支出を拡大すると、民間金融資産(預金)が増える」ということも、それが当たり前のことだと理解できるはずです。

――では、MMTは「貨幣」をどう理解しているのですか?

中野 かなり遠回りの説明になりますが、付き合ってくれますか?

――もちろんです。

(次回に続く)

3. 中川隆[-7672] koaQ7Jey 2021年2月06日 12:49:56 : G6I5aLKuSU : OUx2U2EwZGdJajI=[17] 報告

【マネーの本質】なぜ、単なる「紙切れ」の紙幣で買い物ができるのか?
中野剛志
https://diamond.jp/articles/-/230690


1990年代から、日本は、国債を発行しまくって政府債務残高がどんどん増えて、多くの経済学者やエコノミストが「国債金利が高騰する、高騰する」と言い続けてきた。しかし、長期国債金利は世界最低水準にあるのが現状だ。なぜ、予測は外れてきたのか? 中野剛志氏は、「そもそも、貨幣を正しく理解していないこと」に問題があると言う。では、貨幣とは何か? なぜ、単なる「紙切れ」の紙幣で買い物ができるのか? 説明してもらった。(構成:ダイヤモンド社 田中泰)

単なる紙切れの「お札」で、なぜ買い物ができるのか?

――前回、中野さんは、主流派経済学が「貨幣」を正しく理解していないとおっしゃいました。では、MMTは「貨幣」をどう理解しているのですか?

中野剛志(以下、中野) かなり遠回りの説明になりますが、付き合ってくれますか?

――もちろんです。

中野 わかりました。では、それをご説明する前に、私から質問してもいいですか? あなたは、単なる紙切れの「お札」が、どうして「貨幣」として流通していると思いますか?

――そうですね……。みんながその「お札」を受け取ると信じているからでしょうか。

中野 そう答える人が多いですね。では、なぜ、みんなはその「お札」を受け取ると信じているのですか?

――うーん……。

中野 答えられないですよね? みんなが「お札」を受け取るのは、みんなが「お札」を受け取ると信じているから。では、なぜみんなが「お札」を受け取ると信じているかというと、みんなが信じているから……。これを「無限退行」と言いますが、説明になっていないわけです。

 しかし、実は、主流派経済学の標準的な教科書とされる『マンキューマクロ経済学T 入門編』(グレゴリー・マンキュー著、東洋経済新報社、2010年)でも、同じような説明がされています。読んでみましょう。

「原始的な社会では、物々交換が行われていたが、そのうちに、何らかの価値をもった『商品』が、便利な交換手段(つまり貨幣)として使われるようになった。その代表的な『商品』が貴金属、とくに金である。これが、貨幣の起源である。
 しかし、金そのものを貨幣とすると、純度や重量など貨幣の価値の確認に手間がかかるので、政府が一定の純度と重量をもった金貨を鋳造するようになる。
 次の段階では、金との交換を義務づけた兌換紙幣を発行するようになる。こうして、政府発行の紙幣が標準的な貨幣となる。
 最終的には、金との交換による価値の保証も不要になり、紙幣は、不換紙幣となる。それでも、交換の際に皆が受け取り続ける限り、紙幣には価値があり、貨幣としての役割を果たす。」
 最後の一文をご覧ください。「交換の際に皆が受け取り続ける限り、紙幣には価値があり、貨幣としての役割を果たす」というのは、さきほどのあなたの意見と同じことです。要するに、「みんながおカネがおカネだと思っているから、みんながおカネをおカネだと思って使っている」というわけです。これが主流派経済学の標準的な貨幣論なんです。

 しかし、この主流派経済学の説が正しいとすると、貨幣の価値は「みんなが貨幣としての価値があると信じ込んでいる」という極めて頼りない大衆心理によって担保されているということになります。そして、もし人々がいっせいに貨幣の価値を疑い始めてしまったら、貨幣はその価値を一瞬にして失ってしまうわけです。

――そう言われると、ずいぶん頼りない議論ですよね……。

中野 はっきり言って、苦し紛れの説明です。なぜ、そのような説明をせざるをえないかというと、主流派経済学が「商品貨幣論」を採っているからです。

――商品貨幣論とは?

「物々交換から貨幣が生まれた」という学説は否定されている
中野 さきほどのマンキューの説明が典型ですが、「貨幣の価値は、貴金属のような有価物に裏付けられている」という学説です。物々交換は面倒くさいので、金や銀などのそれ自体で価値のあるモノを選んで、それを「交換の手段」としたというわけです。だけど、この商品貨幣論は間違いです。

――間違いですか? 日本でもかつてはコメが貨幣として流通していたそうですから、納得できるような気がするんですが……。

中野 いや、この考え方は間違いだと、本当は私たちはすでに知っています。なぜなら、1971年にドルと金の兌換が廃止されて以降、世界のほとんどの国が、貴金属による裏付けのない「不換貨幣」を発行しています。ところが、誰も貨幣の価値を疑いはしませんでした。そして、マンキューがそうであるように、商品貨幣論では、なぜ不換貨幣が流通しているのかについて納得できる説明ができないのです。

 そもそも、イギリスでは、17世紀後半、すり減って重量が減った銀貨が流通していましたが、物価や為替相場にまったく影響を与えませんでした。銀貨にはそれ自体に価値があるから流通しているのだとすれば、すり減った銀貨が同じ価値で流通しているのは“おかしな現象”ということになりますよね?

 それに、イギリスは19世紀に一時期、ポンドと金の交換を停止している時期がありましたが、そのころポンドは使われなくなったかというと、逆で、ポンドが国際通貨としての地位を確立したのは、まさにその時期だったんです。

――そうなんですか?

中野 ええ。

――ということは、かつて人々は金貨・銀貨それ自体に価値があるから貨幣として使っているつもりだったけれど、実は、別の原理によって貨幣の価値は裏付けられていたかもしれない、ということですか?

