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森田童子 ぼくたちの失敗
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1022.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 08 日 03:02:47: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 昭和の流行歌の世界 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 11 日 21:14:27)


森田童子 ぼくたちの失敗
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-11457] koaQ7Jey 2020年9月08日 03:53:08 : MV4tui3xYE : aWNpRDBJaUNqV28=[7] 報告
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 真田広之・桜井幸子 高校教师 (TBS 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1000.html


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2020年08月19日
夏休みの個人的ドラマ三昧
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1976656596

で、ダラダラと昔のドラマをみていた。
ひとつは、「やまとなでしこ」の総集編が最近やってた録画。これは押尾学が事件を起こして逮捕されてから再放送がピタッと止まった。
貧乏出身のスッチーが合コンで金持ちと結婚するのを目指すが、誤解から研究者崩れの魚屋と出会う話。

押尾登場部をカットする目的もあって総集編で復活。
昔ほどの感動がないのは、ぶつ切りのせいもあるだろう。

「ビーチボーイズ」、海の民宿に、エリート会社員と元オリンピック代表になりかけた男が迷い込んで働く。大人の夏休み、という話。

で、いまiPadで寝ころびながらみてるのが(画質音質クオリティのこだわりはどうした、流される俺)、「高校教師」、これは自分の青春ど真ん中のヒット作だが、みてなかった。

リメイク版の10年ちかく後のは好きでみてたけれど、オリジナルが好きな大学生が、いかによくなくなったか熱く語っていた。生物学の研究者崩れと、女子高生の恋愛話。

脚本の野島伸司は、自分の文学青年的な資質にはストライクすぎて、悪口しか言いたくない。
作中の同性愛の女子高生が、主人公の少女に不吉な予言をする。
「いつかあなたも、男に幻滅するよ」みたいな。
これはある意味で、野島伸司的な主人公の男性がたどった道のようにも思える。

自己愛的で内向的で、幼児的な母親的理想像を女性に求め、狂気にまで至る。心象は都市に魅せられながらも根本は農村や村落共同体へ帰る願望がある。

こうした男性は、都市化の完成や女性の台頭によって、ただのコミュ障なオタクやひきこもりに転落した。

野島作品も、スランプに次ぐスランプで、やたら刺したり放火したり殴ったりの不自然さしか残らない。

この作品では、家庭環境の複雑さゆえだが、冒頭から一目惚れの女子高生が、一貫して主人公の男の絶対的な味方であり続ける。なんとも都合よく心地よい設定。
しかし旬のよさというべきか、素直な人物たちの心の動きに感情移入できて、とても応援してしまう。

森田童子の、どこまでも暗闇を、ただ暗闇のままに歩いていくような不思議な音楽が、よく似合っている。
変な教訓や、ポジティブへの変容などは要らないのだ。
一般社会的な価値観からは、ただ破滅に向かうだけの姿が潔く、どこか癒される。

考えてみたら、自分の20代は、鬱屈やら不遇感があって、こうしたドラマと自身を重ねてみていたのだ。だからとても個人的な感想だけども、これだけ長く生き残ってまたみることができているのは、普遍的でもあるのだなと。
たいへんな名作たちだと思う。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1976656596


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高校教师 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%95%99%E5%B8%88+%E7%AC%AC+%E9%9B%86
2. 中川隆[-11434] koaQ7Jey 2020年9月08日 17:44:27 : DHRA9aICKc : M3lwWEUwbmFIUXc=[35] 報告
8/1 E.G.P.P.100/step85 森田童子??反転「ガロ」系少女の肖像
2008-07-27
https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/79dcd9164ba89ade87cf25fee9b80c33

 70年代中頃の夏だったか、暑さにうだりながら狭い部屋でボクは汗をかいて眠っていた。目の前には、やはり汗で濡れたおんなの裸の背中があった。狭い部屋で壊れかけた1台の扇風機が、うなりをあげて回っていた。

 貧しいだけで、その頃のボクには何の希望もなかった。マンガ家になるというユメは叶ったが、生来の怠け癖で読者に忘れられないために畳み掛けるように、作品を毎月再生産してゆく??ということが、どうしても出来なかった。大家でもない無名のマンガ家なのに、ボクは作品も発表誌も選んで、いつのまにか声もかからなくなった。それにその頃は、政治の季節が内ゲバや武装路線でゆきづまりさらに警察当局のローラー作戦(アパートや貸し家をシラミ潰しに調査すること)で壊滅しつつあった頃で、時代そのものが「暗い時代」であり、ボクらは「暗い時代の人々」(ハンナ・アレント)だった。

 そんな頃に、か細い、今にも消え入りそうな声で「ボク」という一人称で歌うひとりの歌手のうたが聞こえてきた。その歌い手は自作自演のシンガーソングライターだったのだが、どこかその頃の時代の刻印を背負ったかのようなリリックで、ボクの胸に迫った。

 75年にデビュー、その特異な歌詞世界と歌声で冷ややかながらも一部のファンに注目され、わずか8年間の活動でその日常も消息も断ってしまった森田童子。その肖像に『グッドバイ』で打ちのめされた似たもの同士の感性を嗅ぎ付けたものとして、『高校教師』以前の童子を今回step85のテーマとします。

https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/79dcd9164ba89ade87cf25fee9b80c33


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森田童子・論/悲しき玩具(1)
2008-07-28
https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/ebeead8f30f47d70bf556c80e349d8d0

 70年代中頃の夏だったか、暑さにうだりながら狭い部屋でボクは汗をかいて眠っていた。目の前には、やはり汗で濡れたおんなの裸の背中があった。狭い部屋で壊れかけた1台の扇風機が、うなりをあげて回っていた。

 貧しいだけで、その頃のボクには何の希望もなかった。マンガ家になるというユメは叶ったが、生来の怠け癖で読者に忘れられないために畳み掛けるように、作品を毎月再生産してゆく??ということが、どうしても出来なかった。大家でもない無名のマンガ家なのに、ボクは作品も発表誌も選んで、いつのまにか声もかからなくなった。それにその頃は、政治の季節が内ゲバや武装路線でゆきづまりさらに警察当局のローラー作戦(アパートや貸し家をシラミ潰しに調査すること)で壊滅しつつあった頃で、時代そのものが「暗い時代」であり、ボクらは「暗い時代の人々」(ハンナ・アレント)だった。

 そんな頃に、か細い、今にも消え入りそうな声で「ボク」という一人称で歌うひとりの歌手のうたが聞こえてきた。その歌い手は自作自演のシンガーソングライターだったのだが、どこかその頃の時代の刻印を背負ったかのようなリリックで、ボクの胸に迫った。

 玉川上水沿いに 歩くと
 君の 小さなアパートがあった
 夏には 窓に 竹の葉がゆれて
 太宰の 好きな君は 睡眠薬 飲んだ
 暑い 陽だまりの中 君はいつまでも
 汗をかいて 眠った
 (「まぶしい夏」)

 その歌い手は性別不明の名前を名乗っていた。「童子」ドウジそれともワラベあるいはドウコと読ませるのか不明だった。そのファースト・アルバムを手に入れて見ると、真っ暗なジャケット写真の中で、丸い黒のサングラスをかけたまま端正な顔だちは隠せず、口元は軽くあいていた。モジャモジャの髪型(のちにカーリーヘアとなる)は、いまにも顔を覆い隠しそうだったし、その歌手が傷つきやすいナイーブなこころと感性をもったシャイで照れ屋の性格をもつ人物のように思えた。さらに、そのファースト・アルバムの歌詞カードは黒のラシャ紙に、銀色のインクで9ポイントくらいの小さな活字で印字されたものだった。それも、今となってはなつかしい邦文タイプを使って印字したものだ。

 抜けの悪い、ところどころ活字が潰れたそのタイプ文字の書体は、画数の多い活字は判読できないほどだった(たとえば、タイトルのB面4曲めの「驟雨」は、「にわかあめ」とその1ケ所だけ同じポイントのルビが振ってあり、それでかろうじて読めるのだった)。

 さらに、奇妙なことにジャケットの裏面もまた「第五福竜丸」だと思われる写真パネルを似たような草原で掲げ持つ歌い手の写真で埋められている(カメラマンは高梨豊。高梨は以後ずっとこの歌手を追い掛ける。ちなみに高梨もまた新宿「風月堂」に出入りしていたカメラマンである)。

 歌い手はその名を森田童子(もりたどうじ)といった。ボクらの世代には子どもの頃に見た東映映画の『笛吹き童子』や『白馬童子』が忘れられない。それらは、勧善懲悪のヒーロー時代劇だったが、どのような「童子」が登場してももはや70年代の大衆は、笛吹けど踊らずの状況であったのは目に見えていた。そのうえ、そのファーストつまりデビュー・アルバムは太宰治のセリフのように「それでは どなたさまも グッド・バイ!」と告げるかのように『グッドバイ』と名付けられていた。森田童子は「別離」を告げながらボクらの前に鮮烈に登場した。その引き際がどんなものになるかは、ボクらには最初から予想ができたはずだ。

https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/ebeead8f30f47d70bf556c80e349d8d0



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森田童子・論/悲しき玩具(2)
2008-07-29
https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/a1d4db772240e71450dbae0e8a72cb5e#comment-list

 森田童子がその肌にヒリつくようなリリックに込めたものは、おそらく虚構(フィクション)としての「ある青春譜」だった。童子が色の濃い丸サングラスの下に隠したその素顔を決してあらわにすることがなかったように、童子のリリックも虚実の皮膜におおわれている。

 たとえば、高校を中退した童子が、うたを歌うきっかけになったのが旧友の死を知ってからという伝説がある。しかし、それはどうやら自死のようだとリリックから推測するのみで真意のほどは確かめようもない。彼女自身は高校反戦の闘争に否応なく巻き込まれたようだが、どのようないきさつがあったのか分からぬが、その高校をやめている。学歴は高校中退なのだ。

 しばらく、何もせずブラブラしていたが、彼女の父親は「これからの時代は、余暇や暇な時間をもてあまさず耐えなければならない」と言って、文句も言わずに金をくれたそうだ。童子は毎日のように、仲間が集まるある喫茶店に通っていた。その頃、童子がたまたま行った旅先でJ & Kという音楽出版の面々に偶然に会う。名刺をもらい、すぐ尋ねてゆくという約束をする。しかし、その約束は2年後になり、1975年(昭和50年)約束を果たしにゆくと音楽出版の方は覚えており、すぐさまシングルデビューの話が持ち上がった。童子はよほど、鮮烈な印象をその音楽出版のスタッフに与えたらしい。以後の童子のアルバム制作は、このMusic Pubrishers J & Kがプロデュースしポリドールレコードから発売されることになる(のちワーナー・パイオニアへ移籍し、ポリドール時代のアルバムが「森田童子全集」として再販される)。いわば、シンガー「森田童子」の仕掛人である。

