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イヌの起源
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1146.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 11 月 03 日 11:45:16: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 中川隆投稿集 _ 競馬を見に行こう _ 伝説の名馬 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 14 日 14:37:59)

イヌの起源

2020年11月03日
古代ゲノムデータに基づくイヌの進化史
https://sicambre.at.webry.info/202011/article_4.html


 古代ゲノムデータに基づくイヌの進化史に関する研究(Bergström et al., 2020)が報道されました。オオカミは、ヒトが相利共生関係を築いた最初の動物でした。イヌの家畜化の年代・起源地・回数について、ほとんど合意はありませんが、考古学的記録はヒトとの長期にわたる密接な関係を証明します。現代のイヌのゲノムは複雑な集団構造を明らかにしましたが、古代ゲノムで利用できるのは6頭のイヌとオオカミだけなので、この集団構造が出現した仮定はほとんど不明のままです。

 以前のミトコンドリアDNA(mtDNA)およびゲノム研究では、イヌの遺伝的痕跡とその考古学的背景との間の関連が示唆されてきました。しかし、イヌの集団史が、ヒトの人口史と関連したか、あるいは、交易や、特定のタイプのイヌへのヒトの選好や、感染症感受性の多様性や、ヒト集団間のイヌの移動の結果として分離したのか、という程度の評価のために、イヌとヒトのゲノムが定量的に分析されてきたことはありません。

 本論文では、イヌの集団史を再構築するために、最古で10900年前頃となるヨーロッパや近東やシベリア古代のイヌ27頭のゲノムが、中央値1.5倍の網羅率(0.1〜11倍)で配列されました。ヒト人口史との関連を検証するため、古代のイヌの年代と地理的位置と文化的背景が合致するヒトのゲノム規模データが17組集められ、イヌとヒトの間で直接的に遺伝的関係が比較されました。


●更新世に起源がある世界のイヌ集団の構造

 主成分分析(図1B)では、PC1軸で東西系統が示され、西端は現代および古代のユーラシア西部および現代アフリカのイヌで構成され、東端は先コロンブス期の北アメリカ大陸のイヌと、シベリアのバイカル湖地域の7000年前頃のイヌと、ニューギニア・シンギング・ドッグとオーストラリアのディンゴを含む現代のアジア東部のイヌにより表されます。しかし、f4検定に基づくと、古代および現代のヨーロッパイヌは全頭、古代近東のイヌよりも強い東方系統との類似性を示します。古代ヨーロッパのイヌはユーラシア東部のイヌと近東のイヌとの間で遺伝的勾配を示して広く分布しており、外群f3統計を用いて、バイカル湖地域やレヴァント(7000年前頃のイスラエル)のイヌとの共有された遺伝的浮動を比較すると、対角線に沿った線形傾斜として現れます(図1C)。シミュレーションからは、この線形の傾斜勾配は、長期の継続的な遺伝子流動もしくは系統樹のような歴史で説明することは困難で、中石器時代および新石器時代のヨーロッパのイヌは大きな混合事象により特徴づけられた、と示唆されます(図1D)。

 主要な系統を表す5集団の構造の根底にある遺伝的歴史がモデル化され、最大2回の混合事象を伴うあらゆる混合グラフモデル135285通りが検証されました。このうち1モデルだけがデータに適合し、10900年前頃となる中石器時代のフィンランドのカレリア地方のイヌは、その一部を、東方のイヌと関連する系統と、レヴァント系統から受け継いだ、と特徴づけられます(図1E)。モデルを拡張して、7000年前頃となる最初期の新石器時代のヨーロッパのイヌを、カレリア系統とレヴァント系統の混合として特徴づけることができ、古代系統の勾配(図1C)により示唆されるヨーロッパのイヌへの二重系統モデルが支持されます。観察された系統構造から、全部で5つの祖先系統(新石器時代レヴァント、中石器時代カレリア、中石器時代バイカル湖、ニューギニア)が10900年前頃までには存在したに違いなく、したがって、11600年前頃となる更新世から完新世への移行期に先行して存在していた可能性が高い、と示唆されます。以下は本論文の図1です。

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/370/6516/557/F1.large.jpg


●イヌの複数起源もしくは野生イヌ科からの広範な遺伝子流動の証拠は検出されません

 これまでの研究では、ヨーロッパや中東やアジア中央部やシベリアやアジア東部、もしくはこれらのうちの1地域以上で、オオカミ集団が初期のイヌの多様性に寄与した、と指摘されました。しかし、現代のオオカミとイヌは相互に単系統で、双方向の遺伝子流動があった、と指摘する研究もあります。そこで、各地のイヌの間でオオカミとの類似性において非対称性を特定すると、遺伝子流動が起きたに違いない、と確認されました。しかし、現代および古代のすべてのイヌと対称的に関連する一部のハイイロオオカミを特定したので、イヌからオオカミへの遺伝子流動は単方向だった可能性が高そうです。

 オオカミから特定のイヌ集団への過去の遺伝子流動は、これらの検証において現代のハイイロオオカミのあらゆる個体と類似性を示すので、イヌへの持続的な遺伝子流動は、データの現在の解像度では検出できないほど制限されている、と示唆されます。さらにこの結果は、全てのイヌが単一の今では絶滅した古代のオオカミ集団、もしくは複数の密接に関連しているかもしれないオオカミ集団に由来する、という想定と一致します。他の、まだ標本抽出されていない古代オオカミ集団が初期の家畜化と独立して関わっている可能性はまだありますが、本論文のデータからは、そうしたオオカミ集団は後のイヌには実質的に寄与していない、と示唆されます。

 イヌへのオオカミの混合の欠如とは対照的に、ほぼ全ての分析された現代のオオカミへのイヌの混合が特定され、それは通常、ヨーロッパや近東やアジア東部において、イヌから地理的に近接しているオオカミ集団への遺伝子流動の強い痕跡を伴います。また、古代アメリカ大陸のイヌとコヨーテとの間、アフリカにおけるイヌとゴールデン・ウルフとの間での類似性が再現されましたが、両者の遺伝子流動の方向は不明であり、それは小規模なので、イヌと関係するほとんどの分析に影響を与える可能性は低そうです。高地への適応に関連するEPAS1遺伝子周辺のオオカミ系統の証拠にも関わらず、チベットオオカミからチベットのイヌへの遺伝子流動のゲノム規模の証拠は見つかりませんでした。したがってイヌは、ブタやヤギやウマやヒツジやウシに見られるような、野生近縁種からの遺伝子移入の類似の証拠を示しません。


