貨幣負債論(信用貨幣論)について 2019年01月29日 https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html 今回のコラムでは「貨幣負債論(信用貨幣論)」について解説します。
今回のコラムの発端は、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことになります。 今回はその第一弾として「貨幣負債論(信用貨幣論)」を、中野剛志『富国と強兵』、デヴィッド・グレーバー『負債論』、フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』から紹介します。 ではまず「貨幣負債論(信用貨幣論)」とは一体何なのでしょうか? 『富国と強兵』では、イングランド銀行の機関紙(2014年春号)に掲載された解説記事『現代経済における貨幣:入門』から次のように引用しています。 「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」 この引用から筆者は 「貨幣を一種の負債とみなす貨幣観を『信用貨幣論』と言う。」と定義しています。 この「負債」と「信用」とはどういった関係なのでしょうか? 『富国と強兵』ではこの答えを簡潔にまとめています。 「『負債』とは、言うまでもなく『信用』の対概念であり、AのBに対する負債は、BのAに対する信用である」 本書では更に続けて、学者の言葉を引用しています。 ケインズに影響を与えたA・ミッチェル・イネス: 「貨幣とは信用であり、信用以外の何物でもない。Aの貨幣はBのAに対する負債であり、Bが負債を支払えば、Aの貨幣は消滅する。これが貨幣の理論の全てである。」 社会学者ジェフェリー・インガム: 貨幣とは「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係。」 こうして本書では「貨幣が負債の一形式であるというのは以上のような意味においてである。あらゆる貨幣が負債なのである。」と結論しています。 では、そもそも、「負債」、「信用」とは何なのでしょうか? まず「負債」について見ていきましょう。 『負債論』では、まず「義務」と「負債」の違いを確認し、そこから「負債」を定義づけ、「信用」や「貨幣」との関連を示唆しています。 「ただの義務、すなわちあるやり方でふるまわなければならないという感覚、あるいは誰かに何かを負っている[借りがある]という感覚、それとの負債との違いは正確に言えばなんであろうか?」 「負債と義務の違いは、負債が厳密に数量化できることである。このことが貨幣を要請するのである。」 「貨幣とは負債はまったく同時に登場している。」 人類最初期の文書であるメソポタミアの銘板に「記録されていたのは、信用による貸借、神殿による支給の配分、神殿領地の地代、穀物と銀それぞれの価格などである。おなじく、モラル哲学の最初期の文章のいくつかは、モラルを負債として想像すること、つまりそれを貨幣という観点から想像することが何を意味するのか、についての考察である。」 「したがって、負債の歴史とは必然的に貨幣の歴史なのである。」 まとめると、「負債」とはすなわち「数量化した義務」であり、歴史上、「貨幣」と同時に登場した、ということになります。 「このことが貨幣を要請する」とはどういう意味でしょうか? 単純に解釈すると、負債という存在があったから貨幣が必要になった、となります。 負債という概念が先にあるのです。貨幣はその後すぐに誕生したということになります。 この『負債論』での「負債」の説明は、『富国と強兵』で引用されたイングランド銀行の機関紙の説明 「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」 と同じです。 なお、「貨幣が負債である」というのは、貨幣の発行者から貨幣を見たときの記述です。 貨幣の保有者から見ると「貨幣は債権(資産)」になります。 この「貨幣は発行者にとって負債で、保有者にとっては資産」というのは、MMTにおいては定義になっています。 次に「信用」とは何なのでしょうか? 『富国と強兵』では負債について、以下の指摘をしています。 「負債とは、現在と将来という異時点間の取引によって生じるものであるが、将来は不確実であるから、負債はデフォルト(債務不履行)の可能性を伴う。」 「信用」とは「負債」の将来のデフォルトの可能性を勘案して決断されます。 このお客なら将来ちゃんとお金を払ってくれるだろうと。 この将来は一時間後でも構いませんし、数日、数ヶ月、数年でも構いません。 実際、わたしたちは、料理店で提供された料理を食べた後に、決済しています。 これはお店がわたしたちを信用して料理を提供し、わたしたちは発生した負債を食べた後に決済します。 また、お店と客の信頼関係によっては、ツケ払い、つまり将来のいつかの時点での決済、を許可している場合もあります。 食事に限らず、実際の財・サービスの交換には時間差があります。 例えば家のローンなどは、購入から返済までに数十年単位でかかります。 この時間差が生む不確実性を容認するのが「信用」なのです。 