 1976年(昭和51年)1月の「ルイード」から、年間を通してのライブハウス出演の日々が始まる。

 そして、童子は昭和55年頃つまり1980年頃から68/71黒色テントなどの小劇場運動集団(アングラ劇団)とコンサートをともにしてゆくようになる。この頃から、意図的にコンサート会場を早稲田小劇場、池袋文芸坐地下などで連続三日間とか、五日間などの演劇公演のようなスタイルで、敢行することを好むようになっている。
 そして、その「滅びの美学」のようなライブコンサートを「地下室」とか、「夜行」とか「ねじ式/黒テント劇場」とか名付けるのだ。

「いま黒い天幕の中は、色鮮やか??悲しい玩具箱のようです。
都市は密集し、巨大化された私達の街は急速に管理化されています。
……あと何年か後には、東京にテントを建てるという行為は、殆んど不可能になるでしょう。私達のコンサートが不可能になってゆく様を見て欲しいと思います。そして、私達の歌が消えてゆく様を見て欲しいと思います。

……そして、今度のテント劇場は、或る意味で私達のコンサート活動の終末であるといえるかもしれません。
一つの終りの時代へ向けて
今一度、??私たちのせつない最後の夢を見て欲しいと思います。」(森田童子/昭和56年)
https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/a1d4db772240e71450dbae0e8a72cb5e#comment-list

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森田童子・論/悲しき玩具(3)
2008-07-30
https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/a1e262689774cc9c8196069501ef9d97

 童子の書くリリックはどこか、先のライナーノーツに書かれたような物語性をもった抒情だ。セミ時雨や雨の音が、アルバムの中では効果音として欠かせないものになっている。そして、童子のリリックには、太宰治をはじめ漱石、高橋和己など文学者の名前が散見するが、それ以上にその頃のボクらがそうだったように、童子は『ガロ』や『夜行』のファンだったらしい。『夜行』の発行者で北冬書房主宰の高野慎三(かって『ガロ』の最盛期の編集者であったひと)はその著作『つげ義春1968』の中でこんな思い出を記している。

「70年代中頃に小さなライブハウスで、”ねじ式コンサート””大場電気鍍金工業所コンサート””夜行コンサート”のタイトルで、ひき語りを続ける一般には無名に近いミュージシャンがいた。ある日、突然、一面識もない彼女からりんごが一箱送られてきた。「いつもお世話になってます。勝手にタイトルを使わせてもらって申しわけありません。おわびのしるしです。つげ義春さんにも宜しくお伝え下さい」と書かれた丁寧な手紙が添えられてあった。」(高野慎三『つげ義春1968』)

 なお、調べた限りでは「大場電気鍍金工業所コンサート」という名前をかぶせたライブは存在しないようである。これは高野さんの思い違いのようだが、あれば面白かったろう。いうまでもなく、その作品名もつげ義春が、みずからの少年期をかさねて描いた傑作短編のタイトルである。

 森田童子がつげ義春や「ガロ」系の作家(マンガ家)のファンであろうとボクが気付いたのは、最初のアルバム『グッバイ』に収録されている「雨のクロール」という曲でである。その曲を最初に聞いた時、つげ義春の「海辺の叙景」という作品のラストシーン(見開き2頁のシーン)が思い浮かんできて仕方がなかった。

 雨に君の 泳ぐクロール とってもきれいネ
 雨に君の 泳ぐクロール とってもきれいネ
 (森田童子「雨のクロール」)

 あなたすてきよ
 いい感じよ
 (つげ義春「海辺の叙景」)

 なお、このセリフは雨の降る中、海をクロールで泳いでみせる主人公にビーチで知り合った女性が投げるラストシーンのネームである。ちなみに、このビーチは今ボクにはとても親しい場所である千葉県大原の海岸がモデルになっている。

 また、『ロフト』および『ロフト・プラス・ワン』の経営者である平野氏は、『ロフト』でおこなわれた1983年12月の伝説的な森田童子ラストライブの思い出をロフト関係のフリーマガジンにて回顧していた(『ロフト』が新宿小滝橋通り沿いにあった頃です)。
https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/a1e262689774cc9c8196069501ef9d97

3. 中川隆[-11433] koaQ7Jey 2020年9月08日 17:45:58 : DHRA9aICKc : M3lwWEUwbmFIUXc=[36] 報告
森田童子・論/悲しき玩具(4)
2008-07-31
https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/f6cef64f288a1e0b1f8b2eec99d0235f

こうして、森田童子というシンガーはその「滅びの美学」に忠実に従うかのようにそのわずか8年間の音楽活動を自ら終熄させた。そして、その後いっさいの消息をファンやリスナーの前から断ち切った。ふたつの例外を除いては……。

 そのひとつは、1984年3月5日付け(なんと、ボクの36歳の誕生日であった日だった!)『日本読書新聞』に掲載されたつげ忠男(義春の実弟・マンガ家)の作品集『懐かしのメロディ』(北冬書房刊)の書評であって、それは森田童子名義で突然掲載された。

 もうひとつの例外は、2003年2月27日付けのスポーツ新聞に報じられたことなのだが、トレンディドラマ『高校教師』(続編)のヒットで再度発売された『ぼくたちの失敗』CD版ベストコレクションに51歳になった森田童子が「ひとり遊び」を再録音したことである。

 野島伸司が脚本を書いた『高校教師』が話題となり、そのテーマ曲に使われたのが童子の「ぼくたちの失敗」だった(映画化もされた)。ドラマのヒットで、再び森田童子の再登場をファンが望んだ時(そのほとんどは、『高校教師』で森田童子を知った若いファンたちだった)、童子はコメントを残している。それは、現在主婦業に専念しているため、皆さんの前に再登場するつもりはありませんというきっぱりとしたものだったと記憶している。ただ、多くのかってのファンは童子の「主婦業」という言葉に違和感を覚えただろうし、と同時に森田童子の幸せを心から祈ったはずだ。

 かって、童子は自分が極度の人見知りだと告白したことがあり(なんと実の親にさえ人見知りすると!)、神経症的な病をかかえているようなほのめかしをしたことがあったからだ。
 そして、その「病」が生来のものだったのか、それとも後天的なものだったのかは一切ボクらは知ることができない。童子もどうやら好んだと思われる寺山修司にならって言うなら

 森田童子 とは地平線 その上に 浮かぶ巨大(おおき)な クレッションマーク(JUN作)

だったのかも知れない。

 ある日 ぼくの
 コートの型が
 もう 古いことを 知った
 ひとりで 生きてきたことの
 淋しさに 気づいた
 行きどまりの海で
 行きどまりの海で
 ぼくは ふり返る
 (「海を見たいと思った」)

 そう、それは生涯消え去る事のないスティグマ(聖痕)のように、青森県の方言のイントネーションで吃言するかのように立ち止まり堂々めぐりの自省、探求となるだろう。

 ぼくはどこまでも ぼくであろうとし
 ぼくがぼくで ぼくであろうとし
 ぼくはどこまでも ぼくであろうとし
 ぼくがぼくで ぼくであろうとし
 (「球根栽培の唄」)

 ぼくが
 ぼくで
 あろうとし
 ぼくが
 どこまでも
 ぼくであろうとし
 ぼくが
 どこへ
 どこまでも
 どこかで
 ぼくで
 あろうとし
 (「ぼくは16角形」)

 結局テロリズムの究極のスタイルが、特攻、自爆テロであったように、自分(まして「ぼく」という一人称男性名詞でだ)のためにだけ歌われるうたは自爆するしかなかったのだ。腹腹時計が、仕掛けられた自らの肉体を吹っ飛ばし、周辺何メートルかの巻き添えをその攻撃対象とするように「球根栽培」は、都市ゲリラの口ごもるだけの教典(マニュアル)となるのだ。
 そして、手にしたものは鮮やかな玩具??時間をマイナスカウントしてゆく時限爆弾としての「うた」だった。

 GOOD BYE! それでは どなたさまも グッドバイ!

※この「森田童子論・悲しき玩具」を書く上で、ネット上にあるふたつのサイト『森田童子研究所』(非公認森田童子ファンWebサイト)と『しっぽのさんぽ』(犬のしっぽさんのWebサイト)を参考にさせてもらいました。長い間のファンでありつづけ貴重な童子資料を万人に公開しているお二人に敬意を表してここに記してお礼申し上げます。

(おわり)
https://blog.goo.ne.jp/angura_1967/e/f6cef64f288a1e0b1f8b2eec99d0235f

4. 中川隆[-11427] koaQ7Jey 2020年9月08日 21:04:12 : DHRA9aICKc : M3lwWEUwbmFIUXc=[52] 報告
【Music Video】森田童子「ぼくたちの失敗」






切ない名曲。現在でもよくバラエティー番組のBGMで流れたりしますね。
オリジナルリリースは1976年

【歌詞】
春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ

君と話し疲れて いつか 黙りこんだ
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた

地下のジャズ喫茶 変れないぼくたちがいた
悪い夢のように 時がなぜてゆく

ぼくがひとりになった 部屋にきみの好きな
チャーリー・パーカー 見つけたヨ
ぼくを忘れたカナ

だめになったぼくを見て
君もびっくりしただろう
あのこはまだ元気かい 昔の話だネ

春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ
5. 中川隆[-11426] koaQ7Jey 2020年9月08日 21:07:21 : DHRA9aICKc : M3lwWEUwbmFIUXc=[53] 報告

森田童子 - チィチィよ ハァハァよ


6. 中川隆[-11425] koaQ7Jey 2020年9月08日 21:10:28 : DHRA9aICKc : M3lwWEUwbmFIUXc=[54] 報告
男のくせに泣いてくれた


7. 中川隆[-11424] koaQ7Jey 2020年9月08日 21:11:58 : DHRA9aICKc : M3lwWEUwbmFIUXc=[55] 報告
森田童子-さよなら ぼくの ともだち





森田童子さんの1975年のライブ。
8. 中川隆[-11417] koaQ7Jey 2020年9月09日 09:48:49 : p3ZYzmdjKF : YlZoZ05vMExyUXc=[11] 報告
森田童子 音楽集【超高音質】~僕たちの失敗/ベストコレクション~より




