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水島総 _ 山本太郎はチュチェ思想に洗脳されている極左ファシスト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/625.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 21 日 12:56:42: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: チャンネル桜関係者のアホ陰謀論 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 20 日 23:02:23)

水島総 _ 山本太郎はチュチェ思想に洗脳されている極左ファシスト



1投稿者:777  投稿日:2019年07月28日(日) 16時22分02秒
チャンネル桜関係者は全員で必死の山本太郎叩きを始めましたね。
山本太郎=ムッソリーニの再来、山本太郎=毛沢東の再来 なんだそうです:


【討論】参議院選挙後の日本の近未来[桜R1-7-27]


【頑固亭異聞】「れいわ新選組」とは何か?[桜R1/7/29]


【桜便り】れいわ新選組、本質は「革命」と日本人の「孤独」 [R1/7/31]


【ch桜北海道】時事報弾/れいわ新撰組の本質と中国の残虐自治区支配[R1/10/2]


【Front Japan 桜】山本太郎氏、桜対談を拒否/化けの皮
「れい新・津田・大村 ・ペンクラブ」が剥がされた[桜R1/8/8]


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山本太郎はチュチェ思想に洗脳されている


れいわ新撰組の選挙参謀は森大志、斎藤まさし。
森氏の父親は連合赤軍派最高幹部 田宮高麿。


母親は森順子、ヨーロッパで有本恵子さんら3人を拉致し北へ連れて行った主犯。
森氏は北で生まれ、「日本革命村」でスパイ教育を受けた。


斎藤まさしは菅直人らと活動。大虐殺したポルポト崇拝者。ヤバいだろ?


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生放送特番 「日本をどうする!?斎藤まさし氏と語る」


菅直人氏をはじめ革新系候補を多数プロデュースし「市民派選挙の神様」とうたわれる斎藤まさし氏。
現在は、れいわ新選組・山本太郎氏の参謀とも噂され、過去には北朝鮮との繋がりも指摘されている氏の本意は何処にあるのか?
来年の東京都知事選挙だけでなく、解散総選挙も予想される現在、水島がその人物像に迫ります!


詳細は


馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-13639] koaQ7Jey 2020年3月21日 13:15:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1243] 報告

山本太郎(れいわ新選組代表) おしゃべり会 香川県高松市 2020年1月29日




山本太郎(れいわ新選組代表) おしゃべり会 岡山市 2020年2月3日.mp4




山本太郎(れいわ新選組代表) おしゃべり会 広島市 2020年2月4日



山本太郎(れいわ新選組代表) 街頭記者会見 広島市 2020年2月5日




山本太郎(れいわ新選組代表) おしゃべり会 山口県下関市 2020年2月6日



山本太郎(れいわ新選組代表) 街頭記者会見 滋賀県草津市 2020年2月7日




山本太郎(れいわ新選組代表) おしゃべり会 滋賀県草津市 2020年2月8日




山本太郎(れいわ新選組代表) おしゃべり会 岐阜県大垣市 2020年2月9日

2. 中川隆[-13638] koaQ7Jey 2020年3月21日 13:28:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1244] 報告

<内田樹氏、平川君が予言「次の総理大臣は山本太郎だ!」>
山本太郎氏と細川護熙氏…内田樹さんが考える2人の違い(朝日新聞) 2019-08-05
http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/175.html

 「勝者なき選挙」ともいわれた7月の参院選。注目を集めたのが宝塚市出身の山本太郎氏(44)率いる「れいわ新選組」(れいわ)だ。「消費税廃止」や「奨学金チャラ」を政策に掲げ、結党3カ月余りで2議席を獲得した。多くの新党がブームとともに現れては消えていった平成時代の日本政治。「れいわ現象」は本物なのか。神戸市在住の思想家・内田樹(たつる)さん(68)に聞いた。

 ――選挙前、「れいわ」の事務所に足を運んだとか

 代表の山本さんとは以前から知り合いですので、彼が新たな政治運動を旗揚げすると聞いて駆けつけました。寄付もしました。私が行った時点ではまだ寄付も1億円を少し超えたくらいで、候補予定者も蓮池透さん(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会元事務局長)と2人だけでした。これほど短期間で10人擁立するのは無理だろうと思っていましたので、驚きました。


街頭で訴える「れいわ新選組」代表の山本太郎氏=2019年5月20日、東京・北千住駅

 ――平成以降に旋風を巻き起こした新党というと、1992年に旗揚げした日本新党が思い浮かびます。でも、今はありません

 出現の仕方は少し似ているかもしれません。既成の政治プロセスの不調にうんざりしていた国民が、政治的に「すれていない」政治家に魅了されたという点では通じるものがある。ただ、代表の細川護熙さんは理想主義的に過ぎて、批判を受けるとあっさり政権を投げ出した。たしかに出処進退は潔いけれども、私としては、もう少し踏み止まって泥をかぶってほしかった。

 その点、俳優の道を捨てて政界に飛び込んだ山本さんは背水の陣です。逃げるところがない。その切迫が彼の最大の強みだと思います。

 ――日本新党は結成後最初の参院選で4議席、れいわは2議席でした。政治を変える力になりえますか

 その2人は、特定枠で立候補した、難病患者と重度の身体障害者です。今の日本には、政治家を含めて障害のある人に対して差別意識を持つ人が少なくありません。制度の不備で苦しんでいる当事者が国会議事堂に入ることで、政治家たち官僚たちのこの問題についての見識があぶり出される。公費負担のある重度訪問介護が、仕事場では公費負担の適用外になるといった問題も、私は全く知りませんでしたけれど、2人が当選したことで前景化された。それだけでも見事な功績だと思います。他にもれいわの候補者には、落選したものの、働き方問題に取り組む元コンビニ店主やシングルマザーで元派遣社員といった、現代日本の社会の矛盾が集約されたような現場を代表する人たちがいました。社会問題の当事者たちが、生々しい現場の声で証言をした選挙運動。まことに画期的なものだったと思います。


舩後靖彦氏の当選が確実となり、支援者を盛り上げるれいわ新選組の山本太郎代表=2019年7月21日午後8時7分、東京都千代田区

 ――山本さんは街頭演説で「生きづらさ」や「人間の尊厳」といったテーマを投げかけ、聴衆から広く質問を受け付けていました

 彼は反対者と対話する能力が高いと思います。人の話を遮って、頭ごなしに全否定するというのが当今の「切れ味のいい政治家」の標準的なマナーである中で、山本さんはとりあえず相手の言い分を最後まで聞いて、敬意を示してから反論するというマナーをなんとか保持している。これは例外的なことだと思います。その対話的、宥和(ゆうわ)的な姿勢が、彼の政策のすべてに賛成できない有権者にも信頼感を抱かせているのだと思います。

 何より彼の言葉には経験の裏付けがある。頭でこねくり回したことではない。彼は「脱原発」運動のせいで俳優の仕事を失いました。一見自由で平和な日本ですが、彼ほどのキャリアがあっても、政権に異を唱えれば仕事を失う。そうした理不尽に対する生々しい感情が底にあると思います。

 ――「生々しい感情」を原動力とする政治家は他にも多くいますが……

 感情をむき出しにすることで人気を集めた政治家たちはたくさんいます。「利己的で、狭量で、感情的」であることを「等身大」として肯定し、議員や首長として自分たちを適切に代表してくれるはずだという考え方がこの10年広まった。「維新の政治」がそうです。でも、それはデモクラシーの理解としてはきわめて一面的なものだと思います。

 デモクラシーが生き延びるためには、「私的な感情」を「公的な気配り」が制御することが必要だからです。おのれの私的な利害や好悪の感情をいったん「かっこに入れる」ことができない人間を公職に就けるべきではありません。公人は自分に反対する者を含めて集団の利益を代表する仕事だからです。


 ――平成は新たな政党が次々に生まれた時代でもありました。「れいわ」の進出も、社会の閉塞感の裏返しでしょうか

 「息苦しさ」「生きづらさ」を多くの人が口にしますが、それは人々の前に提示される選択肢が限られていて、どれを選んでもあまり愉快な未来が待っていそうもないように思えるからです。そういうときには「こういう意外な選択肢もある」と知るだけでほっとする。深く呼吸ができる。「なるほど、こういう考え方をしてもいいのか」とふっと緊張を解くことができる政治的選択肢は、それが「正しい」かどうかということとは別のレベルで人々をひきつけるということです。


東京・新宿駅前での「れいわ新選組」候補者の「最後の訴え」には、大勢の人たちが集まった=2019年7月20日

 ――確かに街頭演説には世代を超えて多くの人が集まっていました。ただ、これまでの多くの新党は一過性のブームで終わっています

 選挙前も選挙期間中も、れいわの動向はメディアでほとんど報じられていませんでした。にもかかわらず、山本さんが街頭で訴える動画をネット上で見て心を動かされた人が拡散し、現場にも足を運び、日に日に人垣が増した。一般からの寄付も結成3カ月余りで4億円を超えた。既存メディアの力に頼らず、人と資金を集め、議会に2人を送り込んだ事実は、新たな政治運動の登場という点で画期的なものでした。これは間違いなく「ニュース」です。選挙の公平性を守るというような外形的ルールにこだわって、「ニュース」を追うことを止めたのなら、それは「ジャーナリズム」の責務を放棄したに等しい。メディアの社会的使命は何かをもう一度考え直してほしいと思います。(聞き手・中塚久美子)

     ◇

 平成時代の新党 1992(平成4)年の参院選では結党まもない日本新党が進出。翌93年衆院選では日本新党に加え、自民党離党組の新党がブームを呼んだ。その後も新進党(94年)、民主党(96年)、国民新党(2005年)、みんなの党(09年)、維新の党(14年)、希望の党(17年)などが次々に誕生したが、多くは分裂や合併の道をたどり、数年以内に解党したケースも少なくない。

https://ameblo.jp/truthelohim/entry-12501836778.html

3. 中川隆[-13636] koaQ7Jey 2020年3月21日 13:53:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1246] 報告
山本太郎現象

――そのれいわ新選組の山本太郎ですけれども、内田さん自身は、彼をどう見ていますか?

彼は立派な政治家だと思います。感情の器が大きい。怒りも喜びも共感力も、すごく大きい。怒って泣くし、悲しんで泣くし、困っている人を見ると、共感して泣く。不正への憤りで震える、弱者への共感で震える。あそこまで感情のスケールが大きい政治家は、今の日本にはいないような気がします。

それに彼は全部自分の言葉で話しますね。政治家的定型句を決して使わない。先日、梅田での街宣を見に行きましたけれど、3時間続いた街宣なのに、みんな帰らない。何百人もの人が寒空に立って、3時間聴いている。驚きました。それだけ説得力があるということです。
http://blog.tatsuru.com/2020/02/26_1553.html

______

「今さえよければそれでいい」
社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候
内田 樹 2020/02/29

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「今さえよければそれでいい」社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候/ar-BB10xLno?ocid=ientp


「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」――。
新著『 サル化する世界 』で、利己的で近視眼的なものの見方をする人々が増殖する社会を“サル化”と定義した思想家・内田樹氏が、世界的なモラルハザードを喝破する。
◆◆◆
「今さえよければそれでいい」という発想
――現代社会の趨勢を“サル化”というキーワードで斬った思いは何でしょうか?
内田 “サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。
 歴史学的なアプローチも探偵の推理術も同じです。目の前に断片的な情報が散乱している。そこから「何が起きたのか」をいくつかのパターンで考え出し、すべての断片をつなぐことのできるストーリーを選ぶというのが探偵の推理術です。それが論理的思考ということです。でも、今の日本では、政治家も官僚もビジネスマンもメディアも、論理的にものを考える力そのものが急速に衰えた。広々とした歴史的スパンの中で「今」を見るという習慣がなくなった。時間意識が縮減したのです。それが「サル化した社会」です。

「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から


――確かに社会のさまざまな局面で長期ビジョンが失われ、刹那的な傾向が強まったように思います。

内田 「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から採りました。サルたちにこれまで給餌していた8つの栃の実を7つに減らすことになったとき、「朝3、夕方4ではどうか」と言ったらサルは怒り出し、「じゃあ、朝4、夕方3は?」と言ったら狂喜した。朝の自分と夕方の自分が同一であるということが仮想できなかったのです。ある程度長い時間を通じて自己同一性を保持できない人を笑ったのです。

 中学の漢文の授業で習ったときは「変な笑い話だ」と思っていたんです。どうして「こんな話」が何千年も語り伝えられるのか、意味がわからなかった。でも、よく考えたら、漢文で習う「守株待兎」も「矛盾」も「鼓腹撃壌」も、全部春秋戦国時代のものですが、本質的に「同じ話」なのです。どれも時間意識が未成熟な人間を笑っている。

適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという “脅し”

「矛盾」の武器商人は、「矛を売っているときの自分」と「盾を売っているときの自分」が同一であるということをうまく想像できない。切り株に偶然ウサギがぶつかったら、次の日から野良仕事を止めてしまった「守株待兎」の農夫には「確率」とか「蓋然性」という概念がなかった。「鼓腹撃壌」では「皇帝の善政のおかげでみんな幸福に暮らしている」と歌う子どもたちと「オレの日常に皇帝は何の関係もない」とうそぶく老人が対比的に扱われていますが、この老人には「因果」という概念がない。「矛盾」も「蓋然性」も「因果」もすべてある程度長い時間を俯瞰する視座に立たないと発生しない概念です。

 これらの逸話が春秋戦国時代に集中しているということは、おそらくその時期に「時間意識が成熟した人間」と「時間意識が未成熟な人間」が混在していたということだと思います。だから、「時間意識が未成熟な人間」を文明化することが社会的急務だった。こういう逸話が集中的に語られたのは、適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという「脅し」によって、人々を教化しようとしたからだと思います。

――有名な故事の数々が、時間意識のトレーニングになっていたというのは驚きです。


内田 時間意識とは「もう消え去った過去」と「まだ到来していない未来」を自分の中に引き受けることです。過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間を持ちこたえられるような自己同一性がその時代から要求されるようになった。

 エマニュエル・レヴィナスが「時間とは主体と他者の関係である」という非常にわかりにくい命題を語っていますが、僕たちがそれが「わかりにくい」と思うのは、「時間意識」というものが伸縮するということを忘れているからです。ごく限定的な時間意識しか持たない人間と、広々とした時間意識を持つ人間がいる。

 一神教信仰は信仰者にこの「広々とした時間意識」を要求します。「造物主による創造」という想像を絶するほどの過去と、「メシアによる救済」という想像を絶するほどの未来の間に宙吊りにされている今の自分というものを把握できたものだけが一神教のアイディアを理解できる。そこから人間の知性と倫理性が発動する。

そういうアイディアが生まれたのが紀元前1000年から500年くらいのことであり、それが人類史的な特異点(シンギュラリティ)を形成したのだと思います。
現代人が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないか

 だから「今だけ、自分だけよければ」という現代人に特徴的な時間意識の縮減は、それから2000年、3000年経って人類が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないかと思ったのです。

 ――いまは日々あまりに忙しすぎて、目の前のことにあくせくせざるを得ないという社会環境も大きいと思います。

内田 産業構造の変化のせいだと思います。経済活動が人間的時間を超えた速度で活動し出した。株の売り買いなんかはマイクロセコンド単位で、アルゴリズムが行うわけですから、今の経済活動の基本時間はもう人間的時間ではない。人間の身体感覚や知性が賦活される時間の流れ方ではないのです。

 僕が子供の頃、1950年代はまだ生産者のうち農業従事者人口が50%を占めていました。ですから、経済活動を考量するときの時間単位が「植物的」だった。ですから、学校教育でも、子どもたちの成長は農業のメタファーで語られていました。「種子を撒いて、水と肥料をやって、日に当てて、風水害や病虫害から守ると、収穫期には果実が実る」という言い方で家庭教育も学校教育も語られた。

 子どもたちは「種子」ですし、育ち方はお天道さま頼りですから、先行きどのようなものに結実するか予測できない。キュウリができるのか、トマトができるのかは分からないけれど、きちんと手入れをすれば、この子が持ってる潜在可能性は開花するだろうという、諦観と楽観の入り混じった感情で子どもは育てられた。いくら手入れをしても、さっぱり芽を出さない子については「大器晩成」といって、そのうち何か大きなものに結実するんじゃないかというような気楽なことが言われた(笑)。

かつての植物的な時間の中での子育て

――ゆったりとした植物的な時間の中で子供も育まれていたわけですね。

内田 植物的時間というのは、基本四季のサイクルですからね。のんびりしたものでした。子どもは工場で工業製品を作るように、仕様を決めて、納期を決めて、規格を決めて、全工程を管理したら出て来るものだという考え方をしなかった。親や教師が管理できるのはせいぜい全体の2〜3割であって、8割ぐらいは自然力任せという感覚があった。日光や雨量やイナゴの来襲は人力ではコントロールできませんから。

 人類史のなかで農業が支配的な産業だった時期は長いです。だから、「子育て」についてのプロセスは無意識に農業のメタファーで語られていました。たとえば、ガリ版で刷った学級通信なんてだいたい「めばえ」とか「わかば」とか「みのり」(笑)というようなタイトルだったでしょう。幼稚園のクラス名などもよく植物の名前が使われていた。「うめ組」とか「ひまわり組」とかね。でも、産業構造が変わって、第二次産業が基幹産業になると同時に、工場での工業製品の生産プロセスに準拠したメタファーが用いられるようになった。そういう転換は無意識のうちに行われたので、誰も気づかなかった。

人間は生身の生き物なんであって、缶詰や乾電池じゃない

 今は学期ごとに学習到達目標が数値的に示されて、そこで示された「納期」と「仕様」に合わせて「生産」がなされなければいけないとみんな思っている。まるで自動車やコンピュータを作るように精密な工程管理と製品の質保証がうるさく言われるようになった。教育について語る言葉遣いも工学的になってきた。「シラバス通りの授業をしろ」とか「学士号の質保証」とか「PDCAサイクルを回す」とかいう、どれも工業の用語です。

 それと同時に四季のサイクルを基準にした植物的時間が棄てられて、その代わりに納期と仕様に合わせて工業製品を生産する工学的時間が採用されるようになった。人間では制御できない巨大な自然力が子どもの成長に介入するという考え方そのものが廃棄されて、すべては人工的に管理できるということが前提になった。

 でもね、人間は長らく植物的な時間のなかで子どもを育ててきた。それで何千年かやってきて、うまくいったんです。産業構造が変わったからと言って、教育まで支配的な産業構造に合わせて変える必要なんかないと僕は思います。子どもは植物的時間の中で成長すればいいじゃないですか。人間は生身の生き物なんであって、缶詰や乾電池じゃないんですから。

長期スパンで見たときのドナルド・トランプ

――近年、とみに政治家が平気で嘘をつくようになりました。嘘の答弁を並べ立てたり、フェイクニュースを垂れ流すのもまた時間意識の縮減でしょうか。


内田 Honesty pays in the long runということわざがありますね。「長期的に見れば、正直は引き合う」という意味ですが、それは逆に言えば、「短期的に見れば、嘘は引き合う」ということです。だから時間意識が縮減して、「短期的に見る」ことしかしない人間にとっては「嘘をつくことの方が引き合う」んです。

 ドナルド・トランプは100年単位の長期的なスパンでとらえたら、米国史上でもっとも愚鈍で邪悪な大統領として歴史に名を残すでしょう。長期スパンで見たときに、アメリカの国益を大きく損なった人として世界史に記録されることは確かですが、短期的に見れば大成功している。ファクトチェックによると、就任からすでに1万以上の嘘を重ね、フェイクニュースを垂れ流したことによって成功したわけです。「嘘は引き合う」の最も説得力のある事例です。

アメリカでも日本でも“サル化”が進行している

 約束を守るとか、隣国との信頼関係を構築するのは、短期的にはコストがかかるかも知れませんけれど、長期的には安全保障コスト、外交コストを引き下げることになる。でも、今のアメリカにはそれができない。他国を恫喝して、外交的な危機を煽ったほうが有権者は喜ぶし、兵器産業は儲かる。トランプが今もアメリカ国民の相当数から支持されてるということは、アメリカ人でも“サル化”が進行しているということだと思います。

 日本でも同じです。安倍晋三も嘘に嘘を重ねてきましたけれど、本人はそれほど罪の意識はないと思います。「長期的に見た場合、こんな嘘を言って帳尻は合うのか」という考え方をしない人間にとっては「嘘をつかない」インセンティブはありませんから。世界中が“サル化”しているわけで、日本だけが特別悲惨なわけではないということです。そんなことを言っても何の慰めにもなりませんが。

――嘘が蔓延する一方で、露悪的に暴言を吐いたりヘイト発言をする人が、ある一定層にウケている現象についてはどうご覧になってますか?

内田 暴言を吐く人は昔からいました。でも、そういう「下品な人間」はあまり人前には出てこられなかった。そういうことは人前で言うもんじゃないという常識の抑制がかかっていたし、人前で下品なふるまいをする人間にはそれなりのペナルティが科された。でも、今はネットで匿名で発信できます。実社会で、固有名で発信した場合には相応の社会的制裁を覚悟しなければならないことでも、匿名でなら、責任をとるリスクなしにいくらでも下品になることができる。だから、これまで抑制されてた下品さが噴出してきた。下品な人間の比率そのものは時代によって変わりはしません。別に日本人が全体として下品になったわけじゃなくて、これまで隠れていた下品な人間が可視化されただけなんです。

さっぱり楽しくない「気まずい共生」とは?

――そうした時間意識が社会の分断化をより強めてきたようにも思います。どうしたら互いに溝の深い人々とも同じ共同体を形成することができるのでしょうか。

内田 哲学者のオルテガ・イ・ガセットが言うとおり、「敵と共に共生する、反対者とともに統治する」というのがデモクラシーです。だから公人たる者は反対者たちの意向も代弁して集団の利益を代表するのが仕事であって、自分の支持者の利益を代表するわけではない。それがいまや、デモクラシーというのは多数決のことだというシンプルな理解が支配的になった。選挙結果が51対49だったら、敗けた49についてはまったく配慮する必要がないと公言するような人物が首長になったり議員になったりしてる。彼らは自分が公人であるという自覚がない。自分の支持者を代表しているだけなら、「権力を持った私人」でしかない。

 デモクラシーの原点に立つなら、公人たる者は、自分の個人的な思いは痩せ我慢してでも抑制して、異論と対話して、反対者と共生する作法を学ばなければいけないと思います。それが本書にも書いた「気まずい共生」ということです。「気まずい」わけですから、さっぱり楽しくない。合意形成にもやたら時間がかかる。でも、それがデモクラシーのコストなんです。デモクラシーのコストを引き受ける気がないなら、独裁制か無秩序か、どちらかを選ぶしかない。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「今さえよければそれでいい」社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候/ar-BB10xLno?ocid=ientp

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『サル化する世界』についてのインタビュー - 内田樹の研究室 2020-03-17
http://blog.tatsuru.com/2020/03/17_0828.html


いくつかのメディアから新刊『サル化する世界』についてのインタビューがあったので、まとめて再録。

「サル化する世界」というタイトルに込めた思いを教えてください。
「サル化」とは、「朝三暮四」に出て来るサルのように、現在の自分と未来の自分の間に自己同一性を保持できない病態のことです。

 もともとヒトは時間意識をゆっくりと拡大することで、他の霊長類から分かれて進化を遂げて来ました。そして、今からおよそ2500年くらい前に、四大文明の発祥地で「世界の起源」と「世界の終わり」という概念を持つところまでたどりつきました。広々とした時間意を持つことができた。そのおかげで人類は宗教を持つことができたし、歴史や物語を持つこともできました。

 中国の春秋戦国時代に「矛盾」「守株待兎」「刻舟求剣」「鼓腹撃壌」といった「時間が経過しても自己は同一的である。自己は同一のつもりでも時間は流れる」ということがうまく理解できない愚者を主題にした説話が集中的に語られています。おそらく、その頃に時間意識についての「シンギュラリティ」があったのでしょう。孔子も荘子も韓非も、その教えに共通しているのは長いタイムスパンの中でものごとの適否を判断できる能力を未開からのテイクオフの条件と見なしていたということです。

 しかし、せっかくこうやって時間意識の拡大によって他の霊長類から分離したにもかかわらず、現代人の時間意識はふたたび縮減し始めています。この「人間以前」に向かうの文明史的退化の徴候を僕は「サル化」と呼んだのです。
過去と未来をふくんだ視点で「今」を考察する力は、なぜ急激に失われてしまったのでしょうか。

 最大の原因は基幹産業が農業から製造業、さらにはより高次の産業に遷移したことだと思います。農業の場合でしたら、人間は植物的な時間に準拠して暮らしていました。農夫は種子をまいている自分と、風水害や病虫害を防いで働いている自分と、収穫している自分が同一の自己であるという確信がないと日々の苦役には耐えられません。でも、いま、最下層の賃労働者は今月の給与をもらっている自分より先の自分にはなかなか同一性を持つことができません。AI導入後に雇用環境がどう変わるかも予測がつかないどころか1月後に仕事があるかどうかさえ分からないんですから、老後に年金や健康保険がどうなっているか予測がつくはずもない。だったら、考えても仕方がない。

 事情は金融商品の売り買いで個人資産を増やしている富裕層も同じです。株式会社は当期利益至上主義ですし、株の取引はマイクロセコンド単位で行われている。だったら、それ以上タイムスパンを広げても意味がない。

 今から10年前にGoogle やAmazonが「こんなふう」になると予測した人はほとんどいませんでした。これらの企業が10年後にどうなっているかもやっぱりわからない。長い時間の流れの中に自分を置いて、何が最善の選択なのかを熟慮するという知的努力は費用対効果が悪いということがいつの間にか身に浸み込んでしまった。

日本社会の劣化は「サル化」の一兆候なのでしょうか。
 
 安倍政権の大臣や官僚たちは「嘘をついても平気」「前後に矛盾のある言明をしても平気」「謝罪しても次の瞬間には忘れている」といった症状を呈しています。どれも時間意識の縮減の徴候です。

 Honesty pays in the long run「長い目で見れば正直は引き合う」ということわざがありますけれど、これは裏返して言えば「短期的に見れば嘘の方が引き合う」ということです(実際にそうだし)。ですから、「長い目で見る」習慣を失った人たちがシステマティックに「嘘つき」になるのは論理的には当然なのです。

 前後の矛盾を指摘されてても平気というのは「矛盾」の武器商人と同じです。彼は「どんな矛も通さない盾」を売っているときの自分と、「どんな盾も貫く矛」を売っているときの自分が同一人物だと思っていないのです。だから「この矛でこの盾を突いたらどうなる?」という問いに当惑したのではなく、その問いの意味そのものが理解できなかったのです。国会答弁で少し前に言ったこととまったく逆のことを平気で言って、「整合していない」と言われても少しも悪びれる様子がないのもそれとほぼ同じだと思います。

日本人の労働生産性は、「1人当り」「時間当たり」ともに先進7カ国中の最下位という状態が続いていますが、日本の組織を活性化し、イノベーションを起こすには何が必要だと思われますか。

 組織を再活性化するなら、管理部門に過大な資源を配分しないことです。今の日本の組織は「価値あるものを創り出すセクター」よりも「人がちゃんと働いているかどうか監視するセクター」の方に権限も情報も資源も集積しています。労働者よりも監督の方が多い現場とか、兵士よりも督戦隊(前線から逃げて来た兵士を射殺する後方部隊)が多い戦場のようなものです。それでは生産性が上がるはずがない。

「管理を最低限にする」「現場に自己裁量権を与える」「成果の短期的な査定を止める」くらいで日本の組織はかなり再活性化するはずです。でも、管理部門の人たちはそう言われても「管理部門の肥大化を適正規模に抑制するための管理部門の増設」くらいしか思いつかないでしょうけど。

 イノベーションというのは未来にぼんやりとした手応えを感じる直感力なしには成立しません。「何だか知らないけれど、この先に『いいこと』がありそうな気がする」という直感に導かれてはじめてあらゆる創造は可能になります。でも、そのためには「この先」に、まだ現実になっていない時間に指先が届かなければなりません。「この先」という言葉に何のリアリティーも感じられない人間に何かを新しく創り出す能力が育つわけがない。

社会が脱サル化するために必要なこととは?

 サル化した人間の特徴は「過去を反省しない」「未来に対して見通しを持たない」ことです。だから、悔恨もないし不安もない。どれほど失敗しても同じ失敗を繰り返すし、「こんなことを続けていたらそのうちたいへんなこと」になるとわかっていても、「こんなこと」を続ける。「前にこれで失敗して手痛い思いをしたこと」も「そのうち起こるかもしれないたいへんなこと」にもリアリティーを感じることができない。

 こんな生きづらい時代ですから、「過去のことは忘れたい 未来のことは考えたくない」と思ってしまうことは止められません。でも、「後悔に苛まれたくない、不安に怯えたくない」という人は、それと同時に、遠い記憶の中を逍遥したり、未来に夢を描いたりすることもあきらめなければならない。それがどれほど多くのものを失うことなのか、それについては少し立ち止まって考えた方がいいと思います。
http://blog.tatsuru.com/2020/03/17_0828.html  

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内田樹 生きづらさについて考える

週刊金曜日インタビュー 2020-02-26
http://blog.tatsuru.com/2020/02/26_1553.html

去年の暮に『週刊金曜日』の植村隆編集長が凱風館までインタビューに来た。植村さんは北星学園大学事件のときに「捏造記者」という無根拠な誹謗中傷を受けて、失職のリスクにさらされたことがあった。そのときに鈴木邦男さんと一緒に植村さんを支える会に加わって支援活動をしたことがある。そのご縁で、植村さんが『週刊金曜日』の編集長に就任したのを機会に神戸まで会いにいらしたのである。

――内田さんの著作『生きづらさについて考える』は、さまざまなメディアで発表されたものをひとつにまとめたものですが、一貫しているものがあると感じました。いま日本が「生きづらい」社会になっていることへの警鐘だと思われますが?


2016年暮れに、米外交問題評議会発行の『フォーリン・アフェアーズ』が、「日本の大学」特集をしたときに、いまの大学に対してどう思うかを、日本の教員や学生にインタビューをしていました。すると、「身動きできない」(trapped)「息苦しい」(suffocationg)「釘付けにされている」(stuck)というような、「身体的」な印象を共通してみんなが語っていた。

僕は、制度の問題より、そういう「身体的」な印象を語った言語のほうが、今の日本社会の実相をよく現していると思うのです。

「生きづらい」とみんなが思っているのは文字通り、「身体的」につらいということなのです。

若い人たちが特に感じているのは「未来が閉じられている」という実感ではないでしょうか。自分が動ける可動域がどんどん制限されていく、職業であっても、居住地であっても、生き方の自由度が下がってきている。

僕自身同じことを感じます。僕に対する批判の多くが自由度を抑制しようとしている。

「大学教授ともあろうものが、何々していいのか?」とか、「哲学者を名乗るのであれば、これくらいのことは知らずしてどうする?」などなど。そちらで勝手に僕が何者であるかを決めて、その枠の中に押し込めようとする。
これは現代日本社会に共通しているように思えます。立場にかかわらず、「いやしくも・・・である以上、・・・であるべきだ」という文型で他人の言動の可動域を限定してくる。

理屈として筋は通っているんです。

でも、そういう文型で埋め尽くされてしまうとこちらは息が詰まる。たしかに批評として切れ味はいいかも知れないけれど、そういう定型句が行き交うせいで集団の知性が活性化するということはありません。

それは体制を批判する人も同じです。「日本社会は・・・であるべきだ」というふうにやはり「あるべき姿」を語る。「いろいろあっていいんじゃないの」とか「まあ、好きにしたらいいよ」というタイプの非統制的なメッセージは左翼的な言説のうちにはまず見ることがない。

萩生田発言の本質

――時代的にはいつ頃からそのようなことを感じるようになりましたか?

90年代の終わりぐらいからでしょうか。「貧すれば鈍す」ということだと思います。

バブルの時代はみんな自分の金儲けに忙しくて、他人の生き方にあれこれ口出しする暇がなかった。こちらとしては気楽な時代でした。でも、バブル崩壊後に「パイの取り合い」が始まった。そのときに「お前に許されたスペースから出るな」という言い方が支配的になった。人の生活空間そのものまで限定する動きが、あらゆる分野で顕著になった。

先日、萩生田光一文科相の「身の丈」発言というのがありましたけれど、あれは今年の流行語大賞かなと思いました。時代の気分を実に的確に言い表しているから。
「身の程を知れ」とか「おのれの分際を知れ」という言葉は僕が子供のころまではよく口にされていたもので。でも、久しく訊かなかった。それが生き返ったのは、世の中が「貧乏くさくなった」ことの証拠なんだと思います。みんなで分割する「パイ」が縮んでいるんだから自分の取り分以上のものを取ろうとするなというわけです。そういう言葉は「パイが大きくなっているとき」には口にされない。ですから、高度成長期以降はほとんど死語になっていました。それがいま甦ってきた。自分の取り分で満足しろ、自分に与えられたステイタスから一歩も出るなというのは「貧しい社会」固有の発想です。

――内田さんがおっしゃった時代のひとつの総仕上げみたいな言葉ですね。

これはイデオロギーではないのです。身体実感を言葉にしただけです。でも、体にかかわる言葉が一番生々しく時代精神というものを露出する。

閉塞の時代

――これはお金がなくなったということだけでしょうか?

それだけではないと思います。貧乏ということで言ったら、僕が育った1950年代の日本の方がはるかに貧しかった。でも、人々は明るかった。

――政治的な影響ですか?

政治とも直接は関係がない。政治もその気分の中にあるからです。気分が先で、制度は気分の変化の帰結なんです。まず気分が変わる。メディアの論調が変わる。それから、政治家の価値観やふるまいが変わる。みんな「時代の空気」に適応しているのです。

だから、政治を変えようと思うなら、政治制度をいじってもしかたがない。時代の気分が変わらないと何も変わらない。

例えば、安倍政権が倒れて、石破茂さんが総理大臣になったからといっても社会は別に明るくはならないと思います。でたらめな縁故政治が多少はなくなるでしょうけれど、石破さんが内閣総理大臣になっても、岸田文雄さんがなったって、あるいは小泉進次郎さんがなっても、日本社会の閉塞感は変わらないと思う。
でも、自民党が政権にあることが閉塞感の理由ではないのです。逆なんです。自民党が抑圧的な政策を行うから社会が閉塞的であるのではなくて、社会が閉塞的になったので、むしろそれが、抑圧的な政策と親和し、それを呼び込んでいる。

いま安倍政権を5割近い人が支持しています。5割近い人が、この時代の空気を自分にとってごく自然なものだと思っているということです。この酸欠状態の中で深く呼吸できていると思っている。彼らは抑圧とか、息苦しさとか、生きづらさとかいうものを、もう感じていない。酸欠状態そのものが自然になっている。この人たちに、「息苦しくないですか?」「どこか穴あけて新鮮な空気を入れないと窒息しますよ」ということを伝えないと危険だと思います。

「対米従属」からの解放

――社会が閉塞的になった要因は何でしょうか?

バブルの崩壊ですよね。バブル期の80年代の日本人は異常なほどの多幸感に満たされていた。あの多幸感は単に「カネがある」からだけではありませんでした。あれは「国家主権をアメリカから買い戻す」という前代未聞のプランを日本人が本気で考えていたからです。

あの頃、戦後40年経って、ついに経済力でアメリカを追い越しそうになった。89年に三菱地所はマンハッタンのロックフェラーセンターを買い、ソニーはコロンビア映画を買いました。摩天楼とハリウッドを買ったんです。それをおよそアメリカ社会にあるもので値札がついているものは何でも買えるということだと日本人は理解した。摩天楼とハリウッドが買えるなら、「国家主権」をカネで買い戻すということだってできないはずはない。対米従属の身分からカネで自己解放を遂げることができないはずはない。そういう破天荒な夢が一瞬その時期の日本人の脳裏をよぎった。

世界史上、国家主権をカネで買い戻した国はありません。だから、これは達成されれば、世界史に残る偉業になった。そのことを日本人はみんな口には出さないまま、漠然とは感じていた。国内の米軍基地にもお引き取り願い、日米地位協定を改定し、主権国家になることが夢ではなくなった。

でも、バブル崩壊と同時にその夢はついえた。それがもたらす無力感は想像以上に深いものでした。国家としての生きる目標が失われたんですから。このあとどうすればいいのか? もう永久に対米従属するしかないのか? 

だからバブルの崩壊というのは、単に株価が下がった、地価が下がったという程度のことではなかったのです。国家目標を見失ってしまったんですから。

韓国に習わない日本

――そのなかで、現在は中国が元気が良い。

日本はそれ以後ひたすら没落しているわけですけれど、中国は劇的な成長を遂げた。

実は韓国もそうなのです。韓国もやはり日本に比べるとはるかに成功している。
韓国の場合は、日本の植民地支配から脱したあと、今度は朝鮮戦争があり、久しく軍事独裁があり、80年代に入って、ようやく市民たちが自力で民主化を達成した。

日本の場合は、戦争に負けて、GHQに与えられた既製品の民主主義ですけれども、韓国の場合は、市民が手作りした、血であがなった民主主義です。そこが日本と決定的に違う。そしてもう一つ違うのは、経済的にも日本より成功していることです。

中国の場合は非民主的な独裁政治と市場経済の組み合わせで成功した。韓国は民主制と市場経済の組み合わせで成功した。この二つの成功モデルがいま日本の目の前にある。日本はこれからどちらのモデルに従うかという二者択一を突きつけられているわけです。

もちろん、民主主義と市場経済の組み合わせである韓国モデルの方が日本にとってははるかに親和性が高い。けれども、いまの自民党政権は、韓国モデルから何かを学ぶ気はない。それよりは中国モデルあるいはシンガポール・モデルに惹きつけられている。どちらも強権的な一党独裁体制で、政府批判をする者は令状なしで逮捕拘禁でき、反権力的なメディアもないし、学生運動も労働運動もない国です。そういう国が経済的には発展している。

――どうして日本は韓国モデルを選ばないのですか?

かつての植民地だからでしょう。一段下に見ていた隣国の成功モデルを模倣することはあまりに屈辱的で耐えられないのでしょう。

「成熟」を阻むモノ

――その独裁的な安倍政権の7年をどう見ていますか?

日本の国力を衰微させた7年間でした。「暗黒の時代」として日本政治史に残ると思います。この7年間で、先進国としてのすべての指標が低下した。経済はもちろんですが、なによりも教育の劣化、学術的な発信力は低下が著しい。科学に関しては、『ネイチャー』が2017年に警鐘を鳴らしています。東アジア第1位の先進科学国だった日本の科学力が21世紀に入って劇的に低下したからです。

――表面的にはノーベル学賞受賞者が続いていますが?

それは30年前の研究成果が今になって評価されているわけで、いまの教育行政が続く限り、遠からずノーベル賞はゼロになります。それは受賞者たちが口々に言っていることです。

――教育の分野ではどのようなことが問題ですか?

市場原理を学校教育に導入したからです。限りある教育資源を「選択と集中」で生産性の高そうなセクターに集約しようとしてきた。

中高一貫教育がそうです。あの制度が子どもたちの成熟をどれほど妨げているかについて、みんなあまりに無自覚過ぎます。12歳から18歳まで、同じ仲間と過ごすというのはある種の「地獄」ですよ。変化し、複雑化し、成熟してゆくことを制度的に阻害されるんですから。

思春期の子どもたちって、日ごとに変化するものじゃないですか。それが6年間同じ仲間たちと、同じような言葉づかい、同じようなふるまいをすることを強いられている。12歳のときにある「キャラ」をあてがわれて、それで集団内部のポジションを決められると、それを18歳まで維持しなければ居場所がなくなる。その「キャラ」を忠実に演じることが「自分らしさ」の発現だとみなされている。

日本は集団主義で、「同質化圧」が強いと言いますけれど、それ以上に「自己同一化圧」の方が強いと思う。「自分探しの旅」とか、「自分らしく生きる」とか、「ベストワンよりオンリーワン」とかいう言葉はどれも「自己同一性を早く決めて、決めたらそこから一歩も出るな」というメッセ―ジを言外に発している。先ほどの「身のほどを知れ」「おのれの分際をわきまえろ」と同じです。その自己限定命令をあたかも成長の目標であるかのように設定している。でも、「自分らしさを貫け」というのは実は「成熟するな」ということと同義なのです。

「成熟」というのは、変化し、複雑化することです。昨日言ったことと全然違うことを言い出す、昨日の語り口と全然違う語り口になる。語彙が変わり、表情が変わり、感情が変わり、ふるまい方が変わってゆく、そういうダイナミックな変化のことです。でも、日本社会は、子どもたちが昨日と別人になること、「よりわかりにくくなる」ことをあらゆる機会に阻止しようとしている。社会そのものが成員たちの市民的成熟を構造的に阻害している。日本人が幼稚化した理由はこの「自己同一性圧」にあると僕は思っています。

「自分らしさ」なんてどうだっていいじゃないですか。大事なことは成熟し、複雑化することです。

権力におもねる司法

――なるほど、教育ではそういう問題がある。では、政治の劣化はどうでしょう。

最近では、「桜を見る会」問題で安倍政権はまた居直ったり、証拠隠滅みたいなことをしていますが?