中野 そういうことになりますね。

 それに、貨幣の起源を研究した歴史学者や人類学者、社会学者たちも、今日に至るまで誰も、「物々交換から貨幣が生まれた」という証拠資料を発見することができませんでした。

 それどころか、硬貨が発明されるより数千年も前のエジプト文明やメソポタミア文明には、ある種の信用システムがすでに存在していたのです。

 例えば、紀元前3500年頃のメソポタミアにおいては、神殿や宮殿の官僚たちが、臣下や従属民から必需品や労働力を徴収するとともに、彼らに財を再分配していました。そして、神殿や宮殿の官僚たちが、臣下や従属民との間の債権債務を計算したり、簿記として記録するための計算単位として貨幣という尺度を使っていました。メソポタミアで出土した粘土板にその記録が遺されているのです。

 また、古代エジプトは私有財産や市場における交換は存在しない世界でしたが、そこに貨幣は存在していました。その貨幣もまた、国家が税の徴収や支払いなどを計算するための単位として使われていたのです。

――つまり、金貨や銀貨といった鋳貨よりも先に、帳簿で記録したり計算するための単位として貨幣が存在していたということですか?

中野 そういうことです。実際、世界史上、金属貨幣がはじめて鋳造されたのは小アジアのリディアで、メソポタミアや古代エジプトから遥か後の紀元前6世紀ごろのことだとされています。

――非常に興味深いですね。帳簿上の貨幣単位が先にあって、あとで現物貨幣が生まれたのが歴史的事実だとしたら、貨幣が物々交換や市場にける取引から生まれたとする商品貨幣論は、間違いということになりますね。

中野 ええ。歴史学・人類学・社会学における貨幣研究によって、商品貨幣論はすでに否定されています。もちろん、「貨幣とは何か?」については、現在もさまざまな説がありますが、少なくとも、商品貨幣論のような素朴な貨幣論をいまだに信じている社会科学は、もはや主流派経済学くらいのものです。

――では、商品貨幣論が間違いだとしたら、貨幣とはいったい何なのですか?

「貨幣」とは「借用証書」である
中野 MMTが立脚しているのは「信用貨幣論」という学説です。

――信用貨幣論とは?

中野 イングランド銀行の季刊誌(2014年春号)の解説がわかりやすいので、それに基づいてご紹介しましょう。その解説は、「商品貨幣論が根強いけれども、それは間違ってます。信用貨幣論が正しいんですよ」という趣旨で書かれているのですが、そこに「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において交換手段として受け入れられた特殊な負債である」という文章があります。要するに、貨幣は「特殊な借用証書」だというのが「信用貨幣論」なんです。

――ちょっと、何を言っているのかわかりません……。

中野 ですよね……。その季刊誌では、「信用貨幣論」の意味をわかりやすく説明するために「ロビンソン・クルーソーとフライデーしかいない孤島」という架空の事例を挙げています。

 その孤島で「ロビンソン・クルーソーが春に野苺を収穫してフライデーに渡す。その代わりに、フライデーは秋に獲った魚をクルーソーに渡すことを約束する」とします。この場合、春の時点で、クルーソーがフライデーに対して「信用」を与えるとともに、フライデーにはクルーソーに対する「負債」が生じています。そして、秋になって、フライデーがクルーソーに魚を渡した時点で、フライデーの「負債」は消滅するわけです。

 しかし、口約束では証拠が残りませんよね? そこで、約束をしたときに、フライデーがクルーソーに対して、「秋に魚を渡す」という「借用証書」を渡します。この「借用証書」が貨幣だというわけです。


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https://diamond.jp/articles/-/230690?page=3


――たしかに、クルーソーは、秋になってその「借用証書」をフライデーに渡せば、魚と交換できますから“貨幣っぽい”ような気はしますが、あくまでもクルーソーとフライデーの間での取り決めというだけではないですか?

中野 では、話を少しアレンジしましょう。

 この島には、クルーソーとフライデー以外に、火打ち石をもっているサンデーという第三者がいるとします。そして、サンデーが「フライデーは約束を守るヤツだ」と思っているとともに、「魚が欲しい」と思っていれば、クルーソーはフライデーからもらった「秋に魚を渡す」という「借用証書」をサンデーに渡して、火打ち石を手に入れることができるでしょう。

 さらに、この三人に加えて、干し肉を持っているマンデーという人もいたとします。そして、マンデーも「フライデーは約束を守るヤツだ」「魚が欲しい」と思っているとすれば、今度は、サンデーが例の「借用証書」をマンデーに渡して干し肉を手に入れることができるでしょう。

 その結果、フライデーは「秋に魚を渡す」という債務を、マンデーに対して負ったということになります。そして、秋になってマンデーがフライデーから魚を手に入れれば、フライデーの「借用証書(負債)」は破棄されるわけです。


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https://diamond.jp/articles/-/230690?page=3


――なるほど。たしかに、そのように「借用証書」が流通すれば、貨幣と言えそうですね。イングランド銀行の季刊誌が「貨幣とは負債の一形式である」と書いている意味が少しわかってきました。

誰かが誰かに「負債」を負ったときに、「貨幣」は生まれる
中野 ここで重要なポイントが2つあります。

 第一に重要なのは、クルーソーとフライデーの野苺と魚の取引が、同時に行われるのではなく、春と秋という異なる時点で行われるということです。だからこそ、そこに「信用」と「負債」が生まれ、フライデーが負った「負債=借用証書」が貨幣として機能しているのです。

 もしも、野苺と魚を同時に交換する「物々交換」であったならば、取引が一瞬で成立するので、「信用」や「負債」は発生しません。そして、そこには「借用証書」=「貨幣」も必要とされないということになります。

――なるほど。そう考えると、先ほどのメソポタミアの粘土板に刻まれた記録の意味もわかる気がします。神殿や宮殿の官僚たちが、臣下や従属民から必需品や労働力を徴収するとともに、彼らに財を再分配していたとのことですが、徴収と再配分は異なる時点で行われるはずですから、誰からどれだけ徴収して、その人にどれだけ再配分しなければいけないかを記録する必要がありますものね。そして、その「信用」と「負債」の記録が貨幣の起源となった、と。

中野 そうです。だから、先ほど私は、「エジプト文明やメソポタミア文明には、ある種の信用システムがすでに存在していた」と言ったのです。貨幣は「物々交換」から生まれたのではなく、「信用システム」から生まれたのです。

――つまり、こう考えてもいいわけですか? フライデーがクルーソーに「秋に魚を渡す」という負債を負ったために「借用証書」が生まれたように、誰かが誰かに負債を負った瞬間に「貨幣」は生まれる、と。

