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(回答先: エジプト人の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 8 月 30 日 10:52:24)
レバノン人の起源
雑記帳 2020年06月14日
鉄器時代から現代のレバノンの人口史
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_18.html
鉄器時代から現代のレバノンの人口史に関する研究(Haber et al., 2020)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。古代近東はユーラシア西部の主要な文化間の相互作用の中心に位置し、エジプトやヒッタイトやアッシリアやバビロニアやペルシアやギリシアやローマや十字軍やマムルークやオスマン帝国など、さまざまな勢力に支配され、そのほとんどは在来集団に永続的な文化的影響を残しました。しかし、そうした支配勢力の遺伝的寄与はさほど明確ではありません。
以前の古代DNA研究では、近東の現代人のゲノムの90%ほどは、上記の征服前となる近東の青銅器時代集団に由来する、と推定されています。この結果は、歴史的記録に人口移動・植民化・地元住民との混合が残っていることと、対立するように見えるかもしれません。たとえば、紀元後1307年、マムルーク朝はレバノン沿岸を300の新たに移住させたトルクメン人に分割しました。ローマはベイルートとバールベックを植民地および駐屯地と宣言し、ヘレニズム期の兵士たちとその子孫たちの名前は、シドン(Sidon)で発見された碑文で読み取れます。
レバノンの十字軍の埋葬地の被葬者の古代DNA分析では、ヨーロッパから近東への移住と在来住民との混合が一般的で、ある期間にはヨーロッパ系および在来系と両者の混合子孫という異質な集団が共存していた、と示されています(関連記事)。しかし、十字軍によるヨーロッパ系と在来集団との混合は永続的な遺伝的影響を残さなかったようで、レバノンの現代人において十字軍系統は検出困難なほど「希釈」されました。十字軍の事例は、多くの征服と移住の後でさえ、近東青銅器時代系統が依然として近東現代人集団のゲノムで支配的である理由を説明できるかもしれません。
したがって、これまでの古代DNA研究から、二つの未解決の問題が提起されます。まず、近東において一時的な混合事象は一般的だったのか、あるいは十字軍の事例は例外的だったのか、ということです。次に、近東現代人のゲノムは青銅器時代近東集団系統にほぼ由来しますが、全てではないので、どの青銅器時代後の事象が、近東現代人集団で観察される遺伝的多様性に寄与したのか、ということです。
こうした問題の解明のため、近東における紀元前800〜紀元後200年の新たな古代人のゲノムデータが生成され、それは鉄器時代2期(紀元前1000〜紀元前539年)と鉄器時代3期(紀元前539〜紀元前330年)とヘレニズム期(紀元前330〜紀元前31年)とローマ前期(紀元前31〜紀元後200年)の4期に区分されます。これらのゲノムデータは、近東の既知のゲノムデータと比較されました。それは、中期青銅器時代(紀元前2100〜紀元前1550年頃)とローマ後期(紀元後200〜634年)と十字軍期(紀元後1099〜1291年)と現代で、過去4000年にわたっています。
まず、ベイルートで発見された被葬者67人の側頭部の錐体骨からDNAが抽出されました。そのうち19人で有意なゲノムデータが得られ、網羅率は0.1〜3.3倍です。この新たなデータと、既知の古代人および現代人のデータが組み合わされ、2つのデータセットが作成されました。セット1には、2012人の現代人および914人の古代人と815791ヶ所の一塩基多型が含まれます。セット2には、2788人の現代人および914人の古代人と539766ヶ所の一塩基多型が含まれます。
これらの標本群のうち近親関係にあるのは、ペルシア帝国支配下の紀元前500年頃となる鉄器時代3期の女性SFI-43と男性SFI-44で、1親等の関係にあり、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はともにT2c1です。セット2の全標本を対象とした主成分分析では、近東とヨーロッパとコーカサスとロシア草原地帯とアジア中央部および南部の集団が区別されます。現代のレバノンに居住していた古代人は、現代および古代の近東人とクラスタ化します。本論文で取り上げられた新標本群は、青銅器時代集団(シドン青銅器時代集団)と現代レバノン人の間でクラスタ化します。
1親等の2人(SFI-43とSFI-44)は外れ値として表示され、同時代人とはクラスタ化せず、青銅器時代標本群近くに位置します。1親等の2人が古代レバノン人以外の集団に対して遺伝的類似性を有しているのか、検証されました。SFI-43は古代エジプト人とクレード(単系統群)を形成し、その系統の全てを古代エジプト人もしくは遺伝的に同等な集団と共有していた、と推測されます。SFI-44の系統はより複雑で、本論文のデータセットではどの集団ともクレードを形成しませんが、SFI-43・古代エジプト人・古代レバノン人とは系統を共有しているようです。