●イヌの集団史とヒトの集団史との関係

 イヌで観察された集団の関係が、ヒト集団の関係と定量的に比較され、両者の集団構造が互いに類似している、と明らかになりました。最大の違いは銅器時代イランで観察され、ヒト集団は新石器時代レヴァント集団とは異なりますが、イランとレヴァントのイヌ集団は類似しています。新石器時代のドイツとアイルランドでは、ヒトはレヴァント集団へと近づいていますが、イヌはヨーロッパ北部狩猟採集民と関連する集団へと近づいています。青銅器時代のユーラシア草原地帯と、ドイツの縄目文土器(Corded Ware)文化では、ヒトはイヌと同様に新石器時代ヨーロッパクラスタから離れています。

 次に、一方の種の混合形態がもう一方の種の集団関係も説明できるのか、評価されました。完全に一致する事例は見つかりませんでしたが、ほぼ一致する事例は見つかりました。しかし、イヌとヒトとの集団の時間の長さは考慮されていません。ヒト集団のユーラシア東西の分岐は43100年前頃と推定されており(関連記事)、14500年前頃の化石記録で確認されているイヌの形態の出現よりも著しく古くなっています。ただ、イヌの形態の出現はもっとさかのぼる、との見解もあります。全体的に、イヌとヒトの集団史がどの程度一致するのか不明ですが、系統関係では全体的な特徴を共有しているものの、時空間全体では同一ではなく、いくつかの分離されたに違いない事例もあります。

 イヌとヒトの集団史の一致事例として注目されるのは、アジア東部のイヌとヒトは両方、近東集団よりもヨーロッパ集団の方と近いことです。イヌのヨーロッパ系統は、近東およびアジア東部系統の混合として最適にモデル化されます。しかし、ヒトでは近東の「基底部ユーラシア」系統の分岐が45000年以上前と推定されており、イヌ集団の動態がヒトの初期の過程を模倣した可能性が示唆されます。次に注目されるのは、全てのヨーロッパのイヌが、ニューギニア・シンギング・ドッグに対してよりも、アメリカ大陸およびシベリアのイヌの方と強い類似性を有することで、これは混合されていないアジア東部のイヌを表しており、ヨーロッパとアメリカ大陸のヒト集団との間の極地付近の類似性を反映しています。

 24000〜18000年前頃のバイカル湖地域のヒト集団はユーラシア西部人との類似性を有しており、その近縁集団がアメリカ大陸先住民の祖先になったものの(関連記事)、完新世には完全ではないとしても他系統に置換された、と推測されています(関連記事)。7000年前頃のバイカル湖地域のイヌはアメリカ大陸およびヨーロッパとの間の類似の関連を構成していますが、この関連は1万年前の後に起きました。したがって、ユーラシア北部で共有されている極地付近の系統は、イヌとヒト両方の集団構造の重要な特徴ですが、同じ移動事象に由来していない可能性が高そうです。


●ヨーロッパへの新石器時代の拡大

 古代ヒトゲノム研究は、近東からヨーロッパへの新石器時代農耕民の拡大と関連した、大きな系統変化を明らかにしており、古代のイヌのmtDNA研究は、新石器時代農耕民が近東からヨーロッパへとイヌを導入した、と示唆します(関連記事)。古代ヨーロッパのイヌで観察されたゲノム系統の勾配(図1C)は、少なくとも部分的には、中石器時代狩猟採集民および到来してきた新石器時代農耕民と関連するイヌの間の混合に起因する、と仮定されます。これは、三つの観察結果により支持されます。まず、この勾配の仮定的な狩猟採集民関連のイヌの端は、10900年前頃の中石器時代カレリア地方のイヌと、4800年前頃となるスウェーデンの狩猟採集民の円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture)遺跡のイヌとで占められています。次に、スウェーデンの狩猟採集民のイヌと比較して、同時代となるスウェーデンの新石器時代農耕文化のイヌは、同じ遺跡のヒトを反映して、勾配のレヴァント側の端へと移動しています。最後に、新石器時代レヴァントのイヌ集団との類似性は南方に向かって増加しており、新石器時代ヒト集団の範囲拡大と一致します。中石器時代のヨーロッパの「西方狩猟採集民」ヒト集団と明確に関連するイヌはまだ特定されていませんが、本論文の結果から、そうしたイヌはヨーロッパ勾配のシベリアの端へと向かって強い類似性を有する、と示唆されます。全体的にこれらの結果から、新石器時代におけるヨーロッパへの農耕民の拡大も、イヌの系統変化と関連していた、と示唆されます。

 デンプン消化に関連するAMY2B遺伝子のコピー数増加は、農耕移行期におけるイヌの食性適応と関連してきました。パラログ(遺伝子重複により生じた類似の機能を有する遺伝子)なAMY1遺伝子は、ヒトでは適応的進化を受けてきましたが、これは農耕と明確に関連していないようです。中石器時代のカレリア地方のイヌは、すでにオオカミと比較してより多くのコピー数を有していたかもしれませんが、ヒト狩猟採集民文化のイヌでは、少ないコピー数が観察されます。5800年前頃のイランのイヌや6200年前頃のスペインのイヌなど新石器時代のイヌの一部は、現代のイヌと同じくらい多くのコピー数を有しますが、レヴァントの7000年前頃の個体のように、他の新石器時代のイヌは少ないコピー数を有しています。これらの結果から、AMY2B遺伝子のコピー数増加は家畜化の初期段階では起きず、ヒトとは対照的に、中石器時代狩猟採集民文化では発達しなかったものの、初期農耕集団では変動的で、デンプンが豊富な農耕生活様式の最初の出現から数千年経過するまで拡大しなかった、と示唆されます。


●アフリカと近東

 現代アフリカのイヌはレヴァントとイランの古代のイヌ、とくに7000年前頃となる本論文のデータセットでは最古のレヴァント個体とクラスタ化し、近東起源を示唆します。肥沃な三日月地帯の西部(アナトリア半島およびレヴァント)と東部(イランのザグロス山脈)のヒト集団は遺伝的に大きく異なっており、西部集団は新石器時代においてヨーロッパとアフリカへの遺伝子流動の主要な供給源でした(関連記事)。アフリカのイヌ系統の起源は、5800年前頃のイランよりも7000年前頃のレヴァントの方とより適合しており、ウシの場合(関連記事)と同様に、ヒトの移住を反映しています。対照的にヨーロッパの新石器時代のイヌの系統に関しては、レヴァントとイランのどちらが起源集団として適切なのか、区別できません。本論文の結果は、レヴァント関連集団からのサハラ砂漠以南のアフリカ集団の単一起源を示唆し、過去数百年までアフリカ大陸外からの遺伝子流動は限定的でした。