01. ぼくたちの失敗
02. 蒼き夜は
03. 雨のクロール
04. 蒸留反応
05. 男のくせに泣いてくれた
06. G線上にひとり
07. さよなら ぼくの ともだち(ライヴ)
9. 中川隆[-11403] koaQ7Jey 2020年9月11日 05:48:58 : GFANGIOfgs : V3hmTDR2RFFmREU=[2] 報告
森田童子 - (5th)夜想曲




森田童子 - (1st)good-bye グッドバイ


10. 中川隆[-11390] koaQ7Jey 2020年9月12日 04:36:26 : yfVFU2YMo2 : eFFQYXluUmtGaXM=[2] 報告
森田童子 - (best)友への手紙 森田童子自選集


11. 中川隆[-8606] koaQ7Jey 2021年1月04日 22:09:03 : FULbsDkRs2 : ZWhRdW00Ni9sWUk=[39] 報告
森田童子の世界(全曲のコメント)
https://11146484morita.blog.fc2.com/

森田童子の曲についてコメントしていきます。

2020/08/10
森田童子のアルバム
オリジナルアルバム
1.グッドバイ
2.マザースカイ
3.ア・ボーイ
4.ラスト・ワルツ
5.夜想曲
6.狼少年

ライブアルバム
1.東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤

ベスト
1.森田童子自選集「友への手紙」
2.ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション

オリジナルアルバム6枚、ライブアルバム1枚、ベストアルバム2枚 計9枚のアルバムを発表している。
活動期間は22歳から30歳までの約8年。
作詞・作曲能力はもちろん、稀有な歌声はファンを魅了した。
そういう森田童子に魅かれる人へ、「聴くべき順番」を参考に書く。

1.東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤
  まずは、何といってもこれ。最初に聞くべきアルバムだ。
  ライブなので、森田の魅力がすぐそこにある。
  森田の歌声が素晴らしい。語りもいい。
  もちろん選曲も良い。
  加えて、弦楽四重奏とコーラスが見事。
  教会の録音のせいか、音も素晴らしい。

2.グッドバイ
  森田のデビューアルバム。2番目はこれ。
  この1枚だけでも森田の魅力が十分溢れている。
  どの曲もいい。名曲がそろっている。
  森田童子ってどんな人?と思ったら、この1枚。

3.マザースカイ
  森田を有名にした「ぼくたちの失敗」が入っている。
  この頃の森田は湧き出る泉のように名曲を作っていた感がある。
  3番目はこれ。

4.狼少年
  森田最後のアルバム。
  そのせいか、森田も力を入れて作ったような感がある。
  最後に森田はどんなアルバムを作ったか、4番目はこれ。

5.ラストワルツ
  森田の様々の才能がわかる。「みんな夢でありました」「ラストワルツ」
  といった曲は、森田でないと書けないと思う。

6.夜想曲、ア・ボーイ
  この2枚は森田の様々な面を知りたい状況になってからでも遅くない。
  多くの才能があったことを知ることができる。

7.自選集、ベストコレクション
  この2枚は一番最後で良いと思う。

2020/08/10
ひとり遊び
アルバムは森田のベスト盤。
ただ、おそらくは森田の意向はあまり入っていないと推測される。
ファンが望む曲を並べ、既に発表済の「自選集」とは曲が重ならぬように配慮した感がある。

このベスト盤の最後の1曲が「ひとり遊び」だ。
森田が活動停止してから20年後の、森田50歳の歌声だ。
ピアノ、ギター、ハーモニカも森田である。

「海が死んでもいいヨって鳴いている」の歌詞を一部変え、題名も「ひとり遊び」に変えている。

ただ、歌詞の変更はごく一部である。

・2番と3番を逆にしている。
・4番は「海が死んでもいいヨって鳴いてます」を
    「海が僕と死んでもいいヨって鳴いてます」にしている。

どうだろうか?まず歌詞だが、
2番と3番の交換は、意図してやったことだろうか?
4番の歌詞に「僕と」を入れる意味はあったのだろうか?
おそらくは、
「できるかわからないけど、とりあえず遊びのようにやってみる」
として録音したのではないか?
(ここで題名を「ひとり遊び」と思いついたのではないか?)

あまり書きたくないことを書く。

森田も残念ながら年をとってしまったのだ。
ずっと音楽活動をしなかったであろうから、
声も50歳の声になってしまったのだ。
自分の曲とはいえ、20年以上前に作った曲だ。
同じに歌えというのは無理がある。
20年間、おそらく曲づくりも停止していたであろうから、
おそらくこの曲1曲、不完全なままでしか録音できなかったのだ。
録りなおす気にもなれなかったと推測される。

森田に音楽活動再開を期待していた音楽関係者も
「これ以上は勧めてはいけない」と、この1曲で判断できたであろう。

人は年老いて、そしていつか死ぬ。
キラキラ輝いている期間はほんのわずかだ。
悲しいがそれが現実だ。

それでも言いたい。

「ひとり遊び」は50歳の森田童子がピアノを弾き、ギターを弾き、ハーモニカまで吹いて
そして50歳の等身大の自分で歌ったのだ。
森田はファンに最後、ひとつだけプレゼントしてくれたのだ。
これ以上、欲張ってはいけない。
むしろ、歌うこともなかなかできない状況で、録音に挑戦してくれたことに
感謝したい。

森田童子さん、ありがとう。
私がいつか、あちらの世界に行ったら、
また歌ってくださいね。


2020/08/10
ぼくたちの失敗 森田童子ベストセレクション(2003年3月5日発売)森田50歳
森田童子が音楽活動を停止後、1993年1月(森田40歳)に、テレビドラマ「高校教師」の主題歌として、
森田の「ぼくたちの失敗」が使われ、シングルCDは100万枚を超える大ヒットとなった。

最初は大物若手のデビューと勘違いする人もいたが、既に活動停止して10年になる森田の曲だった。
当然、マスコミは黙っていなかったが、森田はあくまでも沈黙を守った。

ところが、それから更に10年後の2003年1月(森田50歳)に、ドラマ「高校教師」の新作が放送され、
主題歌は再び「ぼくたちの失敗」が使用された。

森田が活動停止してから20年が経過していた。

ここからは想像だ。

音楽関係者の中には、森田に再度「歌うこと」を熱心に勧める人も当然いた。
森田はずっと拒み続けていたが、中には仕事だからではなく、
どうしても世の中に再度、50歳になった森田の音楽を聴かせたいと願う音楽関係者もいた。
その人の熱意に折れ、森田は1曲だけ歌ってみようという気持ちになった。
音楽関係者も、新曲ではなくとも、1曲だけでも森田に新たに歌ってもらえれば、
それが呼び水となって音楽活動再開も期待できると考えた。

歌う1曲を何にするのか?録音はどこで、どのように?いずれも森田に任せた。
森田は自分の曲「海が死んでもいいヨって鳴いている」の歌詞を一部変更して、
「ひとり遊び」というタイトルで、自宅にてピアノ、ギターを自ら弾き、ハーモニカも吹いて
歌った。20年ぶりの森田童子の演奏・歌声は、2003年に発売された森田のベスト盤
「ぼくたちの失敗 森田童子ベストセレクション」の最後に収録された。

私は「ひとり遊び」1曲のためにアルバムCD1枚購入する気にはなれなかった。
しかし、森田のオリジナルアルバムを全部入手して聴いていくと、「ひとり遊び」が
聴きたくて結局購入した。


2020/08/10
狼少年・ウルフボーイ
ラストの8曲目は「狼少年・ウルフボーイ」である。

聴いた瞬間、あれ?「地平線」じゃないか?と思った。
ただ、4番の歌詞が入れ替えされて
「狼に育てられたぼくは涙も 笑うことも知りません」として歌っている。

森田はどんな意図で8曲目にこの曲を入れたのか?

まずはこれで音楽活動を辞めようと決心していた。
最後の曲は、これまでの曲の中から1曲、「地平線」を選んで
歌うことにしたのではないか?
「地平線」は、ライブ「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」でも
オープニングを飾る素晴らしい出来栄えだったこともあり、
「地平線」で決まった。

しかし、ここでひとつ問題があった。
前アルバム「夜想曲」も、
最後にその前のアルバムでも収録した「ラストワルツ」を再度入れて、
おそらくあまり評判が良くなかったのではないか?

今回もそういうことが起きないようにひと工夫が必要だった。
そこで、歌詞の一部を入れ替え、タイトルも「地平線」でなく、
「狼少年・ウルフボーイ」にしたのではないか?


2020/08/10
憂鬱デス
7曲目は「憂鬱デス」だ。

気のせいか、6曲目にメドレーで続く歌のような感じがする。

間奏の森田の語りがいい。
「ひとりさくさくと柿を食らう」がいい。

6枚目のアルバムは、ここまで、ほぼ森田の思惑どおりに進み、
また、石川鷹彦との息も合い、上々の出来だったと思う。

2020/08/10
ぼくのせいですか
6曲目は「ぼくのせいですか」だ。

なんだかせつない歌だ。
短い歌だが、「去年の夏にあなたが海で死んだ」ときて、
それが「ぼくのせいですか?」「海のせいですか?」と問うている。

森田の実体験だとすると、これは森田が歌い始めたきっかけかもしれない。


2020/08/10
球根栽培の唄(ときわ荘にて録音)
5曲目は「球根栽培の唄」だ。

曲は森田得意のパターンに思う。もちろん悪くない。
「ガリ版刷り」「アジビラ」「赤ヘルメット」などという言葉は、
今の若い人には何のことかわからないだろう。

「ときわ荘」というのは、当時、森田が住んでいた阿佐ヶ谷のアパートの名前のようだ。
マンガ家が住んでいたアパートとは異なる。(笑)

なぜ、わざわざ「ときわ荘にて録音」と入れたのか?
音が悪いから?そんなことはない。スタジオ録音と思うような音だ。
あ、いや、まてよ?
エンディングで変な笛の音がするぞ?
体育の先生が吹く、首から下げた笛。あの笛の音が何度か聞こえてくる。
「ときわ荘」の外で誰かが吹いていた笛の音が入ってしまったのだ。
だからもう一度録音しなおしも考えたが、
聴いてみると不自然ではないので、そのままにした。
でも、一応(ときわ荘にて録音)と入れたのではないか?