『富国と強兵』では、イングランド銀行の解説からこのように引用しています。 「貨幣は、この信頼の欠如という問題を解決する社会制度である。」 「負債」と「信用」の意味、そして貨幣との関係はこれで判りました。 次に、「貨幣が負債である」ことの正しさを、以下の2つの観点から確認します。 @会計上正しいこと A歴史的に見ても正しいこと @会計上正しいこと これは実在する貨幣発行者のバランスシート(貸借対照表)を見れば、すぐにわかります。 わが国の国定貨幣である日本銀行券は日本銀行によって発行されていますので、日本銀行のHPからバランスシートを探してみましょう。 以下のPDFは、日本銀行のHPに掲載されている、2018年度の日本銀行の財務諸表になります。 https://www.boj.or.jp/about/account/data/zai1805a.pdf このPDFに貸借対照表が掲載されており、その負債の部の先頭に「発行銀行券」と記載されています。 日本銀行の「発行銀行券」といえば「日本銀行券」のことです。 なお、資産の部にも「現金」とありますが、その額は「発行銀行券」よりずっと少ないため、自ら発行した日本銀行券を回収して保有している、と解釈することができます。(これは誤りです。詳細はコメント欄で。) まとめますと、日本銀行から見ると発行した「日本銀行券」は紛れもなく「負債」であり、日本銀行自身が「日本銀行券」を持つと「資産」ということになります。 (勿論これは相殺が可能ですが、相殺が必然というわけではありません。) しかしこれだけでは、会計学上で(発行者にとって)貨幣を負債としていることは解っても、それ(貨幣を負債とする)が妥当なのかまでは判りません。 この妥当性をAで検討していきましょう。 A歴史的に見ても正しいこと 歴史学上、貨幣がどの年代に発見されたか? これは古代メソポタミアです。 そしてこの古代メソポタミアでは、既に信用取引が一般的な決済方法でした。 例えば、彼ら古代メソポタミアの民は、居酒屋の支払いを毎回ツケ払いしていました。 居酒屋のオーナーからすると、お客を相当「信用」しないとできない行為です。 そして飲んだ客は、膨らんだ「負債」を後でまとめて、自分で収穫した農産物などで払う、というような行為が一般的であったようです。 古代メソポタミアから発掘された銘板にはこうした信用取引の記録が大量に残されています。 そして将来の支払い義務が記された銘板は、貨幣として流通していました。 (この銘板の持ち主に誰々がどれだけの支払い義務を負っているか、が記された銘板です。) つまり、この銘板を保有するということは、銘板に記載されている支払額と同額の資産を保有するということになります。 これは現代で言えば、企業の発行する約束手形が流通するようなものです。 まさに、古代メソポタミアでは負債としての貨幣が流通していた、ということになります。 『21世紀の貨幣論』には、古代メソポタミアでは「現存する証拠資料の示すところであれば、ほとんどの取引が信用(クレジット)を基盤としていた。」と記載されています。 一般的な経済学では、物々交換経済→貨幣経済→信用経済へと発展していったと記述されていますが、人類学者の長年に渡る調査によると「物々交換経済から貨幣に発展した例は、いかなる社会にも見当たらなかった」そうです。 物々交換は部族と部族の間の取引のように、信用できるかわからない相手との取引など、限定的には見られたそうですが、決して主流にはなりませんでした。 人類学者が調査した社会の中には、古代メソポタミアのように最初から信用取引が発達していた社会が有りました。 例えば、有名なヤップ島の話です。 ヤップ島では発見当時、主要な生産物が3つ(魚、ヤシの実、唯一の贅沢品であるナマコ)しかありませんでした。あとは家畜にブタがいる程度です。 物々交換をするのにこれ以上最適な社会を探し出すのは難しいでしょう。 しかし、彼らはフェイという代用貨幣(トークン)を使って、現代的な信用取引をしていました。 『21世紀の貨幣論』から引用してみましょう。 「ヤップの島民は魚、ヤシの実、ブタ、ナマコの取引から発生する債権と債務を帳簿につけていった。債権と債務は互いに相殺して決済をする。決済は一回の取引ごと、あるいは1日の終わり、一週間の終わりなどに行われる。決済後に残った差額は繰り越され、取引の相手が望めば、その価値に等しい通貨、つまりフェイを交換して決済される。」 これは実に現代的な信用経済です。 実際、今の日本にもこれと同様のシステムが存在しています。 日本の金融機関が日銀を介して行っている、即時グロス決済と時点ネット決済です。 一回の取引ごとに行われる決済が即時グロス決済、ある時点で行われる相殺決済が時点ネット決済です。 ヤップ島では決済後に残った差額はフェイを交換しますが、これは日本では決済後の銀行間での日銀当座預金の残高の移動に相当します。 また、このフェイの交換というのも、あくまで「所有権の交換」であって「所有の交換」ではなかったそうです。 そのため、既に所有権が移ったフェイが相手に渡されること無く、今までどおり庭に置かれているという状態でした。 実際にフェイを所有する必要はないのです。 そのため、かつて海に沈んだフェイが、現在は誰も見たこともないのにその存在を信じられており、これも財産として数えられていました。 