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金本位制
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 10 月 12 日 10:39:42: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 貨幣数量説 _ 貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定している 投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 30 日 10:42:24)

金本位制

金本位制(英語: gold standard)とは、一国の貨幣価値(交換価値)を金に裏付けられた形で金額を表すものであり、商品の価格も金の価値を標準として表示される。この場合、その国の通貨は一定量の金の重さで表すことができ、これを法定金平価という[1] 。19世期後半の大不況 期に採用が進み、20世紀には国際決済銀行とブレトン・ウッズ体制の礎となった。しかし、1971年の米ドルの金兌換停止移行、先進国のほとんどは管理通貨制度に移行した。

概要
狭義では、その国の貨幣制度の根幹を成す基準を金と定め、その基礎となる貨幣、すなわち本位貨幣を金貨とし、これに自由鋳造[2]、自由融解を認め、無制限通用力を与えた制度である。これは特に金貨本位制という。つまり、金そのものを貨幣として実際に流通させる事である。実際には、流通に足りる金貨が常備できない、高額になりがちな金貨は持ち運びが不便、使用により磨耗するなどの理由により、金貨を流通させられない場合が多い。そこで、中央銀行が金地金との交換を保証された兌換紙幣(だかんしへい)および、本位金貨に対する補助貨幣を流通させる事により、貨幣価値を金に裏付けさせる事が行われた。これを金地金本位制(きんじがねほんいせい)という。

一般には、金貨本位制と金地金本位制を含めて金本位制という。さらに、自国で金本位制を実施出来ない場合でも、これを行っている他国の通貨と自国通貨との一定の交換性が保証されている場合には、為替を通じて間接的に金との兌換が行われていると考えて金為替本位制(きんかわせほんいせい)と呼ぶ。広義では、この金為替本位制も金本位制に含める。しかし、金為替本位制は第二次世界大戦後のブレトン・ウッズ体制を別として植民地政府で実施された例が多く、この場合本国の都合で現地の金融活動は多くの点で犠牲を強いられた。

金本位制は金鉱豊かなロシアでの採用が早く、法形式ではイギリスのものが早い。金本位制のグローバル化は大不況期に進むが、それはそのときに工業が発展したからである。特筆すべき例は次のようなものである。アルミニウムの精製に必要だったナトリウムが、ホール・エルー法により無用のものとなった。カストナー・アルミニウム株式会社は、そこでシアン化ナトリウムを製造した。この会社は自社製造で飽き足らずに、ドイツ金銀分離工業所デグサへもナトリウムを供給した。このようなシアン化ナトリウムは、金鉱石をシアン化法で処理するのに使われた。[3]

均衡のプロセス
金本位制には、国際収支を均衡させる効果があると考えられている。複数の国が存在していて、それらの国が金本位制を採用している場合、流通している通貨が異なっても事実上「金」が世界共通の通貨であることになる。

例えば、経常収支の均衡しているある国がある。

設備投資が活発になり好況になったとする。
国内の貯蓄がそれまでと変わらなかった場合、経常収支は赤字となる。
経常収支の赤字は輸入による自国通貨(金)の流出が、輸出による自国通貨(金)の流入を上回ることである。
このことは国内の通貨残高減少を意味する。
通貨減少により国内の金利は上昇し設備投資が減少する。
景気は経常収支が均衡するまで沈静化し、やがてバランスをとる。
このプロセスにおいて、金利上昇時に国外からの資本流入が起きると、設備投資は減少せず、経常収支も均衡しない。経常収支と資本収支の合算が均衡している限り国内の金は増減せず国際収支は均衡する。

逆のプロセスとして不景気に陥った際も金の流入がプラスになれば景気が回復する。

一方、輸出入だけに着目した説明もある。こちらは初学者でも分かりやすい。

例えば、国内の物価が上がれば輸出減・輸入増となる。輸入超過分は最終的に自国の正貨で支払う。正貨が減ると通貨の発行額も減り、不況となって物価が下がる。この下落によって輸出増・輸入減となる。こうして正貨は回収される。

不況レジームとしての国際金本位制(金の足かせ)
金本位制というのは、固定相場制の一種としてとらえることができる。各国がいったん自国通貨と金との交換比率を決定すると金平価も自動的に決定され、各国通貨当局は金平価を維持させるために、国内の金融政策が追随する形をとる。

金本位制はほかのドルペッグ制などとは違った固定相場制としての特質を持っている。それは金流出国と金流入国との間の金融政策の非対称性である。例えば、自国において金流出が起こったとする、その国では民間の兌換請求によって金を買い戻していることになるから、必然的に自国通貨のマネーサプライの減少をもたらし、均衡に至る。しかし、金流入国においては金流入によって民間より金を買い入れて、マネーサプライの拡大をすることになるが、当該国がマネーサプライの拡大を嫌った場合、他の資産を民間に売却することによって自国通貨供給の拡大を阻止するという操作が可能であり、このような金不胎化政策はかならず他の国に金融引き締めを強いることになるため、金本位制というのは本質的に強い引き締め圧力を持ち、拘束性を持つ政策レジームである。

ジョン・メイナード・ケインズは1923年の著書『貨幣改革論』で金本位制を「未開社会の遺物」と喝破し、金の足かせから自由な管理通貨制度への移行を説いていた[4]。

歴史

イギリスで金本位制を確立した、1817年銘の最初のソブリン金貨
金本位制の理念は古くからあった(東ローマ帝国の経済、後に$マークの由来にもなったソリドゥス金貨)と思われるが、金貨は貨幣として実際に流通させるには希少価値が高過ぎ、金貨を鋳造するための地金が絶対的に不足していたため、蓄財用として退蔵されるか、せいぜい高額決済に用いられるかであった。金本位制が法的に初めて実施されたのは、1816年、イギリスの貨幣法(55 GeorgeIII.c.68)でソブリン金貨(発行は1817年)と呼ばれる金貨に自由鋳造、自由融解を認め、唯一の無制限法貨としてこれを1ポンドとして流通させることになってからである。

その後、ヨーロッパ各国が次々と追随し、19世紀末には、金本位制は国際的に確立した。日本では1871年(明治4年)に「新貨条例」を定めて、新貨幣単位円とともに確立されたが、金準備が充分でなかった上に、まだ経済基盤が弱かった日本からは正貨である金貨の流出が続いた。1871年に法律を改めて暫時金銀複本位制としたが、実質的には銀本位制となった。日清戦争後に清から得た賠償金3500万英ポンドの金[5]を準備金として1897年には平価を半分に切り下げた貨幣法が施行され、実質的に金本位制に復帰した[6]。