この曲も間奏で森田が語る内容が今ひとつわからない。
「ぼくはどこまでも ぼくであろうとし ぼくがぼくで ぼくであろうとし」

2020/08/10
151680時間の夢
4曲目は「151680時間の夢」だ。

まず、「151680時間」って、どこから来ているのだ?と思った。
もしかして?と思ったのは、
森田が思春期を迎え、創作を初めてからの期間を言っているのではないか?ということ。
森田の思春期が12歳として、今回のアルバム発売が30歳。
それまで18年間となる。
1日24時間として、
24時間×365日×18年=157,680時間だ。近い。
森田は理系が得意だったのではないか?

前置きが長くなったが、ちょっと不思議な歌だ。
エンディングで語る森田の話もちょっとよくわからない。

ただ、この曲で、自分の思春期以降の期間を「ぼくの夢」として
「もうやりなおせないほど いつの間にか ぼくは
夢の中で 生きてしまったのです」と振り返っているような気がする。

2020/08/10
ぼくは流星になる
3曲目が「ぼくは流星になる」だ。

これはいい。
何しろ「キーラキーラキーラララ」で始まる。
森田、一生懸命歌っている姿が見えるようだ。
曲もいいが、歌詞もいい。

満員電車の中で ぼくは左耳をおさえて
去年の夏の海鳴りを聞いてる

これが詩人森田だ。

2020/08/10
ぼくを見つけてくれないかなァ
2曲目は「ぼくを見つけてくれないかなァ」だ。

素敵なタイトルだ。
しかも3番の最後は「君がぼくを見つけてくれないかなァ」と言う。
とてもシンプルでいい曲だ。
素直に今の気持ちを歌う森田の心が感じられる。
いい。


愛情練習(ロシアン・ルーレット)
1曲目は「愛情練習(ロシアン・ルーレット)」である。
石川鷹彦の編曲が見事で、おしゃれな曲調に仕上がっている。

森田の「ステップ」の歌声が舌足らずな感じでかわいらしい。
森田の素顔を知る人は身内のごくわずかな人たちだったようだが、
このような歌声を聴く限りでは、美人だったと思う。

森田は作詞の才能はもちろんだが、作曲のセンスも優れていたことが
この曲を聴いただけでもわかる。
どんな曲でも書けた。

それにしてもだ。「愛情練習」ってすごいタイトルだ。

2020/08/10
「狼少年wolf boy」6枚目のアルバム(1983年11月30日発売)森田30歳
森田のオリジナルアルバム6枚目「狼少年wolf boy」は、森田の最後のオリジナルアルバムとなる。
この後、森田は音楽活動を辞め、表舞台から姿を消す。

編曲は全曲石川鷹彦である。
森田はおそらくこのアルバムを最後に音楽活動を辞める決心をしていたのだろう。
最後は一番相性の良かった石川鷹彦に全曲の編曲をお願いしようと思ったのではないか?
最後は気持ちよく終わりたかったのではないか?

22歳でデビューした森田も30歳になっていた。
区切りとしても良いと考えたのではないか?

私生活はほとんどわからないままだが、
イラストレーターでもあり、マネージャーだった人と結婚したようである。
しかしその夫も2010年に没しているとWikipediaには書かれている。
それから8年後の2018年4月24日に森田も亡くなる。

2020/08/10
ラストワルツ
9曲目は「ラストワルツ」である。

よくわからない。森田はどういう意向でこの曲を最後に入れたのか?
前作アルバム「ラストワルツ」の最後の曲も「ラストワルツ」だったではないか?
どこが違う?
前作では、最後に古いラジオから流れるような雑音の入ったラストワルツが続く。
今回はそれをカットした少し短いバージョンである。

うーん。わからない。
そこまでして再度、最後に入れないといけなかったのか?
曲の出来が良いのはわかるが、何故なんだ?

森田が8曲目の「哀悼夜曲」でアルバムを終わらせたくなかったのか?
8曲だと曲が少ないということになり、もう1曲となったが、
森田の手持ちにその1曲が無かった?いや、そんなことはないだろう。
未発表の作品はたくさんあったはずだ。
前作に入れていた曲を再度入れなくても良かったではないか?
ファンとしては、森田の別の曲を聴きたかった。
少し残念に思う。
森田に何かあったのか?と心配になる。

2020/08/09
哀悼夜曲
8曲目は「哀悼夜曲」だ。

これも宗教音楽だろう。
森田でないと書けない曲だ。

ちょっとついていけない感じになってきた。


2020/08/09
孤立無援の唄
7曲目は「孤立無援の唄」だ。

このけだるさは何だ。
高橋和巳って誰だ?
小説家で、「孤立無援の思想」という著書がある。
この本をヒントにして書いたのか?

それにしても「プロレス」とか「でんぐり返って地獄固めだね」などと
森田が使う言葉とは縁遠い歌詞が出てくる。


2020/08/09
船がくるぞ
6曲目は「船がくるぞ」だ。

個人的にこの曲が好きだ。
最後の「クロール クロール」がとても良い。

間奏で森田が語る。
「まるで夏休みの臨海学校の新しいシーツをかぶった時みたいだ」
うーん。わからないなあ。

2020/08/09
サナトリウム
5曲目は「サナトリウム」だ。

いきなり「漱石の本」と来る。本来の森田の世界だ。
曲の最後に森田の語りが入る。

「もうすぐ ぼくの左の肺の中に 真赤な花が咲くはずです」

森田だ。


2020/08/09
麗子像
4曲目は「麗子像」だ。

何だかようやく本来の森田の歌を聴くようで少しホッとする。
歌詞に「ショパンのワルツを踊ります」とある。
この歌詞とこの曲からヒントを得て「夜想曲」というアルバムタイトルを
つけたのではないか?

この曲は日本ではない国の歌のようだ。
「四頭引きの馬車が走ります」なんて日本じゃない。
森田の頭の中にある風景なのだろう。

2020/08/09
ぼくは16角形
3曲目は「ぼくは16角形」

さっぱりわからない題名だ。
しかも歌詞も何だかわからない。

2020/08/09
淋しい猫
2曲目が「淋しい猫」

力を抜いて、サラっと歌っている。
そういう曲なのだろうが、どうすればこのような曲を書けるのか?

森田が手の届かない所へ行ってしまいそうな感じだ。


2020/08/09
蒸留反応
1曲目が「蒸留反応」だ。

そもそもどうやったらこのような題名を思いつくのか?
普通は絶対に思いつかないのではないか?

サビの「雪よ降れ んーん」のメロディーが良い。

2020/08/09
夜想曲 5枚目のアルバム(1982年11月20日発売)森田29歳
5枚目のアルバムが「夜想曲」である。

ノクターンを訳したのが「夜想曲(やそうきょく)」。夜の情緒を表す、抒情的な楽曲・・・ということか?
4枚目のアルバム「ラスト・ワルツ」の流れはあるが、少し違う方向も感じる。
森田も間もなく30歳。いろいろな変化もあったことだろう。

2020/08/09
友への手紙 森田童子自選集(1981年9月発売)28歳
森田自身が自分の曲から選んだアルバムだ。
よって、ベスト盤というわけでもない。

しかし、最初から通して聴くと、何となくわかってくる。
このアルバムは、森田のリアルな実体験を曲にしたものを選んだのではないか?

「さよならぼくのともだち」「赤いダウンパーカーぼくのともだち」「ぼくたちの失敗」「早春にて」
は、強い影響を受けた友人のことを歌っている。

「菜の花あかり」「まぶしい夏」「逆光線」「蒼き夜は」
は、死の影が漂う。

ラストの4曲はライブアルバムからの選曲だ。
私がライブアルバムから選曲するとすれば、
「風さわぐ原地の中に」ではなく、「センチメンタル通り」とか
「地平線」だと思うのだが、おそらくこの2曲は森田のリアルな実体験とは
少し違うのではなかったか?

2020/08/09
ラストワルツ
8曲目が「ラストワルツ」このアルバム最後の曲である。

名曲である。森田のアルバムの最後に入れる曲は傑作だ。
1枚目のアルバムのラストは「さよならぼくのともだち」
2枚目が「今日は奇蹟の朝です」
3枚目が「G線上にひとり」
(3枚目のラストは「組曲のために第3番「友への手紙」だが、これは詞の朗読なので外す)
そして
4枚目が「ラストワルツ」
いずれも名曲である。

一体、どうすればこのような詞を書けるのか?
森田はもっと曲を書くべきだった。
自分で歌わないまでも他人に提供することはできなかったのか?
森田は拒んだのだろう。そんなことはできないと。
きっとそうだ。


2020/08/09
たとえばぼくが死んだら
7曲目は「たとえばぼくが死んだら」である。

ちょっと怖い題名だが、佳作である。
前奏もギターで短く、すぐに歌に入るところが良い。

短い歌詞で4番まである。
とにかく森田はあまり長い歌詞を書かない。
ところが曲を聴くと短いと感じない。
不思議な感覚である。

2020/08/09
きれいに咲いた
6曲目が「きれいに咲いた」である。

歌詞が私にはよくわからない。
森田の曲にはそういう詞が時々ある。

しかも間奏の森田の語りがまた難しい。

「幻燈会」などという言葉を使う。
チャップリンのかなり古い映画にこの題名の作品があるという。

この曲だけ、このアルバムではちょっと異質である。

2020/08/09
みんな夢でありました
5曲目は「みんな夢でありました」である。

学生運動を曲にする試みは、何人かのアーティストが挑戦している。
しかし、森田のこの曲こそ本当の学生運動の姿を歌っているように思う。

あんなに燃え上がっていた学生運動を振り返り、
「みんな夢でありました」と言ってしまう。
かなり勇気のいる表現だったのではないか?

歌詞も曲もいいが、森田の歌声が抜群に良い。
これが男性ボーカルとか、普通に歌が上手い人の声だと
こうはいかなかっただろう。
何回聴いても「いい」と思う。

2020/08/09
グリーン大佐答えて下さい
4曲目は「グリーン大佐答えて下さい」だ。

そもそもグリーン大佐って誰なんだ?
調べてみると、どうやらスタートレックに登場し、
21世紀に地球全滅を計画した人物のようだ。

しかし、森田に直接聞いたわけではないので
正確にはわからない。
しかし、そういうような(地球全滅を考えるような)人を
森田は「グリーン大佐」としたのではないか?