これがフェイが代用貨幣(トークン)である所以です。 「ヤップ島のマネーはフェイではなく、その根底にある、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・清算システムだったのだ。」 と、『21世紀の貨幣論』には記載されています。 人類学者が調べたのは、古代メソポタミアやヤップ島だけではありません。 様々な時期の様々な社会を調べました。 長年の調査の結果に対する人類学者や一部の経済学者の同じようなコメントが、『21世紀の貨幣論』に長々と記載されていますが、その結論部を抜き出します。 「21世紀初めには、実証的証拠に関心を持つ学者の間で、物々交換から貨幣が生まれたという従来の考え方はまちがっているというコンセンサスができあがっていた。経済学の世界ではこれは珍しいことである。人類学者のデビッド・グレーバーは2011年に(引用者注:2011年は『負債論』のこと)次のように冷ややかに説明している。 『そうしたことが起きたという証拠は一つもなく、そうしたことが起きなかったことを示唆する証拠は山ほどある。』」 貨幣は物々交換から生まれたものではありませんでした。 そうすると、貨幣は何から生まれたのでしょう? 言うまでもなく負債と信用の関係から貨幣は生まれたのです。 最後にハイマン・ミンスキー(師はシュンペーターとレオンチェフ、MMTerのランダル・レイは弟子)の言葉でこの記事を締めくくります。 「誰でも貨幣を創造できる。」「問題は、その貨幣を受け入れさせることにある。」 これは「誰でも負債(借用証書)を創造できる」「問題は、その負債(借用証書)を受け入れさせることにある。」と言い換えることができます。 本当に誰でも貨幣(借用証書)を作れるのかというと、企業は手形という借用証書を発行できます。 また、個人でも小切手という借用証書を発行することができます。 『21世紀の貨幣論』には2001年のアルゼンチンでの金融危機で実際に起ったことが記載されています。 政府は銀行システムの流動性を維持するために、銀行預金の引き出しを厳しく制限しました。 お金が突然なくなるという緊急事態において、代替貨幣(トークン)が自然発生的に生まれました。 州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始め、借用書はまたたく間に通貨として流通するようになりました。 このように本当に「誰でも貨幣を創造できる」のです。 では「誰でも貨幣を創造できる」のなら、なぜ、国定貨幣がその国内の最大の主流通貨として流通しているのでしょうか? https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html ▲△▽▼ 内生的貨幣供給の功罪 2019年02月26日 https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html
今回のコラムはMMTを解説する予定でしたが、その前に「内生的貨幣供給論」の解説を行います。 (「内生的貨幣供給論」はMMTの基盤の一つとなっています。)
「内生的貨幣論」はMMTだけでなく、ポスト・ケインジアンの中で広く論じられている理論です。 今回は、内藤敦之「内生的貨幣供給理論の再構築―ポスト・ケインズ派の貨幣・信用アプローチ」から、「内生的貨幣論」を紹介します。 (なおこの本は、L..ランダル・レイの議論の紹介が多く、MMT/現代貨幣論という言葉こそ出ていませんが、表券主義という言葉でJGPを含むレイの現代貨幣論の一部を解説しています。) 「内生的貨幣供給論」とは何か? 簡単に言えば「需要に応じて貨幣が供給されるという考え方を軸に、貨幣経済の姿を描く理論」です。 現代の内生的貨幣供給論には主に3つの派閥があります。 ・ホリゾンタリズム(カルドア、ムーアなど) ・ストラクチュラリズム(レイ、ポーリンなど) ・サーキュレイショニスト(ブールヴァ、ラヴォワ、ロションなど) ここではこの3つの派閥の説明は、議論が細かくなりすぎるため行いません。 なお、現代的な内生的貨幣供給論は、カルドアに始まる、とされています。 「内生的貨幣供給論」と対立する概念に「外生的貨幣供給論」があります。 この両者の違いを見ていきましょう。 そもそも貨幣供給が内生的、外生的とはどういった意味なのでしょう? 貨幣供給が内生的というのは、「銀行と民間という経済の『内部』の貸借で『貨幣(銀行貨幣)が生まれる』」、というものです。反対に貨幣供給が外生的というのは、「銀行と民間という経済の『外部』である中央銀行が『貨幣を生み』、それを銀行と民間の内部に供給する」、というものになります。 「内生的貨幣供給論」vs「外生的貨幣供給論」 内生的貨幣供給、外生的貨幣供給という概念自体は20世紀以前の古典派の時代から存在しています。 銀行学派が内生的貨幣供給を、通貨学派が外生的貨幣供給をそれぞれ主張し、対立していました。 もう少し詳しく両者の理論を見てみましょう。
