2016年 10月 10日 エディット・ピアフの「愛の賛歌」 日本語訳詞では、本当のところが実感できないのです、の巻。(笑) https://mitchhaga.exblog.jp/26048894/ 日本では越路吹雪さんが歌われて有名ですよね。 日本語訳詞は岩谷時子さん、まことに見事な訳であります。
越路吹雪 愛の讃歌 歌詞 - 歌ネット http://www.uta-net.com/song/42573/
その名訳でなぜ実感できないのか。
まずは、状況を整理してみましょう。 時は1949年10月27-28日です。フランスは、パリ・オルリー空港を飛び立ったニューヨーク行き定期便ロッキード・コンステレーションが、中継地アゾレス諸島サンタマリア空港近くの島に墜落し、乗員・乗客全員が死亡する事故が発生します。
この機の乗客の一人が、当時フランス中を湧かせていたボクシングの世界チャンピオン、マルセル・セルダンでした。彼は妻と3人の子がいましたが、エディット・ピアフと恋仲であり、ニューヨークで二人は会う予定でした。 ピアフはそれでも予定されていたステージに立ちます。彼女の親友である、女優マレーネ・ディートリッヒは「愛の賛歌」を歌うのを思いとどまるように頼みますが、ピアフは敢えて歌うのです。 なお「愛の賛歌」自体はこの事故が起きる少し前に作られており、1949年9月14日にニューヨークのキャバレー・ヴェルサイユでピアフが歌ったのが初演だそうです。(彼女がこの歌を吹き込むのは翌年の5月2日です)
ではなぜ、ディートリッヒはピアフが「愛の賛歌」を歌うのを止めようとしたのでしょうか。それは、『危険な歌詞であったから』です。
ここが日本語訳詞では分からない所ですね。日本語訳詞は熱烈な愛の歌ではあるが、危険な匂いはありません。 まずはオリジナルのフランス語歌詞
『 Hymne à l'amour
Le ciel bleu sur nous peut s’effondrer
Et la terre peut bien s’écrouler, Peu m’importe si tu m’aimes, Je me fous du monde entier. Tant que l’amour inondera mes matins,
Tant que mon corps frémira sous tes mains, Peu m’importent les problèmes, Mon amour puisque tu m’aimes. J’irais jusqu’au bout du monde,
Je me ferais teindre en blonde, Si tu me le demandais. J’irais décrocher la lune, J’irais voler la fortune, Si tu me le demandais. Je renierais ma patrie,
Je renierais mes amis, Si tu me le demandais. On peut bien rire de moi, Je ferais n’importe quoi Si tu me le demandais. Si un jour la vie t’arrache à moi,
Si tu meurs que tu sois loin de moi, Peu m'importe si tu m’aimes Car moi je mourrai aussi. Nous aurons pour nous l’éternité,
Dans le bleu de toute l’immensité. Dans le ciel, plus de problèmes. Mon amour crois-tu qu’on s’aime ? Dieu réunit ceux qui s’aiment.』 つづいて、みっちのお粗末なる日本語訳詞(汗)
『 愛の賛歌
もしも蒼空が崩れ落ち
そして地が割れようとも 私は気にしない、あなたが愛してくれるなら 私は気にしない 私の朝が愛で溢れるかぎり
私の体があなたの腕の中で震えるかぎり 私は気にしない あなたが私を愛してくれるなら 私は世界の果てまで行くわ
私はブロンドの髪にしてみせる あなたが求めるなら 私は月にだって行く 私は大金も盗んでみせる あなたが求めるなら 私は国を捨て
私は友を捨てる あなたがそれを望むなら 人にどう笑われようと 私は何でもする あなたが望むなら もしもある日、運命があなたと私を引き裂き
もしもあなたが死に、遠い存在となっても 構わないわ、あなたが愛してくれるなら なぜなら、私も一緒に死ぬから 私たちは永遠に一緒
果てしない蒼空に 天国には憂いはない あなた、お互いの愛を信じてる? 神よ、愛し合う2人を再び結ばせたまえ』 どうでしょう。やっぱり、ちょっと危険な歌詞ですよね。ディートリッヒがピアフの身を心配して、止めたのも分かります。
さて、この事故機には、もう一人フランスの有名人、音楽家のジネット・ヌヴーが搭乗していました。彼女はまだ30歳、将来を嘱望される、天才ヴァイオリニストでした。 偉大な女性ヴァイオリニストとして認められた、世界初の人であったと思います。 今回の記事冒頭の画像は、あの運命の日、問題のエールフランス機に乗り込む直前の2人の姿。ヌヴーがセルダンに愛器ストラディヴァリウスを見せているところです。
なお、ヌヴーのストラディヴァリウスは1730年製、彼女が1935年のコンクールに出場する際に購入され、その後の成功を共にしたものでした。(彼女はこのコンクールで、あのダヴィッド・オイストラフを抑えて優勝しています)
事故により、このストラディヴァリウスは失われたのですが、どうも丈夫に出来ていたヴァイオリンケースと弓は回収されたようです。肝心のストラディヴァリウスともう一挺の予備のガダニーニは遂に回収されませんでした。ただ、何年か後に、ガダニーニの渦巻き部分がパリで発見されたそうです。誰かが残骸を拾ったのでしょうか。 https://mitchhaga.exblog.jp/26048894/
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