雑記帳 2020年12月26日 グアム島の古代人のゲノムデータと太平洋における移住 https://sicambre.at.webry.info/202012/article_32.html グアム島の古代人のゲノムデータを報告した研究(Pugach et al., 2021)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ミクロネシア西部のマリアナ諸島における人類の定住は、いくつかの点でポリネシアの定住よりも注目すべきですが、ポリネシアの定住はマリアナ諸島の定住よりもずっと注目されています。マリアナ諸島は、約750kmの海にまたがる15の島で構成され、フィリピンの東方約2500km、ニューギニアの北方約2200kmに位置します(図1)。マリアナ諸島で最大の島はグアムで、マリアナ諸島の最南端に位置します。以下、本論文の図1です。
画像 https://www.pnas.org/content/pnas/118/1/e2022112118/F1.large.jpg マリアナ諸島最初期の遺跡の年代は3500年前頃で、古環境の証拠は、4300年前頃に始まるさらに古い人類の居住を示唆します。マリアナ諸島最初の人類の存在は少なくともそれと同年代で3300年前頃以後となり、ポリネシア人の祖先と関連づけられている、メラネシア島嶼部とポリネシア西部における最初のラピタ(Lapita)文化遺跡より早くなる可能性さえあります。しかし、マリアナ諸島に到達するには2000km以上の外洋航海が必要なのに対して、ポリネシア人の祖先は、過去1000年にポリネシア東部に進出するまで、同じような距離の航海を行ないませんでした。
マリアナ諸島に最初に航海してきた人類がどこから来たのか、またその集団とポリネシア人の関係は、未解決の問題です。マリアナ諸島人は、他のミクロネシア人やポリネシア人と比較すると、多くの点で珍しい存在です。グアム島の在来言語であるチャモロ語は、インドネシア西部(ウォレス線の西側の島)やスラウェシ島やフィリピン諸島の言語とともに、オーストロネシア語族の中で西マレー・ポリネシア語派に分類されます。ミクロネシア西部の別の在来言語であるパラオ語も西マレー・ポリネシア語派ですが、他の全てのミクロネシアおよび全てのポリネシアの言語は、東マレー・ポリネシア語派のオセアニア亜集団に属します。プタやイヌやニワトリなどの家畜がラピタ文化遺跡やポリネシア人居住地には通常関連していることに表されるような、メラネシア島嶼部とポリネシア西部のオーストロネシア人の最初の存在と関連しているラピタ文化の土器の最も決定的な特徴は、マリアナ諸島には存在しません。さらに、稲作はマリアナ諸島先住民の伝統として存在していたようですが、これまで、そうした証拠はリモートオセアニアの他の場所では見つかっていません。 これらの言語的および文化的違いにより、ほとんどの学者は、メラネシア西部とポリネシアの居住は相互にほとんど関係なかった、と結論づけています。しかし、ミクロネシア人とポリネシア人との間の形態および遺伝の類似性の指標や、フィリピンとマリアナ諸島とラピタ文化地域の土器の間の様式のつながりも指摘されています。それにも関わらず、ポリネシア人の起源に関する標準的な物語は、4500〜4000年前頃に台湾から始まり、フィリピン諸島を島伝いしてインドネシアを南東へと通過し、3500〜3300年前頃にビスマルク諸島に到達した、オーストロネシア語族話者の移動を反映している、というものです。ポリネシア人はそこからポリネシア西部へと拡大し、2500年前頃となるニアオセアニアからの追加の移住がそれに続き、それにより究極的にはポリネシア全域に拡大したより多くのパプア人系統がもたらされた、とされます。この物語は、考古学・言語学・遺伝的データ(関連記事)の大半により裏づけられ、ミクロネシア西部は通常、この正統な物語において目立ちません。 ポリネシア人と比較して、マリアナ諸島人の起源はより不確かです。現代グアム島のチャモロ人のほとんどのミトコンドリアDNA(mtDNA)配列は、mtDNAハプログループ(mtHg)Eで、これはアジア南東部島嶼部全域で見られ、マリアナ諸島最初の人々と関連している一方、低頻度のmtHg-B4はポリネシア人では高頻度で、後の接触に起因する、と考えられています。