この間、ほとんど司法が動いていないことが深刻だと思います。検察が動いていない。なるほど、検察というのは権力の走狗なんだ、権力者に対しては司法の手は及ばないのだ、ということを日本人の多くは日々実感している。これは「法の支配」「法の下の平等」という法治国家の土台が崩れ始めているということです。すでに日本は近代国家としての体をなしていない。いまの日本国民の統治機構に対する不信感は、南米やアフリカの破綻国家、独裁国家のレベルに近づいていると思います。

――マスメディアに対してはどのように思われていますか?

検察もメディアも同じで、腐っているのは制度ではなく、個人なのです。安倍政権下の7年間では、公的な制度を適切に機能させることよりも、権力者におもねって出世しようとする人間たちが重用されました。公益よりも私利を優先させる人間が公的機関の要路に配された。自分さえよければそれでいい、自分がやりたいことができるのなら、先行き国も、自分の属する組織も、どうなってもいいと思っている人たちがあらゆるセクターで指導層を占めるようになった。それはメディアも同じです。自分が出世して、いい思いをできるのであれば、自分の属する新聞社やテレビ局が先行きどうなっても知らないという人間たちがトップを占めるようになった。

――なかには公共性をなんとか守っていこうとする若いジャーナリストもいると思いますが?

います。僕もそういう人たちと連携して仕事をしています。若いジャーナリストたちは辺野古の番組を作ったり、モリカケ問題を追ったり、れいわ新選組を取材したりしている。でも、彼らが書く記事も彼らが制作したコンテンツも、使われない。紙面に載らない、放映されない。上層部が官邸のご機嫌を伺って、抑え込んでしまう。

山本太郎現象

――そのれいわ新選組の山本太郎ですけれども、内田さん自身は、彼をどう見ていますか?

彼は立派な政治家だと思います。感情の器が大きい。怒りも喜びも共感力も、すごく大きい。怒って泣くし、悲しんで泣くし、困っている人を見ると、共感して泣く。不正への憤りで震える、弱者への共感で震える。あそこまで感情のスケールが大きい政治家は、今の日本にはいないような気がします。

それに彼は全部自分の言葉で話しますね。政治家的定型句を決して使わない。先日、梅田での街宣を見に行きましたけれど、3時間続いた街宣なのに、みんな帰らない。何百人もの人が寒空に立って、3時間聴いている。驚きました。それだけ説得力があるということです。

安倍政権の期限

――そういう状況のなかでの2020年ですが、安倍政権4選の声もあります。

僕は「猫の首に鈴をつけにいく」のは自民党のOBじゃないかと思います。福田康夫とか、山崎拓とか、小泉純一郎とか、亀井静香とか、古賀誠とか、もう現役ではない人たちが、「もう辞めろ」と引導を渡しに行く。これ以上続くと、統治機構への信頼が致命的に傷つくから。

辞任勧告が出ると、党内で「ポスト安倍」の動きが始まる。早ければ、年明けすぐに始まるのではないでしょうか。自民党の先行きを考えたら、このまま安倍政権が続くと、自民党という政党そのものが終わってしまう。
福田さんは一連の公文書の扱いに関しては、相当怒っていると思います。小泉純一郎も「製造責任」がありますし。


批判されない権力者

――内閣支持率がいつまでも高いのはなぜでしょうか?

最大の支持理由は「ほかにいない」からです。それは「この人がいま首相だから」というのと同義です。自分にあてがわれた立場からはずれてはいけない、「分際をわきまえろ」というルールが日本の有権者にも深く内面化されている。だから、「首相は首相であるという事実ゆえに、いつまでも首相であるべきだ」という不思議な推論をする。

権力を持たないものが権力者に逆らうことは「分を知らないふるまい」だとして排撃される。権力の基盤が「現に権力を持っていること」ことなんです。その権力をどのように使っているのか、その適否は副次的なことに過ぎない。

富裕層に対する批判を口にすると、「そういうことは同じくらい稼いでから言え」という批判がすぐに来る。政治家を批判すると、「だったら、自分で選挙に出て政治家になれ」と切り返される。自分の分をわきまえずに、自分がそこにいないポジションの人間を批判するのはルール違反だ、弱者の見苦しい嫉妬だ、と。そういう考え方をする人がほんとうに多い。それが現状肯定につながるわけですけれど、その無力感をなぜかリアリズムだと思い込んでいる。そういう人が日本人の5割いるということですね。

――内田さんの若い時代は違っていましたか?

金持ちだから、学者だから、権力者だからといって、「正味の人間」としてなんぼのものか、ということが人を見るときの基準でした。肩書のような外形的なものには意味がないと思っていました。60年代末の学園紛争って、要するに学生たちが大学の先生に向かって、「あんたら、ずいぶんえらそうにしているけれど、正味の人間として、平場に降りてきて、俺らと対決したときに、俺らを論破できるのか、説得できるのか?」と挑戦したことだったと思うんですよね。そして、実際に「象牙の塔」から引きずり下ろして、差しで議論してみたら、あれほど威張っていた先生たちがみんな腰砕けで、それほど節操もない人間だということがわかった。そういうことです。

――安倍首相はどうでしょう?

あの時代の学生たちの集会につれてきたら、一瞬で論破されてしまうでしょうね。

――しかし現代人は権力には逆らえない。

「分をわきまえろ」「控えおれ」という時代ですからね。江戸時代の身分制みたいな話です。

――日本は江戸時代が再現されている。しかし香港では学生たちがたちあがって、中国共産党と闘おうとしている。

立派だと思います。市民たちが主権的に国を統治したいという意志が、香港でも台湾でも、はっきり表示されている。でも、日本では、89年くらいで政治的な夢を見る時代が終わっている。主権国家なら国民は主権者なのですが、いまの日本は主権国家ではなくて、アメリカの属国なわけです。主権者はホワイトハウスにいるわけですから、日本人には自分たちが主権者だという意識がない。そんな人間に市民革命を起こす力があるはずがないじゃないですか。この政治危機において、国会前のデモに100万人集まらない国ですからね。だから、安倍政権が自民党内部の内紛で退場することはあっても、国民が自力でひきづり降ろすということは難しいと思います。

自己限定からの脱却

――そのような状況下で、わたしたちがするべきことは?

「みんな、それぞれの場所で、創意工夫をしてやってください」ということに尽きますね。僕がとにかく声を大にして言いたいのは、「自分らしい」などという言葉に囚われて、自己限定をし、自由度を下げるような生き方をやめたほうがいい、ということです。「みんな好きにやってください。まわりががたがた言っても気にしないでいいです。」それに尽きますね。「身の丈にあった」「身の程をわきまえろ」などという言葉でどれだけ日本が窮屈になっているのかを反省してもらいたい。

――そのようなやばい状況に気が付き、好きに生きろと?


 僕からのメッセージは「身の程を知るな」、「身の丈を超えろ」ですね。これは小学生から老人にまで言いたい言葉です。「小さくまとまるなよ」と。
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4. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2020年3月21日 13:57:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1247] 報告

安倍首相が意図的にどんな質問にもまともに答えない、平然と嘘をつく理由

「打って一丸」の危うさ - 内田樹の研究室 2020-03-06
http://blog.tatsuru.com/2020/03/06_1314.html


 ある媒体のロングインタビューの中で「打って一丸となる」ことの危うさについて語った。日本人が「打って一丸」となるとだいたいろくなことはないのである。では、国難的状況でわれわれはどうしたらいいのか。

──内田さんの『生きづらさについて考える』を読んでいて目から鱗だったのは、政権与党側が、わざとまともに質問に答えなかったり、ヤジを飛ばしたり強行採決したりして、もはや議会制民主主義が機能していないという印象を与えることで、計画的に投票率を下げている、という分析でした。

 立法府に対する信頼を掘り崩してゆくことが自民党の長期的な狙いで、それは成功しています。国会審議は無意味な政治ショーに過ぎない、国会議員というのは知性においても徳性においても優れた人間ではないというイメージを広めてゆけば、有権者は選挙に関心を失います。投票率が下がれば、今の選挙制度では、組織票を持っている政党が勝ち続ける。

 安倍政権はその計画的な国会審議の空洞化にはみごとに成功したと思います。どんな質問にもまともに答えない、平然と嘘をつく、前言と矛盾してもまったく気にしない、与党が出す法律はどれほど野党が反対しても最後は強行採決される・・・そういうことを7年繰り返していれば、国民も「国会には存在理由がない」と思うようになります。結果的に、閣議決定や内閣の恣意的な法解釈が国会での審議や立法を代行するようになりつつある。「法の制定機関」と「法の執行機関」が同一である政体を独裁制と呼びますから、その定義を適用すると、安倍政権はすでになかば事実上の独裁制になっています。

 これまでの憲政の常識を当てはめればもう10回くらいは内閣総辞職していないとおかしいくらいに失政・不祥事が続いているにもかかわらず、安倍政権は何ごともないように延命して、憲政史上最長記録を日々更新しています。

 ふつうは内閣支持率が6割近くないと円滑な政権運営はできないので、どんな内閣も国民のマジョリティの同意をめざして政策を立案するものですけれど、安倍内閣は違います。30%ほどいる自分のコアな支持層だけに受ける政策を採り続けている。そして、確かにそれで十分なのです。というのは、残り70%の有権者は自分たちの意志はしょせん国政には反映しないという無力感に蝕まれているので、投票のインセンティブを失っているからです。「自分たちの意志が国政に反映されている」と感じる30%と「何を訴えても国政には反映されない」と感じる70%に有権者を二分すれば、30%が選挙では勝ち続ける。そういう仕掛けです。

──それにより安倍政権は歴代最長の政体になりましたが、いまの政権や自民党の状況は、これまでの日本の政治のなかでどのように位置づけられるでしょう?

 末期です。安倍政権が終わった時に同時に自民党という政党も終るでしょう。自民党がかつてのような国民政党としてもう一度党勢を回復するということはないと思います。

 70%が反対する政策であっても、30%が支持すれば実施できるという成功体験に自民党は慣れ過ぎました。国民を分断して敵味方に分けて、味方を優遇して敵を冷遇するというネポティズム政治しか彼らは知らない。立場の違う人たちと対話して、譲るところは譲って、「落としどころ」を探るというような高度な交渉技術を持っている政治家はもう自民党内にはいません。かといって野党政治家にそれだけの力量があるかと言えば、これも心もとない。でも、ポスト安倍期に必要なのは、60年安保闘争で岸信介が国民を二分してしまった後に登場してきた池田勇人が「寛容と忍耐」を掲げましたけれど、あれと同じような「国民の再統合」だと思います。

──そのような状況が変わる可能性はあると思いますか?

 分断された国民の再統合が果たさなければ日本に未来はないですから。でも、「打って一丸となる」ということを勘違いしないで欲しいんです。高度経済成長期もバブルの時もそうでしたが、どちらの時期も、日本人は金儲けに夢中でしたが、国民的な分断はなかった。僕のような反時代的な、生産性も社会的有用性のまるでない人間のことも構わず放っておいてくれた。「なんで金儲けをしないんだ。バカじゃないか」と冷笑はされましたけれど、していることを「やめろ」と言われることはなかった。みんな自分の仕事に忙し過ぎて、隣の人がやっていることに口を出す暇がない。それが僕の考えるとりあえず現実的な国民再統合のイメージです。

 今日本は分断されていますけれど、それは隣の人間のやっていることをうるさく詮索して査定して、気に入らないと「非国民」とか「反日」とかレッテル貼りをするバカが湧いて出ているからです。「日本人は一つにまとまるべきだ」と言い立てながら、国民的分断を進めている。そのせいで日本はここまで国力を失った。
「自分がほんとうにやりたいことに専念する」というのが一番生産性を高めるふるまいであることはどなたでも同意して頂けると思いますけれど、ただし「専念する」には「他人のことに構ってる暇がないほど」という条件がつくんです。

 隣の人間が何しようとどうだっていいんです。自分が何をするかだけが問題なんだから。幕末のころには「志士」というのが大挙して登場しましたけれど、あの人たちは「オレが頑張らないとこの国はダメになる」と思っていた。個人の努力が国の運命を左右する、と。そういう一種の関係妄想を病んでいる人間の人口比率が一定の値を超えると、国力は増大し、国運が向上する。逆に、その比率が少ないと(つまり「オレが何をしようと、国の運命には影響がない」と思っている人ばかりだと)、国運は衰える。明治の日本が東アジアで例外的に短期間に近代化に成功したのは、その比率が例外的に高かったからだと思います。

 でも、安倍政権は70%の国民に対して、「自分が何をしても世界は変わらない」という無力感を刷り込み続けて、ついにそれに「成功」してしまった。残り30%は「オレが別に頑張らなくても、あっちの方からぜんぶお膳立てしてくれる」という居心地のよいネポティズム政治に居着いてしまった。「オレが頑張らないとこの国はダメになる」という使命感に身を焦がす・・・というタイプの人間を減らすことを制度的に推進したのです。それでは国力も低下します。

 安部政権は個人の努力が国運向上にリンクするという幻想をみごとに粉砕しました。そうすることで、無気力な、権威に尻尾を振るだけのイエスマンの大量育成には成功しましたけれど、そんな人間をどれほど頭数揃えても、国は衰えるばかりです。
http://blog.tatsuru.com/2020/03/06_1314.html  

5. 中川隆[-13620] koaQ7Jey 2020年3月21日 17:01:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1262] 報告

記者座談会 ポスター貼りをやってみた れいわ新選組ボランティアの草の根活動
2020年3月10日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/16088

 山本太郎率いるれいわ新選組が衆院選の第一次公認候補予定者を発表し、全国各地でボランティアたちが系統的にポスター掲示活動をおこなっている。いわゆる組織的なものではなく、れいわ新選組の政策に共感し、その方向で政治や社会を変えていこうと願う個人が横に緩やかに繋がりながらやっている。一枚ずつポスターを貼ってもらう地道な作業だが、商業メディアに頼らず、人々との直接対話によって草の根の支援を広げていくことを重視するれいわ新選組が最も力を入れている活動だ。本紙記者たちも全国各地や下関でのポスター活動に参加してきた。その特徴や教訓について座談会で論議してみた。


ポスターを掲示するボランティアたち

 A ポスター活動の内容は単純だ。れいわ新選組の事務所に注文し、送られてくる大小のポスターを一枚ずつ地域に貼っていく。自分の居住区でもいいし、隣町でもいい。長期的には選挙区全体を視野に入れて、商店街や住宅地を一軒ずつ回りながら、家主や店主、建物の所有者などに「元参議院議員の山本太郎のボランティアをしています。ポスター掲示のお願いで回っています」とお願いしていく。細かい手続きについてはここでは省くが、ポスターを掲示するためには一人でも多くの人たちと面会することなしには始まらない。


 SNSやネットでは一方的に意見を伝達したり、情報を拡散することはできても、政治的立場や意見の違う人たちとのコミュニケーションは難しい。匿名で相手の顔も生活もみえないし、真意が伝わらないまま「罵倒し合って終わり」となるのが関の山だ。相手と対面し、膝をつき合わせて語り合い、血の通ったやりとりをすることなしには一致点を見出すことも、相互理解を深めることもできない。


 待っていて来ないなら、こちらから会いに行く――「選挙に行かない5割」と結びつくためには、そのような能動的な行動が求められる。


 れいわ新選組の全国ツアーでは「SNSで“いいね”を押したり、ネット上で盛り上がるだけでは票には繋がらない。街頭演説も同じ思いを持つ人が集まる傾向が強く、その熱気がそのまま勢力の大きさを意味するものでもない」とシビアに判断していた。そして「支持してくださる一人一人が候補者になりかわって、一軒一軒戸を叩き、顔をつきあわせて粘り強く働きかけることがなければ強固な基盤を広げていくことはできない」とポスター活動への参加をくり返し訴えていた。勝手連的に全国各地でおこなわれているポスター活動のすべてを本部が把握しているわけではないが、誰も統制したり、掌握することのできない草の根の力によって支えられているのが、れいわ新選組の特徴であり、新しさでもある。


 B 下関でも2月から地元ボランティア有志でポスター活動を始めている。いまはコロナ騒動で自粛ムードではあるが、私たちも活動に実際に参加してみた。


 ボランティア同士がLINEやメールで連絡をとり合って集合し、2〜3人のグループで、担当した地域を回る。もちろん一人でやってもいい。対象地域の住宅地図を見ながら、無差別に訪ねていく。初めての場合は緊張するし、慣れるまではインターホン越しにスムーズに話をするのも難しいが、できるだけ簡潔に「ポスターを貼らせてもらえませんか?」と依頼する。許可が得られたら指定された場所に貼り、自分で貼ってくれる人には預ける。


 ポスターが貼れそうな場所はあらかじめ確認して依頼するが、一見掲示が難しそうな個人宅の壁やお店の中、ブロック塀、フェンスなど意外な場所に貼らせてもらえることもあるから聞いてみなければわからない。壁面の素材にあわせて、ワッポン(ポスター掲示用の貼る画びょう)、両面テープ、画びょうなどを使い分けて掲示する。掲示を了承してくれた人には、チラシを渡して丁寧にお礼をいう。これをくり返していく。


 C 山本太郎を知っている人もいれば、知らない人もいる。なかには「大嫌い!」といってドアをぴしゃりと閉める人もいる。けんもほろろに断られることがあっても「ありがとうございます」と丁寧に礼をいって次に行く。相手の意見にはできるだけ耳を傾けるが、マウントをとったり、むやみに論争はせず、相手の意見や立場を尊重して身を引くことも大事なポイントだ。自己主張を押しつけたり、上から目線の説教や、マウントのとりあいの空中戦はマイナス効果しかないのでやらない。


 掲示スペースがなかったり、商売柄や地域特性によって政治色が出せないため「ポスターは貼れないけれど応援している」という反応も結構ある。ポスター活動は、そのような埋もれている支援者と繋がるきっかけにもなる。たとえ貼れたポスター枚数が少なくても、直接対面して会話を交わすことにも意味がある。それによってまだ知名度の低いれいわ新選組について認知してもらえるし、それを無名のボランティアが支えていることが伝わる。


 A 下関でも、おしゃべり会や候補者発表などを通じて、次第にれいわ新選組の主張や政策が知られるようになり、「頑張っているね」「陰ながら応援してるよ」と声を掛けてくれる人が増えてきた。古くからの保守地盤にあって「れいわ新選組」の政党ポスターを堂々と掲示するのはハードルが高いし、勇気のいることだ。地域コミュニティは否が応にも自民党政治のしがらみのなかにあるし、隣近所、親戚関係、勤め先、商売の取引先、お客さんとの関係でさまざまな政治的立場があり、支持政党を明らかにできないという人が一般的だ。だから無理強いはせず、あくまで「お願いします」と謙虚に投げかけるのが基本だ。それだけでも意味があるし、一枚でも貼ってもらえたらより実態のある宣伝効果を生む。


 「無理だろうな」と思いながら訪ねたお店でも、ロスジェネ世代(30〜40代)の店主たちが「今度は増えるんじゃないですか」「いいですよ」と快く貼らせてくれたり、年配者でも「ユーチューブで演説を見ているよ」といって掲示してくれる人もいる。


 山本太郎やれいわ新選組を「奇をてらったパフォーマンス」のように捉える風潮もあるが、このような地道な活動をすることでより深く政策の中身が知られるようになるし、地道に回りながら底辺の声をすくい上げていく姿勢が歓迎されていると思う。組織票に頼る既存政党はまずこんな骨の折れることはやらない。


 B 世代や職業などによって反応の違いがあるのは当然だし、貼れない理由を知ることも勉強だ。「私はいいけど、旦那がいるからね……」など、家庭内での意見の違いもある。そのように人々はさまざまなしがらみのなかで、表だって政治的な主張がしにくいなかにいるが、決して政治に無関心であったり、必ずしも現状を積極的に肯定しているわけでないことを対話を通じて知ることができる。下関のように他の選択肢が乏しい地域ではなおさらだ。これも生活のなかに飛び込まなければわからないことだ。また逆に、隣近所やお客さんに自民党支持者の人がいても関係なく「貼っていいよ」という人だっている。ボランティアの側が地域の人たちの生活や胸中を理解していく過程でもある。


 D ボランティアにはじっくり一日かけてやる人もいれば、「用事があるから一時間だけ参加」という人もいる。学生、会社員、自営業者、主婦、子育て中の世代、フリーターなど……ボランティアも境遇はさまざまだし、それぞれができる範囲で参加して、お互いが補いながら継続している。特に政治に詳しく、弁の立つ人でなければできないというものではなく、真面目に相手の意見を聞き、お礼をいう謙虚な姿勢さえあれば誰でもできる。一人では心細いけれど、数人でやるなら励まし合って継続できるし、反応やコツを共有していけば、次のステップアップに繋がる。


 C まだ1枚もポスターが貼れていない地域で最初に貼るのはハードルが高い。でも近隣で1枚、2枚と貼ってもらえると、安心して貼ってくれるようになり、気がついたら「太郎通り」かと思えるほどたくさん貼れた地域もある。「難しい地域」という思い込みが覆される。先入観やこれまでの自分の狭い経験だけで見ていたらわからないことが起きるのもポスター活動のおもしろさだ。


 「これまでは自民党支持だったけど……」といって胸の内を語ってくれたり、地域が抱える問題があってもそれに耳を傾ける政治家がいないこと、与野党含めて既存の政治に対する不信感など、赤裸々な思いが語られる。日常生活では聞けない政治に対する本音を聞けるのも醍醐味だ。


 自民党支持者にも支持者なりの思いがある。なぜ支持しているのか、政治になにを求めているのかを知る機会にもなる。「強固な保守地盤」といわれる地域でも細部に分け入っていけば、鬱積した思いがある。圧力があるならそれも含めて共有し、有権者の判断を仰ぐのが民主主義だろう。

市民の生活や思いに学び


れいわ新選組の街頭宣伝に集まる人々(昨年12月、池袋)

 B れいわのボランティアは、組織や団体に属していない個人が多く、しかも主婦や母親、若者、学生など、これまで政治とは縁遠かった人たちが多い。消費税廃止や全国一律最低賃金1500円の政府保障、奨学金徳政令などの政策を自分たちのテーマとして切実な思いをもって動いている。これを「素人集団」と揶揄する傾向もあるが、裏返せば「選挙に行かない5割」にアプローチできるもっとも近い人たちだ。高見から眺めて説教したり、評論するだけの自称「玄人」よりもよっぽど力を持っている。フットワークの軽さこそが武器で、「ポスターを貼らせて下さい。お願いします」で街のなかにどんどん溶け込んでいくのだ。


 それぞれが一支援者で終わるなら個々バラバラだが、ポスター活動をすることで横に繋がる。個人でやっても構わないが、複数でやるならやはりパワーも倍増する。貼れる枚数も増える。地道にコツコツと積み重ねていくしかないが、真面目に実直にとりくんでいるかどうかも含めて有権者は見ていると思う。


 商売や営業活動の経験がある人なら知らない人との対話に慣れていたり、木工などの手作業が得意な人はポスター用のボードを手作りしてきたり、字やデザインが上手い人はメモやイラストを書いたり、その地域に長く住んでいる人なら地域の事情に明るい。動くのが無理な人はチラシを折ったり、ポスターの裏のシール貼りなどの事務作業で参加したっていい。それぞれができるところから参加し、お互いに学び、支え合いながら能動的にやることで新しい運動体が作られているというのも特徴だ。親が子どもと一緒に参加してワイワイ楽しくやっている地域もある。そのように、みんなが安心して緩やかに参加できるセンターが各地に作られていくなら、いままでなかった新しい活動を系統的に継続することが可能になる。


 A 衆院選に向けて第一次公認予定候補の発表が始まっている。議員経験者もいれば、まったく別の畑から政治に飛び込んだ候補者もいる。発表にあたって山本太郎代表は「選挙区に根を張って地道に票を積みあげなければ勝負にならない。地元有権者のみなさんとの丁寧なやりとりやポスター掲示などの活動を見て、候補者に小選挙区でたたかうための運動量や力が足りないと判断した場合には公認をとり消すこともありうる。一人一人がそれくらいの背水の陣を敷いてたたかっていく」と緊張感をにじませていた。候補者は一人あたりポスター1万枚を貼ることが目標だという。政治経験があろうがなかろうが、地を這うように選挙区のなかへと浸透していくこと以外に勝機はないという判断は賢明だ。「この国の主人公は政治家ではなく有権者」という立場を選挙戦に貫くということでもある。


 B 山口4区でも「アベ政治を許さない!」みたいなこれまでの野党的なたたかい方はせず、具体的な地域の要求をすくい上げ、アベノミクスの恩恵の外に置かれてきた市民の切実な声を国政に届けるというスタンスでたたかう方針だ。ネットやメディアを使って観念や思想信条をぶつけ合うような空中戦ではなく、徹底した地上戦をやるということだ。


 激しく政権批判はするが、守るべき人々の生活や感情の機微には関心がないというのが古い左翼の特徴でもある。唯我独尊の自己主張ばかりでは嫌われ、泡沫的な結果しか生まなかったのが現実だ。そんなガス抜きのようなたたかいではなく、真面目に実直に人々の生活や願いの側に立って、具体的な要求や思いと切り結ぶ地べたを這うような地上戦をやるなら保守王国といわれる山口県でも過去に例のない選挙になると思う。


 現職が持つ10万票をひっくり返すのは生易しい話ではないが、地に根を張ったぶんだけ枝葉は伸びていく。焦って結果を求めず、粘り強く活動していくなら変革の糸口が見えてくると思う。


 A モリカケ、桜、公文書改ざん、諸々の売国法案の強行可決など、挙げればキリがないほどの政治の私物化や売り飛ばしが進み、国政政党は馴れ合いのなかで壊死状態といっていい状態だ。多くの人が政治に幻滅しているなかで、諦めるのではなく、下からひっくり返して政権を奪取するという過程は、政治が信頼を失った根拠に立ち返り、大多数の人たちのためにまともに機能する政治を作るための新しい運動を作る過程でもある。候補者が誰であれ、政治の主体は有権者であり、このような対話を縦横無尽にくり広げることが新しい政治運動の土壌を作っていく。候補者も有権者の思いに学ぶことから始めなければいけない。


 権力の動きばかり見て「やられている!」とあきらめたり、またその逆で「けしからん!」と悲憤慷慨するだけでは展望は見えてこない。自分の足元や周辺の人たちと対話をくり返していけば落ち着いた情勢判断ができるし、力を合わせるべき具体的な対象が見えてくる。そこに展望がある。

世界の新しい潮流でも 欧米各地の事例

 B 世界中を見渡しても、米大統領選におけるサンダース旋風、スペインのポデモス、イタリアの五つ星運動など、各地で台頭し始めた新しい政治潮流はすべて街頭での対話や戸別訪問が具体的な機動力になっている。


 米大統領選の予備選で前回に勝る旋風を巻き起こしているサンダースの陣営では、学生や主婦など無数の若い世代がボランティアになり、各州で数千、数万件もの戸別訪問をおこなっている。かつてのアメリカでは考えられなかった金融資本主義を真っ向から批判する候補者が大統領選で旋風を巻き起こすような地殻変動は、リーダーのカリスマ性や、主義主張が先行する教条的な理論への陶酔というものではない。新自由主義による格差拡大のなかで、多数派である貧困層や中間層の具体的な要求を束ねて形にしているから強い。だから「ポピュリズム」「社会主義」「過激派」などのレッテル貼りにもびくともしない。


 2014年にカリフォルニアの看護師たち200人が戸別訪問をはじめたのを皮切りに、評判とともにその方式が全国へと広がったといわれる。それまでは電話かけやチラシ配り程度だった選挙運動も「ドアベアリング(呼び鈴を鳴らす)」「キャンバシング(戸別訪問で意見を聞く)」となって広がり、今回の大統領選では全米各地で数百人から数千人規模のボランティアが戸別訪問をしているという。もちろんその人々と候補者の政策が合致することが前提だが、サンダースは「このような草の根の選挙が、企業献金に支配された選挙にかわってアメリカ全土を席巻する」と強調している。商業メディアなどに足元をすくわれないためにも、下へ下へと根を張ることが求められる。


カリフォルニア州で戸別訪問をするサンダース陣営のボランティアたち(2月)

 C イタリア上下両院で第一党にまで拡大した「五つ星運動」も、腐敗した二大政党に抗議する街頭運動や署名活動からはじまっている。保守も革新も野合して腐敗していることへの怒りを根底にしている。3年前に来日した指導者の一人は「インターネットはみんなが出会いを広げ、自由に意見を交わすことができる手段ではあるが、意見が違う人同士が話し合うためには対面で話し合わなければ意思疎通ができない。だから、街頭での対話は人々が直接的に関係を深める点でより重要だ。ネットが広場(街頭)にかわることはない。だから、私たちは毎週末、広場に出て行き、人々と直接対話をしている」と強調していた。公園や広場にブースを設けて不特定多数の人たちと政治論議を広げ、地方選挙から新しい局面を切り拓いていった。


 欧州で「反緊縮」の狼煙を上げたスペインのポデモスも、全国各地に1200以上の「サークル」といわれる集会組織を作り、地域の問題や生活要求を束ねながら足場を固めていった。各国事情が違うので一概にはいえないが、既成政党が有権者からかけ離れて信頼を失っているなかで、国会の内側からではなく、政治に幻滅した多数派の中から新しい政治運動を作り出しているのが共通した特徴だ。「与党vs野党」「保守vs革新」という古いイデオロギー対立ではなく、社会を食い物にする1%と、食われている99%のたたかいだ。そのためには団結できるすべての人と団結していくことが求められる。


 A れいわの全国ツアーで山本太郎も「支部があってトップダウンでいうことをきくという形では、この国は変わりようがない。政治は組織化しないとダメという固定観念を壊したい。権力は一人一人が能動的に主体的に動くことを恐れ、全国に把握できない有象無象の集まりができることを一番恐れている。そのような塊を広げていきたい」と話していた。このような地道な対話を基本にして旺盛な政治論議が全国各地で広がっていけば日本の地殻変動も迫力が増してくると思う。5割がしらけて寝ているあいだは「3割支配」は安泰だが、その「5割」が少しでも動き出せば誰も予測不能な様相になりうる。


 「一人一人の心のドアをノックする」――あるボランティアはポスター活動をそう表現していた。1人が2人になり、その一歩一歩が新しい可能性を開いていく突破口になると思う。

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/16088

6. 中川隆[-13619] koaQ7Jey 2020年3月21日 17:02:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1263] 報告
本気の思いつなぎ新局面つくる れいわ新選組全国ツアーに同行して 記者座談会
2019年12月28日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/14988

 山本太郎率いるれいわ新選組は7月の参議院選を経て、9月の北海道を皮切りに、九州、沖縄、東北、北信越、東海、近畿、そして12月の関東まで街頭や屋内で人人との対話をくり広げながら全国を回った。本紙はすべてのツアーに記者を派遣し、山本代表が訴える政策とともに、全国各地の人人が抱いている政治的な問題意識や思い、それぞれの地域が直面している問題についても注目しながら同行取材を続けてきた。全国ツアーでは、新自由主義的な政策のもとで衰退してきた地方の現実や、訴える先のない人人の切実な思いや要求が表にあらわれ、既存政党の枠をこえて人人の手によって新しい政治勢力を生み出すことに活路を求める機運が全国各地に脈打っていることを実感させるものだった。同行した記者たちで座談会を持ち、ツアー全体の特徴を出し合った。

◇      ◇

 A 山本代表の「街頭記者会見」や「おしゃべり会」(屋内)は、全国どこでもその場に集まった人たちから無差別に質問や疑問、提言などを受け付け、それに山本代表が全力で答えるというスタイルでおこなわれる。駅前の雑踏の中、白熱した論議が始まると、その真剣さに道行く人たちも足を止めてたちまち黒山の人だかりになる。反響の広がりから、回を重ねるごとにその規模が増していき、凍えるような寒さのなかで2、3時間ぶっ続けでも人が減らない。


 参議院議員時代に蓄積した数万におよぶ資料のなかから、即座に議題に関連する資料をモニターに映して応える対応力の高さには驚かされるが、「たかだか山本太郎。わからないことはみなさんから知恵を授けていただきたい」という柔軟なスタンスで、自分が答えることができない場合はてらいなく聴衆に委ねる。政治家の主張を一方通行で聞かせるのではなく、幅広い経験を持つ人人と相互に意見を交換して正しい解決策を見出していく手法は「政治の主役はこの国に生きる人人」という山本代表の信条を体現している。そのやり方が歓迎され、記者会見の場ではどこでも時間内に収まらないほど人人から発言の機会を求める挙手が止まなかった。みんなは決して「政治に無関心」なのではなく、発言の場を求め、本気の論議を求めているのだということがわかる。


 聴衆からの質問や意見は多岐にわたる。労働や賃金格差、外国人労働者、税金問題、奨学金、教育、障害者の孤立、生活保護、医療、介護、食品、健康、原発や放射能汚染、農漁業振興、災害対応、憲法や軍事、外交問題……どれもこの20年来の新自由主義的な政策によって破壊されてきた人人の生活からの声であり、生き死ににかかわる切実感があった。

 また福島や福井、新潟などの原発立地地域の問題に加え、北海道、東北、東海、近畿などの各地では国策として進める大規模再エネ(風力やメガソーラー)、核廃棄物の処分場づくり、静岡ではリニア新幹線による環境破壊、宮城や浜松では水道民営化など、大企業が地方を食い物にする略奪的ビジネスが横行していることも浮き彫りになった。長崎県対馬では、日韓関係の悪化で観光客の9割を占める韓国人観光客が激減して地域経済が危機に瀕しているという切迫した声もあった。政治に対する幻滅が広がるなかで、下からの力を結集して政治を変えなければ、生きることも、安心して暮らせるコミュニティも奪われる。その危機感があるし、下から横につながって変えたいという意欲が充満していた。

 B 関東では、山本代表が「ブラック企業でどんな働き方をしてきたのか話してほしい」と参加者に呼びかけ、みんながリレー方式でこれまでの働き方を証言する場面もあった。派遣切りにあって再就職ができず引きこもった経験、最低賃金ギリギリで残業代もつかないサービス労働を強いられていること、職を転転としたあげくに身内が自死した経験、パートを掛け持ちして子どもを育てる苦しさ……など、一度つまずけばたちまち貧困の連鎖に突き落とされる社会のなかでみんなが必死でもがいているし、現役世代や学生たちもこれまで「仕方がない」と思わされてきた過酷な労働環境への疑問を訴えていた。経済的な困窮を背景にした家庭崩壊や虐待、引きこもり、精神疾患、自殺など、まさに「死にたくなるような社会」の現実が想像をこえて蔓延していることを実感した。

 これらの現状を踏まえて山本代表は「なぜ年間2万人が自殺するような社会になっているのか考えなければいけない。もはや奴隷を通り過ぎて、人をとりかえのきく部品としか企業側はみなしていない」と強調し、経団連を中心とした一握りの大企業や米国に支えられてその要求を丸呑みしてきた自民党政治を正面から批判しながら、「全有権者のわずか3割の得票でここまで好き放題できるなら、投票権を捨てている5割の人たちとつながってひっくり返せば、真逆の政治を実現できる。その先頭に立たせてほしい」と熱をこめてくり返していた。こうした論議は、れいわ新選組の政策を知らせるだけでなく、人人がお互いの経験や苦悩を共有し、個個バラバラにされてきた人たちを横につなげていく過程でもあった。

 C 山本代表は、れいわ新選組が掲げる消費税廃止などの政策とあわせて、従来の「財源がないから増税」「赤字なのだから緊縮財政は避けられない」などといった既成概念を覆し、「政府の借金=民間の黒字」の仕組みや自国通貨発行権を持つ日本は税収にかかわらず大胆な国債発行が可能であること、税は過剰なインフレを抑制する景気安定装置であり、デフレから脱却するためには大衆課税を軽減して消費を喚起する必要があることについてくり返し説いていた。

 世界一生産性の高い国でありながら、カネのために人間が縛られ、部品のように消費され、命まで奪われる異常な搾取の構図にメスを入れ、その支配からみんなの頭を解放することに力点を置いていたと思う。対話を重ねるたびに「政治とはこの国に生きる人人を救うために機能すべきものだ。争うのは労働者同士でもなく、外国人労働者でもなく、人人を政治からはじきだすことによって政治を好き勝手にコントロールしているわずか1%の財界とその代理人だ」という方向性を鮮明に訴えていたし、そのために団結できるすべての人と力を合わせていくというスタンスがより強固なものになっていると感じた。対話のなかでの聴衆との相互の響き合いがそうさせていると思えた。

 B 街宣会場では、マスクをしたサラリーマンが「仕事の関係上、公には活動しにくいのでマスクをとれないのが心苦しいが、底辺から底上げしていくという政策に非常に励まされる。いずれは堂堂と活動したい。頑張ってくれ」と声を掛けてきたり、「自営業者だが、取引先が廃業したり、地域全体の購買力が落ちていけば私たちも苦しくなる。社会を変えなければ自分たちの生活もよくならない」(男性)、「友だちにシングルマザーが多く、バイトを掛け持ちしながら子育てをして苦労している。明日は我が身だと思うし、子どもたちの将来のためにも親である自分から動こうと思った」(母親)など、幅広い人たちが居ても立ってもいられない思いをもって集まっていた。単独で旗揚げしたことで国会内勢力やメディアにとっては「目障りな少数派」になったが、国会の外側では明らかに多数派になっている。なにもないところから自力で政党要件をこじ開けた参院選を経て、さらに多くの人を惹きつけている。

旧勢力と違う斬新な質 5割に働きかける努力


 A 全国ツアーでは、ネットやSNSだけに頼るのではなく、人人と「リアルにつながっていく」ことを重視していた。SNSは便利だが、実際に相手の顔を見て、膝をつき合わせて対話することがなければなにも始まらない。一人一人が置かれている境遇も、抱える問題意識も個別具体的だからだ。山本代表みずから生活の場に足を踏み入れて、意見の違う人たちとも心を通わせるよう努力する姿を見て励まされ、「自分にもなにかできないかを考えるようになった」という人は多かった。


 演説途中では「応援したがなにも変わらないじゃないか!」「消費税廃止などできるわけがない」などと否定的な意見も飛んでくるが、そんなときこそ相手がどんな生活をし、なにを考えているのかを知り、本気の論議でそれに応えながら一致点を探っていく。とかく古い市民活動家や革新政党を支援してきた人ほど頭ごなしにマウントをとったり、「我こそは」と自己主張の説教をして嫌われる傾向があるが、そうではなく、政治に幻滅している人、意見の違う人にこそ誠意を持って語りかけ、まず相手の生活を知り、粘り強く理解してもらえるように努力するという姿勢にこれまでの左翼との違いがある。「選挙を捨てた5割」とつながろうとする本気度がある。


 B 演説を聞いたみんなもそれぞれの場で行動している。各地域でおこなわれるポスター活動はボランティアの醍醐味だと思う。SNSで発信される情報にもとづいて、見ず知らずの人たちが集合場所に集まる。3〜4人ほどのグループで地域を分担して散らばり、一軒ずつインターホンを鳴らして「お願いします」とポスター掲示を依頼していく。「思いもよらないところで貼ってくれた」ということもあるが、2時間、3時間回っても1枚も貼れないときだってある。でも、はじめは緊張していた人たちも一日経験してみるとみんな晴れ晴れとした表情に変わっていた。


 活動後に集合し、れいわ新選組のスタッフに促されて一人一人感想を交流すると、「はじめはインターホンを押す手も震えたけど、次第に慣れて話ができるようになった」「断られて心が折れそうになるときもあるけど、直に声をかけていくことで知ってもらえるし、次につながると感じることができた」「知らない土地で一軒ずつ戸を叩いて人人と話をしてみると、ポスターを貼らせてもらえることの方が珍しいし、れいわ新選組や山本代表のことを知らない人もいる。ネット上や仲間内では盛り上がっていても、まだまだ知名度の低いことがわかる。自分が動かなければなにも始まらないことがわかった」と口口に語っていた。


ポスター活動を終えてみんなで感想を交流する

 A 地域の特殊性だったり、政治的ポジションの違いで一回では理解してもらえないことも多多あるが、諸事情でポスターは貼れないけれど内心では応援してくれる人もいる。そうやって地域や人人を理解し、複雑な感情の機微にも触れながら、汗を流して行動した分だけ自分の言葉も行動も磨かれていく。次第に慣れていくと、地域の人人の生活や思いがわかり、「お年寄りが戦争体験を話してくれ、“あんなことは二度とくり返してはいけない”と声をかけてくれた。地域の歴史を知ることもできた」「頑張れと声を掛けてくれた」など新しい出会いや発見も生まれ、「こんなにおもしろかったのか」とみんな楽しみながらいきいきとやっている。経験を交流し合いながらボランティア同士の横のつながりもできる。いわゆるトップダウンの組織ではなく、本気でやる気の人たちが勝手連として下から動き出し、誰も止められない流れになっていると感じた。


 C 集まる人にもそれぞれ得意分野があって、営業経験のある人からは、お宅訪問で断られてもちゃんと頭を下げてお礼をいうなど礼儀作法について教えられる。地元の人であれば土地勘や地域の事情に明るい。手仕事にたけた人はポスター掲示用のボードをつくってきたり、データ処理ができる人は名簿を整理し、デザインが上手い人は独自の配布物をつくるなど、それぞれがアドバイスをしたり、強みを生かしてお互いに補い合う関係ができている地域もあった。女性が多い地域はつながりも強く、とくに活発だった。短い言葉で相手にわかりやすく伝えるためにはどんな言葉がいいか、反論してくる人の意見も丁寧に耳を傾けて次回から教訓にしようとか、お互いに話し合いながら進化していく。自分が「一支援者」というだけではそこ止まりだが、実際に当事者として動くことで関係も緊密になり、一人一人がみんなのために働く運動体になっていく。社会を変えるために自分を変え、周りを変えていく。ポスター活動がそれを促していると思った。