 アフリカとは対照的に、7000年前頃となる新石器時代レヴァント集団は、近東の現代のイヌへの遺伝的寄与があったとしても、多くはなかったようです。代わりに、レヴァントの2300年前頃のイヌは、イラン関連系統(81%)と新石器時代ヨーロッパ関連系統(19%)の混合としてモデル化できます。レヴァントではこの時期までに、イランからのヒトの遺伝子流動(関連記事)と、ヨーロッパからの一時的な遺伝子流動(関連記事)がありました。しかし、本論文の結果は、レヴァントではイヌの系統が2300年前頃までにほぼ完全に置換されたことを示唆します。現代近東のイヌは、2300年前頃のレヴァントのイヌと、現代ヨーロッパのイヌの混合として最適にモデル化されます。


●草原地帯牧畜民の拡大

 ヤムナヤ(Yamnaya)文化および縄目文土器文化と関連したユーラシア草原地帯牧畜民の後期新石器時代および青銅器時代ヨーロッパへの拡大は、ヒト集団の系統を変えました(関連記事)。イヌの系統が同様に影響を受けたのか検証するため、青銅器時代のスルブナヤ(Srubnaya)文化と関連したヨーロッパ東部草原地帯の3800年前頃のイヌが分析されました。その系統はヨーロッパ西部のイヌと類似していますが、主成分分析(図1B)の中間に位置する外れ値です。ドイツの縄目文土器文化関連の4700年前頃となるイヌは、草原地帯関連系統を有すると仮定され、その51%はスルブナヤ草原地帯関連系統に、残りは新石器時代ヨーロッパ系統に由来する、と推定されています。青銅器時代の3100年前頃となるスウェーデンのイヌでも同様の結果が得られますが、青銅器時代の4000年前頃となるイタリアのイヌでは同様の結果は得られません。

 草原地帯と縄目文土器文化のイヌの間の潜在的なつながりにも関わらず、ほとんどの後のヨーロッパのイヌは、スルブナヤのイヌとの特別な類似性を示しません。現代のヨーロッパのイヌは代わりに、新石器時代ヨーロッパのイヌとクラスタ化し、牧畜民拡大後のヒトで見られた永続的な系統変化を反映していません。この過程をよりよく理解するには、より早期となる追加の草原地帯のイヌのゲノムが必要ですが、新石器時代と現代の個体群との間の相対的連続性からは、草原地帯牧畜民の到来は、ヨーロッパのイヌの系統に持続的な大規模な変化をもたらさなかった、と示唆されます。

 草原地帯牧畜民は東方にも拡大しましたが、アジア東部の現代人には多くの遺伝的影響を残さなかったようです。多くの現代中国のイヌは、ニューギニア・シンギング・ドッグと関連した集団と、ユーラシア西部関連集団との間の混合の、明確な証拠を示します。最近の研究では、過去数千年に中国のイヌでmtDNAの置換が起きたことも明らかになっています。最適なモデルでは、現代ヨーロッパの品種からだけではなく、3800年前頃となるスルブナヤの草原地帯関連のイヌからのかなりの遺伝子流動も含まれます。一部の集団、とくにシベリア集団は、7000年前頃となるバイカル湖地域のイヌと関連した追加の起源集団を必要としますが、ニューギニア・シンギング・ドッグと関連する系統はないか最小限です。したがって本論文の結果からは、草原地帯牧畜民の東方への移動が、アジア東部のヒトよりもイヌの系統において、大きな遺伝的影響を与えた可能性が高い、と示されます。


●ヨーロッパにおけるイヌの系統の均質化

 現代ヨーロッパのイヌは全て、データセット内の古代のイヌと対称的に関連しているので、初期のヨーロッパのイヌにおける系統多様性の広大な範囲は、現在では保存されていません。これは、ヨーロッパのイヌにおける現在の多様性に、ほとんどの在来の中石器時代および新石器時代集団がわずかか、全く寄与していないことを示唆します。代わりに、スウェーデン南西部のフレールセガーデン(Frälsegården)遺跡の5000年前頃となる新石器時代巨石文化のイヌ1個体が、ほとんどの現代ヨーロッパのイヌの系統の90〜100%の起源集団としてモデル化でき、他の全ての古代のイヌは除外される、と明らかになりました。この知見から、必ずしもスカンジナビア半島起源とは限らない、このフレールセガーデン遺跡の1個体と類似の系統を有する集団が、他の集団を置換し、大陸規模の遺伝的勾配を消し去った、と示唆されます。この系統は勾配の真ん中にあったので(図1C)、現代ヨーロッパのイヌは、カレリア地方関連系統とレヴァント関連系統のほぼ等しい割合としてモデル化できます。

 またフレールセガーデン遺跡のイヌは、4000年前頃となる青銅器時代イタリアのイヌや、トルコやビザンツ帝国(東ローマ帝国)や中世の1500年前頃となるイヌの部分的祖先としても好適ですが、レヴァントのより早期のイヌには当てはまらず、この系統の拡大の年代を限定します。しかし、現代の品種の表現型多様性や遺伝的分化を含む、ヨーロッパ新石器時代に存在した遺伝的構成から、ヨーロッパにおけるイヌの系統の均質化を開始もしくは促進した環境は不明のままです。

 最近では、近代化におけるヨーロッパ勢力の拡大と関連していると考えられますが、この現代ヨーロッパのイヌ系統は広く拡大しており、現在では世界中のほとんどのイヌ集団の主要な構成となっています。しかし、本論文の系統モデルは、一部の植民地期以前の系統が、メキシコのチワワ(4%以下)やメキシカン・ヘアレス・ドッグ(3%以下)や南アフリカ共和国のローデシアン・リッジバック(4%以下)に残っていることを明らかにします。以下は、世界各地の現代のイヌの系統の割合(図5A)と、イヌの推定拡散経路(図5B)を示した本論文の図5です。

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/370/6516/557/F5.large.jpg


●まとめ

 完新世の始まりまでに起きた少なくとも5つのイヌ系統の多様化の後に、動的なイヌの集団史が続き、それは多くの場合ヒトの集団史を追跡したもので、イヌがヒト集団とともにどのように移動したのか、ということを反映している可能性が高そうです。しかし、ヨーロッパにおける草原地帯集団の移動などいくつかの事例では、イヌとヒトの集団史は一致しておらず、ヒトがイヌを伴わずに移動したこともあり、イヌがヒト集団間で移動したか、イヌが文化的および/もしくは経済的交易商品だったことを示唆します。

 東西ユーラシアの分化や、極地のつながりや、近東における潜在的な基底部系統のような、イヌ集団間の遺伝的関係の特定の側面は、イヌの最初の家畜化の前に起きたヒト集団史の特徴と類似しています。したがって、イヌとヒトの間のこの表面的な反映は代わりに、まだ理解されていない生物地理的もしくは人類学的要因により繰り返し起きた集団動態を示しているかもしれません。重要な問題は、イヌが完新世までにユーラシアとアメリカ大陸全域にどのような拡大したのか、ということです。これは、主要なヒト集団の移動が、地球規模の拡大をもたらした最初の出アフリカに伴う拡大の後には、特定されていないからです。