1914年にはじまった第一次世界大戦により、各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行した。これは、戦争によって増大した対外支払のために金貨の政府への集中が必要となり、金の輸出を禁止、通貨の金兌換を停止せざるをえなくなったからである。また戦局の進展により、世界最大の為替決済市場であったロンドンのシティが戦災に遭い活動を停止したこと、各国間での為替手形の輸送が途絶したことなども影響した。例えば日本は、1913年12月末の時点で日銀正貨準備は1億3千万円、在外正貨2億4,600万円であり、在外正貨はすべてロンドンにあり、外貨決済の8〜9割を同地で行っていたが、大戦勃発後の1914年の8月に手形輸送が途絶した(当時はシベリア鉄道で輸送していた)。

その後1919年にアメリカ合衆国が金本位制に復帰したのを皮切りに、各国も次々と復帰したが、1929年の世界大恐慌により再び機能しなくなり、1931年9月のイギリスを契機として1937年6月のフランスを最後にすべての国が金本位制を離脱した。 日本では、戦後に金本位制復帰の機会をうかがうも、関東大震災などの影響で時期を逸し、1930年(昭和5年)に濱口雄幸内閣が「金輸出解禁」を実施したが、多額の貿易赤字に伴い多量の金流出が起り、翌年犬養毅内閣が金輸出を再禁止した[7]。連邦準備制度理事会(FRB)議長のベン・バーナンキは、金本位制から早く離脱した国ほど経済パフォーマンスがいいことを証明した[8]。

1933年、金融恐慌を期にルーズベルト大統領は大統領命令6102号を発令し、アメリカ市民に対し保有する金を平価(1オンス=20.67ドル)で強制的に搬出させ、市民の金保有を禁じた。これは、当時金本位制の下で紙幣が金保有高に制限されてしまうため、インフレ政策が取れなかったための措置であった[9]。1934年に、アメリカは金の買上げ価格を1オンス=35ドルと定め、この価格で外国通貨当局に対し金を引き渡す措置をとるようになった[10]。

第二次世界大戦後、米ドル金為替本位制を中心としたIMFによる体制、所謂「ブレトン・ウッズ体制」が創設された。他国経済が戦災で疲弊する中、アメリカは世界一の金保有量を誇っていたので、各国は1オンス=35ドルの平価で金と結びつけられた米ドルとの固定為替相場制を介し、間接的に金と結びつく形での金本位制となったのである。

しかし、1971年8月15日のいわゆるニクソン・ショック以降は、金と米ドルの兌換が停止される。同年12月にスミソニアン協定で1オンス=38ドルとドルの平価を切り下げつつも、金本位制の性格を維持しようとしていたが、各国の通貨も1973年までに変動為替相場制に移行する形で、先進国の通貨は金本位制が有名無実化する形で離脱することになった。同年に1オンス=42ドル22セントと再び平価を切り下げとなり、1976年1月にキングストンで開催されたIMF暫定委員会では、変動相場制と米ドルの金本位制廃止が確認され、1978年4月に協定発効に伴って先進国の通貨における金本位制は完全に終焉した[10]。

日本の本位金貨(旧1,2,5,10,20円、新5,10,20円)も、大戦後は形式化していたが、依然として現行貨幣であった。1987年(昭和62年)制定、1988年(昭和63年)4月1日施行の「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」により、同年3月31日限りで漸く通用停止になり、名実ともに管理通貨制度へ移行した[11]。


文献情報

上川孝夫, 「国際金本位制に関する覚書」 横浜国立大学経済学部紀要論文 『エコノミア』 57巻 1号, pp.75-93, 2006年5月[12]
判澤純太, 「日華事変をめぐる日本金融の「広義国防化」変換過程と、「華北『分治』工作」の「高度国防」化」 『新潟工科大学研究紀要』 9号 p.83-106, 2004年12月, NAID 110001190224, hdl:10623/20251, NCID AN10590360[13]

脚注

^ 日本では1871年、新貨条例が定められ、この時金平価は1円=純金1.5グラムとされたが、その後1897年の貨幣法施行で金平価は半減され、1円=純金750ミリグラムとなった。
^ 個人あるいは政府が造幣局に金地金を納入し、その量に応じて金貨の交付を受ける制度。すなわち手持ちの地金を本位貨幣に鋳造することを政府に請求できる制度。
^ 柏木肇 訳編 『技術の歴史』 第12巻 筑摩書房 1981年 p.345.
^ 岩田規久男編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、 2004年、38-39頁。
^ 下関条約で合意した賠償金は銀2億テールであるが、実際には相当額の英ポンドで受領し、その大半は在外正貨としてロンドンにおかれた。
^ 大蔵省編纂 『明治大正財政史(第13巻)通貨・預金部資金』 大蔵省、1939年
^ 大蔵省編纂 『昭和財政史(第9巻)通貨・物価』 東洋経済新報社、1956年
^ 高橋洋一『日本経済の真相』
^ ニューディール政策と金没収
^ a b 久光重平『日本貨幣物語』毎日新聞社、1976年
^ 造幣局125年史編集委員会編 『造幣局125年史』 造幣局、1997年
^ 世界的観点と研究蓄積の網羅に努めて書かれた研究の手引きであり、おびただしい文献が紹介されている。
^ 「2.幣制改革に至るまでの中国の通貨・金融事情」1935年5月に合衆国が銀本位制を部分的に採用したことが、大不況で価格の下落していた銀を昂騰させ、中華民国をデフレに陥れた。民国からは銀が大量に流出し、幣制改革を経て、翌年5月の米華協定により合衆国政府が直接銀を買上げて民国がドル建ての売上げをナショナル・シティー銀行へ預けることになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9C%AC%E4%BD%8D%E5%88%B6
 

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コメント
1. 中川隆[-10905] koaQ7Jey 2020年10月12日 10:41:40 : RpwMiNUFXo : Nzk2SWtSOXdJekE=[13] 報告
銀本位制

銀本位制(silver standard)とは、一国の貨幣制度の根幹を成す基準を銀と定め、その基礎となる貨幣、すなわち本位貨幣を銀貨とし、これに自由鋳造、自由融解を認め、無制限通用力を与えた制度である。この場合、その国の通貨は一定量の銀の量を持って表すことができ、商品の価格も銀の価値を標準として表示される。

中国

明代に一条鞭法という租税銀納制度が洋銀(メキシコドル・墨銀)の流入により実施可能となっており、ここに銀本位制度の下地があった。15世紀において、明が支払いを銭から銀に変えたことは、結果として、日本国内において中国銭に対する信用不安を生じさせることとなった(銭貨の歴史を参照)。