常染色体の縦列型反復配列(short-tandem repeat、STR)遺伝子座の限定的な数の研究は同様に、ミクロネシア西部(パラオとマリアナ諸島)とミクロネシア東部の類似性における違いを示唆し、ミクロネシア西部はアジア南東部と、ミクロネシア東部はポリネシアとのつながりを示します。 チャモロの言語学的証拠は、インドネシアのスラウェシ島もしくは直接的にフィリピン中央部または北部の起源を示唆し、3500年前頃となるメラネシア最古の装飾土器と他の人工物は、同じ頃かより早い年代のフィリピンの同類と合致します。しかし、代替的な見解が提案されて議論されており、同時代のチャモロの遺伝的および言語的関係がどの程度、最初の居住者と後の接触をそれぞれ反映しているのか、明確ではありません。さらに、航海のコンピュータシミュレーションでは、フィリピンもしくはインドネシア西部からマリアナ諸島への航海が成功した事例は見つかりませんでした。代わりに、これらのシミュレーションは最も可能性の高い出発点として、ニューギニア島とビスマルク諸島を示しました。 ゲノムの証拠は、チャモロ人の起源、およびチャモロ人とポリネシア人との関係に関するこの議論に光を当てられます。ニューギニア島とビスマルク諸島には、2つの主要な遺伝的系統が存在します。一方はオーストロネシア人(マレー・ポリネシア人)で、台湾からのオーストロネシア語族話者の拡大により到達しました。もう一方は、一般的な用語では非オーストロネシア人系統で、オーストロネシア人の到来前にニューギニア島とメラネシア島嶼部に存在しました。ただ、「パプア人」系統は、地域全体で構成がかなり不均一であることに要注意です。パプア人関連系統はおそらく、少なくとも49000年前頃となる、アフリカからオセアニアに拡散してきた最初の現生人類(Homo sapiens)集団にまでさかのぼり、オーストロネシア人系統とは容易に区別できます。 パプア人関連系統はニューギニア島とビスマルク諸島だけではなく、インドネシア東部にもかなりの頻度で存在し、本論文では、インドネシア東部はウォレス線以東(図1)の全てのインドネシア諸島として定義されます。しかし、パプア人関連系統は、ウォレス線以西では事実上存在しないので、マリアナ諸島最初の居住者がフィリピンもしくはウォレス線の西側から出発したならば、パプア人関連系統はほとんどなかったはずです。逆に、マリアナ諸島最初の居住者がインドネシア東部やニューギニア島やビスマルク諸島から出発したならば、かなりのパプア人関連系統をもたらしたはずです。 原則として、この問題に対処するために、マリアナ諸島の現代人の系統をパプア人関連系統に関して分析できます。しかし、古代DNA研究の一般的な知見は、現在のある地域の人々の系統が、数千年前の同地域の人々の系統を反映していないかもしれない、というものです。とくにマリアナ諸島の場合、考古学的証拠は1000年前頃のかなりの文化的変化を示唆しており、ほぼ全ての太平洋諸島が長距離航海により居住されて接続された頃の、ラッテ(latte)と呼ばれる正式な村の配置における石柱の家の建設と一致します。現代チャモロ人におけるmtHg-B4の存在は、ラッテ期の接触に起因する、とされています。 さらに、1521年のマリアナ諸島へのマゼランの到達とともに始まり、1565〜1815年にかけてのマニラとアカプルコ間のガレオン船航海(および奴隷貿易)へと続く、ヨーロッパ植民地時代には、集団接触と移動はより複雑になりました。グアム島は、これらの航海の定期的な乗継地でした。またヨーロッパの植民地主義は、マリアナ諸島全域の集団規模の複数の移転と減少を伴いました。これらの事象は間違いなく、チャモロ人の遺伝的系統に影響を及ぼし、その起源およびポリネシア人との潜在的な関係の評価をより困難にしました。したがって、マリアナ諸島の古代DNAでこれらの問題に対処するのが望ましいでしょう。 グアム島北部のリティディアン海岸洞窟遺跡(Ritidian Beach Cave Site)では、ラッテ期に明確に先行する人類2個体が、儀式的な洞窟遺跡の外で見つかりました。この2個体(RBC1およびRBC2)は、頭と胴体を取り除いた状態で、並んで埋葬されていました。RBC2の骨の直接的な放射性炭素年代測定では、較正年代で2180±30年前という結果が得られ、これはグアム島最初の居住の約1000年後ですが、ラッテ期の約1000年前でもあります。本論文は、この2個体の古代DNAの分析結果を報告します。その結果は、マリアナ諸島最初の人類の出発点に関する議論に寄与し、太平洋の人々のより大きな観点におけるマリアナ諸島の役割に、追加の洞察を提起します。 ●母系と父系