 B 「一人で何かしようと思っても無理なことが多く、いろいろ頭で考えていてもなにも動かない。いろんな人の意見や力や知恵を集めていけば変えていける。安冨歩さんが“山本代表を使って自己実現していく”と話していたが、実際にボランティアに参加してみて、みんな偽善や自己満足のために運動しているのではなく、みんなのためでもあるけど、自分のために世の中を変えていこうとしているし、そういう人たちがたくさん集まり始めていることに気付いた」(40代・母親)、「母親が認知症の祖父母の介護で精神的に追い詰められていたため、夢を諦めて帰郷した。同じような苦しみを持つ人たちがいるのにつながることもなく、周囲に理解してもらえる人も少なかった。思いを共有できない根っこを考えると政治に行き着き、山本さんの動画を見てみんなが協力できる社会に変えていきたいと思った。思っているだけでは変わらないので一歩踏み出してみると、みんな普通の人たちで暖かくサポートしてくれ、やる気の人たちの集まりだと感じた。自分が動くことで、例えれいわを支持してくれなくても政治に関心を持ってくれる人を増やしたい」(20代・女性)など、それぞれが一歩踏み出して新しい境地を開いていた。


 A れいわ新選組のスタッフたちも、各地のボランティアとのかかわりのなかで相当に鍛えられている印象だ。一日の休みもなく日本列島を縦断するようなツアーの行程を献身的に支えていた。昼間ははじめて赴く地で地元の人たちにレクチャーしながら一緒にポスター行動で汗を流し、街宣の始まる3時間前には現地入りしてステージや機材の設置、そして会場整理や宣伝材料を配布するボランティアをとりまとめる。街宣後の片付けまで含めると大変な作業だ。それでも疲労の顔色一つみせず、集まってくる人たちの意見を聞き、励まし、さまざまな突発的なトラブルにも対応する。自己主張や旗を振り回すだけの自己満足でできる活動ではなく、あくまでも「縁の下の力持ち」としての立ち居振る舞いに徹しているのが印象的だった。彼ら彼女らがボランティアのお手本のようになっているし、そのように組織の中核が私心なく結束しているからこそ幅広い人たちの自由な活動を保証できるのだと思う。こういう人たちが各地に生まれていけば、相当に強力な運動体になっていくと感じた。

みんなの行動が情勢を動かす 新勢力が台頭する機運


 B ツアー後半になるに従って、衆院選を含めた今後のたたかい方についての質問も多かった。野党共闘についての意見はさまざま出たが、山本代表の「消費税5%の共通政策で一致できる場合は捨て石になるが、できない場合は独自で勝手にやる」という訴えにはどこでも強い拍手が沸いた。外野からは「野党共闘を分断する気か」などの声も聞こえるが、「政策を横においてふんわりと手をつなぐことはできないし、ただ塊になるだけでは政権交代などできない。消費税5%で一致できなければ、旧勢力vs新勢力のたたかいをするしかない」という姿勢が支持されていた。有権者を裏切って見放された勢力が束になって勝てるほど甘くはないし、そんなこと続きで5割が票を捨てているのだ。


 C 「政治は信じるものではない。宗教でもアイドルでもない。政治家は期間限定の雇われ人に過ぎない。この国の主人はみなさんであり、政治はしっかり監視して動かしていくものだ」(山本太郎)の言葉に集約されると思う。この間の国政の動きを見ても、「桜騒動」の陰で日米FTAは米国要求通りのスケジュールで国会承認され、野党にも体を張って止めるという気概はなかった。聴衆からは「隠れ自民党」「与野党のプロレスを見せられている」「連立政権になっても内側から裏切る」「主導権争いにしか関心がない野党と調整し合うくらいなら独自でやってほしい」などの厳しい意見があいついだ。与野党問わず既存政党の性根が見抜かれているし、だからこそ下から「まったく新しい政党をつくろう」の機運が高まっている。


 自民党でも公明党でも、他の野党でも、れいわ新選組であっても、支持者は「信者」や「応援団」になるのではなく、政治を動かす「主人公」であり「当事者」であるべきと山本代表は強く訴えていた。そうでなければ政権をとったとしてもすぐにひっくり返される。それだけがんじがらめの支配の仕掛けがあり、圧力だけでなく懐柔もある。したがって下から有権者が政治家のお尻を叩き、永田町で起きている裏切りや圧力も全部公開して、相互に意見を交わしながら誤解やズレを正していくというスタンスだ。「野党だから無条件に支持するべき」とか「有権者は政治家の応援団」という関係ではない。「お前になにができる!」という人にも、「山本さんを信じてます!」という人にも「政治は信じてついていくものではなく、疑って監視しながら動かしていくもの。一緒に変えていこう!」と呼びかけていた。


 メディアや既成政党は「ポピュリズム」「子ども染みている」などと揶揄するが、議場から有権者を見下し、「永田町の論理」を絶対視する干からびた脳味噌では理解できない。人人の生活に足場を置くならすべてあたりまえの主張であり、振りまかれてきた諦めをとり除き、みんのために機能する政治を望む人たちの力を束ねていくなら岩盤を突き破れる。そのことをみんなが確信していけば巨大な力になっていく。


 A 限られた選択肢の中から「どこを支持するか」では消去法にしかなりえないのが現状だ。自分たちが望む社会に向かって能動的に政治にかかわり、永田町を下から揺さぶるくらいの強力な国民世論をつくることが求められるし、れいわ新選組がその動きをつくり出す起点になっている。「桜」どころではない大がかりな私物化と売り飛ばしがおこなわれてきたのがこの20年来の政治であり、その大きな構図について有権者とともに論議し、正面突破していく気概なくして政治を動かすことなどできない。国会での茶番やメディアの目くらましは見抜かれ、政治の本質をめぐる有権者の目は鋭くなっている。だからこそ街頭で本気の論議がこれほど盛り上がるのだと思う。この本気の流れが強まることは、スキャンダルの炎上騒ぎ以上に既存の権力にとって脅威だ。例えトップの首が挿げ替えられたとしても、みんなが白けて寝ていてくれたら3割支配は安泰なのだから。


 B メディアが垂れ流す支持率調査などに一喜一憂していても始まらない。「放送禁止物体」として扱われるのも、それだけ権力にとって脅威になっていることの裏返しでもある。政治に幻滅した5割に働きかける彼らの挑戦はまだ始まったばかりで、政権にリーチする道は甘くはないが、逆にいえば伸びしろしかない。「与党vs野党」「右vs左」「保守vs革新」等等の古い枠組みでは分類できないところまで、社会を食い潰す1%と、食われる99%との分化が進んでおり、欺瞞が剥がれ落ちている。情勢は行動によっていくらでも動かせる。諦めや分断に晒されてきた人人を横につなぐ努力を各自が足元から進めていくなら、これまで見えなかったまったく新しい展開が生まれてくると思う。

 れいわ新選組は、来春早早から中・四国、さらに岐阜や滋賀など対話ができなかった地域、さらに候補者を擁立する地域を重点的に回るという。本紙も、この下から始まった本気のたたかいに密着しながら、新しい政治を生み出す全国的なエネルギーの胎動をしっかり発信していきたい。

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/14988

7. 中川隆[-13618] koaQ7Jey 2020年3月21日 17:04:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1264] 報告
“本気で世の中変えたい”を繋ぐ れいわ新選組全国ツアーから見えてきたこと
2019年11月21日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/14331

本紙記者座談会

 7月末の参院選で山本太郎やその訴えに共感した人人の力によって立ち上がった国政政党・れいわ新選組が、9月から北海道を皮切りに九州、沖縄地方でポスター張り行動や膝をつき合わせたお話会、駅前等での無差別の聴衆を対象にした街頭記者会見を展開し、さらにこの11月に入ってからは東北ツアー、北信越ツアーと日本列島の全国津津浦浦を駆け回っている。本紙はこの全国ツアーを20〜30代の記者たちが入れ替わりで取材してきた。選挙期間中でもないのに、どこでも他の政党では見られないほど聴衆を集め、2〜3時間の真剣勝負ともいえる街頭での質疑応答にみなが耳を傾ける。この熱気を作り出している根底にはどのような思いがあるのか、街頭記者会見に真剣に耳を傾ける人人、れいわ新選組のボランティアとして活動する人人がどのような思いで参加しているのかも取材してきた。国政政党が壊死したような状態のもとで、安倍政府が体現しているようなどうしようもない私物化がはびこり、これらが既に腐敗堕落しきっていることは、モリカケ、桜、公文書改ざん、諸諸の売国法案の強行採決等等、指摘すればきりがないほどである。ならばひっくり返して政権を奪取し、国民生活のために機能する政治、統治を実現しようじゃないかという彼らの挑戦は始まったばかりで、これまでにない動きとして注目が高まっている。記者座談会でツアーの模様や特徴を論議してみた。


れいわ新選組の街頭記者会見に集まった人々(15日、仙台市)

 A 19日からは北信越ツアーが福井を皮切りに始まっている。先週までの東北ツアーは本州最北端の地・青森県からスタートして、岩手、秋田、山形、宮城、福島と6県を駆け巡った。山本太郎は「消費税増税、TPP、日米FTAなどで一番影響を受けるのは地方だ。全国各地を回るなかで、昼も夜もシャッターが閉まっている地域があり、地方は疲弊している。地方の人人と手をつないで政治を変えていきたい」「政治がお金持ちを優遇するばかりで、この国を支えている地方の産業や中小零細企業の首を絞める政治がおこなわれてきた。もうみなが気づいて行動するときだ。ゆるく繋がって変えていこう」とくり返し訴えていた。

 B 農業、漁業、林業などの第一次産業を基幹産業とする多くの地域は、その盛衰が地域経済全体を大きく左右する。TPP、日米FTAによる農産物の市場開放、国による地方切り捨てのなかで自治体財政は逼迫し、医療や介護をはじめとする行政サービスがまともに受けられない、また雇用の受け皿である地場企業の倒産や賃金レベルの低下を引き金にした人口減少など深刻な状況が各地で語られていた。北海道の街頭演説会で出産しようにも分娩できる病院が近くになく、隣町まで行かなければならない状況なども語られていたが、その地方、地方の現実を聴衆の側も本気で訴えているし、れいわ新選組としても首都圏からは見えてこない地方のナマの現実に耳を傾け、政策として練り上げていく道程のようにも感じた。

 A 東北地方は福島や青森の原発や放射性廃棄物処理施設などアメとムチの政策で国策をのまされてきた歴史がある。今また秋田県や岩手県の各地の沿岸に巨大風車を建設する計画が浮上し、秋田の新屋演習場にはイージス・アショア配備計画が持ち込まれている。宮城県では水道民営化問題が論議となり、台風19号で浸水被害を受けた丸森町では1カ月が経過し、国や自衛隊、県が支援を打ち切ろうとしていることなども話題となった。東北の現状について盛岡市の聴衆が「日本はアメリカの植民地、東北は東京の植民地で二重、三重の植民地状態」と語っていたのが印象的だった。福島原発の爆発事故とて、東京に電力を供給するために福島は長年にわたって原発を受け入れていたけれど、事故が起きれば郷土は奪われ、住民たちは追い出された。迷惑施設をいつも押しつけられて、ひどい仕打ちを受けるという鬱積した怒りを感じた。秋田での洋上風力も経産省の鳴り物入りだが、自然エネルギービジネスの草刈り場みたいにされている。

国・メディアの嘘見抜く 東日本大震災契機に

 C 取材ポイントとしては、れいわ新選組が何を発信するのかもあるが、聴衆は何を思い、何に期待して足を運んでいるのか、日本社会や自分たちの暮らしを取り巻く現状についてどう考えているのか、どうしたいと願っているのか意識的につかむ努力をしてみた。千差万別だろうが、その千差万別のなかにある普遍性であったり、地方の特殊性なりをつかむことで、全国が呼応し動き出している所以を認識しなければ、世論に働きかけることなどできないからだ。東北ツアーは連日10度を下回る寒さのなか、どの地域でも2時間から3時間にわたる街頭記者会見を真剣に聞く姿が印象的だった。街頭記者会見に足を運ぶ人たちのなかでは「福島原発の爆発がきっかけで今の政治に疑問を持ち始めた」「原発問題で政府やマスコミの嘘に目が覚めた」と語る20〜40代の現役世代が目立った。街頭記者会見を終えて帰って行く人の表情は明るく、ポスターを持ち帰る人、カンパをしていく人などでごった返すなか、ポスターを持ち帰る人人に声をかけてみた。

 仙台で出会った40代の女性は「自分の意識が変わるきっかけが東日本大震災だった。原発のこと、政治のことをあまりにも知らなさすぎて勉強を始め、ネットで山本太郎さんに出会った。あまりにも日本がアメリカのいいなりになりすぎている。変えないとまずくないですか?」と話していた。別の30代の女性は、「今のメディアがあり得ない状態だ。芸能人の麻薬とか結婚などどうでもいい。みんなの生活がかかっているのに、大事なことは何も報道されない。今日は仕事を早く切り上げて聞きにきた」のだと話していた。

 D 郡山の街頭演説を聴いていた20代の男性は、「僕たち20代にとって将来のビジョンが見えない。消費税など税金のとられ方がおかしいと感じていた。山本さんのいう政策は大胆な内容だが、この人なら政治を変えてくれるのではないかと思って聞きにきた」と問題意識をのべていた。

 同じく郡山で出会った大学生は、「参院選のときにツイッターに『れいわ新選組』が上がっていて、太郎さんの演説動画を見始めたらいつの間にか1時間以上経っていて引き込まれた。それがきっかけで、今日友だちと一緒に聞きに来た。グラフを使ってわかりやすく説明してくれた。生産人口が減っていくなかで将来に不安しかない。日本はこれまで外国から挑発されても攻撃はせず、真摯に対応することで信頼を得てきた。アメリカにはべったりで、中国や韓国には挑発的な姿勢はおかしい。僕は、両親が奨学金を借りれば苦労するからと学費を払ってくれた。友人は570万円の奨学金を借りている。高卒より大学に行った方が高給取りになれるというけど、就職する時点で多額の借金をしなければいけない国はおかしい。僕は来年4月から中学校の教師になるけれど、おかしいことはおかしいと自分の意見をいえる教師になりたい」と話していた。みんなが問題意識を持って演説会に足を運んでいるし、それぞれの立場から、「日本社会はこのままで良いのか?」と真剣に考えている。

 C すでに自宅に2枚ポスターを貼っているという仙台市の男性(35歳)は、手取り18万円、妻は15万円で夫婦共働きで2人の子どもを育てているという。「毎月の所得のうち税金のとられ方がひどいなと以前から思っていて、参院選後に山本太郎さんのいう消費税廃止にまず共感した。山本さんの一つ一つの言葉が心に響いてきた。これまでテレビばかり見て情報を入れていたが、国のウソに気づいてしまった。完全に自分が国やマスコミに洗脳されていたことに今頃気づいて本当に悔しい。今は自分で国がどうなっているのかを知るための情報を探すようになった。消費税が10%になり保育料無料というが、給食費は値上がりして、結局国民を騙すための政策だと思う。このままアメリカのいいなりになって日本の財産が奪われていく。今変えないと本当にダメになる」と話していった。

 D 山形市は雨天のため室内での「おしゃべり会」になった。35歳の女性は、シングルマザーで2人の子どもを育てているという。「自分はシングルマザーで生活保護を受けながら2人の子どもを育てている。生活保護を受けていることを知られてはならないと会社でも気づかれないようにしてきた。そういうなかで山本太郎さんが“(生活保護を)堂堂と受けてほしい”といっているのを聞いて救われ、涙が出た。これまで政治にまったく関心を持っていなかったし、どうせ誰がやっても変わらないと思っていた。消費税を払うのも当たり前と思っていた。でもそれが全部ウソだったことを知ってしまった。安倍さんは何のために政治をしているんだろうと思うようになった。こんな世の中を変えたいと思った。初めて本気で応援したいと思える人に出会った」とポスターを持ち帰っていた。

 50代の女性は、参院選後に友人に勧められて山本太郎の国会質疑や街頭演説の動画を見たのがきっかけで参加したと話していた。「身体を張ってたたかっている姿に感動した。そして今生きている日本は、こんなにひどい国なのかと愕然とした。自民党がマスコミをコントロールして国民を洗脳しているけれど、山本太郎さんの出現によって、一人一人の庶民が国のウソに気づいて動き始めたとき、自民党なんて簡単に倒せることを知った。山本さんは何よりウソがないのがいい。政治の世界はウソやごまかし、ゴマすりばかりだ。今からはどの世界も“正直”がキーワードになるのではないか」と高揚した面持ちで帰って行った。

 なかには娘が化学物質過敏症になり病院に連れて行くと、ステロイドを処方されて一向によくならなかったことがきっかけで、「製薬会社」との利権に関心が湧き、また食品添加物に関心を持ち始め、れいわ新選組に出会って共感したというママさんもいた。GM食品とかゲノム食品など怪しげな輸入物が国内市場に溢れている現状を危惧する30代、40代の子育て世代もおり、「今の社会では自分の命だけでなく我が子を守れない」「生きるために応援している」という声もあった。

身体張って闘わぬ野党 ガス抜きの茶番への嫌悪感


聴衆と対話する山本太郎代表

 B 東北ツアー期間中、安倍政府主催の「桜を見る会」をめぐる疑惑騒動にかき消されるなかで15日、衆院外務委員会が日米貿易協定の承認を可決した。街頭記者会見のなかで日米FTAに対する質問も共通して出されていた。山本太郎が「協定の中身や内容をほとんど明かさず審議らしい審議もせずなぜ承認できるのか。野党はなぜ人人の命にかかわる重大問題であるのに、身体を張って国会を止めてまでたたかおうとしないのか」と野党批判を展開すると、聴衆から拍手が沸き起こり強い共感があった。聴衆のなかには「野党のようで野党でない今の“野党”に辟易していた」(山形・60代男性)という人が多数見られた。

 そのなかで全国を行脚して地方の人人と直接つながり、たたかっていく本気の勢力に対して共感する声があちこちで聞かれた。「安倍政権を何とかしないと、という思いは以前からあり、これまで野党に入れてきた。だが、いわゆる“市民派”“リベラル”に対して何か違うと感じてきた。言葉にするのは難しいけれど、太郎さんの話を聞くとなぜかしっくりくる。革新系にある上から目線を感じないからだと思う。山本さんのように自分たちと同じ目線で人人に訴えるような人が日本を変えていくと思う。実際に2人の障害者を国会に送り込んで、もう変革が始まっている」(山形市・30代男性)、「原発反対をいい始めたころから山本さんを応援はしていたが、いつも鼻をつまんで野党に投票していた。だが今回政党を立ち上げて、れいわ新選組の安冨歩さんの“れいわ新選組で山本太郎が当選するだけでは変わらない。人人が行動することによって変わる”という言葉を聞いて、初めてボランティアとして関わるようになった」(米沢市・40代男性)、「農業をしている。3・11以後、友人が多く被災するなかで無関心ではいけないと思い勉強し始めた。種苗法の改定、種子法の廃止などもってのほかで、国や国民が豊かになるのではなく、誰かが甘い汁を吸うための政治はもうやめるべき。“桜を見る会”はFTAを通すための完全なガス抜きで、もう野党も旧勢力ですよ」(山形市・30代農業者男性)と語る人もいた。

見知らぬ人信頼し訴え ボランティアの活動


参加者にポスターやチラシなどを配るボランティア

 A 各地の街頭記者会見のための機材搬入や交通整理や幟立てなどの作業は、多くが現地ボランティアが担っている。ボランティアに参加する人たちは、街頭演説を聞いたり、動画を見て心を動かされた人たちが横につながって広がっているようだ。13日は午後1時からボランティアによる秋田市内のポスター貼りがおこなわれた。れいわ新選組が事前にSNSでポスター張りの告知をしており、その日集まったのは互いに初顔合わせという30代から70代までの人たちだった。

 事前に準備された地図を持ち、中心市街地を2、3人のチームを組んで一軒一軒しらみつぶしに回っていく。無差別にインターホンを鳴らし、「れいわ新選組、山本太郎のボランティアの者です。ポスター掲示のお願いで回っています」といってお願いしていく。知らない人、断る人など反応はさまざまだが、とにかく一軒一軒声をかけてまわる。留守宅には「ポスター掲示のお願いで伺いました」というメッセージをつけたチラシを投函し、断られても必ずチラシを直接渡し、一人一人との出会いのなかでれいわ新選組を知ってもらうという活動だ。「お願いします」のスタンスで、一人でも多くの人とつながっていく活動のようにも思えた。子育てや仕事の合間にできることをできる範囲でやるというスタンスのようで、まだれいわ新選組を知らない人人に政策を伝え、つなげていく地道な作業だが、楽しくおこなっていた。ポスター張りに参加した30歳の女性は、「これまでなんとなく野党に投票していたが、消費税が社会保障に使われていないことを知り、消費税廃止の政策に共感した。今日はSNSでポスター張りを知り、夕方に保育園に迎えに行くまで時間があったので参加した」と話していた。イージス・アショアに反対する秋田市内の農業者も参加していた。

 C 仙台のボランティアの男性が話していたが、ポスター活動で訪れた家の玄関先で30分ほど話し込み、政治や暮らしの話などをして、最終的に家の壁に張ってくれるということもあったという。「そうやって一軒ずつ訪ねることで、れいわ新選組、山本太郎を知らない人には知ってもらえる。みな心のなかではおかしいと思っており、一人一人の心をノックしていく作業だ」という。また、「徹底的な草の根で、市民側の反撃の形をゆるやかに作っていきたい。このなかで宮城県の水道民営化に反対したたかう人たち、オーガニック食品に携わる人など、仲間がどんどん増えている。みな根源はつながっていると気づいてきた。ボランティアに参加している仲間たちは、会社や友だちなど自分の小さな世界を破っている人たちだ」と話していた。

 「一人一人の心をノックしていく作業」――。この言葉を聞いて、ポスター行動は貼れた枚数云云ではない意味あいを持っているのだと思った。見も知らぬ人にポスター掲示をお願いするのは、とても勇気がいるだろうしドキドキすることだ。断られたら残念な気持ちにもなる。だけど、そこでの一つ一つの出会いが次につながるものになるし、断る人のなかでも周囲の視線やさまざまな政治的ポジション等の事情もあって「協力は難しいが頑張ってほしい」という思いがあったりさまざまだ。わかりあえる人もいる。このなかで、待ちの姿勢ではなく、自分たちから見も知らぬ有権者のなかに足を踏み入れて、大胆にお願いし、働きかけていくことがいかに大切かを感じた。

 A いざ選挙となると、街頭や選挙カーから叫ぶだけでは話にならないわけで、こうやって足を使ってみんなが周囲に働きかけて身近なところから一票一票を積み重ねていく。地域のコミュニティーのなかで幾重にもこうした動きが広まり、全国津津浦浦でゲリラ的に活発化することが最大の得票増を作り出す。自民・公明の組織力によって3割の有権者の得票で政治が牛耳られているが、れいわ新選組が訴えているのは投票することを辞めた残りの5割に支持を広げ、3割支配をひっくり返すことだ。ならば、「投票に行かない5割がけしからん」ではなく、政党政治に幻滅して行き場を失っている人人を信頼し、この5割の人人の心をノックして大胆に自分たちの側から働きかけ、お願いしなければ事は動かない。ポスター行動を地道に展開している意味は大きいと思う。そんな姿勢を有権者は一番見ている。旧左翼にありがちな「我こそ正義」で相手にマウントをかけたり説教して嫌われるというものではなく、れいわ新選組のポスター行動はあくまで人情の機微にも触れながら「お願いします」なのだ。


郡山市での街頭記者会見(16日)

 C 仙台の街頭記者会見の会場には、20代、30代のママさんボランティアが多くいた。「私は子どもがおり、お金に追われるばかりで何のために生きているのかと思っていた。子どもによい食材を食べさせようと思えばお金がかかる。お金持ちしか長生きできない日本でいいのかと思う。太郎さんがいうように、この国に生きる人たちの底上げが必要だと思った」(25歳)、「子どもが2人いる。3・11の原発事故のころから山本さんを注目していた。普段SNSでつぶやくだけで、ママ友となかなか政治の話にならず一人で鬱鬱としていた。今、れいわでつながったボランティアの仲間がいて、少しずつみんなが気づいて変わっていくなかで心がすっきりしている」(30代)と話していた。

 山本氏は、れいわ新選組を広げる形として現時点では地方に支部はつくらないとして、その意図を次のように語っていた。「支部があってトップダウンでいわれたとおりにやるという形では、この国は変わりようがない。政治は組織化しないとダメだという考え方を壊していきたい。権力は一人一人が能動的に主体的に動くことを恐れ、全国に把握できない有象無象の集まりができることが一番恐い。そういう塊、運動を広げていけたらいいと思う」と。

 街頭記者会見や日常的なポスター活動などを担うボランティアの人人は、みんなのために、そして我が子のために勝手連で横に連携しながら動いており、表情がとてもいきいきしているのが特徴だ。社会をより良いものにしたい、みんなが困窮することなく豊かに暮らしていける社会を実現したいという期待や願いが込められているからだと思う。そして、本気の力が動き出したといえると思う。幻滅ではなく、自分の頭で考えて能動的に社会とかかわって動き、同じ志や気持ちを持った人人と積極的に連帯していく。人と人がつながり、山本太郎を御輿に担いで全国でゲリラ的に勝手連が動き出せば、それは脅威になり得る。変に組織名簿などを作ればピンポイントで潰される等もやられかねない状況のなかで、当面は得体の知れない巨大な力、潰すことなどできない意志を持った塊となるべく、雪だるまをつくるように日本列島を北から南へと転がし続けることが正解ではないか。本気のみんながつながっていく過程のように思えてならない。

 B 政治が腐っている。統治機構も腐っている。経済界も腐っている。「そんなこといわれなくてもわかっている」という反応もありそうだが、もう、たいていの人が気付き始めているのではないか。社会の欺瞞が剥がれ落ちている。対米従属のもとで何もかも売り飛ばして、しかし、アメリカにとって都合が良ければ政権は延命し、少少の私物化も黙認されるというようなケジメのない政治状況が続いている。なにが桜かと思う。はじめからその程度なのだ。

 安倍政府がろくでもないことなどわかっている。ならば、「反安倍」の一つ覚えで悲憤慷慨(ひふんこうがい)するだけでなく、これを選挙で叩きのめしてどんな社会にしていくのか、明確なビジョンを打ち立てながら具体化していくことが大切だ。従って、全国津津浦浦の実状に触れ、政策化していくことは極めて重要な意味合いを持つ。一部の富裕層や大企業のために残酷な搾取がまかり通り、圧倒的な国民が生活もままならないほど苦しんでいる社会が到来し、どうしようもない世の中になってしまった…という思いは鬱積している。そこであきらめるのか? 否、こんなどうしようもない世の中だからこそ、下からみんなの力を束ねてひっくり返していこうという力が胎動を始めている。まだまだ自然発生的なものかも知れないが、熱気が生み出される根拠が国民生活の現実のなかにある。

 D 現実の政治や統治の有り様を見て、例えば安倍晋三が退陣したら社会が180度変わると思っている人がどれだけいるだろうか。次の駒があてがわれて、欺瞞しつつ似たようなことをやり始めるのが関の山だ。民主党が政権与党になっても自民党と同じように米軍再編や消費税増税、TPP参加などを進めたように、この国の主権は対米従属の鎖につながれて奪われ、せいぜい安倍晋三みたいに私物化に境界線がなく下品であるか、上品に欺瞞しつつムチャをするかくらいの違いしかない。野党といってもガス抜きみたいな補完的役割に終始している。そうした構造も含めて転換させるべく、政治に直接参加していく機運を強めることが重要ではないか。あきらめが3割支配の根拠ならば、あきらめない力を広げていくしかない。

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/14331

8. 中川隆[-13617] koaQ7Jey 2020年3月21日 17:07:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1265] 報告
密着・れいわ新選組東北ツアー in 青森・盛岡 地方の切実な要求束ね白熱する論議
2019年11月15日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/14234

◇ 青森


 れいわ新選組の山本太郎代表が全国の街頭に立ち人人と直接つながって論議する「街頭記者会見」の東北ツアーが11日から青森県を皮切りに始まった。人口減少や少子高齢化など経済の落ち込みが著しいなかで暮らしや産業をどうするのか、また原発施設や米軍基地問題など、財源が厳しい地方にアメとムチの政策によって押しつけられてきた国策が人人の生活を脅かしている現状も論議となった。切実な問題意識を持った人人が青森市内だけでなく弘前市や八戸市などからも集まった。


 山本氏は、参院選後に北海道からスタートして九州、沖縄と街頭記者会見で全国を回るなかで共通しているのは、みなの生活が厳しいことであり「全国チェーンの店がこれほど展開され、東京でも青森でも同じ値段で物が売られれば所得が低い地方であるほど当然生活は厳しくなる。みなさんの生活を楽にするためにはまず、消費税を減税、廃止にしなければならない」と強調し、それが地方の中小零細企業の底上げや産業活性化の兆しにつながっていくという、れいわ新選組の経済政策について提起した。


 自営業の友人などから山本氏への質問を託されて八戸から青森市まで来たという女性は「れいわ新選組は全国一律時給1500円を公約にしているが、地方は高齢化や人口減少で店も物も少なく、アマゾン、楽天などネットへの依存度が高い。時給を上げても地方でお金が回る仕組みをつくらないといけないのではないか」と質問した。


 山本氏は、「れいわ新選組は緊急政策として消費税廃止など八つの政策が必要だと訴えている。私が全国一律最低賃金1500円を政府保証で実現したい。それを実現するためには消費税を廃止する必要があるし、法人税のとり方を累進制に変えるなど他の政策とセットでないとダメだ。全国どこに住んでいても最低賃金1500円もらえるならば、わざわざ東京に住む必要がないし、地元に残ろう、地元に戻ろうとなるだろう。1500円になった場合、青森でも月に最低24万円が担保されるのであれば、新たに商売をやる人もあらわれるかもしれない。多くの人人が貧乏にさせられている状態を喚起するためには、これが一番大きな力を持つと思う。地方創生というならば、それぐらい大胆なことをしないと始まらない」「国が地方創生といいながら何兆円も予算をつけて誰に流れたかといえば、東京のコンサルなどお友だちに流れているだけだ。それでは意味がない。本気の底上げをしないと地方はさらに衰退する」と訴えた。


 また「安全保障といって北朝鮮、中国、韓国…というが、本当に安全保障に目を向けているか。例えば、毎年大きな台風が起こっている。もしも災害によって首都圏が壊滅的な状況になったとき、どこがこの国をコントロールするのか。首都機能が壊滅的な状況に追い込まれても、バックアップできる都市にすることが私は本当の安全保障だと思う。それに必要なのは最低賃金1500円を国が保証し、衰退している地方がもう一度息を吹き返していく必要がある」とのべた。

破壊される国内の産業

 60代の男性は、「TPP、日米FTAなどでこの国のあらゆる権利が売り飛ばされている状況だ。そのなかでも医療では、病院のベット数が減らされたり、老人の保険の負担率が上がろうとしている。このままいけば国民皆保険がぶち壊される。そうなると腹痛で20万円、骨折で30万円などアメリカの医療のようになっていくのではないか。なにかできることがあるのか」と質問した。


 山本氏は、TPPや日米FTAの本質が、企業側が金もうけがしやすいように環境を整えることであって、商売の邪魔になる関税などを撤廃するというものであり、「一方で政府が守るべき日本の産業は守られないのではないか」と指摘し、次のようにのべた。


 日米FTAの内容は、農業分野に関してアメリカ側は合計7200億円の農産品が関税撤廃と緩和の恩恵を受けるとなっている。一方、日本側はわずか40億円程度だ。全然対等な関係でも何でもない。そしてアメリカから自動車に関税をかけると脅されて日本は頭を下げて歯止めをかけたといっているが、その内容はどこにも約束されておらず、今後もそれをネタに脅し続けられるということだ。こんな交渉をしていたら国はむちゃくちゃになるし、この国に生きている生産者がどんどん壊されていく。そして医療分野も海外企業に日本の医療を市場として開放し、みなさんの自己負担額が上がってカネのない者は死ねということになる。これを何とか食い止めなければいけない。命の期限がもうけられるような時代になりつつある。生産性で人間の価値を計らせない。人の命をカネで語らせてはならないと強調した。


 また別の女性は「青森県は三方を海に囲まれ自然豊かで食料自給率120%のすばらしいところだ。だが先日も米軍三沢基地所属の戦闘機F16から六ヶ所村の私有地に模擬弾が落下した。そこから1`先には小学校も中学校もある。それにきちんとした調査や謝罪もない。どうして沖縄と青森はこんなものばかりが来るのだろうか。またJR東海のリニア中央新幹線の工事で出たウランやヒ素など有害物質を含んだ残土が六ヶ所村に運び込まれるという話もある。中央集権化のなかで青森というすばらしい地域が蹂躙されている。声にならない声を聞いていただき、頑張って政権を変えてほしい」と訴えた。


 山本氏は「都会がより便利になるようなもの、不都合なものを地方都市に押しつけゴミ捨て場のような扱いにする。国がケチなカネで頬を叩く、でもそれで丸め込まれてしまうのは基本的にはみんなの生活が安定していないからだ。地方の経済的な状況や生活が、国と対等に交渉できないからだ。大都会が発展するために地方の一部は犠牲にされてきた。それをしっかりと保障してもらう時代に変えていくべきだ。地方の発展なくして都会の発展などありえない。そのためにもまずは消費税をやめる。まっとうな社会をつくっていこう」と呼びかけた。


 聞きに来ていた開業医の男性は、「青森は経済の落ち込みが著しく、介護職員同士が結婚した場合、2人が働いても給与が少なくて生活できないため、東京など都市部に出ていく現象が生まれている。“寿退社”という言葉が別の意味で使われているほどだ。最近は地元新聞も原発賛成という姿勢があらわになり、地方を守るための声がカネで押さえつけられている。山本太郎氏のように街頭で市民と対話する地道な活動が人人の心を動かし国政を動かす大きな力になってほしい」と語っていた。

◇ 盛岡

 12日には岩手県盛岡市のれきし文化館前でおこなった。寒風吹きすさぶなか仕事帰りのサラリーマンや主婦らが足を止めた。街頭記者会見は、食料自給率、不安定な働き方に対する意見をはじめ、地方交付税の削減とともに東北に押しつけられる原発やILC(国際リニアコライダー)計画などの国策に対する危惧など内容は多岐にわたった。


 山本 私がなぜ地方都市を中心に回るのか。私が参議院議員をしていた6年間の政治から見えたことは、地方を踏みつけて都会が成長をしていく現状だ。政府のかずかずの施策によって、地方の人人は首が絞まるような状況になってきている。消費税、TPPや日米FTAで生産者のみなさんの首が絞まっている。どうして地方が衰退していくようなことを国がやるのか。地方の交付金は搾られ暮らしは不安定になっていく。あまりにもおかしな政治に対して、地方のみなさんと手を繋ぎながらこの社会を一緒に変えて行きませんかと訴えている。


 意見(男性) 盛岡市在住の会社員だ。ゲノム編集食品について今気になっている。毒のないジャガイモ、肉厚の鯛、害虫に強い野菜がとれるなどテレビではいいことばかりいっている。ゲノム編集食品が本格的に市場に出回る時代になってきたが、安全性の審査も表示も不要と聞いてびっくりしている。これは一体どういうことなのだろうか。海外のサイトを見るとゲノム編集によって加工の手間が省けるように、毛のない動物や足のない鶏を見たことがある。訳のわからない食べ物が加工されて何の表示義務もなく食卓に並ぶなど考えられないと思う。国民全体で危険度合いを認識して表示などがどうあるべきか精査して変えていかないといけないのではないか。食べ物はどう選んでいいのか意見を聞きたい。


 山本 肉厚の鯛であれば今まで2、3人しか食べられなかったものが一10人ぐらいで食べられて効率がいいじゃないかと受けとってしまいがちだ。だが、ゲノム編集された食品が人体にどのような影響があるのかについて、まだそんなに蓄積はないだろう。私は消費者が物を買ったときに、その中身がどのようなもので構成されているかを知る権利があるし、表示すべきだろうと思う。それは遺伝子組み換えもゲノム食品も放射性物質についても必要があろうと思う。1`c当り100ベクレル以下は安全だと国がいっているのだから、表示した方がいい。しかしそれさえもする必要がないとされ、私たちは知る権利を脅かされているといっても過言ではない。私たちは消費者が食品についてより多くの情報を得られるように表示を義務づけていきたいと思う。


 時事通信で今年の10月7日に「ゲノム食品 年内にも食卓へ 安全審査 表示義務なく」と報道された。誰が一体こんなことを急いでやらせるのか。遺伝子組み替え食品、ゲノム編集食品が安全性審査をへず、厚生労働省への任意の届け出によって販売できてしまう。世界を見ると、ヨーロッパの司法裁判所の判断で2018年7月に「ゲノム編集は遺伝子組み換えと変わらない」という判断を下した。アメリカ農務省の判断は、「ゲノム編集は遺伝子組み換えに該当しないが、それは一部に限られており改編の仕方によっては遺伝子組み換えである」といっている。日本はどうだろうか。「ゲノム編集食品は遺伝子組み替えではない」(環境省)、「ゲノム編集では別の動植物の遺伝子が新たに組み換えられていないから、従来の品種改良と同じで安全である」(厚労省)という雑な見解を出している。そこまで急ぐ必要があるのか。そんなに急いでだれをもうけさせるためなのか。商品の表示は徹底してやっていくべきで、それが担保されなければ自分たちの身体が守れない。


 意見(女性) 4時間かけて来た。私はロスジェネ世代の保育士だ。消費税負担は1カ月分の所得に相当することを知った。東北に住んでいれば共働きが多いため、車は必需品だ。1カ月、夫婦共働きでガソリン代が月に1万500円ほどかかる。5月になれば自動車税、3年おきに車検もある。維持費だけでも相当かかる。夏と冬はエアコン、灯油代、電気代もかかる。走行税の徴収などといわれたら東北の人たちは生活がもっと厳しくなる。

 私は今、児童養護施設の職員をしている。正規で働いているがなんちゃって公務員だ。交代制で夜勤があり、給料は300万円いかない。職員は身体を壊す人が多く、20代の職員は奨学金の支払いが30代まで続くため「給料が残らない」と困っている。非正規の職員も多く、同じ働き方で15万円以下の給料の人もいる。男性職員はこの仕事を続けたいが、「子どもはつくれない」といい、仕事をやめなければならないかもしれない。子どもたちのなかには「夢は保育士」という子がいるが、子どもたちに胸を張って「安心して大人になっても大丈夫」といえる日本をみんなでつくれるようにお願いしたい。


 山本 保育士で年収300万円以下、同じ仕事をしていても年収150万円ぐらいの人もいる。同一労働同一賃金というのはどこにいったのか。同じ仕事をしてそれほど格差が広がっている。それでは同じ職場でも気持ち的な分断が起こるだろう。人と人とが嫌な気持ちになる、それ自体が不健全なことだ。資格があってもその収入では仕事につけず、現場は疲弊して追い詰められることは不幸だ。私たちはニーズがある仕事、例えば保育や介護などは公務員化して安定した処遇でかさ上げしていく必要があると考える。「公務員は得ばかりして」という根拠のない空気が流れている。とんでもない。今どんどん公務員が減らされ非常勤や嘱託に置き換わっている。

 地方公務員の現状は2016年4月1日現在の調査で5人に1人は非常勤に置き換わっている。地方公務員(都道府県を含む)の臨時非常勤は全国で64万人をこえる状況だ。小・中学校に勤務する非常勤講師は、正規教員の4〜5割を占め、処遇は3分の1程度だ。保育士では非常勤保育士の年収は200万円前後、休みなくフルに働いても正規職員の4分の1、3分の1程度しか稼げない現状だ。


 一万人当りの公務員の数を世界で比較すれば、フランスは837人、イギリスは820人、アメリカは597人、ドイツは560人、日本は261人だ。圧倒的に数が少ない。公務員という職自体が地方にとっては雇用の受け皿だ。私は20年以上続いたデフレという厳しい状態に対して、安定した職、処遇を担保することが日本の経済的な復活、生活の底上げにつながっていくと思う。派遣労働の拡大など雇用の流動化によって多くの人人が働いても働いてもまともに生活できない状況になっている。この状況をなんとかしないとこの国は本物の衰退国家になる。今一番足らないものはきちんとした給料をもらえる安定した職だ。


 意見(男性) 盛岡市に住んでいる。太郎さんの姿を見て世間に対する傍観者をやめようと思って参加した。農業団体の職員として働いており、東京勤務のときは小泉大臣を筆頭にして「全中解体」「農協」バッシングなど厳しい風当たりがあった。われわれは、非遺伝子組み替えのトウモロコシをアメリカの信頼できる農業者とつくっており、そうでないものを分別して集荷して国内の畜産農家に安全なエサとして提供していた。バッシングの背後にはその機能が多国籍企業メジャーにとって気にくわなかったことがある。それを破壊するために絶対買収できない協同組合の全農を買収しようとして株式会社化を画策した。そういった事実が世間に伝わらない。その要因にマスコミが本当に大切なことを伝えないという問題がある。岩手県の県議選でも、政策関係なくアナウンサーがトップ当選する状況がある。テレビも新聞も信用できないが、意見を聞きたい。