歴史上代表的な銀本位制国家としては、清ならびに1935年までの中華民国がある。清では、少額の取引には制銭と称される官製の銅貨が流通したが、高額取引においては銀錠(馬蹄銀ともいう)とよばれる高品質の銀塊が秤量して用いられた。銀錠は政府が鋳造するのではなく銭荘という伝統的金融機関において自由鋳造にまかされており、貨幣と言うより銀のインゴットに近いものであった。清末期には洋銀や日本の1円銀貨とほぼ同じ銀含有量の銀元(単位・圓)も発行されるようになり、中華民国においては本位貨幣とされた。後に世界恐慌による金融市場の混乱による銀の流出を受けて1935年に銀本位制を放棄(管理通貨制度に基づく法幣導入)をしたので、最終的に銀本位制を採る国々はほとんど無くなった。


ヨーロッパ諸国

カロリング朝において金本位制から銀本位制に変わったことは、ヨーロッパの通商の衰えを示すものとされる(兼岩正夫 『封建制社会 新書西洋史3』 講談社現代新書 1973年 p.87)。ただし、11、2世紀には商業が盛んになり、13、4世紀には大繁栄し、「通商の復活」といわれるようになる(兼岩正夫 『封建制社会』 p.87)。

アメリカ大陸で鉱床が見つかるまではドイツとオーストリアだけで世界の銀産出量の4分の3を占めた。19世紀、ヨーロッパ諸国の多くは金銀複本位制を採っていた。しかし銀産出高の増加や輸入銀により銀の市場価格が下落して金銀比価が開いた。この場合、銀貨を流通させて金貨を退蔵した方が有利なため(グレシャムの法則)、次第に事実上の銀本位制となった。

この時期の銀の市場価格の変動は大きく、大不況 (1873年-1896年) の手前から下落傾向が著しかった[1]。1870年から1910年にかけて、世界の銀生産量は5倍にふくれていた。これは電解精錬による増産である[2]。1910年をすぎると実に7割が鉱石精錬の副産物として得られた[2]。ここでいう鉱石とは銀鉱石ではなく、銅[3]・鉛・亜鉛・コバルトのそれである[2]。特に北米での銀産出量においては、それら工業用金属の副産物として生産される銀が高い割合を占めた[4]。

イングランド銀行は1816年すでに金本位制を採用していた。しかし銀価格の低落により、アジアへ進出していたオリエンタル・バンクなどのイギリス系大銀行は大きな損害を蒙った。1865年12月すでにラテン通貨同盟は5フラン銀貨の無制限通用を協定していたが、1872-73年の下落傾向に驚いて1874年1月に5フラン銀貨の鋳造制限を約した[5]。アメリカでは貿易銀のインフレを阻止するため1ドル銀貨を設けた。1890年のシャーマン銀購入法で銀本位制に戻りかけたが、1900年に金本位制を再確認した[6]。

北米が輸出する大量の銀が、やがて世界に深刻な影響を与えた。1933年のロンドン世界経済会議において、ピットマンが銀協定をとりまとめた。協定の結ばれた当時は世界の半分が銀本位制であった。協定では、インド・中国・スペインなどの新興銀産出国の出荷量を制限し、他方でアメリカ・オーストラリア・カナダ・メキシコなどの銀輸入国が価格安定に協力することになった。[7]

このように価格を支えられた銀は、第一次世界大戦下のフランスで輸出が禁じられ、現代まで流通した。ベルギーの銀貨はやや寿命が短く、1955年まで使われた。しかしフランスでは1974年まで、スイスでは1971年まで銀貨が使われた。このころニクソン・ショックが起きている。ブレトンウッズ体制から解き放たれた完全な管理通貨制度において、生産力の鬱積していた銀は市場へ放出された。1980年3月27日、いわゆる銀の木曜日に銀価格は暴落している。


日本における事実上の銀本位制

日本の江戸時代においては、金貨(小判)、銀貨(丁銀)、そして小額貨幣として銭貨がそれぞれ無制限通用を認められるという、いわゆる三貨制度が存在していたが、実態は東日本で主に金貨、西日本で主に銀貨が流通するというものであった[8]。

ただし必ずしも貨幣価値が地金価値を表していたわけではなく、本位貨幣制度で理解することは難しい。室町時代の守護領国制により各地の鉱山が囲い込まれ、続く安土桃山時代においては分国法により貨幣をふくむ物資の流通が制限された。加え特に織田信長は、領地の通貨供給量がまちまちであることに着目して、領地ごとに租税納入を米にしたり鋳貨にしたり制度を変えた。悪銭も状態と相場をその都度決めて流通させた。そして江戸初期から海舶互市新例を敷かなければならないほどに長崎で金銀比価に混乱が生じ、そのまま進行して幕末まで外交問題として引きずった。このような状態にあって、貨幣の額面価値と金属価値を固定対応させるのは不可能であった。

その後1871年6月に「新貨条例」を制定し、形式上は金本位制が採用された。しかし、当時は東洋市場においては銀貨による対外支払いが一般的であったため、1円銀貨(量目は416グレイン)ならびに、当時の洋銀に相当する420グレインの量目の貿易銀を発行し、貿易などの対外支払用貨幣として使用した[9]。

1878年には1円銀貨の国内一般通用が認められ、事実上の金銀複本位制となったが、金貨の退蔵と政府不換紙幣の大量発行によって、金貨はほとんど流通しなくなった。さらに松方デフレ後の1885年には、初の日本銀行券(大黒図案の100円、10円、1円の兌換銀券)による銀兌換が開始され、1897年に正式に金本位制を採用するまで、事実上の銀本位制が継続した[10]。第一次世界大戦後の活況期では金本位制を離脱するも銀貨が流通。1930年の金解禁が失敗して再禁止となってからは管理通貨制に移行して今日に至っている。ただし1960年代まで100円硬貨は銀貨であった。