ミトコンドリアゲノムの平均網羅率は、RBC1で95.2倍、RBC2で261.3倍となり、ともに母系となるmtHgではE2aに分類されます。また、mtHg-E2aでも新規の置換があり、ATP6遺伝子においてアミノ酸置換(グルタミン→アルギニン)をもたらします。mtHg-E2aはグアム島の現代チャモロ人集団では最も一般的で、頻度は65%です。他の地域では、フィリピンとインドネシアの集団で散発的に確認されており、ソロモン諸島の1個体で確認されています。それ以外ではオセアニアには存在せず、アジア南東部大陸部で報告されています。したがって、グアム島の古代人におけるmtHg-E2aの発見は、マリアナ諸島が、ニューギニア島やビスマルク諸島よりもむしろ、フィリピンやインドネシアとつながっていることを示唆します。 さらに重要なことに、現代チャモロ人におけるmtHg-E2aの高頻度は、古代人遺骸により表される集団とのある程度の遺伝的継続性と、1000年前頃以後のラッテ期以来、および後のヨーロッパ植民地事象の集団間接触を通じて持続した、と示唆します。X染色体と常染色体の平均網羅率の比率に基づいて、RBC1は男性、RBC2は女性と推定されます。RBC1のY染色体ハプログループ(YHg)は、O2a2(P201)に分類されます。YHg-O2a2は、アジア南東部大陸部および島嶼部に広く分布しており、オーストロネシア人の拡大と関連づけられています。 ●ゲノム規模一塩基多型データ
SGDP(Simons Genome Diversity Project)のデータに基づいて、RBC1とRBC2のゲノム規模一塩基多型データが得られました。RBC1とRBC2は一親等の関係にあるかもしれませんが、データ量が限定的なので、確定できません。それを踏まえた上で、ユーラシアやオセアニアの多様な現代人も対象として主成分分析が行なわれました。RBC1とRBC2は、台湾およびフィリピンの標本と重なっています(図2A)。RBC1とRBC2には、とくにインドネシア東部の標本と比較した場合、パプア人関連系統の兆候は見られません。インドネシア東部の標本は全てパプア人関連系統をいくらか有しているので、他のアジア南東部標本と明確に分離されています。 次に、同じデータセットでADMIXTURE分析が行なわれました。図2Bには、K=6の結果が示されています。ニューギニア島の標本の特徴で、インドネシア東部の標本らも存在する黄色の系統成分は、どのK値の分析でも古代グアム島の2標本(RBC1とRBC2)では完全に欠けています。さらに、K=6では、古代グアム島の2標本に濃い青色の系統成分があり、これはフィリピンと台湾の個体群で最も高い頻度です。RBC1には紫色の成分もあり、これはヨーロッパ人の最近のDNA汚染を反映している可能性が高そうです。以下、本論文の図2です。 画像 https://www.pnas.org/content/pnas/118/1/e2022112118/F2.large.jpg したがって、これらの主成分分析とADMIXTURE分析から、古代グアム島の2標本(RBC1とRBC2)にはパプア人関連系統がなく、さらに、古代グアム島の2標本はフィリピンと台湾の現代人標本に最も類似している、と示唆されます。ただ、このデータセット内の一塩基多型の数は、集団関係の検証には少なすぎ、オセアニア現代人集団の対象範囲が限定されています。そこで、「Human Origins」データセットでさらなる分析が行なわれました。これには、ニアオセアニアとリモートオセアニアの現代人標本が含まれ、古代グアム島の2標本との重複が多く、バヌアツとトンガの初期ラピタ文化標本など、アジアと太平洋の古代人標本のデータも含まれています。 古代人の標本も含めた主成分分析(図3A)では、初期ラピタ文化標本と、ニューギニア島標本と、アジア東部標本がそれぞれ別の頂点に配置されます。古代グアム島の2標本は、台湾およびフィリピンの現代人標本から離れ、初期ラピタ文化標本の方向に投影されます。