森田童子の世界(全曲のコメント) https://11146484morita.blog.fc2.com/森田童子の曲についてコメントしていきます。 2020/08/10 森田童子のアルバム オリジナルアルバム 1.グッドバイ 2.マザースカイ 3.ア・ボーイ 4.ラスト・ワルツ 5.夜想曲 6.狼少年 ライブアルバム 1.東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤 ベスト 1.森田童子自選集「友への手紙」 2.ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション オリジナルアルバム6枚、ライブアルバム1枚、ベストアルバム2枚 計9枚のアルバムを発表している。 活動期間は22歳から30歳までの約8年。 作詞・作曲能力はもちろん、稀有な歌声はファンを魅了した。 そういう森田童子に魅かれる人へ、「聴くべき順番」を参考に書く。 1.東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤 まずは、何といってもこれ。最初に聞くべきアルバムだ。 ライブなので、森田の魅力がすぐそこにある。 森田の歌声が素晴らしい。語りもいい。 もちろん選曲も良い。 加えて、弦楽四重奏とコーラスが見事。 教会の録音のせいか、音も素晴らしい。 2.グッドバイ 森田のデビューアルバム。2番目はこれ。 この1枚だけでも森田の魅力が十分溢れている。 どの曲もいい。名曲がそろっている。 森田童子ってどんな人?と思ったら、この1枚。 3.マザースカイ 森田を有名にした「ぼくたちの失敗」が入っている。 この頃の森田は湧き出る泉のように名曲を作っていた感がある。 3番目はこれ。 4.狼少年 森田最後のアルバム。 そのせいか、森田も力を入れて作ったような感がある。 最後に森田はどんなアルバムを作ったか、4番目はこれ。 5.ラストワルツ 森田の様々の才能がわかる。「みんな夢でありました」「ラストワルツ」 といった曲は、森田でないと書けないと思う。 6.夜想曲、ア・ボーイ この2枚は森田の様々な面を知りたい状況になってからでも遅くない。 多くの才能があったことを知ることができる。 7.自選集、ベストコレクション この2枚は一番最後で良いと思う。 2020/08/10 ひとり遊び アルバムは森田のベスト盤。 ただ、おそらくは森田の意向はあまり入っていないと推測される。 ファンが望む曲を並べ、既に発表済の「自選集」とは曲が重ならぬように配慮した感がある。 このベスト盤の最後の1曲が「ひとり遊び」だ。 森田が活動停止してから20年後の、森田50歳の歌声だ。 ピアノ、ギター、ハーモニカも森田である。 「海が死んでもいいヨって鳴いている」の歌詞を一部変え、題名も「ひとり遊び」に変えている。 ただ、歌詞の変更はごく一部である。 ・2番と3番を逆にしている。 ・4番は「海が死んでもいいヨって鳴いてます」を 「海が僕と死んでもいいヨって鳴いてます」にしている。 どうだろうか?まず歌詞だが、 2番と3番の交換は、意図してやったことだろうか? 4番の歌詞に「僕と」を入れる意味はあったのだろうか? おそらくは、 「できるかわからないけど、とりあえず遊びのようにやってみる」 として録音したのではないか? (ここで題名を「ひとり遊び」と思いついたのではないか?) あまり書きたくないことを書く。 森田も残念ながら年をとってしまったのだ。 ずっと音楽活動をしなかったであろうから、 声も50歳の声になってしまったのだ。 自分の曲とはいえ、20年以上前に作った曲だ。 同じに歌えというのは無理がある。 20年間、おそらく曲づくりも停止していたであろうから、 おそらくこの曲1曲、不完全なままでしか録音できなかったのだ。 録りなおす気にもなれなかったと推測される。 森田に音楽活動再開を期待していた音楽関係者も 「これ以上は勧めてはいけない」と、この1曲で判断できたであろう。 人は年老いて、そしていつか死ぬ。 キラキラ輝いている期間はほんのわずかだ。 悲しいがそれが現実だ。 それでも言いたい。 「ひとり遊び」は50歳の森田童子がピアノを弾き、ギターを弾き、ハーモニカまで吹いて そして50歳の等身大の自分で歌ったのだ。 森田はファンに最後、ひとつだけプレゼントしてくれたのだ。 これ以上、欲張ってはいけない。 むしろ、歌うこともなかなかできない状況で、録音に挑戦してくれたことに 感謝したい。 森田童子さん、ありがとう。 私がいつか、あちらの世界に行ったら、 また歌ってくださいね。 2020/08/10 ぼくたちの失敗 森田童子ベストセレクション(2003年3月5日発売)森田50歳 森田童子が音楽活動を停止後、1993年1月(森田40歳)に、テレビドラマ「高校教師」の主題歌として、 森田の「ぼくたちの失敗」が使われ、シングルCDは100万枚を超える大ヒットとなった。
最初は大物若手のデビューと勘違いする人もいたが、既に活動停止して10年になる森田の曲だった。 当然、マスコミは黙っていなかったが、森田はあくまでも沈黙を守った。 ところが、それから更に10年後の2003年1月(森田50歳)に、ドラマ「高校教師」の新作が放送され、 主題歌は再び「ぼくたちの失敗」が使用された。 森田が活動停止してから20年が経過していた。 ここからは想像だ。 音楽関係者の中には、森田に再度「歌うこと」を熱心に勧める人も当然いた。 森田はずっと拒み続けていたが、中には仕事だからではなく、 どうしても世の中に再度、50歳になった森田の音楽を聴かせたいと願う音楽関係者もいた。 その人の熱意に折れ、森田は1曲だけ歌ってみようという気持ちになった。 音楽関係者も、新曲ではなくとも、1曲だけでも森田に新たに歌ってもらえれば、 それが呼び水となって音楽活動再開も期待できると考えた。 歌う1曲を何にするのか?録音はどこで、どのように?いずれも森田に任せた。 森田は自分の曲「海が死んでもいいヨって鳴いている」の歌詞を一部変更して、 「ひとり遊び」というタイトルで、自宅にてピアノ、ギターを自ら弾き、ハーモニカも吹いて 歌った。20年ぶりの森田童子の演奏・歌声は、2003年に発売された森田のベスト盤 「ぼくたちの失敗 森田童子ベストセレクション」の最後に収録された。 私は「ひとり遊び」1曲のためにアルバムCD1枚購入する気にはなれなかった。 しかし、森田のオリジナルアルバムを全部入手して聴いていくと、「ひとり遊び」が 聴きたくて結局購入した。 2020/08/10 狼少年・ウルフボーイ ラストの8曲目は「狼少年・ウルフボーイ」である。
