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(回答先: 信用貨幣論に基づく信用創造 投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 29 日 10:48:14)
国定信用貨幣
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E4%BF%A1%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96
国定信用貨幣論とは、通貨の成り立ちや、通貨の定義に関する学説の1つである。
現代貨幣理論(MMT)が採用していることで知られている。
商品貨幣論とはあらゆる面で正反対の主張をしている。国定信用貨幣論と商品貨幣論の論争は1000年以上も続いてきた。
※日本の法律において「貨幣は金属を素材とする硬貨であり、通貨は紙幣と銀行券と貨幣を合わせた概念である」と定義されている。本記事では、できる限りその定義に従うことにする。
名称
国定信用貨幣論の別名称は、租税貨幣論(Tax driven Monetary View)、表券主義exit(Chartalismexit チャルタリズム)、貨幣国定説exitなどがある。名前が異なるだけで、どれも同じ内容になっている。
国定信用貨幣論は、中野剛志が著書『富国と強兵exit_nicoichiba』の61ページで作り出した用語である。
租税貨幣論は、日本人の誰かによって作り出された用語である。現代貨幣理論(MMT)の提唱者として知られるL・ランダル・レイexitが著書で「Tax drives money(租税が貨幣を駆動する)」と繰り返しているので、その表現を由来にしているものと思われる。
Twitterなどで検索してみると、租税貨幣論という用語の方が国定信用貨幣論という用語よりも多くの頻度で使用されていることがわかる。
概要
定義
国定信用貨幣論において、通貨は政府の徴税権の対象物であると定義する。
国民が納税の義務から解放されるために政府に差し出すものを通貨というのである。
概説
政府は、価値を測る尺度として通貨を法律で定める。
そして政府は、民間人の貢献に対する報酬として、通貨を支払う。政府用の建築物の材料となる木材を民間人から徴収したとき、その対価として通貨を払う。政府用の建築物を建設した労働者に対して、その対価として通貨を払う。政府に所属する公務員(軍人、官吏)に対して、給料として通貨を払う。こうして、通貨が国民経済にばらまかれる。
そして、通貨で計算された納税義務を法律で定め、国民へ一方的に強制する。市場が開かれていたら商人達に「通貨で税金を払いなさい」と要求し、関所を通る通行人に「通貨で税金を払いなさい」と要求する。そうすることで、国民の間でその通貨を必要とするようになり、国民の皆が通貨を貯蓄しようとする。政府の徴税権力により、誰もが通貨を尊重するようになる。
国民の皆が通貨を欲するようになるので、民間の商取引の交換手段としても使われるようになる。どこの家庭も納税のために通貨を必要とするので、通貨を仲立ちにして商売することができる。
通貨となるのは、「民間人に偽造されにくい」という条件を満たしていれば何でも構わない。紙切れでも瓦礫でも、何でも構わない。
政府が税金の税率を上げるなどして徴税権力を強めると、誰もが納税に備えて通貨を貯め込むようになり、買い物を控える人が増えて民需(民間の需要)が減り、通貨の価値が高まるデフレに近づく。
政府が税金の税率を下げるなどして徴税権力を弱めると、誰もが「通貨なんて持っていてもしょうがない、他の商品と交換してしまおう」と考えるようになり、買い物をする人が増えて民需(民間の需要)が増え、通貨の価値が下がるインフレに近づく。
政府の徴税権力が健在ならば民需を削減できるのでハイパーインフレを阻止することができる。内乱などで無政府状態になり政府の徴税権力が失われると、ハイパーインフレになる。
以上が国定信用貨幣論のあらましとなる。
商品貨幣論との比較
商品貨幣論と国定信用貨幣論は、あらゆる面で対極に位置しており、まさに水と油である。商品貨幣論と国定信用貨幣論の比較表は、以下のようになっている。
商品貨幣論 国定信用貨幣論
通貨の定義 市場の中で最も人気が高く、皆が一様に価値があると信認している立派な商品 政府が納税の手段として一方的に強制しているもの
通貨を支える主体 市場に参加する民間商人 政府の徴税権力