K=9のADMIXTURE分析(図3B)では、古代グアム島2標本における主要な2系統成分が明らかになります。それは、インドネシアとフィリピンの現代人標本で最も高頻度の濃青色成分と、ポリネシアで最も高頻度の橙色成分です。わずかな紫色成分は、最近のヨーロッパ人の汚染を反映している可能性が高そうです。図2で示された分析と同様に、古代グアム島2標本では、主成分分析またはADMIXTURE分析のパプア人関連系統の兆候がありません。以下、本論文の図3です。 画像 https://www.pnas.org/content/pnas/118/1/e2022112118/F3.large.jpg 古代グアム島2標本におけるこれら2系統成分の存在が、インドネシアおよびフィリピン関連集団と他のポリネシア人関連集団との間の混合を示唆する可能性もありますが、複数の系統成分の存在に関しては他の説明も可能です。とくに、古代グアム島2標本は、系統的にインドネシアおよびフィリピンとポリネシアの両方と関連しており、その後の分岐と遺伝的浮動により、分離したインドネシアおよびフィリピン関連系統とポリネシア関連系統の識別が容易になったかもしれません。 古代グアム島2標本の関係をより詳細に調べるため、外群f3およびf4統計が分析されました。外群f3分析では、古代グアム島2標本により共有される浮動(すなわち系統)の量が、外群(ムブティ人)と比較して他の集団と比較されます。その結果、古代グアム島2標本はラピタ文化のバヌアツおよびトンガの標本群と最も浮動を共有し、フィリピンの古代人標本がそれに続き、その次がフィリピンおよび台湾の現代人標本と台湾海峡諸島の後期新石器時代標本群となります。とくに、ニューギニアおよびフランスと共有される浮動は、他のあらゆる集団よりも少なく、古代グアム島2標本はこれら2集団との関連性が最も少ないことを示唆します。これらの結果は、古代グアム島2標本にパプア人関連系統がないことを裏づけており、さらに、ヨーロッパ人の汚染がこれらの結果に影響を与えていないことも示唆します。 次に、f4統計が実行されました。対象は、検証集団、フィリピンのオーストロネシア語族話者であるカンカナイ人(Kankanaey)、ニューギニア島高地人、アフリカのムブティ人です。f4統計の値がゼロと等しいと、検証集団がニューギニア島集団と比較してカンカナイ人とクレード(単系統群)を形成し、値がゼロ未満だと、カンカナイ人は検証集団よりもニューギニア島集団とより多くの系統を共有し、値がゼロより大きいと、検証集団はカンカナイ人よりもニューギニア島集団とより多くの系統を共有する、と示唆されます。古代グアム島2標本と他の全てのオセアニア集団を用いると、オセアニア集団の検証された全集団は、古代グアム島2標本を除いて、カンカナイ人と比較してニューギニア島集団と系統を共有する、と示唆されます。 ●初期ラピタ文化標本との関係
主成分分析とADMIXTURE分析と外群f3分析は、古代グアム島2標本とフィリピンおよび台湾の現代人集団との間の類似性を示唆するだけではなく、さらに古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間の強い類似性を示します。古代グアム島2標本とアジアおよびオセアニアの初期ラピタ文化標本群の間のより詳細な関係を調べるため、データセットにおける、初期ラピタ文化のバヌアツおよびトンガ標本と、全ての現代および古代のアジア人とオセアニア人の標本を別々にして、f4分析(古代グアム島2標本、初期ラピタ文化標本、アジアおよびオセアニア現代人、ムブティ人)が行われました。ゼロと一致するf4統計の値は、古代グアム島2標本が初期ラピタ文化標本群とクレードを形成する、と示唆します。負の値は、初期ラピタ文化標本とアジアおよびオセアニア現代人集団との間の過剰な共有系統を示唆します。正の値は、古代グアム島2標本とアジアおよびオセアニア現代人集団との間の過剰な共有系統を示唆します。 古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群は常に、あらゆるアジア人集団と比較して相互にクレードを形成する、という結果が示されます。しかし、初期ラピタ文化標本は両方、古代グアム島2標本よりも、古代および現代ポリネシア人標本群と多くの系統を共有しており、他のあらゆるオセアニア人標本とはそうではありません。