詳細は「日本の銀貨」を参照


脚注

^ 70年に60ポンド台だったロンドン銀相場は5年ほどで56ポンド台、また5年ほどで51ポンド台となった。
^ a b c H. C. Carpenter and C. Gilbert "Report on the World's Production of Silver", Appendix XXX to the Report of the Committee to euquire into Indian Exchange and Currency, 1919 (Babington Smith Committee), 1920, Vol. XIV (Cmd.529) p.756.
^ 銅は、錫とともに1870年代に欧州ではおよそ枯渇してしまった。需要は多方面にわたるが、特に海底ケーブルは長さ・太さ・純度すべてがシビアに求められた。以降アフリカの開発が進む。20世紀初頭はユニオン・ミニエールが技術革新を積極的に導入し大規模に採掘した。日本も戦後に鉱山の閉鎖があいつぎ、アフリカへ古河財閥などが進出している。
^ 井村薫雄 『支那の為替と金銀』 上海出版協会 1923年 pp.250-251.
^ J. H. クラパム著 林達監訳 『フランス・ドイツの経済発展 1815-1914年』 学文社 1976年 p.429.
^ 1901-1905年だけは、同様に5年刻みの前後期間に比べてアメリカは銀産出量が1/3以下に抑えられた。
前掲 『支那の為替と金銀』 p.258.
^ 蠟山芳郎 『岩波小辞典 国際問題』 第二版 岩波書店 1977年 pp.206-207.
^ 三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年
^ 『日本の貨幣-収集の手引き-』 日本貨幣商協同組合、1998年
^ 『明治大正財政史(第13巻)通貨・預金部資金』 大蔵省編纂、1939年

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%9C%AC%E4%BD%8D%E5%88%B6

2. 中川隆[-7763] koaQ7Jey 2021年1月26日 00:21:22 : 2ydmNr8Rvw : SDJnQ0RJbmZzTkk=[33] 報告
【ゆっくり解説】目からウロコが落ちる「中央銀行」について〜お金の歴史から読み解く通貨の信認とは〜
2020/07/21




現在の制度では中央銀行が通貨の信用を担っています。その辺があまり世間に知られていないようなので解説しました。
お金の歴史から中央銀行の役割までを解説しています。
3. 2021年3月03日 10:36:49 : MInco8EFHg : VWhTdHJaQ0UzS28=[3] 報告
グレートリセット?金本位制?(Live配信2021/3/2)


4. 2021年5月05日 07:43:41 : FAehPifVaM : MEpOMk4wblpPNEU=[8] 報告
【ゆっくり解説】なぜ金は高いのか 〜歴史的背景と科学的性質からその理由を紐解く〜
2021/05/04




5. 中川隆[-16809] koaQ7Jey 2021年8月27日 20:23:49 : uPBhgG61YE : Q29mZlM4WkdxRE0=[28] 報告
2021年08月27日
黄金の十字架 / 忘れ去られたポピュリスト
金本位制の秘密
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68868984.html

William Jennings Bryan 655Jewish picture 333

(左 : ウィリアム・ブライアンを宣伝するポスター / 右 : ユダヤ人の金貸しを描く風刺画)

8月21日のチャンネル桜で、水島総社長と近代史家の林千勝による対談が放送された。最近、林氏は一般書店やアマゾンで販売されない『ザ・ロスチャイルド』という本を出版したので、色々なYouTubeチャンネルでロスチャイルド家にまつわる話している。(この本は「経営科学出版」から直接販売されており、林氏のツイッターからも購入できるそうだ。) チャンネル桜で定期的な出演をする林氏は、前々からロスチャイルド家の過去や金融資本家の手口など紹介していたが、今回は米国における金本位制や民間銀行、ポピュリズムなどに触れていた。彼はドナルド・トランプ以前にもアメリカには「ポピュリズム(人民主義)」があったと述べ、日本人が誤解している「大衆迎合(ポピュリズム)」を修正するため、1896年に大統領選挙の候補者になったウィリアム・ジェニングス・ブライアン(William Jennings Bryan)を紹介していた。

William Jennings Bryan 667( 左 / ウィリアム・ジェニングス・ブライアン )
  このウィリアム・J・ブライアンは元々、ネブラスカ州選出の連邦下院議員(民衆党)で、“草の根”運動の政治活動をしていた人物。真面目に働く巷の庶民は、倫理道徳のことなら体験的に解るけど、金融とか経済といった複雑な学問にはお手上げだ。だから、狡猾な銀行家をやっつけるブライアンは庶民の味方。彼が民衆から絶大な支持を受けていたのも頷ける。ウィリアム・ブライアンは当選こそしなかったものの、1896年と1900年、そして1908年の三回にわたって大統領選挙に出馬し、通貨発行権を民衆の手に取り戻そうと奔走した。ブライアンの政敵はズバリ、「中央銀行」を私物化しようとする国際金融資本家だ。換言すれば、連邦準備制度の成立を目指すエスタブリッシュメントである。

  アメリカ合衆国は理念上、共和政ローマと同じ統治形態を有するから、王様が国家の「宝箱(fiscus)」を独占することはない。通貨鋳造の権利、すなわち君主の特権(seigniorage / 通貨発行権)」は、アメリカ人民の掌中にあるはず。アメリカ共和国の財務長官や米銀総裁は、国王陛下に仕える大蔵大臣(Exchequer)ではなく、立法府や行政府の管轄下にある金融機関でなければならない。ところが、現在のアメリカはどうなのか? どのくらい儲けているのか全く分からない謎の金融業者が、中央銀行もどきの独立機関にふんぞり返り、そこの理事や総裁に就いているんだから言語道断だ。しかも、アングロ・サクソン人ではないユダヤ人が、こともあろうに名誉ある連邦議員や最高裁判事、財務長官、国防長官、FRBの議長になっているんだから、建国の祖父が蘇ったら死にたくなるだろう。

  利子が附かない政府発行の自国通貨というのは、アメリカの庶民にとって長年の夢である。資産と自由を大切にするアメリカでは、常に公式な中央銀行による無利子の紙幣が求められていたので、1791年に設立された最初の「合衆国銀行(Bank of the United States)」や1816年に再び設立された「第二合衆国銀行」に愛国者は激しく反対した。この第二合衆国銀行は時限立法による暫定的な金融機関であったので、恒久的なチャーターに基づく銀行ではなかった。1833年9月10日、アンドリュー・ジャクソン大統領は銀行継続の更新を許さず、拒否権を用いて銀行から全ての公的資金を取り除いてしまった。当然、旨い汁を吸っていた金融業者は大激怒。俗に言う「銀行戦争(Bank War)」の勃発だ。

  しかし、経済的搾取に苦しむ一般国民は、ポピュリストのジャクソン大統領を熱烈に支持。この庶民派大統領は、一部の特権商人が私腹を肥やし、常識で暮らす勤労者が抑圧されるなんて“けしからん”と思っていた。また、巷の庶民も同じ憤慨を抱いており、紙幣を印刷するだけで巨額な利益を得る銀行を忌々しく思っていた。腹が立っても反抗できない無力な民衆は、第二合衆国銀行の傘下に収まっていた各銀行を「ペット銀行(pet bank)」と呼んでいたくらい。ところが、議会で安逸を貪る政治家というのは、基本的に風見鶏か偽善者。彼らは民衆の声ではなく、札束の量と金貨の音に靡く。合衆国銀行を仕切っていたニコラス・ビドル(Nicholas Bidle)は、飼い馴らした議員連中の尻を叩き、驚いた「先生」方は御主人様のご要望にお応えしようと獅子奮迅。情けないけど、これが現実だ。当時の有力者であったケンタッキー州選出のヘンリー・クレイ(Henry Clay)上院議員は、銀行の旦那衆に媚び諂(へつら)い、ジャクソン大統領の反対者になっていた。