中野 そういうことですね。貨幣を創造するとは、負債を発生させることだということなんです。これは「信用貨幣論」の非常に重要なポイントなので、よく覚えておいてください。

 ただし、ここで2つめの重要なポイントがあります。

 というのは、債務を負った人は「借用証書」を発行しますが、誰が発行した「借用証書」でも貨幣として流通するわけではないからです。負債には常に、「デフォルト(債務不履行)」、つまり借り手が貸し手に返済できなくなるという可能性があります。そこには、必ず「不確実性」が存在しているのです。

 だから、誰の負債でも、貨幣として受け取られるということにはなりません。先ほどのクルーソーたちの島でも、フライデーのことを「あいつは約束を守るヤツだ」と信頼していなければ、誰もフライデーの「借用証書」を受け取らないでしょうから、貨幣として流通することはないわけです。

 つまり、デフォルトの可能性がほとんどないとすべての人々から信頼される「特殊な負債」のみが貨幣として受け入れられ、流通するようになるのです。これを、イングランド銀行の季刊誌では、貨幣は「信頼の欠如という問題を解決する社会制度である」と表現しています。

――なるほど。つまり、信用貨幣論によれば、円・ポンド・ドルなどの貨幣は、デフォルトの可能性がほとんどない政府(中央政府+中央銀行)が発行する「借用証書」だから、貨幣として受け入れられ、流通しているということですね?

中野 まぁ、一応はそう言うことができますね。

――だけど、すごくモヤモヤします。1万円札が政府の「借用証書」だとしたら、それを政府に持っていったら何かをもらえるはずですよね? クルーソーがフライデーに「借用証書」をもっていったら、魚をもらえるように……。かつての金本位制のように「金」と交換してもらえるなら、「借用証書」だと思えますが、いまはそうではないですよね?


それでしか税金を支払えないから、「紙切れ」に価値が生まれる
中野 そうなんですよ。実際、イギリスの5ポンド紙幣には「要求あり次第、合計5ポンドを所持人に支払うことを約束する」と述べる女王の姿が描かれているだけです。

――本当ですか? いくら女王様が保証してくださっても、5ポンド紙幣と引換えに、別の5ポンドを渡されるのでは意味がないですよ。そんな約束をしているだけの貨幣は、やっぱり“ただの紙切れ”としか言えないのではないですか? 信用貨幣論についていろいろお話を伺ってきましたが、「単なる紙切れの『お札』が、どうして『貨幣』として流通しているのか?」という最初の質問に、結局のところ応えられないじゃないですか?

中野 そんなに怒らないでください(笑)。

 MMTは、その問いにこう応えます。

 まず、政府は円やポンドやドルを自国通貨として法律で定めますが、次に何をするかというと、国民に対して税を課して、法律で定めた通貨を「納税手段」として定めるわけです。

 これで何が起こるかというと、国民にとって法定通貨が「納税義務の解消手段」としての価値をもつことになります。納税義務を果たすためには、その法定通貨を手に入れなければなりませんからね。ここに、その貨幣に対する需要が生まれるわけです。

 こうして人々は、通貨に額面通りの価値を認めるようになり、その通貨を、民間取引の支払いや貯蓄などの手段として――つまり「貨幣」として――利用するようになるのです。

 要するに、人々がお札という単なる紙切れに通貨としての価値を見出すのは、その紙切れで税金が払えるから、というのがMMTの洞察です。貨幣の価値を基礎づけているのは何かというのを掘って掘って掘り進むと、「国家権力」が究極的に貨幣の価値を保証しているという認識に至ったのです。

――なるほど……。つまり、フライデーが発行した「借用証書」をクルーソーがフライデーに持っていったら魚がもらえるように、政府が発行した「借用証書」を政府に持っていったら、「租税債務」を解消してもらえるということですね?

中野 そういうことです。

――たしかに、その説明には説得力を感じます。納税義務に違反すれば罰則を科せられるという「強制力」が、貨幣の価値の根本にあるというのはリアリティがありますよね。しかも、納税義務は国民に一斉に課すことができるものですから、一斉に貨幣需要が生まれることにもなります。

中野 ええ。国家の徴税権力というのは強烈な権力ですからね。それに、これは歴史的にも実証されていることです。

歴史が証明する「貨幣の真実」
――そうなんですか?

中野 ええ。かつてヨーロッパでは、民間銀行が独自の銀行券を発行して流通させていました。たとえば、17世紀のイギリスにおける金匠銀行がそうです。金匠銀行は顧客から預かった貴金属などに対して金匠ノート(受領証)を発行し、それが「貨幣」として流通していました。

 ところが、金匠銀行が金庫に保管している貴金属を、顧客が一斉に引き出しにくることはないことに気づいて、預かった貴金属に基づかない金匠ノート(受領証)を発行して融資するようになりました。こうすることで貨幣流通量が増えて、イギリスの経済活動が活発になる一方で、金匠銀行の経営基盤が脆弱なために貨幣価値はなかなか安定しないという問題がありました。

 ところが、政府は、1694年に設立されたイングランド銀行に銀行券の発行業務の独占を認めるとともに(金匠銀行は発券業務を放棄)、イングランド銀行の銀行券を国家への納税などの支払い手段として認めるようになってから、貨幣価値が安定し始めたのです。

――へぇ、そうなんですね。

中野 これと同じような現象は、イギリスのみならず、近代ヨーロッパで数多く観察されることです。民間銀行が発行する銀行券にはデフォルトの可能性という不確実性が伴うため、貨幣価値が安定しなかった。その不確実性を最大限にまで低減し、貨幣に価値を与えたのが国家の関与であり、究極的には「徴税権力」だったというのがMMTの洞察であり、理解なんです。

 別の言い方をすれば、貨幣経済を扱うのは経済学の領域だと思われていますが、その貨幣の価値は「権力」という政治学の領域で基礎づけられているということになります。

――たしかに、そうなりますね。

中野 ただ、MMTは、貨幣が、納税とは無関係に、社会慣習によって交換手段として受け入れられる場合も確かにあると認めています。だから、MMTは、租税の支払い手段となることは、貨幣が人々に受け入れられる「必要条件」ではなく、「十分条件」だとみなしています。つまり、租税の支払い手段として法定通貨を定めれば、それを担保しうる徴税権力が確立した国家においては、必ず貨幣として流通するのだ、と。

――なるほど。

中野 さて、ここまで、ずいぶん遠回りをしたようですが、MMTの「貨幣論」の骨子をご理解いただけましたか?