 現代および古代のゲノムデータはイヌの単一起源と一致する、と明らかになりましたが、複数の密接に関連するオオカミ集団を含む想定は依然として可能です。しかし本論文では、イヌの地理的起源は不明のままです。ゲノム多様性もしくは現代のオオカミ集団との類似性に基づくイヌの起源に関する以前の研究は、より最近の集団動態や遺伝子流動の不明瞭な影響に敏感です。本論文で分析された個体よりも古いイヌやオオカミのDNAを、考古学や人類学や動物行動学やその他の分野と統合することは、どこのどのような環境と文化的背景で最初のイヌが生まれたのか、決定するのに必要です。


参考文献:
Bergström A. et al.(2020): Origins and genetic legacy of prehistoric dogs. Science, 370, 6516, 557–564.
https://doi.org/10.1126/science.aba9572

https://sicambre.at.webry.info/202011/article_4.html  

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コメント
1. 中川隆[-8396] koaQ7Jey 2021年1月11日 08:49:00 : 3NBb5fpKfI : Y0tGbi83VmpNM2s=[9] 報告
2021年01月11日
イヌの家畜化の初期段階
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_15.html

 イヌの家畜化の初期段階に関する研究(Lahtinen et al., 2021)が公表されました。イヌ(Canis familiaris)はヒトにより家畜化された最初の動物で、遊動性の狩猟採集民により家畜化された唯一の動物です。イヌの家畜化への関心は高く、その起源地と年代と家畜化過程、さらには単一起源なのか複数起源なのかをめぐって、長く議論が続いています。近年では、イヌの古代DNA研究も進展しており、イヌの進化史における包括的な研究では、完新世の始まりまでに少なくとも5系統が存在していた、と指摘されています(関連記事)。以下、旧石器時代におけるイヌ遺骸の場所を示した本論文の図1です。

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https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41598-020-78214-4/MediaObjects/41598_2020_78214_Fig1_HTML.png

 イヌの起源がオオカミ(Canis lupus)であることはほぼ確実ですが、その家畜化過程に関しては議論が続いています。ヒトとオオカミのどちらも、執拗に大型動物を集団で狩る分類群です。ヒトとオオカミの生態的地位は部分的に重なっていた可能性があり、一定以上競合関係にあったかもしれません。本論文は、そのような関係のヒトとオオカミがどのように関わり、ヒトがオオカミを家畜化していったのか、という問題を肉の消費の観点から検証しています。

 本論文は単純なエネルギー含有量の計算を行ない、最終氷期の終わり頃(29000〜14000年前頃)にヒトが狩猟対象にしていたと考えられ、オオカミの典型的な被食種でもあった動物(ウマやヘラジカやシカなど)の肉のうち、ヒトが食べ残した分のエネルギー量を推計しました。本論文は、もしオオカミとヒトが厳しい冬に同じ動物を狩っていたとのであれば、ヒトはオオカミを家畜化するのではなく、競争を減らすために殺していただろう、という仮説を立てました。

 計算の結果、ヒトが捕食していた全ての動物種(イタチなどのイタチ科動物を除きます)によりもたらされるタンパク質量は、ヒトが消費可能な量を上回ることが明らかだったので、ヒトが余り物の赤身肉をオオカミに与えていた可能性があり、それによって獲物を巡る争いが減った、と本論文は推測しています。ヒトは肉食に完全には適応しておらず、肉の摂取量は、タンパク質を代謝する肝臓の能力により制約を受けます。一方、オオカミは何ヶ月も赤身の肉で生きていけます。

 ヒトは植物性の食物が少なくなる冬に動物性の食餌に頼っていたかもしれませんが、タンパク質だけの食餌に完全には適応していなかったので、油脂分が少なくタンパク質の多い肉よりも油脂分の多い肉を好んでいた可能性があり、余った赤身肉をオオカミに与えたことが、イヌの家畜化の初期段階にあったのではないか、というわけです。ヒトが余った肉を餌としてオオカミに与えることで、捕獲したオオカミと共同生活をしやすくなった可能性があり、オオカミを狩猟に同行させ、狩猟の護衛にすることで、家畜化過程がさらに促進され、最終的にはイヌの完全家畜化につながった可能性がある、と本論文は指摘します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


考古学:ヒトが食べ残しの肉をオオカミに与えたことがイヌの家畜化の初期段階に寄与したかもしれない

 最終氷期の終わり頃(2万9000〜1万4000年前)、厳しい冬の間に、ヒトが食べ残しの赤身肉をオオカミに与えたことが、イヌの家畜化の初期段階に関係していた可能性のあることを示した論文が、Scientific Reports に掲載される。

 今回、Maria Lahtinenたちの研究チームは、単純なエネルギー含有量の計算を行い、2万9000〜1万4000年前に人間が狩猟対象にしていたと考えられていて、オオカミの典型的な被食種でもあった動物(ウマ、ヘラジカ、シカなど)の肉のうち、ヒトが食べ残した分のエネルギー量を推計した。Lahtinenたちは、もしオオカミとヒトが厳しい冬に同じ動物の狩猟を行っていたのであれば、ヒトは、オオカミを家畜化するのではなく、競争を減らすために殺していただろうという仮説を立てた。計算の結果、ヒトが捕食していた全ての動物種(ただしイタチなどのイタチ科動物を除く)によってもたらされるタンパク質量はヒトが消費可能な量を上回ることが明らかになり、Lahtinenたちは、ヒトが余り物の赤身肉をオオカミに与えていた可能性があり、それによって獲物を巡る争いが減ったと考えている。

 今回の論文によれば、ヒトは、植物性の食物が少なくなる冬に、動物性の食餌に頼っていたかもしれないが、タンパク質だけの食餌に適応していなかった可能性が非常に高く、油脂分が少なくタンパク質の多い肉よりも油脂分の多い肉を好んでいた可能性がある。オオカミはタンパク質だけの食餌で何か月も生き延びることができるので、ヒトは、飼っていたオオカミに余った赤身肉を与えていた可能性があり、それによって過酷な冬期においてもヒトとオオカミの交わりが可能だったと考えられる。余った肉を餌としてオオカミに与えることで、捕獲したオオカミと共同生活をしやすくなった可能性があり、オオカミを狩猟に同行させ、狩猟の護衛にすることで、家畜化過程がさらに促進され、最終的にはイヌの完全家畜化につながった可能性がある。