通貨を作っている人と通貨を利用している人 民間商人が通貨を作り出している。政府は民間商人が作り出した通貨を利用しているだけである 政府が通貨を作り出している。民間商人は政府が作り出した通貨を利用しているだけである
通貨を生み出す心理 「みんなに認められているすごく立派なものである」という賞賛の心。ポジティブな感情が通貨を生む 政府の徴税権力に対する恐怖心。ネガティブな感情が通貨を生む
不換紙幣の時代の通貨 市場に参加する民間商人の共同幻想によって通貨が成り立っている 強大で確実な政府権力によって通貨が成り立っている
暴落が始まるのはいつか 市場に参加する商人の通貨に対する信認が失われたとき 政府が徴税権力を失ったとき
分かりやすい表現 「通貨とは、皆が大事に思っている宝物」 「通貨とは、偉い人向けに差し出す貢ぎ物」
国定信用貨幣論の長所
あらゆる形態の現金通貨(紙幣、銀行券、硬貨)を上手く説明することができる。
2020年現在の世界各国の大多数は、中央銀行が発行している不換銀行券を通貨として採用している。不換銀行券は、中央銀行の負債として発行されているのだが、中央銀行が何らかの価値ある資産との交換を停止していて、「何らかの価値ある資産との交換期限が極めて遠くにまで先送りされている負債」だと表現することができる。不換銀行券は、銀行にとって極めて緩やかな負債であり、銀行以外の人にとって完全に無価値なものである。
そういう不換銀行券が通貨として流通していることを簡明に解説できるところが、国定信用貨幣論の長所である。
国定信用貨幣論の短所
とにかく浪漫がない、というのが短所である。
商品貨幣論は「通貨とは、市場に参加する全員によってその価値を認められており、皆が追い求める夢のような宝物である」と、まことにロマンチックな説明をする。
国定信用貨幣論は、「通貨とは、権力者がばらまき、権力者が徴税することで成立する。権力者の、権力者による、権力者のための道具である」と、身も蓋もない言い方をする。ロマンチックだとか、甘美さだとか、そんなものは一切ない。
また、政府というものを毛嫌いする思想(イデオロギー)を抱えている人にとっては、なかなか受け入れがたい論理だといえる。
政府などの権力者に反発することを良しとする価値観を持つ人を「反骨精神の持ち主」「反体制派」というが、そういう人たちにとっては国定信用貨幣論を受け入れるのが心情的に難しいと思われる。
経済に対する政府の介入を最小限にすべきという考え方を新自由主義(市場原理主義)という。そういう人たちにとっては、「経済の要である通貨というものは政府の権力によって生み出される」という国定信用貨幣論を受け入れるのが苦痛に感じるだろう。
民間企業を尊んで政府・官僚を卑下する考えを民尊官卑という。この考えを持つ人たちにとって、国定信用貨幣論という学説はどうしてもなじめないだろう。
世の中には色んな人がいるが、その中には名誉を重んずる人がいる。そういう人たちにとっては国定信用貨幣論を受け入れるのがひょっとしたら難しいかもしれない。なぜなら、国定信用貨幣論という理論を支持するためには、「人は皆、権力者の嫌がらせと圧迫に悩まされている存在である」という不名誉な事実を認めないといけないからである。
徴税すると通貨が生じる
国定信用貨幣論の考え方の基本として、「通貨を徴税するというよりは、徴税すると通貨が生じるのだ」というものがある。
「政府の徴税権力で、通貨を作り出すことができる。不換銀行券のような無価値の紙切れに付加価値を与えて通貨に仕立て上げることができる。原価30円の金属片を500円硬貨に仕立て上げることができる」と論じるのである。
政府が徴税すると布告した瞬間に、無価値の物体が通貨となる。ただの紙切れや金属片に価値が付加される。
徴税権力に逆らって納税義務を怠ると、政府によって恐るべき罰が与えられる。警察に逮捕され、検察に起訴され、裁判所で有罪判決を受け、法務省の管理する刑務所にぶち込まれる。
刑務所にぶち込まれるのが嫌なのは、人なら誰しも抱えている感情である。徴税権力への恐怖心、もう少し柔らかく言い換えると納税義務からの解放を求める心、そういう心は天下の万民が共通して抱いている。それが、通貨を作り出している。
ウォーレン・モズラーの名刺説
ウォーレン・モズラーexitというアメリカの経済学者がいる。その人は、「モズラーの名刺説exit」と呼ばれる例え話をしたことで知られる。
ビル・ミッチェルexitというオーストラリアの経済学者は、モズラーの名刺説を紹介していた。