これは、古代グアム島2標本および初期ラピタ文化標本群の他集団との外群f3比較により、さらに裏づけられます。初期ラピタ文化標本は両方、古代グアム島2標本よりも、現代および古代のリモートオセアニア人標本群とより多くの浮動を共有します。それにも関わらず、f4統計(オセアニア人、初期ラピタ文化標本群、古代グアム島2標本、ムブティ人)は常に、どのオセアニア人集団が検証に含まれるかに関係なく、初期ラピタ文化標本両方で有意に負の値を示します。 これらのf4結果から、他のあらゆるオセアニア人標本と比較すると、外群f3結果と一致して、初期ラピタ文化標本群と古代グアム島2標本との間には共有された浮動がある、と示唆されます。全体として、f3とf4の結果からは、初期ラピタ文化標本群と古代グアム島2標本が相互に密接に関連している一方で、初期ラピタ文化標本群は、古代グアム島2標本よりも、現代および古代のオセアニア人標本群におけるポリネシア人関連系統のよい代理である、と示唆されます。 次に、混合グラフ、つまり混合もしくは移住を表現できる系統樹を用いて、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本と他のアジア人およびオセアニア人の標本間の関係がさらに調べられました。これらの分析に含まれていたのは、パプア人系統の源としてのニューギニア島高地人、アジア人系統の源としての漢人、オーストロネシア人の源としてのカンカナイ人、ビスマルク諸島との関係を調査するためのニューブリテン島の(混合したパプア人とオーストロネシア人の系統の)トライ人(Tolai)と(パプア人系統のみの)バイニン・マラブ人(Baining_Marabu)、混合したパプア人とオーストロネシア人の系統を有する現代バヌアツ人、古代グアム島2標本、バヌアツとトンガのラピタ文化標本群です。また、ムブティ人が外群として含められました。 まず、TreeMixソフトウェアを用いて、最尤系統樹が構築され、移住先が追加されました。2つの移住先を有する系統樹(図5A)は、3標準誤差(SE)以内で全ての誤差を有しているので、妥当な適合を提供します。この系統樹は、古代グアム島2標本とラピタ文化標本群との間で共有された浮動を示唆しており、現代のバヌアツとトンガの標本群へラピタ文化関連系統をもたらす移住先が伴います。 さらに、マルコフ連鎖モンテカルロ法(Markov chain Monte Carlo method)を用いて混合グラフが調べられ、AdmixtureBayesソフトウェアで実行され、潜在的な混合グラフの空間が標本抽出されました。最高事後確率(17.6%)を有するグラフは、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間の共有された浮動を裏づけます。さらに、1000個の混合グラフの事後標本の少なくとも50%に存在する結節点を示す一致グラフからは、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間の共有された浮動は接続形態の99%に現れる、と示唆されます。 さらに、qpGraphソフトウェアを用いてのf統計の組み合わせで、TreeMixとAdmixtureBayesの両方により教師なしで推測された、この接続形態が調べられました。この接続形態は、「許容可能な」グラフにとって3未満という最悪の適合Z得点の既存の閾値を上回る、4.56という最悪の適合Z得点を有します(図5C)。一般的に、近似データと観察データ間の偏差は、誤った接続形態もしくはモデル化されていない混合により説明できます。最悪のf統計は漢人を含む傾向があり、漢人を除外すると、最悪のZ得点は3.72に減少します。このグラフは3以上のZ得点を有する5つのf統計があり、その全てはムブティ人とニューギニア島高地人を含みます。したがって、このグラフはおそらく、オセアニア人標本群の関係、とくに古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間で共有された浮動の、妥当な描写を提供します。 混合系統を有する2集団の場合、バヌアツの現代人標本は、パプア人関連系統65%とオーストロネシア人関連系統35%を有すると推定されますが、トライ人標本はパプア人関連系統85%とオーストロネシア人もしくはラピタ文化関連系統15%を有します。