参考文献:
Lahtinen M. et al.(2021): Excess protein enabled dog domestication during severe Ice Age winters. Scientific Reports, 11, 7.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-78214-4

https://sicambre.at.webry.info/202101/article_15.html

2. 2021年2月12日 15:52:17 : jQQwox7FAg : TkNUOWU2UGxDVHc=[13] 報告
2021年02月12日
イヌの家畜化のシベリア起源説
https://sicambre.at.webry.info/202102/article_13.html

 イヌの家畜化の起源に関する研究(Perri et al., 2021)が公表されました。イヌは最初の家畜化された種で、更新世に人類と家畜関係に入ったことが知られている唯一の種でもあります。古代のイヌ遺骸と古代人の考古学および遺伝的記録に関する最近の遺伝的分析では、特定のイヌのミトコンドリア系統の時空間的パターンはしばしば、異なる年代と場所における人類集団の既知の拡散と相関する、と示されてきました。たとえば、古代の近東およびヨーロッパのイヌのミトコンドリアDNA(mtDNA)研究では、イヌが農耕民とともに近東から拡散した時に、特定のmtDNAハプログループ(mtHg)がヨーロッパに到来した、と示されました(関連記事)。ニュージーランドで最初のイヌは、新たに到来したポリネシア人に連れて来られました。古イヌイット集団が5000年前頃に北アメリカ大陸北極圏に移動してきた時にもイヌを伴っており、この時のイヌは新たな特有のmtHg-A2aを有していました。その後、1000年前頃となるイヌイット集団のこの地域への到来には、新たなmtHg-A1aおよびA1bを有するイヌ集団の到来が伴っていました。

 人類の拡散と特定のイヌ系統との間のこれらの相関は、ずっと早く、おそらくはイヌがユーラシアのハイイロオオカミの祖先から家畜化された後に始まったかもしれませんが、家畜化の起きた正確な場所とその回数は不明なままです。1万年前頃までにアメリカ大陸で考古遺伝学的に報告されたイヌの存在から、イヌはアジア北東部からベーリンジア(ベーリング陸橋)を横断してアメリカ大陸へと初期人類集団と共に移動してきた、と示唆されています。現在の考古学および遺伝学の証拠に基づくと、この移動は15000年前頃以前に起きた可能性が高そうです(関連記事)。本論文は、後期更新世のシベリアとベーリンジアと北アメリカ大陸の記録と新たに利用可能になった証拠を利用して、アメリカ大陸最初の人類がイヌとともにアメリカ大陸で拡散していった、という可能性を評価します。この分析により、この拡散過程をよりよく理解し、家畜イヌの時空間的起源の仮説を提示できます。


●最初のイヌ

 多くの考古年代測定手法が適用され、イヌの家畜化の年代と地理を確立するために、オオカミとイヌと人類との間の相互作用が報告されてきました。これらの研究ではまず、イヌが最初の家畜化された動物で、更新世に人類と家畜関係に入った唯一の種だった、と示されました。次に、イヌの起源となった特定のオオカミ集団は絶滅したようだ、と示されました。最後に、現代および古代のイヌとオオカミの遺伝学および考古学の証拠から、イヌの家畜化はユーラシアで起きた、と示されました。イヌと人類の関係が始まった環境、年代、独立して起きたかもしれない家畜化の回数と(単一もしくは複数の)場所を含む、イヌの家畜化の他の多くの側面は未解決です。

 家畜化につながった人類とオオカミの相互作用の変化は、さまざまな手法で扱われており、最初の認識可能な家畜イヌがいつ出現したのか、議論が続いています。最初の一般的に受け入れられているイヌの年代は15000年前頃で、ドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡で証拠が得られました。しかし、古代のイヌ科遺骸の形態学・同位体・遺伝学・文脈的評価に基づいて、家畜イヌは早くも4万年前頃には存在した、とも主張されています。しかし、これらの潜在的な家畜化の標識は、オオカミと初期の家畜イヌは相互に区別が困難かもしれない、という事実のため確実ではありません。

 たとえば、歯の密集や頭蓋の大きさや鼻の長さの縮小のような、家畜化を識別するのに用いられてきた一般的な形態学的特徴は、イヌとオオカミを明確な区別できないことがよくあります。同位体特性や食性の推測は、初期のイヌを識別するのに用いられてきましたが、同位体の変動がオオカミの食性としばしば一致することを考慮すると、疑問視されてきました。さらに、これらの提案された初期のイヌの遺伝的分析では、初期のイヌが古代もしくは現代のイヌと同じ系統に属していない、と示されてきました。複数の研究からのゲノム推定では、イヌの祖先となった系統を含めてオオカミ系統内の分岐年代は40000〜27000年頃となりますが、この年代が家畜化過程の開始を反映している可能性は低そうです。また、家畜イヌの存在が主張されている遺跡に関しては、生きて繁殖するイヌ集団の存在を示唆する特徴である、肉食獣の噛んだ痕跡もしくは仔イヌが欠如していることに基づいて、疑問が呈されてきました。

 したがって、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡における家畜イヌの存在という主張は、その頭蓋と歯の形態がオオカミである可能性を除外できないので、議論されてきました。これらイヌ科のmtDNA分析でも、遺伝的にあらゆるイヌのmtHgとひじょうに異なる古代ヨーロッパのオオカミ系統に分類される、と示されました。同様に、シベリアのサハ共和国のウラハーンスラー(Ulakhan Sular)遺跡やトゥマット(Tumat)遺跡、アルタイ地域のラズボイニクヤ(Razboinichya)遺跡、シベリア北極圏のベレリョフ遺跡(Berelekh)、ヨーロッパロシアのコステンキ−ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ8(Kostenki 8)遺跡、シベリアのシスバイカル地域のエリゼーヴィッチ(Eliseevichi)遺跡で提案されてきた旧石器時代のイヌ科遺骸の遺伝的分析では、これらのイヌ科はイヌというよりは古代および現代のオオカミと密接に関連している、と示されてきました。

 チェコ共和国のプシェドモスティ(Předmostí)遺跡のイヌと主張されている遺骸の少なくとも1点も、イヌよりもオオカミの方と遺伝的類似性を示します。これらのイヌ科遺骸の家畜化との指摘も同様に、その歯と頭蓋の形態に基づいて疑問視されてきました。プシェドモスティ遺跡のイヌと主張されてきた遺骸の、食性の同位体および歯の微視的使用痕分析も、地元のオオカミ集団の変動範囲内に収まるかもしれません。さらに、プシェドモスティ遺跡では、肉食獣の噛んだ痕跡もしくは仔イヌの証拠が欠けており、プシェドモスティ遺跡におけるイヌ集団の存在にさらなる疑問を提起します。後期更新世のイヌに関する全ての主張の課題は、いくつかの証拠にわたって、疑問を呈されている標本が明確に同時代のオオカミと区別できる、と決定的に示すことでした。本論文では保守的手法が採用され、分類学的状態が明確に家畜化されているイヌ科遺骸のみが含まれます。