聴いた瞬間、あれ?「地平線」じゃないか?と思った。 ただ、4番の歌詞が入れ替えされて 「狼に育てられたぼくは涙も 笑うことも知りません」として歌っている。 森田はどんな意図で8曲目にこの曲を入れたのか? まずはこれで音楽活動を辞めようと決心していた。 最後の曲は、これまでの曲の中から1曲、「地平線」を選んで 歌うことにしたのではないか? 「地平線」は、ライブ「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」でも オープニングを飾る素晴らしい出来栄えだったこともあり、 「地平線」で決まった。 しかし、ここでひとつ問題があった。 前アルバム「夜想曲」も、 最後にその前のアルバムでも収録した「ラストワルツ」を再度入れて、 おそらくあまり評判が良くなかったのではないか? 今回もそういうことが起きないようにひと工夫が必要だった。 そこで、歌詞の一部を入れ替え、タイトルも「地平線」でなく、 「狼少年・ウルフボーイ」にしたのではないか? 2020/08/10 憂鬱デス 7曲目は「憂鬱デス」だ。
気のせいか、6曲目にメドレーで続く歌のような感じがする。 間奏の森田の語りがいい。 「ひとりさくさくと柿を食らう」がいい。 6枚目のアルバムは、ここまで、ほぼ森田の思惑どおりに進み、 また、石川鷹彦との息も合い、上々の出来だったと思う。 2020/08/10 ぼくのせいですか 6曲目は「ぼくのせいですか」だ。 なんだかせつない歌だ。 短い歌だが、「去年の夏にあなたが海で死んだ」ときて、 それが「ぼくのせいですか?」「海のせいですか?」と問うている。 森田の実体験だとすると、これは森田が歌い始めたきっかけかもしれない。 2020/08/10 球根栽培の唄(ときわ荘にて録音) 5曲目は「球根栽培の唄」だ。
曲は森田得意のパターンに思う。もちろん悪くない。 「ガリ版刷り」「アジビラ」「赤ヘルメット」などという言葉は、 今の若い人には何のことかわからないだろう。 「ときわ荘」というのは、当時、森田が住んでいた阿佐ヶ谷のアパートの名前のようだ。 マンガ家が住んでいたアパートとは異なる。(笑) なぜ、わざわざ「ときわ荘にて録音」と入れたのか? 音が悪いから?そんなことはない。スタジオ録音と思うような音だ。 あ、いや、まてよ? エンディングで変な笛の音がするぞ? 体育の先生が吹く、首から下げた笛。あの笛の音が何度か聞こえてくる。 「ときわ荘」の外で誰かが吹いていた笛の音が入ってしまったのだ。 だからもう一度録音しなおしも考えたが、 聴いてみると不自然ではないので、そのままにした。 でも、一応(ときわ荘にて録音)と入れたのではないか? この曲も間奏で森田が語る内容が今ひとつわからない。 「ぼくはどこまでも ぼくであろうとし ぼくがぼくで ぼくであろうとし」 2020/08/10 151680時間の夢 4曲目は「151680時間の夢」だ。 まず、「151680時間」って、どこから来ているのだ?と思った。 もしかして?と思ったのは、 森田が思春期を迎え、創作を初めてからの期間を言っているのではないか?ということ。 森田の思春期が12歳として、今回のアルバム発売が30歳。 それまで18年間となる。 1日24時間として、 24時間×365日×18年=157,680時間だ。近い。 森田は理系が得意だったのではないか? 前置きが長くなったが、ちょっと不思議な歌だ。 エンディングで語る森田の話もちょっとよくわからない。 ただ、この曲で、自分の思春期以降の期間を「ぼくの夢」として 「もうやりなおせないほど いつの間にか ぼくは 夢の中で 生きてしまったのです」と振り返っているような気がする。 2020/08/10 ぼくは流星になる 3曲目が「ぼくは流星になる」だ。 これはいい。 何しろ「キーラキーラキーラララ」で始まる。 森田、一生懸命歌っている姿が見えるようだ。 曲もいいが、歌詞もいい。 満員電車の中で ぼくは左耳をおさえて 去年の夏の海鳴りを聞いてる これが詩人森田だ。 2020/08/10 ぼくを見つけてくれないかなァ 2曲目は「ぼくを見つけてくれないかなァ」だ。 素敵なタイトルだ。 しかも3番の最後は「君がぼくを見つけてくれないかなァ」と言う。 とてもシンプルでいい曲だ。 素直に今の気持ちを歌う森田の心が感じられる。 いい。 愛情練習(ロシアン・ルーレット) 1曲目は「愛情練習(ロシアン・ルーレット)」である。 石川鷹彦の編曲が見事で、おしゃれな曲調に仕上がっている。
森田の「ステップ」の歌声が舌足らずな感じでかわいらしい。 森田の素顔を知る人は身内のごくわずかな人たちだったようだが、 このような歌声を聴く限りでは、美人だったと思う。 森田は作詞の才能はもちろんだが、作曲のセンスも優れていたことが この曲を聴いただけでもわかる。 どんな曲でも書けた。 それにしてもだ。「愛情練習」ってすごいタイトルだ。 2020/08/10 「狼少年wolf boy」6枚目のアルバム(1983年11月30日発売)森田30歳 森田のオリジナルアルバム6枚目「狼少年wolf boy」は、森田の最後のオリジナルアルバムとなる。 この後、森田は音楽活動を辞め、表舞台から姿を消す。 編曲は全曲石川鷹彦である。 森田はおそらくこのアルバムを最後に音楽活動を辞める決心をしていたのだろう。 最後は一番相性の良かった石川鷹彦に全曲の編曲をお願いしようと思ったのではないか? 最後は気持ちよく終わりたかったのではないか? 22歳でデビューした森田も30歳になっていた。 区切りとしても良いと考えたのではないか? 私生活はほとんどわからないままだが、 イラストレーターでもあり、マネージャーだった人と結婚したようである。 しかしその夫も2010年に没しているとWikipediaには書かれている。 それから8年後の2018年4月24日に森田も亡くなる。 2020/08/10 ラストワルツ 9曲目は「ラストワルツ」である。 よくわからない。森田はどういう意向でこの曲を最後に入れたのか? 前作アルバム「ラストワルツ」の最後の曲も「ラストワルツ」だったではないか? どこが違う? 前作では、最後に古いラジオから流れるような雑音の入ったラストワルツが続く。 今回はそれをカットした少し短いバージョンである。 うーん。わからない。 そこまでして再度、最後に入れないといけなかったのか? 曲の出来が良いのはわかるが、何故なんだ? 森田が8曲目の「哀悼夜曲」でアルバムを終わらせたくなかったのか? 8曲だと曲が少ないということになり、もう1曲となったが、 森田の手持ちにその1曲が無かった?いや、そんなことはないだろう。 未発表の作品はたくさんあったはずだ。 前作に入れていた曲を再度入れなくても良かったではないか? ファンとしては、森田の別の曲を聴きたかった。 少し残念に思う。 森田に何かあったのか?と心配になる。 2020/08/09 哀悼夜曲 8曲目は「哀悼夜曲」だ。 これも宗教音楽だろう。 森田でないと書けない曲だ。 ちょっとついていけない感じになってきた。 2020/08/09 孤立無援の唄 7曲目は「孤立無援の唄」だ。
