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(回答先: 「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実 投稿者 中川隆 日時 2021 年 9 月 22 日 09:51:44)
2021年9月28日
【室伏謙一】「自分以外皆風景」の危険性―自民党総裁選との関係で考える
自民党総裁選、ついに明日29日投開票となりました。是が非でも河野太郎候補を推したいかのように大手メディアは連日河野推し報道、河野推し人気投票結果発表を行っていました。なんとも悍ましい光景です。
目先の利益のため、なんとなくのイメージを基準にして、今回誤った選択をすれば、取り返しがつかないことになります。是非、今何が必要かを考えて投票をしていただきたいと思います。
先週金曜日に公開された自民党総裁選に関する拙稿も是非ご参照ください。
https://diamond.jp/articles/-/282875
さて、今何が必要かを考える、と言えば、今の自分が置かれた状況、今自分がいる状況・環境を考えるということが重要ですが、どうもそれが苦手な日本人が増えているようです。
電車の中でも駅でも、街路でも商店の中でも、どこでもいいですが、スマホをいじったり、音楽を聴いたりしながら歩いていて、ぶつかりそうになる、実際にぶつかった、そんな経験をされた方は多いのではないでしょうか?
こうした現象は「歩きスマホ禁止〜」のように、いわゆるマナーの問題として片付けられ、注意喚起が行われることがほとんどですが、私からすると、単なる状況分析能力、自分がどういうところにいて、何が起こりえて、何をすべきであって、何をすべきではないか、そうしたことを考える能力が著しく欠如した人、これは老若男女を問わずですが、そうした人が激増したことによるものではないかと思えてなりません。
だって、利用者の多い駅であれば、人にぶつかるかもしれない、ぶつかって持っているものを落とすかもしれない、そう考えるのが当たり前のはずで、したがって注意して歩こう、スマホのように落として困るものはしばらくポケットなりバッグの中にしまっておこう、そう判断するのも当たり前のはず。
ところがそれができず、ぶつかったりすれば驚いたり、怪訝な顔をしたりする。注意していない奴、前をちゃんと見ていない奴が悪い、かつてであればそうだったのですが、今はそうではないようです、少なくともそうした連中の頭の中では。
彼ら彼女らは、どこにいようと自分の世界の中に入っていて、それで完結している、関係性はSNS等を通じた擬似的なもので済ませる、人との深い関わりは避ける、そんな傾向を持っているように思います。『表現者クライテリオン』の中で社会学者の宮台真司先生が、そういう連中を「自分以外皆風景」と評しておられましたが、まさにそういうこと。
では、なぜ私がこうした現象を今回取り上げたのかと言えば、これは共同体を喪失して、社会性すら失った、バラバラにされた、アトム化された個人と言えるからです。そうした個人は、強いものや強そうなものを求める傾向があり、それが全体主義やファシズムにつながったともされていますし、メディア等による扇動に乗りやすいともされています。
強い言葉や、わかりやすい言葉、それを発する人、そうしたものに惹き寄せられ、場合によっては熱狂的に支持する。まさに大阪維新や小池知事を支持した人々です。
そして、自民党員であるとないとにかかわらず、河野太郎氏を総理に相応しいと考える多くの人々の姿もまさに、こうしたバラバラにされた個人、「自分以外皆風景」の人たちではないかと、私は思うのです。
河野太郎氏が自民党総裁に選出されれば、こうした意味でも、その先にあるのは暗黒の世界ではないかと思えてなりません。
https://38news.jp/economy/19540
- 民主主義より武士が統治する封建制社会の方がよっぽどマシだった 中川隆 2021/9/30 18:17:51
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