ある家庭に父親がいて、子どもに「週に1回庭の掃除をすれば、名刺を100枚あげよう」といった。
子どもは、当然ながら、「名刺なんて要らないよ」と言った。
そこで父親は「それじゃあ、君に対して、週に1回、100枚の名刺を課税しよう。家に住み続けいんなら、納税しなさい」といった。
すると子どもは、たちまち「すぐに庭の掃除をさせて!名刺が欲しいんだ!」といった。
※A simple personal calling card economy(ビル・ミッチェル)exit このページexitで日本語訳が書かれている
これがモズラーの名刺説である。徴税権力をちらつかせることで、ただの名刺に価値を感じるようになる、と説いている。
「刑務所送り回避券」とか「刑務所送り免除券」という表現
ジョン・シェインexitという米国の投資家は、通貨をget-out-of-jail-cardと呼んだ(記事exit)。
get-out-of-jail-cardを正しくいうとget-out-of-jail-free-cardとなり、モノポリーというボードゲームで使われるカードを指す言葉になる(記事exit)。日本人のモノポリー愛好家には釈放券と呼ばれている。ここでは「刑務所送り回避券」とか「刑務所送り免除券」と翻訳しておきたい。
通貨を持っていないと刑務所送りになる。通貨さえあれば刑務所に行かずに済む。刑務所に行きたくないので、誰もが通貨を欲しがる。
名目貨幣と本位貨幣(正貨)
貨幣学の用語に、名目貨幣と本位貨幣(正貨)というものがある。
名目貨幣というのは、素材価値よりも大きい額の額面金額で通用しているものである。原価30円の金属片で作られている500円硬貨、4万円の金塊で作られた昭和天皇御在位60年記念10万円金貨exitが代表例である。奈良時代の和同開珎や江戸時代の小判も名目貨幣だった。明治時代の政府紙幣は、名目貨幣の究極形といえるだろう。
こうした名目貨幣は、発行した組織に大きな通貨発行益(シニョレッジ)exitが入るのが特徴といえる。
額面金額と素材価値の差額が通貨発行益となるわけだが、国定信用貨幣論の考え方に基づくと、その通貨発行益は「政府の徴税権力で作り出された付加価値」とか「納税に使用できるという付加価値」ということになる。
国定信用貨幣論とは、「政府はいくらでも名目貨幣を作り出せる」と考える。
本位貨幣というのは、正貨とか商品貨幣とか実物貨幣といわれるもので、素材価値と額面金額が等しいものである。「10万円の本位貨幣である金貨」といえば、「10万円分の金塊で作った金貨」という意味である。本位貨幣は、発行する組織が通貨発行益(シニョリッジ)を得ることができない。本位貨幣は、兌換銀行券が発行された時代の貨幣である。
国定信用貨幣論の考え方だと、「政府は、わざわざ本位貨幣にする必要が無い。徴税権力を使って名目貨幣を作ればいいのであって、本位貨幣で我慢する必要などない」となる。
以上のことを表にまとめると、次のようになる。
本位貨幣(正貨、商品貨幣、実物貨幣) 名目貨幣
定義 素材価値と額面金額が等しい 素材価値よりも額面金額の方が大きい
通貨発行益 発行する組織に通貨発行益をもたらさない 発行する組織に多くの通貨発行益をもたらす。巨額の支出の必要性に迫られた政府が発行する
親和性のある理論 商品貨幣論 国定信用貨幣論
種類債権が通貨を生む
政府の徴税債権が種類債権であるとき、徴税債権の対象物が通貨になる
国定信用貨幣論を大雑把にいうと、「政府の徴税債権の対象物が自動的に通貨になる」となる。
ここでの徴税債権を詳しく言うと、種類債権(不特定債権)である。種類債権とは一定の種類に属する物の一定量の引渡しを要求する債権である。紙幣を要求する債権なら種類債権になるし、米・布・絹を要求する債権ならやはり種類債権になる(詳しくは債権の記事を参照のこと)。
政府が種類債権としての徴税債権を民衆に差し向けたとき、民衆は納税債務を減らすために、徴税対象品を周りの人から集めるようになる。そして徴税対象品が通貨になっていく。
政府の徴税債権が特定債権であるとき、徴税債権の対象物は通貨にならない
種類債権の反対概念は特定債権である。特定債権とは、特定のものを引き渡すように要求する債権である。この世に一つしか無い美術品を要求する債権は特定債権である。
政府が特定債権としての徴税債権を民衆に差し向けたとき、民衆は納税債務を減らすために徴税対象品を周りの人から集めることができない。そのため徴税対象品が通貨にならない。
日本の相続税は、日本銀行券や政府貨幣を納める金納と、「親から相続した物品」を納める物納のどちらかを納税者が選ぶことができる。