――はい、一応……。

中野 では、話を先に進めましょう。

(次回に続く)

4. 中川隆[-7671] koaQ7Jey 2021年2月06日 12:52:51 : G6I5aLKuSU : OUx2U2EwZGdJajI=[18] 報告
「コロナ恐慌」で国民が“どん底”に突き落とされないために、絶対に知っておくべきこと
中野剛志
https://diamond.jp/articles/-/230693


「国債を発行して財政支出を拡大することで、財政支出額と同額だけ民間の預金通貨は増える」。MMTは、こう主張しているが、これは「オピニオン」ではなく、「事実」であると中野剛志氏は言う。そして、この「事実」を知らずに、消費税増税にコロナウイルスが重なって、「恐慌」すらも起こりうる状況下で、国債発行による財政出動を躊躇するようなことがあれば、国民は”どん底”に叩き落とされるかもしれないと警鐘を鳴らす。どういうことか? 銀行の「信用創造」の実務、国債発行による財政支出の実務をもとに、中野氏に国家財政の「事実」について説明してもらった。(構成:ダイヤモンド社 田中泰)

「銀行預金」は誰が創造しているのか?

――前回、負債を負ったときに「貨幣」が生まれるとする「信用貨幣論」について、教えていただきました。そのことと、「日本に財政破綻があり得ない」ことにどういう関係があるのでしょうか?

中野 まず、基本的なことから始めましょう。

 現代経済において貨幣として流通しているのは、「現金通貨(紙幣と鋳貨)」と「銀行預金」とされています。ここで重要なのは、「銀行預金」も貨幣に含まれていることです。銀行預金というものが、給料の受け取りや貯蓄、公共料金の支払いなどに使われており、事実上、貨幣として機能しているからです。

 しかも、貨幣の大半を占めるのは、現金よりもむしろ銀行預金のほうです。日本では、貨幣のうち現金が占める割合は2割未満なんです。

――そんなに少ないんですね……。意外です。

中野 そうなんです。貨幣の大半は銀行預金として存在しているんです。ここで質問です。どのお札にも「日本銀行券」と印刷されているように、紙幣は中央銀行(日本銀行)がつくっていますが、では、銀行預金(預金通貨)を創造しているのは誰だと思いますか?

――私たちが稼いだ現金を銀行に預けているのが「銀行預金」ですから、私たちが創造しているのでは?

中野 多くの人が直感的にそう思いますが、よく考えるとおかしいんです。たとえば、あなたが手元にある現金1万円を銀行に預けたら、預金は1万円増えるけれど、手元の現金は1万円減りますよね? つまり、あなたの総資金に増減はないわけですから、それを「創造」と言うことはできません。

――そう言われればそうですね……。では、誰が銀行預金を創造しているんですか?

中野 銀行です。実は、預金通貨は、銀行が「無」から創造しているんです。

――そんなバカな……。

中野 いえ、それが「事実」です。銀行が個人や企業に融資をしたときに、新たな銀行預金が生み出されるのです。

――いやいや。銀行は、私たちが預けた銀行預金を元手に融資しているんですよね? だから、銀行が創造しているわけではないでしょう。

中野 そう思っている人が多いですが、それも間違いです。実際には、銀行は預金を元手に貸出しを行うのではなく、貸出しによって預金という貨幣を創造しているのです。そして、借り手が債務を銀行に返済すると、預金通貨は消滅します。

 たとえば、ある銀行が、借り手のA社の預金口座に1000万円を振り込む場合、それは銀行が保有する1000万円の現金をA社に渡すのではありません。単に、A社の預金口座に1000万円と記帳するだけなのです。そして、この融資されて通帳に記入された1000万円という預金通貨は、A社が返済すると消滅するわけです。

 このようにして、銀行は、何もないところから、新たに1000万円の預金通貨を生み出すことができてしまうのです。これを「万年筆マネー」と言います。銀行員は融資をするときに、借り手の通帳に「1000万円」と万年筆で記入するだけだからです。いまであれば、キーボードで入力するので、「キーボード・マネー」とでも言うべきかもしれませんね。ともあれ、これは銀行で普通に行われている実務であり、これを「信用創造」と言うんです。

――そうなんですか……。銀行は、私たちが預けた預金を元手に融資していると思っていたので、とても驚きました。

借り手がいなければ「信用創造」はできない
中野 私も、これを初めて知ったときには驚きましたが、これこそが銀行の融資業務の偽らざる実態です。イングランド銀行の季刊誌も「商業銀行は、新規の融資を行うことで、銀行預金の形式の貨幣を創造する」と書いていますし、我が国の全国銀行協会が編集している『図説 わが国の銀行』にもこう書いてあります。

「銀行が貸出を行う際は、貸出先企業Xに現金を交付するのではなく、Xの預金口座に貸出金相当額を入金記帳する。つまり、銀行の貸出の段階で預金は創造される仕組みである。」
 日銀の見解も同様です。平成31年4月4日の参議院決算委員会において、「銀行は信用創造で十億でも百億でもお金を創り出せる。借入が増えれば預金も増える。これが現実。どうですか、日銀総裁」という質問に対して、黒田日銀総裁は「銀行が与信行動をすることで預金が生まれることはご指摘の通りです」と応えています。

 つまり、このことは金融関係者にとっては議論の余地のない「当たり前の実務」にすぎないんです。実際、以前、日銀マンとお話したときに、「中野くんさぁ、君の本には得意気に信用創造について書かれているけど、あれは我々にとっては当たり前のことだよ」と苦笑いされたことがありますよ(笑)。

――そうなんですね。前回の信用貨幣論の説明のところで、中野さんは「貨幣を創造するとは、負債を発生させることだ」とおっしゃいましたが、まさにそれですね。フライデーがクルーソーに対して「秋に魚を渡す」という負債を負ったときに「借用証書(貨幣)」が生まれたように、A社が銀行に「1000万円を返す」という負債を負ったときに、1000万円の預金通貨が生み出されるわけですね?