Andrew Jackson 001Nicholas Biddle 01Henry Clay 01

( 左 : アンドリュー・ジャクソン / 中央 : ニコラス・ビドル / 右 : ヘンリー・クレイ )

  保守派の国民、つまりカタギの平民から愛されるトランプ大統領が、ホワイトハウスの中にジャクソン大統領の肖像画を掲げていたのは、こうした歴史を知っていたからだ。ところが、端っから木偶(でく)の坊で、国際金融資本家のペットになったジョセフ・バイデンは、養老院(ホワイトハウス)に入居するや否や、大統領執務室からジャクソンの肖像画を取り外してしまった。ただし、その本意を隠すために、一応“当たり障りのない”ベンジャミン・フランクリンの肖像画を掲げ、知らぬ顔でお茶を濁していた。ところが、トランプ大統領を徹底的に否定したいバイデンには別の意図があった。この痴呆老人は、重要な政治問題に関する答弁なら直ぐ忘れるのに、左巻きの支持者に対する「胡麻すり」だけは忘れなかったというから凄い。何と、バイデンはあの極左活動家として悪名高い、セザール・チャベス(Cesar Chavez)の胸像を設置したのだ。(Zack Budeyk, "Biden replaces Andrew Jackson portrait in Oval Office, adds Cesar Chavez bust", The Hill, January 20, 2021.)

Cesar Chavez 2Rosa Parks 22Martin_Luther_King,_Jr. 033Eleanor Roosevelt 1

(左 : セザール・チャベス / ローザ・パークス / マーティン・ルーサー・キング / 右 : エレノア・ローズヴェルト )

  もう目が眩んでしまうというか、呆れ果ててしまうじゃないか。共産主義者や反米主義者の労働組合から拍手喝采を浴びる極左分子、というのがチャベスだ。左翼陣営がこぞって崇める英雄の彫像を、よりにもよってホワイトハウスの執務室に置くなんてどうかしている。だが、その両隣には別の胸像が二つ並んでいた。一つは黒い左翼のマーティン・ルーサー・キング牧師。もう一つは白い左翼に惜しまれたロバート・ケネディー司法長官。これを見ればバイデンがどんな連中に媚びているのか、がよく分かる。さらに、ホワイトハウスには限りなく共産主義者に近いエレノア・ローズヴェルト夫人と、公民権運動で有名な黒人活動家のローザ・パークス(Rosa Parks)を描いた肖像画も掛けられていた。これじゃあ、白亜館じゃなくてマルキストのピンク・サロンじゃないか。

  脱線したので話を戻す。エイブラハム・リンカン大統領が南北戦争で必要な戦費を調達するため、政府主導の「グリーンバック(Greenbacks)」紙幣を発行し、人々から好評を博したのは有名な話である。ところが、自前の通貨発行で儲けたい金融業者は、何としても無利子の政府紙幣を葬りたい。そこで、彼らは政府を困らせるために、「国債の償還(返済)は金(gold)で支払え !」と騒ぎ立てた。本来なら、国債の支払いは緑色の紙幣で済むはずなのに、銀行家とツルんだ牧師や教授達は、正義漢を装って一緒に煽り立て、「金で償還すべし !」と要求し始めたのである。

Edmond_James_de_Rothschild 02James_Armand_Edmond_de_Rothschild 01(左 : 父親のアブラハム・エドモンド・ベンジャミン・ジェイムズ・ド・ロスチャイルド / 右 : 息子のジェイムズ・アーマンド・ド・ロスチャイルド )
  ところが、こうした支払い方法になると政府は窮地に陥ってしまう。なぜなら、政府は全ての国債を金で償還できるほどの金を保有していなかったからだ。もしゴールドでの返済になれば、誰かからゴールドを借りなければならない。しかし、大量の金塊を貸してくれる人物となれば数は限られてくる。心当たりと言ったら、先ずイングランドの大富豪であるジェイムズ・ロスチャイルド男爵が浮かんでくるし、他の者といっても、このユダヤ人と同類の銀行家しかいないのだ。これは本当に馬鹿らしい。リンカン大統領以降の合衆国政府は、黄金ではなく紙幣で経済成長や財政の健全化を図ろうとしたのに、国債を償還するためにヨーロッパの金持ちからゴールドを借りて、ゴールドを差し出し、余計な利子まで附けて支払う破目になってしまうんだから。以前、当ブログで紹介したスティーヴン・ザレンガによると、金(gold)というのは究極的に、ロスチャイルド男爵や他の国債保有者から離れ、再びロスチャイルド男爵と国債保有者に戻る、という仕組みになっているそうだ。(Stephen A. Zarlenga, The Lost Science of Money : TheMythology of Money - The Story of Power, New York : American Monetary Institute, 2002, p.487.)

  ブリテンのロスチャイルド家とアメリカにいる国際金融資本家は、何としても自分達の「中央銀行」を合衆国政府に認めさせ、“私的”な銀行を“公的”な銀行のように見せたかった。そして、自分達が独占しコントロールできる「ゴールド」を“裏付け”にし、自らの金本位制を揺るぎないものにしようと謀ったらしい。なぜなら、一部の経済学者やアメリカ人の金融業者は、銀を基にして貨幣を発行してもいいんじゃないか、と思っていたからだ。しかし、大量に流通する銀を使われたら米国や歐洲の金融を支配できないから、どうしても金本位制じゃないとマズかったのである。

August Belmont 002(左 / オーガスト・ベルモント )
  アメリカの輿論が「グリーンバック」紙幣に傾くのを懼れたロスチャイルド家は、現地の手下を動かしてグリーンバック運動の芽を摘んでしまえ、と画策した。その一人がロスチャイルド家に仕える在米エージェントのオーガスト・ベルモント(August Belmont)である。彼はドイツのレニッシュ・ヘッセンに生まれた外国人なのだが、親分と同じ種族のユダヤ人。(ただし、ベルモントはセファラディー系。) ベルモントは当初、キューバにおけるロスチャイルド家の利益を守るために派遣された代理人であったが、ユダヤ人らしく転々と様々な職業に就いた。彼はニューヨークで勤務するオーストリア帝國の総領事になったし、活躍の場を政界に移すと、今度は後に大統領となるジェイムズ・ブキャナン(James Buchanan)に仕え、彼の選挙参謀になっていた。