相続税納税者が金納を選んだ場合、政府は種類債権としての徴税債権を得ることになる。納税者は日本銀行券や政府貨幣を周りの人からかき集めて納税することになり、日本銀行券や政府貨幣に対する需要が生まれ、日本銀行券や政府貨幣が通貨になる流れが起こる。
相続税納税者が物納を選んだ場合、政府は特定債権としての徴税債権を得ることになる。納税者は「親から相続した株券」とか「親から相続した土地」を納税する。周りの人から株券や土地をもらってそれを納税する、ということができない。そうなると納税者は周りの人の株券や土地を欲しがるわけではなく、周りの人の株券や土地が通貨になっていく流れが起こらない。
より正確な言い回し
ゆえに、国定信用貨幣論をより正確に表現すると、「政府の徴税債権が種類債権である場合に限り、徴税対象品の対象物が自動的に通貨になる」となる。
徴税権力を収賄願望に拡大解釈する
国定信用貨幣論とは、「通貨は、政府の徴税対象物であり、政府の徴税権力を消滅させるものである」という考え方である。
ときおり、その考え方を拡大解釈することがある。政府を「権力者」に拡大解釈し、徴税を「権力者が物品などを受け取る収賄行為」に拡大解釈する。
「徴税は法律で定められた収賄であり、収賄は法律で定められていない徴税である」といった感じに、徴税と収賄を同種類の現象として扱う。
政府への納税をとりやめると、政府の手によって刑務所送りという罰が与えられる。それは「権力者への贈賄をとりやめると、権力者からの嫌がらせを受ける」といった事象に拡大解釈することができる。
政府の徴税権力への恐怖心が通貨を生み出している、と先ほど表現した。その表現は、「権力者への恐怖心が通貨を生み出している」という表現になる。
宋銭や軍票の流通を説明する
この拡大解釈が威力を発揮するのは、宋銭や軍票が流通した原理を考えるときである。
宋銭は政府の徴税が民衆に課せられていないにもかかわらず民衆に広まっていったことで知られている。また、様々な国が軍票を発行して占領地で流通させたが、軍隊は軍事行動で忙しいので徴税などをロクに行っていないことがほとんどである。
「宋銭は、当時の権力者である平忠盛や平清盛やそれに従う武士たちへの賄賂として使い道があったので、民衆に広まっていった。権力者の収賄願望を消滅させ、権力者の機嫌を直し、権力者からの嫌がらせを停止させるという付加価値があったので通用した」と論じたり、「軍票は、占領地における権力者である兵士たちへの賄賂として使い道があったので、民衆に広まっていった」と論じたりすることになる。
もちろん、これらの考え方は、ただの推論でしかない。歴史書に賄賂のことが書かれることはないので、証拠が見つからないからである。とはいえ、国定信用貨幣論を拡大解釈するのは、面白い考え方だと思われる。
刑務所で流通する通貨を説明する
刑務所の中では、独自の通貨が自然発生的に流通することが知られている。
タバコが刑務所通貨として流通することがある。これをタバコ貨幣とか、タバコ通貨という。第二次世界大戦中に、ドイツ軍の捕虜収容所に入所したリチャード・A・ラドフォードexitは、捕虜収容所の中でタバコが通貨として流通する現実と遭遇した。戦争後に『The Economic Organisation of a P.O.W. Campexit』という論文を書き上げて有名になり(記事exit)、そしてIMF(国際通貨基金)に就職している。
2016年のアメリカ合衆国の刑務所では、なんとラーメンが刑務所通貨として流通している(記事1exit、記事2exit)。
こうした刑務所通貨の流通は、国定信用貨幣論の拡大解釈で説明できる。刑務所の中には腕力が強くて乱暴な者や、裏社会に通じていて政治力がある者といった、権力者がいる。そういう権力者を怒らせないようにするには、賄賂を贈るのが一番良い。そのため、権力者向けの賄賂として使い道のあるモノが通貨として流通していく。タバコやラーメンを嫌う人も、「自分は好きじゃないが、権力者向けの賄賂として役に立つ。これを差し出せば権力者からの嫌がらせが消えるだろう」と判断し、タバコやラーメンを通貨として扱う。
信用貨幣論との関係
国定信用貨幣論を信用貨幣論の一部と扱うか、信用貨幣論とは別個の理論と扱うかで、意見が分かれている。
「通貨は政府の負債」と論じる人たち
信用貨幣論は「通貨とは負債である」と定義している。
