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(回答先: 日中のGDPのいい加減さ 投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 01 日 09:36:15)
「最大概念の潜在GDP」と「平均概念の潜在GDP」
2014年7月12日
【青木泰樹】2つの潜在GDP
https://38news.jp/archives/03897
●●マスコミが報じない不都合な真実とは
http://www.keieikagakupub.com/sp/CPK_38NEWS_C_D_1980/index_sv2.php
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幸せの定義は人それぞれだとしても、「過去の平均的な暮らしを送れることがあなたにとっての最高の幸せなのです。将来の幸せもそのトレンド上にあるのです」と言われたら、果たして納得できるでしょうか。
おそらく得心できる人は少ないでしょう。
同様に、「あなたの潜在能力とは、過去に発揮してきた平均的能力に他なりません」と断定されたら、「私の能力は、まだまだそんなものではない。本気を出せば、もっとできる」と反発するのではないでしょうか。
確かに、過去が現在および将来に対して甚大なる影響を及ぼすことは否めない事実です。
しかし、さすがに「現在(もしくは将来)が過去によって全て決められている」と考える人は現実社会では滅多にいないでしょう。滅多に。
ところが経済学の世界では、現実社会の常識はなかなか通用しません。
経済学者の多くは、また金融関係者の多くもそうかもしれませんが、「将来は過去の確率的再現である」と考えているのです。
将来は、過去の事象が確率的に表れるだけで、新奇なことは起きないと。
金融派生商品(デリバティブ)などもそうした概念を前提に造られています。
彼らの依拠するリスク概念とは正にそうしたもので、われわれが現実社会で直面する不確実性とは根本的に異なる考え方なのです。
さらに追い打ちをかけるように、「新しい古典派」と呼ばれる現代の主流派経済学における最大勢力は、「私たちが今まで辿ってきた道は、常にバラ色の道であった」と考えているのです。
すなわち、過去の経済過程は常に長期均衡(最適資源配分の達成状態)の軌道上にあったと主張しているわけです。
究極の過去肯定、現実肯定といえるでしょう。そして将来も含めて。
そこまで極端ではないにせよ、マネタリズムもまた過去の肯定派です。
過去は「平均的に見れば」バラ色であったと、多少穏健に主張しているのです。
すなわち過去は長期均衡から若干乖離しているが、それは攪乱要因(情報ラグと政府の裁量的行動)に起因するものだと考えているのです。
しかし、おしなべて考えれば(長期的に見れば)、バラ色だったと認識していることに変わりはありません。
現在、こうした主流派経済学の考え方が、特にマネタリズムの影響が強いと思われますが、経済統計の定義にも影響を及ぼすに至りました。
経済学界の中だけで、「過去はバラ色」派がどんなに荒唐無稽なことを主張しようとも、問題ではありません。
所詮、コップの中の嵐ですから、現実経済とは無関係です。
しかし、机上の空論が現実に溢れ出てくる段階になると、もはや現実経済も無傷ではいられません。
本日は、そうした悪影響について具体的に考えたいと思います。
結論から言えば、これまで実体経済を測る尺度として重用されてきた統計指標が、適切な尺度たり得なくなったということです。
現代の主流派経済学の経済観(およびその影響力)によって、重要な統計指標が、景気判断指標としての意味を失いつつあります。
体重を測るのにこれまで長年使ってきた体重計が狂いだしたようなものです。
目盛が正確な体重を表示できなくなりました。
それでも使い続けますか。止めた方がいい。
景気判断の指標として重視されてきたもののひとつに「デフレギャップ(需給ギャップもしくはGDPギャップ)」があります。
デフレギャップとは「現実GDP−潜在GDP」として定義されます。またその金額を潜在GDPで除した「率」として表示される場合もあります。
しかし、それは実体経済を測る尺度として役割を失いつつあるのです。
黒田日銀総裁は本年4月以降、再三にわたって、デフレギャップはほぼ解消されたとコメントしております。
また内閣府の推計値も、日銀ほどではないにしろ、かなり小さくなっております(2014年1〜3月期で「マイナス0.3%」、額にして2兆円程度)。