中野 そういうことです。それは重要なポイントで、銀行からおカネを借りたい個人や企業がいるから、信用創造は行われるのです。銀行がいくら信用創造をしたくても、借り手がいなければ信用創造はできないということです。

――なるほど、そういうことになりますね。でも、ちょっと待ってください。信用貨幣論では、銀行が創造した1000万円という預金は銀行の借用証書(負債)ということになりますよね? でも、この場合には負債を負っているのはA社じゃないですか? 銀行は債権をもつのであって、負債を負うのではないですよね? なんか、頭の中がこんがらかってきます……。

中野 その疑問は、バランスシートを見れば解消できます。銀行が信用創造をした結果、銀行とA社のバランスシートは次のようになります。表1のとおり、銀行が創造した1000万円の預金は「負債の部」に計上されるんです。


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――本当だ……。でも、なぜ預金が銀行の負債になるんですか?

中野 だって、A社が預金を引き出したいと銀行に言えば、銀行は現金通貨(紙幣と鋳貨)で支払う義務があるじゃないですか? つまり、銀行はA社に対して1000万円の現金通貨を支払う「負債」を負っていることになります。

――あ、そうか。つまり、銀行とA社はお互いに借用証書を交換しているようなものなんですね?

中野 そういうことですね。そして、貨幣として市中で流通するのは、A社の借用証書ではなく、銀行の負債(借用証書)である銀行預金だということです。銀行は、預金を政府発行の現金通貨と交換することを約束していますからね。ちなみに、A社が1000万円を銀行に完済したときのバランスシートはこうなります(表2)。


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――なるほど。信用創造で生まれた1000万円の貨幣が消えるわけですね。

中野 はい。銀行の貸し出しによって1000万円の預金が創造され、借り手が債務1000万円を銀行に返済すると預金は消滅するというのが、信用創造の仕組みなんです。

――それにしても、信用創造とは、まるで魔法のようですね。


「信用創造」がなければ、「資本主義」は生まれなかった
中野 同感です。元手となる資金の量的な制約を受けることなく、貸出しをすることができる「信用創造」という銀行制度は、実に恐るべき機能だと思いますよ。

 だけど、この「信用創造」がなければ、資本主義経済は現在のように発展することはなかったはずです。現代の資本主義経済は、大規模な設備投資を必要としますから、巨額の資金を調達しなければなりません。もし、銀行が元手となる資金を集めなければ貸出しができないのだとしたら、巨額の設備投資を行うことはできなかったでしょう。

 実際、18世紀後半から19世紀前半にかけて、イギリスで産業革命が起きたのも、それに先行して、銀行制度ができていたからだと言われているんです。

――ところで、信用創造に元手となる資金が不要なのだとしたら、銀行はいくらでも好きなだけ貸し出すことができるわけですか?

中野 いやいや、さすがにそんな“ドラえもん”のような話にはなりません(笑)。さすがに借り手側に返済能力がなければ、銀行は貸出しを行うことはできません。だからこそ、銀行は、融資の際に借り手を審査するわけです。

 つまり、銀行の貸出しの制約となるのは貸し手(銀行)の資金保有量ではなく、「借り手の返済能力」ということになります。大雑把にいえば、「借り手側に返済能力がある限り、銀行はいくらでも貸出しを行うことができてしまう」ということ。もっと言えば、「借り手側に返済能力がある限り、銀行はいくらでも預金貨幣を生み出すことができる」ということです。

 念のために付け加えておくと、民間銀行の信用創造には法令による制約はありますが、本質的には、信用創造の制約となるのは借り手の返済能力だと考えてよいでしょう。

――なるほど。

 さて、これで、ようやく本題に戻ることができます。ここまでの説明で、「貸出しが預金を生む」という信用創造の原理を理解してもらえたと思いますが、この原理は、銀行の政府に対する貸出しにもそのまま当てはまります。

 つまり、政府が国債を発行して銀行が引き受けるときの原資は、民間の金融資産(預金)ではないということです。銀行が国債を引き受けるというのは、銀行が政府に対して信用創造をするということですから、民間の金融資産(預金)の制約は一切受けません。

 したがって、国債をいくら発行して赤字財政支出を膨らませても、民間の金融資産が減ることなどありえませんから、国債金利の高騰という現象も起こりえないんです。真実は逆で、国債を発行して財政支出を拡大することで、財政支出額と同額だけ預金通貨は増えるのです。

――信じられないような話ですが、理屈上は、たしかにそうなりますよね。

「国債は次世代へのツケ」が嘘である理由
中野 これは理屈ではなく、実際のオペレーションでもそうなっています。ただし、日本政府は、日本銀行にしか口座をもっていませんから、民間銀行から直接借り入れることはできませんので、少々複雑なオペレーションになります。

 ここでは、政府が1億円の国債を発行して、公共事業を行うとしましょう(図1)。まず、市中銀行に国債を購入してもらう必要がありますが、そのとき、市中銀行が開設している日銀当座預金が1億円減り、政府が開設する日銀当座預金にその1億円が振り替えられます。なお、国債を購入する市中銀行の日銀当座預金は日銀から供給されたものですから、民間預金とはまったく無関係のオペレーションです。

 次に、政府は公共事業の発注先企業に1億円の政府小切手を交付し、政府小切手を受け取った企業は、自分の取引銀行に政府小切手を持ち込んで、代金の取り立てを依頼します。そして、取り立てを依頼された銀行は、1億円を企業の口座に記帳するとともに、1億円を政府から取り立てるように日銀に依頼します。重要なのは、銀行が企業の口座に記帳した瞬間に、1億円の新たな民間預金が生まれていることです。

――なるほど、たしかに財政赤字支出で新たな民間預金が生まれていますね。

中野 ええ。それで、銀行から1億円の取立てを依頼された日銀は、政府の日銀当座預金から銀行の日銀当座預金に1億円を振り換えます。この1億円は、さきほど銀行が国債を購入したときに、振り替えられたものです。

 つまり、銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金に振り替えられた1億円が、再び銀行の日銀当座預金に戻ってくるわけです。赤字財政支出をしても日銀当座預金に変化は生じないわけですから、国債金利も一切変化しないということになります。


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――あれ? ということは、銀行の日銀当座預金に戻ってきた1億円で、再び1億円の新規国債を購入できるということですか?