そして、国定信用貨幣論を信奉する人の一部は、「通貨とは、政府の徴税権を消滅させるものだから、政府の負債である」という考えを唱えている。その考えに従うと、国定信用貨幣論は信用貨幣論の一部になる。
「通貨は政府の負債ではない」と論じる人たち
一方で、「『通貨は、政府の徴税権力を消滅させるものだから、政府の負債である』という論理は、法律学の観点からみて少し不自然である」と論じる人がいる。その論理に従うと、国定信用貨幣論と信用貨幣論は別種のものである、ということになる。
たとえば、土地所有者のDさんと不動産屋のEさんがいて、DさんがEさんに土地を売却する契約を結んだとする。この場合、「Dさん所有の土地は、Eさんの債権を消滅させるものであり、Eさんにとって負債である」と表現することは、通常の法律界において行われない。
また、2020年現在の日本において通貨になっているものは日本銀行券と硬貨であるが、日本銀行券は日本銀行の負債として発行されており、硬貨は政府の資産として発行されている。いずれも、政府の負債として発行されているのではない。
本記事の編集方針
2020年5月23日時点の本記事は、後者の立場を支持しつつ執筆した。すなわち、「通貨は政府の徴税権を消滅させるので政府の負債である」という論理に異を唱え、国定信用貨幣論と信用貨幣論を別個のものと扱っている。
不換銀行券の発行の根源を「政府の通貨発行権」と説明する
警告
この項目は不換銀行券の記事と合わせて読むことをお奨めします
国定信用貨幣論とは、「通貨とは政府の徴税権の対象物である」という考え方である。「政府には強大な徴税権力があり、その徴税権力でどんなものも瞬時に通貨に変えてしまうことができる」という考えで、政府の通貨発行権を強く肯定するものである。
さて、2020年現在の日本では、日本銀行が発行する日本銀行券を主な通貨として採用している。
日本銀行券は日銀にとっての負債であり、日本銀行が何らかの資産を入手したときにその代償として発行する仕組みになっている。2020年現在における日本銀行は、日本国債を資産として入手したときに、その代償として日本銀行券を発行する事が非常に多い。
つまり、日本銀行は、政府の返済能力を高く評価しつつ信用し、政府の返済を義務づけた国債を資産として扱って、その代償として負債を発行しているのである。つまり、日本銀行が政府に対して信用創造を行っている。
日本銀行は、政府に返済能力がある、と高く評価しているのである。さて、ここでの「政府の返済能力」とは、いったい何なのであろうか。
国定信用貨幣論の考えにしたがうと、「日本銀行は、日本政府の通貨発行権による返済能力を信用している」ということになる。日本銀行が日本国債を買い取って日本銀行券を発行するのは、政府に脅されたり命令されているわけではなく、政府の通貨発行権を高く評価し、その権力の強さに屈服しているだけである、ということになる。
もう少し分かりやすくいうと、日本銀行が○兆円の国債を買い取って○兆円の日本銀行券を発行するのは、日本銀行が「政府は○兆円の政府紙幣や硬貨を発行するだけの権力がある」と認めているから、ということになる。
通貨発行権を認める
政府の通貨発行権を認め、政府が中央銀行に強い影響を与えることも肯定する
国定信用貨幣論の一大特徴は、政府の通貨発行権を認める点である。「通貨とは、政府が作り出すものである」というのだから、もちろん政府の通貨発行権を認めることになる。
政府に通貨発行権があることを認めるので、政府が中央銀行に対して強い影響力を与えることも認めることになる。「政府から通貨発行の要請を受けた中央銀行は、それに従うしかない。中央銀行が政府の意向に逆らって通貨発行を拒否した場合は、政府が通貨発行権を行使することができる。中央銀行が政府に逆らっても全くの無駄だ」という論理が展開され、「中央銀行は政府の強い影響を受けて通貨発行をする存在である」という認識になる。
政府が国債を売却する直前に中央銀行が通貨を新規発行して政府の国債消化を全面的に支援することも、極めて肯定的にとらえることになる。
つまり、国定信用貨幣論は、中央銀行の支援を受けた政府が国債の売却で好きなだけ通貨を入手することを大いに認める理論である。
税収にとらわれずに政府予算を作ることを肯定する
国定信用貨幣論は政府の通貨発行権を認めるから、「政府は、『政府の通貨発行権』を背景にして中央銀行に強い影響力を与えつつ国債を売却し、好きなだけ通貨を獲得して予算を作ることができる。税収というのにとらわれる必要は無い」と論ずる。