このけだるさは何だ。 高橋和巳って誰だ? 小説家で、「孤立無援の思想」という著書がある。 この本をヒントにして書いたのか? それにしても「プロレス」とか「でんぐり返って地獄固めだね」などと 森田が使う言葉とは縁遠い歌詞が出てくる。 2020/08/09 船がくるぞ 6曲目は「船がくるぞ」だ。
個人的にこの曲が好きだ。 最後の「クロール クロール」がとても良い。 間奏で森田が語る。 「まるで夏休みの臨海学校の新しいシーツをかぶった時みたいだ」 うーん。わからないなあ。 2020/08/09 サナトリウム 5曲目は「サナトリウム」だ。 いきなり「漱石の本」と来る。本来の森田の世界だ。 曲の最後に森田の語りが入る。 「もうすぐ ぼくの左の肺の中に 真赤な花が咲くはずです」 森田だ。 2020/08/09 麗子像 4曲目は「麗子像」だ。
何だかようやく本来の森田の歌を聴くようで少しホッとする。 歌詞に「ショパンのワルツを踊ります」とある。 この歌詞とこの曲からヒントを得て「夜想曲」というアルバムタイトルを つけたのではないか? この曲は日本ではない国の歌のようだ。 「四頭引きの馬車が走ります」なんて日本じゃない。 森田の頭の中にある風景なのだろう。 2020/08/09 ぼくは16角形 3曲目は「ぼくは16角形」 さっぱりわからない題名だ。 しかも歌詞も何だかわからない。 2020/08/09 淋しい猫 2曲目が「淋しい猫」 力を抜いて、サラっと歌っている。 そういう曲なのだろうが、どうすればこのような曲を書けるのか? 森田が手の届かない所へ行ってしまいそうな感じだ。 2020/08/09 蒸留反応 1曲目が「蒸留反応」だ。
そもそもどうやったらこのような題名を思いつくのか? 普通は絶対に思いつかないのではないか? サビの「雪よ降れ んーん」のメロディーが良い。 2020/08/09 夜想曲 5枚目のアルバム(1982年11月20日発売)森田29歳 5枚目のアルバムが「夜想曲」である。 ノクターンを訳したのが「夜想曲(やそうきょく)」。夜の情緒を表す、抒情的な楽曲・・・ということか? 4枚目のアルバム「ラスト・ワルツ」の流れはあるが、少し違う方向も感じる。 森田も間もなく30歳。いろいろな変化もあったことだろう。 2020/08/09 友への手紙 森田童子自選集(1981年9月発売)28歳 森田自身が自分の曲から選んだアルバムだ。 よって、ベスト盤というわけでもない。 しかし、最初から通して聴くと、何となくわかってくる。 このアルバムは、森田のリアルな実体験を曲にしたものを選んだのではないか? 「さよならぼくのともだち」「赤いダウンパーカーぼくのともだち」「ぼくたちの失敗」「早春にて」 は、強い影響を受けた友人のことを歌っている。 「菜の花あかり」「まぶしい夏」「逆光線」「蒼き夜は」 は、死の影が漂う。 ラストの4曲はライブアルバムからの選曲だ。 私がライブアルバムから選曲するとすれば、 「風さわぐ原地の中に」ではなく、「センチメンタル通り」とか 「地平線」だと思うのだが、おそらくこの2曲は森田のリアルな実体験とは 少し違うのではなかったか? 2020/08/09 ラストワルツ 8曲目が「ラストワルツ」このアルバム最後の曲である。 名曲である。森田のアルバムの最後に入れる曲は傑作だ。 1枚目のアルバムのラストは「さよならぼくのともだち」 2枚目が「今日は奇蹟の朝です」 3枚目が「G線上にひとり」 (3枚目のラストは「組曲のために第3番「友への手紙」だが、これは詞の朗読なので外す) そして 4枚目が「ラストワルツ」 いずれも名曲である。 一体、どうすればこのような詞を書けるのか? 森田はもっと曲を書くべきだった。 自分で歌わないまでも他人に提供することはできなかったのか? 森田は拒んだのだろう。そんなことはできないと。 きっとそうだ。 2020/08/09 たとえばぼくが死んだら 7曲目は「たとえばぼくが死んだら」である。
ちょっと怖い題名だが、佳作である。 前奏もギターで短く、すぐに歌に入るところが良い。 短い歌詞で4番まである。 とにかく森田はあまり長い歌詞を書かない。 ところが曲を聴くと短いと感じない。 不思議な感覚である。 2020/08/09 きれいに咲いた 6曲目が「きれいに咲いた」である。 歌詞が私にはよくわからない。 森田の曲にはそういう詞が時々ある。 しかも間奏の森田の語りがまた難しい。 「幻燈会」などという言葉を使う。 チャップリンのかなり古い映画にこの題名の作品があるという。 この曲だけ、このアルバムではちょっと異質である。 2020/08/09 みんな夢でありました 5曲目は「みんな夢でありました」である。 学生運動を曲にする試みは、何人かのアーティストが挑戦している。 しかし、森田のこの曲こそ本当の学生運動の姿を歌っているように思う。 あんなに燃え上がっていた学生運動を振り返り、 「みんな夢でありました」と言ってしまう。 かなり勇気のいる表現だったのではないか? 歌詞も曲もいいが、森田の歌声が抜群に良い。 これが男性ボーカルとか、普通に歌が上手い人の声だと こうはいかなかっただろう。 何回聴いても「いい」と思う。 2020/08/09 グリーン大佐答えて下さい 4曲目は「グリーン大佐答えて下さい」だ。 そもそもグリーン大佐って誰なんだ? 調べてみると、どうやらスタートレックに登場し、 21世紀に地球全滅を計画した人物のようだ。 しかし、森田に直接聞いたわけではないので 正確にはわからない。 しかし、そういうような(地球全滅を考えるような)人を 森田は「グリーン大佐」としたのではないか? この曲も宗教めいたものを感じる。 エンディングで原子爆弾でも爆発したかのような 音が聞こえる。 2020/08/09 海が死んでもいいヨって鳴いている 3曲目は「海が死んでもいいヨって鳴いている」だ。 やっぱり4枚目のアルバムは本来の森田に戻っている。 この曲なんかも本来の森田だ。 孤独を感じながらも必死に前を向いて どうにかなりそうだけれども懸命に生きていこうとしている そんな歌のように思う。 暗い歌ではないと私は思う。 2020/08/09 菜の花あかり 2曲目は「菜の花あかり」である。