この曲も宗教めいたものを感じる。

エンディングで原子爆弾でも爆発したかのような
音が聞こえる。

2020/08/09
海が死んでもいいヨって鳴いている
3曲目は「海が死んでもいいヨって鳴いている」だ。

やっぱり4枚目のアルバムは本来の森田に戻っている。
この曲なんかも本来の森田だ。

孤独を感じながらも必死に前を向いて
どうにかなりそうだけれども懸命に生きていこうとしている
そんな歌のように思う。

暗い歌ではないと私は思う。


2020/08/09
菜の花あかり
2曲目は「菜の花あかり」である。

こういう曲を森田はおそらくササっと書くような気がする。
ウーンなどと唸ったりはしない。
サラサラと書いていくように思う。

そして美しい光景が目に見えるように歌い上げる。
こういうのを才能と言うんだろう。


2020/08/09
赤いダウンパーカーぼくのともだち
1曲目は「赤いダウンパーカーぼくのともだち」だ。

ここで言う「赤いダウンパーカー」は、おそらくジェームズディーンが
映画「理由なき反抗」で着ていたものを言っているのではないか?

ジェームズディーンといえば、「エデンの東」が有名だが、
私は「理由なき反抗」のジェームズディーンが好きだ。
彼の本来の性格がそのまま出ているように感じるからだ。

映画「理由なき反抗」で印象的だったのは
ジェームズディーンが着ていた赤いダウンパーカーで、
森田はおそらくそこからこの題名を考えたのではないか?

この曲は「さよならぼくのともだち」の兄弟のような曲だ。
間奏で「さよならぼくのともだち」の歌詞を一部語っていることからも、
間違いないと思う。出来もなかなかのものだ。

最後の歌詞に「何もなかった ぼくたちの終わりに」という表現に唸ったし、
続く「君と冷たい牛乳飲んで 声を出さずに笑った」にもまいった。
君との最後に飲んだのは「酒」ではなく「冷たい牛乳」だったのだ。
そして「声を出さずに笑った」のだ。
何ともすごい表現だと私は思う。


2020/08/09
ラストワルツ 4枚目のアルバム(1980年11月20日発売)森田27歳
オリジナル4枚目のアルバム(ライブ盤を除いて4枚目)

このアルバムからそれまでのポリドール・レコードではなく、
ワーナー・パイオニアとなる。

3枚目のアルバムが、どこか違う感があったが、
この4枚目のアルバムで軌道修正されたみたいで、
元の森田に戻った感があると思うのは私だけだろうか?

22歳でデビューした森田も27歳となった。

2020/08/09
風さわぐ原地の中に
10曲目はアンコールで「風さわぐ原地の中に」だ。

まず、この曲も「友よ泣かないのか」と同じで、他のアルバムに入っていない。
森田には珍しく、激しい曲だ。アンコールにふさわしいと考えたのではないか?

歌い出しの「風」が聞こえない。「・・・さわぐ!」と聞こえる。
でもかまわないのだ。

「原地(はらち)」って、あまり使わない言葉だけど、そういう言葉を森田は使う。

前奏で森田ではないギタリストのリードギターの間に、おそらくそのギタリストが
「イェー」と言うところがあるが、
どうも気になる。「イェー」と言ってほしくなかった。
森田のコンサートに「イェー」はふさわしくないように感じる。
私だけだろうか?小さなことだけど。

2020/08/09
さよならぼくのともだち
9曲目が「さよならぼくのともだち」だ。

当時の森田は、コンサートのラストでこの曲を歌うことが多かったようだ。
それにしても歌う前の森田の語りはどうだ!

「君と僕は同じ一線で結ばれた、友達というやさしい放浪者だった。
君と二人して、夜明けの町の荒々しい空気に酔いしれて二人は彷徨った。」

ここまでも良いが続きも良い。

「いつか、君と僕は同じ一線で結ばれた、友達というやさしい放浪者だった。
さよなら、ぼくの友達」

2020/08/09
センチメンタル通り
8曲目は「センチメンタル通り」である。

歌う前に森田は3年前にライブハウスで歌い始めたことを語る。
3年前といえば森田が22歳の時だ。
ライブハウスで歌い始めてから、わずか3年でこのようなライブができた。
やはり森田は只者ではないと思う。

「センチメンタル通り」も私のお気に入りだ。
というか、この曲も初めて聴いてからしばらくの間、
私の頭の中で鳴りやまなかった。

2020/08/09
海を見たいと思った
7曲目は「海を見たいと思った」である。

森田は夜汽車が好きだったようだ。
それにしてもどうだ。
このライブを聴いていると会場は「森田童子ワールド」になっている。

あまりの森田ワールドの素晴らしさのせいか、
強い拍手が邪魔に聞こえるのは私だけだろうか?

2020/08/09
友よ泣かないのか
6曲目は「友よ泣かないのか」である。

この曲は、他のアルバムに収録されておらず、このライブ盤にだけ収録されている。
曲を始める前に、森田は「友人の土門とその彼女モンちゃん」の話をする。
二人は阿佐ヶ谷のアパートに住んでいるということで、
当時、高円寺に住んでいた私は、森田に親近感を覚えた。

私も数年前に「友よ」という曲を作ったが、
森田の詞を読んでいると、その差に愕然とする。

2020/08/09
ぼくと観光バスに乗ってみませんか
5曲目は「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」だ。

森田がラジオで「東京のはとバスに乗ったことがあって・・・」といった話をしていたと
記憶しているが、「はとバス」をヒントにして作った曲なのだろうか?

ところで、
「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」という題名で曲を書け、と言われたら、
このような曲を書けるだろうか?
とても無理である。
森田の才能を感じる1曲である。

2020/08/09
雨のクロール
4曲目は「雨のクロール」だ。

私が完全に森田童子のファンになったのは、おそらくこの「雨のクロール」を聴いてからだろう。
何て美しくもはかない名曲なんだろうと思った。
このライブでは、女性コーラスがこの名曲を更に盛り上げている。
初めて聴いた時から、毎日のように頭の中で「雨のクロール」が鳴り響いていた。

2020/08/09
君は変わっちゃったネ
3曲目は「君は変わっちゃったネ」だ。

曲の前に、親しかった「松本さん」という先輩の話をする。
3曲目の「君は変わっちゃったネ」にスムーズに続くような話で味わい深い。

よくあるテーマだが、森田の手にかかると傑作に仕上げられる。
そんな見事な出来栄えである。

間奏に森田が言う。
「あの頃、井の頭線の線路沿いのアパートに、君と暮らし始めた。
何もない無力なぼくは、ただ君を愛すことしか知らなかった」

クー!いいね。
井の頭線には通学で毎日乗っていたので、リアルだった。
彼女がいない私にはうらやましくもあり、別世界のこととしか思えなかった。
私より5歳しか年上ではない森田が、10歳以上年上に感じた。


2020/08/09
逆光線
2曲目は「逆光線」である。

1曲目が終わると、森田は「今日のコンサートの弦楽四重奏は武蔵野音大の友達です。」
と紹介する。それに呼応するように弦楽四重奏が奏でられ、2曲目の「逆光線」を
森田が歌い始める。

勝手な想像だが、1曲目を「地平線」にすることはすんなり決まったのではないか?
続いての2曲目を何にするか?
「地平線」に続く曲・・・と繰り返しているうちに、同じ「線」つながりの「逆光線」はどうだろう?
と、遊び心から、「それじゃあやってみましょうか?」となって、
武蔵野音大の友達の紹介から、弦楽四重奏の呼応、「逆光線」を歌い出すアイディアが
生まれたのではないか?
(もちろん、すべて想像である。)
とにかく1曲目〜2曲目までは最高のすべり出しである。

私はこのアルバムから森田を聴き始めたので、「逆光線」の歌詞は少々ショッキングだった。
森田が「只者ではない」ことを実感していた。

2020/08/09
地平線
1曲目は「地平線」である。

いきなり教会の鐘の音が聞こえ、続いて雷鳴がして海猫が鳴いている。
再度雷鳴がして、静かに森田が歌い始める。素晴らしい。

重なり合って女性コーラスがずっと続き、弦楽四重奏と共に
曲を美しく盛り上げる。

間奏で森田が言う。
「ぬけるように青い六月の空は、限りないぼくたちの失敗の空です。」
なんて素敵なんだろうと、聴き入ってしまう。
もし、その会場にいたら、泣いていたかもしれない。

2020/08/09
東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤(1978年11月1日発売)森田25歳
森田童子唯一のライブ盤「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」である。

1枚目と2枚目のアルバムからの選曲に、
「友よ泣かないのか」「風さわぐ原地の中に」の2曲を加えた10曲の構成である。

まずは、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」で歌ったことが特筆される。
こういう会場は、フォークソングのコンサートには貸出しない傾向にあるのだが、
森田の場合、バックの演奏に弦楽四重奏が入ったり、美しいコーラスが入る。
そういう面を前面に出して使用許可をもらったらしい。

次に選曲だが、当時の森田の曲で評判の良かった選曲と言っていい。
バックの演奏・コーラスもしっかりしているだけでなく、
森田の歌声が実に素晴らしい。魅力あふれるライブが楽しめる。
大聖堂のせいか、音も良く、ライブであるが、ベスト盤といってもいい。
また、曲間の森田のモノローグも味わい深いものがあり、聴き飽きることなく、
あっという間にコンサートが終了する。

私が森田のレコードを最初に買ったのが、シングル「さよならぼくのともだち」。
次にアルバムが欲しくなって、迷った末、このライブ盤を購入した。
森田入門編にはピッタリのアルバムだった。うれしかった。
(当時はインターネットも無く、よって、You tubeも無い時代だった。)


2020/08/08
終曲のために第3楽章「友への手紙」
9曲目は「終曲のために第3楽章「友への手紙」」だ。

とはいえ、これは演奏だけで森田は歌わない。
だから物足りない・・・が、森田が作った詞の朗読がある。

うーん。この詞の良さが、私には今ひとつよくわからない。
「さよなら ぼくを愛さなかった友達よ」とは?

「さよなら ぼくのともだち」との関係は?