これらの推定は、バヌアツではパプア人関連系統66%とオーストロネシア人関連系統34%、トライ人ではパプア人関連系統87%とオーストロネシア人関連系統13%と示した、AdmixtureBayesの推定と密接に一致します。 さらに、混合グラフ分析に台湾先住民と系統を共有する中華人民共和国福建省連江県亮島の粮道(Liangdao)遺跡の標本群(関連記事)を含めることにより、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間で共有される浮動が調べられました。その結果、粮道遺跡標本群は、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群におけるオーストロネシア人関連系統にとって、現代人標本群よりも適切な代理であると示唆されるものの、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間では依然として共有される浮動があります。以下、本論文の図5です。 画像 https://www.pnas.org/content/pnas/118/1/e2022112118/F5.large.jpg ●古代グアム島2標本の起源
グアム島の古代DNAの研究結果の解釈には、いくつかの注意が必要です。グアム島の古代DNAは2標本(RBC1とRBC2)に基づいており、年代はグアム島の最初の居住民の1400年後です。リモートオセアニアの初期ラピタ文化遺跡群の古代DNAに関する以前の研究は、限定的な標本数に基づく最初の結果(関連記事)が、追加の標本を分析した時に明らかになった複雑さを把握できていなかった、と明らかにしました(関連記事)。それにも関わらず、古代グアム島2標本が同じ地域の他の古代および現代の標本群と示す関係は、さらなる調査の基礎となるだろう、グアム島の移住と、リモートオセアニアのさらなる居住への興味深い洞察を提供します。 古代グアム島2標本のmtHgとYHgは、ニューギニア島もしくはビスマルク諸島よりもむしろ、アジア南東部とのつながりを示唆します。さらに、ゲノム規模データの分析のいずれでも、古代グアム島2標本におけるパプア人関連系統の痕跡は見つかりませんでした。したがって本論文の結果は、インドネシア東部とニューギニア島とビスマルク諸島ではかなりの量のパプア人関連系統が存在することから、古代グアム島2標本の起源がウォレス線の東側にある可能性を除外します。古代グアム島2標本の最も可能性が高い起源はフィリピンですが、インドネシア西部もあり得ます。フィリピンおよびインドネシアの現代人集団と古代人のDNAのさらなる標本抽出が、起源地の特定に役立つでしょう。さらに、考古学的証拠を検討するさいには、フィリピンから東方のメラネシアと南方のスラウェシ島、最終的にはさらに遠くに拡散した集団を反映する、3500年前頃となる赤色土器の急速な地理的拡大に対処するために、より詳細な標本抽出が必要です。 グアム島の基礎的集団のフィリピン起源との見解は、現代人のDNAの知見、言語学的証拠、3500年前頃の最初のマリアナ諸島居住民の考古学的痕跡と一致します。しかし、遠洋航海のコンピュータシミュレーションは代わりに、ニューギニア島もしくはビスマルク諸島を、マリアナ諸島に到達する航海の潜在的な起源地として示唆します。これら2系統の証拠を調和させる可能性がある一つの仮説は、人々がフィリピンからニューギニア島もしくはビスマルク諸島へ到達し、その途中であらゆる集団と混合せず、その後にニューギニア島もしくはビスマルク諸島からグアム島へと航海し、再び先住集団との混合はなかった、というものです。 しかし、TreeMixとAdmixtureBayesの結果(図5)はこの仮説を支持せず、言語学的および考古学的証拠も同様です。とくに、3500年前頃となるマリアナ諸島最初の土器は、3300年以上前にさかのぼらない、ニューギニア島の東側に位置する最古のラピタ文化遺跡群に先行する可能性が高そうです。しかし、マリアナ諸島における3500年前頃の土器や細かい貝の装飾品や他の文化的物質はラピタ文化の伝統とは完全に異なり、代わりに3800〜3500年前頃のフィリピンにおける物質的指標と関連づけることができるので、フィリピンからマリアナ諸島への移動が支持されます。 