ちなみに、1852年の大統領選挙では、ペンシルヴァニア州からブキャナンが出馬したが、他にも大物が立候補し、イリノイ州からはスティーヴン・ダグラス(Stephen Douglas)が名乗りを上げた。テキサス州からは大御所の政治家、あのテキサス共和国で大統領を務めたサム・ヒューストン(Sam Houston)も候補者になっていた。ところが、選挙の蓋を開けると、ダークホースのフランクリン・ピアース(Franklin Pierce)が当選。敗れたブキャナンはピアース政権で駐英アメリカ大使となり、ベルモントの方はネーデルランドへ派遣されるアメリカ大使となった。

Franklin Pierce 11Stephen A Douglas 01Sam Houston 3James Buchanan 02


(左 : フランクリン・ピアース / スティーヴン・ダグラス / サム・ヒューストン / 右 : ジェイムズ・ブキャナン )

  こうした経歴を持つベルモントは、1860年、民衆党の全国委員会の委員長に就任する。だが、彼の権力は政界だけでなく、マスコミ界にも及んでいた。このユダヤ人エージェントは、マントン・マーブル(Manton Marble)が主幹となっていたニューヨークの新聞、『The World (or The New York World)』のアシスタントを務めていたのだ。この新聞を購読する者は主に民衆党員であったから、大統領選挙となれば同党から出馬するホレイショ・セイモア(Horatio Seymour)候補を支援するはずであった。ところが、裏でベルモントが動いたから、新聞の論調は一夜にして激変。以前から『The World』紙は「グリーンバック」に賛同しており、元ニューヨーク州知事のセイモア氏を支持すると思われていた。しかし、ロスチャイルド家の権力は見くびれない。1869年、民衆党のセイモア候補は、あえなく敗北。共和党の候補者であったユリシーズ・グラント(Ulysses S. Grant)将軍が勝利を納めた。

Ulysses Grant 1870(左 / ユリシーズ・グラント )
  当選した北軍の大将は、46歳という若さで合衆国大統領になった。普通の日本人は43歳で就任したジョン・F・ケネディーが最も若い大統領と思っているが、セオドア・ローズヴェルトは42歳で就任したから、彼が一番若い。ちなみに、ビル・クリントンが大統領に就任したのは46歳で、バラク・オバマは47歳で大統領になった。逆にアメリカ史上、最も高齢で大統領になったのはジョセフ・バイデンで、普通なら隠居するはずの78歳。でも、ロナルド・レーガンが77歳で就任していたから、それほど驚く事じゃない。トランプ大統領とアイゼンハワー大統領も70歳で就任したし、ジェイムズ・ブキャナンとアンドリュー・ジャクソンが就任したのは69歳の時だった。

  翻って我が国は・・・? 東京都知事の小池百合子は、もしプロフィールが正しければ、昭和27年(1952)生まれの69歳だから、まだまだ総理の椅子を狙える年齢だ。引退しそうな二階俊博は、昭和14年生まれの82歳。自民党の重鎮である麻生太郎も高齢で、昭和15年生まれの81歳だから、そろそろ潮時である。もし、菅総理の側近が“菅院政”のシナリオを作るなら、東京の女帝を“電撃復党”にさせる、という「どんでん返し」も可能だ。保守派国民は高市早苗を望んでいるが、知名度と人気度から言えば小池の方が遙かに上だから、野心家の女帝も「その手があるわよねぇ〜」と微笑む。レイムダックの菅義偉に、役人的な岸田文雄、左翼が持ち上げる不人気の石破茂と河野太郎、という面子を見れば、小池百合子が“勝利”を確信してもおかしくはない。「辞任した都知事が衆院選に出馬 !」となれば、マスコミは小池劇場で大賑わいだ。裏舞台での密約を考えるなら、橋下徹と昵懇の菅総理が日本維新を取り込み、元田中派の二階が小沢一郎と組めば立憲民主党は自民党の下部組織になる。二階と小沢、菅の親分たる習近平にも異論はあるまい。男を変えて出世する小池が、「昔の男」である小沢とヨリを戻し、習近平の妾になっても不思議じゃないし、この女帝なら米国と支那に愛想を振りまく二股交際だって有り得る。

  脱線したので話を戻す。それにしても、なぜ民衆党系の『The World』紙が、共和党のグラント将軍を助けるような真似をしたのか? この答えはグラントが就任早々に行った署名にあった。彼は当時の銀行家が推進した、所謂「債権強化法(Credit Strengthening Act / Public Credit Act of 1896)」を承認し、「金(ゴールド)で政府の債権を支払います」、と誓ったのだ。前任者のアンドリュー・ジョンソン大統領は同法に対し、大統領の拒否権(veto)を以て却下したのに、新たな大統領はパトロンの御機嫌を取っていた。やはり、権力の階段を昇り始めると、金持ちの下僕になるらしい。ちなみに、グラント大統領は元々反ユダヤ主義者で、南北戦争の時は「General Order No. 11」という法令を発して、彼の占領地からユダヤ人を全て追い出したことがある。現在のアメリカ軍人はユダヤ人の権力に怯える意気地無しが多いけど、昔の軍人は勇敢なうえに正直で、遠慮なく反ユダヤ的な発言をしていたから偉い。例えば、陸軍のアモス・フリーズ少将は、ユダヤ人をアメリカの遺産と宗教を侵害する原因と評していたし、「米国ユダヤ人委員会(AJC)」を嫌悪する、ある陸軍大佐は、ユダヤ人を堕落した「下劣な詐欺師」と呼んでいた。参謀本部のJ.S. リチャードソン少佐やドイツ駐在武官のトルーマン・スミス大佐もユダヤ人を侮辱することに躊躇は無かった。(ジョーゼフ・W・ベンダースキー『ユダヤ人の脅威』 佐野誠 / 他 訳、 風行社、2003年、pp.54-57.)