こういう曲を森田はおそらくササっと書くような気がする。 ウーンなどと唸ったりはしない。 サラサラと書いていくように思う。 そして美しい光景が目に見えるように歌い上げる。 こういうのを才能と言うんだろう。 2020/08/09 赤いダウンパーカーぼくのともだち 1曲目は「赤いダウンパーカーぼくのともだち」だ。
ここで言う「赤いダウンパーカー」は、おそらくジェームズディーンが 映画「理由なき反抗」で着ていたものを言っているのではないか? ジェームズディーンといえば、「エデンの東」が有名だが、 私は「理由なき反抗」のジェームズディーンが好きだ。 彼の本来の性格がそのまま出ているように感じるからだ。 映画「理由なき反抗」で印象的だったのは ジェームズディーンが着ていた赤いダウンパーカーで、 森田はおそらくそこからこの題名を考えたのではないか? この曲は「さよならぼくのともだち」の兄弟のような曲だ。 間奏で「さよならぼくのともだち」の歌詞を一部語っていることからも、 間違いないと思う。出来もなかなかのものだ。 最後の歌詞に「何もなかった ぼくたちの終わりに」という表現に唸ったし、 続く「君と冷たい牛乳飲んで 声を出さずに笑った」にもまいった。 君との最後に飲んだのは「酒」ではなく「冷たい牛乳」だったのだ。 そして「声を出さずに笑った」のだ。 何ともすごい表現だと私は思う。 2020/08/09 ラストワルツ 4枚目のアルバム(1980年11月20日発売)森田27歳 オリジナル4枚目のアルバム(ライブ盤を除いて4枚目)
このアルバムからそれまでのポリドール・レコードではなく、 ワーナー・パイオニアとなる。 3枚目のアルバムが、どこか違う感があったが、 この4枚目のアルバムで軌道修正されたみたいで、 元の森田に戻った感があると思うのは私だけだろうか? 22歳でデビューした森田も27歳となった。 2020/08/09 風さわぐ原地の中に 10曲目はアンコールで「風さわぐ原地の中に」だ。 まず、この曲も「友よ泣かないのか」と同じで、他のアルバムに入っていない。 森田には珍しく、激しい曲だ。アンコールにふさわしいと考えたのではないか? 歌い出しの「風」が聞こえない。「・・・さわぐ!」と聞こえる。 でもかまわないのだ。 「原地(はらち)」って、あまり使わない言葉だけど、そういう言葉を森田は使う。 前奏で森田ではないギタリストのリードギターの間に、おそらくそのギタリストが 「イェー」と言うところがあるが、 どうも気になる。「イェー」と言ってほしくなかった。 森田のコンサートに「イェー」はふさわしくないように感じる。 私だけだろうか?小さなことだけど。 2020/08/09 さよならぼくのともだち 9曲目が「さよならぼくのともだち」だ。 当時の森田は、コンサートのラストでこの曲を歌うことが多かったようだ。 それにしても歌う前の森田の語りはどうだ! 「君と僕は同じ一線で結ばれた、友達というやさしい放浪者だった。 君と二人して、夜明けの町の荒々しい空気に酔いしれて二人は彷徨った。」 ここまでも良いが続きも良い。 「いつか、君と僕は同じ一線で結ばれた、友達というやさしい放浪者だった。 さよなら、ぼくの友達」 2020/08/09 センチメンタル通り 8曲目は「センチメンタル通り」である。 歌う前に森田は3年前にライブハウスで歌い始めたことを語る。 3年前といえば森田が22歳の時だ。 ライブハウスで歌い始めてから、わずか3年でこのようなライブができた。 やはり森田は只者ではないと思う。 「センチメンタル通り」も私のお気に入りだ。 というか、この曲も初めて聴いてからしばらくの間、 私の頭の中で鳴りやまなかった。 2020/08/09 海を見たいと思った 7曲目は「海を見たいと思った」である。 森田は夜汽車が好きだったようだ。 それにしてもどうだ。 このライブを聴いていると会場は「森田童子ワールド」になっている。 あまりの森田ワールドの素晴らしさのせいか、 強い拍手が邪魔に聞こえるのは私だけだろうか? 2020/08/09 友よ泣かないのか 6曲目は「友よ泣かないのか」である。 この曲は、他のアルバムに収録されておらず、このライブ盤にだけ収録されている。 曲を始める前に、森田は「友人の土門とその彼女モンちゃん」の話をする。 二人は阿佐ヶ谷のアパートに住んでいるということで、 当時、高円寺に住んでいた私は、森田に親近感を覚えた。 私も数年前に「友よ」という曲を作ったが、 森田の詞を読んでいると、その差に愕然とする。 2020/08/09 ぼくと観光バスに乗ってみませんか 5曲目は「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」だ。 森田がラジオで「東京のはとバスに乗ったことがあって・・・」といった話をしていたと 記憶しているが、「はとバス」をヒントにして作った曲なのだろうか? ところで、 「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」という題名で曲を書け、と言われたら、 このような曲を書けるだろうか? とても無理である。 森田の才能を感じる1曲である。 2020/08/09 雨のクロール 4曲目は「雨のクロール」だ。 私が完全に森田童子のファンになったのは、おそらくこの「雨のクロール」を聴いてからだろう。 何て美しくもはかない名曲なんだろうと思った。 このライブでは、女性コーラスがこの名曲を更に盛り上げている。 初めて聴いた時から、毎日のように頭の中で「雨のクロール」が鳴り響いていた。 2020/08/09 君は変わっちゃったネ 3曲目は「君は変わっちゃったネ」だ。 曲の前に、親しかった「松本さん」という先輩の話をする。 3曲目の「君は変わっちゃったネ」にスムーズに続くような話で味わい深い。 よくあるテーマだが、森田の手にかかると傑作に仕上げられる。 そんな見事な出来栄えである。 間奏に森田が言う。 「あの頃、井の頭線の線路沿いのアパートに、君と暮らし始めた。 何もない無力なぼくは、ただ君を愛すことしか知らなかった」 クー!いいね。 井の頭線には通学で毎日乗っていたので、リアルだった。 彼女がいない私にはうらやましくもあり、別世界のこととしか思えなかった。 私より5歳しか年上ではない森田が、10歳以上年上に感じた。 2020/08/09 逆光線 2曲目は「逆光線」である。