さらに、遠洋航海のコンピュータシミュレーションは、強い海流と風に逆らって移動する古代の航海の能力を適切に考慮していません。とくに、チャモロの単一のアウトリガー(舷外浮材)カヌーに関しては、スペインの船と比較してのより優れた速度と操縦性能に、オセアニアに到来した初期ヨーロッパ人は感銘を受けました。文献には、17世紀にマニラからグアム島への航海における舢舨(sampan)という船で漂流した「中国人」交易者の記録が少なくとも1例あります。ビスマルク諸島の初期ラピタ文化遺骸の古代DNAは、人々がビスマルク諸島からグアム島へ移動した、という仮説のさらなる検証を提供するでしょう。もちろん、後の期間に、他の場所(おそらくビスマルク諸島を含みます)からマリアナ諸島への追加の集団がもたらされた可能性はあります。 ●古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間の関係
全ての分析は一貫して、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間のひじょうに密接な関係を示します。この密接さは、外群f3およびさまざまなf4分析により明らかで、その全ては古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間の共有された系統を示唆します。さらに混合グラフからは、古代グアム島2標本がまず分岐し、ビスマルク諸島からグアム島への人々の移動は支持されない、と示唆されます(図5)。しかし、混合グラフの結果には注意が必要です。混合グラフは分析において、古代および現代のDNA標本群の混合を含めることに影響を受けるかもしれず(通常、各集団の標本では古代が現代よりも少なくなります)、古代の標本には汚染や損傷に起因する配列エラーの可能性があります。それにも関わらず、人々はマリアナ諸島からビスマルク諸島(もしくはメラネシア島嶼部の他の場所)へと移動し、その後にリモートオセアニアの他の場所に移動したか、あるいは、古代グアム島2標本および初期ラピタ文化標本群の祖先が別々に、異なる経路で同じ起源集団から移動したようです。 本論文の結果では、これら2つの可能性を区別できません。後のポリネシアへの移住におけるマリアナ諸島の直接的な役割に反する事象は、ポリネシアに特徴的な、決定的なラピタ土器もしくは家畜の欠如です。しかし、現代人の言語はその後の発展を反映しているかもしれず、家畜は他の経路で導入されているかもしれません。マリアナ諸島の土器はラピタ土器に数世紀先行しており、一部の研究者には、後にラピタ土器で精巧になった細かく装飾された土器の関連した種類と考えられています。 さらに、インドネシア東部とニューギニア島の他地域を迂回するマリアナ諸島経由もしくは他のいくつかの経路で、フィリピン(もしくはその近隣地域)からビスマルク諸島への人々の直接的な移動は、一つの特有な観察を説明します。それは、バヌアツとトンガの初期ラピタ文化標本群におけるパプア人関連系統の欠如です。ポリネシア人の祖先が、数百年(おそらくは10〜15世代)かかった過程で、台湾もしくはフィリピンからビスマルク諸島にインドネシア東部を通ってニューギニア島の海岸沿いに島伝いに移動したならば、その途中でパプア人関連系統を有する人々と遭遇し、パプア人関連系統を入手する充分な機会があったでしょう。おそらく、ポリネシア人の祖先はこの経路で移動しましたが、社会的もしくは他の知覚された違いのために、途中で人々とすぐに混合しませんでした。 しかし、パプア人関連系統が初期ラピタ文化標本群とほぼ同時にバヌアツに現れ、ポリネシア全域へと拡大した、バヌアツやサンタクルーズやフィジーにおけるかなり後のパプア人関連系統の接触の証拠があるように、そうした障壁は長く続きませんでした(関連記事)。考慮に値する代替的な説明は、ポリネシア人の初期の祖先は、ビスマルク諸島に到達するまでパプア人関連系統を有する人々と遭遇しなかったので、パプア人関連系統を欠いており、それはおそらく、インドネシア東部やニューギニア島沿岸を迂回するマリアナ諸島もしくは他の場所を経由して航海したから、というものです。ミクロネシア経由のポリネシアへの移住は、一般的に研究者には考慮されてきませんでした。しかし、この可能性は、土器の証拠に基づいて提案されてきており、本論文で提示された遺伝的証拠は、ミクロネシア人とポリネシア人との間のつながりへのさらなる洞察を提供します。 以上、本論文の内容をざっと見てきました。今年になって大きく進展したアジア東部の古代DNA研究(関連記事)を踏まえると、本論文の見解を現生人類(Homo sapiens)の拡散史により的確に位置づけられるように思います。ユーラシア東部への現生人類の拡散の見通しは、以下のようになります。