 山本 私自身が社会に目を向け始めたのは原発が爆発してからだ。そこで感じたことは、一人一人に必要な情報が届いていないということだ。だが冷静に考えてほしい。テレビはだれのものか。テレビ局は企業が広告枠を買いとってくれるから回せる。テレビ局にとっての一番の神様は企業で、何百億円も広告宣伝費をくれる人を尊重する。企業を宣伝する箱でしかない。一方でNHKのスポンサーは国民だ。NHKは公共放送であり、政権に忖度するのではなく、スポンサーである国民に忖度するテレビ局であるべきだ。とはいいながらNHKの経営委員会は国会に人事権があり、今の政権与党側に寄った内容になっている。では何が必要か。垂れ流しのものをそのまま鵜呑みにする人人が変わらないといけないと思う。テレビ以外の情報を自分で集めて精査しなければ、今何が動いているのかたどり着けない。私たちが政権をとった場合どうするか。NHKに関しては公共放送として中立で公正な内容を求めていく。

正規採用が少ない現実 若者は都会へ流出

 意見(女性) 私は母子家庭で、子どもが成人して今年から社会に出た。子どもは教職をめざしていて私立の大学に入れた。学費の面で苦労し、奨学金も借りてようやく4年通わせて教職免許も取得した。しかし岩手県は新卒で正規職員になれず、奨学金を返済しながらの生活が成り立たないため今は企業で会社員として働いている。先日、市の教育委員会から「非常勤で働けないか」という話があったが断った。非常勤であれば不安定で、自分の生活や奨学金の返済のことを考えると難しいからだ。地方はそういう状況で若者は都会に出て行く。公務員を増やすのなら新卒でも正規で採用できるようにしてほしい。


 山本 国が政策として雇用を壊して、一人一人の首が絞まる働き方を広げてきた。企業側からの組織票、企業献金などでお世話になった人のための政治をしてきた。企業がコストとして考える法人税を減税し、人人を安く使える労働法制を実現してきた。今、非正規が就業者全体の四割をこえる状況になっている。大都市で一人暮らしをする若者たちはネットカフェで暮らすようになっている。その7割が非正規労働者だ。政治がここまで世の中を不安定にさせた結果だ。だから非常勤の公務員ではなく、正規の公務員として安定した生活をとり戻してもらい、国全体の底上げをしていく、そうしなければ手遅れになる。


 意見(女性) 農業問題について、自給率は去年37%になった。台風の被害も大変なことになっており、離農も増えるのではと危惧している。


 山本 食料自給率の各国比較(カロリーベース)を見ると日本は38%だ。国土面積があまりかけ離れていないドイツは自給率が90%、イタリア53%、スイス50%、日本の38%は低すぎる状態だ。私は生産者に対してもっとプラスになるようなことをしなければならないと思う。一番は直接支払いの額を増やしていくべきだ。よくイメージのなかで日本は農業に対する支出が多いという人もいるが、根拠があるのだろうか。

 WTOに各国が農業生産額に対する国の直接支払いの額を通報したものがある。貿易のルールで不平等にならないようにということで各国が示している。それは2012年の段階で日本は1兆1000億円だ。EUは6兆7673億円、アメリカは1兆6696億円だ。EUは手厚く、日本はアメリカと変わらないように見える。農家の所得に対して国の直接の支払い額は日本は47%、EU69%、アメリカ22%になっている。これだけ見ると日本って悪くないと思ってしまうのだが違うのだ。アメリカはWTOに報告していない予算がある。フードスタンプなどの政府による買い付けや市場価格保障など政府による直接支払いなどで、それを含むとアメリカは11兆円(147%)に跳ね上がる。平たくいえば農産物は全部国が買いとってあげるという状態だ。なぜか。食料をしっかりと自分たちでつくらなければ他国からコントロールされるからだ。自分たちの国以外の食料をつくって、その国をコントロールするという世界戦略だ。それに乗っかって、侵食されているのは日本だ。

 この状況を考えるならば、日本はもっと農家に対する直接支払いがなければいけないし、生産者になれば生活が楽になる、子育ての支援も厚いという形にしていく以外にない。自給率が低く多くを輸入に頼る状況のなかで、最悪の場合は「いうことを聞かないなら食料を止めるぞ」という場面もあるかもしれない。タカ派といわれる人たちは、「北朝鮮が、韓国が……」「核武装せよ」などとはいうが、なぜもっと食料安全保障について声高に叫ばないのかだ。


 意見(男性) 私は零細企業をやっている。消費税を上げたことによって、多くの零細企業は非常に厳しい状況にある。待ったなしなのは増税ではなくて景気対策だろうと訴えてきた。このまま黙って死んでいくわけにいかないと思うようになった。子どもたちは国の宝、未来の宝だと思う。どうか山本さんにこの世の中を正して欲しい。


 山本 消費税を上げるということは、消費に対して罰金をかけるのだから景気がよくなるわけがない。逆にいえば消費が加熱しすぎているときはそれを抑えるために一部有効かもしれない。超インフレ対策として使えるかもしれないが、デフレが20年以上も続いているなかでやるなんて、まぬけとしかいいようがない。経済音痴としかいいようがない。今やるべきは消費税は少なくとも減税、廃止にすれば日本は間違いなく経済成長する。一番苦しんでいるのは所得が低い人もあるが、中小零細企業が一番苦しんでいる。税の滞納のなかで消費税が一番多く6割で、払えていないのは中小企業だ。この国に存在する企業の99%が中小零細であるのに、その首を絞めるというのはどうかしている。

再処理やめよも追加を 上関原発の動向も注視

 意見(男性) れいわ新選組の政策に「原発禁止、被曝させない」というのがある。それに再処理はさせないを加えてほしい。再処理は放射能を垂れ流しだ。六カ所村には福島原発で放出されたセシウムの35倍の高レベル廃液がある。これは大変危険だ。そばに行けば20秒で死んでしまうという危険なものだ。600倍といわれる使用済み燃料がある。そして恐ろしいことに六カ所村の民有地にアメリカ軍の模擬弾が落ちた。マスコミは小・中学校の側だとか、再処理工場のことはいっていないが、あそこで事故が起きたら岩手県も終わりだ。茨城にはもっとたくさんの廃液がある。東海第二原発よりもっと恐ろしい再処理工場がある。


 山本 再処理する必要はないと考える。再処理するということは一生原発をやめられない仕組みに入ってしまう。核の発電によって生まれたゴミを処理し続けてずっと使えるようにしますよということで、「ゴミ」にしたら資産として計上できないからだ。ゴミではなくエネルギーだといい続けることによって電力会社にとってプラスになる。電力会社の再処理部門は全部国有化して禁止し、やめていく選択をしなければ、これから来るであろう災害立国日本に住むみなさんの生命、財産は守れないと思う。


 意見(女性) 私も原発に反対だ。地方交付金が減らされ地方が衰退していくと都会を支えるための迷惑施設がお金とともに地方に持ち込まれる。今、山口県の上関原発のボーリング調査が再始動することが決まり心を痛めている。あまりにも遠くてもどかしい思いもあるが、住んでいる人だけでなくもっと広く世論を広げてたたかっていくにはどうすればいいだろうか。


 山本 上関原発のボーリング調査を私自身も全力で止めたい気持ちはある。東電の福島原発があれだけの事故を起こしながら今も収束の目処がたたない。今後数百年かけて収束させていかなければならないだろう。にもかかわらず、選挙の争点にもなったことがない。多くの人は2011年3月11日の時点で原子力緊急事態宣言が発令されて、2019年11月のこの日にもこの宣言は解除されていない現実を知らないと思う。このような状況のなかで上関原発計画をどう止めるかを考えたとき、私は一番手っとり早い方法として政権をとって全部ひっくり返してやるということだ。


 遡れば中曽根首相の時代から新自由主義的な考え方で国富の切り売りが始まり、労働組合が解体されていき、労働者の奴隷扱いを広げる始まりになった。今や働く環境は不安定で、企業が労働者に責任を負わなくていいような働き方がずっと拡大していっている。「自分の努力が足りないから生活が苦しい」と思いこんでいる人が多いが、とんでもない。すべて政治がかかわって制度ができあがって、そのしわ寄せで人人の首が絞まってきた。


 7人に1人の子どもが貧困、高齢者の5人に1人が貧困、障害者の4人に1人が貧困、一人暮らし女性の3人に1人が貧困、この状況は構造上の問題であり、政治が問題だ。その政治を選んだのは誰か、選ばなかったのは誰か、この地獄をつくり出したのは誰か。まったく無関心だった私だ。私が今の現実をつくった一人だ。それで雷に打たれたような気分になったのが原発事故だった。日本には貧困があり、労働環境の劣悪化があり、いろんなものが散散な状況にある日本の現状を見たときに、自分が加害者として無関心を装っていいのか、自分に対して勘弁ならないと思った。ならばやってやろうと思い全国を回ると、いろんな人が直面している問題を教えてくれた。


 議員になった後も原発のことをいい続け、今の私のメインテーマでもある。でも多くの人たちにとっての政治に対する入口は、やはり「お金」の問題だ。社会問題を自分ごととして引き寄せてもらう入口として消費税問題は大きなきっかけになると思う。だとしたら野党が塊となって「消費税を5%にする」と旗を揚げたら、私は政権交代につながっていくのではないかと考える。みなさんが当事者として意識できるテーマを掲げることこそが、政権交代につながっていくと考える。だが私は塊になるだけでは勝てないと思っている。少なくとも安倍政権が始まる前の税率に戻すというのはとても象徴的だ。消費税を5%にすれば中小企業も助かるし、今日が苦しいという思いをしている方方も希望を持つ。そういった旗を揚げて政権を奪取すれば原発も止められる。今まで散散やられてきたものをひっくり返していこう。

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/14234

9. 中川隆[-13616] koaQ7Jey 2020年3月21日 17:10:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1266] 報告
地方現実に肉薄して支持広げる れいわ新選組・山本太郎の街頭演説 in 福岡(文字おこし)
2019年10月31日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13933

 れいわ新選組・山本太郎代表は10月26日、福岡市の博多駅前広場で街頭記者会見をおこなった。高校生などの若者から幼い子どもを連れた親世代、年金で生活する高齢者世代まで多くの老若男女が集まり、3時間に及ぶ論議に耳を傾けた。障害者が置かれている窮状や医療現場で患者が切り捨てられている問題、また自民党政府の横暴を空けて通してきた野党の妥協的態度への批判も議題にのぼり、一握りの大企業がもうける一方で多くの国民を困窮に追いやる政治を下から変革しようという山本代表の訴えに強い共感が寄せられた。論議の主な内容を紹介する。

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 山本代表 この6年間、参議院の最前列に座って政治に参加し、見てきた。おこなわれている政治は、カネにならないことはほぼ前に進まず、地方が衰退するしかないような施策だけが前に進む。地方から力を奪う施策の連続だ。地方は物価が安くて暮らしやすいというが、実際は所得が低く、買うものの値段は東京とほとんど変わらない。しかも一人一台くらいの車がなければ生活ができず、維持費だけでもたいへんだ。消費税を上げて一番に首が絞まるのも地方だ。この国の企業の99%を占める中小零細偽業の首を絞めるのも消費税だ。すでに税金の滞納の六割を占めるのが消費税だ。2%も上げてさらに首を絞める。この国から活力を奪い、地方を衰退させる政治をもう終わりにしよう。そのためには地方のみなさんと繋がって今の政治をひっくり返すしかない。

 意見(男性) 私は立憲民主党のサポーターだ。山本さんは野党共闘を目指しているが、そうでなければ政権奪取は難しいと思う。れいわ新選組の緊急政策はほとんどが立憲民主党と同じような政策だ。ちょっと違うのが消費税廃止だ。これは財源問題でいつも議論がストップする。山本さんのいうように新規国債を発行してインフレが行きすぎたらどうするのか? という懸念がある。これをどう解消するのか。

 山本 野党は塊にならなければ政権交代につながらない、さらにれいわ新選組と立憲民主党の政策はそれほど違わないという意見だが、同じでない部分はおそらく財源についてだろう。政策の財源を税収の範囲でしかやらないのであれば、やれることは限定される。プライマリーバランス(歳入と歳出の釣り合い)の黒字化という意識が与野党の中にある。私はこれに大反対だ。プライマリーバランスの黒字化を達成したアルゼンチン、ギリシャがどうなったのか? 緊縮政策で経済のパイはどんどん縮小した。国の財政と家計を混同すること自体が間違っている。

 どの国も当然借金をする。国に生きる人々に投資をして成長させるのが国の役割だ。だから、どの国も緩やかなインフレだ。一方、日本は20年以上のデフレ。こんな先進国はないと安倍総理自身が認めている。こんな間抜けな経済政策をする国は日本を除いて存在しない。

 デフレの原因はさまざまある。賃金が低くなる。その原因は企業が「生産性の向上」の下に労働者を叩いていった。国鉄や電電公社などの公的機関を民営化していくことで労働組合を解体し、労働者が連帯して労働環境を守るという大きな力をどんどん削いでいった。その結果、賃金が下がった。それだけでなく国による投資を絞り、超緊縮を進めている。その中で消費税を何度も上げて強制的に物価を上げた。実質賃金が下がっているのだから生活が苦しくなるのは当たり前だ。この責任を民主党が感じているのか?

 私はもともと民主党政府の原発対応に対して怒りをもって立候補した。だが自民党政権にかわったらもっとひどくなると思ったから、立候補するしかないと思って国政に出た。与党だから信じる信じない、野党だから信じる信じないという話はない。これまでなにをやってきて、これから何をやっていくのかを総合的に見てしか判断できない。

 この夏の参院選の前に「与野党が国会の中でテーブルの下でヌルッと手を繋ぐこともある」という話をしたら、いろんな政党の支持者からお叱りを受けた。「野党共闘の足を引っ張るようなことをいうな」と。では、本当にあったことも言ってはいけないのか? 申し訳ないが本気で足を引っ張ろうと思ったら、言っていないことはいっぱいある。当たり前だ。大打撃を与えられる。こっちは大人になっている。

 ご発言の通り、政権交代を望むならば野党が塊になることは基本中の基本だ。私も小沢一郎氏から「どれだけ自分が苦手な人でも手を繋がなければダメだ。それで権力を手に入れたら、自分がやりたいと思っていることができるんだよ。野党のままではそれはただのスローガンにしかならない」といわれてきた。確かにそうだと思う。だが来年冒頭に解散があるとしたら、野党がどう固まっていくのか話し合っていかなければいけない時期に来ている。

 ただ野党が塊になっただけで勝てるとは思っていない。それならとっくに勝っているはずだからだ。野党は選挙の時にアピールしきれていない。それが総括できているのかを考えなければいけない。


 これまで国会の中で数々の悪法が通ってきた【表参照】。特定機密保護法は不都合な情報にベールをかけられる可能性がある代物だ。さらに国家戦略特別区域法は、自分のオトモダチに獣医学部を作ってあげたり、農業への企業参入を認めたり、労働規制を緩和して、金もうけのための規制に穴を開ける「オトモダチ特区」だ。他にも、法人税引き下げ、派遣法改正、安全保障関連法、刑訴法改正、TPP、種子法廃止、テロ等準備罪、PFI法改正、働き方改革法、TPP11、カジノ法、水道法改正、漁業法改正、入管法改正…など山ほどの悪法が通過している。その都度、これらの問題点を精緻に組み立てて質問を続けたのが野党の先輩方だ。だが、その間に四度の国政選挙があったが、政権交代はなされていない。一つ一つの法律をかなり強引な決め方をしてきて、新聞の世論調査でも「自民党やりすぎじゃないか」という割合が高かったが、選挙では負ける。その総括はされているのか? ということだ。

 私にいわせれば、経済政策が弱すぎる。いま苦しんでいる人たちを少しでも楽にすることをちゃんと伝えられているのか。「プライマリーバランスの黒字化」など野党が言うべきではない。この国に生きている多くの人が生活困窮に陥りそうな状態のなかでは寝言でしかない。20年以上のデフレでみんなボロボロになっているのに「財政健全化」というのはいい加減にしてもらいたい。人々の生活を救うのが政治だ。ないところから取ろうとするな。

 過去決めたことはもう動かせないということはない。状況を見て、昔はこう思っていたが方針を変えなければ人々を救えないという方針転換であればみんな歓迎する。消費税は上げるどころでも、据え置きでもなく、減税しかないと野党にいってもらいたい。人々を救ってほしい。

 野党が塊になることは必要だが、それだけではひっくり返せない。誰もが自分のことだと思える政策を乗せなければならない。特定秘密保護法、安保法、刑訴法、TPPなどいろいろあるが、自分が今日生きるために買うおにぎりにも罰金が科せられるという消費税が一番多くの方がピンとくるのではないかと思っている。

 消費税を廃止にするには私たちが政権を取る以外にないが、その時期は皆さん次第であるし、まだ時間がかかる。それまで消費税が上がり続けることを私は許容できない。廃止の前に第一段階として5%に下げるという選択肢があるのなら私はそうしたい。だから私は消費税5%への減税でまとまれるのであれば、野党共闘を全力でやるとずっと言っている。それはまだ進んでいないが、れいわ新選組単体で考えれば単独でやった方が議席数は増やせる。数は増える。野党共闘ではれいわ新選組の議席はおそらく増えないが、それで消費税5%にできるのならやるべきだと思っている。だが消費税5%にも乗れないのであれば単独でやる以外にない。そのためには選挙区と比例の重複立候補は一人600万円の供託金がいる。入場料だけであり、100人立てれば選挙費用をあわせて費用は20億円をこえるだろう。お金持ちは少ないので、小口でも多くの人からの寄付で賄いたい。薄く広くご協力をお願いしたい。


 
 意見(女性) 舩後さんと木村さんが障害を持ちながら当選されたのを見て感動した。私は軽度外傷性脳損傷患者家族会というところでボランティア活動をしており、救われない患者の救済活動をしている。30年も活動をしているが国に対して腹が立っている。国土交通省と厚労省においていかに杜撰な対応をしているのかが見えてきた。

 山本 軽度外傷性脳損傷というのはどんなものか教えてほしい。

 女性 この病気は誰にでも起こりえる怪我だ。赤ちゃんの揺さぶられだったり、もしくは工事現場の転落事故や交通事故、DVなど外からの衝撃を受けて脳が頭蓋骨に当たって損傷し、それが原因で大きな障害を受ける。その被害者がたくさんいる。軽度というが、決して軽くなく、精神と身体と両方の障害を持って生きてしまったということだ。これまで活動するなかで国はいろいろと認めてはきたが、実際は国からの保障ではなく自賠責保険とか労災保険での処理になる。裁判を起こしても司法もなぜか認めようとしない。等級も一番低く75万円だ。本来は死んだのと同じくらいの損害賠償を払わなければいけないのに、むち打ちと同じくらいの14級、75万円の判断しか下さない。それで患者たちは障害を持ちながら自腹を切って生活をしたり、治療費を払ったりしている。そういう人たちが全国にたくさんいる。患者たちは精神と身体と二つの障害を持っているので声も出せないで、沈黙のなかで生きている。これが現状だ。国に足を運んだりもしているが、なかなか進まない。これを国会でとりあげて欲しい。舩後さんと木村さんどちらかに、同じ障害を抱える立場として国会でとりあげていただけないかと思って、今日は陳情を持ってきた。ぜひ受けとってもらいたい。

 山本 ありがとうございます。今陳情をいただいた。究極の質問権は議員本人にあるため私から約束しますというのはいえないが、両議員には必ずシェアするということを約束する。


命の選別する社会に歯止めを


 意見(女性) 病院でリハビリの仕事をしている。病院で仕事をしていると、もうすでに命を選別する社会になっていると感じることが多い。2006年の診療報酬改定によってリハビリの日数制限が始まった。理由は改善の見込みがないのに無駄にリハビリを続けないようにするとか、そこに国の医療費を回せないこと、介護保険でのリハビリに移行することが理由だと聞いている。脳卒中などの脳血管障害であれば発症してから180日、骨折などであれば怪我をしてから150日、肺炎などの呼吸器疾患であれば発症してから90日など、症状によって期限が決められている。

 2006年からこの期限以降は1回20分のリハビリが月に13回までと決められてしまった。それまでに毎日改善の期待を込めて60分、120分とリハビリを受けていたのに、一定の日数をもって1カ月に20分を13回とリハビリ機会が減ってしまった。

 リハビリ難民とは、日数制限制度によって受けたいリハビリを受けられなくなってしまった人のことだ。リハビリをおこなう側にも問題があったから無駄なリハビリを削減するために国が介入したかもしれない。そこは私には分からない。しかし、これではリハビリが減ってしまう患者への説明にならない。改善の見込みがないからリハビリを減らすともいえない。


病院でのリハビリ

 しかたなく「国の制度で180日をもって月13回のリハビリになる」と説明するが、いっている私本人も非常に白白しく感じている。そして日数制限を障害名をもって一律にしてしまうのはあまりにも極端で、患者一人一人異なる症状、障害、個別性を無視する制度だと思う。リハビリを13回に減らされた患者、その家族の落胆ぶり、見放された感じをこれまで目の当たりにしてきた。お金のある人は保険外診療で高額なリハビリを自費で受ける場合もあると聞いている。ここに命の選別を感じる。リハビリはその人の社会復帰にも生きがいにもかかわっており、ただの回復機能ではない。また寝たきり、ほぼ寝たきりでベッドから出られるのはリハビリの時間だけという患者にとっても、単に機能の回復だけではなく呼吸機能の維持や誤嚥性肺炎の予防にもなり、まさに命にかかわることだ。一人一人違う人間の回復を制度で決めないでほしい。回復の機会も奪って命の選別をしないでほしい。医療にも限界はあるが、リハビリ難民をつくりだすこの国の制度をなんとか変えてほしい。

 山本 そんなひどいことになっていたというのを今知った。勉強不足で申し訳ない。病名で一括りにしてそれで全部落とし込まれると。でも人それぞれ違うではないかということだ。その症状の重さや状況はそれぞれの差があるのにそのような乱暴な状態になっているのはなぜか。コストダウンしかない。日数制限を導入する前は、リハビリ施設は人員的には回っていたのか? 例えば人手不足ではなかったか?

 意見(女性) 人員は足りていなかった。そのためにリハビリの学校を山のようにつくってきた。増やしたのはいいが、なかなか人員が育っていないという現実はある。

 山本 先ほどコストカットと失礼なことをいったが、そのコストカットをなぜしなければならないのか。おそらくこれは加速していく。高齢者はどんどん増える。それぞれを命の限り生かすにはお金がかかりすぎると国は考えている。「いつまで生きるつもりですか?」というような社会がこれから加速していくと思う。だから生産性で人間の命、人間の価値が決められるような空気感が蔓延している。あなたは何かの役に立っているのか、あなたは何かを生み出すことができたのか、何か利益を出しているのかといって、利益を生み出すことができない人たちは生きている価値がないというような社会的空気はこれからどんどん強まっていく。

 究極には自分で死ぬ時期を決めなければならない社会になる。それが合法化されていく。そんな社会は地獄だ。これをなんとか止めるために私は舩後さん、木村さんのような重度障害をもつ人が国会に入り、生産性で人間を計らせない議論していくことが必要だと思う。まさにもう命の選別が始まっているという話に身震いを感じる。さらにここから減らされていくこともある。これは憲法違反だ。先ほどいわれたように、骨折にせよ、脳卒中にせよ症状の程度やその人が抱える条件は違う。憲法一三条で保障された「すべての国民は個人として尊重される」ということを医療の場にも最大限反映しなければならない。憲法は権力者を縛るものだが、それを守らなければならない国会議員がとんでもない政策を実行している。すでに始まっている命の選別に関してこれから私自身も理解を深めたい。二人の国会議員にも伝達していきたい。


 
高齢者を支える生活保障を

 意見(女性) 私はここ福岡に生まれ育ってもうすぐ還暦を迎える。昨年肺がんで主人を亡くした。58歳だった。今初めての一人暮らしをしているが、自営だったので年金は国民年金で遺族年金は基本的にない。少しだけサラリーマンをしていたのでそのときのものを2カ月に一度5000円だけもらっている。そして寡婦年金というものが60歳から65歳まであり、先日はがきで年間47万円という通知が来た。1カ月4万円弱ということだ。ずっと真面目に働いてきた夫だった。税金もきちんと納めていたが、一人になってとても少額でとまどっている。だから私は朝8時から午後5時までパート勤務をして頑張っている。先日安倍首相の所信表明で8割の方が65歳を過ぎても働きたいという意欲をもっているといわれていて呆れた。

 考えを尋ねたいのは、これからの日本の未来を担っていく若者たちや子どもたちについてだ。先日ニュースで「夏に子どもが痩せている」というものを見た。なぜかというと夏休みに給食がないので子どもが痩せるということだった。そして私がパートをしているところには、若者たちや学生たちがたくさんいる。彼らは将来に夢をもって一生懸命に学び、掛け持ちでアルバイトをして頑張っている。しかし多額の奨学金を抱えていたり、就職できたとしても心までも壊してしまうという働き方を耳にする。私は彼らには幸せに生きていって欲しいと願っている。だから憲法改正が進むことで戦争につながったり、子どもたちが戦地に行くことがないのか心配している。このように将来を担う若者たちの頑張る力を奪いとったり、子どもたちから笑顔をとってしまうような政治は絶対に許せない。それで消費税も上がったがだんだんみんな生きづらさを感じてやっと今の現状に気付き、怒り出しているところだと思う。このような場所にもこんなにたくさんの人が集まったり、ネットを見て学ぶこともできる。しかし一人一人が選挙に行かなければ絶対に変わることはない。だからみなさんに選挙に行かなければならないということをいいたい。

 山本 初めての一人暮らしで年金が毎月4万円。働かなければ生活できないという絶望的な状況だ。ギリギリの生活で今月なんとか乗り切ったというような人が多ければ多いほど社会はすさんでいくと思う。一人一人の力を奪うためにそんな状態にされているのかと穿った見方をしてしまうほどだ。憲法二五条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書いている。65歳をこえても自分が命尽きる瞬間まで働き続けなければ生活できないというのは健康で文化的といえるのか。多くの方々が生活困窮、もしくは生活困窮に足を踏み入れそうな状況がある。ルールを守れていないのは国の方だ。そういう人たちが憲法を変えたいなど図々しすぎる。

 深夜にコンビニに行くと、搬入している人たちに高齢の方が多い。こんな時間まで仕事をしなければ食べていけないというのが高齢の方々にも大勢いるのだという現場を自分の目で見ることができる瞬間だ。今のままの年金制度は、年金がどんどん細っていく。今の高齢化社会のなかで、現役世代が高齢者を支えるという建て付けは成り立たない。もう破綻している。今少ない年金を貰いながらぎりぎりの生活している人たちには増額していくしかないと私は思っている。年金や生活保護をどんどん減らしていくという方向性は一番まずい。年金の場合どうやって増やすのかというと、年金の基金として積み上げているものが100兆円ほどあるが、これを崩すしかない。実際に崩せるお金があるのだからそれを崩すべきだ。少ない年金で苦しんでいる人たちにお金を使ってもらった方が経済は回る。20年以上お金が回らないというデフレの状況を作り出しているのだから、もっとお金が回るような状況にしようと思ったら、所得が少ない人にお金を出すのが一番効果的だ。国一番やらなければならなかった少子化対策をしてこなかった結果、今の年金問題が出てきている。

 今この国を立て直さなければならない。この国は衰退国家としてすでに踏み出している。このままこれが加速していくと総貧乏という大変な状態になる。今もうその手前だ。ラッキーなことに昔つけた筋肉が残っているが、その筋肉が残っている間に投資をするしかない。死ぬまで働かなければ生きていけないというようなとんでもない国にしてしまった。逃げ切れる人もいるが、逃げ切れない人の方が多数だ。だから今すべきこととして100兆円ため込んでいるお金を切り崩して人間の尊厳が守れるような状況にしていくしかない。そして年金というシステムについてはやり方を変えていくしかない。社会保険料をいくら払っても…という状況をやめにして、年金という料金の徴収は税金をもってやっていくということでいいのではないか。

 違う形で私がやりたいのは生存保障制度だ。今の生活保護はすべてを失う前提からではないと受けられない。そうではなく、その手前から今あなたに足らない部分のお金を出すという制度だ。生活保護には医療扶助、生活扶助、住宅扶助などのいくつかの扶助がある。

 それをバラで受けられるというシステムにしていきたい。完全に失ってしまった人がリスタートするのはとても大変なことだ。そのずっと手前でその人の生存権を支えていく。食費が厳しいのなら食費で支え、家賃の支払いが大変なのであれば家賃を扶助する。病気になってしまったのなら医療費を扶助するというようなバラで受けられる制度にすれば、トータルコストとして生活保護よりは負担が軽くなるのではないかと思う。

ベーシックインカムについて

 意見(男性) 年金のことを聞きたくて来た。生活扶助、生活保護をバラで受けられるようにするという話はわかったが、しかしそれが年金に代わる制度かというと私は首をかしげてしまう。年金は定年退職してからもらえるものだ。だから定年退職したときに仮に麻生さんのいうように2000万円の貯金があったとする。その場合は山本さんのいう生活扶助制度は受けられないと思う。その2000万円がなくなって100万円ほどになり、来年には立ちゆかなくなるという時点で受けられるということになると思うが、そうなると自分が持っている2000万円はさっさと使ってしまって国に頼ろうとなってしまうのではないか。そうなると制度上、自分の有り金をさっさと使って国におんぶに抱っこになろうという考え方もできてしまう。

 9月29日付のニュース記事で岩手県の衆議院議員・階猛氏の、消費増税はせずに月8万円のベーシックインカムで年金はまかなえるという記事が出ていた。もう一つは2016年に山本さんが小沢さんと一緒にやっていたときの「生活の党と山本太郎と仲間たち」はベーシックインカムを明確に参議院選挙の公約にしてたたかっていた。しかしこれまでれいわ新選組の動画などを見ていて、山本さんがベーシックインカムにはまったくふれていないのはなにか理由があるのか。また、先ほどいった2000万円をさっさと使ってしまって国におんぶに抱っこという意見に対して対処法などがあれば答えてもらいたい。

 山本 私は生存を保障される制度を今のような形ではない状態にしたい。結局自分たちの掛け金に対してもらえる金額が少ないという状態が今の年金制度だ。現役世代が高齢者を支えるということではじまった制度が支えられない状況になっている。これを無理に続けていくということ自体が私は破綻していると思う。なぜなら前提が変わっている。この制度を続けるのであれば少子化というような問題を抱える国にしては絶対にいけなかった。けれども残念ながら政治がその責任を果たしてこなかった。

 どのくらいの資産を持っていたらその制度を受けられないようにするのか受けられるようにするのかという細かい議論のところまではまだ行っていない。そこは埋まっていない。2000万円持っている人が全部使い切っても国からの保護を受けられるというようなことがあれば、それを悪用する人がいないかという質問だが、今の生活保護の暮らしというのはとても貧しい。耐久消費財などは買い換えられない。服だって新しいものは買えない。高齢者であれば本当にお世話になった人に旅立たれても会いに行けない。出せる香典もないからだ。それは大人の世界と同じように子どもも孤立する。子どもは例えば友だちと「おやつ買って帰ろうか」となってもその中に入れない。大人も子どもも生活が厳しい状態のなかでそういう人間との繋がりというものが作れず孤立化してしまう。つまづくもっともっと手前で必要なものがあるならば、国がそこに投資した方が、全てを失うという状態がやってくるよりも国としてのトータルコストが軽減されるのではないかと思っている。だから年金制度自体と今どうやって維持させるのかというところには立脚していない。

 ベーシックインカムとは、雑な言い方をすると、生きているということだけが条件でお金を国を配るという考え方だ。赤ちゃんからお年寄りまで、寝たきりであったとしてもお金が配られる。当初はベーシックインカムというものを検討する必要があると考えていた。しかしそこからいろいろ知っていくなかで、ベーシックインカムのなかにはみんなに与えるサービスを現金を渡すだけで終わりにするという考え方にも繋がる可能性があると知った。国が人人に対して最大限の投資をし、産業や雇用を守らなければならないという「大きな政府」という考え方の人間だけではなく、竹中平蔵さんのような極力受けられるサービスは削っていくというような「小さな政府」を目指す人たちにもベーシックインカムという考え方を持っている。

 行政サービスを極端に減らし、あとは現金で決着をつけるというような話になると命を失う人がいる。そいうことにも繋がりかねないようなベーシックインカム論になっていくのは怖いという思いがある。これからAI社会になっていって感情労働しか人間には仕事がなくなるという状況になったときに、いかにみんなが生活できるようにするかということになれば、企業側からお金をとりながらみんなにお金を配っていくということもある。でもここでただ配るだけでいいのか。国が人人を雇用し、それに対して報酬として渡すという形にするのかなどいろいろな話し合いが必要だ。

 ただ今みたいな不景気で、20年以上のデフレから脱却できていないという状況のときには当然経済政策として税ではなく新規国債を発行しお金を配ることができる。新規国債の制限されるものはインフレだ。インフレが制御できるのであれば現金を配ることも可能だが、別にこれは現金でなくてもいい。消費税廃止という形で財源をそれにあてるということも可能だし、人人の生活を底上げするためであればやり方はなんでもいい。

 ベーシックインカムについては今すぐに自分たちの公約のなかには入れない方針だ。しかし先々、すべてがAIのような状況になってしまって人間の仕事が奪われていくというようなことがあるという前提のなか、失業者が増えていくというときには国家が救うしかない。だからそのときにはお金を配るという行為ではなく、労働の対価として受けとれるような状況にする議論が必要だと思う。

人と直に繋がって広げる

 意見(女性) 野党が消費税5%にも難色を示している状態でれいわ新選組が100人候補者を立てるとなるとお金の問題が出てくる。インターネットで政治献金を集めるネット献金や選挙プランナーをつけることは考えていないのか。

 山本 ネット献金はすでに導入している。選挙プランナーに関しては、自分たちでやるしかない。私たちは奇想天外なことをしている。そういうことはプランナーの人の止められてしまう。今回の舩後さんや木村さんを立てることも周りから大反対されたのを私がゴリ押しした。私たちのように感覚的にやっていくこととは、衝突する部分も出てくるかもしれない。戦術一つではなく、普段からしっかりと活動しているかに勝るものはない。れいわ新選組を大きくするのは山本太郎や、舩後や木村という議員たちの働きだけでは限界がある。そうではなく、みなさんの一枚でも多くポスターを貼っていただくこと以外にない。事前にできることはそれしかない。ネットの中だけで広がると思ったら大間違いだ。ネットは拡散するという部分には特徴があると思うが、実際に人に会って足で回らなければどうにもならない。私たちみたいなほぼ無視されているグループには、応援してくれているみなさんの力がなければ広がりを持たない。

 意見(男性) 山本さんの話をユーチューブで見ていて自分も人のために役に立ちたいと思うようになった。そしていつか自分もしっかり学んで同じような舞台に立ちたいと考えるようになった。それにあたって山本さんをはじめ、れいわ新選組の方で政治塾など政治を学ぶような場をもうける考えはあるか教えてほしい。

 山本 消費税5%で野党共闘ができなければ、れいわ新選組独自で候補者を100人立てるといっている。だから候補者をもうすぐ公募する。そして今若い方が政治の場に行きたいといわれていたが、この世界は人材不足だ。それは自民党の閣僚の顔を見ていたらわかる。政治の世界はつねに人材不足で、そのなかで若い人が声をあげてくれたのはうれしい。自分が政治の場に行って、みんなにとってプラスになるような世の中をつくっていくという気概をもった人たちが増えていくのは非常に重要だ。塾的なものも検討していきたい。

人人の生活に立脚した政治目指す

 意見(男性) 生存権を保障するということにとても共感した。国の支出を増やすということにも共感している。しかし疑問なのが国債を発行して財源をまかなうとなるとインフレや円安が必ず起こると思う。それは市場が決めることだと思うがなぜインフレ率をコントロールできると考えているのか教えていただきたい。もう一つは消費税を上げるとしても給付付き税額控除を導入すれば逆進性は克服できるはずだ。ヨーロッパの国々は20%以上の消費税の国がたくさんあるがデンマークのように幸せな国がたくさんある。なぜそこまで消費税を敵のようにいうのかが私にはわからない。三つめは100人候補を衆院選で立てたとしたら絶対に共倒れになる。自民党が漁夫の利を得るだけだ。そういう自殺的行為をなぜするのか聞きたい。

 山本 消費税を目の敵にするというのは、ヨーロッパと比べている時点で考え方がまったく違う。生活用品に関して非課税という扱いをしている国もある。消費税はヨーロッパが20%、日本が8%、10%なのにすべての税金のなかで3割を占めているという時点でバランスを欠いている。

 すべての税金のなかで消費税の負担が大きくなっているのが日本の消費税だ。軽減税率というよくわからないことも出てきたが、そのレベルで逆進性が解消されるような状態にはなっていない。20年以上続くデフレから脱却しようと思えば内需を拡大させなければならない。なぜならGDPの6割は消費だからだ。消費を喚起するということをしなければならないときに消費に対する罰金を上げてどうするのか。冷え込むに決まっている。

 他の国とは比べづらいかもしれないが、日本国内において20年間のデフレというのは少しでも克服していこうと思えば消費を喚起していくしかない。だれかの消費はだれかの所得だ。消費が減れば所得も減る。そのほかにも「生産性の向上」という名のもとに人件費をどんどん削っている。しかし消費税という税制を変えなければこの先より厳しい状況になるのは目に見えている。

 中小企業の多くが消費税を滞納している。税金の滞納の6割が消費税という時点でこの日本においての消費税の在り方は破綻しているとしかいいようがない。消費税を上げたことによってこれまで非課税の人たち、インボイスみないなことがこの先おこなわれていく。インボイス導入によってもっとも打撃を受けるのはフリーランスのような零細事業者だ。最初は年売上3000万円くらいの人が免税事業者という扱いを受けていたが、今や1000万円まで基準が下がった。これが一切なくなる。免税事業者のままでは他と取引できない状態になる。とにかくみんなから搾り取る。免税業者をなくしていく方向だ。今の消費税に対してこのままでいいということには絶対にならない。


 税額控除といっても、それはあとで返ってくるというものだ。先に払わなければいけない。少しでも景気が冷え込むような理由はいらない。やめる以外にない。20年以上デフレという病気で過去何度も消費税で強制的に物価を引き上げてきたことがこの国の弱体化につながっている。そこを無視して消費税をいい続ける意味は何なのか。財源が必要、増税が必要というが、消費税以外の取り方についてはなぜいわないのか。そこが一番あるところではないか。財源としてはあるところからとるしかない。これが税の基本だ。

 新規国債の発行について「国が破綻する」という人がいる。国は破綻するのか? 破綻することはある。ギリシャのようにユーロ圏でユーロという通貨を使っていた場合、借金をするときはユーロ建てだ。これは外国から借金をしているのと一緒で、ギリシャには自国通貨を発行する能力がない。それと日本を同一視することはできない。財務省に洗脳されて「ギリシャのようになってしまう」といって選挙のときに交わした約束を反故にしたのは誰なのか。これは与党だけではなく野党のなかにもたくさんいる。今それに気付いたとして間違いを認めて正しい方向に行けばいいではないか。政治家のプライドを守るために政治があるわけではない。人人の命を守るために、生活を引き上げるために政治がある。方向を変えることを決断できるのも政治だ。


日本の財政破綻やデフォルト懸念に対する財務省の見解

 日本はもう破綻すると言われ続けて30年以上経つ。金利は市場が決めるものだという話もあったが、その通りだ。だから金利がどうなっているかを見ると今はマイナスだ。信用がない相手にお金を貸すときには金利を高くとるのが常識だ。財政破綻論は、日本が破綻すると30年以上国内で流れているガセネタのような話だ。日本円で借金をし、日本円を発行する能力がある。この二つを併せ持っていてどうやって破綻するのか? 誰も説明できない。

 れいわ新選組がもしも単独で選挙をやる場合100人の候補者を立てる。そんなことをやったら自民党を利することになるといわれるが、私は「消費税廃止はれいわ新選組が政権をとらないと実現できない。そこまでは消費税上がっていくけどみんな我慢してほしい。それまで夢を見ようじゃないか」なんてことはいいたくない。将来的には廃止にする。しかしその前に第一段階として野党で力を合わせて5%にまで下げるということを実現したい。スローガンだけで終わりたくない。まずは5%に減税をして少しでも景気がよくなって少しでもみんなの生活を楽にするということを担保したい。しかしこれには野党が乗ってこないと難しい。乗ってこないのであれば単独でやるしかない。そうなると昔の政治と新しい政治の対決だ。もともと旧体制とのたたかいということで旗を揚げた。野党を名乗りながら国を切り売りすることに繋がるようなことを決めた、自民党と変わらない人もいる。しかし5%にできるのであれば、私たちは議席を伸ばせなくても、そういうことも全部飲み込んで協力する。それが政治が存在する理由だからだ。

 「自民党を利する」とおっしゃるのなら、5%で野党が一致するようにみんなの力をお借りしたい。野党のおしりを叩いてほしい。緊急政策的に人人の命を救う、中小企業の命を救う、この国の経済を立て直すということに一番寄与できるのが消費税引き下げだと思っている。一番わかりやすいものを旗印にして政権交代を実現しなければ、万年野党でいるわけにはいかない。何回もいうが、私は民主党に対して不信感を持って政治の道に足を進めた。立候補したのは自民党政権になって民主党政権よりももっと大変なことになると思って立候補した。もともと政治なんか信じていない。政治は信じるものではない。監視するもの、コントロールするものだ。それは山本太郎も一緒だ。応援をしながらお尻を叩いていただきたい。

 なんとしても次の選挙では政権交代に繋がるようなたたかいをしていきたい。だから消費税は下げるしかない。野党がかたまって勝てるのだったら、とっくの昔に勝ってるはずだ。野党共闘に幻想は持たない。野党が勝てなかったのは経済政策が弱かったからだ。人人にこの人に託したら自分の生活は楽になるという希望を見せたい。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13933

10. 中川隆[-13615] koaQ7Jey 2020年3月21日 17:11:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1267] 報告
地方の暮らしと主権の回復を れいわ新選組・山本太郎 佐賀市で意見交換会(文字起こし)
2019年10月28日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13867

 九州ツアーをおこなっているれいわ新選組の山本太郎代表は24日に長崎市、25日に佐賀市文化交流プラザ交流センターでおしゃべり会を開催した。佐賀会場には約250人が集まり、参加者を交えて佐賀空港へのオスプレイ配備計画、原発問題、船員不足、保育問題、災害対応にいたる幅広い問題をめぐり論議となった。これらの論議を通じて山本代表は、地方財政や人人の生活を圧迫して政治的なコントロールを強める緊縮政策を批判し、消費税廃止を含む国による大胆な財政出動の必要性を訴え、政権交代に向けて力を結集することを呼びかけた。主な論議の内容を紹介する。

 

 意見(男性) 今回れいわ新選組から参議院に2人当選された。趣旨はわかるが、活動できにくい人(障害者)を選んだ一番の理由を知りたい。


 山本代表 役に立たなそうな人は生きていたらダメという空気感が漂っているのが今の日本だ。だが、今れいわ新選組で国会議員をやっている重度障害者の舩後議員、木村議員はとても生産性が高い。例えば木村さんは、これまでずっと施設収容だった障害者が地域で生活していくという権利を勝ち取ってきた人だ。私がまだ国会議員のときから木村さんと交流があり、厚労省に対して交渉をするという場にも何度も一緒に行っている。そのときに木村さんが省庁との交渉の間に立つ。もちろん当事者としても発言するし、厚労省側にも意見を求めたりとか、他の人を発言させたりという役割を担っていた。私はこの人国会議員になったらいいのにと何年も前からずっと思っていた。舩後さんはご自身の事業所で副社長をしている。ALSというのは筋肉がどんどん衰えて全身動かなくなる。ALSという境遇にありながら社長業をやられている方は他にもいる。


 どうして活動しづらそうな人を国会に送るのかという話だが、活動しづらい人がいるのなら活動しやすくすればいい。そこを配慮するのは国会だ。それを合理的配慮という。日本は障害者の権利条約という世界との約束を結び、東京オリンピック、パラリンピックのホスト国でもある。そのような国が障害者施策がかなり遅れているというのは恥だ。そういう意味でも舩後さん、木村さんがなかに入ることによって合理的配慮を国会が進めていけばこれが地方議会でも進み、全国的にそのような扱いになっていく。弱者という言葉があるが、私は弱者なんていないと思っている。ただ支援がなされていなくて弱者という立場に追いやられているだけだ。誰しもが引き上げられたり必要なサポートを受けられれば、活動的に生きていける。


 今は生産性で人間の価値が計られるような社会だ。何かしら利益を生み出さなければ認められないという社会だ。「生産性が自分にはある」ということを証明しなければ生きている価値がないと思われる世の中は地獄だ。自分が生産性が高いということアピールするためには他の人のことを平気で踏みつけなければならない。そんな社会になっている。生きるのが苦しいという人たちに対して、「あなたが頑張らなかったからじゃないの?」というような自己責任論がどんどん世の中に拡大している。これが行くところまで行くと、命の期限までも決められてしまうような世の中になるのではないかと私は思う。


 例えば2016年6月、北海道小樽での自民党の集会で麻生太郎大臣が「90になって老後が心配とか、訳のわからないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と発言している。理由は財政だ。圧迫されているという財政問題を入り口に人間の命の期限が決められる状態が将来的に来てもおかしくない状況だと思っている。だから生産性で人間の価値を計らせないということを社会の約束にしなければならない。でなければ次に切り捨てられるのは私かもしれないし、あなたかもしれない。しかしすでに毎年2万人をこえる人たちが自殺し、50万人をこえる人たちが自殺未遂をしている。過労死という言葉が世界で通じる。社会が狂っている。

オスプレイ容認を迫る地方財政圧迫


沖縄・普天間基地に駐機するオスプレイ

 意見(男性) 佐賀は今、佐賀空港へのオスプレイ配備計画問題を抱えている。賛成派と反対派があるが、賛成派の方に聞くと「できたら財政が県の方でも潤うんじゃないか」という意見もある。オスプレイ配備についての山本さんの考えを知りたい。


 山本 オスプレイについてよくいわれるのが未亡人製造器だ。私は自衛隊にとって必要な防衛装備品を買うなとはいわないが、アメリカとの関係において必要でないものまで無理矢理買わされているのが現状だ。佐賀にとってオスプレイが必要かどうかということなのだが、佐賀にオスプレイが入ってきたら財政はどれくらい変わるのか?