中野 そのとおりです。このオペレーションは無限に繰り返すことができるのです。しかも、このオペレーションを回す度に、国債発行額と同額の民間預金が増えていくわけです。つまり、国債の発行によって民間の金融資産を吸い上げているのではなく、財政赤字の拡大によって、民間で流通する貨幣量を増やしているということです。

――これもまた、魔法のような話ですね……。

中野 そうですね。ただし、これはMMTのオピニオンではなく、国債発行の実務を説明しているだけのことです。単なる「事実」なんです。だから、財務省や主流派の経済学が主張している「財政赤字の増大によって民間資金が不足し、金利が上昇する」などという現象など起きるわけがない。ましてや、「国債を消化できなくなる」などということなどありえないんです。そのような誤った主張をするのは、単に「事実誤認」をしているからというだけのことです。

――なるほど。しかし、超エリートの方々が、この「事実」を知らないはずがないと思うんですが……どうも、そこが腑に落ちません。

中野 たしかに、不思議なことですよね。

――ところで、国債はいずれ償還しなければなりませんよね? つまり、将来世代にツケを回しているのではないですか?

中野 よく聞く話ですが、それも誤りです。「国債の償還財源は、将来世代の税金でまかなわれなければならない」という間違った発想をしているから、そういう話になるんです。だって、自国通貨を発行できる政府は永遠にデフォルトしないのだから、債務を完全に返済し切る必要などありませんからね。

 つまり、国債の償還の財源は税である必要はなく、国債の償還期限がきたら、新規に国債を発行して、それで同額の国債の償還を行う「借り換え」を永久に続ければいいのです。実際、それは先進国が普通にやっていることです。だから、英米仏などほとんどの先進国において、国家予算に計上する国債費は利払い費のみで、償還費を含めていません。ところが、なぜか日本は償還費も計上しているんですけどね……。

――日本だけが、なぜそんなことをしているんですか?

中野 さぁ、よくわかりません。政府債務は完済しなくてもいいのだから、英米仏のやり方が理にかなっていると思いますけどね。ともあれ、国債の償還は必ずしも税金でまかなう必要はなく、新規国債で「借り換え」を続ければいいのですから、国債を発行しても将来世代にツケを残すことにはなりません。

 この「事実」を知らずに、消費税増税にコロナウイルスが重なって、「恐慌」すらも 起こりうる状況下で、国債発行による財政出動を躊躇するようなことがあれば、国民は”どん底”に叩き落とされるかもしれないと心配しています。

――なるほど。しかしですね、MMTが言うように、自国通貨を発行できる政府の国債はデフォルトしないので、いくらでも好きなだけ財政支出をすることができるのであれば、税金などいらないではないですか? 無税国家でいいじゃないですか?

(次回に続く)

5. 2021年3月18日 08:23:39 : dzHoUYWlyY : RjZTcGp4cTNLSms=[3] 報告
国民が貧困にならなければ、国家は赤字になっても構わない【中野剛志×黒野伸一】
この国はどうなる!? ポストコロナとMMT【対談第3回】
2021.03.17
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/873222/


長期デフレ不況で日本経済が衰退しているところで襲ってきたコロナ禍。日本はこのまま崩壊してしまうのではないか? どうすればこの国は立ち直れるのか? 財政再建を目指して、国民は死す。これではいったい何のための国家であり、政府なのか? そんな強い危機意識と微かな希望を抱き、最新刊の小説『あした、この国は崩壊する ポストコロナとMMT』(ライブ・パブリッシング)を上梓した小説家・黒野伸一氏。この小説執筆の構想に触発を与え続けたという『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室』(KKベストセラーズ)を著した評論家・中野剛志氏と、「日本経済崩壊の本当の理由と、この国のゆくえ」について熱く語りあう対談。第3回完結編を公開。


新自由主義路線を牽引してきた菅義偉と竹中平蔵(2009年3月13日当時)。2005年10月の第三次小泉改造内閣において竹中は総務大臣兼郵政民営化担当大臣に就任。そのときの副大臣が菅であった。

黒野:MMTで一つ言いたいことがあって、インフレになるとか、そういうことは置いておいて、全世界60億人の人が投資をしたり貸し借りをしたりして、当然、不安になるわけですよ。投資は回収できるんだろうか、貸した金は返ってくるだろうかとか……。不安になるからクラッシュが起きたりする。でも全員が、大丈夫ですと、金なんて返せますから、返せなかったらまた刷ればいいだけですから。借金、国の赤字は膨らみますが大丈夫だと。そのままにするとインフレになりますが、それはまあ置いておいて、みんながハッピーで誰もクラッシュもしなくて、貧困もなくなりましたと。で、ある日、巨大隕石が地球にぶつかって人類は借金を踏み倒して滅亡しました。これ、どこがいけないんですか? だって、借金は残ったけど、そんなもの残ったっていいじゃない。

中野:自国通貨を発行する国が政府債務を増やしてはいけないというのは、国が貨幣を増やしてはいけないと言っているのと同じです。まず、そこにそもそもの誤解がある。つまり、貨幣とは、絶対に返ってくる債務のことです。黒野さんがおっしゃったように、「財政赤字は膨らみますが、大丈夫です」と言って政府の債務が膨らんでいるというのは、政府が貨幣をそれだけ発行しているということです。高インフレさえ起きなければ、それでもいいんです。実際、政府債務の総額は、経済成長とともに増えていくもの。政府債務を返し切った国なんてないわけです。政府の債務というのは、民間企業や一般家庭の家計でいうところの債務とは全然違うわけです。もしかしたら、国債、つまり政府の債務のことを「債務」という言葉を使うことがいけないのかもしれない。