「内生的貨幣供給論」は「銀行の貸出ありき」です。 銀行が民間に貸出を行った結果、預金(マネーストック)が創造されます。そして民間が銀行から借入れた預金を返済すると、預金(マネーストック)は消滅します。 銀行は貸出を行って預金を創造した後、預金額に応じた一定の額を中央銀行の当座預金に預けること(準備預金制度)が義務付けられてます。私の準備預金についてのコラムでも解説した通り、準備預金は貸出の後で銀行が用意すると想定されています。銀行は、保有現金か、インターバンク市場から掻き集めるか、中央銀行に借入れすることで、準備預金を用意します。すなわち、貸出(マネーストック)の増加に応じて、受動的に準備預金(ベースマネー)を用意することになります。このときの準備率やインターバンク市場の金利や借入れの利子率は中央銀行により「外生的」に決定されます。 なお、「内生的貨幣供給論」は「信用貨幣説」と密接な関係があります。 (「信用貨幣説」については以前のコラムで解説しました。) 信用貨幣論では貨幣供給は内生的となるため、中央銀行は貨幣量を直接操作することは出来ません。 一方、「外生的貨幣供給論」は、「中央銀行の意志ありき」です。 中央銀行が銀行に、買いオペや貸出などで銀行の準備預金を供給すると、銀行はそれに応じて民間への貸出を拡大できます。そして売りオペや貸出の返済などで準備預金を削減すると、銀行は貸出を縮小します。すなわち、中央銀行がベースマネーの量を制御することによって、マネーストックの量をも制御できるという理論です。(もっと簡単に言えばベースマネーの量とマネーストックの量は比例するため、ベースマネーの量を制御することでベースマネーの量を決めることができる。) なお、「外生的貨幣供給論」は「商品貨幣説」と密接な関係があります。 (貨幣の供給が商品と同様に、供給者が外生的に制御可能と考えるためです。) なぜ量的緩和(QE)は目標達成できなかったか? これは内生的貨幣供給論から簡単にわかるでしょう。 内生的貨幣供給論によれば、中央銀行は貨幣(マネーストック)の量を直接制御できないからです。 日本で量的緩和が行われる以前、マネーストックを巡って、岩田規久男ら経済学者と翁邦雄ら日銀職員との間で論争が有りました、 翁邦雄らの理論は日銀理論と呼ばれるもので、これは「日銀はマネーストックの量を制御できない」という「内生的貨幣供給論」と同様の理論と言えます。 「内生的貨幣供給論」は、「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」という比喩で表現されることもあります。 内生的貨幣供給の功罪 内生的貨幣供給のもとでは、銀行はアニマル・スピリッツを発揮し、企業に融資を行います。 企業側からみると、企業はアニマル・スピリッツを発揮して投資を決意、投資計画を作成した上で、銀行へ借入れを申し込みます。この投資計画では、銀行貸出の利子率を上回る利潤を獲得することが必要になります。 こうして銀行から貸出を受けて始めて、貨幣が銀行貨幣(銀行預金)として創造されます。 企業は投資計画に従って投資し、生産を拡大していきます。 こうしたアニマル・スピリッツの発揮による預金の創造と投資・生産の拡大は、資本主義が爆発的に発展した理由のひとつとして挙げられています。 これが内生的貨幣供給の「功」の部分になります。 内生的貨幣供給の「罪」の部分は、金融が不安定になることです。 経済が調子の良いとき、銀行はリスクを過小に見積もり貸出することがあります。(マネーストック増加) ここで何らかのショックが起きたとき、そのリスクは拡大します。 それに反応して投資家らが資産を売却し、資産の価値が暴落していきます。 そうなると、投資家や銀行が債務超過になり、破綻に追い込まれてしまいます。 これがいわゆる金融危機であり、ハイマン・ミンスキーの唱えた「金融不安定仮説」です。 (金融危機を説明するハイマン・ミンスキーの「金融不安定仮説」はストラクチュラリズムに大きな影響を与えています。) こうした金融危機に対して、銀行の預金準備率を100%にすることで銀行の貸出を抑制して金融危機を防ぐ、「ナローバンク構想」が持ち出されています。 しかし、これは先に述べた、企業と銀行のアニマルスピリッツの発揮を抑制するものです。 資本主義の成長も抑制されることになるでしょう。 内生的貨幣供給と国債発行 最後に、「内生的貨幣供給論」と国債発行の関係の解説をしたいと思います。 ここでは、建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」の議論を紹介します。 (なお、ここで議論する国債はすべて自国通貨建ての国債になります。) 政府が新規国債を発行して財政支出を行う場合、次のステップを踏むことになります。 @銀行が新規国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預金が、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる A政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う B企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する C 取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に,代金の取立を日本銀行に依頼する D この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる この後、銀行は戻ってきた日銀当座預金でふたたび政府の新規国債を購入することができます。 このループを図にしたものが下図になります。(中野剛志氏が作成した図になります。) 一般通念とは逆に、銀行は民間からの預金で国債を購入するわけではありません。銀行は政府の発行した国債を購入することで、預金が生み出されます。「預金を資金源として国債発行する」のではなく「国債発行で預金が生まれる」のです。