1曲目が終わると、森田は「今日のコンサートの弦楽四重奏は武蔵野音大の友達です。」 と紹介する。それに呼応するように弦楽四重奏が奏でられ、2曲目の「逆光線」を 森田が歌い始める。 勝手な想像だが、1曲目を「地平線」にすることはすんなり決まったのではないか? 続いての2曲目を何にするか? 「地平線」に続く曲・・・と繰り返しているうちに、同じ「線」つながりの「逆光線」はどうだろう? と、遊び心から、「それじゃあやってみましょうか?」となって、 武蔵野音大の友達の紹介から、弦楽四重奏の呼応、「逆光線」を歌い出すアイディアが 生まれたのではないか? (もちろん、すべて想像である。) とにかく1曲目〜2曲目までは最高のすべり出しである。 私はこのアルバムから森田を聴き始めたので、「逆光線」の歌詞は少々ショッキングだった。 森田が「只者ではない」ことを実感していた。 2020/08/09 地平線 1曲目は「地平線」である。 いきなり教会の鐘の音が聞こえ、続いて雷鳴がして海猫が鳴いている。 再度雷鳴がして、静かに森田が歌い始める。素晴らしい。 重なり合って女性コーラスがずっと続き、弦楽四重奏と共に 曲を美しく盛り上げる。 間奏で森田が言う。 「ぬけるように青い六月の空は、限りないぼくたちの失敗の空です。」 なんて素敵なんだろうと、聴き入ってしまう。 もし、その会場にいたら、泣いていたかもしれない。 2020/08/09 東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤(1978年11月1日発売)森田25歳 森田童子唯一のライブ盤「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」である。 1枚目と2枚目のアルバムからの選曲に、 「友よ泣かないのか」「風さわぐ原地の中に」の2曲を加えた10曲の構成である。 まずは、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」で歌ったことが特筆される。 こういう会場は、フォークソングのコンサートには貸出しない傾向にあるのだが、 森田の場合、バックの演奏に弦楽四重奏が入ったり、美しいコーラスが入る。 そういう面を前面に出して使用許可をもらったらしい。 次に選曲だが、当時の森田の曲で評判の良かった選曲と言っていい。 バックの演奏・コーラスもしっかりしているだけでなく、 森田の歌声が実に素晴らしい。魅力あふれるライブが楽しめる。 大聖堂のせいか、音も良く、ライブであるが、ベスト盤といってもいい。 また、曲間の森田のモノローグも味わい深いものがあり、聴き飽きることなく、 あっという間にコンサートが終了する。 私が森田のレコードを最初に買ったのが、シングル「さよならぼくのともだち」。 次にアルバムが欲しくなって、迷った末、このライブ盤を購入した。 森田入門編にはピッタリのアルバムだった。うれしかった。 (当時はインターネットも無く、よって、You tubeも無い時代だった。) 2020/08/08 終曲のために第3楽章「友への手紙」 9曲目は「終曲のために第3楽章「友への手紙」」だ。
とはいえ、これは演奏だけで森田は歌わない。 だから物足りない・・・が、森田が作った詞の朗読がある。 うーん。この詞の良さが、私には今ひとつよくわからない。 「さよなら ぼくを愛さなかった友達よ」とは? 「さよなら ぼくのともだち」との関係は? やっぱりこの3枚目のアルバムは「何か違う」感が漂っている。 2020/08/08 G線上にひとり 8曲目は「G線上にひとり」である。 まずは「G線上」って何なのだ? バッハの「G線上のアリア」からきているらしい。 バイオリンの一番低い音がソ(G)で、このG線だけで 演奏できることから「G線上の・・・」と呼ばれているらしい。 その「G線上にひとり」ということは何を意味しているんだろう? ・・・・わからない・・・・しかしそれがどうした。 名曲である。 心地よいメロディー、森田の魅力的な歌声。 素晴らしいのは「あくびして涙ふいた」の「あくびして」を 本当にあくびしながら歌っているように聞こえることだ。 しかも、本当にあくびして歌ったら、きっと「ダメ、もう一度」と なっていただろうが、そのギリギリの線で歌っている。 森田の歌声は天才的なものを感じる。 2020/08/08 ぼくが君の思い出になってあげよう 7曲目は「ぼくが君の思い出になってあげよう」だ。 これは思いっきりプライベートソングのように思う。 出来は悪くない。(悪いわけがない) ただ、あまりに素直すぎて何となく通り過ぎていく感じがする。 アルバムの中では、最後の少し前あたりに置くべき曲だ。 2020/08/08 淋しい素描 6曲目は「淋しい素描」だ。 「素描(そびょう)」は、いわゆる「デッサン」だ。 いきなり「浅き夢みし 人の世は」ときた。 まるで百人一首のようだ。 森田はどんな詞でも書けるような、そんな才能を感じる。 2020/08/08 セルロイドの少女 5曲目が「セルロイドの少女」だ。 この曲は森田の新たな挑戦と感じた。 何と!テーマは「サーカス」だ。 サーカスといえば、ビートルズの「ミスターカイトのために」を思い出すが、 こっちは17歳のミドリちゃんだ。 曲調、歌詞、歌い方も全部、これまでの森田ではない。 しかも題名が「セルロイドの少女」ときた。 歌の最後に「家族合わせ」という歌詞が来るが、 カルタの一種の遊びらしい。 森田は「家族合わせ」という言葉の響きからこの詞を書いたのだろうか? サーカスの雰囲気が見事に出ている。 なかなかの曲だし、森田も気に入っていたのではないか? 森田のシングルは「さよならぼくのともだち」「ぼくたちの失敗」ときて、 3枚目がこの「セルロイドの少女」なのだ。 おそらく、森田の意向でこの曲を3枚目のシングルにしたのではないか? 面白い曲で魅力はあるが、シングルで発売する曲ではないように思う。 でも、そういう挑戦をした(推測だが)森田がいいと思う。 ラジオか何かで、「この曲は1枚目のアルバムの時に一度録音してボツになり、 2枚目のアルバムでも候補だったがボツになって、三度目の正直で収録された」 と話していた。 1枚目と2枚目のアルバムでボツになった理由は明白だ。 アルバムのトーンに合わなかったのだ。 1〜2枚目のアルバム成功により、 3枚目は(おそらく)かなり自由に作れたのではないか? だからある程度の実験も可能だった。挑戦も可能だった。 「セルロイドの少女」はこうして世に出せた(と思う)。 2020/08/08 ぼくを見かけませんでしたか 4曲目は「ぼくを見かけませんでしたか」である。 間奏で森田が言う。 「ぼくは いまひとり 北上川にほとり 旅の途上にいる」 森田はコンサートで全国を回っていたのだろうか? その旅の途中で書いた曲なのだろう。 割と素直な詞なので、わかりやすい。 しかし、最後の詞が森田らしい。 ゆきかう電車の窓越しに 真新しいセビロの ぼくを見かけませんでしたか うーん。森田の世界に引きずり込まれた。 2020/08/08 ふるえているネ 3曲目は「ふるえているネ」である。 何と短い詞なのだろう。 これで1曲にするという発想が森田にはあった。 私には無い。(そりゃそうだ) たぶん私小説的な内容なのだろう。 よって、なかなか入り込めない世界である。 やっぱりエンディングの演奏は長い。 2020/08/08 君と淋しい風になる 2曲目は「君と淋しい風になる」である。