 意見(女性) 国から年間5億円(着陸料)を20年間(合計100億円)といわれている。


 山本 年間5億円が必要というのは、おそらく地方交付税が削られているからだろう。それでオスプレイに関する意見は佐賀では完全に割れているのか?


 意見(女性) 割れるところまで議論が進んでいるとはいえない。すぐに市議会に特別委員会ができたが、ノリ生産日本一の有明海がどうなっていくのかという不安や、そもそも佐賀空港ができたときに自衛隊との共用はしないという公害防止協定を地元漁協と県が結んでいたのに、それを飛びこえて防衛省がやってきたことに対する怒りや不信がある。市議会も県議会も当事者の話も聞かないまま容認決議をしてしまった。住民への説明会も一部でしか開かれていない。市や県全体への説明もない。実際は佐世保の陸自相浦駐屯地と連動していくものであり、飛行範囲は北部九州全体なのに、市レベルでさえきちんとした議論をする場もないままに地元対策として5億円×20年間という話が出てきている。知事がそれでまとめようとしている。


 山本 全体の問題なのに一地域に限定した説明会しかしていないというのは、原発と同じやり方だ。でも佐賀空港は自衛隊と共用しないという約束をしていたのに、それをなし崩し的に飛びこえてくるというのはひどい話だ。これに対してオスプレイを受け入れてもらえるものはもらっておいた方がいいのではないかという人はこのなかにいるか? 


 意見(男性) 建設会社を経営している。今の佐賀の建設業界には本当に仕事がない。それでお金が入ってくるのであれば、私たちはありがたい。オスプレイに反対する市民の方もいらっしゃるが、仕事がないというのは死活問題だ。


 意見(男性) 確かに佐賀県はお金がなくて仕事もない。過去の歴史で、公共投資を「ハコから人へ」ということで削っていった。若い人が地方の建設業界に就職をしない。そしてもう一つわからないのが、オスプレイの危険性について科学的論議ではなく感情的な話ばかりだ。事故の起こらない機械というものはない。


 山本 オスプレイは危険なのか? という話だが、オスプレイは高性能ではなく、米軍でさえ運用を敬遠しているというデータがある。米軍安全センターが公表している2010〜12年のアフガンでの海兵隊航空機運用状況では、オスプレイ運用率はヘリ機能を持つ6機種のうちで最低の1・02%。同期間のオスプレイ事故率は、戦闘機などを含めた12機種平均の事故率の約41倍だ。


 ほかにオスプレイに対する専門家の否定的見解として、アメリカ国防研究所元主任分析官レックス・リボロ氏の報告書に「海兵隊の保有数250機のオスプレイの飛行時間は723時間。保有数150機のUH1Yヘリは1万6000時間以上」とあり、明らかに差がある。また「海兵隊は今後、給油のできない長距離飛行など、特別任務を除き、オスプレイの大半を退かせるのではないか」といっている。


 いろいろ分けて考えなければいけない。今生活が苦しいから、目の前にバラまかれるお金をつかみとりたいと思わされる原因は何か。そこまでしんどくなっているのは、国から地方に交付されるお金が年年絞られているからだ。北海道でも毎年1割の交付金が削られ、基金を切り崩しているという話もあった。国が地方をコントロールしやくするためは、いつでも財政をギリギリの状態にさせておくことだ。カネを見せれば飛びついてくれる可能性があるからだ。


 だが「20年で100億円」をぶら下げられて「しょうがないか」というのは健全な状態だろうか? ちゃんと自治体への地方交付金が配られたうえで、この件について判断を問うならわかるが、お金を絞り続け、カネをぶら下げて判断を迫るというのは汚いと思う。何よりも、そもそもの自衛隊と共用しないという約束をひっくり返されていることについて一番怒らなければいけないのではないか。佐賀の人たちが舐められているということだ。札束で顔を叩いたら約束違反も受け入れると思われている。


 建設業が厳しいのは全国同じだ。この状況をつくったのは誰か? 民主党の仕分けだろうか? 違う。民主党は3年ほどしか政権を握っていない。一番首を絞めているのは自民党だ。建設業にかかわっている人人が一番怒らなければいけない相手だ。実態を見れば「仕事をいただいているので…」というのは関係性が逆転している。一番偉いのはこの国の有権者だ。だから建設業の団体は自民党側に対してもっとお金を出すようにお尻を叩くべきだ。


 「公共事業は悪だ」という極端な人もいる。だが私はそうは思わない。「コンクリートから人へ」ではなく「コンクリートも人も」だ。なぜならコンクリートの耐用年数はどんどん迫ってきているからやりかえなければいけないインフラは多い。災害も毎年起こる。公共事業でやらなければいけないことは山ほどある。公共事業とひとまとめにして批判することはできない。


 この国の公共事業を含めた公共投資を見ていきたい。政府がつくる道路などのインフラ整備、公団・公社がおこなう設備投資・住宅投資などを指す「公的固定資本形成」について1994年から2016年まで推移を見ると、消費税を5%に上げた橋本龍太郎政権の時代から小泉政権までの間に半減している。1996年に48兆円ほどあったものが、2007年には27兆円程度になった。10年間で21兆円の削減だ。これで成長するはずがない。投資がないのにリターンなどありえないのだ。

 この間に中小零細でバタバタ倒れた人たちもいるし、今も苦しいという状況がずっと続いている。建設と自民党はべったりだといわれるが、その人たちでさえもこんな目にあっている。べったりじゃない人たちはもっとひどい目にあっている。まずはここを怒らないといけない。なぜなら公共事業は雇用を生む。「人や車の通りが少ない道路をつくるな」という話ではない。どこに住んでいたとしても国の責任として移動する権利、アクセスは守られなければならない。「公共事業けしからん」というような話の延長線上に水道民営化みたいな話もぶら下がってくる。命を脅かすことにも繋がっていく。雇用が守られ、関連会社などいろんな所にお金が落ちて一番成長が目に見えてわかりやすいのが建設だ。民主党政権時代の事業仕分けでは、3兆円程度しか減らしていない。もっと大胆に減らしてこの国の成長を止めたのが自民党だ。


 新自由主義政策はレーガン、サッチャー、中曽根の時代にスタートし、国営企業を民営化し、労働組合をどんどん壊していって「生産性向上」という話の下に賃金をどんどん安くしていった。企業がもうける道として、賃金をどんどんカットしていくことが一番早い。賃金が下がるに従ってみんなどんどん貧乏になっていった。そのことに加え、国による投資もどんどんケチりはじめる。世界一のドケチ国家だ。例え投資をしても、その間にみんなから金を抜き取るような増税をすれば貧乏になるに決まっている。


 国が人人に投資をするしかない。地方に対しても同じだ。お金を刷れない地方自治体は、手持ちの財源以外は使えない。これは家計に近いものがある。だが国は円を発行できる。お金がないのであれば、投資する量を増やすしかない。


 オスプレイ問題を考えるうえでも、ここまで仕事がなくなっている窮状を生み出したのは誰なのか、ということをもう一度見つめ直さなければいけない。国内みんなの生活をボロボロにしたのは誰なのか。「痛みをともなう改革」といってその改革後に何が残ったのか。痛みしか残っていない。改革の提案者たちは何も痛んでいない。政治的な決定によってみなさんがどんどん貧しくさせられていることに目を向けなければいけない。でなければすべて場当たり的な対応になる。「しょうがないじゃないか、今苦しいんだからもらえるものはもらっておけ」と、過去の約束さえも市民側から反故にしていくような状況にしてしまったら無茶苦茶だ。


 そのためにはどうすればいいのか。政権交代する以外ない。野党のなかにも緊縮のドケチ路線を貫こうとしている人たちもいる。でもそれでは無理だというメッセージを伝える必要がある。20年以上も世界に類を見ないような間抜けな経済政策を続けて、多くの方々を貧乏にさせたというこの現実と向き合うならば生活は底上げされなければならない。それが残念ながら「自己責任でよろしく」「自助自立」などと平気でいう政治家がいる。それなら税金で食べてるんじゃないよという話だ。


 オスプレイを受け入れたらお金をもらえるかもしれないが、そこに乗っかってしまうと次から次に押しつけられる。逆にもう政治のコントロール権を取り戻すというときにきていると思う。首を絞められることに甘んじるのではなく、政治をみんなで変えていった方がいいのではないかと思う。


原発は最大の経済非効率


 意見(男性) 私は商船の船長職をつとめている。原発のMOX燃料(再処理したプルトニウム混合燃料)を運ぶのは70bくらいの貨物船で2カ月に1回燃料を運ぶだけでいい。しかし火力発電の燃料を運ぶためには長さ110bの船で月に3回から4回と手間がかかる。ロジスティックス(物流)の部分で、事故前までは原発に利があった。だが事故後もまだ原発を動かそうとしている為政者がいる。だからロジスティックスという小さな部分から原発を廃止する政策を積み上げてほしい。


 山本 燃料輸送する回数と原発による損失を比較してほしい。例えば土木学会はこの20年間くらいに起こる南海トラフ地震などによる経済的損失は1400兆円という試算を出しているが、これほどの災害に原発は耐えられるだろうか。さらに首都圏直下、東海地震も予測されるなかで原発の安全性を担保することなど不可能だ。


 意見(男性) 私が最近まで乗っていた船は、船長の私が51歳でその後の人材がいない。次の世代が20代だ。もうギリギリの状態で油を運んでいる。そして私は25歳で船員になり、今まで国政選挙に投票したのは一回だ。地方選挙でも一回しかない。多くの船員は政治に参加することもできない。声も上げられない。洋上の投票は日本海員組合に組織されている船が船長の管理下のもとで投票できる権利であって、投票の秘密を保持するのがむずかしい。私も船長の権限で投票できなかったこともあった。私たちの労働条件というのは船員法、船員労働安全衛生規則というような海の法律で規制されているため、労働審判などの陸の労働者が受けられる権利をほぼ受けることができない。ぜひこの状況を改善していただきたい。


 山本 まず物流現場において人員が足りないという話は、原発の是非をめぐる論議には絡まない。人が足りないのなら処遇を改善し、国が投資して仕事に就きやすい魅力的な部分を膨らませていくことしかない。


 原発は事故を起こしても誰も責任を取らない。現に誰も逮捕されないし、それどころか天下りしている。一方、被害者への補償はこの先どんどん細り、同心円で区切られた避難区域もどんどん小さくしていって最終的に「なかったこと」にする方向だ。被害規模が大きすぎて誰かが責任がとれる類いのものではないのだ。だから原発の是非と、燃料を運ぶための人員の確保というのは分けて考えるべき質の問題だ。船による輸送、船員の権利をどう守るかという問題はそれとして考えなければいけない。日本の物流において船員確保は重要問題であるのだから、人が集まらないのなら公務員並みの処遇にするくらいの投資を国がすべきだ。船員の投票の秘密を確保するためにネットによる投票システムを導入することも議論の余地があるかもしれない。


 意見(男性) 原発推進論者は「原発は火力に比べて燃料を運ぶ回数が少ないから効率的だ」と主張する。確かにMOX燃料を運ぶ船は一般の輸送船よりも条件がよく、手取り月70万円くらいもらえる。こんな状況では原発をやめるという道筋が見えてこない。


 山本 原発をやめるという選択を政治にさせるというだけの話だ。原発やめるには、それ以外にない。原発を動かしてくれというのは原発関連から票をもらっている議員だけだ。船員たちの権利を確保するためにも政治を動かす以外にない。


少子化解決する気がない政府


 意見(女性) 私は保育士だったが、妊娠してからやめた。妊娠後、子どもにすごくお金がかかると感じた。妊娠したときに医療費はそんなにかからなかったが、生まれてからいろいろ出費が重なるようになった。私は母乳で育てているのでよく乳腺炎になるが、助産師さんに見てもうらうと保険外で医療費がかなりかかった。乳腺炎が治ってからも妊娠して骨盤が開いたのか腰が悪くなって、整骨院にいったら保険外でまたお金がかかった。


 いま子どもを保育園か幼稚園に預けようかと考えている。保育無償化がはじまっているが、ゼロ歳〜1、2歳児の保育料が一番高いにもかかわらず、無償化の対象は3歳からだ。私の娘はもうすぐ2歳だから無償化の対象外だ。3歳からも保育料は無料でも、副食費などがかかるので無償化というよりも割引程度だ。消費税も10%に上がり、新しく走行税とか炭素税とか水道民営化などの話が出てきている。なぜこんなに税金を払わなければならないのかわからない。税金を本当にちゃんと使っているのかと思う。


 山本 保育無償化は、はじめから消費税増税ありきだった。消費税が上げられないのなら無償化もやらないというものだ。少子化が「国難」であるならば、増税に関係なく無償化しなければならない。保育にかかわる方々の処遇を変え、そして子どもを育てるということに対して国が面倒を見ていくということだ。


 今の状況は子どもを育てにくい。家の中でパートナーのどちらかが働けば食べていけるという状況はほぼない。両親一緒に働かなければならない。働くことを前提で子どもを育てる。だからその育てるという部分に関して国が大きく手を差し延べなければならない。


 無償化だから保育園に預けようとしても枠が限定されているから、受けられる人は限られる。そこに対して改善していくべきは保育士の処遇だ。全産業平均で100万円以上給料が安いのでは安心して働けない。だから資格は持っているけど働けませんという人がたくさんいる。介護の世界も同じだ。ここに対して安定した処遇を与えるしかない。私は公務員化するしかないと思っている。高齢化が加速し、少子化が国難であるのだから、介護士も保育士も安定した状況に身を置いてもらわなければみんなが困る。


 この二つの職に限定した話ではない。先ほどの船員不足の問題でも、本当にそこが危機的状況になるのであれば公務員化していいと思う。あまりにも不安定な働き方が増えすぎているのだ。一体誰のために不安定な働き方を広げるのかというと、雇う側のためだ。企業が安く人を雇いたいために非正規などの形を増やした。働く人たちにとっては半年後、1年後の自分の状態さえイメージできない。こんな状態で将来設計など無理だ。職を失った途端に寮まで出された人たちは住まいすらも失う。


 とくにロストジェネレーション世代(35〜45歳)は、安定した職についてもらうべきだ。国が緊縮で投資をしてこなかった世代が、やはり不安定な労働をしている。1997年、橋本龍太郎首相のときに消費税が5%に上がった。翌年から通貨危機もともなって本格的にデフレ突入した。大混乱だ。就職氷河期で大学を出ても職に就けない。最初に就いた職がアルバイト・非正規。そこからはなかなか正規になれない。今でもそのときの賃金と変わらないような状況で推移しているという人たちがいっぱいいいる。やがてこの世代が高齢者になる。老後に備えられる状況にいまからでもしなければならない。


 保育もゼロ歳から無償化しなければいけない。そうでなければ働けないし、食べていけない。食べていけなければ子ども作ることなど無理だ。本人が望めば家族を作ることがかなう世の中にしなければ少子化が解決するわけがない。


デフレ時には大胆な国債発行が可能

 山本 消費税廃止や555万人の奨学金をチャラにするとかいろんなことをいっているが、そのための財源をどうするのか。


 「景気がいい」とは経済成長している状態のことをいう。経済成長とは経済規模が大きくならなければならない。経済規模の指標であるGDP(国内総生産)とは、個人消費+民間投資+政府支出+純輸出だ。このうち経済規模が大きくなるための一番大きなエンジンは、GDPの6割を占めている個人消費だ。


 みんながお金を使えるようにしなければ景気はよくなりようがない。いまは将来が不安だから貯めたり、そもそも出すお金がない状態だ。消費が弱っているのだから企業は投資をしない。そこで政府も投資をせず、増税をしているから余計にお金が回らないのだ。


 みんながもっとお金を使いやすくするには、物価を下げればいい。消費税で強制的に物価を引き上げたが、賃金は下がっている。当然、その逆に消費税をやめたらみんなは景気がよくなると共通のイメージを持つ。そうすると企業側も投資を考え始める。需要が高まれば今のままの従業員の数では対応できないし、設備投資も考えるようにもなる。政府が国民に支出しなければならない。従業員をいい処遇で雇用する企業には減税したり、設備投資をする企業に対しても減税をするなど、とにかくお金を使った方が得だという状況を見せていく。この状況を作り出すためには消費税廃止が一番いいと私は思っている。


 消費税10%から廃止にするとおそらく25、6兆円の財源が必要になる。「25、6兆円が失われる」と考える人もいるかもしれないが、逆にいえな政府からみんなに25、6兆円の財政出動がおこなわれることを意味する。これでまず中小零細企業が救われると思う。この国に存在する企業の99%が中小零細企業だ。そして税の滞納のうち消費税が6割だ。中小零細の首が絞められている。これを解かなければならない。


 25、6兆円を確保する方法は2つある。一つは税金から、もう一つは新規国債の発行だ。必ずしもすべて税金で確保するべきだとは思っていないが、税金でやる場合は金持ちから先にとるのが基本だ。ないところからではなく、あるところから取る。大企業の優遇をやめる。金融資産の分離課税もやめる。所得税の累進制強化と法人税の累進化等で合計最大29兆円の財源が確保できるという試算もある。


 国債は政府の借金であり、国債を財源にしたら「国が破たんする」とよくテレビでいっている。だが、30年前から破たんするといわれてきたが、この20年間、日本国債の金利は短期ものも長期ものも下がり続けている。破たん寸前ならば、返済が滞るリスクがあるため国債の金利は上昇するはずだ。だが、いまは10年ものでもマイナス0・15だ。破たんなどありえない。さらに日本円で借金して日本円で返済するのだから、日本円を発行する能力があるのになぜお金が払えなくなるのか? なるはずがない。ギリシャは独自通貨を発行できないから返済が滞った。


 当然インフレが行きすぎることは注意が必要だ。米ケイトー研究所の調査によると、世界史上に56件あるハイパーインフレの事例は3つの共通事項をもっている。@大きな戦争で生産能力が破壊され、かつその再建に国際社会が非協力的な場合、A大革命が生じてこれまでの通貨体制が無効に成るような事態が発生した場合、B何十年も二桁台のインフレが続き、国内産業の未来が絶望的である場合だ。日本の現状はこのどれにも当てはまらない。そもそも政府の借金=民間の資産だ。日銀の統計でも政府の赤字が膨らんだときに民間の黒字が増すことがはっきりしている。「破たんするから増税します」というようなDV国家を変えなければ、もうこの国に生きている人たちがもうもたないところまで来ている。


放置される豪雨災害の復旧


 山本 今日は8月の豪雨で被害を受けた武雄市に行ってきた。どうして今武雄に行くのかというと一番重要だからだ。今千葉や福島、宮城も長野も大変なことになっているが、必ず武雄が通った道を通ることになる。一番は生活再建の課題だ。これからゴミ問題もたくさん出てくる。膨大なゴミをどこに置き、どう処理するのか。水害だから家の床板を全部剥がして泥を全部かいて、乾かして、消毒して新たに床板を乗せなければならない。30aとか50aも浸水が入ってきても半壊扱いだ。半壊家屋には54万円とか58万円くらいしか補助金は出ない。だが見積もりすると数百万単位だ。家によっては1500万円かかるといわれた。お金ある人しかちゃんとした生活環境を復旧できない。それ以外の人は2階に住むしかない。床板を外すとしても職人さんも半年待ちの状態だ。絶望的だ。どうしていいかわからない、先のことなんて考えられないという人たちが台風被害によってこれからどんどん増えていく。


 そこに対して一番やらないといけないことはお金を出す以外にない。金を出して人を集めてそこにもお金を払ってみんなで一斉にやるしかない。復旧、復興をいかに短時間でやることができるかが、この国の経済に対しても鍵を握ることになる。いま多くの地域でたいへんなことになっている。8月に被害を受けた武雄でさえこの状態だ。住民の方は「戦闘機とか買ってる場合じゃないんですけどね…」と冷静にいわれていた。


 こんな政治は終わりにしないといけない。私は民主党政権の原発対応に怒りをもって政治の世界に足を踏み入れた人間だ。だが、自民党が政権を取るときにもっとひどくなると思って立候補した。そんな自分でさえも災害対応は民主党の方がまだ心があったと感じる。例えば3・11東日本大震災の直後は国会の予算審議を6日間止めて災害対応に集中した。いまの政権は西日本の豪雨災害の真っ最中に、カジノ解禁法案を通したいがためにカジノの審議をスタートさせた。カジノなんかなくてもみんな困らない。困るのは日本の金を吸い取ろうとしているアメリカの業者と、そこからパーティー券などを買ってもらっている議員だけだ。この国に生きている人たちに対して愛がないのだ。今全国の災害被災地に対してマンパワーと金を投入していかに短時間に復旧・復興がなされるかということがこの国の命運を握っている。数千万、数百万円の見積もりに対して、50数万円でなにができるのか。


 ここまで政治によってめちゃくちゃに生活が壊されてきた。しかしそれをひっくり返せるのも政治だ。だから私たちは政権をとりにいく。消費税廃止をいいつづけてじわじわ勢力を伸ばしてくこともできるかもしれないが、私は多くの人人の窮状を見てまずは消費税5%に下げることを緊急的に実現させなければならないと思う。そのために私は野党のみなさんと塊になって「消費税5%」という旗をたてて次の選挙をたたかうことが政権交代の一番の近道だと思っている。ただ塊になるだけでは勝てない。現実にこれまで勝てていない。消費税を下げるという多くの人が自分のこととして受け止められる政策を掲げるべきだ。力を貸してほしい。野党のお尻を叩いてほしい。みなさんの力を集めて政権交代をしていきたい。


 先ほど武雄に行ってきたが、この日集まったボランティアは十数人だとう。圧倒的に人が足りていない。現地には焦りがある。もうすぐ冬が来るからだ。家の一階がスカスカの状態で冬を迎えることは非常に過酷だ。ボランティアが30人ほしいといっていた。ほとんどが県外からやってきている状況だ。もし時間が許すのであれば、周りの人にも声をかけてボランティアに行ってほしい。社協とは別に地元の方がやっている「おもやいボランティアセンター」が大募集している。本当は国が早くお金を出して人件費を確保し、大工さんを集めなければならないのだが、大工さんも半年待ちだ。オリンピックという企業の祭典をやっている場合ではないのだ。だが国がお金を出して一斉に復興させようという政権ではないので、一人一人ができる範囲で力を出してなんとか改善していかなければいけない。ぜひ力を貸してもらえる方に支援をお願いしたい。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13867

11. 中川隆[-13614] koaQ7Jey 2020年3月21日 17:13:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1268] 報告
熊本・鹿児島でも共感広げる れいわ新選組・山本太郎の街頭記者会見(文字起こし)
2019年10月22日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13789

横に繋がって政治変える

 九州ツアーを展開中のれいわ新選組・山本太郎代表は、16日に熊本市の熊本パルコ前、18日には鹿児島市の天文館アーケードで街頭記者会見をおこなった。いずれの会場でもアーケードを埋めるほどの聴衆が詰めかけた。仕事帰りに足を止める現役世代や下校中の高校生の姿もあり、そのまま立ち去ることなく最後まで真剣に聞き入る姿が目立った。演説は市民からの質問や意見に山本代表が答える対話形式でおこなわれ、消費増税や社会保障、働き方改革、少子化問題など市民生活に身近な問題をテーマに、一部の大企業の代理政治がまかり通る現状を変えるため市民が横に繋がって力を結集することを呼びかけた。熊本、鹿児島での演説を抜粋して紹介する。

◇ 熊 本 ◇

 山本代表 あまりにも今の社会は生きづらい。生産性で人間の価値がはかられ、役に立っているのかいないのかで人間の価値が線引きされる。1年間で自殺する人の数は現在2万1000人近い。戦争も紛争もない日本で毎年2万人をこえる人人が追い詰められ命を絶っている。自殺未遂は50万人をこえている。カウントされた件だけでこれだけある。死にたくなるような社会を変えたい。生きていてよかったと思える社会をつくりたい。

 現在の政治でもっとも疲弊させられてきたのは地方都市だ。本当に地方に住んでいるから物価が安いだろうか。コンビニで売っているものは東京で買っても同じ。全国にチェーン展開されている店で買う物はみな同じだ。地方で暮らすには車も必要になる。こうしたコストが必要となるなかで生活を安定させるのは至難の業だ。どんどん格差が開き、TPPや日米FTAのように生産者の首を絞めるような貿易協定が次次に進められている。

 これまで進められてきた間違った政策を一つずつ変えていかなければ地方はさらに衰退する。変えるためには力が必要だ。だからこそあなたと繋がりたい。


 意見(男性) 熊本では増税後、あちこちバスターミナルや商業施設のフードコートなど人が集まる場所で明らかに客足が減り、非常に危機感をもっている。私はある宗教団体の元信者だが、財源がないなら無課税の宗教法人に課税してもいいのではないか。


 山本 宗教に課税してもそこまで税収は得られない。それは喫緊の課題ではない。その前に、もっと世の中にお金が回る仕組みをつくらないといけない。


 2014年4月、消費税を5%から8%に上げるとき、安倍政府は「消費税率の引き上げ分は、全額、社会保障の充実と安定化に使う」(政府広報)といっていた。


 本当はどうなったのか? 内閣官房のデータで、3%増税分を何に使ったかがわかる。2015年からは3%分で8兆円の財源を担保することができた。だが、それ以降の2017年までの間、社会保障の充実に充てられたのは1・35兆円。わずか16%だ。


 残り84%は何に使ったのか内訳を出してくれと問い合わせると「統計をとっていない」という。基礎年金国庫負担割合を2分の1にするという使い方もしていたが、「後代へのつけまわし軽減」という内容不明な使われ方もしていた。これについて安倍総理自身が今年1月28日の施政方針演説で「増税分の5分の4(80%)を借金返しに充てていた」と答えた。


 消費に対して罰金をかけ、ただでさえ世の中にお金が回っていないのに無理矢理お金を引き抜き、借金返済に充てたことでお金の存在を消してしまったのだ。より景気が悪くなるのは当然だ。税金をいくら取ったとしても、その使い道によっては最悪の結果が導き出されるということだ。消費税であろうと、宗教課税であろうと同じだ。本当はあちこちから税金を搾りとらなければならないという局面ではない。

 意見(女性) 日本は海外に対して1000兆円の借金があり、国民一人あたりに800万円もの借金があるといわれている。だが、実際にはそうではないと思うのだが、なぜそんな嘘をつくのか。


 山本 嘘をつく方方の精神状況までわからないが、嘘をつかなければやっていけないのだろう。この借金をめぐっても財務省の洗脳がある。「政府の借金が1000兆円をこえ、国民一人あたり900万円」というが、あなたが勤めている会社の借金を社員一人あたりいくらという計算の仕方をするだろうか? それぐらい不自然な話だ。


 日本の借金は外国からのものではない。国債発行額は2017年12月に1093兆円。国債保有者のうち88・8%は国内だ。海外にはわずか11・2%しかない。


 90%近い国内に負っている借金(国債)の元出はなにか。みなさんが銀行に預けたお金ではない。よく勘違いされやすいのだが、これは大きな間違いだ。みなさんから集めた資金で国債をやりとりしているわけではなく、日本銀行の中にあるそれぞれの銀行の当座預金から数字としてのお金が出入りしているだけなのだ。政府と民間の収支バランスを見ると、政府の赤字が増えるとき、民間の黒字が増えていることがわかる。政府が借金することによってお金が生まれ、それが民間の資産になっているのだ。

 もしも1000兆円の政府の借金をすべて返済すればなにが起こるか? 世の中に流通するお金のほとんどが消えてしまう。政府がいう「国の借金が1000兆円あり、国民一人あたり900万円だから、増税します」という話にだまされないでほしい。


 借金でお金の量を増やしても、お金が世の中に回る政策はほとんどしてこなかったのだ。これを理解していなければ、アベノミクスを批判する理由にもならない。


 だからこそ経済に興味を持って、みんなでお金のあり方について議論しなければ政治や官僚、企業側には勝てない。このままでは搾取され続けるだけだ。


 厚労省の国民生活基礎調査では、国民全体の57・7%、母子世帯の82・7%が生活が苦しいと答えている。20年以上のデフレによって国民生活はどん底まできている。デフレから脱却するなら、さっさとカネを出せという話だ。日銀調べの年齢別一人暮らしの貯蓄ゼロ世帯の割合は、20歳代で61・0%、30歳代で40・4%、40歳代で45・9%、50歳代で43・0%。みんなボロボロだ。小泉、竹中の時代に国が財政を絞ってロストジェネレーションを生み出した。本来ならば国がお金を出して第三次ベビーブームをつくり出さなければならなかった。50年前から少子化になるといわれていたのに、何の手も打たず、誰一人政治家は腹を切らない。現役世代に対してできる限りの救援をおこなう政策をしなければならない。

少子化解決するために

 山本 少子化を解決するためには、重要なポイントが三つある。


 一つ目は教育。本人やその家族に負担がかからないようにする。日本では奨学金で大学生が社会に出るときまでに300万〜400万円の借金を背負っている。それで社会に出て少ない賃金でどうやって生活していけるのか。自分一人生活するのに精一杯で家族など持てない。借金をしていることが結婚できない理由の一つになっている。パートナーも同じ状態なら、家族をつくろうなんて考えられない。


 OECD加盟国のなかの、教育機関に対する公的支出(対GDP比)を見てみる。ここでは経済規模に対して、教育にどれだけお金を出しているかということが分かる。

 各国平均4・14%の支出に対して日本は2・93%。先進国グループのなかで最下位だ。奨学金で借金を背負わせるだけでなく、利息まで払わされるのだからこうなるのは当然だ。その利息は年間350億円にもなり、金融機関の懐に入る。この350億円を差し上げるために、みんなの首を絞める。若い人たちも食い物にされている。


 高等教育機関への公的支出(対GDP比)を見てみる。経済規模に対して大学や大学院にどれだけお金を出しているかということがわかる。ここでも日本は最下位で、北欧諸国の3分の1だ。教育にかかるお金を家計で負担しなければいけないのだから、みんなが貧しくなって使えるお金がなくなるのは当然だ。


 二つ目は住宅問題だ。安定した住まいを確保するには公的住宅が必要だ。本人が望めば安い家賃もしくは無料で住まいを確保できるようにしなければ少子化は克服できない。住居の問題は都市部でとくに深刻だ。


 東京都が2018年1月に「ネットカフェ難民実態調査」をおこなった。ネットカフェ宿泊客のなかで住み家がない人は25・8%(約4000人)もいた。ネットカフェなら敷金・礼金・保証金も必要ない。家賃なら払えるが初期投資ができない人たちの逃げ場がネットカフェになっている。


 また、この住み家がない人たちの76%は非正規労働者だった。不安定な労働者を大量に生み出した結果、住まいも確保できない状況を大量につくり出してしまった。いつ首を切られるかもわからない働き方のなかで、半年、1年後の自分の状態すら想像できない。非正規労働者が増えるきっかけをつくった元凶こそ政治だ。これに対して政治が責任を負わなくていいはずがない。


 三つ目のポイントは消費税の廃止だ。消費税が3%上がっただけで、年間の個人消費が8兆円も落ち込んだ。誰かの消費は誰かの所得。つまり8兆円の所得が失われたということだと私は考える。この逆をおこなえば景気がよくなるということは誰もが予測できるだろう。景気回復が予測できれば、企業側も従業員の確保や設備投資をするだろう。


 かわりの財源は法人税に累進制を導入し、もうかっている所から多くとり、もうかっていない所の税率は低くする。今は法人税率は一律で、大企業には80以上もの抜け穴がある。これを廃止して、所得税の最高税率を上げることで29兆円もの財政を確保することができるとの試算もある。


 また、新規国債の発行も視野に入れている。消費税廃止に必要な財源をすべて新規国債の発行によってまかなった場合でも、国が定めるインフレ率の上限2%にも到達しない。また消費税を廃止した場合、一人あたりの年間賃金が6年目には44万円上昇する。参議院調査情報担当室の試算だ。今足らないのはお金であり、国が国民を思う気持ちだ。


 意見(女性) 私は今40代だ。20代で離婚し、一人で子どもを育ててきた。元配偶者からもらった養育費は一度きりの1万5000円だけだ。それからずっと貧乏だ。子育てが終わる頃に難病を煩った。今は最低保障の障害年金と足りない部分は生活保護でまかなっている。今回増税にともなって障害年金受給者への給付金が出たが、生活保護をもらっている場合は給付金がまるごと引かれる。今回の増税で介護タクシーも増税分以上の値上げになった。社会保障を充実させるといいながら、実際は削られ続けている。このままでは未来はない。弱者の未来を救ってほしい。


 山本 生活保護を受けることに対して恥の概念のようなものが植え付けられている。これは大きな間違いであり、胸を張って受けてほしい。すべてを失うことが前提でなければ生活保護を受けられないということは、そこから立ち上がるためにさらに多くの時間が必要になるからだ。少し困ったときに頼ることができる制度をつくっていきたい。


 生活保護は「水際作戦」などといわれ、なるべく受けさせないようにされている。これには役所の財政事情もかかわっている。それによって餓死者も出ている。


 「生活保護を受けて朝から晩まで酒を飲んで…」という人もいるが、1カ月間朝から晩までお酒を飲み続けられるようなお金を生活保護では得られない。「パチンコに行くのは許されない」という人もいる。お金の管理がきちんとできるかできないかというのは別の話であって指導も必要だろうが、基本的にお金の使い道はその人の権利だ。


 日本は世界一のドケチ国家だといえる。1997年〜2006年までの政府支出の伸び率は世界でも最低水準だ。国が人人に対して全然投資をしていないからデフレから脱却できない。収入の少ない人ほど収入の大半を消費に使う。使わなければ生活できないからだ。生活が厳しい人にお金を投入することは、もっとも経済活動に寄与するということだ。一人でも多くの人が消費を増やす状況をつくらなければならないのに、必要とされることと真逆をいっている。殺しにきている。


 政府は生活保護費の見直しを進めており、食費や光熱費などに充てる「生活扶助」を2018年10月から2年間かけて段階的に引き下げ、最大5%、約160億円削減する。


 また2013年8月からの生活保護の基準改定でも平均6・5%、総額670億円減額されている。生活保護を受けている人から見たらどれほどの打撃だろうか。生活保護受給者のほとんどが不正受給だという印象をつくったのは自民党だが、不正受給は全体のわずか1・8%であり、98%は正当な受給者だ。人間の命にかかわるセーフティーネットをこんな扱いにした人たちを私は許さない。国はなにも責任をとらないし、国民をコストとしか見ていない。


 バブル崩壊直後と平成29年度の労災の請求件数の比較を見てみる。平成3年度は557件であったのに対し、平成29年度は2572件と桁違いに増えている。あくまで労災を請求できた人の数だ。請求できなかった人の方が多いはずだ。


 精神障害の労災補償請求件数を比べると平成3年度は2件だったが、平成29年度は1732件だ。働く人はもはや部品だ。奴隷のようにギリギリ生かしておく環境さえない。倒れようが死のうがかわりはいくらでもいるんだという考え方で話が進んでいる。完全に世の中が壊れている。生活保護が必要となる人人はこれからどんどん増えていくだろう。仕事に殺されるような状況をつくっているなかで、精神を破壊され社会復帰ができなくなる人はたくさんいる。現在の政府がそんな人たちを救うだろうか。この状況をみんなで認識してなんとか変えなければいけない。

3割の得票動かして権力握る大企業

 みんなが貧困化する地獄のような世の中で、大企業は過去最高益をたたき出している。企業の内部留保は2012年から2017年までの間に46・7%も増えている。この数年の間に自分の収入が46・7%も増えたという人がいるだろうか?