 形態学・遺伝学・同位体・文脈的証拠の集中に基づくと、最初の一般的に受け入れられている家畜イヌ遺骸は、ドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡で発見された15000年前頃のものです。この若いイヌの形態および遺伝子は、明確に地元のオオカミと区別されます。このイヌがヒトと共に葬られ、疾患後に世話を受けた証拠からも、イヌと示唆されます。同時代の家畜イヌに関しては、フランスやドイツやイスラエルやイタリアやスイスの遺跡でも主張されています。形態と文脈に基づくと、追加のイヌかもしれない遺骸は、アフォントヴァゴラ(Afontova Gora)やディウクタイ洞窟(Diuktai Cave)やヴァーホーレンスカイア・ゴラ遺跡(Verkholenskaia Gora)といった更新世のシベリアの遺跡に存在するかもしれませんが、まだ確定されていません。アメリカ大陸では、最初の確認された考古学的なイヌ遺骸は、形態と遺伝と同位体と文脈の証拠に基づくと、1万年前頃となるコスター(Koster)およびスティルウェル2(Stilwell II)遺跡に由来します。

 遺伝的観点から、何百もの古代および現代のイヌ科のミトコンドリアおよび核のゲノムが配列されてきました。核ゲノムデータの分析では、全てのイヌは遺伝的に均質な集団で、主要な3祖先系統からさまざま程度の系統構成要素を有している、と示唆されています。それは、ユーラシア西部系統(おもにヨーロッパとインドとアフリカのイヌで見られます)と、アジア東部系統(たとえばディンゴ)、北極圏系統(たとえば、ハスキーや古代アメリカ大陸イヌ)です。数十頭の古代イヌのゲノムに関する最近の研究では、少なくとも11000年前頃までに、これらの系統が全て確立していた、と示唆されています(関連記事)。

 mtDNAデータでは、現代のイヌの大半が4単系統mtHg(A・B・C・D)の1つに分類され、それはmtHg-Aと示唆されています。最近の古代DNA研究では、北極圏より南方のアメリカ大陸における先コロンブス期の全てのイヌは特有のmtHg-A2bを有しており、これはアメリカ大陸の内外の現代のイヌでは事実上消滅しています(0.5%)。mtHg-A2b内では、4系統の追加のよく裏づけられた単系統下位mtHgがあり、mtHg-A2b1・A2b4はアメリカ大陸でしか見られません。これら4系統のmtHgのうち、A2b1はカリフォルニア州のチャネル諸島からアルゼンチンまでアメリカ大陸全域に存在しますが、他の3系統は現在のデータを考慮すると、地理的に限定されています(図2)。

 分子時計分析により、mtHg-A内の分岐と関連する年代が明らかになりました。まず、基底部に位置するmtHg-A1bとA2A間の分岐は、22800年前頃(95%信頼区間で26000〜19700年前)です。この年代は、イヌのミトコンドリア2系統間の最古となる既知の合着(合祖)を表しており、イヌは考古学的記録における最初の出現に数千年先行して家畜化された、と示唆されます。この推定年代は、オオカミとイヌとの間の後の遺伝子流動に影響を受けたかもしれませんが、これらのmtHgはあらゆる古代もしくは現代のオオカミで見られず、オオカミとイヌの混合は一般的ではなかったようなので、その可能性は低そうです(関連記事)。この早期の年代から、イヌは人類がアメリカ大陸に到来する前までに家畜化された可能性が高い、と示唆されます。以下、本論文の図2です。
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●アメリカ大陸における最初の人類

 アメリカ大陸最初の人類の起源に関する理解は、アメリカ大陸とアジア北東部における新たな遺跡の特定と古代DNA研究により、過去10年で飛躍的に発展しました。ゲノムの証拠からは、アメリカ大陸先住民系統はアジア東部集団の祖先と3万年前頃(95%信頼区間で36400〜26800年前)に分岐したと推定されています。核ゲノムデータに基づくと24000年前頃(95%信頼区間で27900〜20900年前)、mtDNAデータに基づくと24900〜18400年前頃(関連記事)、アメリカ大陸先住民系統は少なくとも2つの集団に分岐しました。一方はアジア北東端に留まったように見える古代旧シベリア集団(APS)で、もう一方はアメリカ大陸先住民の基底部系統になりました。両集団はその後別々に、シベリア北端の31600年前頃となるヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)と、バイカル湖近くのマリタ(Mal’ta)遺跡で検出された、古代シベリア北部集団(ANS)から遺伝子流動を受けました(関連記事)。

 最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に、アメリカ大陸先住民の基底部系統は、アメリカ大陸に拡散する前までアジア北東部で孤立していたようです。現時点では、この地域における他の集団とのその後の遺伝子流動の証拠はありませんが、遺伝的に見えない他集団との相互作用の可能性は除外されません。この孤立期間は、その推定される場所に因んで、ベーリンジア潜伏モデルとして知られています(関連記事)。核DNAとY染色体とmtDNAに基づくベーリンジア潜伏期間の推定値はさまざまですが、全体的に、ベーリンジアでの潜伏は2400〜9000年間続いた可能性がある、と示唆されています(関連記事)。

 現時点での証拠からは、このベーリンジア潜伏期間、おそらくは21000年前頃(95%信頼区間で21900〜18100年前)に、このアメリカ大陸先住民基底部系統は少なくとも2つの区別できる集団に分岐した、と示唆されています。一方は古代ベーリンジア集団(AB)で、もう一方は祖先的アメリカ大陸先住民集団(ANA)です(関連記事)。ABとANAの両集団は分岐後にベーリンジア東部(現在のアラスカ)に拡散しましたが、その拡散の年代や、同時に移動したのかどうか、相互に分岐してからどの程度の期間一定の遺伝子流動を維持したのか、不明です。両集団はアラスカに到達しましたが、現時点ではABのゲノム証拠は、アラスカよりも南方もしくは9000年前頃以後のアラスカ集団では見つかっていません。

 一方ANA系統は、15700年前頃(95%信頼区間で17500〜14600年前)に北方系統(NNA)と南方系統(SNA)に分岐した後、氷床の南側の北アメリカ大陸に到達しました。NNA集団とSNA集団は、遺伝的にABと等距離なので、ANA がAB系統により表される集団から分岐した後に、NNAとSNAの分岐が起きたに違いありません。この分岐は、ANAがアラスカから南方へ移動していた時に起きた、と推測されます。