やっぱりこの3枚目のアルバムは「何か違う」感が漂っている。

2020/08/08
G線上にひとり
8曲目は「G線上にひとり」である。

まずは「G線上」って何なのだ?
バッハの「G線上のアリア」からきているらしい。
バイオリンの一番低い音がソ(G)で、このG線だけで
演奏できることから「G線上の・・・」と呼ばれているらしい。

その「G線上にひとり」ということは何を意味しているんだろう?
・・・・わからない・・・・しかしそれがどうした。

名曲である。

心地よいメロディー、森田の魅力的な歌声。
素晴らしいのは「あくびして涙ふいた」の「あくびして」を
本当にあくびしながら歌っているように聞こえることだ。
しかも、本当にあくびして歌ったら、きっと「ダメ、もう一度」と
なっていただろうが、そのギリギリの線で歌っている。
森田の歌声は天才的なものを感じる。

2020/08/08
ぼくが君の思い出になってあげよう
7曲目は「ぼくが君の思い出になってあげよう」だ。

これは思いっきりプライベートソングのように思う。
出来は悪くない。(悪いわけがない)
ただ、あまりに素直すぎて何となく通り過ぎていく感じがする。

アルバムの中では、最後の少し前あたりに置くべき曲だ。

2020/08/08
淋しい素描
6曲目は「淋しい素描」だ。

「素描(そびょう)」は、いわゆる「デッサン」だ。
いきなり「浅き夢みし 人の世は」ときた。
まるで百人一首のようだ。

森田はどんな詞でも書けるような、そんな才能を感じる。

2020/08/08
セルロイドの少女
5曲目が「セルロイドの少女」だ。

この曲は森田の新たな挑戦と感じた。
何と!テーマは「サーカス」だ。

サーカスといえば、ビートルズの「ミスターカイトのために」を思い出すが、
こっちは17歳のミドリちゃんだ。

曲調、歌詞、歌い方も全部、これまでの森田ではない。
しかも題名が「セルロイドの少女」ときた。

歌の最後に「家族合わせ」という歌詞が来るが、
カルタの一種の遊びらしい。
森田は「家族合わせ」という言葉の響きからこの詞を書いたのだろうか?

サーカスの雰囲気が見事に出ている。
なかなかの曲だし、森田も気に入っていたのではないか?

森田のシングルは「さよならぼくのともだち」「ぼくたちの失敗」ときて、
3枚目がこの「セルロイドの少女」なのだ。

おそらく、森田の意向でこの曲を3枚目のシングルにしたのではないか?
面白い曲で魅力はあるが、シングルで発売する曲ではないように思う。
でも、そういう挑戦をした(推測だが)森田がいいと思う。

ラジオか何かで、「この曲は1枚目のアルバムの時に一度録音してボツになり、
2枚目のアルバムでも候補だったがボツになって、三度目の正直で収録された」
と話していた。

1枚目と2枚目のアルバムでボツになった理由は明白だ。
アルバムのトーンに合わなかったのだ。

1〜2枚目のアルバム成功により、
3枚目は(おそらく)かなり自由に作れたのではないか?
だからある程度の実験も可能だった。挑戦も可能だった。
「セルロイドの少女」はこうして世に出せた(と思う)。

2020/08/08
ぼくを見かけませんでしたか
4曲目は「ぼくを見かけませんでしたか」である。

間奏で森田が言う。
「ぼくは いまひとり 北上川にほとり 旅の途上にいる」
森田はコンサートで全国を回っていたのだろうか?

その旅の途中で書いた曲なのだろう。
割と素直な詞なので、わかりやすい。

しかし、最後の詞が森田らしい。

ゆきかう電車の窓越しに 真新しいセビロの ぼくを見かけませんでしたか

うーん。森田の世界に引きずり込まれた。

2020/08/08
ふるえているネ
3曲目は「ふるえているネ」である。

何と短い詞なのだろう。
これで1曲にするという発想が森田にはあった。
私には無い。(そりゃそうだ)

たぶん私小説的な内容なのだろう。
よって、なかなか入り込めない世界である。

やっぱりエンディングの演奏は長い。


2020/08/08
君と淋しい風になる
2曲目は「君と淋しい風になる」である。

編曲がいいなと思ったら石川鷹彦だった。

それにしてもやはり森田の歌声は素晴らしい。
「形のない愛は・・・」からグッときて、
「いつかふたりは」の「ふたりは」が森田でないと歌えない魅力的な歌い方だ。


2020/08/08
蒼き夜は
1曲目は「蒼き夜は」である。

「蒼」は、「青」と違い、「草の青さ」「草が青く茂る様子」を言うのだそうだ。
アルバムジャケットの森田は夜の芝生の上にうつぶせ寝している。
1曲目のイメージからだったのだろうか?

それにしてもいきなり「春はまぼろし」という歌詞から始まって
森田の世界に引きずり込まれる。
森田の歌声がとてもいい。


2020/08/08
A BOY 3枚目のアルバム(1977年12月10日発売)森田24歳
森田童子3枚目のアルバムは「A BOY」である。

このアルバムだけ、私はいまだに「よくわからない」のである。
曲は悪くはない。森田の曲なのだから、悪いはずもない。
しかし、ほかのアルバムと比べてしまうと、どこか「何か違う」感がある。

森田唯一のライブ盤「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」は、
1978年7月29日のライブである。
「A BOY」の発売は、1977年12月10日なのであるが、
この「A BOY」からは1曲もライブ盤に入っていない。
基本的に1枚目と2枚目のアルバムからの選曲である。
これは何を意味するのか?たまたまか?そんなことはないだろう。

森田は2枚のアルバムを出し、評判も良かったわけで、
3枚目のアルバムは何か新しい挑戦をしたかったのではないか?
前の2枚のアルバムとは少し違うものを創りたかったのではないか?

それが「どこか、何か違う」感を出しているような気がする。
「G線上にひとり」は間違いなく森田の傑作のひとつである。
「セルロイドの少女」は、これまで見せたことのなかった森田の新たな一面である。

個人的にどうしても気になるのが、曲のエンディングの演奏の長い曲があること。
「ふるえているネ」「淋しい素描」
「終曲のために 第3番「友への手紙」」は、演奏だけで、後半は手紙を読む。
これは編曲者のアイディアだったのか?森田の意向だったのか?
「ふるえているネ」「淋しい素描」は、エンディングの演奏が長すぎるように思う。

正直に言うなら、これらの曲のエンディングの演奏をもう少し短くして、
もう1曲、短くても「歌う森田」の曲を入れてほしかった。

ただ、全体を通して「孤独」を感じること。
アルバムタイトルが「A BOY」である。
少年の孤独な心をアルバム全体のトーンにしたかったのではないか?

森田は女性(だと思う)ので、少年の孤独な心を表現するという
新たな挑戦をしたのではなかったか?

謎である。

2020/08/02
今日は奇蹟の朝です
10曲目、ラストは「今日は奇蹟の朝です」だ。

これは素晴らしい。森田童子でないと書けない曲だ。
森田童子ワールド全開といった感じ。

これこそ森田がキリスト教信者と思われる理由のひとつだ。
そういう人でなければ書けないだろう。

まるで砂浜にいる森田が海に向かってひざまづいて祈っているようだ。

最後のフレーズが「いま聖母マリアが浮上する」で見事に歌い終わる。

アルバムのタイトル「マザー・スカイ」は、この曲から出て来たように思う。

2020/08/02
春爛漫
9曲目は「春爛漫」である。

ファーストアルバムも最後から2番目に「たんごの節句」が入っているが、
セカンドアルバムも最後から2番目に似たような曲調の「春爛漫」が入っている。
偶然か?いや、そんなことはないだろう。
おそらく、実験的な試みをしてみたかったのではないか?
自分はこういう曲も歌いたいんです・・・みたいな。

ただ、やっぱりちょっとどうかと思ってしまう。
もちろん一定のレベルは越えているが・・・。


2020/08/02
ニューヨークからの手紙
8曲目は「ニューヨークからの手紙」である。

森田はニューヨークへ行ったのだろう。
何となく違和感もあるが、そう理解しないと進まない気がする。
何もかも嫌になって、ニューヨークへ行き、「私を忘れてほしい」と、
そうして旅立ったのだろうか?

メロディーはとても良い。
ただ、森田の気持ちがなぜこのような詞を書かせたのか、わからない。


2020/08/02
男のくせに泣いてくれた
7曲目は「男のくせに泣いてくれた」である。

これは森田の実体験だそうで、高校生だった頃、自分の苦しみを先生に打ち明けたところ、
男の先生だったのに泣いてくれたそうで、感激したようだ。

ただ、そういう体験をこんなふうに曲にできるだろうか?
なかなかできるものではない。
しかもドラマ「高校教師」でも挿入歌として使われたほどの曲に仕上げている。
ドラマヒット時、森田は活動停止していたが、ドラマのヒットにより、シングルCDが発売された。
「ぼくたちの失敗」「男のくせに泣いてくれた」である。オリコン5位までになったそうだ。

2020/08/02
海を見たいと思った
6曲目は「海を見たいと思った」だ。

森田は「夜汽車」が好きだと何かで話していた。
そうだ。夜汽車が好きでない人に「暗い電燈」だとか、
「窓ガラスに もう若くはない ぼくの顔を見た」なんて書けない。

間奏で語る。
「飲めない酒を飲んだ 泣いてみようとしたが 泣けなかった」
クー!詩人だなあ。

2020/08/02
ピラビタール
5曲目は「ピラビタール」だ。

ピラビタールとは、鎮痛剤・鎮静剤の中に入っている
少しだけ気持ちよく眠くなる作用のある薬だそうだ。

こういうのを題名にするって、なかなかできない。
「悲しいときは頬をよせて 淋しい時は 胸を合わせて」
と言ってるけど、そうだったかな?と、考え込んでしまう。

2020/08/02
逆光線
4曲目は「逆光線」だ。
これは昔で言うところの「問題作」だろう。
今、発表していたら「放送禁止」扱いされていたかもしれない。

「安全カミソリがやさしく ぼくの手首を走る」
「静かに ぼくの命は ふきだして」

「手首を切る」ではなく、「手首を走る」として、
「ぼくの血液は ふきだして」ではなく、
「ぼくの命は ふきだして」としている。

しかも切るのは「安全カミソリ」である。「カッター」ではない。
こういうちょっとした表現の違いが、ギリギリ芸術作品にとどめている。

それでも「やさしく発狂する」のは怖い。


2020/08/02
伝書鳩
3曲目は「伝書鳩」だ。

子供が複数で「青い空」「白い雲」と歌っているようだ。
結構ピッタリはまっている。
アレンジャーを調べたら石川鷹彦だった。

「朝の街にぼくの カイキンシャツが飛ぶ」なんて書けない。
「母よぼくの 鳩を撃て」ってどういう意味なんだろう。

でもそんなことはどうでもいい。
気づいたらセカンドアルバムでも、完全に森田童子の世界に引き込まれていた。

2020/08/02
ぼくと観光バスに乗ってみませんか
2曲目は「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」だ。

この曲も森田自身、よくライブで歌っていたようだ。
しかし、「観光バス」に乗ってみませんか?というのが森田らしい。
「ぼくとドライブしてみませんか」ではないのだ。
しかも「トランジスターラジオ」まで出てくる。
あの「ドゥーユーワナダンス」を持ってくるのもいい。