「政府と中央銀行は、まず必要なだけお金を作って、官公需を作っている。つまり、作ったお金を民間に支払いつつ民間から財やサービスを得ている。官公需を作ったあとに民需が増えすぎるとインフレになるので、インフレを抑えるため税金を掛けて民需を抑制している」というのが国定信用貨幣論を示す考え方である[1]。
政府の通貨発行権を認めず、政府が中央銀行に強い影響を与えることを否定する商品貨幣論
その一方で、商品貨幣論は政府の通貨発行権を積極的に認めない。商品貨幣論の信奉者は政府に通貨発行権があることをすぐ忘れてしまう。商品貨幣論は「通貨とは、民間人が自発的に作り出したものである。政府は、民間人が作り出した通貨に寄生しているだけである」という考え方をする。それゆえ、「政府に通貨発行権なんてないんじゃないか?」と考える傾向がある。
商品貨幣論は政府の通貨発行権を認めないので、政府が中央銀行に対して強い影響力を与えることも否定する。「政府が中央銀行に対して通貨発行を要請しても、中央銀行はそうした要請を拒否できる。それが中央銀行の独立というものだ」などと論じる。
商品貨幣論は、政府が中央銀行に対して強い影響力を与えることを否定するので、「政府は国債を売却するときに、中央銀行からの支援を一切受けられない。政府は好きなように通貨を獲得できない」と信じ込むようになり、財政均衡主義をとる。「税収と歳出は一致しなければならない。政府は、税収よりも上回る歳出をしてはいけない」と論じ、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化を強く主張し、常に財政再建という名の緊縮財政を採用することになる。
ここで表を作って、整理しておきたい。
商品貨幣論 国定信用貨幣論
通貨発行権を理解できない。政府は、民間が作り出した通貨に寄生しているだけ 通貨発行権を認める。通貨は政府が作り出すものである
どんなときも財政均衡主義。財政再建という名の緊縮財政が大好き 税収よりも多い歳出をしても構わない。特にデフレの時はそうしてよい
税金は財源そのもの 税金はインフレ防止のために掛けているだけ
デフレ志向 インフレ容認
通貨発行権の歴史
政府の通貨発行権を認めるのか認めないのか。人類の歴史では、前者と後者で何度も揺れ動いてきた。
19世紀や20世紀前半の各国経済は、管理通貨制度exitと金本位制の2つの間で揺れ動いた。
管理通貨制度は、政府は好きなだけ国債を発行できて、それと引き換えにいくらでも不換銀行券を入手できる、という考え方である。つまり、国家の持つ通貨発行権を制限せずに活用する制度である。
一方で金本位制は、政府が獲得した金塊のぶんだけ中央銀行が兌換銀行券を発行できる、政府が獲得した金塊が少なくなれば兌換銀行券を発行できない、という考えであり、通貨発行権を大きく制限するものである。
その当時に管理通貨制度を志向する人は「国家主権を維持しようとする人」とされ、金本位制はグローバリズムだった。
20世紀終盤にはEU(欧州連合)というものが作られ、1999年に統合通貨のユーロが発行されるようになり、加盟各国の通貨を廃止した。統合通貨のユーロは、グローバリズムの体現であるともてはやされたのだが、その一方で、加盟各国は国家主権の重要な一部分である通貨発行権を剥奪されたのである。近年ではEU離脱を主張する政治家が多く現れるようになったが、その人たちの主張は「国家主権を取り戻せ、通貨発行権を取り戻せ、自由に政府予算を組めるようにしよう」である。
グローバリズムというのは国家主権を剥奪して、カネの移動を自由にしようという考えであり、市場原理主義と言われる。19世紀〜20世紀前半のグローバリズムは「すべての国が金本位制を採用し、それぞれの国との通貨決済を容易にするべきだ」と主張し、20世紀終盤〜21世紀のグローバリズムは統合通貨ユーロを作り出した。
そうしたグローバリズムの根っこにあるのが、「政府は通貨発行権を持っていない」という考えであり、商品貨幣論と極めて高い親和性がある。
ここで表にして簡潔にまとめておきたい。
グローバリズム 反・グローバリズム(ナショナリズム)
各国の通貨発行権を認めない。あるいは、強く制限する 各国の通貨発行権を認める
金本位制にして、金塊を事実上の世界統合通貨にする 管理通貨制度にして、各国がそれぞれ好きなように紙幣発行してよいとする
統合通貨ユーロを支持 統合通貨ユーロに反対。EU加盟各国は通貨発行権を取り戻すべき
EU加盟各国は財政均衡主義をとり、緊縮財政で我慢する運命にある。通貨発行権を放棄しているんだからそれが当然だ EU加盟各国は通貨発行権を取り戻し、通貨発行権を行使して積極財政をして景気回復すべき