黒野:そうですよね。

中野:みんな「債務」という言葉に引っかかってしまう。債務というのは、太古の昔から返さなくてはいけないものだと考えられてきましたから。同じように政府の「財政赤字」というのも、「赤字」っていったら、それは減らした方がいいものとなってしまう。MMTが流行る前ですけど、ある政治家の先生からこう言われたんです。「国債を発行して良いことのために使おうとしているのに、これ以上発行するのはダメだと言われるのは国債という言葉がよくないんじゃないか」と。未来の投資に必要なものだから「未来投資国債」と呼んだらどうだろうと言う人もいました。私は、「お気持ちはわかるんですけど、またなんかそうやってごまかしていると言われて終わりですよ」と答えた覚えがあります。で、私が代わりに出したアイデアは「財政再建国債」。「よし、財政を再建するために「財政再建国債」を大量に発行するぞ」と言えば、財政再建論者たちは「ええっ、それって発行していいんだっけ、悪いんだっけ」ってみんな混乱するぞって(笑)。

黒野:例えば夕張って破綻したじゃないですか? 東京都は今黒字ですけど、コロナの影響などでもしも仮に東京都が財政赤字になったとする。そうすると東京都は都債を発行するけれども国が保証しますと。だから大丈夫ですと。国はまさか東京都を潰そうとは思わないですよ。でも夕張は見捨てられた。見捨てなかったらつぶれないわけです。

中野:そうですね。

黒野:可哀そうだから見捨てるなよと言えばいいだけの話なんですよね。

中野:そうなんですけど、実際に世の中の人とかが言うのは、「無駄遣いをしたんだから潰せ」と。それがまさに起きたのがギリシアですね。ユーロっていうシステムに入ったので、自国で通貨を発行できなくなった。で、財政赤字になって潰れかかったんだから、本当はほかのユーロ加盟国、例えばドイツとかはギリシアを助けるべきなのに、ドイツ人たちは「あんなに無駄遣いして、赤字を作って破綻したギリシア人たちをなんで俺たちが助けなくてはいけないんだ」ってなってしまった。


黒野:経済問題も法律もすべて人に結び付く。要は人のメンタリティの問題じゃないかと。新自由主義でも、私はトリクルダウンが起きると思っていた。これもメンタリティなわけですよね。共産党員じゃないから分配とか言いたくないんだけど、やはりおかしいんじゃないかと。儲かっている企業が一人勝ちしていいのかと。これだけ儲かったんだから少し還元しなきゃとかね。普通、思うんじゃないのってね。でも人はそうは思わないからこうなっているんだよね。法律や税制で規制とかいう話じゃなくて。だから格差も拡がる。

中野:その通りです。アメリカはコロナ発生後、MMTだけでなく主流派経済学の学者たちまで「政府の債務や赤字を心配している場合じゃない」と言い出すようになった。バイデン政権のジャネット・イエレン財務長官なんか、「もうこんなに歴史的な低金利なんだから、財政赤字なんか気にする必要はなくて出しまくれ」と、200兆円の追加経済対策を決めた。当然、アメリカでも、インフレがどうのとか、金利が上がったらどうするとかいう批判はあったのですけど、それに対して彼女がなんて言ったかというと「The world has changed!」、“世界はもう変わったのよ”と。金利が低いんだから、債務の心配をする必要はない。そんなことよりも大事なのは、コロナから国民を救うことだと。財政支出の規模こそ論争になっているものの、これはもう、アメリカの主流派経済学者の間でもコンセンサスではないでしょうか。ちなみに日本の長期金利は、過去二十年間、超低金利状態で、今ではアメリカの12分の1くらいしかありません。イエレンが日本の財務大臣だったら、50兆円以上の追加経済対策を決断していても不思議ではない。アメリカは、こういう危機のとき、エリートたちがきちっと変わるんですよ。

黒野:コロナが来ないとわからないのかよという気もしますが。

中野:まあ、それはそうですが。もっともコロナ以前に、リーマン・ショックをきっかけに、主流派経済学でも、ポール・クルーグマンのような有名なノーベル経済学賞受賞者の経済学者とか、ローレンス・サマーズとかが財政政策の必要性と有効性を言うようになっていたし、リーマン・ショックの前からも、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツなどリベラル派の経済学者とかも政府支出を拡大するべきだって言っていた。アメリカでは、主流派経済学の権威と言われる人でもそういう主張をしてきたし、特にコロナ後は、目に見えて変化してきた。二十年以上もデフレなのに財政支出の抑制や増税を繰り返し、コロナ渦が起きてさえも、その対策も不十分なまま、もう財政赤字を心配しているような日本の知的状況とは、まったく違う。

黒野:日本はアメリカ追従型なのに……。

中野:70年間もアメリカに憧れてせっせと留学とかしてきたくせに、こんなときこそ、少しはアメリカを見習ったらどうなんだ。ここまでくると、日本が25年も経済が成長しなかった理由は、不思議でもなんでもない。「間違っていました」ではすまされない。他国と比べても無残な知的状況で、これはかなりヤバイですよ。でも、敢えて明るい話題をもう一回言うと、世代の変革というのはさすがにあるので、私のような主張も10〜20年前に比べてだいぶ有利になってきている。もう、新自由主義とか構造改革なんかをまだ理想視しているのは爺さんだけ。ということは、こう言ってはなんだけど、時間が解決する。

黒野:でも新しい政府を見ていると、まだその辺が……。菅さんそのものが竹中さんの弟子だし……。竹中総務大臣の時に菅さん、副大臣だったでしょう。

中野:日本は、この20年間の改革で、保健所の数を半分に減らしていたわけですよ。それで、今更PCR検査の数が足りないと言って騒いでいますけど、保健所の数を半分に減らしておいて何を言っているんだという話です。2019年末くらいまで、病院の病床数も減らそうとしていて、その旗を振っていた有名な財政健全化論者の財政学者は、コロナ禍の発生を受けて、慌ててそのツイート消したらしいですけれど。「財政が危機だからそんな余裕はない」という発想、ここなんですよ、諸悪の根源は。全部ここ。

黒野:金がかかるから備えておかないって、そんな理屈が通るのが理解できない。

中野:この間、日本は、ワクチンの開発ができなかったわけです。自分の国を自分で守れない。国立大学を独立行政法人にして民間ビジネスのセンスを入れて効率化すると言って、研究開発の予算も抑制し、若手研究者の雇用も不安定にしてきましたから、研究論文数もどんどん減っていますよね。ましてや医薬品の開発なんて莫大なお金がかかるわけで、そんなものにお金を回している余裕はありませんということになって、その結果がこれなんですよ。