まず、非アフリカ系現代人の主要な祖先である出アフリカ現生人類集団は、7万〜5万年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散した後に、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐します。ユーラシア東部系統は、北方系統と南方系統に分岐し、南方系統はアジア南部および南東部の先住系統とサフル系統(オーストラリア先住民およびパプア人)に分岐します。サフル系統と分岐した後の残りのユーラシア東部南方系統は、アジア南東部とアジア南部の狩猟採集民系統に分岐しました。アジア南東部の古代人では、ホアビン文化(Hòabìnhian)関連個体がユーラシア東部南方系統に位置づけられます。アジア南部狩猟採集民系統は、アンダマン諸島の現代人によく残っています。この古代祖型インド南部人関連系統(AASI)が、イラン関連系統やポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)系統とさまざまな割合で混合して、現代インド人が形成されました。アジア南東部において、この先住の狩猟採集民と、アジア東部から南下してきた、最初に農耕をもたらした集団、およびその後で南下してきた青銅器技術を有する集団との混合により、アジア南東部現代人が形成されました。 アジア東部に関しては、ユーラシア東部北方系統と南方系統とのさまざまな割合での混合により各地域の現代人が形成された、と推測されます。ユーラシア東部北方系統からアジア東部系統が派生し、アジア東部系統は北方系統と南方系統に分岐しました。現在の中国のうち前近代において主に漢字文化圏だった地域では、新石器時代集団において南北で明確な遺伝的違いが見られ(黄河流域を中心とするアジア東部北方系統と、長江流域を中心とするアジア東部南方系統)、現代よりも遺伝的違いが大きく、その後の混合により均質化が進展していきました。ただ、すでに新石器時代においてある程度の混合があったようです。また、大きくは中国北部に位置づけられる地域でも、黄河・西遼河・アムール川の流域では、新石器時代の時点ですでに遺伝的構成に違いが見られます。アジア東部南方系統は、オーストロネシア語族およびオーストロアジア語族集団の主要な祖先となり、前者は華南沿岸部、後者は華南内陸部に分布していた、と推測されます。 この見解に基づくと、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群は基本的にアジア東部南方系統に位置づけられ(アジア東部北方系統も多少有しているでしょうが)、パプア人関連系統は基本的にユーラシア東部南方系統に位置づけられます。オセアニアにはユーラシア東部南方系統でほぼ完全に構成される集団が5万〜4万年前頃に拡散してきて、完新世にユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統(おもにアジア東部南方系統)の集団が拡散し、ユーラシア東部南方系統で構成される集団と混合していったのでしょう。古代グアム島2標本(の祖先集団)と初期ラピタ文化標本群は、オセアニアにおけるユーラシア東部北方系統(から派生したアジア東部系統)の初期の拡散を表している、と言えそうです。 参考文献: Pugach I. et al.(2021): Ancient DNA from Guam and the peopling of the Pacific. PNAS. https://doi.org/10.1073/pnas.2022112118
https://sicambre.at.webry.info/202012/article_32.html
|