それ故、「内生的貨幣供給論」の立場では国債発行量に資金的限界はありません。 政府は財源を気にせず国債を発行でき、銀行はいくらでもそれを購入することができるのです。 (実際には国債発行を大量に行うと、需要と供給の関係が崩れインフレ率が向上していきます。) このことは今の日本のようなデフレ経済にとって大きな利点と言えるでしょう。 以上で「内生的貨幣供給論」の解説を終わります。 https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html ▲△▽▼
日本の準備預金制度について 2019年01月18日 https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html
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記念すべき初回の記事は、某所で話題?になっている準備預金制度の解説となります。 ============================================================================ 準備預金制度は、一般的に、銀行が預金者の引出しに応じるため中央銀行(日本では日銀)にお金を預けておく制度と理解されています。 が、しかし、日本の準備預金制度の詳細は、ほとんど解説されることがないため、あまり知られていません。 日本銀行や市中銀行に関する書籍でも、数行触れられていればラッキーという有様です。 そこで今回は、あまり知られていない日本の準備預金制度の解説をします。 日本における準備預金制度は、1957年に「準備預金制度に関する法律」という法律で施行されました。 以下のサイトに法律原文が記載されていますが、書かれていることが難しく、一般人にはイマイチわかりません。 http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=332AC0000000135&openerCode=1 日本銀行も解りにくいと思ったのか、この法律の解説記事を出しています。 http://www3.boj.or.jp/josa/past_release/chosa195706i.pdf 今回の解説は、この日銀の解説記事の要点を掻い摘む形で、日本の準備預金制度を紹介していきます。 @法律の目的 準備預金制度は各国で施行されていますが、その目的は大きく2つあります。 『預金者保護』と『通貨調節手段』です。 『預金者保護』というのは、預金者の引出しに応じるための支払準備金を中央銀行に強制的に預け入れさせる、というものです。 もう一方の『通貨調節手段』は、後述する「準備率」を上下させることで、銀行の信用創造機能を通して、市場での資金需給を調整する、というものです。 準備預金制度は歴史的には『預金者保護』として生まれましたが、 諸外国では『通貨調節手段』として準備預金制度を設けている国が多く、 『預金者保護』と『通貨調節手段』の両方を目的としている国も存在するようです。 日本ではどうかというと、準備預金制度を『通貨調節手段』を目的として整備しました。 『預金者保護』が目的ではないのです。 実際、法律の目的が記されている第1条にも「通貨調節手段としての準備預金制度」と記載されています。 そのため、制度の名前も、『預金者保護』を意味する「支払準備制度」という名前を避け、「準備預金制度」という名前になっています。 ただし、現在は、日本含め世界各国で『通貨調節手段』の意味合いは薄くなっています。 短期金融市場を通して通貨調節をするようになっていったためです。 A日銀当座預金 中央銀行の当座預金口座とは、市中銀行などの金融機関や政府が日本銀行に開設が義務付けられている口座のことです。 当座預金なので基本的には無利子になります。 銀行が日銀当座預金口座から引き出すと、同額の現金、つまり日本銀行券が銀行に供給されます。 この日本銀行券の供給は、発券とも言われています。 これは日本銀行券は、日銀の外に出ることで初めて、紙幣に記載されている額の価値を持つからです。日銀の中にいる間は、日本銀行券は価値を持ちません。複雑な偽造防止処理を施されたただの紙切れです。 ちなみに、日銀当座預金と日本銀行券を合わせて「ベースマネー」と呼ばれています。 さて、この日銀当座預金には3つの役割があるとされています。 (1)金融機関が他の金融機関・日本銀行・国と取引を行う際の「決済手段」 (2)金融機関が個人や企業などの顧客に支払う現金通貨の「支払準備」 (3)準備預金制度の対象となっている金融機関の「準備預金」