編曲がいいなと思ったら石川鷹彦だった。 それにしてもやはり森田の歌声は素晴らしい。 「形のない愛は・・・」からグッときて、 「いつかふたりは」の「ふたりは」が森田でないと歌えない魅力的な歌い方だ。 2020/08/08 蒼き夜は 1曲目は「蒼き夜は」である。
「蒼」は、「青」と違い、「草の青さ」「草が青く茂る様子」を言うのだそうだ。 アルバムジャケットの森田は夜の芝生の上にうつぶせ寝している。 1曲目のイメージからだったのだろうか? それにしてもいきなり「春はまぼろし」という歌詞から始まって 森田の世界に引きずり込まれる。 森田の歌声がとてもいい。 2020/08/08 A BOY 3枚目のアルバム(1977年12月10日発売)森田24歳 森田童子3枚目のアルバムは「A BOY」である。
このアルバムだけ、私はいまだに「よくわからない」のである。 曲は悪くはない。森田の曲なのだから、悪いはずもない。 しかし、ほかのアルバムと比べてしまうと、どこか「何か違う」感がある。 森田唯一のライブ盤「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」は、 1978年7月29日のライブである。 「A BOY」の発売は、1977年12月10日なのであるが、 この「A BOY」からは1曲もライブ盤に入っていない。 基本的に1枚目と2枚目のアルバムからの選曲である。 これは何を意味するのか?たまたまか?そんなことはないだろう。 森田は2枚のアルバムを出し、評判も良かったわけで、 3枚目のアルバムは何か新しい挑戦をしたかったのではないか? 前の2枚のアルバムとは少し違うものを創りたかったのではないか? それが「どこか、何か違う」感を出しているような気がする。 「G線上にひとり」は間違いなく森田の傑作のひとつである。 「セルロイドの少女」は、これまで見せたことのなかった森田の新たな一面である。 個人的にどうしても気になるのが、曲のエンディングの演奏の長い曲があること。 「ふるえているネ」「淋しい素描」 「終曲のために 第3番「友への手紙」」は、演奏だけで、後半は手紙を読む。 これは編曲者のアイディアだったのか?森田の意向だったのか? 「ふるえているネ」「淋しい素描」は、エンディングの演奏が長すぎるように思う。 正直に言うなら、これらの曲のエンディングの演奏をもう少し短くして、 もう1曲、短くても「歌う森田」の曲を入れてほしかった。 ただ、全体を通して「孤独」を感じること。 アルバムタイトルが「A BOY」である。 少年の孤独な心をアルバム全体のトーンにしたかったのではないか? 森田は女性(だと思う)ので、少年の孤独な心を表現するという 新たな挑戦をしたのではなかったか? 謎である。 2020/08/02 今日は奇蹟の朝です 10曲目、ラストは「今日は奇蹟の朝です」だ。 これは素晴らしい。森田童子でないと書けない曲だ。 森田童子ワールド全開といった感じ。 これこそ森田がキリスト教信者と思われる理由のひとつだ。 そういう人でなければ書けないだろう。 まるで砂浜にいる森田が海に向かってひざまづいて祈っているようだ。 最後のフレーズが「いま聖母マリアが浮上する」で見事に歌い終わる。 アルバムのタイトル「マザー・スカイ」は、この曲から出て来たように思う。 2020/08/02 春爛漫 9曲目は「春爛漫」である。 ファーストアルバムも最後から2番目に「たんごの節句」が入っているが、 セカンドアルバムも最後から2番目に似たような曲調の「春爛漫」が入っている。 偶然か?いや、そんなことはないだろう。 おそらく、実験的な試みをしてみたかったのではないか? 自分はこういう曲も歌いたいんです・・・みたいな。 ただ、やっぱりちょっとどうかと思ってしまう。 もちろん一定のレベルは越えているが・・・。 2020/08/02 ニューヨークからの手紙 8曲目は「ニューヨークからの手紙」である。
森田はニューヨークへ行ったのだろう。 何となく違和感もあるが、そう理解しないと進まない気がする。 何もかも嫌になって、ニューヨークへ行き、「私を忘れてほしい」と、 そうして旅立ったのだろうか? メロディーはとても良い。 ただ、森田の気持ちがなぜこのような詞を書かせたのか、わからない。 2020/08/02 男のくせに泣いてくれた 7曲目は「男のくせに泣いてくれた」である。
これは森田の実体験だそうで、高校生だった頃、自分の苦しみを先生に打ち明けたところ、 男の先生だったのに泣いてくれたそうで、感激したようだ。 ただ、そういう体験をこんなふうに曲にできるだろうか? なかなかできるものではない。 しかもドラマ「高校教師」でも挿入歌として使われたほどの曲に仕上げている。 ドラマヒット時、森田は活動停止していたが、ドラマのヒットにより、シングルCDが発売された。 「ぼくたちの失敗」「男のくせに泣いてくれた」である。オリコン5位までになったそうだ。 2020/08/02 海を見たいと思った 6曲目は「海を見たいと思った」だ。 森田は「夜汽車」が好きだと何かで話していた。 そうだ。夜汽車が好きでない人に「暗い電燈」だとか、 「窓ガラスに もう若くはない ぼくの顔を見た」なんて書けない。 間奏で語る。 「飲めない酒を飲んだ 泣いてみようとしたが 泣けなかった」 クー!詩人だなあ。 2020/08/02 ピラビタール 5曲目は「ピラビタール」だ。 ピラビタールとは、鎮痛剤・鎮静剤の中に入っている 少しだけ気持ちよく眠くなる作用のある薬だそうだ。 こういうのを題名にするって、なかなかできない。 「悲しいときは頬をよせて 淋しい時は 胸を合わせて」 と言ってるけど、そうだったかな?と、考え込んでしまう。 2020/08/02 逆光線 4曲目は「逆光線」だ。 これは昔で言うところの「問題作」だろう。 今、発表していたら「放送禁止」扱いされていたかもしれない。 「安全カミソリがやさしく ぼくの手首を走る」 「静かに ぼくの命は ふきだして」 「手首を切る」ではなく、「手首を走る」として、 「ぼくの血液は ふきだして」ではなく、 「ぼくの命は ふきだして」としている。 しかも切るのは「安全カミソリ」である。「カッター」ではない。 こういうちょっとした表現の違いが、ギリギリ芸術作品にとどめている。 それでも「やさしく発狂する」のは怖い。 2020/08/02 伝書鳩 3曲目は「伝書鳩」だ。