 この分岐の推定年代と、アメリカ大陸の人類の考古学的証拠(関連記事)から、氷床より南方のアメリカ大陸への経路は太平洋沿岸に違いなかった、と示唆されます。氷床間の内陸経路(無氷回廊)という代替案もありますが、まだ氷床は開いておらず、人類に必要な動植物資源の証拠もこれを支持しません。どれくらい早く人類がアメリカ大陸に到達したのか、不明です。発見された最古の遺跡はアメリカ大陸で最古とは限らないため、考古学的証拠は下限年代しか提供しません。一方、早ければ27900年前頃かもしれない遺伝的推定値は、上限年代を提供します。なぜならば、移住過程はアメリカ大陸先住民の基底部の分岐の後であるに違いないからです。しかし、LGMに確実に先行するか、その期間中に居住されていたアメリカ大陸の遺跡がないことは、注目に値します。人類がアメリカ大陸の氷床よりも南方に到達すると、NNA系統の地理的拡大は比較的限定されていたようです。しかしSNA系統は、アメリカ大陸全域に拡散し、その過程で遺伝的に分岐していき、それは14100年前頃(95%信頼区間で14900〜13200年前)には始まっていたようです(関連記事)。


●後期更新世の人類とイヌの系統分岐の一致

 アメリカ大陸は人類が移住した世界最後の地域の一つで、北アメリカ大陸のイヌの古さに基づくと、アメリカ大陸最初の人類はアメリカ大陸に到来した時にイヌ科動物を伴っていた可能性があります。イヌは、人類が急速に北半球に拡散したのに役立ったかもしれない、より大きな文化的要素の一部でした(関連記事)。人類はイヌを伴わずにアメリカ大陸に到来できたかもしれませんが、イヌは人類と共にアメリカ大陸に拡散してきたに違いありません。また、人類集団が相互に分裂した時にイヌを連れて行った、と推測することも合理的です。したがって、それぞれの集団分岐を提携させることにより、後期更新世の移動の年代を特定できます(図1)。以下、本論文の図1です。
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 イヌと人類で得られた推定分岐年代の比較には課題があります。アメリカ大陸におけるイヌの導入と関連する年代はmtDNAデータに由来し、とくに祖先集団が大規模ならば、集団分岐に先行する祖先の合着事象を表します。しかし、北極圏以外の全ての古代アメリカ大陸のイヌは同じmtHg-A2bに分類され、これは古代シベリアのイヌ系統と16400年前頃(95%信頼区間で18600〜14300年前)に合着します(関連記事)。これはアメリカ大陸におけるイヌの導入の上限年代を提供しますが、古代アメリカ大陸のイヌ系統の創始者と関連する集団ボトルネック(瓶首効果)の証拠から、この年代が実際には、古代のシベリアとアメリカ大陸のイヌの集団分岐に近いかもしれない、と示唆されます。mtHg-A2b間の最も深い合着事象は15000年前頃(95%信頼区間で16900〜13400年前)にさかのぼります。mtHg-A2bがアメリカ大陸外では事実上存在しないことを考えると、この最も深い合着はアメリカ大陸のイヌの祖先集団で起きた可能性が高そうです。したがって、この年代は、アメリカ大陸とシベリアのイヌの分岐の下限に近いと解釈できます。

 この年代は、アメリカ大陸への人類最初の移住年代とひじょうに一致しており、いくつかの重要な分岐結節点に共通しています。まず、イヌにおける最も深い分岐は26000〜19700年前頃で、27900〜20900年前頃となるAPSとANAおよびAB間の分岐と同年代です。この対応は、ANA系統が確立した頃には、イヌがすでに家畜化されていた、と示唆します。次に、mtHg-A2b(アメリカ大陸のイヌ)とA2a(シベリアおよびアメリカ大陸北極圏のイヌ)の合着は18600〜14300年前頃で、mtHg-A2b 内の最古の合着事象は16900〜13400年前頃で、アメリカ大陸先住民の主要な2系統(NNAとSNA)の分岐年代(17500〜14600年前頃)と重なります。これは、アメリカ大陸における主要な人類とイヌの系統が同時に発生し、分岐したことを示唆します。北アメリカ大陸におけるイヌ遺骸の古さ(1万年前頃)と組み合わせたこの証拠と、前期〜中期完新世(9000〜5000年前頃)までにアメリカ大陸への後の人類の移住が欠如していること(関連記事)から、イヌは更新世にベーリンジアを横断し、mtHg-A2bが分散していった15000年前頃までに氷床より南方のアメリカ大陸に存在していたと示唆され、これはSNA系統の広範で急速な拡散と一致します。

 ANAもしくはABのいずれかが、アメリカ大陸にイヌを導入したかもしれません。なぜならば、両集団によるベーリンジアの横断を裏づける考古学的証拠があるからです。しかし、両集団は同時にベーリンジアに到来しなかったかもしれません。ABは独特な細石刃・細石核石器技術と関連しており、これはシベリア東部の16800年前頃となるディウクタイ洞窟遺跡で見られ、ベーリンジア西部へと北東に拡大し、スワンポイント(Swan Point)遺跡に見られるように、最終的には14200年前頃にアラスカへ到達しました。しかし、その時点までに、ひじょうに異なる技術を用いる人類がすでに氷床より南方のアメリカ大陸には千年以上存在しており、アメリカ大陸全域に拡散し始めていました(関連記事)。時空間を越えた石器技術伝統(収斂の結果として類似の石器は容易に生まれます)間、もしくは石器と人類集団間のつながりを示すさいには常に注意が必要ですが、上記の証拠からは、ABがアラスカに到達するまでに、ANAとイヌはすでにベーリンジアを通過していた、と示唆されます。これは、ANAがアメリカ大陸にイヌを導入した最初の人類だったことを示唆します。


●シベリアにおけるイヌの家畜化

 人類とイヌの集団分岐におけるこれらの類似は、イヌの起源に関して以前に提案された仮説の再評価を可能とする制約を課し、イヌの家畜化の年代と場所に関する仮説を提案します。一方では、イヌの祖先となった系統を含むオオカミ系統間の推定される分岐は、4万年前頃という家畜化の上限年代を提供します(関連記事)。他方、本論文では、イヌはベーリンジアをこの地域最初の人類とともに横断したと確認されたので、15000年前頃までに到達したというアメリカ大陸の人類の考古学的証拠は、イヌの家畜化の下限年代を提供します。イヌはアメリカ大陸では家畜化されなかった、と示唆する証拠(関連記事)と組み合わせると、イヌが15000年前頃以前にシベリアに存在した、と示されます。