準備預金制度は、(3)の市中銀行などの特定の金融機関が日銀当座預金へ一定金額預ければならない制度、ということになります。 この一定金額、つまり日銀に預け入れる最低金額のことを、「法定準備預金額」「所要準備額」と呼び、実際に預け入れている金額を「準備預金」と呼びます。 B準備率 市中銀行等の金融機関が預金額の「一定比率」以上の金額を日銀当座預金に預け入れるというのが準備預金制度ですが、この比率が「準備率」「法定準備率」「預金準備率」です。 この法律において、準備率の最高限度は10%であり、これを越えることはできないとされています。 その一方で、準備率の最低限度は定められていません。先述したように、準備率の最低限度は『預金者保護』の意味を持つものと考えられるものだからです。 現在の準備率は1991年に設定されたもので、0.05%〜1.3%となります。 (金融機関の種類や預金等の種類によって数値が変わります。 定期預金など安定的な預金に対しては数値が低く設定されています。) 具体的な数値は日銀のHPに記載されています。 https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/reservereq/junbi.htm/ C準備預金の二つの期問 さて、準備預金の金額はどのように計算されているのでしょう。 実は、準備預金を計算するには二つの計算期問があります。 1つ目の計算期間は、準備預金額を計算する期間です。 ある月(仮に1月とします)の毎日の終業時における預金残高に、その時の準備率をかけた額の合計をその月の日数で割ります。つまり、毎日の預金残高×準備率の平均です。 2つ目の計算期間は、預け金額の計算期間、つまり、1つ目の計算で得られた金額を維持しなければならない期間です。 この期間は当月(1月)の16日から1ヶ月間(2月15日)とされています。 ただし、毎日この準備金を厳格に維持する必要はなく、16日からの1か月間の平均額として充たされていれば良い、とされています。 上述の説明は日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。 D預け金の額が不足した場合の措置 市中銀行が預け金額を維持できなくても、即座に法律違反になるわけではありません。 ちゃんと救済措置が用意されています。 この場合、市中銀行は、不足額に対し一定比率をかけた金額を期日(3月15日)までに日銀に納めればよいのです。日銀はこの金額を期日(4月15日)までに納めます。 これまた、日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。 まとめ 3行でまとめます。 ・日本の準備預金制度は『預金者保護』ではなく『通貨調節手段』。 ・銀行は預金額に準備率(現在は1%前後)をかけた金額を、後日の指定された期日の間(その月の半月後から1ヶ月間)、日銀当座預金に預けなければならない。 ・たとえ準備金が維持できなくても、救済措置が用意されている。 これで日本の準備預金制度の解説は以上になります。 読者様にとって、少しでもためになる知識になれば幸いです。 (了) https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html ▲△▽▼ 「租税貨幣論」概論 2019年02月12日 https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
今回のコラムは「租税貨幣論」と「債務ヒエラルキー」の解説になります。 前回の「貨幣負債論(信用貨幣論)」と同様、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことが今回のコラムの発端となります。 それでは、前回に引き続く第二弾、「租税貨幣論」(とおまけで「債務ヒエラルキー」)を、MMTの入門書である、L.ランダル・レイの「現代貨幣論」から紹介します。 「租税貨幣論」とは、税の存在こそが国定通貨を流通させるという理論です。 一般的には、税金には4つの機能があるとされています。 @公共サービスの費用調達機能 A所得の再分配機能 B経済への阻害効果 C景気の調整機能 今回はこのどれにも触れません。 (次回のMMTの解説では、このうちのいくつかについて触れることになります。) つまり一般的に言われている税の機能以外にも、税には特別な機能がある、というのが「租税貨幣論」の主張になります。 不換通貨の流通 人類は、歴史を遡ると、金、銀、銅といった貴金属を通貨にしていました。 数十年前までの金本位制の時代には、貴金属ではなく紙幣を通貨にしていましたが、その通貨には「ゴールド」という貴金属の裏付けがありました。 その時代の通貨は、「貴金属」という人類史上その価値が高水準で推移してきた「モノ」に交換することが出来ました。 また現在でも「ドルペッグ」といった、特定の通貨に固定(裏付け)された通貨があります。 しかし、日本を含む先進国の通貨は、このような裏付けのない「不換通貨」が主流です。 しかも、「不換通貨」には貴金属のような内在的な価値はありません。 