子供が複数で「青い空」「白い雲」と歌っているようだ。 結構ピッタリはまっている。 アレンジャーを調べたら石川鷹彦だった。 「朝の街にぼくの カイキンシャツが飛ぶ」なんて書けない。 「母よぼくの 鳩を撃て」ってどういう意味なんだろう。 でもそんなことはどうでもいい。 気づいたらセカンドアルバムでも、完全に森田童子の世界に引き込まれていた。 2020/08/02 ぼくと観光バスに乗ってみませんか 2曲目は「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」だ。 この曲も森田自身、よくライブで歌っていたようだ。 しかし、「観光バス」に乗ってみませんか?というのが森田らしい。 「ぼくとドライブしてみませんか」ではないのだ。 しかも「トランジスターラジオ」まで出てくる。 あの「ドゥーユーワナダンス」を持ってくるのもいい。 そして、森田お得意の間奏のモノローグ。 「君も一度 気が向いたら たずねて下さい 雅兄」 「雅兄」って何だかわからなかった。 男か男の友人に出す手紙で、敬愛しているというような意味だそうだ。 森田はかなりの文学少女だったと推測される。 それと、「遊びにきて下さい」ではなく「たずねて下さい」なのだ。 ちょっとした違いだが、曲を格調高くしていると思う。 2020/08/02 ぼくたちの失敗 1曲目が「ぼくたちの失敗」だ。 森田の活動停止後の1993年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に使われ、大ヒットした。 テレビで「高校教師」の予告編を何気なく見ていたら、森田童子の曲だったので驚いた記憶がある。 このテレビドラマは大ヒットし、この主題歌を聞いて森田童子を知った若い人がたくさんいたと聞く。 何ともすごい題名だ。「ぼくたちの失敗」なのだ。普通、こんな題名をつけない。 マイナスのイメージが強すぎるからだ。でも、いいのだ。 1曲目に森田が持ってきただけあって、おそらく自信作だったと思う。ピアノもとてもいい。 ファーストシングルは「さよならぼくのともだち」だったが、 セカンドシングルには「ぼくたちの失敗」を持ってきている。 「君のやさしさに 埋もれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ」ときた。 こういうフレーズに人は弱い。「弱虫だったんだヨネ」と認めているのだ。 「だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう」にもやられた。 こんな詞は胸に迫ってくる。 チャーリーパーカーは、アメリカのジャズ アルトサックスの名プレーヤーだそうだが、 残念ながらジャズをあまり聴かない私にはよくわからない。失礼。 森田の彼氏はジャズが好きで、森田も影響を受けたのだろうか? それにしても「電熱器」って何だかわからない若い人は多いのではないか? しかもそれをストーブ代わりに使っていたなんて、イメージがつかないかもしれない。 しかし、それがどうした。そんなことはおかまいなしに、ドラマ「高校教師」の主題歌として、 大ヒットしたのだ。 このドラマの脚本家の推薦に、プロデューサーが応じて主題歌として採用されたらしい。 何かふわふわしてどこかに飛んでいきそうな歌い方がこの曲にマッチして絶妙である。 こういう歌い方は森田でないとなかなかできないだろう。 2020/08/02 マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=2枚目 1976年11月21日 森田23歳 森田童子 セカンドアルバムは、ファーストアルバム発売のぴったり1年後に発売された。 レコードジャケットがドキッとする。十字架が砕け散る写真なのだ。 森田の音楽には宗教(キリスト教)を感じさせるところがある。 しかし、宗教ドップリではないことは、このジャケット写真でわかると思う。 ファーストアルバムは素晴らしかったが、セカンドアルバムもなかなかのものだ。 この頃(森田23歳)は湧き出る泉のように名曲が出来上がっていたのではないか? それにしてもジャケット写真は衝撃だった。 2020/07/31 さよならぼくのともだち ラスト10曲目が「さよならぼくのともだち」だ。 森田童子の代表曲。 まだ22歳というのになんて大人びた詞を書くのだろうと驚く。 「行ったこともないメキシコの話を 君はクスリが回ってくると」 などという詞を書けるだろうか? 「仲間がパクられた日曜の朝 雨の中をゆがんで走る」 などという詞を若い女性が書けるだろうか? 男でも無理だ。 私はこの曲がずっと頭から離れなかった。 2020/07/31 にわか雨 9曲目は「にわか雨」。 (タイトルの「にわか」は難しい字を使っている。)
さりげない、目立たない曲である。 静かにひとりでいる時に聞くと良さそうなおとなしい曲だ。 しかし、メロディーはなかなかだ。 2020/07/31 たんごの節句 8曲目は「たんごの節句」。 正直に言えば、この曲はこのアルバムのトーンに少し合わないような気がする。 曲は悪くないし、歌声ももちろん良い。(特に最後の「たんごの節句!」がすごい。) ただ、幼い姉と弟がいっしょにお風呂や川に入るというのが、 ちょっとだけこのアルバムのトーンに合わないと感じてしまう。 (ぜいたくだろうか?そうだ。きっとレベルの高いアルバムを聴いていると更に上を望んでしまうのだろう。) 2020/07/31 淋しい雲 7曲目は「淋しい雲」。 タイトルと曲がなかなか結びつかない。 それよりも驚くのは、アグネスチャンが歌っているように聞こえることだ。 この曲に限って言えば、歌い方が森田らしくない。 ・・・といえば批判的に聞こえるかもしれないが、批判しているのではない。 もしろ、森田はこういう歌い方もできたのかと驚かされる。 ひと言で言えば「とてもかわいらしい声」なのだ。 森田はこの歌い方をこの1曲でやめたようだ。 自分の曲のイメージに合わないと判断したのだろうか? 少し残念だ。 ところで、「ミセス・カーマイケル」って誰なのかと思ったら、 昔の海外ドラマの「ルーシーショー」の「ルーシー」のことだそうだ。 そういう名前をさりげなく歌詞に入れるのが森田だ。 2020/07/31 センチメンタル通り 6曲目はセンチメンタル通り。