 私は企業の内部留保に手を突っ込んでみんなにばらまくなんてことはしない。彼らはろくでもないことをしているが、合法的に政治を動かして自分たちに大減税してもらえるような社会を実現したのだ。企業がこれだけ内部留保を溜め込んでいる理由は二つある。一つは減税してもらってもうけをより多くしたり労働環境を破壊して労働者を安く使えるようにしたからだ。もう一つの理由は「溜め込む以外に方法がない」ということだ。モノが売れない。この先も少子化は加速するのに、この国に投資してもリターンは見込めない。だとすれば企業が投資せざるをえないような成長戦略を国が提案する必要がある。


 経団連は提言という名の命令で、自分たちのもうけに繋がるさまざまなことを実現させてきた。たとえば武器輸出。日本は武器輸出三原則によって兵器の国際共同開発には参加できず、いわば技術的な鎖国状態に陥っている。そこで、武器の開発は国に資金を出させて、つくった武器を国に買わせている。開発して売れば、使わなければならない。これでサイクルが完成だ。


 そこで、集団的自衛権を提言した。なぜ経済団体が集団的自衛権を望む必要があるのか。また集団的自衛権を実現させるには憲法を改正しなければならない。そこで、憲法改正まで提言に盛り込んでいる。つまり武器輸出、集団的自衛権、憲法改正の三つがセットになって動かなければ、軍需市場を広げたい経団連にとってのうまみが増さないのだ。提案し、政策にさせて自分たちがもうけるというサイクルをずっとくり返している。


 経団連をはじめとする大企業は、有権者のわずか3割の力で代理人を国会に送り、政権をとらせて自分たちにプラスになる政策を一生懸命やってきたのだ。権力を持てば自分のお世話になった企業にだけ大減税することだってできるし、自分のお世話になった企業のために人人の働き方を壊すことだってできる。


 自分の奥さんの友達の学校経営者に国有地をただ同然で差し上げることだってできるし、自分の親友に獣医学部をつくらせることだってできる。だとするならば、違う形で権力を使おうではないか。次は私たちの番だ。50%が投票に行っていないのだからその人たちとゆるく繋がっていこう。そうすることで消費税はやめられるし、働く人たちの権利も確立できる。政府が保障することで最低賃金を全国一律1500円にすることもできる。それが政治だ。それが権力だ。

◇ 鹿児島 ◇

 意見(男性) 日米地位協定を変える必要があると思う。国防についてどういう考えを持っているのか。

日米地位協定について

 山本 日米地位協定について考えるなら、まず日本の独立という問題を考えなければならない。「日本は独立しているじゃないか」という人もいるかもしれないが、それは大きな間違いだ。日本は常にアメリカ様の「ご意向」に国内の政策が左右されている。


 わかりやすい例のなかに、日本の空の問題がある。首都圏上空には、1都8県にまたがって米軍横田基地が航空管制権を握る「横田ラプコン」がある。日本の空は日本のものであるはずなのに、それを仕切っているのは米軍なのだ。だから民間機は、羽田空港を離陸直後に横田ラプコンを避けるために急上昇しなければならない。これほど広大な空をアメリカに握られている国は世界に例がない。米軍が自分たちの演習をしやすいように占有している。返してもらわなければならない。


 アメリカに握られているのは航空管制権だけではない。アメリカが望めば日本のどこにでも米軍基地をつくることができる。外国の軍隊が他国に自分たちが思うように基地をつくることができるルールなど世界のどこにもない。なぜ日本だけにあるのか。植民地化が成功したのは日本だけだからだ。日本はアメリカの植民地でしかない。


 そこから独立するためには日米地位協定の改定が必要だし、少なくとも対等な付き合いをしていかなければならないのに、そうなっていない。


 北方領土問題について安倍首相は「必ず終止符を打つ」といってロシアのプーチン氏と二十数回にわたって会談を続けてきたが、結局はカネだけ吸いとられて領土は返ってこない。昨年の11月、プーチン大統領は、ロシア側が北方領土を日本に引き渡す場合、日米の首脳間でアメリカ軍の基地を置かないことを約束するよう釘を刺された。つまり、日本国内の問題であるにもかかわらず、国のトップが物事を決めることができない。アメリカ経由で話をまとめなければ外国から信用されない状態になっている。これが独立国と呼べるか。日本が独立国として自分たちのことは自分たちで決められるようにならなければならない。それが主権国家というものだ。


 安倍首相のおじいさん(岸信介)が旧安保条約を改定し、新安保条約にし、日米行政協定を日米地位協定へと改めた。「独立する」「主権国家になる」といいながら占領状態の継続を約束した。おじいさんがやらかしたことは、あなたの代で決着をつけてくれといいたい。どこが「戦後レジームからの脱却」だ。


 日米地位協定を変えたその先はどうするのか。日本は自主防衛できる状態にしなければならない。日本は今でさえ、世界の中でも指折りの防衛装備を保持している。アメリカの軍事力評価機関が公表した「グローバル・ファイヤーパワー」の2018年軍事力ランキングでは、世界136カ国のうち、日本の軍事力指数は8位だ。軍備を維持することは必要かもしれないが、現状はアメリカから買わされ、さらに調達しても途中で値段が変わって高値になる。買った戦闘機の機密情報ももらえず、ただ買わされている。日本の自主独立のためには専守防衛は絶対的に確保しなければならない。ただし、自衛隊は、日本の領空・海から出ない形で運用されることを前提にするべきだ。


 もう一つ、安全保障上必要なのは、世界中に「恩を売る」ことだ。自衛隊の災害対応は、多くの被災地で強烈な印象を残し、感謝されている。その力を日本だけでなく世界で災害が起きたときに真っ先に駆けつけるために使う。これが実現できれば、もし日本側に不穏な動きをする国があったとしたら世界中から非難の声が上がる状況をつくることができる。アメリカの二軍として世界戦略に利用されるのではなく、あくまでも防衛に特化し、それ以外は災害対応で世界の役に立っていってほしいと思う。

食の安全は重要テーマ

 意見(男性) アメリカで生まれている子どもの3人に1人が自閉症で、その原因は遺伝子組み換え食品などだという調査がある。輸入が増えれば、日本でも影響が出てくるのではないか。


 山本 「食の安全」は、もっとも重要なテーマの一つだ。この国の人人が健康に生きていくうえで食べ物は大きな存在だ。残留農薬や遺伝子組み換えに対して厳しい基準をもうけることは重要だ。


 少なくともヨーロッパがもうけている基準に寄せていくことが正しいと思う。遺伝子組み換え食品と健康との因果関係がはっきり出ていない現状では予防原則に立つ以外にない。安全か危険かはっきりしていないものに対しては「危険かもしれない」という立場に立って物事を考えていく以外に人の命は守れない。


 だが、今はそうなっていない。TPPや日米FTAなどを進めて、アメリカでさえクリアできていない食品を日本で受け入れなければならなくなる可能性がある。現時点で自由化は行きすぎているし、これ以上進めるべきではない。TPPからは離脱するべきだ。世界との条約や協定から抜けることは非難を浴びることかもしれないが、人人の健康を守ることが最優先だ。アメリカもパリ協定から抜けた。日本も「ジャパンファースト」で行かせてもらう。


 意見(男性) 私は今32歳で三児の父だ。中卒で派遣社員も経験し、1カ月ホームレス生活をしたこともある。今は介護職に就いている。介護と聞くとマイナスなイメージを持つ人もいるかもしれないが、絶対にそんなことはない。すごく魅力があり、私は世界一幸せになれる仕事だと思っている。山本さんは、福祉や保育に携わる人は公務員にしてでも人員を確保するべきだといってくれた。介護を求めている人人は多くいるのに、人手不足からどんどん施設も潰されている。幸せな仕事だと思って勤務していても、夜勤10回しても月月の手取りは十数万円だ。ケアマネでも20万円に届かない。先月3人目の子どもが生まれたときに「介護で3人はきついね」といわれた。山本さんは、そんな介護職のことをどのように考えているのか聞きたい。


 私の母はシングルマザーで私たち子ども3人を育ててくれた。64歳でそろばんと習字、塾を経営して手取り20万円ほどだ。乳がんと大腸がんを患い、保険にも入れない状態で、年金は国民年金で6万500円。貯金もほとんどない。子どもからもお金をあげられるほどの収入がない。今後どうやって母のことを世話していけばいいのかという不安もある。


 山本さんが「あなたを幸せにしたい」と話してくれたとき、すごくうれしかった。障害を持っていても、お年寄りでも子どもたちでもどんな人も幸せになる権利があるといってくれて本当に救われた。ただ山本さんも幸せになってもらいたい。


 山本 世の中を変えていこうとしている真っただ中で、みなさんに「力を貸してください」とお願いができる時点で私は幸せだ。


 ニーズはあるのに、国がしっかりと処遇をしていない職業に対しては公務員化をするべきだと考えている。たとえば介護や保育、身を削るようにして原発事故の廃炉現場で働いている人人などに対しては、安定した雇用を保障しないといけない。もはや現場の良心で支えられている状態だ。資格を持っているのに、その仕事に就かない理由は間違いなく処遇が悪いからだ。確実に必要な仕事で、サービスの質を保証するためには公務員化が必要だ。国が解決策としてうち出しているのは「外国人を使えばいいじゃないか」というものだ。そんな雑な話があるか。

 そもそも日本は公務員数が少なく、人口1万人あたりの公務員数はフランス837人、イギリス820人、米国597人に対して、日本は261人しかいない。公務員の非正規化が進み、生活保護の相談を受ける側が生活保護が必要なケースさえある。


 鹿児島は「保守王国」といわれており、多くの人が自民党に投票しているかもしれない。もしくは、昔からの付き合いで人との繋がりを意識して投票している人も多いかもしれない。ただ、現実を見てほしい。自民党がやっているのは保守ではなく自己保身だ。国を、あなたを売り飛ばしている。


 地獄みたいな世の中の末に子どもたちを生かせられるのか。この国は「主権在民」だ。本当はあなたが権力を握っている。一部の人間に忖度し続けるような国が壊れるのはあたりまえだ。憲法15条には公務員は「全体の奉仕者になりなさい」と書いてある。すべての有権者の3割の得票を得て政権を握り、ここまでの乱暴狼藉ができるのだ。これを変えるのも政治だ。私は投票に行くことをやめている5割の人たちとつながって、現在と180度違う政治を実現させたい。あなたのための政治を、あなたの生活が幸せになる社会をつくらせてほしい。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13789

12. 中川隆[-13613] koaQ7Jey 2020年3月21日 17:15:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1269] 報告
れいわ新選組を支える人々の思い ―― 北海道ツアーの同行取材をして
2019年10月2日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/13348

 「全国各地をしつこく回り、みなさんと対話をしながら緩やかなネットワークをつくっていきたい」――れいわ新選組・山本太郎代表は参院選後の宣言通り、9月18日から最初の訪問地である北海道に入り、利尻島、稚内、網走、釧路、根室、札幌、旭川、帯広の各地を巡った。


 消費税廃止を掲げ、新自由主義政策で破壊された社会を立て直す市民政党をつくるため、代表みずから町を歩いて市民に頭を下げながらポスター掲示を依頼し、街頭では集まった多くの聴衆と直接対話をする。自力で全国を駆け巡って国政政党としての一歩を踏み出した参議院選の効果もあり、その行動は注目を集め、演説会場はどこでも予想を上回る規模の人人が詰めかけた。


 北海道ツアーは疲弊が著しい周辺都市からスタートした。道内179市町村(全国最多)の人口500万人のうち約4割にあたる200万人超が県都・札幌に集中するなど、北海道内でも地域格差は拡大している。農業、漁業、林業などの第一次産業を基幹産業とする多くの地域は、その盛衰が地域経済全体を大きく左右する。TPP、日米FTAによる農産物の市場開放、国による地方切り捨てのなかで自治体財政は逼迫し、医療や介護をはじめとする行政サービスがまともに受けられない、鉄道インフラの廃止によって市民の足が奪われること、また雇用の受け皿である地場企業の倒産や賃金レベルの低下を引き金にした人口減少など、深刻な状況が各地で語られた。


 山本代表と対話するため、周辺市町村から数時間かけて駆けつける人や、発言内容をメモに書いてくる人も多くみられ、れいわ新選組にかける人人の思いの強さがあらわれていた。


札幌駅前の街頭記者会見に集まった人々(9月24日)

 「東京から帰ってきて、大病をした妻と義父の介護のために離職した。義父は片眼が全盲、膠原病で手足が不自由。そして認知症も始まっている。それでも認定では要介護2にしかならない。背景に町の財政難があり、町内にある道立病院には、要介護度を上げないようにしようというスローガンが貼ってある始末だ。先日、妻が腹痛で道立病院の夜間救急に駆け込んだが、救急指定病院なのに外科医も整形外科医も麻酔科医もいない。内科医に痛み止めだけ処方されて帰ったが、数日後に激痛が走り、1時間かけて留萌市立病院に駆け込み、はじめてCTで卵巣腫瘍が見つかった。最後は札幌医大に転院して25aもお腹を開く手術をした。あまりにも医療や介護環境がひどい。特養に入れても6カ月で出され、意見をいうと役場から職場にまで圧力がかかる。苦しむ人のために福祉や介護があるのに、一歩たりとも譲らない行政。今後、もっと苦しむ人が出てくる。未来のない世の中を変えるために頑張ってもらいたい」(稚内・男性)


 「介護職をしているが、山本さんの話を聞いていて、就職氷河期からの苦労を考えると涙が出る。お年寄りの生活のために私たちが一生懸命やらなければいけないと思っているが、とても希望がもてる状況にない。普通に生きていけるだけの収入はもらってないが、地域のため、国のため、お年寄りのために頑張っている。子どもが憧れるような仕事になっていない状態を変えてほしい」(網走・女性)


 「同世代は生活に余裕がないため政治に疎く、総理大臣の名前さえ知らない若い人たちも多いが、彼らを責めてもはじまらない。小さいときから政治の話はタブーで、朝ご飯を食べる暇もなく働き、夜遅くにSNSを開いたら与党側と野党側が罵詈雑言を浴びせ合うというような“政治”に辟易している。そういう若い人たちにも理解できるわかりやすい政策をお願いしたい」(網走・男性)


 「人口規模にかかわらず公平なお金の使い方を考えてほしい。3000人ほどの小さい町でも格差がすごい。広い北海道の過疎地域では雇用がなく、カネも人も都市に流れる。地方創生というが、国の財源からあてがわれるサービスが地方には行き届いていない。ぜひ直に肌で感じて国会で訴えてほしい」(旭川・男性)


 「IT企業で働いていた息子が鬱病を発症して会社をクビになり、病気を隠して別の会社に入社し、最後は寝る間もない状態になって自殺した。遺書のない場合は自殺と見なされない。そんな人たちが年間11万人もいる。息子も遺書というより連絡事項だけを書き残した。私は70歳近くだが、掃除婦ダブルワークで月150時間も働いて、月収12万円。みんな余裕がなく、職場はいじめとパワハラ、嫉妬やひがみもひどい。先日も自殺未遂で一命をとり留めた方の相談に乗った。れいわ支援の輪を広げていくために、ぜひ頻繁にきめ細かな情報発信をし続けてほしい」(旭川・女性)


 参加者の発言は、産科医不足で地元で出産できない問題、子どもの不登校などの教育問題、難病患者を切り捨てる難病法改定、種子法廃止による遺伝子組み換え食品の氾濫、生活保護や年金の引き下げ、公務員の病の増加など多岐にわたり、どれも生活実感をともなった切実な叫びだった。旭川では気温が9度を下回る冷え込みのなかで、2時間以上にわたって山本代表と聴衆との対話が熱を帯び、身近な生活問題から国家財政、憲法の問題まで鋭い問題意識が交わされた。

食料基地北海道の現状

 独自に市民から意見を聞くと、道東の拠点都市である釧路市では、かつては年間100万dで全国最大だった水揚げも今は10分の1の10万dに落ち込み、道内5番目に多かった人口(22万人)も今年ついに17万人を割り込んで6位に転落し、駅前の目抜き通りにあった地場資本の百貨店も倒産するなど崖っぷちに立つ水産都市の現状が口口に語られた。


 水産関係者によると「北洋船団の主力だったサケ・マス類がとれなくなり、もともと裏作だったサンマ漁に収入の大部分を依存してきたが、今年は過去最悪の不漁。近海にしか出れない漁船で魚群を追って公海までくり出すようになり、ついに転覆事故も起きた。規模が大きいだけに、危険承知であっても公海まで漁に出なければ倒産する。どこも綱渡り操業だ」という。観光スポットとして有名な和商市場も空き店舗が目立ち、商店主たちは「60軒あった店が50軒に減った。観光客が来ても、市民の購買力が落ちたら市場はもたない」と深刻に語っていた。


 第一次産業でも好調なのが、現在乳価の高止まりが続く酪農といわれる。だが、道東の酪農地域では、「国の補助金や明治や雪印など大手乳製品メーカーの買いとりに依存して機械化や大規模化を進めているので、TPPやFTAで乳製品の無関税化・自由化が進み、メーカーが安価な外国産に乗り換えたら、巨大な投資をしている農家は壊滅的な打撃を受けることになる」と話されていた。


 建設業は農業関連施設、機械は農機具販売や修理……など酪農業の産業としての裾野は広く、国が地場農業の保護をしなくなれば地域全体の雇用の受け皿がなくなる。根釧地方では、かつて国が膨大な予算を投じたパイロットファーム(実験農場)計画や新酪農村建設事業で大規模集約や機械化、新規入植を促進したが、農産物輸入自由化を進める農政や営農システムの変化のもとで借金に見合うだけの収入は得られず、多額の負債を抱えて赤字に転落する農家が続出。冬になると翌年5月までは地下1bまで凍土と化す(作付けができない)という厳しい環境のなかで、頼みの綱だった酪農からも離農者があいつぎ、「手間を掛けない安価な乳」を望む大手メーカーに依存するほかない現状にあるといわれる。そのため人手が必要な放牧をする農家が減り、機械化が進む。「地元の牛乳を地元民が飲めない」という歪な状況を生んでいることや、「農業が潰された先には放射性ゴミの処分場にされるのではないか」という危機感が、国が北海道で進める深地層処分研究などとあわせて話題にのぼっていた。


 農漁業ともに全国トップシェアを占める北海道の現状は、そのまま日本の食料安全保障にも直結する。もっと知らなければいけない、知らさなければいけない問題があると強く感じずにはいられなかった。

新しい政治勢力に期待

 「れいわ」の演説会場には、「既存の野党が信用できず、有権者を置き去りにする永田町の論理に全力で抗うのは山本さんしかいないと思って支援している」(60代・男性)、「東京で働いていたが体を壊して帰ってきた。れいわ新選組は、右や左といった古いイデオロギーにとらわれず、弱者の側から政策を訴えるから無関心な人たちも惹きつける。これまで誰もしてこなかった活動を捨て身でやっている姿に共感し、自分もなにか力になりたいと思った」(25歳・女性)など、既存の政党政治の外側から市民による新しい政治勢力をつくり出していくことへの強い意欲をもって世代も職業も違う一人一人が意識的に集まり、ボランティア登録やポスター行動に参加していた。


 れいわ新選組の全国ツアーは、このような地方の人人のなかに直接飛び込み、人人のなかでみずからの政策を検証し、表に出てこない切実な要求をすくい上げて政策に練り上げ、個個バラバラの問題意識を横に繋げて全国的な力を育んでいる。地道で骨の折れる仕事だが、各地の人人がみずからのたたかいとしてそれを支え、着実にその輪を広げている。


 山本代表は札幌駅前に集まった群衆に向かって叫んだ。

 「こんな地獄のような社会をつくったのが政治なら、これを変えていくのも政治だ。変えていけるのは皆さんだ。支持政党があるならばお尻を叩いて圧をかけてほしい。私たちれいわ新選組も例外ではない。政治は信じるものではない。宗教やアイドルなんかではない。皆さんの駒として、代理人としてしっかりと仕事をやらせる存在だ。私たちにも厳しい目と大きな愛で包んでいただき、一緒にこの国を変えていこう!」


 肌身を通じて人人の苦しみをつかみ、エネルギーに変え、相互に支え合う関係を切り結んでいくことで、れいわ新選組が全国的な社会現象をつくり出していることを目の当たりにした同行取材だった。有権者を無視した暴走政治が続けば続くほど、この「れいわ旋風」は日本中に広がっていくに違いない。(岡本)

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/13348

13. 中川隆[-13610] koaQ7Jey 2020年3月21日 18:17:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1272] 報告
大西つねき氏(れいわ新選組)の演説を文字で読む 現代社会が抱える金融システムの不条理
2019年7月12日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12166


岡山駅前でのれいわ新選組の街頭演説(10日)

 参議院選に10人が立候補した山本太郎率いる「れいわ新選組」が全国でくり広げている街頭演説や講演会が話題を集めている。そのなかの1人、元外資系銀行ディーラーの大西恒樹氏(全国比例)が10日、広島市内で講演会を開き、現代の日本社会が抱える金融・経済システムの不条理に焦点を当て、資本主義社会のもとで広がる貧困化、格差拡大、増税などの財政問題について問題提起をおこなった。現在の経済の仕組みを根本から問い直す内容が各地で反響を呼んでいる。大西氏の講演を概括して紹介する(掲載する図やグラフは同氏による提供)。

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 日本は世界一のお金持ち国にもかかわらず、7人に1人の子どもが貧困状態にある。私は3年前から地元神奈川県のある高校の図書館カフェでボランティアをしている。そこからは高校生たちの何気ない会話の中からいろんな問題が垣間見えてくる。学校や家庭の悩みに加えて、最近はバイトの悩みなども多く、日本中の企業が驚くほどブラック化していて、5月の10連休に高校生たちは10連勤している状態もあった。さらにはJK(女子高生)ビジネスといういかがわしいビジネスも横行している。そこから聞こえる何気ないSOSを拾って、しかるべき支援に繋げていくというボランティアだ。この子どもたちの一人一人の顔が、私が政治をやる非常に強いインセンティブ(刺激)になっている。

 そこからは、子どもの貧困はさらに悪化していることがわかる。教育困難校といわれる学校に行くと、3人に1人が生活保護だったりする。この世界一のお金持ち国の現実がすでにそうなっている。では、貧困状態にある子どもたちの何がいけなかったのか? それは生まれてきた境遇によるもので子どものせいではない。

 子どもだけの問題ではなく、大人も簡単に貧困状態に陥る状態にある。病気、ケガ、失業、離婚、災害…などでちょっとバランスを崩した瞬間に一気に貧困状態に突き落とされてしまう。そのようなことが簡単に起こる経済、社会の仕組みになっている。

 例えば、2011年3月の東日本大震災。私が政治団体を立ち上げたきっかけは、この大震災だ。当時、私は宮城県石巻市にボランティアとして通っていた。そのとき私はある民主党議員のところで復興支援室でボランティアをしており、民主党政権下だったので民主党の物資倉庫で物資のやりとりを担当していた。

 あるとき石巻のボランティア団体から電話がかかってきた。「石巻エリアで1500人くらいの人が食うのに困っているから、カップラーメンを2万食送ってくれ」という。だがすでに5月末で、みんな避難所にいっていて、そこには食料も物資もあるはずだ。「なぜ?」という違和感があった。すぐに2万食を送ったものの、何が起きているのか自分の目で確かめようと思い、翌日、車に布団を積んで石巻まで走って行った。

 石巻インターを降りると、すぐ左側に巨大なイオンが営業している。店内に入ってみると、土曜日の午後でもあり、人でごった返し商品も溢れている。まったく被災地感はなく、どこにでもある土曜日の混雑したイオンだった。「何かおかしいな?」と不可解さを抱きながら、そのまま沿岸部に向かった。女川トンネルを抜けた瞬間に景色が一変した。ぐちゃぐちゃになった車が積み重なり、ガソリンスタンドの支柱には車が刺さったまま宙に浮いている。そこで案内されたのは、食うに困っている人たちの代表のお宅だった。避難所ではない。被災後、その人たちも一度は避難所に行ったが、そこには限界状態にある人たちがたくさん集まっていて、プライバシーもない過酷な環境だ。


大震災と津波に襲われた後の石巻市雄勝町(2011年4月、本紙取材にて撮影)

 だから、自宅の1階まで水に浸かり、家の半分がぶち抜かれて泥だらけになり、家電製品が使えなくなっていても、自宅の2階に戻って住んでいた方がマシだということで、石巻では約1万世帯くらいの人たちが在宅被災者という形で自宅に避難して暮らしていた。

 実はいまだに同じ状況が続いている。数は少し減っているが、つい2カ月前にNHKが石巻の渡波(わたのは)という地域の在宅被災者のドキュメンタリーを放映していたが、そこはいまだに壊れた自宅に住んでいる。なぜかといえば、家を直すにも1000万〜2000万円かかる。支援金、義援金を合わせても全壊世帯で600万円。住宅ローンも抱えている。当時は被災で働けなくなり貯金を切り崩して暮らしていた。それが「食うに困っている人たち」の真実であり、だからこそ「1食でもタダでもらえるならもらいたい」ということでカップラーメン2万食という救済の声があがっていたのだ。

 その話を聞いたとき、これは震災の問題でもなく、津波の問題でもなく、巨大な金融問題だ、経済問題だと思った。結局、今の金融経済では困っている人たちのところにはお金がいかない仕組みになっている。

 おそらく他の理由でも同じようなことが起こる。病気、ケガ、失業、離婚…そういう理由で全国津々浦々で経済的に困る人が必ず出る。経済の仕組みがそうなっている。これから大きな問題になるのは高齢者の貧困だ。年金が足りず、2000万円の貯金がなければ大変だといわれているが、そんな額が簡単に貯められるものではない。当然、高齢になると病気もケガもしやすい。そのときに十分な貯金がなく、年金もわずかで、働くこともできなければ、もう誰も助けてくれない。そうやって一気に貧困に突き落とされ、誰にも知られることなく孤独死したり、将来を悲観して自殺するようなことが簡単に起きる。全国津々浦々で日常茶飯事のように起きることが容易に想像できる。

 高齢者だけではない。若者たちもちょっとバランスを崩したり、引きこもったり、いろんな理由で一気に貧困に突き落とされる人がたくさん出る。これも経済の仕組みに起因している。


豪雨災害に見舞われた広島県呉市天応地区(2018年7月12日)


3年たちながら仮設住宅暮らしを強いられている熊本地震の被災者たち(2019年4月、益城町)

お金に支配される本末転倒な社会

 私はもともとJPモルガンという銀行にいて、今の金融システムのど真ん中で働いてきたので、その仕組みがいかに残酷で、いかに格差拡大的であるかを身をもって体験している。震災の光景を見ながら、根本的な原因は金融システム、経済の仕組み、資本主義というような私たちの考え方、生き方にあり、これを根こそぎ変えなければ解決できないと感じた。これを根こそぎ変えるために政治団体を設立した。なぜかといえば、そんなことをいっている政治家も政党もどこにもいないからだ。今の金融経済がおかしい、今の金融システムがおかしい、資本主義はそろそろ限界だ、などといっているような政党はいまだに皆無だ。誰かがそれを大きな声でいい出して、新しい勢力をつくらなければダメだと考えた。

 むしろ、今の仕組みがおかしいということは、国会の中の人たちよりも、その外にいて毎日一生懸命働いても働いてもちっとも楽にならないという人たちの方がはるかに実感している。だから、そういう人たちに、今何が起きていて、何が本当の原因で、何が問題なのかをひたすら伝え続けて納得してもらい、その人たちの気持ちを集めれば必ず後で大きな数となり、本当に政権をとって国をひっくり返す。その先に今の仕組みを根本的に変えることができるだろうと思い、政治団体を設立した。

 2011年の被災地で、私の堪忍袋の緒を切った出来事がもう一つある。5月末か6月ごろ、石巻エリアで巨大な建物が建設され始めた。なぜ被災地にこんな巨大な建物をいきなり建てるのだろう? と思ったが、これはきっと病院や、当時泊まる場所がなくて寝袋を持ってきていたボランティアが寝泊まりできるような復興の手助けになる施設ができるのではないかとワクワクして見ていた。何カ月か後、初めてそれが何かがわかったときに衝撃を受けた。二つとも巨大なパチンコ店だった。自分の中で何かがブチッと切れた。

 確かに今の金融経済では、お金は物凄いスピードでもうかるところへ移動する。困っている人のところにはお金はいかない。もうからないからだ。ある人はいうかも知れない。「当たり前だよ。それが金融資本主義だから」「そういう仕組みだから」と−−。だが、それを「そういう仕組みだから」という理由で鵜呑みにし続けていいのだろうか。困っている人を助けるためにどうすべきかを考えなければいけない。お金も経済の仕組みもそのためにあるべきだ。その本質が忘れ去られ、いつの間にかカネ、カネ、カネの社会、経済になってしまっていることから変えなければ、人間の生き方や人生までおかしくなってしまう。私は、生きて働いて、死ぬときに「何をしたのか?」という自問に答えられないような人生を送ってしまうことに気付いたとき、絶対にこれを変えてやると思った。お金に支配された社会、経済を根こそぎ変えなければ、個人の心の自由も、自分の人生における時間をどのように使うのかという基本的な人権も奪われ続ける。

 週に5日も6日も会社の上司や株主など金持ちのいうことを聞かなければいけない生活を強いられ、場合によっては残業をやらされ、わずかに残った自分の時間だけ自由に過ごせるという人生を30年、50年続けて、最後には何のために生きていたのかわからない状態になるほど歪んでしまっている。自分でコントロールできるはずの時間を一人一人に返さなければいけない。奪われてしまっている時間の解放は、金融経済を変えることによって可能になる。これは未来の子どもたちにとっても非常に不公平な仕組みだ。ひたすら作って、消費して、壊すというサイクルを続ければ地球の環境も悪化し、あらゆる種を絶滅に追い込んでいくことになる。これを根こそぎ変えるには、国家経営の間違いも含めてまったく新しい社会を描かなければいけない。それは世界を変えることでもあり、そのために日本だからこそできることがある。

世界一の金持ち国で340兆円のタダ働き

 冒頭にいった「日本は世界一のお金持ち国」であるという事実はあまり知られていない。だがこれは紛れもない事実だ。主要国の対外純資産【表参照】を調べると、日本はプラスの341兆円で1位。ドイツが2位、中国が3位。そして、アメリカ合衆国がなんとマイナスの1076兆円。日本はこの数十年間不動の1位だ。かたやアメリカは不動の最下位。世界中から借金をしている世界一の借金大国だ。トランプのディール外交というのは、この莫大な借金を解消するために米国製品をひたすら売る。とくに日本に対してポンコツのオスプレイとかGMO(遺伝子組み換え生物)食品、F35、詐欺まがいの金融商品とか、バカ高い医薬品とか、とにかく何でもいいから日本に買わせて世界一の日本の資産を奪っていこうとするものだ。中国に対するプレッシャーも、3位にいる中国人に25%の関税をかけ、「アメリカに売ってばかりでなくて買え」と圧力をかけているのが米中貿易摩擦だ。トランプの政策はとても単純だ。世界一の借金を負っているから少しでも米国製品を売ってそれを解消しようとしている。

 では、日本はなぜこれほど大きな資産を持っているのか。それはみなさんがこの30年間黒字を稼ぎ続けてきた結果だ。日本は戦後復興を貿易立国、輸出主導型でずっとやってきた。海外に製品をたくさん輸出し、輸入を少なく抑えることで黒字を稼いだ。その結果たまった黒字341兆円は、実際には3兆jの外貨で円ではない。国際決済はドルでやってきた。原油もドルで買うし、輸出の代金もドルで受けとる。だから黒字もドルで貯まる。アメリカの1076兆円の赤字も円ではなく、約10兆jのドルを借りている。そのドルは黒字国が貸している。

 では、なぜ世界一の黒字を稼いでいるのにみなさんにその実感がないのか。それはこの稼いだ3兆jがみなさんのために使われないからだ。この黒字は使わなければただの紙切れだから当然投資する。ドルならドルを使うアメリカに投資する。この3兆jはその国で使われる。労働者の賃金を払い、つくった製品も国内に提供し、米国内で循環する。日本には入ってこない。黒字が増え続けたとしても海外投資になるため日本のみなさんは受けとれない。だからまったく実感がない。家庭に例えるなら、親が「わが家は世界一金持ち」といいながら稼いだお金を全部貯金して使わなければ、子どもは「嘘だね。何も買ってくれないじゃないか」というだろう。それと同じ状態で、何一つ受けとれていない。

 それどころか、この30年間みなさんはとんでもない働き方をさせられてきた。1971年から2016年までの為替レート【グラフ参照】を見るとそれがよくわかる。1971年には1j=360円だった。これが今は110円くらいになっている。円の価値が3倍になり、ドルが3分の1に下がっている。その契機が1985年のプラザ合意だ。

 プラザ合意とは、ニューヨークのプラザホテルでG5(主要5カ国)が集まって、各国の協調介入でドルを下げることを決めた合意だ。なぜかといえば、当時のレーガン米政権は「強いアメリカ」であるための「強いドル政策」をしていた。強い自国通貨のドルで労働者に高い給料を払えば、その国の労働者がつくった製品は高くなる。そのかわりに、逆に海外からは物を安く買える。自国の通貨が高いため、輸入ばかり増えて、輸出はしにくくなり、その結果大赤字を抱えた。一方、戦後復興を輸出主導型でやってきた日本と西ドイツはともに戦敗国であり、戦後賠償もあったので輸出で稼いで貿易黒字が続いていた。アメリカは「いい加減に黒字を稼ぐのをやめろ」といって、西ドイツのマルクと日本の円の為替レートを上げることによって、これらの国の黒字を減らしてアメリカの赤字を減らそうとした。


プラザホテル

 その結果、プラザ合意前夜に1j=230円だった為替レートが、2年以内で一気に1j=120円にまで真っ逆さまに落ちた。ほぼ半額のドル安、2倍の円高だ。簡単にいえば、1j=200円が100円になった。日本の輸出企業にはたいへんな事態で、今まで200円のコストで作っていたものが1jで売れていたのに、2jで売らなければならない。海外からすればまったく同じ製品が値段が2倍になるため、日本製品は高すぎて買えないということになる。逆に、海外からの輸入では2j(200円)していたものが1j(100円)で買えるようになる。輸出がしにくく輸入がしやすいので赤字になる可能性がある。つまりアメリカに「日本の貿易収支を赤字にしろ」と要求されたのがプラザ合意だった。

 日本は何をしたか。確かにバブルの3年間はそれをやって金融緩和でお金を回し、みんながそれを使って遊んだので輸入が増えて輸出が減った。それで黒字が少し減った。だが、バブルが崩壊して景気が悪化すると、何とか景気を回復させようとした。

 日本の経済構造は輸出企業が中心だ。彼らはコストカットを始めた。1j=200円のときに200円でつくっていたものをそのままのコストでつくったのでは円高で値段が倍になって売れない。それなら、今まで200円でつくっていたものを100円のコストでつくれば、これまで通り1jで売れるという話だ。要するにコストをカットすればなんとか売れる、売るためにコストをカットする、ということを景気回復のためにひたすらやってきた。

 だが、コストとは、そのまま誰かの売上であり給料だ。それを30年もずっと削り続けて3兆jも稼いだわけだ。半分のコストでつくるといっても人間が2倍の速度で働けるわけもなく、要するにコストカットの名の下に、みなさんが受けとるべき給料や代金がちゃんと支払われなかったということだ。これが支払われていたら製品の値段は上がるので、輸出が伸びず、3兆jも資産は増えなかったかもしれない。つまり、みなさんが自分の身を削り、無理矢理安くつくって、3兆jの黒字を稼いだということだ。胸に手を当てて考えてみてほしい。日本で横行しているサービス残業とは何か。働いているのに給料がもらえないということだ。海外の労働者にしてみれば狂気の沙汰だ。

 この3兆jはみなさんが受けとらなかった分であり、みなさんのタダ働き分だ。現在は1j=110円だから330兆円、1j=200円だったことを考えると600兆円だ。これだけの給料を受けとらないまま、それだけのタダ働きをして世界一の3兆jの黒字を稼いでしまった。しかも、その3兆jはほぼ海外に貸しっぱなしでみなさんは受けとれていない。

 今アベノミクスの賃金偽装疑惑みたいなもので、「実は賃金が〇・何%低かった」というような細かい話をしているが、いかにみなさんが受けとるべき給料が受けとれていなかったかは、もっと大きなデータを俯瞰して見ると一目瞭然だ。

お金の量は5倍に増えたのに給料は削減

 ここに1980年から2018年までの4つのデータ【グラフ参照】がある。すべて日銀からとってきたデータだ。4本の線のうち、マネーストックM2というのは、日本中の現金・預貯金(ゆうちょ銀行や農協に預けたお金を除く)をすべて足した額だ。つまり、日本には今お金がいくらあるのかという数値だ。

 1980年にはマネーストックは200兆円だった。それが2018年には1000兆円を超えている。このあいだに5倍に増えた。私が就職した1986年のマネーストックは340兆円だった。このとき私が会社から受けとった初任給は20万円だった。そして、私の息子が就職した2017年のマネーストックは990兆円。息子の初任給はまったく同じ20万円だった。31年たってお金が3倍に増えているにもかかわらず、大学生の初任給は変わっていない。私は外資系金融機関だったので他よりちょっと高かったかもしれないが、それほど極端な金額ではない。600兆円のお金が増えながら、この30年間ほとんど給料は上がっていないという話だ。ではその600兆円はどこにいったのか? みなさん薄々気づいているだろう。日本の大企業の内部留保は600兆円とか、500兆円といわれる。

 この内部留保は、会社が従業員に給料を払うのをやめて、安い法人税を払うと溜まる仕組みになっている。もちろん内部留保は全部現金ではないが、その資産はお金があったから買えたものだ。

 対外資産の3兆jはみなさんに支払われなかったものだと考えると、この30年で日本の企業というのは給料を払うのをやめたということだ。昔の日本の企業は「三方よし」などといわれ、従業員、お客様、株主みんなのためにあったはずだが、小泉・竹中改革あたりから政財界は「会社は株主のもの」という明確な答えを出した。利益を上げるのがよい経営者で、利益を上げないものはクビになる。ひたすら株主のために利益を上げ続けるし、そのために従業員の給料はひたすら削り続ける。みなさんは削るべきコストだ。人間をコストとするのが今の企業経営になっている。そういう仕組みの中で、法人税を下げたり、株式売買益に対する課税が極端に低かったりする。すべて一部の株主のためだとしか思えないような国家経営をずっとやっている。

 この30年間、間違いだらけの国家経営をしてきた。現在の自民党政権がやり続けてきたことだ。だが問題は、この間違いをどの野党も指摘できていないことだ。わかっていないもの同士のプロレスごっこが続いている。私がれいわ新選組から立候補したのは、真実を知らせて彼らの無能を理解してもらい、外に新しい勢力をつくって中に殴り込みをかけるしかないということをわかってもらうためだ。

GDPが上がればよいか 国民の幸せは置き去り

 彼らには、国家経営という概念すらない。強いていえば、「GDPを上げる」「株価を上げる」という浅はかな答えが返ってくるだろう。みなさんが幸せになった結果、GDPや株価が上がるというなら別に悪くないが、これが目的になってしまうと完全に本質を見失う。

 残念ながらこの国の首相は就任した途端に「GDP600兆円」みたいなことをいっていた。そのための「一億総活躍」だ。みんなが活躍して稼げばGDPが上がる、それがみなさんの幸せと信じて疑わないという浅はかな思考の持ち主がこの国の首相だ。

 経済成長の目安にされているGDP(国民総生産)とは、1年間にどれだけのお金が動いたかというだけの指標だ。今までお金の交換でなかったものをお金の交換にすれば上がる。例えば、子育てを保育サービスにするとGDPが上がる。母親が保育料を稼ぐために外に働きに出るとGDPが上がる。それで時間がなくなったから、自分でつくっていたご飯を外で買ってくるようになればGDPが上がる。介護も同じだ。そうしたい人はそれでもいいが、子育てや介護のために自分の手を掛けるとGDPは上がらない。

 GDPとは、消費+政府支出+投資+純輸出だ。純輸出とは、輸出から輸入を引いた差であり、黒字になればプラスで、赤字になればマイナスだ。日本の戦後復興はこの純輸出をプラスにするところからはじまった。焼け野原で資源もないから、まず資源を輸入しなければ生産ができない。輸入するにはドルが必要になる。だからドルを借りて資源を輸入し、それを加工して輸出して黒字を稼ぐとそこからドルを返せた。黒字をたくさん稼ぐと輸入がさらに増やせた。戦後はなにもないから、原材料を輸入してたくさんつくっても飛ぶように売れた。純輸出が増えれば消費が増え、たくさんつくるための投資も増え、政府支出も増える。全部がプラスだからGDPはずっとプラスだ。これで戦後復興を30年、40年ずっとやってきた。その結果、何も考えなくなり、GDPがプラスならいいと思い込み、そこで政治家も官僚も思考停止してしまった。

 戦後復興はそれでよかったが、1985年のプラザ合意でアメリカから円高にされても基本的にやっていることは変わらない。そして、純輸出を上げるためにみなさんの給料を削った。それで売って稼いだ3兆jの黒字は海外に貸しっぱなしで、みなさんの幸せは置いてけぼりになっている。

 売上や給料を削ったために、みなさんが好きなように消費し、自由に時間を使うことができない。それで消費が伸び悩んだとしても、輸出を維持し、作るための投資をし、政府が赤字を垂れ流しながら支出を続ければ、差し引きでGDPはプラスだ。これで「経済成長してます」「政治はうまく機能しています」と政治家も官僚も大手マスコミもずっと言い続け、野党もこれを指摘できない。経団連は輸出企業の塊みたいなものだが、これらが巨額の献金を自民党にすれば輸出企業に有利な政策をする。それによって労働者の幸せなどはとうの昔に置いてけぼりだ。これがこの30年間の日本の国家経営だ。