商品貨幣論と高い親和性がある 国定信用貨幣論と高い親和性がある
「税金は罰金」との考えを導く
「税金は罰金」と考える国定信用貨幣論
国定信用貨幣論は、通貨発行権を使って国家予算を組むことを許容しており、「税源を確保するために徴税をしているのではない。租税はインフレ抑制のために掛けているだけだ。租税による収入は単なるオマケだ」と論ずる。この考え方を機能的財政論という。
そしてさらに、国定信用貨幣論や機能的財政論の信奉者は、「租税というのは、政府が好ましいと思う社会を実現するために掛けている。政府は、好ましくないと考える行動に対する罰金として、徴税している」と論ずるのである。この考え方を「税金は罰金」という。
ガソリンの無駄遣いを好ましくないと政府が考えるから、ガソリンを消費する者に対してガソリン税という罰金を科す。自動車の利用者が増えすぎると交通渋滞が発生し国家経済の発展に対して好ましくないと政府が考えるから、自動車を購入する者に対して自動車税という罰金を科す。会社内の権力者だけが給料を増やして会社内で権力を持たない者の給料が減る現象、つまり格差拡大の現象を政府が好ましくないと考えるから、所得税に累進課税を組み込み、高額所得者に罰金を科す。
税金は罰金であり、政府が好ましい社会を実現するための強制的手段である・・・これが、国定信用貨幣論から導かれる考え方である。
「税金は罰金」という考え方により、「税金を多く納める人は、あまり偉くない」という考え方が導かれる。刑務所にぶち込まれるほどの社会悪ではないが、政府が望むような社会的理想像から少し離れた行動をとっている、といった程度に高額納税者を扱うことになる。
「税金は財源」と考える商品貨幣論
商品貨幣論は、通貨発行権を軽視する貨幣論である。商品貨幣論の信奉者は通貨発行権のことを認識できず、知覚できない。このため、国家予算は租税の収入によって組まれるべきだと論ずることになる。
つまり、商品貨幣論は「税金は財源」という考えの原因となる。
「税金は財源」「納税は国家予算を支える行動である」「税金は国家を建設する基礎である」という考え方は、次第に、「税金を納めるということは、国家に対する参政権や発言権(行政や立法に影響を与える目的で行う表現を自由に行う権利)を得るために必要な行動だ」という考えにつながっていく。
日本の国税庁も、このページexitで、そうした思想を表明している。「代表なくして課税なしexit」というのは18世紀の北米大陸で掲げられたスローガンなのだが、「税金を納めることで、参政権や発言権といった権利が得られる」という考え方を支持する人たちにしばしば引用される言葉である。
そしてさらに、「納税者は偉い」「税金を多く納める人は偉い」という考えをもたらす。
その考え方が過度に発展すると「納税ができない人は偉くない」という不穏な思想になる。世の中には納税できない経済的弱者がいるものだが、そういう経済的弱者に対して「税金を納めてから、物を言え。税金を納められないなら、黙ってろ」と威圧的に接する風潮を作りあげる。高額納税者が低額納税者を侮蔑することを許容してしまい、社会の分断を生み出す。
さらには、制限選挙(納税額の多寡によって選挙権の有無を決める。日本国憲法第15条第3項exitに違反する制度)を理想視するようになったり、あるいは高額納税者だけが『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を謳歌して低額納税者には『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を与えない社会を理想視するようになり、格差社会・階級社会をもたらしてしまう。
まとめ
表にして簡潔にまとめるとこうなる。
商品貨幣論 国定信用貨幣論
通貨発行権を理解できない 通貨発行権を重視する
税収だけで国家予算を組むのが本来の姿だ 通貨発行権で国家予算を組むのが本来の姿だ
租税は国家を建設するための資本である 租税はインフレを抑制しつつ、好ましい社会を阻害する要因を懲罰する手段である
税金を多く払う人は、国家の基礎となっており、偉い 税金を多く払う人は、好ましい社会を阻害する要因になっており、あまり偉くない
「税金は財源」 「税金は罰金」
税金は参政権や発言権(行政や立法に影響を与える目的で行う表現を自由に行う権利)といった権利獲得のために必要 税金を納められない人にも参政権や発言権を認めるのが当たり前である