これらの数値を鵜呑みにすれば、日本経済は総需要不足を解消し、マクロ均衡をほぼ達成したように見えます。本当でしょうか。
否、裏があるのです。トリックがあるのです。
以前、こちらへ寄稿させていただいたように、潜在GDPの定義いかんによってデフレギャップの大きさは変わるのです。
その定義には、「最大概念の潜在GDP」と「平均概念の潜在GDP」の二つがあります。
現在は、日銀も内閣府も後者に基づいて推計しております。そこに問題があるのです。
参考 _http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11573899021.html
最大概念の潜在GDPは、現存の諸資源(労働および資本)を「完全利用」した場合の産出量です。
いわば最大能力を発揮した場合です。
他方、平均概念の潜在GDPは、「過去平均」の諸資源の投入量に応じた産出量です。
平均概念の潜在GDPを使えば、定義より明らかに、平均は現実に近づきます。
たとえ失業率が10%であろうと20%であろうと、その経済状態が継続すれば、それは最終的に平均となるのです。
すなわち、潜在GDP(=理想状態)に達することになります。
もちろん、デフレギャップも自動的に解消されます。
最近、潜在(GDP)成長率の低下を指摘する経済記事をよく見かけるようになりました。
一様に、成長の天井が下がったことがデフレギャップ縮小の原因だと指摘しています。
実際、内閣府の資料によれば潜在成長率は低下傾向にあり、近年では1%を切る水準と推計されています。
民間の研究所の推計もほぼ同様です。
しかし、これは至極当たり前のことなのです。
潜在GDPの定義からして、現実GDPの成長率が低下すれば、潜在成長率も後を追って下がるのです。
日本の場合、80年代の実質成長率は平均で4%程度、90年代から2013年までは平均1%弱ですから、それに応じて潜在成長率も下がってきたのです。
問題は、「潜在成長率が下がってきたから、もっと生産性を向上させねばならない」と主張する論者が多いことです。
全く本質がわかっていない。因果関係が逆なのです。
潜在GDPを決定する過去平均の労働投入量や資本の稼働率を決めてきたものは何でしょう。
それは、その時々の現実GDPの水準なのです。
それを生産するために投入されてきたのです。
言うまでもなく、現実GDPを決めるのは「総需要水準」です。
同じく全要素生産性(TFP)の低下を懸念することも的外れです。
TFPは現実GDPが決まり、諸資源の投入量が決まった後に事後的に算出されるものです(ソロー残差)。
総需要が拡大し実質成長率が上昇すれば、そして完全雇用が実現すれば、結果的に上がってくるのです。
現実は「セー法則」の支配する世界ではありません。
供給能力を増強したところで、増加分が売れる保証はないのです。
他方、総需要が拡大すれば、現実GDPが増加し、それが継続すれば潜在成長率も上昇するのです。
これが本当のところでしょう。
平均概念の潜在GDPが普及してきたのには理由があります。
それは、正にマネタリズム(一般的には新古典派)の経済観に合致するものだからです。
その流れにほとんどのエコノミストが乗ったのです。
こんなところにもケインズから新古典派への主流派経済学の交替劇が影響しているのです。
マネタリストをはじめ主流派経済学者は、失業状態を勤労者の「自主的な選択結果」と考えています。
それゆえ、失業は経済問題とはならないのです。
政府が自主的に失業状態を選択している人を救ってはならないからです。
そんなことをしたら、それこそ自由の侵害になってしまいます。
失業問題さえ無視できれば、過去平均のトレンドこそが理想状態(総需要=総供給)であるとの解釈が理解されるでしょう。
個人は常に幸せ(主体的均衡)な状態にあるからです。
しかし、失業問題を深刻な経済問題であると認識している人にとっては、すなわち非自発的失業の存在を認識している人にとっては、「平均概念に基づいて算出されたデフレギャップの数値」を字義通り認識してはならないのです。
PS
グローバル経済の優等生・韓国が陥った罠とは?
http://www.keieikagakupub.com/sp/CPK_38NEWS_C_D_1980/index_sv2.php
https://38news.jp/archives/03897
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