Simon Wolf 22(左 / サイモン・ウルフ )
  ところが、グラント将軍も政界で最高司令官になると、奇妙な具合に態度が豹変した。彼はユダヤ人の御機嫌を取るためか、辣腕の法律家で「ブナイ・ブリス(B'nai B'rith / 有名なユダヤ人団体)の指導者を務めていたサイモン・ウルフ(Simon Wolf)をアドヴァイザーにしたのだ。しかも、ロシアの国境でユダヤ人2千名が排斥されると猛烈に抗議した。ロシアに続いてルーマニアでもユダヤ人に対する迫害が起きたので、グラント大統領は再ひ激怒。もう、ジョン・F・ケネディーかリンドン・B・ジョンソンを髣髴させるような大統領である。(両者とも大のユダヤ人贔屓。) ユダヤ人に奉仕すると御褒美が貰えるようで、1873年、グラント大統領は再選された。ユダヤ人に媚びるグラント大統領を観ると、何となく吐き気がするので、彼のエピソードは省略する。

  林千勝はチャンネル桜の番組で、ウィリアム・ブライアンの貨幣論や民衆運動に言及したが、その情報源やネタ本を披露しなかったので、視聴者の中には不満に思った人もいるはずだ。筆者はアメリカの裏歴史や貨幣論争を知りたい方に、先ほど紹介したスティーヴン・ザレンガの本を推奨したい。この本は720ページにも及ぶ大著であるが、各章が簡潔かつ具体的に書かれているので、アメリカ史を勉強したい人には格好の参考書になると思っている。日本の大学教授が書いた本を読む人なら分かるはずだが、彼らは制度論や法律論ばかりに焦点を絞り、どんな素性の人物が誰と組んで、如何なる法案を作成したのか、どんな意図を持って、あるいは、どのような魂胆で新たな制度を構築したのか、という点を説明しないのだ。それゆえ、参考文献として渡された本を熟読しても、その真意がよく分からないし、授業を聞いている学生も何が何だか解らない。大学で金融の歴史やアメリカ経済の仕組みを勉強した学生でも、生々しいアメリカ史になると中学生程度の無知蒙昧で、「そう言えば、どうなんだろう?」と首を傾げてしまう。こんな塩梅だから、「卒業証書は領収書」と小馬鹿にされるのだ。

  またもや脱線したので話を戻す。林千勝は水島社長を前にして、ウィリアム・ブライアンの「黄金の十字架演説(Cross of Gold Speech)」を紹介したが、引用元を披露しなかったので、勉強熱心な視聴者には不満であろう。日本の評論家は政治や歴史の本を書いても、どこから引用したのかを明かさない人が多い。これでは、著者が本当の事を述べているのか、正確な引用なのかが分からないから、本の価値が著しく低下する。筆者は林氏の新刊本『ザ・ロスチャイルド』を購入したが、詳細な脚注が施されていなかったのでガッカリした。巻末に参考文献を羅列しただけでは読者の利益にならない。

  それはともかく、ブライアンは有名な政治家だったので、彼の演説文は簡単に手に入る。「黄金の十字架スピーチ」は彼の評論集である『The First Battle』の中に納められていた。そこで、ブライアン演説の一部分をちょっとだけ紹介したい。彼は金本位制を維持したい金融業者を非難して、民衆の利益を擁護していた。
  
 これは再び1776年の問題である。我々の祖先は、人口が300万人であった頃、どの国に対しても政治的に独立していると宣言するだけの勇気を持っていた。彼らの子孫である我々は、人口七百万に増大したが、祖父達よりも独立性が少ないといえるのか? 諸君、違うぞ。まだ評決が下りたわけじゃない。それゆえ、どこで闘いが行われているのか、ちっとも構わないのだ。もし、彼らが金銀複本位制(bimetallism)が良いと言っても、我々は他国が手伝ってくれるまで、それを持つことはできない。

  我々はこう答えよう。イングランドが持っている金本位制を持つ代わりに、我々は複本位制を取り戻し、イングランドにもこれを採用させようじゃないか。なぜなら、合衆国がこの制度を取っているからだ。もし、彼らが公の場に出てきて、金本位制を善きものとして擁護するんなら、我々は徹底的に戦おうじぉないか。我々の背後には、この国で働く大衆や、商業的利益に支えられた世界、労働者の利益、各地の苦労人が存在する。金本位制を要求する彼らに答えてやろう。君達は労働者の額に茨の王冠(crown of thorns)をギュっと被せることはできないし、全人類を黄金の十字架で磔にして苦しめることは出来ないんだぞ。("Contest Over the Platform", in William Jennings Bryan, The First Battle : A Story of the Campaign of 1896, Chicago : W.B. Conkey Company, 1896, p.206.)

  日本では無名のブライアンでも、アメリカ本国では今でも人気が高い。ただし、ブライアンの伝記や評論には注意が必要な本もあるので、よく吟味して読まなければならない。一般国民の中にはマイケル・カジン(Michael Kazin)が書いた『A Godly Hero』という伝記を手にする人もいるが、ポヒュリズムを研究するユダヤ人学者には左翼が少なくないので、心の奥にどんな意図を隠しているのか、と疑った方がいい場合がある。また、アメリカの金融や財政を勉強する日本人は、ワシントンやウォール街の地下に流れる“ドス黒い水脈”にも目を向けなければならない。明治大学の海野素央や上智大学の前嶋和弘、慶應義塾の中山俊宏の授業を聞いても、アメリカの実態は解らないぞ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68868984.html

6. 2022年3月12日 07:19:18 : ojHKLDjLaQ : S21qS2x6MWlYaXM=[3] 報告
420回 ロシア金本位制の噂はデマ以下。詐欺的な話ですから逃げてください

7. 中川隆[-13116] koaQ7Jey 2022年5月01日 21:17:40 : kSHn8hp6Sk : dkF1N2hLdEIuc1E=[13] 報告
ロシア、金本位制の復活を検討: 紙幣からの逃避の始まり
2022年5月1日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/23710

ロシアのウラジミール・プーチン大統領の報道官ドミトリー・ペスコフ氏は、プーチン氏がロシアの通貨ルーブルを金価格に対して固定することを議論していると明らかにした。いわゆる金本位制度の復活を示唆したということである。

ルーブルを金相場に固定する

この話は西側の制裁によってルーブルが不安定な状態にされた後に出てきている。アメリカやEUの制裁によってルーブルは一時暴落したが、筆者は状況を冷静に見て次のように書いておいた。

戦争で株価は下落するのか? 歴史上の株価チャートを振り返る
ロシアの主要輸出品であるエネルギー資源の価格はウクライナ情勢のために高騰しており、この状況でロシア経済が消えてなくなることは有り得そうにない。

この通りルーブルの価値は急回復した。以下はドルルーブルのチャート(上方向がドル高ルーブル安)である。


理由については以下の記事を参照してほしい。

サマーズ氏: ロシアは対露制裁でむしろ儲かっている
結果としてルーブルは今のところ高騰しているドルよりも更に強い最強通貨となっている。

それでもロシアは西側の都合で外貨準備を強奪され、通貨も一時的とはいえこれほど不安定にさせられた状況にうんざりしているのだろう。だからプーチン氏はルーブルの為替レートを金価格に対して固定し、他国の政策に対して自国通貨が脆弱にならない方法を考えている。