SFI-43とSFI-44は古代エジプト人とクラスタ化し、現代もしくは古代レバノン人と現代エジプト人との間に位置しますが、SFI-44はSFI-43よりもレバノン人の近くに位置します。SFI-43とSFI-44は1親等の関係にあるものの、その遺伝的系統は異なるようなので、SFI-44が、SFI-43由来の系統と、本論文のデータセットにおける他の個体群もしくは集団との混合なのかどうか、qpAdm を用いて検証されました。SFI-43はSFI-44と関連する集団の系統から70%と、古代レバノン人関連集団から30%の混合としてモデル化できます。しかし、これらの系統の割合は、家系において1回以上の混合が起きていなかったら、2人の1親等の関係を反映していません。
そこで、古代エジプト人と古代レバノン人との間の1親等の混合を表す交雑ゲノムが再現され、SFI-44がSFI-43と交雑ゲノムとの間の混合に由来するとモデル化できるのかどうか、検証されました。そのモデルでは、SFI-44は系統の50%をSFI-43から、50%を交雑ゲノムと類似した系統の個体から有している、と示されます。したがって、SFI-43はエジプト女性で、SFI-44はその息子となり、父親はエジプト人とレバノン人両方の系統を有する、と示唆されます。レバノンにおけるこの家族の構造は、当時の集団移動と異質な社会を強調しますが、この文化間混合が一般的だったのか、それとも例外的だったのか理解するには、追加の標本抽出が必要です。SFI-43とSFI-44は、地域的な個体群が各期間を表すよう集団化される以下の分析では除外されています。
連続した8期間の遺伝的表現により、経時的に連続した2集団がクレードを形成するのかどうか、その系統が共有される祖先集団にすべて由来するのかどうか、もしくはその後の混合が発生し、2集団がその結果としてクレード関係を失ったのかどうか、検証されました。まずf4統計では、本論文のデータセットにおける「古代」と関連した遺伝的変化が、レバノンの連続した2期間で起きた、との結果が得られました。青銅器時代の後、鉄器時代2期の開始において、古代ヨーロッパ人および古代アジア中央部人と関連するユーラシア系統の増加に特徴づけられる、有意な遺伝的変化が明らかになりました。
この検証では、鉄器時代2期と3期の間の有意な遺伝的違いは観察されなかったので、この2期間の標本群は1集団としてまとめられ、qpAdmを用いて鉄器時代の混合モデルが調べられました。レバノン鉄器時代集団は、在来の青銅器時代集団(63〜88%)と古代アナトリア半島人もしくは古代ヨーロッパ南東部人(12〜37%)の混合としてモデル化できます。また、ヨーロッパ人で典型的に見られる草原地帯的系統が、鉄器時代2期の始まりに近東に出現することも示されました。この外来系統の起源として可能性があるのは、青銅器時代の後、紀元前1200〜紀元前900年頃に地中海東部地域を襲撃した「海の民」です。混合の成功モデルの一つでは、ベイルートから南方に約170kmに位置するアシュケロン(Ashkelon)の鉄器時代1期集団と関連する系統を含んでおり、以前には「海の民」関連の混合に由来するかもしれない、と推測されていました。さらに、古代エジプト考古学では、「海の民」はレヴァントを征服したものの、エジプトの征服には失敗した、とされています。
鉄器時代におけるレバノンへのユーラシアの遺伝子流動が、古代エジプトに到達したのかどうか、時空間的に草原地帯系統を定量化することで検証され、古代エジプトは、レヴァントが鉄器時代に受けたユーラシア人からの遺伝子流動を受けたか、ユーラシア系統はエジプトでアシュケロンのように置換された、と示唆されます。アシュケロンでは、ベイルートの鉄器時代2期とは対照的に、ヨーロッパ系統がもはや鉄器時代2期集団では有意には見られません(関連記事)。レヴァントとエジプトからのさらなる鉄器時代標本により、鉄器時代の混合が起源集団の位置の結果として北から南への勾配を示すのか、それともこの期間のレヴァントにおける北方もしくは南方への成功した移住の規模の違いに由来するのか、解明されるでしょう。
古代レバノンにおける第二の遺伝的変化は、ヘレニズム期とローマ前期で観察できます。本論文はこの2期間の個体群を1集団に統合しました。それは、この2期間の個体群の中に放射性炭素年代で重なる個体も存在したことと、f4統計では両期間の集団間で対称性が示されたからです。ヘレニズム期とローマ前期の集団は、在来のベイルート鉄器時代集団(88〜94%)とアジア中央部・南部集団(6〜12%)の混合としてモデル化できます。セット2において古代および現代レバノン人集団間で共有されるハプロタイプ区分の分析では、ヘレニズム期の2人(SFI-5とSFI-12)とローマ前期の1人(SFI-11)は、アジア中央部および南部人と過剰なハプロタイプを共有しており、qpAdmの結果が確認されました。
古代レバノンとアジア中央部および南部との関係はまた、現代レバノン人のY染色体ハプログループ(YHg)に存在するL1a1(M27)でも現れます。YHg-L1a1は現在アジア中央部および南部では一般的ですが、他地域では稀です。YHg-L1a1である5人のレバノン人の合着年代を検証すると、紀元前450〜紀元後50年頃となる男性1人に由来する、と明らかになり、これはヘレニズム期と重なります。