そして、森田お得意の間奏のモノローグ。
「君も一度 気が向いたら たずねて下さい 雅兄」
「雅兄」って何だかわからなかった。
男か男の友人に出す手紙で、敬愛しているというような意味だそうだ。
森田はかなりの文学少女だったと推測される。
それと、「遊びにきて下さい」ではなく「たずねて下さい」なのだ。
ちょっとした違いだが、曲を格調高くしていると思う。

2020/08/02
ぼくたちの失敗
1曲目が「ぼくたちの失敗」だ。
森田の活動停止後の1993年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に使われ、大ヒットした。
テレビで「高校教師」の予告編を何気なく見ていたら、森田童子の曲だったので驚いた記憶がある。
このテレビドラマは大ヒットし、この主題歌を聞いて森田童子を知った若い人がたくさんいたと聞く。

何ともすごい題名だ。「ぼくたちの失敗」なのだ。普通、こんな題名をつけない。
マイナスのイメージが強すぎるからだ。でも、いいのだ。

1曲目に森田が持ってきただけあって、おそらく自信作だったと思う。ピアノもとてもいい。
ファーストシングルは「さよならぼくのともだち」だったが、
セカンドシングルには「ぼくたちの失敗」を持ってきている。

「君のやさしさに 埋もれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ」ときた。
こういうフレーズに人は弱い。「弱虫だったんだヨネ」と認めているのだ。
「だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう」にもやられた。
こんな詞は胸に迫ってくる。

チャーリーパーカーは、アメリカのジャズ アルトサックスの名プレーヤーだそうだが、
残念ながらジャズをあまり聴かない私にはよくわからない。失礼。
森田の彼氏はジャズが好きで、森田も影響を受けたのだろうか?

それにしても「電熱器」って何だかわからない若い人は多いのではないか?
しかもそれをストーブ代わりに使っていたなんて、イメージがつかないかもしれない。

しかし、それがどうした。そんなことはおかまいなしに、ドラマ「高校教師」の主題歌として、
大ヒットしたのだ。
このドラマの脚本家の推薦に、プロデューサーが応じて主題歌として採用されたらしい。

何かふわふわしてどこかに飛んでいきそうな歌い方がこの曲にマッチして絶妙である。
こういう歌い方は森田でないとなかなかできないだろう。

2020/08/02
マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=2枚目 1976年11月21日 森田23歳
森田童子 セカンドアルバムは、ファーストアルバム発売のぴったり1年後に発売された。

レコードジャケットがドキッとする。十字架が砕け散る写真なのだ。
森田の音楽には宗教(キリスト教)を感じさせるところがある。
しかし、宗教ドップリではないことは、このジャケット写真でわかると思う。

ファーストアルバムは素晴らしかったが、セカンドアルバムもなかなかのものだ。
この頃(森田23歳)は湧き出る泉のように名曲が出来上がっていたのではないか?

それにしてもジャケット写真は衝撃だった。

2020/07/31
さよならぼくのともだち
ラスト10曲目が「さよならぼくのともだち」だ。

森田童子の代表曲。
まだ22歳というのになんて大人びた詞を書くのだろうと驚く。
「行ったこともないメキシコの話を 君はクスリが回ってくると」
などという詞を書けるだろうか?

「仲間がパクられた日曜の朝 雨の中をゆがんで走る」
などという詞を若い女性が書けるだろうか?
男でも無理だ。

私はこの曲がずっと頭から離れなかった。


2020/07/31
にわか雨
9曲目は「にわか雨」。
(タイトルの「にわか」は難しい字を使っている。)

さりげない、目立たない曲である。
静かにひとりでいる時に聞くと良さそうなおとなしい曲だ。

しかし、メロディーはなかなかだ。

2020/07/31
たんごの節句
8曲目は「たんごの節句」。

正直に言えば、この曲はこのアルバムのトーンに少し合わないような気がする。
曲は悪くないし、歌声ももちろん良い。(特に最後の「たんごの節句!」がすごい。)
ただ、幼い姉と弟がいっしょにお風呂や川に入るというのが、
ちょっとだけこのアルバムのトーンに合わないと感じてしまう。
(ぜいたくだろうか?そうだ。きっとレベルの高いアルバムを聴いていると更に上を望んでしまうのだろう。)

2020/07/31
淋しい雲
7曲目は「淋しい雲」。

タイトルと曲がなかなか結びつかない。
それよりも驚くのは、アグネスチャンが歌っているように聞こえることだ。
この曲に限って言えば、歌い方が森田らしくない。
・・・といえば批判的に聞こえるかもしれないが、批判しているのではない。
もしろ、森田はこういう歌い方もできたのかと驚かされる。
ひと言で言えば「とてもかわいらしい声」なのだ。
森田はこの歌い方をこの1曲でやめたようだ。
自分の曲のイメージに合わないと判断したのだろうか?
少し残念だ。

ところで、「ミセス・カーマイケル」って誰なのかと思ったら、
昔の海外ドラマの「ルーシーショー」の「ルーシー」のことだそうだ。
そういう名前をさりげなく歌詞に入れるのが森田だ。


2020/07/31
センチメンタル通り
6曲目はセンチメンタル通り。

映画「ジャイアンツ」と言えば「ジェームズディーン」だと思っていたら「ロックハドソン」ときた。
やっぱり森田はただものではない。
そもそも題名が「センチメンタル通り」である。
この時代を見事に描いている。

「みんな夕方になると集まった」の次にまさか「映画館」が来るとは思わなかった。

森田は22歳だが、本物の大人だった。そう思う。そうでなければこんな詞書けない。

個人的に、ひとつ残念に思うのは、冒頭のオートバイの音だ。
この時代のこの曲に合うと思って入れた効果音と思うが、私は不要だったと思う。
5曲目までの雰囲気がちょっと壊されるような気がするからだ。
あくまでも個人的な感想だ。曲そのものの素晴らしさは変わることがない。

2020/07/31
地平線
5曲目は「地平線」。

一体、どうすればこのような歌詞が書けるのだろうか?
素晴らしいのひと言に尽きる。

この曲もライブアルバム(東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤)に入っており、
オープニングを飾っている。このライブアルバムでの「地平線」でもコーラスが良い。
コーラスを聴いているだけでも満足しそうな曲である。
しかもモノローグも良い。森田は詩人だ。


2020/07/31
雨のクロール
4曲目は「雨のクロール」。

美しい名曲である。
このアルバムの「雨のクロール」もいいが、
私は森田のライブアルバム(東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤)の「雨のクロール」が一番好きである。
前奏・間奏でのコーラスが美しく、耳から離れない。

この歌詞は素直に「僕」が男性で、「君」は女性で良いようだ。
「君は花柄のワンピース置いて」と来るものだから、少しドキッとした。
森田は「ワンピース脱いで」とせず、「置いて」としたところが見事だ。
曲の品を落とさず、名曲に仕上げた。

森田は「泳ぐ」=「クロール」と決まっているようだ。
アルバム夜想曲の「船が来るぞ」でも「クロール クロール」と歌っている。

短い曲だが、本当に素晴らしい。森田の代表曲のひとつである。

2020/07/31
まぶしい夏
3曲目は「まぶしい夏」。

タイトルだけではわからないが、曲を聴くと森田は「太宰治」が好きだったと推測される。
いきなり「玉川上水」が出てきて、「太宰の好きな君」が出てくる。
「君から借りた太宰の本は、寂しい形見になりました」とダメ押しが来る。
(アルバムのタイトルが「GOOD BYE」である!)

森田20歳のときの友人の死がきっかけで歌を歌い始めたようだが、これはその友人のことかと想像する。
仮にそうだとすれば、そんな衝撃的な出来事をこんな美しくもはかない曲に仕上げる森田。
唸るしかない。

森田は「汗をかく」「汗ばんだ」といった「汗」を歌詞にすることが好きなようである。
(「さよならぼくのともだち」にも汗が出てくる)

2020/07/31
君は変わっちゃったネ
2曲目は「君は変わっちゃったネ」。

森田はこの曲を気に入っていた模様で、ライブでよく歌っていたようだ。
もちろん私もお気に入りの曲だ。

歌詞は素直に自分が子供っぽいのに、君は大人になったと書いている。
後に森田唯一のライブアルバムでは、間奏のモノローグが効果的である。

素直な詞であるが、メロディーが良いものだから、忘れられない曲になる。
そう。森田は言うまでもないが才能豊かなシンガーソングライターだった。

2020/07/31
早春にて
1曲目の「早春にて」は、森田童子の魅力満載である。
歌声、メロディー、歌詞、なかなかのものである。

森田は女性(だろう)と思っていたが、歌詞を聴いていると、
「君」が女性のようで違うようで、「僕」は男性のようでそうでない。
後日、わかったことだが、森田は自分を「僕」と表現しているようなのだ。
女性が「僕」と言うと不思議な魅力を感じる。

間奏でモノローグが入るが、これが何とも言えずいい。
「もうすぐそこに夏が来ています」なんて、いい。

森田の歌詞は比較的短いのだが、不思議なことに短く感じない。

エンディングの効果音は飛行機の離陸する音のようだが、
最初、何で飛行機の離陸音なのかわからなかった。
しばらくして、彼は飛行機で故郷へ帰ったのだろうと推測できた。
あの頃、飛行機は高額であまり利用できなかったから、ピンとこなかった。
「飛行機の離陸する音を入れてください」と森田は言ったのだろうか?
いや、私にはそんなことを言うとは思えない。任せたのではないかと思う。

2020/07/31
GOOD BYE 1枚目のオリジナルアルバム1975年11月21日発売(森田22歳)
森田童子のファーストアルバム「GOOD BYE」は、森田22歳の時に発売された。
私は森田よりも5歳年下だから、私が17歳の時にラジオの深夜放送で「さよならぼくのともだち」を聴いたと思う。
このファーストアルバムが素晴らしい。名曲ぞろいである。
わずか22歳でこれだけの曲を書けるのだから、相当な才能である。

私は東京で4年間、大学生をやっていた。「いつか森田童子のコンサートに行こう」と思っていたが、
結局、行かないまま卒業し、故郷に戻ってしまった。後悔している。
あの4年間で、何としてでも行くべきだった。おそらく一生後悔して生きていくと思う。

2020/07/29
森田童子の世界

もう40年以上前のことです。東京の大学進学に向けての受験勉強中、ラジオの深夜放送を聴いておりました。
そこで流れてきたのが「さよならぼくのともだち」でした。とにかく引き込まれたことを覚えています。
魅力的な歌声でしたし、繰り返す「さよならぼくのともだち」が良かったし、まだ見ぬ大学生の生活が
ぼんやり浮かんだような気がしました。

「弱虫でやさしい静かな君」というのは「つまらないダメな人間」と思っていましたが、「ぼくはとっても好きだった」
と歌われ、「この人、誰なんだ?いいな!」と思いました。

これが私の森田童子との出会いです。当時は、どんな人が歌っているのか、情報もありませんでした。

12. 中川隆[-8588] koaQ7Jey 2021年1月05日 02:27:20 : FULbsDkRs2 : ZWhRdW00Ni9sWUk=[58] 報告

ロフト創業者が見たライブハウス50年
フラッと現れた森田童子の暗くて沈んだ歌声に恋心を抱いた
公開日:2020/12/07 06:00 更新日:2020/12/07 06:00
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/282135


森田童子の1枚目のオリジナル・アルバム「GOOD BYE グッドバイ」

 新型コロナに翻弄された2020年も12月を迎えた。ライブは<密>を避けて<配信>というスタイルに変わり、演者とファンとの間に存在していた<濃密なつながり>は分断され、音楽を熱く実体験することができなくなった。コロナ禍はいつ収束するのか? 先が見えない。夜中に一人で酒を飲みながら、森田童子の悲しい調べに身を委ねる。青春時代の思い出が走馬灯のようによぎる。あれは……本気の恋だったのだろうか?