しかし現実に、貴金属による裏付けも内在的価値もない「不換通貨」で商取引が行われています。 コンビニやスーパーでの買い物も「不換通貨」で支払うことが一般的です。 最近ではキャッシュレスで「紙幣」や「硬貨」を使う人々が少なくなりつつありますが、このようなキャッシュレスも「不換通貨」に裏付けられています。(Tポイントなどの通貨での支払いについては後述します。) なぜ裏付けのない通貨が流通するのでしょう? この疑問に対する一つの回答として、「法律で決まっているから」というものがあります。 しかし、歴史的には、法律で通貨の種類を決めても、民間においてその通貨での支払いを拒否されることはもちろん、政府への支払いを拒否する例があったそうです。 これでは、「法律で決まっているから」、というのは回答になりそうにありません。 もう一つの回答として、「信頼」- 誰かしらがそれを受け取るという期待 - があります。 あなたは、他の人がその通貨を受け入れるだろうということを知っているので、あなたはあなたの国の通貨を受け入れるだろうという理屈です。 しかしこれは、哲学で言うところの無限後退にあたります。 確かに、通貨の流通は確かに「信頼」で成り立っている部分があります。 しかし、それだけでは、裏付けのない通貨がその国の主流の通貨として流通しているという現状を十分に説明できません。 それでは一体何が主流の通貨となる決め手なのでしょう? 税が貨幣を駆動する 「税金その他の政府への支払い義務」 以下では簡単のために、政府と呼ぶときは、特別な断りがない限り、統合政府のことを指します。 政府は、「どの通貨で、納税およびその他の政府への支払いができるのか」を決めることが出来ます。 その他の政府への支払いというのは、罰金や手数料といったものを指します。 ここで政府は、政府自身が発行する通貨(「日本銀行券」や「日銀当座預金」、「硬貨」など)を「納税に使用できる通貨」に指定できます。 このような通貨を、以下では「国定納税通貨」と呼ぶことにします。 なお、「国定納税通貨」は私の造語です。(レイ「現代貨幣理論」に適当な言葉がなかったためです。) 税金の未払いには罰則があります。 政府がこの罰則を確実に執行する力を持っていれば、 民間はこの罰則を回避するために、指定された通貨を取得して納税に使う必要があります。 つまり、政府は納税義務を民間に課すことができ、義務の不履行に対する罰を執行できる能力を持っていれば、民間の納税通貨に対する需要が確実になります。 言い換えると、民間には納税義務があるので、「国定納税通貨」に対する貨幣需要が生まれるのです。 納税は税務署でもできますが、大半の納税は銀行経由で行われています。 納税者の預金口座から納税額分の預金額が引かれると同時に、銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金へ納税額分の準備預金が移動します。 このとき銀行の純金融資産は変化しません。 (銀行の負債となる銀行預金と資産となる日銀当座預金で相殺されます。) 銀行は、納税者と政府の仲介者となるわけです。 納税者は納税に使ったっ通貨、つまり国定通貨を他の目的に使用することが出来ます。 政府硬貨や日本銀行券を使って、国内で買い物をすることが出来ますし、住宅ローンなどの民間債務の支払いに充てることも出来ます。 民間企業同士の取引に使うことも出来ます。 使用せずに貯金しておくことも可能です。 ですが、国定通貨のこのような使用法はあくまで派生的なもので、本来は政府への納税のためでした。 民間から政府への納税に先立って、政府は国定納税通貨を民間に供給する必要があります。 先に民間に供給しておかなければ、民間は国定納税通貨を取得できないからです。 国定納税通貨の供給手段には、政府支出や買いオペなどがあります。 政府は税金その他の政府への支払いが、政府自身が発行した通貨で行われる場合、この通貨での支払いを拒むことは出来ません。 自身で発行した借用書に対して対価(納税などの支払い義務の解除)を支払えないということは、デフォルトになってしまうからです。 これは民間からすると、国定納税通貨は政府への支払いとして確実に受領される通貨として保証されることになります。 このことが、民間が国定納税通貨を保有し流通する最大の動機になります。 このように、通貨に確実な使い途があることを、MMTでは通貨の「最終需要」と呼びます。 後述しますが、「最終需要」はどの通貨にも存在し、通貨ごとにその中身は異なります。 国定納税通貨には、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるが故に、その国の主流の通貨として流通するのです。 以上が「租税貨幣論」の概論になります。 おまけとして、「租税貨幣論」と関係が深い「債務ピラミッド」という考え方にも簡単に触れておきます。 「債務ピラミッド」には現状いろんな表現(「債務ヒエラルキー」「決済ヒエラルキー」など)がありますが、これらは全て同一の概念です。 前回のコラムでも最後に触れましたが レイの師であるハイマン・ミンスキーは「誰でもお金は発行できる」「問題は受け入れられるかどうかだ」と言いました。 