 いまだに東京五輪をやって外国人にお金を落としてもらえば経済が活性化し、GDPがあがるなどという。五輪で観光客が来たところで落とされるのは外貨であり、輸出と変わらない。いくら黒字を稼いでも海外に貸しっぱなしになって受け取れない。TPP(環太平洋経済連携協定)でも「これで日本の輸出が伸びる」という。そんなことをやってもみなさん幸せになれないことは30年間で証明されているにもかかわらず、いまだにそんなことを言っている。それに対して新しい提言をすべき野党が同じかそれ以下のレベルだからずっとこれが続いている。

 黒字を稼いでも使わなければ意味がない。どうやって使うかは簡単だ。政府がお金を作って配る。1人100万円でいい。あくまでこれは、れいわ新選組の公約ではなく私個人の持論だ。4人家族なら400万円もらえれば現役世代は使うだろう。働く時間を減らして、その分遊ぶ余裕ができれば、消費が増える。消費が増えるから資源の輸入が増える。生産が減るので輸入が増える。もしかしたら赤字になるかもしれないが、むしろ赤字にしなければいけない。赤字にすることが黒字を使う唯一の方法だからだ。政府が国家経営を誤ったために支払われなかった3兆jを「黒字還付金」として国民に配る。1人100万円を1億3000万人に配っても130兆円。タダ働き分の3分の1に過ぎない。それでも赤字がたいしたことなければ1人あたり8万円のベーシックインカムを2年くらい配ることだってできる。これは実は日本だからできることだ。日本がタダ働きで品質のいいものをつくると世界が迷惑する。黒字が出るということは、どこかが赤字なのだ。この構図が続くことは持続可能な社会とはいえない。

借金でお金をつくってきた現代の経済システム

 もう一つは、財政金融の考え方を根本的に間違え続けてきた。政府の借金が大変だから税金でそれを返し続けなければならないとか、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の達成、つまり税収の範囲内で支出を抑えなければならないという発想だ。財務省をはじめ大手メディアもずっと言っている。これは全部大ウソ、大間違いだ。なにもわかっていない人の世迷い言でしかない。

 実は政府の借金とは、政府の無駄遣いのせいでも、税収が足りないせいでもない。もっと根本的な原因はいまのお金の発行の仕組みにある。いまのお金の発行の仕組みを続ければ、世界中のほぼすべての国は赤字(借金)まみれになるという帰結になる。そのお金の発行の仕組みを続けている限りは政府の借金問題は絶対に解決しない。

 では、「お金の発行の仕組み」とはなにか。日銀券だから日銀が発行していると思っているだろうが、それではつじつまが合わない。お金がどれだけあるのかは、さきほど見たとおり1980年に200兆円だったものが現在1000兆円を超えている。800兆円以上のお金が増えている。みなさんがお金だと思っている日銀券は、日本中の紙幣をかき集めても100兆円にもならない。誰がどう見ても計算が合わない。お金の量は1000兆円を超えているのにお札は100兆円しかないのだから。

 では、どうやって800兆円も増えたのだろうか。現金・預貯金の総額であるマネーストックM2というのは、日本中の個人や企業が自分のお金だと認識しているものを足したものだ。みなさんも自分のお金は財布の中だけでなく、預金通帳の中にあるものも含めて自分のものだと思っているだろう。1000兆円あるうち100兆円しか紙幣がないということは、ほとんどが預金でしかないということだ。実際には存在しておらず、あると勘違いしているだけだ。では、どうやってその勘違いが生まれるのか。それがいまのお金の発行の仕組みの正体だ。

 現代のお金の増やし方=信用創造の仕組みを説明する。

 例えば、Aさんが100万円をA銀行に預けに行ったとする。するとA銀行は金庫に入れ、運用もする。銀行には預金準備制度というのがあり、預かった預金のごく一部を日銀に預けなければいけない仕組みになっている。仮に預金準備率が1%とすると、100万円の預金を預かったA銀行は100万円の1%(1万円)を日銀に預けて、残りの99万円を貸すことができる。私がA銀行にお金を借りに行くと、銀行は必ず口座を持たせる。なぜかといえば私が99万円を借りると私の預金通帳に99万円と書き込むだけだからだ。これで私は自分が99万円を持っていると思う。Aさんも口座に100万円持っていると思っている。その時点でお金は199万円に増えている。ただ私は借金だからあまり自分のお金とは思えない。

 だが私がB銀行の誰かに99万円を送金してしまえば、それを受けとった誰かはその99万円を純粋に売上か給料かわからないが自分の預金として認識する。これがもともと私の借金であるかなど知らないし、気にもしない。晴れてめでたく、Aさんの100万円の預金は99万円の預金とあわせて、もともと100万円だったお金が199万円に増えることになる。新たに99万円を預かったB銀行は、そのうち1%の9900円を日銀に預け、98万100円をまた誰かに貸すことができる。また同じことが起きる。これをC銀行の誰かに送金すれば、その誰かは98万100円を純粋に自分の預金と認識し、これを預かったC銀行はまた1%(9801円)を日銀に預けて、残りの97万299円を誰かに貸すことができる。もうこの時点で、私の99万円を受けとった人は99万円を持っているし、これを借りて送金した相手は99万100円を持っていることになる。もともとお金を預けたAさんはお金を1円も動かしていない。預金通帳に100万円と書かれたまま。だがお金は300万円に増えている。

 これをぐるぐるとやっているうちに、貸せる金額は1%ずつ減っていくが、100万円の元預金÷預金準備率1%=1億円までお金を作り出すことができる。これが信用創造という現代のお金の発行の仕組みだ。こうやってお金が増えている。その結果、みなさんそれぞれが1000兆円持っていると勘違いしているという状態だ。実際にはもっていないのだから勘違いにすぎない。実際に存在しているのではなく、銀行が誰かに借金を貸すことによって作り出した数字が電子的に回ってきて、それをみんながお金と認識し、自分のものだと思っている。みんなが一斉に銀行にお札を取りに行っても金庫にお金があるわけではない。

拡大し続ける巨大なイス取りゲーム

 「借金でお金を作る」――この仕組みが意味することは、借金を返すとお金が消えるということだ。最初に私が99万円借りたときには、99万円のお金を作り出し、それを使うこともできる。だが私が返せないかもしれない…と弱気になってすぐ返したとする。返した途端に相殺してお金も消える。仮になんとか借り切ってなにかに使ったとすると、私の手元に残るのは99万円の借金だけだ。もし1年ローンだとすると、1年以内に99万円を世の中から集めてこなければ私はたいへんなことになる。だから1年後に99万円を集めて借金を返すと、同時に世の中から99万円のお金を消して自分の借金を相殺して消すことになる。これはすぐに返しても1年後でも同じだ。

 これが意味するものは、現代のお金はほとんどが借金で生まれているということだ。だからみんなが借金を返してしまえばお金が消える。つまりみんなが借金を返してはいけない仕組みなのだ。ただ、だからといって銀行からお金を借りて「お金を返したらお金が消える仕組みだから返さない」といっても銀行は納得しない。必ず返せという。だからみんな毎月返済する。その分お金は消えている。でもお金が減らないのは、その分誰かが借りているからだ。誰かが返せば、誰かが借りて新しいお金を生むという自転車操業だ。返した分、誰かが借り続けなければいけない。

 しかも問題は、元本分だけ返すのではなく利息が付く。私も99万円返せばいいのではなく5%の利息なら104万円返さないといけない。借金によって元本分しかお金は生まれていないのにそれ以上のお金を集めようとする。それで何が起きるかといえば、お金が足りなくなる。発行されていないのだから−−。

 例えばこの部屋に100人いたとして、1人100万円ずつ銀行からお金を借りて経済を回すとする。それぞれの銀行口座に100万円と記入されてスタートだ。みなさんがマッサージでも占いでもそれぞれサービスを交換し、お金を払ったり、貰ったりして経済を回す。1年後に100万円ずつ借金を返さないといけない。返してしまえばお金は消える。ここに5%の利息が付けば、みんなが1年後までに105万円ずつ集めようとするとお金が足りない。100万円×100人=1億円のお金しか回っていないのに、利息を含めて1人が105万円返そうとすると500万円足りず、必ず誰かが破たんする。いまの金融システムは巨大なイス取りゲームなのだ。

 みんなが破たんせずに105万円を返済するには、あと500万円が余分に必要だ。そのためには誰かが借金をする必要がある。ここにもう5人いて100万円×5人=500万円の新たな借金が生まれ、それがみなさんのところにいけばめでたく利息も返済できる。だがそのときはお金が消えている状態で、この5人の手元には500万円の借金しか残らない。この人たちが返すためにさらに5人が必要になる。そして、もともとの1億円のお金があった状態に戻すためにはもう一部屋必要になる。100万円お金を借りる100人だ。つまり、どんどん部屋が大きくなって増えていかなければ回らない。

 人口が増え続け、借りる人も増え続け、その人たちが必要とする価値(いろんなサービスや製品)が増え続け、作れば売れ続けるような高度成長期のような状態が続けばいいが、そう長くは続かない。経済成長は必ず止まる。借金でお金を増やし続けなければいけない経済も必ず立ちゆかなくなる。

「政府の借金=お金の発行」 という仕組み

 では、実際どうなったのかを先ほどのグラフで見てみたい。日本の現金・預貯金の総額である@マネーストックが200兆から1000兆円へと5倍に増えている。右肩あがりに堅調に伸びているのは、お金と借金が増え続けなければいけない金融システムだからだ。お金を作るために作った借金に利息が付いてどんどん返す金額が増え、それを返すためにどんどんお金が必要だったといことだ。当初は、青い線のB民間銀行貸出が並行に走っており、借金がお金を作っていたことがわかる。

 ところがあるときを境にこの2つの線が乖離していく。CGDPが増えなくなり、すっかり横ばいになる。そうすると銀行は誰に貸し続けるのか。1億3000万人しかいないのに同じ人たちに対して永遠にお金と借金を増やす続けることなどできない。B民間銀行貸出が下がっていくのは、それが実際にできなかったというデータだ。

 バブルが崩壊してから銀行は不良債権を処理し、貸しはがしや貸し渋りで実は100兆円近く貸し出しを減らしている。貸せる相手が見つからないから、その後も伸ばせていない。貸さないが、いままで借りた人は「返せ」といわれて返し続けるから、だんだんお金は減っていく。新たな借金がなければお金は減る。

 だが、@マネーストックはまっすぐ増えている。では、誰が借金をしているのか。答えは赤い線A国債残高だ。民間銀行がマネーストックを支えきれなくなってから急激に日本の国債残高が上がり、いまや並行して上がっている。つまり、政府が借金をしてお金を発行し続けたということだ。民間の借金にかわって政府の借金でお金を作ってきたということだ。これはすべて日銀のデータだ。その気になれば誰でも引っ張ってこれる。みごとに政府の借金がお金を作っていることが証明されている。

 いまや1000兆円のみなさんのお金に対して政府の借金は900兆円だ。この900兆円を返すために900兆円の税金を集めれば、みなさんの預貯金はほとんどなくなる。政府が借金でお金を作っているのだから、政府が返済すればマネーストックも道連れにして下まで下がっていく。だから政府の借金がたいへんだから税金を上げなければいけないとか、消費税を上げなければいけないというのは全部大ウソだ。まったくあり得ない世迷い言でしかない。プライマリーバランスも同じだ。でもそれを政府もマスコミも言い続けている。

政府の借金を税金では消せない

 政府の借金でお金を発行するというのは、どういうメカニズムなのか。日本の政府の一般会計における税収は年間約50兆円だ。例えば、政府が50兆円の税収を集めれば、みなさんの預貯金が同額減る。それに対して50兆円の予算を組んだとすると、政府の予算というのは公務員給与とか政府支出で民間に行く。集める相手と渡す相手が同じ人とは限らず、ひどく不公平なこともあるだろうが、経済全体としては50兆円の税金を集めて50兆円使うことによって、みなさんに50兆円戻すことになる。基本的には「行って来い」の差し引きゼロだ。

 もし70兆円の予算を組んだとすると、みなさんから50兆円集めたうえで、政府は借用書(国債)を書いてそれを銀行に買わせる。銀行がそれを買って20兆円を政府に払う。この20兆円はみなさんの預金から出ていることになる。だが、政府の借金を銀行が買うからといって、みなさんの銀行の預金残高は1円も減らない。減れば誰もが怒るだろう。

 そうならないのは、銀行は20兆円分のお金をつくって政府に貸しているからだ。先ほどの例えでAさんが100万円の預金をし、僕が99万円を借りるときにAさんの預金が減らないのも、銀行が99万円をつくって貸しているからだ。政府が銀行に借金をするときも同じ事が起こる。そうすると、政府は集めた税収50兆円に加えて20兆円分の新しいお金を手に入れて、70兆円を政府予算で使う。

 そうすると最初の50兆円の税金を払ったみなさんは、70兆円戻ってくるので差し引きで20兆円分増えている。受けとっている実感はなくても誰かが受けとって、そのお金がぐるぐるまわって全体としてみなさんの預金を20兆円増やしている。この20兆円と政府の借金20兆円が同じなのは偶然でもなんでもなく、両方が並行して上がっていく。だからグラフもその通りになっている。これが政府の借金でお金を増やすメカニズムだ。

 では逆に政府の借金を税金で返すというのはどういう意味か。例えば、政府の借金を返すために税収を70兆円に上げたとする。みなさんのお金が70兆円減ってしまうが、その後に50兆円の予算しか組まなければ、差し引き20兆円みなさんのお金が消えてしまう。どこに行くかといえば、それは政府の黒字だ。その黒字で借金を返すので、政府の借金とみなさんのお金を20兆円分相殺して消す。借金を返せば、その分のお金が世の中から消えるのは当然のことだ。これをずっとやれば政府の借金は減るが、そのかわりみなさんのお金もほぼ消えてしまう。論理的にありえない話だ。当たり前のことなのだが、ずっとわからないままやり続けて、ようやく去年ぐらいからMMT(現代貨幣理論)が話題になりはじめた。

 現代貨幣理論とは、政府が借金をしてお金を発行し続ければいいという話だ。まさに日本が数十年間やっていることだ。必ずこうなる当然の帰結だ。政府の借金でお金を発行し続けたのだから−−。そうでなければ回らない金融システムだ。民間の信用創造、民間の借金によるお金の発行は必ず頭打ちになる。地球は一個しかないのだから、経済成長は必ず止まる。お金と借金を増やし続けるようなことが続くはずがない。この金融システムを維持するために誰かが借金をし続け、お金を発行し続けなければ立ちゆかない。最後まで借り続け、1円も返さなくても借り続けられる政府が借金をし続けてお金を発行し続けなければ、今の金融システムを維持する方法はない。

 だからMMTとは、この仕組みをただ単に認めたということに過ぎない。仕組みの結果を認めただけで解決策ではない。そのままそれをやればいいという話ではない。私のことをMMT論者だと誤解している人もいるが、それは間違いだ。

 なにが根本的な問題なのか。それは、借金でお金を発行する仕組みそのものだ。このまま借金を続けることは大きな問題があり、政府の国債のもとに年間9兆円もの利息を発生させている。利息とはお金を持っている人がお金を増やす仕組みだ。持っていない人にお金を貸してもっとお金を貰う。年間9兆円だ。日本政府の国債のもとに30年間で300兆円以上の利息が発生している。つまりそれだけお金を持っていない人からお金持ちに所得が移転されているという話だ。なぜお金という公共のもの(それがなければ経済が回せないもの)をつくるのに利息が発生し、その利息が富める者を富ませ、貧しい者から奪い続けるのか。こんなものは社会にとって意味がない。

政府通貨という発想

 唯一の解決策は、誰の借金でもないお金を政府が責任をもって発行することだ。早くこれに気づかなければ所得の移転が進み、いまの金融経済そのものが巨大な格差拡大マシーンになっていくし、すでになっているということだ。

 私が考える政府通貨とは、1兆円紙幣でいい。この1兆円×130枚を日銀に預けるとする。それを日銀は金庫に入れて、政府の預金口座に130兆円と数字を書き込む。あとはそれを普通にみなさんに送金すればいい。1人100万円ずつ。みなさんの預金口座50万円だったものが150万円になる。それを使うときにはいままで通りに送金したり、1万円札で引き出せばいい。政府貨幣が現行の貨幣と混同されることはない。政府貨幣1兆円は日銀の金庫の中に入ったまま二度と出てこない。それならスペースを取らない1兆円札でいい。

 政府の借金を消すときも、政府が1兆円紙幣を900枚作ればいい。それを日銀に預けて金庫に入れると、政府預金口座に900兆円と書き込まれるだけだ。あとは、それをお金を貸してくれる人に返せばいいが、政府の借金はほぼ銀行がまかなっている。銀行が国債を山ほど持っていた。「持っていた」と過去形にしたのはアベノミクスの異次元金融緩和で、日銀が銀行から山ほど国債を買ってしまっている。半分以上の500兆円ほど買ってしまっている。それでなにが起きたかといえば、なにも起きていない。インフレにもなっていないし、金融的になにも起きていない。それなら全部買ってしまえばいい。

 それで何が起きるかといえば、日銀の金庫の中に900兆円の国債が入っている。これは政府に貸している分だ。日銀の政府預金口座に900兆円があり、政府が借りた900兆円の国債と政府から預かった900兆円が同じ日銀の中に両方あるという状態になる。相殺して消してしまえばいい。これを消したところでみなさんはなにも感じない。おそらく蝶が羽ばたいたくらいの感覚しかない。

 だが、このバタフライ・エフェクトは必ず大きな変化を起こす。なぜかといえば年間9兆円発生していた利息が消滅する。この30年で300兆円もの所得を移転してきた巨大な格差拡大マシーンが止まる。誰が一番困るかと言えば、それでもうけ続けてきた銀行だ。銀行はこの仕組みによって、いままで900兆円、半分買われて400兆、500兆円という利息を得てきた。それが買い取られていきなり現金に変わる。だから収支を圧迫しており、いまや青息吐息だ。日銀は銀行から国債を買って、銀行に「民間にお金を貸しなさい」とプレッシャーを掛けている。それは銀行がお金を貸してはじめてお金が生まれる仕組みからだ。これが金融緩和の本質だ。でも、それができていない。つまり日銀も大したことはやれていないということだ。日銀から全部の国債を買われてしまうといくつかの銀行は潰れる。いろんな手当てをしたうえでやっているが、原理はそういうことだ。このように考えると国家経営も根本的に変わっていく。

忘れ去られている税制の本質

 税金とはなにか。ほとんどの人が、使うために必要だから集めると思っている。実際には、日本政府はこの50年間ほとんど赤字でやっている。前回の東京五輪の翌年に建設国債を発行してから、何年かの例外を除いてずっと税収よりも多い予算を組んで、足りない分を政府の借金で賄ってやってきた。足りない分お金をつくってきたし、それができていた。それができるなら別に集めなくてもいい。全部借金でお金を作って使うこともできる。本当は使うために集めているのではない。

 だから無税国家にすることも可能だ。政府通貨でお金をつくって全部の政府支出を賄えばいい。税金をゼロにするとみなさんが余計にお金を手にして余裕が生まれ、働く時間を減らし、そのお金と時間を使って休んだり、より文化的な生活が送れる。すると消費が増え、輸入が増える。赤字になるかもしれないが、もしそれで大した赤字にならなかったら、そのまま無税国家ができる。日本は世界一の黒字国だから赤字にしていい国なのだ。

 ただ、だからといって税金をゼロにすればいいとは思わない。税金にはもっと大事な、思想の反映とか国家の形をつくるという側面がある。つまり税金は使うために集めるのではなく、国の形をつくるためにある。それはわれわれの考え方に従って決めるものだ。

 例えば、所得税が累進課税になっているが、これはお金持ちから余計にとって貧しい人に回していく。これは「所得の再配分」という思想の反映だ。ある程度所得を平準化させて格差を縮めるということだ。みなさんがそのような社会を望むからそう決まっている。

 相続税を0%にするか、100%にするかも明確に思想が違う。相続税0%ならばお金持ちの家庭は子や孫もお金持ちという富の格差が世代を超えて続く。100%にすれば富の格差は一代でなくなる。みなさんがどちらの社会に住みたいかによって、その思想を税制に反映させればよいものだ。それによって税制も税金も変わっていくし、それこそが政治の本質だ。

 このような税制の本質を忘れ去って、お金が足りないから課税する、政府の借金が大変だから消費税を上げる…という、お金を集めるためのつぎはぎ税制になっている。

価値を生み出さないマネーゲームを優遇

 さらに、政治家が点数稼ぎをするためのおかしな税制になっている。

 私が非常におかしいと思うのは分離課税だ。それは金融課税。株式の売買や配当に対して所得税とは別に税金が課税される。それが一律20%だ。つまり、株式でいくらもうけようと、配当でいくら稼ごうと一律20%しか課税されない。一時は10%まで減税されていた。それに対して所得税の最高税率は45%だ。地方税も合わせると50%以上とられる。

 株式の売買や配当はなにも生み出さない。右から左にお金を動かして、結局なにも作っていない。そういう所得に課税される分離課税がたったの一律20%だ。逆に、所得税というのは基本的に自分たちで働いて価値を作り出している人たちが払う税金であり、それに最高55%が課税される。価値を作って働くよりも、他人のふんどしで相撲をとって右から左にお金と所有権を流す方が低税率で得だから、そうしなさいというのが今の政府だ。

 だが、みんなが株式の売買だけを始めたら国は滅ぶ。株式売買といってもその株式会社で実際に価値を作り出して働く人がいなければ株価など上がらない。みんなが株式の売買をやれば国が滅ぶのに「それでいいですよ」というメッセージをこの国の税制は発しているということだ。完全に狂っている。

 その結果どのようなことが起きているか。所得によってどれくらいの税負担があるかを国税庁の資料【グラフ参照】でみると、一番高い28・7%の税金を払っているのは1億円プレイヤーだ。この人たちがだいたい所得税を払っているサラリーの上限だ。そこから先は税負担が下がり、右端の100億円以上稼いでいる人たちは、金融課税が10%だった平成25年度では11%しか払っていなかった。翌年に税率が20%になっても所得に対して17%しか払っていないということだ。

 つまり、100億円以上稼ぐ人たちは所得税など払っていないということだ。所得税は税率が高くて損だからそういう稼ぎ方はしないのだ。いまの税制の結果だ。税率が低いのは株主優遇なのだ。例えば外国人株主がすごく多いとか、売買を盛んにさせて株価が上がれば「政治家がうまくやった」とか、GDPが上がれば「経済政策が成功した」という。思い込みの点数稼ぎをやっていると、みなさんの本来の働き方や生き方、幸福は全部置き去りになる。そろそろ「おかしいだろ」と誰かがいう必要があるし、それをみんなが理解し、こんなものは変えようという機運をつくる必要がある。

 山本太郎代表は、分離課税と所得税を一体化させて総合課税にして累進課税をかければいいと主張している。もちろんそういう考え方もある。だが私個人の意見はもっと過激で、分離課税をそのままにして思いっきり課税すればいいと思う。1年未満の株式売買で得た利益に対しては99%課税する。要するにやめろという話だ。1年未満で株式を売ってもうける人がこの社会に必要なのか? それは誰のためになっているのか? そんな人はいらないし、そんな行為がいらない。

 1〜3年の株式保有でもうけても85〜90%。3〜5年なら80%。5年以上もってようやく70%と、どんなに保有しても所得税の最高税率より低くならないようにすればいい。そうすると外国人投資家が裸足で逃げ出す。株価は落ちるかもしれないが、そんなものは知ったことではない。株価が下がってもみなさんの生活には基本的になにも関係ない。一部それを保有している人たちの簿価が下がるだけだ。これがれいわ新選組の政策になるかはわからない。だが、これもみなさん次第で正しいと思う人が多ければ政策になるかもしれない。

価値を生み出すために作るのがお金

 国家予算の考え方も根本的に変わる。予算とは、集めたお金の使い道だとたいていの人は思っている。だがこれも違う。そもそも集めなければお金がないということが幻想だ。なぜならいままでも集めらないのにお金を作ってきた。政府通貨でもお金は作れる。

 お金を集めなければいけないという発想も古い時代の思い込みだ。かつて日本の場合、戦争に負けて焼け野原になり、生産能力がなかった。それに対してみんなモノが欲しかった。需要>供給、つまり圧倒的な需要に対して供給量が少ない時代だ。供給する生産能力がなかった。だから一時的に税金を集めた。そして、みんなが貯金をした。するとみなさんのお金が減り、購買力が落ちる。需要を抑えて、国家が集めたお金で大規模に投資する。道路や橋、港湾や空港などインフラを充実させる。すると生産性が飛躍的に上がる。それではじめて需要を満たすことができる。これを戦後復興期はずっとやってきた。

 昔はサプライサイドエコノミーといわれていた。サプライサイド、つまり供給する側の経済だ。いかにして生産能力を高めるかという話で、生産能力を高めれば高めるほど売れまくっていた時代だ。だが、いまや国家が成熟してインフラも整って、逆に生産能力が有り余る状況になっている。そして、お金を集め続けることにより、とくにプラザ合意以降、みなさんの購買力をコストカットの名の下に落としてしまうことによって生産能力に対して需要が思い切り冷え込んでいる。需要<供給、つまり戦後復興期とは逆のことが起きているのに高い税金を集め、みんなが2000万円を目指して貯金などはじめると大変なことになる。これではお金が動かず、人が動かなくなる。

 富とはなにか。それはみなさんが作り出す価値だ。だからみなさんが活動しなくなれば富は生まれない。お金を貯めるというのはこれからは自殺行為だ。でもそういう発想の転換が政治家にはできていない。仕組みをわかっていないからゼロから考える能力がないのだ。

 何をするべきなのか。お金を作って配り、使うことだ。価値を作るためにお金を作るのだ。例えば、これから介護産業にものすごい人数が必要になる。この産業を大きくする必要がある。そこにはたくさんの仕事がある。若者たちに行ってほしくても、お金がなく十分な給料がもらえないからみんな行かない。そこにお金を作って投入すれば、そこで働く人が増えて、実際にそこで人が動き始め、そこではじめて価値が生まれる。価値が生まれるなら、その分のお金を先につくって注ぎ込めばいい。それをせずに生まれるべき価値が生まれないということは富がないということだ。根本的に発想を転換する必要がある。

国家の財産とは人の時間と労力

 すぐに結果がお金で返ってくるような短期的な投資は民間企業に任せておけばいい。政府がやるべきは中長期的な価値の創造だ。例えば、子どもの教育や環境の保護。こういったものはすぐに利益が返ってくるものではない。子どもの教育にいくら人を使い、お金を投入しても、それが実際にお金として返ってくるのは20年後か、30年後か、50年後かわからない。そんな長期的な投資は民間企業はできない。だが教育の充実は必ず国を豊かにする。そこに絶対に価値が生まれるという信念のもとに政府がお金を作って投入しなければ、その価値は生まれない。

 環境保全でもお金など戻ってこない。その価値は計算できない。だがそれは絶対に価値があるものだと信義をもってお金を投じなければいけない。そのためならお金などいくらでも作って突っ込めばいい。そういう発想をもって政府は動かなければいけない。お金で考えるから本質を失う。民間企業だけでなく、政府の予算立案者も政治家もカネ、カネ、カネばっかり考える。

 国家経営にとって大事なのはGDPでも株価でもなく、最も大事なのは人の時間と労力と貴重な資源だ。国家が持っているものはこれだけだ。この国にあるのは一人一人の時間と労力、自然資源だけだ。外貨もあるが基本的にこれだけだ。その貴重な時間と労力をいかに大事に無駄なく使って、本当に意味あることに役立てるかというのが国家経営だ。カネの話ではない。

 例えば、1億円で穴を掘って埋める。まったく意味のない無駄な事業だ。無駄なのは1億円だからではない。10億円でも1000万円でも関係ない。お金というのはぐるぐると経済を回るだけでなくなりはしない。本質は、このお金が回る間に何をするかだ。1億円の穴掘り事業が無駄なのは、そのために使われた人の時間と労力は二度と返ってこないからだ。それに使われた資源も同じだ。われわれの時間と労力と、国の資源をどれだけ何のために使うかが大事なのだ。これこそが国家経営の本質だ。お金はそのためのツールに過ぎない。

 それが人の時間と労力の使い方を決めるのであれば、カネがあるとかないとかは全然関係ない。カネがあろうとなかろうと、絶対にやらなければいけない仕事ならばやればいい。そういう発想が必要だ。なにをやらないかも大事で、人の労力と時間を無駄にしないために障害は取り除かなければいけない。

 例えば、この国では高速道路は有料だ。あんなものは無料が当たり前だ。お金で考えるから有料という発想になる。高速道路などは造った時点でコストは確定している。そのために使った人の時間と労力と地球の資源は二度と返ってこない。それを取り戻せると思うのはカネで考えるからだ。課金すればカネが返ってくる。だが有料にすれば高いからみんな使わず、下道を走るといい始める。本来はそれを使ってみなさんの時間と労力をセーブしてもらうために造っているのに、課金して使わせないことによって、そこから先の人の時間と労力は無駄になる。こんなバカな話はない。

 あらゆるインフラがそうだ。電気、ガス、水道、通信、郵便、銀行のATMも、公共交通機関もだ。なぜ民営化しているのか? なぜ企業がもうけなければいけない? みなさんの生活に必要なものを提供している企業がもうける必要はない。公営化し、国営化し、最低限の金額でいいし、赤字でも構わない。

 例えばJRも国鉄に戻して、一定金額までタダにすればいい。学生とか若者の交通費など全部無料にすればいい。それで有り余る時間を使って、好きな場所に行き、好きな人に会い、好きなモノを見て、持っている時間を有効に使えと。それが富を生む。みなさんの時間と労力を使う以外に実際に富を生む方法などない。課金することによって、富を生み出す機会をどんどん潰している。

 消費税がなぜいけないのか。あれが金持ち優遇だとか、8%か5%かというような話ではない。消費税を課税することで、余計にお金を払わされることでみなさんが活動しにくくなる。全国民の活動が低下する。人生の長さは変わらないから、その分人の貴重な時間が無為に過ごされる。これ以上の国家の損失があるだろうか。その分みなさんが価値を生むチャンスを潰しているのだ。思想的にあり得ない。どこかの国はもっと高いなど関係ない。その国が愚かなだけで、消費税などゼロが当たり前だ。そういう無駄な障害を確実に取り去っていく必要がある。

なんのために働くのかという新しい価値観

 もう一つ大事なのは、明確な方向性だ。国家経営の仕事として、国を成り立たせるために必要な仕事をみんなに分担してもらう必要がある。食糧の自給、エネルギーの自給、この国に無い物を買ってくるだけの十分な外貨を稼ぐことだ。この3つがなければ基本的に国として自立できない。残念ながら食料の自給とエネルギーの自給ははるか遠く及ばない。これはなんとかしなければならない。それでも外貨は世界一稼いでいる。もうやりすぎたので、お金を配って返すことによって生活を楽にし、みなさんから取り過ぎた時間を返すべきだ。

 それをやったとしても、みなさんは「遊ぶより人のために役立ちたい」といって休まずに働き続けるかもしれない。それなら今まで通りの働き方ではなく、何のために働くのかという新しく明確な方向性を出そうと−−。われわれはこの30年以上、その大きな方向性を失っている。戦後復興という大きな目標を成し遂げた後、何のために生き、働いているのかわからなくなったまま、ひたすら目先の利益とか売上のために働き続ける状態がずっと続いてきた。若者たちはそんな大人たちを見てもっとわからない。そんな社会になんで入っていかなければいけないのか、なんのためにそれをしているのか、どこの企業に入っても「売れ、売れ」といわれるが、それがそんなに重要なのか若者たちはわからない。おそらく彼らもそれほど生きる意義を見いだせないから、10〜30代の若者の死因のトップが自殺になったりしている。

 われわれ大人が何のために生き、働くのかというのを国家として大きな方向性を示す。これだけの経済大国で、世界一の黒字を稼ぐ生産性を持つに至ったわれわれとしては、もはやそれを自分たちのためだけに役立てるのではなく、もっと世界中の困っている人たち、餓死寸前に置かれている10億人の人たち、壊れゆく地球環境を保全する技術、そのための生き方や社会のインフラなど、世界の問題を解決するようなモデル社会をつくるために使わなければいけない。われわれの社会が大きな使命を帯びたときに、人の生き方や働き方が変わり、何が不必要で何が必要かがみなさんの中で選別されていくだろう。カジノやパチンコ産業などがいかに無用なものであるかがはっきりしてくる。

お金集めのために社会や地球を破壊

 世界のあらゆる問題を解決するには、いまの世界がいかにおかしいかをちゃんと認識する必要がある。残念ながらいまの世界経済はすでに狂気だ。本質から経済システムがかけ離れている。経済とは、価値の生産と価値の交換だ。みなさんに必要な価値があるからそれを作り、それを互いに交換する、それだけだ。必要ないものは作らなくていいし、売らなくていい。なのに私たちは必要ないものを膨大に作り、捨てさせ、壊し続けている。いつの間にかお金を貰うために経済を動かしている。

 結局、お金をもらうゲームだ。先ほどいったように、1人100万円の借金に利息をつけて経済を回す巨大なイス取りゲームだ。お金をもらわないと破たんするゲームだから、何を提供するかなど関係ない。それが人を幸せにするものかなど関係なく、だましてお金を取った方が楽だ。1年後にお金を集めなければ破たんするのだから。

 あらゆる理屈を付けて、短時間でいかにお金を稼ぐかというゲームが始まり、何を作っているかなど二の次になる。一番簡単な方法は「安かろう悪かろう」の商品を作り、買ってもらい、すぐ捨ててもらい、また買ってもらうことをいかに短い時間でくり返すかだ。現実に身の回りに溢れている。当然、世界はゴミの山になる。お金がすべての社会。狂気の沙汰でしかない。

 いかに短時間で手を掛けずに商品化してお金をもらうか――いまの経済や経営学は、学問でもなく、世の中の本質を見失っている。経済の専門家がことあるごとに「コストがどうだ」というが、いまの経営学がいうコストとは人間が動く労力の分しか入っていない。魚を獲るときに無駄な種も含めてばっさり大量に捕獲しているのは、その方が安いからだ。あくまで人間が獲るコストしか入っておらず、多様な魚がそこに存在するまでにかかった長い時間は一切入っていない。原油や石炭などの鉱物のコストも、掘り出す人間が動くコストしか入っておらず、それらの鉱物がその状態になるまでにかかった何十万年という長い時間は入っていない。原発もそうだ。元に戻しようのないものをコストとして考えること自体が無理がある。計算しようのないものをコストに入れていないのだから、論理として完全に破たんしている。そろそろ正気に戻る必要がある。

 世界中の企業がそんなことばかりやって、こんな経済を回していたら地球が破たんするに決まっている。

資本主義にかわる新しい社会の展望

 みんなが当たり前だと思っている資本主義という制度も疑わなければいけない。資本主義とは、資本家のいうことをきかなければいけないという考え方だ。誰もが自由意思をもって生きているのに、週5日も6日もお金のために拘束されて動かされ続け、残りのわずかな時間だけ自分のために使える。その人がお金をもっているからというだけで、誰かのいうことを聞いて生きなければいけない理由がどこにあるのだろうか?

 資本主義というのは、資本家が労働者を安く使って、同じ労働者(消費者)に高く売りつけるという仕組みだ。企業が利益を上げるためにそれ以外の方法はない。世界中の企業がそれをやっている。だから、世界で最も裕福な28人が世界の下位半分の36億人と同じだけの資産を持つに至っている。そして10億人の人たちが年中餓死寸前の状態に置かれている。資本主義だから仕方がないのか? 文明を持つ人間の生き方として根本的に間違っていないか? そろそろ真剣に考えるときに来ている。

 資本家が利益を上げて資本が増えるというが、資本って本当に増えるのか。お金で考えるから増えると勘違いする。数字が増えるから。でも資本とは何かといえば、人の労働力や土地といった基本的に実態物だ。お金などいくら貯めても実態としては札束という紙切れでしかなく、預金であれば数字でしかない。そこからは何も作り出せない。

 本来の資本である人の労働力、使える土地などは永遠に増え続けるのか? 一つしかない地球が2個、3個になるのか? 普通に考えれば全部思い込みでしかないことがわかる。

 お金とは虚の数字でしかない。いま実際に起きていることは、この数字を一部の人たちがどんどん集め、その数字を使って市場で土地を買ったり、株を買ったり、さらに知的所有権、種子、水道などみなさんの生活に必要なものの権利を買っていく。膨大に膨れてしまった何の意味もない数字で、実際にみなさんが生きるために必要な地球を買い取っている。それによってみなさんを永続的に隷属化することができる。そういうことがもうすでに起きているということを、そろそろみなさんもお気づきだろう。狂気なのだ。

 お金には何の意味もないことに気づかなければいけない。お金とは、交換できる実体(価値)があって初めて意味を持つ。でも実体物は、金利でお金が増えるように時間とともに増えるものではない。普通のものは時間とともに壊れたり、腐ったりして減っていくのが自然だ。だがお金が金利で増えていけば、変わらない実体物(価値)の量に対してお金が膨大に増えてバランスがとれなくなる。バランスを取るために無理矢理作って売ることをやっていれば当然地球は破壊される。追いつくはずがないのだから。

 同時に、気づかなければいけないのは、お金の量=借金の量ということだ。このことをほとんどの人が知らないことが問題なのだ。みなさんがあると思っているお金は、すべて借金の裏返しなのだ。借金をすべて返してしまえばお金はない。あるのは実態物だけであって、お金というのは借金と利益を合わせたゼロサムゲームだ。借金と利益を平等に分け合えばお金は消えてしまうので、お金を奪い合い、借金を押しつけ合あわせる。私たちもそうしなければ、ちょっとバランスを崩して弱い方に回ってしまうと借金まみれになり、貧困に突き落とされる。みんなが豊かになるのではなく、必ず多くの人が貧困に突き落とされる社会の仕組みなのだ。

 必然的に熾烈な競争社会になり、生産性のない人たちがいじめられるようになる。生産性がないというのはとても狭い価値観の中での言葉だ。その人たちが社会保障などでお金を手にすると、その分の借金が誰かに回る。「俺たちが一生懸命働いているのに、生産性のない連中が社会保障でお金を手に入れるのはけしからん」という感情もこの経済システムが生み出すものだ。社会はどんどんギスギスしていく。こんな醜い仕組みをこのまま子どもたちに渡していいわけがない。

 いますべきことは、この金融資本主義の仕組みを根こそぎ変えることだ。これ以上に重要な政治課題はないと思う。すべての政治家が命をかけてとりくむべき課題だ。地球規模の大転換が迫られている。

 日本の政治というのは、それを促進するための政治であるべきだと思う。だからまったく新しい次元の新しい政党をつくって、新しい政治を実行するべきだ。いまの既存の政党や政治家はこのレベルにはいない。なぜみなさんが世界一の黒字を稼ぎながら、こんなに苦しいのかということすらわかっていない。だから、これから世界がどこにシフトしていくのかについても考えすら及ばない。新しい次元でものごとを考える勢力を作って、国会の中に殴り込みを掛けなければいけない時に来ている。

 2011年に政治団体を設立し、お金の仕組みのおかしさを言い続けてきた私がれいわ新選組から立候補したのは、この地球規模の大転換のチャンスがいまここに来ていると思ったからだ。まったく無名の人間や勢力が国政の壁を突破することはたいへん難しい。だが、世界的な新しいムーブメントがそこに生まれようとしている。

 ただ、例え国政を突破しても、世界を変えるためには、社会を構成する一人一人の頭の中を変革することからしか変わらない。紙切れを「お金」と思い込むのは、人間が作り出した概念に過ぎないし、所有権というのも人間の意識だ。人間の生命活動は本来生きて死ぬだけなのに、地球上のものを所有していると思い込むことによってサバイブ(生き残る)できると思い込む。資本主義とは、一種の所有主義であり、所有者支配主義だ。株主つまりお金を持っている人のいうことを聞かなければいけない。なぜ? という問いに哲学的に答えられるだろうか。ただそういう仕組みだというだけの話だ。その正しさを誰か説明できるだろうか。

 資本主義制度によって効率的にモノを生産でき、みんなが生き残れた時代もあったかもしれないが、現在はそれが逆にみんなを苦しめている。これからは金持ちのいうことを聞いて生きる社会ではなく、もっとみんなが自由に創造的に生き、お互いの人権が尊重される社会がもうそこまで来ている。そのような大きな思想の転換が求められる時代が来ており、政治もその新しい転換をベースにして新しい運動を作らなければ、大きな数は生まれないと思っている。

 できるか、できないかではない。自分がやらなければならいと信じることをやるか、やらないかだ。いずれ死ぬのなら、人間生きている間に何をするかだ。仮にそれができなくても、誰かがそれをやり、他にもやる人が出てきて、ちょっとずつ進んでいるうちに最後には大転換が到来する。すべてはプロセスであり、自分が生きている間に何ができるかをみんながくり返していけば、大きな変化が起きる。この社会がおかしい理由をみんなが気づき始めれば、それはもう止まらない。そこからみんなが新しい希望を抱くようになれば世界は変わる。昨今の世界情勢、日本国内の変化をみれば、それはもう遠い未来の話ではなくなっている。

一人一人の意識や行動が変われば、世界は変わる。みんなで日本から世界を変えよう。

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おおにし・つねき

東京都出身。上智大学外国語学部英語学科卒業。シアトル大学政治科学専攻。JPモルガン銀行資金部為替ディーラー。株式会社インフォマニア代表取締役。政治団体フェア党代表


https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12166

14. 中川隆[-13609] koaQ7Jey 2020年3月21日 18:18:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1273] 報告