金本位制度とは何か

それは金本位制である。しかし金本位制が太古の昔の話となってしまっている現代では、金本位制とは何かということから説明する必要があるだろう。

それは紙幣とは元々何だったかという話である。紙幣とは銀行にゴールドなどの資産を預けた時の預かり証のことだった。

銀行とは紙幣を預けるところではなく、貴金属などの資産を預けるところだったのである。だからその時の預かり証であるところの紙幣は多数の銀行によって発行されていた。

それを18世紀のイギリスで財政破綻の危機にあったイギリス政府がイングランド銀行の独占業務としたのが中央銀行の始まりである。

南海泡沫事件: バブル経済の語源となった近世イギリスの株式バブルを振り返る
しかしそれでも当分の間、紙幣がゴールド(江戸時代の日本の場合はシルバー)の預かり証であることに代わりはなかった。中央銀行に紙幣を持って行けばゴールドを受け取ることが出来たからである。

しかし政府というものは一般に腐敗する。政府はほとんど例外なく、預かっているゴールドの量以上の紙幣を次第に印刷するようになり、当然ながらゴールドが返せなくなる。

アメリカでは1971年にニクソン大統領が「ゴールドは返さない」と宣言した。これがいわゆるニクソンショックである。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
つまり、紙幣を持っていても預けていたはずのゴールドは返ってこなくなったということである。

元預かり証

非常に面白いのは、政府によってゴールドが不法に奪われたにもかかわらず国民が何の文句も言わないことと、更に言えば何の価値もないただの紙切れになった元預かり証を現代人が後生大事に財布に入れていることである。

盗まれたゴールドは何処に行ったのだろう。それはともかく、人々は次第に紙幣に価値がないことを自覚してゆく。それがインフレであり、それは紙幣があってもものが買えなくなることである。

3月のアメリカのインフレ率は遂に8.6%に
だから政府がインフレを推奨する理由も明らかだろう。彼らは愚かな国民が気づかない内に紙幣に消えてなくなってほしいのである。そうすれば盗んだゴールドのことも忘れてくれるだろう。

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
だがゴールドを盗まれても気づかなかった人々も、物価高騰でものが買えなくなれば流石に気づくだろう。だから後先考えない岸田氏やバイデン氏以外の政治家は、この状況を先に回避しようとする。

その試みがロシアの金本位制の検討である。ロシア連邦中央銀行のエリヴィラ・ナビウリナ総裁はこれを否定している通り何も決まったものではないだろうが、少なくともプーチン氏がそれを考え始めたのは明らかである。

ドルから離脱したい非西側諸国

その目的は明らかにドルの世界支配から逃れるためである。そしてそれはロシアだけの問題ではない。アメリカはNATOの対ロシア戦争に同意しない中国やインドなどの中立の国々に制裁をちらつかせて脅しをかけており、彼らもドルを保有し使っている限りアメリカに資金を盗まれかねない。

「最大の目的はこの戦争に巻き込まれないことである」と言ったハンガリーにとっても、ドルからの離脱は急務だろう。

アメリカ国民の代わりにウクライナ国民にロシアとの殺し合いをさせたいアメリカ政府と、それに加担している2014年以後のウクライナ親米政権を天使のような存在に見せたい西側メディアの洗脳を受けていない国は日本人が思っているより多い。

日本の公安調査庁、ウクライナ国家親衛隊のアゾフ連隊がネオナチであるという記述をホームページから削除
彼らにとってドルの保有は明らかに自国に対する脅威となった。そうした国々の中央銀行(小国でも莫大な資金量である)が一斉にドルを売ってゴールドを買い始めたら、ドル建て金相場はどうなるだろうか?


紙幣か現物資産か

こうして人々は「元預かり証」がただの紙切れに過ぎないという当たり前の事実に徐々に気づいてゆく。Bridgewaterのレイ・ダリオ氏の発言を思い出したい。

世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
われわれが消費をできるかどうかはわれわれが生産できるかどうかに掛かっているのであり、政府から送られてくる紙幣の量に掛かっているではない。

紙幣は食べられない。

そして食べられるものとは何か? 高騰している小麦などの農作物であり、その主要生産国はロシアである。

ウクライナ危機でコモディティ価格高騰、小麦を一部利確してシルバー買い
そのロシアが重要なのは紙幣ではなく現物資産だということに気づいている。しかもその上で借金であったはずのゴールドを返すと言っている。一方で日本政府はいまだに紙幣を刷っていて、盗んだゴールドのことは忘れてほしいと思っている。日本はもう駄目だろう。

結論

このように考えれば、西側とロシア、通貨に関してまともな思考がどちらであるかは明らかだろう。そして金融市場はその観点からルーブルを再評価している。それがルーブルがウクライナ前の水準を越えて上昇(以下は下方向がドル安ルーブル高)している理由である。


メディアによるバイアスを排除して物事を考えることは投資家にとって非常に重要である。

はっきり言うが、ウクライナをお花畑だと思っている人々は、戦後に北朝鮮をお花畑だと思っていた人々に似ている。

真珠湾攻撃に言及したゼレンスキー大統領が広島の原爆には言及できない理由
彼らでさえもウクライナが昭和天皇をナチス扱いし始めたことで正気に戻り始めているが(彼らは何故いつも最初から気づかないのだろう?)、損得勘定をシビアに見る金融市場はもっと厳しい判断を西側とロシアに対して下すだろう。

このロシアの動きは人々が紙幣を捨てて現物資産に走る巨大トレンドの最初の一歩に過ぎない。

ポズサー氏: 預金と国債の時代からゴールド保有の時代へ
世界最大のヘッジファンド: 金融資産から現物資産への怒涛の資金逃避が起こる可能性
しかし付け足しておくが、それは長期トレンドである。短期的にはこれからの株価暴落に金相場なども一定の影響を受けるだろう。それについては以下の記事を参照してほしい。

インフレで株価暴落なら金相場と暗号通貨はどうなるのか


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/23710

8. 保守や右翼には馬鹿し[176] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年5月13日 20:30:14 : 192M2n3SdY : aGtGQzlnZHVHeTI=[3] 報告
【教えて!ワタナベさん】金本位制は成立しない[R5/5/12]
https://www.youtube.com/watch?v=a3Q9sfZTZhE

出演:渡邉哲也(経済評論家)

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