 人類の古代ゲノム研究では、この頃にシベリアとベーリンジア西部に存在した複数の遺伝的に異なる集団が特定されてきました。これには、ANSやAPS、21000年前頃にANAとABに分岐するアメリカ大陸先住民の基底部系統が含まれます(図1)。古代ゲノムデータからは、これらシベリアの集団間における23000年前頃以後、もしくは39000年前頃以降となるシベリア外の集団との顕著な遺伝子流動はなかった、と示唆されています(関連記事)。この時期に、北極圏および亜北極圏のシベリアとベーリンジアにおける遺跡は少ない、と示されています。まとめると、この証拠から、シベリアとベーリンジアにおける人類集団は小規模で、比較的孤立して暮らしていたに違いない、と示唆されます。ANAとABが(別々に)アメリカ大陸へと渡った時まで、これらの集団はその地に留まったようです。

 シベリア外の共同体との相互作用がほとんどもしくは全くないとというこの証拠は、ANAが人類とともにアメリカ大陸へと渡ったイヌをどのように獲得したのか、という問題を提起します。考えられる理由の一つは、イヌはシベリアもしくはベーリンジア西部のどこかで、ANAがアメリカ大陸へと拡散する前の更新世にオオカミ集団から家畜化された、というものです。以前の研究では遺伝的証拠に基づいて、イヌがアジア東部かヨーロッパかアジア中央部のどれか、もしくはこれらの地域のどこか一つもしくは複数地域で独立して家畜化された(関連記事)、と示唆されてきました。イヌがユーラシア西部で家畜化されたならば、イヌがシベリアへと東方に拡大するには、人類の広範囲の移動が必要だったでしょう。これはあり得るものの、ユーラシア東西の人類集団がすでに39000年前頃(95%信頼区間で45800〜32200年前)には分岐していたことを考えると(関連記事)、可能性は低そうです。

 LGMにシベリアに存在したと知られている人類集団(ANA・AB・APS・ANSおよびその祖先系統)のいずれかが、家畜化されたイヌを飼っていたかもしれません。しかし、ANAと関連するイヌは、基底部系統ではなく北極圏のイヌとのクラスタを表しており、最初の家畜化されたイヌ集団ではない、と示唆されます。同様に、APSは家畜化されたイヌを飼っていたかもしれませんが、ANAとの相互作用のゲノム証拠はありません。ただ、両者が遭遇したものの、考古学や遺伝学には記録が残らなかったかもしれません。同じく、イヌはABにより家畜化されたかもしれませんが、現時点では、ANAとの相互作用の遺伝的証拠はありません。それにも関わらず、イヌは21000年前頃の分岐の前に祖先系統を共有していたことから、家畜化されていた可能性があります。

 したがって、除去の過程および他のいくつかの理由により、ANSはイヌの家畜化過程を開始した可能性が最も高い集団を表します。たとえば、24000年前頃のマリタや17000年前頃のアフォントヴァゴラといったシベリアの遺跡のANS個体群は、これらの集団から古代のアメリカ大陸先住民およびユーラシア西部系統両方への後期更新世の遺伝子流動の証拠を示します(関連記事)。これは、イヌを異なる集団にもたらし、家畜化後の東西両方向への移動の仕組みを提供します。後期更新世のイヌかもしれない遺骸はアフォントヴァゴラ遺跡で特定されており、おそらくは基底部系統を表すものの、これらイヌ科遺骸のゲノムはまだ分析されていません。この仮説は、家畜イヌの単一起源を支持する最近の研究(関連記事)と適合しており、ユーラシア西部と近東とアメリカ大陸における15000年前頃までのイヌの存在を一致させます。

 LGMにおけるシベリアでのイヌの家畜化は、この過程の妥当な背景を提供します。気候条件は、同じ獲物種への魅力を考えると、人類とオオカミの集団に退避地域内でのより近接した関係をもたらしたかもしれません。オオカミと人類は、おそらく相互の獲物の死肉漁り、もしくは人類の野営地のゴミに引き寄せられたオオカミに起因して、両者の相互作用が増加したことで、種間の関係の変化が始まり、ついにはイヌの家畜化につながったのかもしれません。アフォントヴァゴラ遺跡やディウクタイ洞窟のイヌを含む、シベリアの後期更新世のイヌかもしれない遺骸の最近確認された個体数は、この仮説の検証機会を提供します。


●まとめ

 シベリアとアメリカ大陸の初期の人類とイヌ両方の考古学的証拠は希薄です。回収された少数の遺骸から古代DNAを分離して配列する能力は、最初にベーリンジアを東方へと移動してアメリカ大陸へと拡散した集団への新たな洞察をじょじょに提供しつつあります。イヌのmtDNAデータは単一の遺伝子座の歴史を反映しており、イヌ集団史の復元には核ゲノム配列が必要です。それにも関わらず、イヌのmtDNA系統の合着年代の推定からは、イヌと人類がシベリアからアメリカ大陸への集団の分岐と居住の相関した歴史を共有している、と示唆されます。より具体的には、アメリカ大陸に到来した最初の人類は、イヌを伴っていた可能性が高い、と提案されます。その後の各集団内の地理的拡散と遺伝的分岐は、人類とイヌがどこに行ったのか、示唆します。

 シベリアとベーリンジアにおける人類とイヌの初期の遺伝的歴史の収斂から、ここは人類とオオカミが最初に家畜化関係に入った地域かもしれない、と示唆されます。イヌのmtHg-Aの最終共通祖先の最古の年代からは、この家畜化過程がすでに26000〜19700年前頃までには始まっており、この年代は11000〜4000年前頃というユーラシアの考古学的記録における最初の明確なイヌに先行します。この広範な地域は、限定的な発掘と組み合わされて、シベリアにおけるより早期のイヌ遺骸の欠如を説明するかもしれません。この仮説を検証するには、アフォントヴァゴラ遺跡のイヌ科遺骸のような、わずかな既知の推定されるイヌ遺骸の将来の分析が必要です。

 オオカミからの出現以来、イヌは人類社会内でさまざまな役割を果たしてきており、その多くは世界中の文化の生活様式にとくに結びついています。将来の考古学的研究は、多くの科学的手法と組み合わされて、人類とイヌとの間の相互関係がどのように出現し、世界中に拡散するのに成功したのか、明らかにするでしょう。本論文で指摘されるように、イヌは人類にとってひじょうに身近な動物で、最古の家畜化された種と考えられ、関心が高いため研究も盛んなように思われます。最近も、肉の消費の観点からイヌの家畜化の初期段階を推測した研究が公表されました(関連記事)。本論文はイヌに関してはあくまでもmtDNAデータに基づいており、今後の核ゲノムデータの分析の進展により、イヌの家畜化過程がより詳しく解明されていくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Perri AR. et al.(2021): Dog domestication and the dual dispersal of people and dogs into the Americas. PNAS, 118, 6, e2010083118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2010083118


https://sicambre.at.webry.info/202102/article_13.html

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