れいわ新選組 大西つねき & 松尾匡・立命館大教授の対談 「なんとかならんか この日本」
2019年10月8日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13500

 大阪市で4日、「なんとかならんかこの日本!?」と題して、れいわ新選組の大西つねき氏と松尾匡・立命館大学教授の対談がおこなわれた。会場には200人の定員をこえる参加者が集った。

 集会の趣旨説明をおこなった元衆議院議員の辻恵弁護士は、民主党が消費増税を決めたことにマニフェストの裏切りだと反対して離党したこと、「この30年、日本社会はアメリカ隷従の新自由主義でズタズタにされ二極分化の貧困社会に、与野党談合政治で“今だけ、金だけ、自分だけ”のモラル崩壊社会になった。この状態を放っておけない。そこに消費税廃止を掲げてれいわ新選組が登場した。れいわを軸に与野党談合政治を切り裂く政治勢力が連携し、人人の熱気を醸成する運動を展開し、政権交代を実現しよう。当時は覚悟がなかった私も退路を断って覚悟を決めてやりたい」と訴えた。

 初対面で同年齢だという大西氏と松尾氏の対談は、参加者に女性層が多いことをめぐって始まった。概要は以下の通り。

需要あるのに金回らぬ仕組

 大西 子どもを持つ女性たちの関心事は格差や貧困だけでなく、今までの経済活動をやっていては拙いのではないか、もっと持続可能な経済、持続可能な地球をという問題意識がある。金融システムが地球を壊している。子どもたちの未来を壊している。だから金融システムを変えないといけないということを私は話す。そこに女性は危機感を持っていて本質的なニーズがある。全然関心がないような主婦たちも自分たちの生活や子どもの未来のことになると感性に響く。れいわの選挙活動のボランティアも女性が多く、若い世代の女性だ。

 松尾 持続可能性とか地球環境の問題とかいってきた政党はこれまでもあったが、一方で財政危機を表に出して緊縮財政をいってきたので、貧しく苦しんでいる人たちには「では、俺たちの生活はどうしてくれるんだ」と受け入れられなかった。

 大西 環境団体は金融システムが環境を壊していることをいわない。お金の発行の仕組みを壊さないと何も解決しない。金の発行の仕組みを変えるといっている政党は日本のみならず世界にない。

 松尾 私もほとんど同じことをいっているが、リベラルから叩かれる。「安倍政権の手先」「資本主義を延命させる小手先の政策を広めている」「資本家をもうけさせて喜ばせている」と。本当は資本主義の根幹を変えるラジカルをいっているのに後から弾が飛んでくる。

 私がいっているのはお金のつくり方を変えようということ。お金は世の中の血液みたいなものだが、実は銀行が私的な利益のためにつくっている。水が民営化されるというと、私的利益のために民営化されるのはけしからんと怒る。それと同じことで現実は民営化されている。つまり企業が銀行から金を借りるとき銀行は企業の預金口座に一億円と書く。それが支払いや給与などで世の中に出回っていく。景気がいい時は貸そうとするから世の中にお金が出回る。お金を返したら世の中から金が消えるので景気は悪くなる、というように景気変動が起こる。

 そうではなく政府がお金をつくる。借金としてでなく政府がお金をつくって、世の中に必要な公共のために金を使う。人人のために金をバラまく。人人の暮らしの役に立つために金を使う。お金の使い方、投資を私的なためでなく社会化していくということで、資本主義社会の仕組みを根本的に変えるものだ。

 大西 お金は銀行が勝手につくり出している。銀行はみなさんから預かったお金を貸しているのではない。ないところから勝手につくって貸している。お金と借金を同時につくり出している。あるように見えるお金は誰かの借金だ。銀行は何もないところからお金と借金を同時につくって、お金の部分を誰かに貸して金利を取る。ないのにつくって金利を取る仕組み、これがおかしい。この仕組みをほとんどの人が知らない。

 利息が付くという仕組みは、お金の奪い合いになる。100万円を100人が預けると1億円が生まれる。それで経済を回して1年後に全額を返すとお金はなくなる。だが、5%の利息を付けると105万円返さないといけない。常に借金でお金をつくり出して、そこに利息がかかることによって年中みんながお金が足りない状態になる。お金のために奪い合いをやり続けないといけない。今の金融システムは巨大な椅子取りゲームだ。本末転倒なのだ。何でもいいからお金を使ってもらって捨てて(消費して)もらってというのをやり続けていかないといけない。金融システムが地球を壊しているし、「今だけ、金だけ、自分だけ」になる原因が金融システムにある。この仕組みを変えないといけない。一番大事な政治課題だが、いう政治家も政党もいない。れいわ新選組が出てきて、初めていい出した。

 財源論は一掃できる。財源がないからできないではなく、財源はできるから全部やらなければいけなくなる。そのさいの課題は、政府でつくったお金で何をやるのか。年金や教育など各分野で何をやるか、何を直すのか。制度設計だ。現場を熟知している人たち、俯瞰的な眼を持った人たちを集めて各分野の政策をつくっていく。こういう論議は国会中継よりおもしろいと思う。

 松尾 私たちが提唱している薔薇キャンペーンは、ヨーロッパで労働者階級の尊厳の象徴としての薔薇に「バラマキ」をかけている。もともとアメリカ建国史には、銀行が金をつくるか、国家が金を発行するか、金の発行権の奪いあいの闘争史があった。政府がお金を発行するというのは別に突飛な話ではない。すぐは政府発行通貨はハードルが高い。法改正もいる。アベノミクスで日銀が銀行の国債を引き受ける金融緩和もマクロ経済的には似たような面はある。

 大西 だが、錯乱している。金融緩和をしながら消費増税をする。これは矛盾だ。消費税減税するなら一貫しているが、消費税を増税して法人税を減税するというのは逆の付け回しで、格差を拡大してごく一部の株主のための政治をやっている。そもそも消費税は非人道的な税で、固いものと柔らかいものを一緒の袋に入れて混ぜるので、弱いものが潰れていく。現在の力関係がそのまま反映する税だ。

 松尾 使い道で政府支出を増やせばいいが、逆に抑制しているから、何をやっているんだという話だ。国債を買って金を出すにしても、何に使うかの問題だ。もっと政府支出を増やそう。武器を買うのでなく、国民生活に必要なところへ使おう。労働や社会保障分野にもっと金を使おうといっている。財源論はウソだ。もっとお金は使える。「輸出型経済から内需型経済へ」は前からいわれている。雇用をつくり出し、人人の生活が豊かになる持続可能な社会の構想を考えていく。

 大西 お金が富と思っているが、お金に価値はない。お金はただの紙切れ、数字でしかない。交換できる実体こそが価値だ。銀行が何もないところから借金でつくっているのだから、銀行でなく政府が借金する方がまだまし。借金では返すとなくなるから、借金せずに政府が金(数字)をつくってばらまけばいい。ばらまくと「お金がないから働けない」となっている介護産業にも金がいって多くの人が働ける。働くと富が生まれる。金がないから働けないというのは逆さまだ。

 何もしないのが一番のコストであって、お金を使うことがコストではない。お金を使うと人が動く、人が動くと価値が生まれる。本当のコストは人が動かないこと、時間も労力も使わないことだ。だから人が動かなくなる消費税はあってはいけない。上げるか下げるかではなく、ゼロが当たり前。国家経営の当たり前の考え方だが、それすら考えることができない人たちがこの国を動かしている。野党も同じだ。当面は困っている人に手を差し伸べながら、その先の国家ビジョン、例えばエネルギーや食糧の自給など日本の進む方向の話をしていきたい。私は3時間かけて話す。今日の話で消化不良ならば、10月9日18時から浪速区民ホールでも話をするので来てほしい。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13500

15. 中川隆[-13608] koaQ7Jey 2020年3月21日 18:21:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1274] 報告

れいわ新選組・大西つねき氏が萩市で講演 格差拡大させる金融システムの不条理伝える
2019年9月14日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13097

真実知ることで新しい価値観を

 れいわ新選組の大西つねき氏の講演会(主催/スマイルマップやまぐち)が9日、山口県萩市の総合福祉センターで開かれた。「お金の仕組みを知ってワクワクする未来をつくろう!」をテーマにした講演会には、平日にもかかわらず萩市内をはじめ山口県内各地、島根、広島、福岡からも聴講希望者が訪れ、約100人が会場を埋めた。


 大西氏は、JPモルガン銀行やバンカース・トラスト銀行で為替ディーラーやトレーダーとして働いた後、被災地や学校などでのボランティア活動をしながら「現代の狂った金融システム」についての研究・執筆活動を重ね、この経済の仕組みを根本的に変えなければ日本社会が抱える問題はなにも解決しないこと、そのためには経済・金融のあるがままの現実を知らせ、多くの人がこれまで正しいと思い込まされてきた価値観を転換する必要を感じたことから政治団体を立ち上げて活動してきたことをのべた。


 とくに近年は、横浜市内の「底辺校」といわれる高校で図書館や校内カフェのボランティア活動に参加するなかで高校生とのふれあいが増え、「昼休みになると市民から差し入れられたお菓子やジュースをめがけて200人もの高校生が押し寄せてくる。不思議に思っていたが、よく聞いてみると“昨日からなにも食べてない”“今日は校内カフェがあるからなにも(食事を)持って来ていない”という。糖分補給のために来ているのだ」と子どもたちの置かれている窮状を伝えた。


 「単に生まれた環境が違うだけで、有能で感性豊かな多くの子どもたちが社会的に排除され、努力が足りないといわれ、“生きている価値がない”とさえ思い込まされる。子どもだけでなく、大人も同じだ。病気、ケガ、失業、離婚、災害などの少しのきっかけで貧困に突き落とされる。東日本大震災の被災地でも、あれだけの災害を生きのびながら、お金がないために負債を抱えながら壊れた家に住まなければならない人がたくさんいる。お金が、社会が必要としているところではなく、もうかるところにしか流れないからだ。これは巨大な経済、金融問題であり、社会を形づくる根本的な価値観の問題だ」とのべた。


大西つねき氏

 「本来の豊かさとは、お金ではなく、個人の心の自由、つまりみんなが自分の時間と労働力を本当に意味あるものに使うことができる社会だと思う。だが、日本のマネーストック(現金・預貯金の総額)がこの三十数年間で200兆円から1000兆円へと5倍も増えているのに、もらえる給料も自由な時間も増えていない。生産効率化の成果は人人の生活には還元されず、いまも人人はお金に追い回されて人生を奪われ続けている。とくに日本は対外純資産341兆円(貿易黒字)を持つ世界一のお金持ち国家でありながら、国民の多くはその恩恵を受けとることなく、大企業が内部留保を貯め込み、債務返済のためといって消費税増税までしている。世界一の借金国家アメリカ(対外純資産=マイナス1077兆円)に大金を払ってポンコツオスプレイ、F35、最近では山盛りのトウモロコシまで買わされている。働いても働いても楽にならないのはこの狂気ともいえる仕組みのためだ」と指摘した。


 現代のお金は、銀行がはじめに借り入れた預金の貸し付けをくり返しながら銀行間をめぐるあいだに数字上で100倍に膨らむ「信用創造」によって増えており、だれかの借金に依存して社会全体のお金が増えている。また、借金を返済すると同時に同量のお金が社会から消える。90年代初頭のバブル崩壊後は信用収縮で民間が借金をしなくなったため、かわりに政府の赤字国債でお金を増やしてきたことを日銀のデータをもとに解説した。そして「政府の借金=民間の資産」であり、900兆円もの国の借金を税金で返してしまえば、社会全体から同量(ほぼすべての現金・預貯金)が消え、金融経済が破たんするカラクリを指摘した。


 大西氏は、この国の借金に年間約9兆円の利息が発生し、それによる富の移動で格差が拡大していることをあげ、「900兆円の国の負債を返すには、1兆円の政府紙幣を900枚発行して日銀に納め、日銀は民間から900兆円分の国債をすべて買いとり、日銀のなかで両者を相殺すれば国の財政問題は簡単に解決する。国民にとっては、蝶が羽ばたいたくらいのインパクトしかないだろうが、これによって巨大な格差拡大マシーンが消滅する。計り知れない効果を生む」と強調した。


 また、「税とは、予算を組む(使う)ために集めると思われているが、日本の予算はこの50年間赤字国債でやっている。つまり、必要なら集めなくても借金でお金をつくれることを証明している。税制とは、予算が足りないから集めるというものではなく、所得の再配分(累進課税)や所得格差の是正(相続税)など、みなさんの思想を国の形に反映するためのものだ。それこそが政治の本質だ」とのべ、金融資産や株取引への課税を所得税から分離軽減して、なんの価値も生み出さないギャンブルを奨励している現在の税制の本末転倒ぶりを批判した。


 現代の経済システム全体が「巨大なイスとりゲーム」であり、すでに上位8人が下位36億人と同じ資産を独占するまでに行き着くなど資本主義が末期的な局面を迎えている。お金をもらうために人間がキリキリ舞いさせられ、お互いに富を奪い合う荒廃した社会ではなく、この不条理を乗りこえる新しい価値観に立って「本当に豊かな暮らし、社会を実現するためにまず自分自身から変えていこう。そうすれば社会が変わり、日本が変われば、世界が変えられる」と呼びかけた。


 3時間に及ぶ講演を参加者は集中して聞き入り、終了後も大西氏を囲んだ交流が続いた。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/13097

16. 中川隆[-13607] koaQ7Jey 2020年3月21日 18:48:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1275] 報告


「会場が震えた」大西つねき れいわ新選組 参議院選個人演説会
/希望とワクワクを配るツアー@7/7大阪
2019/07/07 にライブ配信


17. 中川隆[-13606] koaQ7Jey 2020年3月21日 18:51:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1276] 報告

大西つねきの作り方:日本から世界を変える 心の自由とお金の仕組み
2020/01/18


18. 中川隆[-13605] koaQ7Jey 2020年3月21日 18:53:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1277] 報告

コロナウイルスと自粛ムードと私たちの生活と生と死について:大西つねきからの緊急告知
2020/03/13


19. 中川隆[-13604] koaQ7Jey 2020年3月22日 10:29:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1300] 報告

2019.5.27「日銀と通貨発行権の誤解について」
大西つねきの週刊動画コラムvol.80
https://www.tsune0024.jp/blog/2019-5-27-vol-80


2019/05/27 に公開

毎週月曜更新、大西つねきの週刊動画コラム。今週は「日銀の通貨発行権の誤解について」話します。よく日銀が株式会社であることに関して色々言っている人がいますが、仕組みをきちんと理解すれば、大した問題ではないことがわかります。いい加減な陰謀論に振り回されないようにしましょう。








皆さん、こんにちは。大西つねきの週刊動画コラム、本日5月27日の週刊動画コラムのテーマは「日銀と通貨発行権の誤解について」というテーマでお話ししたいと思います。何でこの話をしようと思ったかというと、昨日も僕、講演会行ってきました。講演会に行くと必ずとまではいきませんが、かなりの割合で、要するに、日銀が株式会社であるということ、その株主が、55%は政府が出資してるんですけど、残り45%が民間だということ、それが誰が持ってるか公開されていないということで、いろんな憶測というか、それを陰謀論みたいなものにつなげる人が多くて、そういうことを結構聞かれたりするんですね。ただ、いつも僕答えるのは、日銀の株主の半分近くが民間で、それが誰だかわからないから、だから何なの?って聞き返すんですよ。大抵聞き返された人はもちろん答えられなくて、日銀がお金を発行してるのに民間じゃおかしいとか、それを何とかチャイルドみたいな陰謀論と結びつけて考えてるんです。結局何が問題なのかその人たち自身もよくわかってなくて。ただ、そういうふうに騒ぐ人たちが一部に恐らくいるんでしょうね。ただ、これ、仕組みを知ると、いや、別に全然そんな話じゃないっていうのがよくわかります。




どこからはじめようかな。まず日銀に関しては、民間だからといって、まあもちろん利益も挙がります、ある程度。その利益がどうやって挙がるかというと、これまたお札を1枚、1万円札を作るのに20円しかかからなくて、それが1万円になるから9980円もうけるんだみたいなことを、そういう間違ったことを言う人がいるんですね。それ完全に間違ってます。そうはなりません。基本的にお札の発行ってどうやってるかというと、例えば、そもそもあのお札誰が作ってるかというと、日銀じゃなくて国立印刷局というところが毎年の財務省の計画に従って作ってます。作るっていうのは、それは何で必要かというと、今までのお札が古くなって破れたりするぶんとか、あと、マネーストック、皆さんの現金、預貯金が増えるにしたがって、より多くのお札を引き出すようになるんで、そのぶん恐らく必要だろうということで、ある程度計画的に作ってるんですね。国立印刷局がそれを刷ります。例えば、じゃあ1兆円のお札を国立印刷局が刷ったとして、それをどうやって発行するのか、発行するっていうか世の中に回してくのかというと、まず1兆円の紙幣を作ります。それを日銀の金庫に入れるんですね。日銀の金庫に入れますけど、日銀はそれを1兆円として受け取るわけですけど、それ、そのまま日銀が1兆円をもらってしまったら日銀が1兆円もうかってしまいますよね。(笑)。それおかしいですね、もちろん。20円で作ったものを1兆円で受け取って、1兆円になってしまったら、確かにそれをやってしまったら日銀は1兆円もうかってしまいますけれども、そうはならなくて。どうするかというと、要するに1兆円の紙幣を金庫に入れて、それは資産になるわけですね、日銀の。で、それが利益にならないように負債の側に1兆円の発行済み銀行券という負債を書き込むんです、バランスシートの負債のほうに。要するに、その時点で左右バランスするんで利益はそれで出ないんですね、日銀は。1兆円の紙幣を資産として預かって、それを預かりましたという、預かったことにするんです、負債にするっていうことは。それ誰から預かってるかというと、別に相手基本的にいないんですね。まあいうなれば、日本国民全員に対して新しい紙幣の1兆円ぶん借とするわけですね。もともと日銀っていうか中央銀行っていうのは、1兆円っていうのは、紙幣っていうのはただの紙ですから、要するに実体的な価値はないわけですね。

だから最初は多分恐らく、その信用のなさから何を持っていたかというと、その1兆円の紙を、まあ1兆円っていうよりも1万円札ですね、を持ってきたときに、いつでもそれをちゃんと実体のある、価値のあるものと交換しますよっていうことで、今度、日銀の資産の部分には、金地金という実際の貴金属というのを資産として持ってたんですね。紙で発行してるんで、要するに、これは負債として、それを持ってくればいつでもそういう実体の金地金と交換しますよっていう、そういう一応論理立てだったんですけども、実際、今、日銀のバランスシートには、金地金っていうのはもうほとんどないです。一応ちょっとありますけど、ほとんどないわけです。

逆に言うと、日銀のバランスシートの、今度、負債の側、借金の側には、約100兆円の発行済み銀行券っていう負債が入ってます。それは何かというと、今までそうやって発行し続けてきた、要するに紙幣の履歴なわけですね。100兆円ぶん今まで発行しましたよって、だから100兆円ぶんの現金が世の中に回ってますってことです。だけど、その100兆円っていうのはもちろん日銀にしてみれば借金なわけですから、要するに、100兆円ぶんの紙幣を発行したときに20円の制作費除いて100兆円近く、99兆8000億円ですか、もうかったかというと全然そんなことはないってことですね。

だから、この国では少なくとも紙幣を発行するときにそんな利益なんか全く挙がらないっていうことですね。だから、日銀が民間だからといってそもそも大騒ぎすることはないということです。そもそも、それから日銀の政策決定に関してはもちろん株主は一切決定権ないです。議決権が全くないんですね。議決権が全くないから逆に、要するに公開する必要もないわけです。一般の株式会社が5%ルールみたいなかたちで、発行済みの株式の5%以上を取得するとそれが公開されるのは議決権があるからですね。逆に日銀は一切議決権はなくて、日銀に対しては、株主は全くないです。で、政策は誰が決めてるかっていうと、日銀の政策委員会が決めてますね。政策委員会総裁がいて、副総裁が2人いて、あと、審議員みたいな人が6人ですかね、9人の政策委員会で。この人たちはどうやって任命されるかっていうと、内閣が任命しますね。で、国会の承認を得てっていうかたちになるんで、結局、株主一切関係ないです。だから、よくそういう、あまり仕組みを知らずにそういう陰謀論みたいなものに結びつける人たちがいるんですけど、実際、日銀の株主の半分近くが誰だかわからなかったとしても、僕にしてみれば、だから何なの?って話なんですよね。だから何が問題なの?(笑)、ちゃんと説明してって感じなんですけど、誰も説明してくれません。僕は大した問題だとは思ってません。




それからあともう一つ、それでも日銀っていうのは実は利益を挙げるんですね。どうやって利益が挙がるかっていうと、日銀は基本的に、例えば国債を大量に買ってますけど、国際の利息だったりとか、その利息収益とかあるし、あと、外貨資産も持ってるわけですね、ドルを持ってアメリカの国債を持ってたりするんで。それで利益とか、利益っていうのは要するに利息みたいなもの、基本的には利息で挙がっていきます。それで挙がるんですけど、年間、結構そこそこの利益は、1兆円以上挙がったりとかするんですよ。ただ、それも結局どうなってるかというと、これ日銀法[SM1] を読めばわかるんですけど、日銀法の第五十三条っつうのがあるんですよ。五十三条を読むとわかるんですけど、日銀法の第五十三条の、まず第四項ね。四項は株式の、要するに株を持ってる株主に対して配当がどうなってるかっていうことは第五十三条の四項に書いてあるんですけど、「日本銀行は、財務大臣の認可を受けて、その出資者に対し」て、これ株主ですね、「各事業年度の損益計算上の剰余金の配当をすることができる。」まあ配当は出せるってことですね。「ただし、払込出資金額に対する当該剰余金の配当の率は、年百分の五の割合を超えてはならない。」要するに5%を超えて配当は出してはならないっていうことになっていて。五十三条の第五項、「日本銀行は、各事業年度の損益計算上の剰余金の額から、第一項又は第二項の規定により積み立てた金額及び前項の規定による配当の金額の合計額を控除した残額を、当該各事業年度終了後二月以内に、国庫に納付しなければならない。」と。要するにこれ、もうかったぶんっていうのは、積立金とかあるんですね、準備金っていうのが。要するに、例えば外貨準備を持ったりとか、外貨の、要するに資産を持っていて、その為替の変動とかあるので、それに備えて積み立てとか準備金ってあるんですよ。それをやったあとは、結局、余ったお金っていうのは国庫に返納しなきゃいけないってことなので(笑)、それで株価がものすごい上がるとかっていう話にはならないので、そもそもそんなことを、なるんであれば、日銀の株っていうのはジャスダックなんかで誰でも買えることになってるんで、そんなに日銀がもうぼんぼんぼんぼんもうけるような話であれば、それをみんなが買うって話になりますよね、間違いなくもうかるんで。そんなことはならないのは、結局こういう法律があって、日銀はもうかっても別にその剰余金を国庫返納っていうことで。だから、45%の日銀の株主が誰だかわからないったところで、別に大した問題ではないんですね。という話(笑)。




通貨発行権みたいな話も、結局、日銀が持ってるみたいなことを、間違ったことを言う人がいますけども、別に日銀は全く通貨発行権は持ってなくて。結局、通貨発行って今の仕組みを理解すると、誰が通貨発行権を持ってるかっていうと、各民間銀行の融資担当者がみんな一人一人、通貨発行権持ってると思ったほうがいいです。何でかっていうと、結局、今の仕組みは信用創造という、銀行がお金を貸すことによってお金が生まれるということは、その判断をする一人一人の融資担当者がその権利を持ってるってことですね。だから、日銀とか中央銀行が通貨発行権を持ってみたいな話は都市伝説というか、もうガセネタというか、特に中央銀行は通貨発行権なんて持ってません、そういった意味で言うと。今、おっきな通貨発行権を実質的に持ってるのは例えば、あ、ちょっと待って。その前に日銀の役割の話を先にしますね。




日銀の役割は何かっていうと金融調節をやってるんですけど、それはどうやってやってるかというと、結局、金利の上げ下げとか量的緩和みたいなことを最近やってます。金利の上げ下げのほうは簡単なんで先に説明しますけれども、金利を、日銀はお金の量を、例えば減らすために上げます。金利を上げると何が起きるかというと、金利が高くなるんで、お金を借りたい人とか借りられる人が減りますよね。そうすると、お金って大体借金っていうのは借りたらみんな毎月返していきますね。それに対して、金利が高くなると、毎月みんながお金を返していくとそのぶんお金が減ってくわけですね。お金を返すときに実はお金って消える。お金を借りるときにお金が生まれるっていう仕組みになってるんで、返していくとだんだん減っていきますけど、それに対して金利を上げたときに、要するに金利が高いんで借りる人が減ってくとだんだんお金が減ってくんですよ。そういう金融調節。逆に、今度お金を増やしたいときには金利を下げます。金利を下げると借りたい人とか借りられる人が増えるんで、それに対して銀行がお金を貸していけば、借金を増やしていけばお金が増える。つまり日銀は何をやってるかというと、あくまでも民間銀行の貸し出しの増減を誘導してるにすぎません。通貨発行権みたいな権利を持ってるわけでも何でもなくて、要するに、あくまでもそれは各民間銀行がその通貨を発行する、そういう権利というか機能を持っていて。彼らが要するに借金を増やしたり減らしたりすることによって世の中のお金を増やしたり減らしたりするっていう、その誘導をしてるにすぎなくて、通貨発行権みたいなものは日銀は持ってません。あと、それから、これ講演会でも説明してますけれども、ある時期から日本の民間銀行っていうのは民間にお金を貸さなくなってしまって、民間の信用創造による通貨の発行、お金の発行っていうのはあまり機能しなくなってるんですね。それからしばらくどうやって、もう数十年たってるんですけど、どうやってお金を発行し続けてきたかというと、実は政府が借金をして、それを使ってお金を発行してきたっていうことをやってきたんですね。これ、今、あんまり時間ないんで詳しくは説明しませんけれども。つまりどういうことかというと、毎年の予算ですね。政府が予算を組みます。で、それを赤字にします。赤字にするっていうことはその赤字ぶんを銀行から借りて、銀行から借りてっていうか、新たなお金を作るわけですね、銀行が政府の国債を買うことによって。それで新たなお金を作って世の中のお金を増やしてきたってことをやり続けてきたっていうことは、要するに、今、実質的に通貨発行権誰が持ってるかというと、国会の予算委員会が持ってると言っても過言ではないです。赤字ぶんっていうのは必ずお金の発行になります。借金ぶんっていうのは新たなお金を作って政府が使う、ないものを作って使うってことになりますから、それで実は世の中のお金は増えてるんですね。それが通貨発行、ここ数十年で起きてきた、要するに、政府による、政府の予算委員会による、まあ国会の予算委員会に、もちろん政府が予算案を作ってそれを国会で承認してという、そういうプロセスによるお金の発行っていうのがここ数十年で起きてきた。ということは、日銀何やってんの?って。日銀は通貨発行してません、ですから。繰り返しになりますが。だから、通貨発行権とかいうその権利みたいなものを誰か一部の、何とかチャイルドみたいな(笑)、そういう国際金融家が握っていて、それがすべてをコントロールしてるみたいなのは、もうこれは幻想でしかなくて。仕組みを知ればそんなことではないっていうことがよくわかります。だから何が問題なのかっていうと、この仕組み、銀行が借金でお金を作り出すという仕組みはもう完全に時代遅れになってしまっていて、そういったことから変えてくっていうことを、私大西つねき、それからフェア党は言っています。なので、皆さんもちょっとそこら辺いろいろ調べていただけるとわかると思うんですが、日銀が民間銀行だからどうとか、通貨発行権がどうたらということはあまり本気にしないほうがいいです。基本的にあんまり恐らくわかってないんじゃないかなあというふうに思います。ということで、この質問、よく本当に講演会のあとに聞かれて、一回一回説明してるので、もう一旦これ動画で作って皆さんに見てもらったほうが早いかなと思って、今回、動画を作りました。



ということで、来週何の話をしようかな。実は面白い質問をいただいていて、それについてずっと考えてるんですが、なかなかうまい答えが見つからなくて。もしその答えが見つかったら来週その話をしたいと思います。ということで、大西つねきの週刊動画コラム、本日は「日銀と通貨発行権の誤解」ですかね、そんなタイトルだったと思いますが、でお話ししました。
https://www.tsune0024.jp/blog/2019-5-27-vol-80
20. 中川隆[-13603] koaQ7Jey 2020年3月22日 10:35:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1301] 報告

目からウロコの財政金融基礎知識/大西つねき 2016/10/03




2016/10/02 に公開

国の借金が880兆円あると言われているけど、実は日本は世界一お金持ち。

お金は国や政府が発行しているわけではない。

お金の発行の仕組みとは?

政府の借金を20年で完済する方法。…

既存の経済理論を覆す新しい哲学で国家経営の本質を語る、フェア党代表の大西つねきさんの「目からウロコ」の経済学講座です。
21. 中川隆[-13248] koaQ7Jey 2020年4月10日 16:20:26 : sfbpU46eAE : ZG5QWVdwY0dyRG8=[-11] 報告
『山本太郎から見える日本』から - 内田樹の研究室 2020-04-10
http://blog.tatsuru.com/2020/04/10_1141.html


『山本太郎から見える日本』(ele-king)
https://www.amazon.co.jp/ele-king%E8%87%A8%E6%99%82%E5%A2%97%E5%88%8A%E5%8F%B7-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC-ele-king-books-ele-king%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4909483527

という山本太郎研究書にインタビューが載った。全体の4分の1ほどを一部を「予告編」として再録。


■山本太郎を支持する理由


──山本太郎を支持するようになったきっかけはなんだったのでしょう?

内田 はっきり注目するようになったのは3・11の後です。俳優だった人が政治的な発言をするようになったとたんに干されて仕事がなくなってしまったと聞いて、日本の芸能界はひどい世界だと思いました。そこで闘っているのは偉いと思って、ひそかに遠くから応援していました。その後、彼が参議院議員になって2〜3年目のころかな、凱風館で公開で対談することになったんです。オープンマインドで、とてもフレンドリーな方だったので、すっかり気に入って。いやあ、いい奴だなと(笑)。

 彼の手法はいくつか基本的な政策を掲げて、その点に同意してくれる相手とはだれとでも組むというやり方ですね。そういうタイプの政治家は日本では左派、リベラルには非常に少ない。むしろ、あらゆるトピックについて「これだけは譲れない」という綱領を掲げて、その非寛容さを思想的な純粋さだと勘違いしている。そうやって「すべてに同意する人間だけと組む」という「踏み絵」のようなことをやる。「小異を捨てて大同につく」ということが日本の左派、野党はとにかく苦手ですね。だから、四分五裂している。ある種の潔癖さみたいなもので、政治家としての清潔さと表裏一体でもあるので、一概に否定はできないんですけれど、自民党はそこらへんがずさんでしょう。昨日まで反対していた政策に一夜にして賛成したりというようなことは日常茶飯事で、とにかく政権にしがみついていられるためならなんでもやる。その政治的な無原則のせいで現に巨大勢力を形成している。野党が結集して、自民党に対抗できる政治勢力になるためには、ある程度は自民党の組織戦術に学ぶ必要がある。政策の優先順位を決めて、大筋で合意できたら、細部については細かいすり合わせをしないで、後回しにする。そういうことが野党が苦手なんです。でも、山本太郎はその点が例外的です。彼はイデオロギー先行で政治家になった人じゃないから。いま目の前にいる困っている人たちを支援するための「手段として」政治がある。その辺の割り切り方は他の野党政治家にはなかなか見られない。

──立憲とは距離があるように見えます。彼は野党分裂の原因になっているのでしょうか?

内田 山本太郎は別に野党を分裂させる気はないと思う。ほんとうは立憲民主党が中心になって野党共闘をするべきなんです、最大野党なんだから。でも、いま野党共闘を強く牽引しているのは山本太郎と共産党じゃないですか。国民民主党と立憲民主党はどちらも野党共闘に積極的であるようには見えない。党名がどうだとか、細かいことを言っている。もともと同じ政党にいた連中が再統合するだけでこれだけ揉めている。今、目の前にある具体的な政治的課題にどう取り組むかより、自分の議席をどう守るのかという方に気持ちが向かっている。国民と立憲の争いって、「野党第一党はどっちだ」という争いでしょ。そんなレベルの低いことで争ったってしょうがないじゃない。政権を狙いに行けよと思うんだよね。その意欲がないところに山本太郎もイラついているじゃないですか。

――前回の参院選では、本人は落ちてもれいわの躍進をとるという闘い方でした。

内田 山本君自身は議席をとろうと思ったら、どこだってとれる。衆院でも参院でも、どこかの補選に出ればたぶん当選するだろうし、知事選だってどこでも通るんじゃないかな。

――彼のことを極右と呼ぶ人もいれば極左と呼ぶ人もいて、不思議なグラデイションのなかにいる印象があります。

内田 古典的な右、左というカテゴリには収まらないと思います。

――それが、彼がポピュリズムと言われるゆえんでしょうか?

内田 ポピュリズムというのは明確な政治イデオロギーですから、違うと思います。彼はイデオロギー先導じゃないから。それよりもプラグマティズム、現実主義ということなんじゃないかな。目の前の政治的な問題について、解として選択肢がいくつかあるなら、どれが一番国益に資するのか、どれが一番国民生活にとってプラスになるのか、どれが一番行政コストがかからないか・・・という具体的な「ものさし」で政策を吟味していると思います。

 今は30年、50年というスパンで長期的な計画を持っている政党なんて世界じゅうどこにもないと思いますよ。どこも目先の政治的な難点をどう解決するかということに懸命で。アメリカもそうだし、イギリスもそうだし、EUもそうだし、中国、韓国もそうだし。そういう先の見えない状況で右だ左だと言っても仕方がないという気がするんですよ。

 とくに今アメリカやヨーロッパでホット・イシューといえば現代貨幣理論(MMT)ですね。このアイディアに一番最初に反応した日本の政治家は山本太郎だったでしょ。こういうのにはほんとうは右も左もない。でも、既成政党は、現代貨幣理論は右派的なのか左派的なのかという党派的見極めがつかないので、「判断保留」している。山本太郎はぱっと頭を切り替えた。そういうことができるのが最大のアドヴァンテージなんじゃないかな。

──山本太郎の起こしているムーヴメントは、たとえばスペインのポデモスや、アメリカのバーニー・サンダース、オカシオ゠コルテスなどが巻き起こしているオルタナティヴな運動とリンクしていると考えていいでしょうか?

内田 リンクしていると思います。ただそれは、よそでこういう実践があったから、それを模倣しようということではないと思います。世界同時多発的に起きるんです、こういうものは。いま世界のどこも反民主主義的で、強権的な政治家が成功しています。アメリカのトランプも、ロシアのプーチンも、中国の習近平も、トルコのエルドアンも、フィリピンのドゥテルテも。非民主的な政体と市場経済が結びついた「政治的資本主義」が成功している。

 中国がその典型ですけれど、独裁的な政府が、どのプロジェクトにどんなリソースを集中すべきか一元的に決定できる。民間企業も軍部も大学も、党中央の命令には服さなければいけない。巨視的なプランを手際よく実行するためには、こちらの方が圧倒的に効率がよい。民主国家では、民間企業や大学に対して、政府のプロジェクトに全面的に協力しろというようなことは要求できませんから。非民主的な国なら、政府のアジェンダに反対する人たちは強権的に黙らせられるし、人権も制約できるし、言論の自由も抑え込める。だから、短期的な成功を目指すなら「中国モデル」は魅力的です。日本の安倍政権も、無自覚ですけれど、中国やシンガポールのような強権政治にあこがれている。だから、国内的にはそれに対するアンチが出て来る。日本の場合は、それが山本太郎だったということなんじゃないですか。


■検閲はびこる大手メディア


──民放や全国紙などの大手メディアが彼をとりあげないのはなぜなのでしょう?

内田 参院選が終わった直後、ある大手紙が僕のところに取材にきて、れいわ新選組の躍進について意見を聞きたいと言ってきた。選挙期間中にれいわ新選組についてまったく報道しなかったメディアが今ごろやってきて何を言うのかと文句を言ったんです。あれは「事件」でしょう! 短期間で立候補者を集めて、一人で4億円以上の資金をクラウドファンディングで集めたわけで、それって「事件」じゃないですか。「ニュース」じゃないですか。それを政治的中立性がどうたらと言って報道しなかった。それはジャーナリストとして自殺行為じゃないかと言ったんです。そしたら、その記者が言うのは、実はずっと山本太郎のことは取材していたんだそうです。専属チームまで作って。選挙活動の最初から映像や音声を撮っていたので、素材は山のようにあった。でも、使ってもらえないんだ、と。いくら記事を書いても、ニュース映像を作っても、上が「これは使えない」と言ってボツにするんだそうです。山本太郎だけじゃなく、辺野古もそうだと言ってました。現場は必死でニュースを取材しているんだけれど、上が抑えている。

──検閲するということは、それを脅威だと思っているということですよね。

内田 そうですね。そのまま放送されたり、記事にされると、政権に大きなダメージを与えるということがわかっているから抑え込んでいるんでしょう。桜を見る会もそうです。関係者を取材して証言を取れば、公選法違反で首相を追い込めるんだけれど、政権維持のために、メディアの上層部、政権の連中と一緒に寿司を食ったりしているような連中が隠蔽に加担している。

──われわれはネットや『週刊金曜日』などの小さなメディアのおかげで山本太郎の活動を知ることができているわけですが、他方で地方の年輩の方などは、情報源がテレビくらいしかなかったりもしますよね。

内田 テレビと讀賣新聞産経新聞しか読まない人たちとネットで情報を取っている人たちとのあいだに情報格差が生まれています。世界の見え方がまるで違うと思う。テレビがもう少し現実をありのままに映し出してくれたら、政治は一変すると思いますけどね。テレビはそのラストチャンスを失いつつあると思う。もう知的な人は誰もテレビ見なくなっている。

http://blog.tatsuru.com/2020/04/10_1141.html

22. 中川隆[-13230] koaQ7Jey 2020年4月17日 07:31:40 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[3] 報告
住居失った人を貧困ビジネスの大部屋送り コロナ感染者作り出す厚労省(田中龍作ジャーナル)
http://www.asyura2.com/20/senkyo271/msg/602.html

2020年4月16日 22:19 田中龍作ジャーナル


厚労省通達の見直しを求めて加藤厚労相に直談判する山本太郎。加藤大臣はひたすら逃げた。=16日、厚労省玄関 撮影:田中龍作=

 これでは厚労省がコロナ感染のクラスターを作り出しているようなものだ。

 緊急事態宣言とコロナ不況で住居を失ったり、ネカフェを締め出されたりした人々が、自治体の窓口に生活保護申請に行ったところ、無料低額宿泊施設の大部屋に送り込まれるケースが相次いだ。

 政府はコロナ感染の拡大を防ぐため、国民に対して集まらないように要請している。それと逆行する施策を、厚労省が進めているのである。

 体力のない弱者ほどウイルスに感染しやすい。恐ろしい話だ。

 無料低額宿泊所は生活保護費の大部分をピンハネする貧困ビジネスの温床でもある。


山本太郎の追及に谷内局長はロレツが回っていなかった。ヤバさを自覚しているのだろう。=16日、厚労省 撮影:小杉碧海=

 問題になっているのは厚労省社会・援護局が緊急事態宣言の対象となった自治体に発出した通達(7日付)だ—

 「現状の宿泊場所だけでは不足が見込まれる場合・・・(中略)ホテルや旅館を開拓し」とある。

 これを上手に利用したのが東京都だった。

 東京都は市区の社会福祉事務所に「第一義的には無料低額宿泊所・保護施設を利用すること。それでも不足する場合には緊急一時宿泊所(ビジネスホテル)を活用」とする通達を出したのである。(通達の内容はのちに変更したようだ)

 他の自治体も厚労省の方針を遵守しているようだ。
 
 各自治体のスタンスは—

 「本省(厚労省)からの事務連絡をもとにルール(方針)を守っているので、これ以上のことはできない。相部屋や大部屋がダメだとかいう通知はもらっていないので、私たち(自治体)は間違ったことをしていない」。


加藤大臣は山本太郎の申し入れを頑なに拒否した。しぐさには可笑しみさえ漂っていた。=16日、厚労省 撮影:田中龍作=

 事態の改善を求めて山本太郎がきょう、単騎、厚労省に乗り込んだ。一刻の猶予もならないからだ。厚労省は社会援護局の谷内繁局長が対応した。

 山本太郎は谷内局長を追及し通達の見直しを求めた―

 「無料低額宿泊所において(コロナ)感染が発見されたら厚労省の責任になりますね」

 「緊急事態下において相部屋に新規に人を受け入れることなんてやってはいけないのでは?」と。
 
 谷内局長はタジタジだった。「あの、あの、我々としては新型コロナウイルスの感染防止が非常に大事ですから、必要なことを早急にやっていきたいと思っています」と原則論でかわした。

 山本が畳みかけた。「感染防止という観点に立った場合、相部屋というのは感染防止になりますか?」

 谷内局長の答えは実に悠長だった。「今後、個室化を求めてますんで」。

 厚労省の危機感のなさには呆れるばかりだった。

 この瞬間にもウイルスは宿泊者の体内に宿り、宿泊者は市中にそれを撒き散らしている。

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