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(回答先: 北朝鮮収容所での生活とは 密告で家族ごと収容所送り 投稿者 中川隆 日時 2020 年 10 月 29 日 10:05:04)
2020年11月03日
北朝鮮に帰国した在日朝鮮人はどうなったのか
http://www.thutmosev.com/archives/72604967.html
帰国者は割れんばかりの拍手と羨望で見送られ、新潟港を出港した
終戦で日本人と朝鮮人に分かれた
1945年8月15日に日本はポツダム宣言受諾を宣言し、第二次世界大戦は終結しました。
戦争が終わった事で日本帝国は崩壊し、国や国民の定義が変更されました。
中国大陸や朝鮮半島、樺太や千島列島、太平洋の島々に居住していた日本人は、終戦後数年をかけて本土に帰国しました。
日本が戦争に負けたことで日本国民が外地で築いた資産は没収され、無一文で放り出されました。
同時に日本国内に居た多くの朝鮮人の身分も不安定になり、数年間は処分未定なままでした。
1948年に北朝鮮と韓国が独立し、日本政府は本土に残っていた朝鮮人を、韓国に送り返す事にしました。
在外日本人が資産を没収された上に米英中ソの兵士から略奪されたのに比べ、朝鮮人の資産は没収されず換金されました。
だが独立したばかりの南北朝鮮の将来を不安視し、このまま日本に残ろうとした朝鮮人が数十万人存在しました。
1948年の韓国独立までに日本に居た半島人150万人が帰国しました。
1950年に朝鮮戦争が勃発し半島が焦土と化すと、一時中断した後帰国を促したが、もはや帰国したいと言う朝鮮人はほとんど居ませんでした。
1952年にサンフランシスコ講和条約が締結され、日本は再び独立国になり、朝鮮人は外国人と定義され、全員を帰国させるのが決定した。
1953年に朝鮮戦争は終了し、1955年に小泉首相の父の純也法務次官が「在日朝鮮人全員に帰国を促したが帰りたいという者が一人も居なかった。」と答弁した。
荒れ果てた北朝鮮に着いた帰国者は、騙されたのにすぐ気づいた。
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引用:http://blog-imgs-59.fc2.com/n/o/b/nobody0728/blog_import_524f6d7aa365e.jpg
北朝鮮帰国事業とは
「それどころか半島から密航などでどんどん日本に渡ってきている」「強制送還するべきだが韓国政府が拒否している」と述べた。
現在日本に居住している在日韓国朝鮮人は全員が、この時帰国を拒否した人と子孫で、面談の結果強制連行された人は一人も居ないのが分かっている。
1965年に日韓基本条約が締結され1世と2世に永住権が与えられ、永住権はないのに3世以降もズルズルと日本に居住しています。
日本政府はあの手この手で朝鮮人を追い出そうとしたが、その一貫が「北朝鮮帰国事業」でした。
日本政府は一人でも多くの朝鮮人を追い出したがっていて、北朝鮮は国家の威信のために在外朝鮮人を受け入れようとしました。
北にとって北朝鮮が唯一の半島における国家なのに、在日朝鮮人が韓国に「帰国」しているのは許せない事でした。
両者の思惑が一致して帰国事業が始まったのだが、最初から在日朝鮮人自身の利益や幸福は、まったく考えられていませんでした。
日本における北朝鮮の代理機関である朝鮮総連が窓口になり、北朝鮮がいかに魅力的かを朝鮮人に宣伝しました。
日本には直接北朝鮮の情報が伝わらない中で、『北朝鮮は地上の楽園』『帰国者は日本人が羨むような生活をしている』と宣伝しました。
日本政府も帰国を後押しするために、渡航費用を負担するなどしたために、9万3000人以上が北朝鮮に渡った。
そして朝鮮人と結婚した日本人妻6,800人以上も、夫や子供と一緒に北朝鮮に渡った。
帰国者のほとんどが実は北朝鮮ではなく韓国出身だったのだが、朝鮮総連の嘘を真に受けて「日本や韓国より北朝鮮の方が、良い暮らしが出来る」と信じたのでした。
北朝鮮の素晴らしさを伝える産経新聞
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引用:http://dailynk.jp/wp/wp-content/uploads/2015/12/d75c8ba1887846b65a37f2e92a51e005.jpg
北朝鮮の生活
帰国した在日朝鮮人は当初は一般の朝鮮人よりも優遇され、日本から持ってきた資産などによって裕福な生活をしていました。
帰国事業は1959年から1984年まで続いたので、少なくとも帰国事業が盛んだった頃は、悪い噂が立たないように一定以上の生活が保障されていました。
だが1970年代も半ばになると、様々な理由をつけて帰国者の身分を降格させたり、罪をとがめて収容所に入れるようになった。
日本で生活していた在日朝鮮人にとって「日本レベル」が当たり前であり、不平不満が絶えませんでした。
北朝鮮での自由の無さや生活水準の低さについて不満を口にすると、たちどころに警察や公安に知られ、移住を命じられます。
北朝鮮では身分によって居住地が決められていて、平穣の金一族に近いほど身分が上で、離れるほど低くなります。
平穣から遠ざかり、身分を降格されると給料が減り、支給される食料も減り、仕事内容は管理職から下級労働者に落とされます。
だがこれも良いほうで、「資産階級」「反革命分子」と見做されれば収容所で隔離されます。
自分が金持ちである事を自慢したら「資産階級」、「北はこれだから駄目なんだ」などと批判すれば「反革命分子」になります。
収容所には2種類あり、1つはいつか出所できる可能性がある「革命化区域」と、絶対に出れない「完全統制区域」に分かれます。
多くの人は最初地方に降格され、次に「革命化区域」に入れられ、最後に「完全統制区域」に落とされます。
この刑罰は家族ぐるみなので、家族の中で1人でも金日成批判や不満を漏らしたのが知れると、親戚全員が収容所に入れられます。
「革命化区域」であっても出所するまで10年以上はかかるのが普通で、収容所と言っても広大な面積の荒野と山林です。
収容者は家族単位で小屋に住み、僅かな食料が支給されるが、それだけでは栄養失調になり1年も持たずに亡くなります。
収容者は自給自足農業を行うが、収穫物の多くは取り上げられてしまい、昆虫や野ネズミで食いつないでいるという話です。
帰国したとき富裕層だった在日たちは、降格され資産を没収されたうえに、収容所送りになった人が相当数に達しました。
幸運だったのは金正恩の母になった高英姫のような一家だが、むろんそれは滅多に無い例外で、大半は帰国を後悔する破目になりました。
http://www.thutmosev.com/archives/72604967.html
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