ヘレニズム期のレバノンにおけるアジア中央部・南部系統の存在は、アレクサンドロス(マケドニア)帝国支配下の接続された地理を反映しており、それはアレクサンドロス帝国に先行したペルシア帝国(アケメネス朝、ハカーマニシュ朝)も同化し、5世紀にわたって東西間の接続を維持しました。これらの大帝国は、エジプトとレバノンの家族に直接的に見られるように、人々の移動と混合を促進し、本論文では近東における混合個体群が示されます。
ヘレニズム期およびローマ前期とローマ後期との間の遺伝的変化の検証では、f4統計からはほとんど遺伝的変化が見られませんでした。一方、この時期のローマでは、近東とヨーロッパの間の有意な集団移動が指摘されています(関連記事)。ローマ後期個体群をヘレニズム期およびローマ前期集団と他の古代集団との混合としてモデル化すると、古代アナトリア半島人およびヨーロッパ南東部人を含む成功モデルが見つかります。しかし、この系統はすでに鉄器時代の始まりからレバノンに存在していたので、ローマ後期個体群における在来集団遺骸の要素は、人口構造に起因している可能性があります。とくに、ヘレニズム期およびローマ前期標本群が沿岸地域から得られたのに対して、ローマ後期標本群は遠い山岳地域から得られており、さらに、混合モデルはベイルート鉄器時代集団を在来系統の起源として用いると有意ではないので、ローマ後期個体群は先行する在来集団にその系統の全てが由来する、と示されます。
ローマ後期から中世にかけて、アフリカ系統の増加が検出されますが、これは統計的有意性をわずかに下回ったままで、アフリカ東部人を混合モデルで用いると、中世レバノン人の系統の2.9%以下を占めます。レバノンで観察された最後の遺伝的変化は十字軍期の後に起きましたが、上述のように、十字軍によるヨーロッパ系と在来集団との混合は永続的な遺伝的影響を残さなかったようで、レバノンの現代人において十字軍系統は検出困難なほど「希釈」されました。
レバノンの人類集団におけるこの最後の遺伝的変化は、十字軍の影響ではなく中世の後に起き、コーカサスおよびトルコからの集団と関連した系統の増加が明らかになります。混合により起きた連鎖不平衡(複数の遺伝子座の対立遺伝子同士の組み合わせが、それぞれが独立して遺伝された場合の期待値とは有意に異なる現象)崩壊を用いると、この混合はレバノンがオスマン帝国支配下にあった紀元後1640〜1740年頃に起きた、と示されます。連鎖不平衡崩壊検証はまた、ヘレニズム期に起きた有意な混合を検出し、それは本論文で分析された古代個体群からのより直接的な推定と一致します。
セット2のデータを用いて、古代および現代レバノン人のデータを混合グラフに適合させると、他の古代集団との関係が示されます。グラフは上述の結果を支持し、青銅器時代以降のレバノンにおけるかなりの遺伝的連続性を示します。その間の主要な混合事象は3回で、鉄器時代とヘレニズム期とオスマン帝国期です。それぞれ、3%と11%と5%の外来系統の遺伝的寄与があった、と推定されます。以下、この関係を示した本論文の図3です。
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本論文は、鉄器時代からローマ期の近東古代人の全ゲノム配列データを新たに提示し、それは主要な歴史事象と集団移動により特徴づけられる期間に及んでいます。本論文のデータは、これらの事象の遺伝的結果を捕捉しますが、一般的集団の遺伝的構成への影響は最小限で、近東における大きな文化的移行は、これらの事例では同等の遺伝的移行とは合致しないことも示します。支配層の交替による文化的変化は大きかったものの、多数を占める非支配層の遺伝的構成には大きな影響が及ばなかった、ということでしょうか。
本論文で示されたように、時系列から標本抽出された古代集団を用いて検出される小さな遺伝的変化は、利用可能な歴史的記録を補足しており、歴史学においても古代DNA研究の役割はますます大きくなっていくだろう、と予想されます。日本史の研究においても、近いうちに古代DNA研究の成果が頻繁に活用されるようになるかもしれません。そうすると、現代日本人の基本的な遺伝的構成が古墳時代までにほぼ確立したことや、その後の小さいものの明確に検出されるような、地域間の移動も確認されるかもしれません。もっとも、これはあくまでも現時点での私の推測で、じっさいにどうだったのか、日本列島の前近代人を対象とした古代DNA研究が進展するまで断定はできませんが。
参考文献:
Haber M. et al.(2020): A Genetic History of the Near East from an aDNA Time Course Sampling Eight Points in the Past 4,000 Years. The American Journal of Human Genetics, 107, 1, 149–157.
https://doi.org/10.1016/j.ajhg.2020.05.008
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_18.html
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