前回のコラムで説明した通り、通貨とは負債であり、負債とは数値化した義務です。 そして義務は、きっかけさえあれば、誰もが他人に負わせることが出来ます。 しかし債務者はその義務を無視することが可能です。 したがって、債務者にとってその義務を履行するメリットや、その義務を無視したときのデメリットがあれば、債務者がその義務を履行する動機になります。 「租税貨幣論」では納税しなかった時の罰が、債務者が納税義務を履行する動機になりました。 義務を履行するメリットや義務を無視したときのデメリットが、その通貨の「最終需要」となります。 通貨には色々な種類がありますが、その通貨が流通するか(通貨の受け入れやすさ)は「最終需要」によって決まります。 これはヒエラルキー構造を成しており、これを説明するのが「債務ピラミッド」になります。 「債務ピラミッド」の構成 「債務ピラミッド」は以下のような構成でなりたっています。 頂点には統合政府が発行する通貨(「日本銀行券」「日銀当座預金」等)があります。(政府のIOU) 頂点から二番目には銀行通貨(銀行預金など)が位置します。(銀行のIOU) 三番目には銀行以外の金融機関の発行する通貨、負債。(金融機関のIOU) そしてその下に、会社等が発行する手形などが位置します。(会社のIOU) 底辺は個人が発行する借用書です。(個人のIOU) 統合政府が発行する通貨がピラミッドの頂点にあるのは、前述した通り、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるためです。 その国の殆どの場所で決済できるので、その国の主流の通貨としてとして流通します。 対して、底辺の個人が発行する借用書は確実な「最終需要」が殆どないため、通貨としてはとても狭い範囲でしか流通しません。 「債務ピラミッド」には、下位の負債を上位の通貨で必ず決済できるという特徴があります。 まず、銀行による貸付は「日本銀行券」で決済することが出来ます。 銀行以外の金融機関の負債は「日本銀行券」や「銀行通貨」で決済することが出来ます。 手形も「日本銀行券」や「銀行通貨」、銀行以外の金融機関が発行する通貨で決済することが出来ます。 とは言え、ピラミッドの低い位置の負債への決済は、普通、銀行のIOUを使用します。 そして銀行は、政府のIOU(日銀当座預金)を使用して、自分のIOUを精算します。 ここでも銀行は、債務者と債権者の仲介者となるわけです。 もちろん銀行の純金融資産は変化しません。 その逆、上位の負債を下位の通貨で決済すること、は納税の例のように可能ではありますが、以下で示すように必ず決済できるとは保証できません。 Tポイントのようなポイントや電子マネー、暗号通貨も債務ピラミッドのどこかに位置します。 どこに位置するかはその通貨の信用度、言い換えると「最終需要」の確実さによって決まります。 例えば暗号通貨は、どこかの国の債務ピラミッド上位の通貨に交換できるだろうという「信頼」が「最終需要」となるため、ピラミッドの比較的低い位置になります。 上位ヒエラルキーの通貨に交換できるという「信頼」がなくなると、その暗号通貨の価値は暴落します。 したがって、現状の暗号通貨が主流の通貨に取って代わるということは有り得ません。 (暗号通貨に現状以上の「最終需要」が与えられると話は変わってきます。) 最後の個人が発行する借用書ですが、「現代貨幣論」では思考実験として「家族通貨」という通貨を考察しています。 親が子供に家の仕事をさせることで、子供に家族通貨を支払います。 ここで親は子供に納税義務を課します。家族通貨を子供から徴収するのです。 もし納税されなかった場合に罰を与えるとすると、子供は一生懸命働くでしょう。 これは政府と民間の関係と同じであることがわかります。 以上が「債務ピラミッド」の概要です。 次回は、本丸「MMT」とは何ぞや?の解説になります。 追記 「租税貨幣論」で注意すべきことがいくつかあります。 まず、「増税すると経済が拡大する」と言う理論ではないことです。 「租税貨幣論」はあくまで、納税の機能がしっかり働いていれば貨幣が流通する、という話です。 課税額の大小の話ではないのです。 また、「納税の機能がしっかり働かない場合はどうなるの」という疑問が出てくるかと思います。 発展途上国では、脱税や納税回避が横行しており、納税の機能がしっかり働いていません。 ギリシャもその典型です。 そうなると、「高い財政赤字の割に高インフレを招く」ことになります。 通貨が政府に回収されないと生産物の供給量以上に民間に通貨がダブつき、高インフレになります。 現在の日本とは真逆の状態です。 高インフレの状態では、公共事業や防衛装備などの購入はさらなるインフレの上昇を招き、結果として、財政出動による経済発展は困難になります。 このことをMMTでは「国内政策空間」の余地が減少する、と言います。 納税の機能がしっかり働かないと、経済成長を目指す政府にとっては「八方塞がり」になります。 (了) https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html
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