黒野:日本って、昔は科学技術立国で、基礎科学は比較的弱いけど、応用科学は強くて、ソニーのウォークマンにしろ、ビデオのVHSにしろ、世界を席巻していたし、家電なんて全部日本が強かった。それだけの技術立国が、なんでこんなになってしまったのか。

中野:理由は、二つあって、一つは、公的な研究開発費を十分に増やしてこなかった。これは「小さな政府」とか財政健全化のせいですよね。アメリカはIT革命で成功して、デジタルでGAFAとか出てきてすごいことになっていますけど、ご承知の通り、アメリカが産業政策をやっていないというのはウソで、インターネットがまさにいい例ですが、IT関係のイノベーションの多くは軍事技術の転用ですから。IT革命やGAFAの出現は、軍事的な産業政策をガンガンやった結果です。それが証拠に、アメリカでもイスラエルでも中国でもそうですけど、ITが強いのは軍事大国が多い。日本みたいな平和国家がIT大国になることは不可能です。

 次に民間企業。民間企業がダメになったのは二つで、一つはR&Dと設備投資を十分にしてこなかった。これは企業経営のせいではありません。デフレのせいです。デフレとは、需要が乏しいので、設備投資を控えざるを得ないという状況になります。また、デフレとは貨幣価値が上がることですから、支出より貯蓄の方が経済合理的という経済状態だということです。そんな状況では、長期的な投資などできない。

 もう一つは、構造改革によって企業の経営システムが破壊されたせいです。コーポレート・ガバナンス改革とかいって、株主の権限を強くしてきた。技術なんか自分の所で開発しないで外から買ってくればいい、アウトソースすればいいんだという風潮になった。ROE(自己資金利益率)を高めましょうとか言っていますが、そんなもの、研究開発費を削ればROEが高まるに決まっているんです。その結果、企業はみんな長期的な投資を避けて、短期的な投資に走るようになった。これは、経済構造改革とか日本型経営システムを改革するんだと言ってやった結果です。

 80年代まで、日本企業の技術開発力の何がすごかったかといえば、これはよく知られている話で、その当時の日本企業は、欧米企業に比べて、短期的な投資よりも長期的な投資をより優先していた。短期的には非効率かもしれないけれども、長期的には勝っていた。ところがそれを、「日本企業はROEが低いからダメなんだ」とかいって逆向きにしてしまって、アメリカを見習って株主資本主義にしたのが構造改革だったんです。そんな構造改革を二十年もやってきたのですが、最近になって、ダボス会議で「シェアホルダー資本主義はやめてステイクホルダー資本主義にすべきです」とかなんとか言われたり、SDGsが流行り出したりするなど、世界の方が先に反転してしまった。いったい、日本は、何をやってきたのか。要するに、ここに至るまで、日本はあらゆる改革をそのすべてにおいて系統的に間違えてきたということです。

黒野:“今だけ、金だけ”でやってきてしまったツケが来たということですね。昔は違ったのに。

中野:「日本企業はリスクをとらない」とか嘆いていますが、自分たちでリスクをとれないように改革をしてきたわけです。


黒野:自分が経営者だったらわかるよ。リスク取れないもん、この環境じゃ。デフレだし。でもこの先、中野先生はコロナ後の日本経済はどうなると見ていますか?

中野:コロナで決定的になったのは、今後は「大きな政府」の時代だということですね。これは『富国と強兵』という本で詳しく書いたことですが、過去の歴史を紐解いても、戦後みんな大きな政府になった。なぜかというと、戦争になると、財政赤字だから軍艦を作りませんなんてことは言わないわけですよ。今の日本だとそうなりそうですけど、普通の国はそうはならないので、財政赤字が心配だけど、とりあえず負けちゃいけないから戦車や軍艦をガンガン作るので、政府は当然大きくなるんです。ところが、一度政府が大きくなると、戦争が終わっても、急には元には戻らない。第一次大戦や第二次大戦のときに政府が大きくなりましたが、戦争が終わっても元の大きさには戻らずに、戦争国家から福祉国家に変わったんです。だから日本の左翼の人には悪いけど、福祉国家というのは総力戦が生んだのですよ。

黒野:コロナはまさしく人類の戦争ですね。

中野:まさにポール・クルーグマンが、それ言ってましたね。バイデン政権の200兆円の追加経済対策が過大だという批判に対し、彼は「戦時中の財政支出は、戦争に勝つために必要なだけやるもんだ」と反論していました。普通は、そう考えますよね。実際、各国は、財政出動しまくっています。しかも、コロナも急に消えるわけではない。だらだらと続く可能性の方が高い。もっと言うと、これだけ財政出動しているのに金利がたいして上がってない。物価もそれほど上がらない。「財政赤字をこれ以上拡大したら、金利が暴騰するとか、インフレが止まらなくなるんじゃなかったでしたっけ? でも、そんなことになっていない。ということは、MMTは正しいんじゃないですか?」という人たちが、日本の経済学者を除いて、増えてくると思いますね。

黒野:日本でMMTは難しいですか?

中野:日本の経済学者って現実を見ませんから。現実は見ないわ議論はできないわという人を説得するのは不可能です。そうなると日本は滅びるだけです。コロナ後の世界がどうなるか。結論は簡単で、わかってきた国は大きな政府にしてMMT的な考え方に近づいて生き残り、わからなかった国は従来の財政健全化論に固執して滅びる。その結果、後に残るのは、MMTやMMT的な考え方。

黒野:国家が赤字になっても構わないから、国民が不幸にならないように、貧困にならないように金をばらまいて景気を浮遊させる。こんな簡単なことが何でわからないのか? でもまだ、消費税を上げると言っている人がいる。15%? そんなことを言っているヤツが可笑しいぞと、それをみんなが言える社会にしないと。でも、今回のコロナがあったので、さすがに変な方向に行かないのではないかと、期待したいですけどね。

中野:あとは、繰り返しになりますけど、この10〜20年で世代が変わってきていますから。だから私も、もうちょっと頑張ってみようかなと。

(中野剛志×黒野伸一 対談【完】)

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