映画「ジャイアンツ」と言えば「ジェームズディーン」だと思っていたら「ロックハドソン」ときた。 やっぱり森田はただものではない。 そもそも題名が「センチメンタル通り」である。 この時代を見事に描いている。 「みんな夕方になると集まった」の次にまさか「映画館」が来るとは思わなかった。 森田は22歳だが、本物の大人だった。そう思う。そうでなければこんな詞書けない。 個人的に、ひとつ残念に思うのは、冒頭のオートバイの音だ。 この時代のこの曲に合うと思って入れた効果音と思うが、私は不要だったと思う。 5曲目までの雰囲気がちょっと壊されるような気がするからだ。 あくまでも個人的な感想だ。曲そのものの素晴らしさは変わることがない。 2020/07/31 地平線 5曲目は「地平線」。 一体、どうすればこのような歌詞が書けるのだろうか? 素晴らしいのひと言に尽きる。 この曲もライブアルバム(東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤)に入っており、 オープニングを飾っている。このライブアルバムでの「地平線」でもコーラスが良い。 コーラスを聴いているだけでも満足しそうな曲である。 しかもモノローグも良い。森田は詩人だ。 2020/07/31 雨のクロール 4曲目は「雨のクロール」。
美しい名曲である。 このアルバムの「雨のクロール」もいいが、 私は森田のライブアルバム(東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤)の「雨のクロール」が一番好きである。 前奏・間奏でのコーラスが美しく、耳から離れない。 この歌詞は素直に「僕」が男性で、「君」は女性で良いようだ。 「君は花柄のワンピース置いて」と来るものだから、少しドキッとした。 森田は「ワンピース脱いで」とせず、「置いて」としたところが見事だ。 曲の品を落とさず、名曲に仕上げた。 森田は「泳ぐ」=「クロール」と決まっているようだ。 アルバム夜想曲の「船が来るぞ」でも「クロール クロール」と歌っている。 短い曲だが、本当に素晴らしい。森田の代表曲のひとつである。 2020/07/31 まぶしい夏 3曲目は「まぶしい夏」。 タイトルだけではわからないが、曲を聴くと森田は「太宰治」が好きだったと推測される。 いきなり「玉川上水」が出てきて、「太宰の好きな君」が出てくる。 「君から借りた太宰の本は、寂しい形見になりました」とダメ押しが来る。 (アルバムのタイトルが「GOOD BYE」である!) 森田20歳のときの友人の死がきっかけで歌を歌い始めたようだが、これはその友人のことかと想像する。 仮にそうだとすれば、そんな衝撃的な出来事をこんな美しくもはかない曲に仕上げる森田。 唸るしかない。 森田は「汗をかく」「汗ばんだ」といった「汗」を歌詞にすることが好きなようである。 (「さよならぼくのともだち」にも汗が出てくる) 2020/07/31 君は変わっちゃったネ 2曲目は「君は変わっちゃったネ」。 森田はこの曲を気に入っていた模様で、ライブでよく歌っていたようだ。 もちろん私もお気に入りの曲だ。 歌詞は素直に自分が子供っぽいのに、君は大人になったと書いている。 後に森田唯一のライブアルバムでは、間奏のモノローグが効果的である。 素直な詞であるが、メロディーが良いものだから、忘れられない曲になる。 そう。森田は言うまでもないが才能豊かなシンガーソングライターだった。 2020/07/31 早春にて 1曲目の「早春にて」は、森田童子の魅力満載である。 歌声、メロディー、歌詞、なかなかのものである。 森田は女性(だろう)と思っていたが、歌詞を聴いていると、 「君」が女性のようで違うようで、「僕」は男性のようでそうでない。 後日、わかったことだが、森田は自分を「僕」と表現しているようなのだ。 女性が「僕」と言うと不思議な魅力を感じる。 間奏でモノローグが入るが、これが何とも言えずいい。 「もうすぐそこに夏が来ています」なんて、いい。 森田の歌詞は比較的短いのだが、不思議なことに短く感じない。 エンディングの効果音は飛行機の離陸する音のようだが、 最初、何で飛行機の離陸音なのかわからなかった。 しばらくして、彼は飛行機で故郷へ帰ったのだろうと推測できた。 あの頃、飛行機は高額であまり利用できなかったから、ピンとこなかった。 「飛行機の離陸する音を入れてください」と森田は言ったのだろうか? いや、私にはそんなことを言うとは思えない。任せたのではないかと思う。 2020/07/31 GOOD BYE 1枚目のオリジナルアルバム1975年11月21日発売(森田22歳) 森田童子のファーストアルバム「GOOD BYE」は、森田22歳の時に発売された。 私は森田よりも5歳年下だから、私が17歳の時にラジオの深夜放送で「さよならぼくのともだち」を聴いたと思う。 このファーストアルバムが素晴らしい。名曲ぞろいである。 わずか22歳でこれだけの曲を書けるのだから、相当な才能である。 私は東京で4年間、大学生をやっていた。「いつか森田童子のコンサートに行こう」と思っていたが、 結局、行かないまま卒業し、故郷に戻ってしまった。後悔している。 あの4年間で、何としてでも行くべきだった。おそらく一生後悔して生きていくと思う。 2020/07/29 森田童子の世界 もう40年以上前のことです。東京の大学進学に向けての受験勉強中、ラジオの深夜放送を聴いておりました。 そこで流れてきたのが「さよならぼくのともだち」でした。とにかく引き込まれたことを覚えています。 魅力的な歌声でしたし、繰り返す「さよならぼくのともだち」が良かったし、まだ見ぬ大学生の生活が ぼんやり浮かんだような気がしました。 「弱虫でやさしい静かな君」というのは「つまらないダメな人間」と思っていましたが、「ぼくはとっても好きだった」 と歌われ、「この人、誰なんだ?いいな!」と思いました。 これが私の森田童子との出会いです。当時は、どんな人が歌っているのか、情報もありませんでした。
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