「税金を納められない人の選挙権を剥奪してしまえ」という制限選挙を待望する心理を生む 普通選挙を実現する。日本国憲法第15条第3項exitを遵守する。
「低額納税者の『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を取り上げてしまえ」という心理を生む 低額納税者にも『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を認める。低額納税者の発言にも耳を傾ける。
格差社会・階級社会になりやすい 格差社会・階級社会になりにくい
国定信用貨幣論の支持者
現代貨幣理論(MMT)を信奉したり理解を示したりする学者に支持者が多い。米国のL・ランダル・レイexit、ステファニー・ケルトンexit、ウォーレン・モズラーexit、オーストラリアのビル・ミッチェルexit、日本の松尾匡exitなど。
国定信用貨幣論と酷似した考えを示した歴史上の人物というと、日本の江戸時代の荻原重秀exitである。元禄時代に勘定奉行を務め、貨幣の改鋳を行って貨幣の品質を落とし、幕府が獲得する貨幣の量を増やして、幕府の支出を増加させてインフレに導いた。「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」という有名な言葉を言い、国家の権力の後押しがあればどのような素材であろうと貨幣になりうるという国定信用貨幣論そのものの考えを示した。
国定信用貨幣論を唱えた19世紀末の経済学者というと、ドイツのゲオルク・フリードリヒ・クナップexitである。彼の『貨幣国定説』という著作は、ジョン・メイナード・ケインズやアバ・ラーナーに深い影響を与えた。
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筆者は中野剛志で、政治経済思想を専門とする学者である。
「国定信用貨幣論」という術語は、中野剛志がこの本で考案したものである。
商品貨幣論、信用貨幣論、国定信用貨幣論という用語を使って貨幣論を分類している。54〜67ページに貨幣論についての文章がある。
『富国と強兵』とはうって変わって平易で親しみやすい文体になっている。106〜109ページ、151〜154ページで国定信用貨幣論を説いている。ただし、国定信用貨幣論という用語を使わず、現代貨幣理論という用語を使っている。
こちらも平易で親しみやすい文体になっている。42〜45ページに貨幣論についての文章がある。
現代貨幣理論(MMT)の第一人者が書いた本。国定信用貨幣論を解説している。
作者は人類学者。国定信用貨幣論に対して理解を示している。
386ページにおいて「中国の貨幣理論は常に表券主義だった。(中略)帝国とその内部の市場があまりにも巨大だったので、海外との交易がとくに重要になったことはなかったのである。したがって、政府を統轄する者たちは、税はこれこれの形態で支払うことと布告するだけで、ほとんどいかなるものでも貨幣にしてしまえることを十分承知していた」と論じていて、国定信用貨幣論はナショナリズムと親和性が高いことを示唆している。
奈良時代から江戸時代まで、日本で流通してきた貨幣について紹介する。「この貨幣を発行したときの政府の狙いはどうだったか」ということを入念に論じている。
国定信用貨幣論の考えを随所にちりばめている。国定信用貨幣論の信奉者の一部が唱える「貨幣は政府の負債」という表現が多い。
脚注
*インフレ・デフレの原因を説明する考え方には2通りがあって、「需要と供給でインフレ・デフレが決まる」という考え方と、「世の中に流通する貨幣の数量でインフレ・デフレが決まる」という貨幣数量説風な考え方がある。記事内では「需要と供給でインフレ・デフレが決まる」という考え方に基づいて記述した。
2019年5月29日NHK記事exitにおける松尾匡は、後者の貨幣数量説風な考え方を採用していて、「政府と中央銀行は、まず必要なだけお金を作って、それを民間に支払いつつ民間から財やサービスを得ている。民間に出回るお金が増えすぎるとインフレになるので、インフレを抑えるため税金を掛けて民間に出回るお金を回収している」と語っている。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E4%BF%A1%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96
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