 1973年の秋というよりも、夏の終わりと言った方がいいかもしれない。その年の6月に西荻窪ロフトが北口商店街の一角にオープンした。秋口に入っても残暑が厳しく、店前の(東京)女子大通りの打ち水が、キラキラと光り輝いていた。


 森田童子がふらっと現れて「すいません、私もここで歌えますか?」と聞いてきた。彼女のトレードマークとなったサングラスも掛けてなかったし、クルクルのカーリーヘアでもなかった。まるで少女のようだった。

売れていない歌い手が売り込みに行く際、さすがに真っ黒のサングラスはないだろう――ということだろうが、彼女の素顔を見たのは、この時が最初で最後だったような気がしてならない。

 手渡された一本のテープを聞いた瞬間、大きな衝撃が脳天を突き抜けるように走った。「なんて暗い歌なんだ!」。そう思いながら、じっくり歌詞を読み込むと<あの政治の季節>が、まざまざと思い出された。私たちが遮二無二に闘ってきた「大学闘争時代の挫折」をこれでもか! これでもか! と突き付けられた。「どうして彼女は挫折した者にしか分からない心情を歌詞にして歌えるのか?」。不思議でしょうがなかった。同時に大きな好奇心が芽生えた。

 学園紛争で高校を中退し、72年の友人の死をきっかけに自作自演で歌い始めたというが、それにしても<革命を叫びながら機動隊にやみくもに突撃していった>私自身の全共闘運動時代の原風景を想起させる歌に「この少女の過去に何があったのだろうか?」と思わないではいられなかった。

暗くて、そして沈んだ歌声。そう言われていたが、個人的にはちょっと違う。あくまで<あの独特の雰囲気>が、そう思わせたのだろう。後で知ったが、恋人が学生運動中に自殺したという。

 彼女は、いつもロフトのステージの上で涙を流しながら歌っていた。


 私は、森田童子に恋心を抱いていた。


▲△▽▼


「高校教師」の森田童子死去 「ロフト」オーナーが語る謎の素顔
太田サトル2018.6.21
https://dot.asahi.com/wa/2018062000015.html?page=1

本名も素顔も、謎の多いアーティストだった(※写真はイメージ)

 1993年放送のドラマ「高校教師」の主題歌「ぼくたちの失敗」などで知られるシンガー・ソングライターの森田童子さんが、心不全のため4月24日に亡くなっていたことがわかった。65歳だった。デビューは75年。森田さんをデビュー前から83年末の活動休止まで約10年間見守った、ライブハウス「ロフト」グループのオーナー、平野悠さんが振り返る。

「ここで歌えるんですか?」

 まだ20歳ぐらいだった彼女が、デモテープを手に、平野さんの前に現れた。テープを受け取っただけで、そのときの印象はあまり覚えていないそうだ。

「テープを聴いて、その声質とリアリティーのある詞に、ぶっ飛びました。しかし、当時の音楽状況の中で、これがウケるとは思えませんでした」

 平野さんが言うには、当時は日本のロックが一気に市民権を得た時代。

「これからはロックだという時代に、太宰がどうしたとか、誰かが死んだとかいうようなことを、いつもボロボロ泣きながら、顔じゅう涙で濡らしながら歌ってたんです。友達が学生運動の最中に倒れて死んだ。そのひとのことを歌いたくて始めたんだということをよく言ってました」

 そんな彼女の歌に惹きつけられた若者が、ロフトに足を運んだ。

「コートの襟立てて、ボロボロのズボンはいて、だいたい一人で……。自分の生きる意味がわからない、うまく生きられない、行き場を失った若者が救いを求めるように集う場所でした」

 本名も素顔も、謎の多いアーティストだった。

「決して寡黙ではないけど、自分のことについては、絶対に話しませんでした。服装も、黒ずくめ以外見たことなかったですね」

 83年末の新宿ロフトでのコンサートが、表舞台に姿を現した最後だったと平野さんは振り返る。活動休止から10年後、ドラマであらためて脚光を浴びた当時も、一度も彼女は表舞台に姿を現さなかった。

「『私は専業主婦です。もう人前に出て歌うことはありません』と言い、ステージに出なかった。彼女の美学だよね」

(本誌・太田サトル)

※週刊朝日 2018年6月29日号

https://dot.asahi.com/wa/2018062000015.html?page=1


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ロフト創業者が見たライブハウス50年
「ワラシ」森田童子の引退ライブは葬式のように静かだった
公開日:2020/12/21 06:00 更新日:2020/12/21 06:00
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/282780


ロフト発行の刊行物「ルーフトップ」/(提供:ロフトプロジェクト)

 1983年12月。森田童子は新宿ロフトでのライブを最後に引退した。その10年前の73年。彼女は西荻窪ロフトで初めてライブハウスのステージに立った。今でもファンたちは、西荻窪ロフトを「聖地」と呼んでいると聞いた。私が、デビューから引退までを見届けた唯一のミュージシャンとなった彼女は2018年4月、静かに65歳の生涯を閉じた。

 私が「ワラシ」と呼んだ森田童子は、とても不思議な女性だった。リハーサルを終え、本番までの間に西荻窪ロフトの隣の喫茶店に行き、2人でおしゃべりすることがあった。

 一緒にアルコールを飲んだことは一度もないから……飲めなかったのだろう。定かではないが。

 いつも彼女にこう問うた。「君の歌を聴いているとそれなりに想像はつくが、君の過去に一体何があったんだ?」。いつもニコニコするばかりでワラシは、何も答えようとはしなかった。政治的な話もしなかった。彼女の心情は、ステージから類推するしかなかった。

それでも少しずつ、口を開いてくれるようになった。マネジャーの話題になったことがある。

 後に彼女のダンナとなるマネジャーのMさんとレコード会社は「明るくて万人受けする曲」を作ってメジャーの仲間入りを狙っていたが、ワラシはかたくなだった。


 新宿ロフトでの引退ライブ。初期の曲をメインに選び、いつものように客席は静かだった。

 彼女が「この曲を最後に歌手生活に終わりを告げることにします」と話しても、店内はまるで葬式のようにシーンとしていた。選曲自体、最後のこだわりだったと思う。

 ライブの後、いつものようにレコード即売会を開いた。ファンの差し出すレコードすべてに長いメッセージを丁寧に書き込んでいた。これも見慣れた光景だった。

 亡くなる前年の17年のころから体調を崩し、入退院を繰り返していたと聞いた。76年リリースの「ぼくたちの失敗」が93年にテレビドラマのテーマ曲に採用され、瞬く間に100万枚の大ヒットになっても、ワラシは素顔も本名も明かさず、ひっそりと生きていた。

 森田童子の歌声はか細く、柔らかく、幻想的だった。彼女がステージで流す涙が、あまり話題にならなかったのは、ステージの暗く落とした照明のせいだったのか……。



▲△▽▼


ロフト創業者が見たライブハウス50年
森田童子の引退10年後「ぼくたちの失敗」がミリオンセラー
公開日:2020/12/14 06:00 更新日:2020/12/14 06:00
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/282456


 1973年に西荻窪ロフトでライブハウスデビューを果たした森田童子は、10年後の83年12月に新宿ロフトのステージに立ち、これを最後に引退した。さらに10年後。彼女の旧作「ぼくたちの失敗(76年)」のCDが、100万枚に迫る大ヒットを記録した。TBS系の金曜ドラマ「高校教師」(93年1〜3月放映)の主題歌に採用されたのだ。

 当時のテレビドラマの主題歌は、大半がレコード会社とのタイアップだった。


 ところが「高校教師」の脚本を書いた野島伸司さんはタイアップを断固拒否。一部狂信的ファンはいたが、まだ無名の存在でしかなかった歌い手の曲を採用した。

 新たにベスト盤が発売され、オリジナルアルバム7枚がCDで再発売された。森田童子の再デビューを期待する声が湧き上がり、中には「古巣のロフトで彼女のライブが実現したら凄いことになりますね」と言ってくる人もいた。が、彼女はかたくなに再デビューに背を向け、その素顔をさらすことはなかった。

彼女は、私が恋心さえ抱いた最初で最後の女性ミュージシャンだった。

 ロフトのステージで森田童子は、決して上手じゃなかったギターを弾きながら、ボロボロと涙を流しながら歌っていた。


 客席には小汚いジーパンをはき、ヨレヨレのコートの襟を立て、小脇に文庫本を抱える<孤独でネクラな雰囲気を醸し出している男>ばかり。

 ライブ中、いつも会場はシーンとしていた。

 あの狂おしい政治の季節が終わり、世間は<可愛らしい夢><小さな幸せ><素晴らしき人生>を渇望していた。彼女は<憂鬱><絶望><孤独><自殺>といったキーワードを掲げた曲を愚直に歌い続けた。挫折感に打ちひしがれ、時代に置いていかれる焦燥感にさいなまれた<学生運動崩れ>の男性ファンは、森田童子の世界観にグイグイ引きずり込まれた。

暗くて沈んだ歌声と評されるが、か細くて透明感のある歌声だったと私自身は思っている。

 67年の羽田闘争で京大生・山崎博昭さんが命を落としたことを契機に高校生だった彼女は学生運動に深入りし、そして恋人だった大学生のO氏が自殺してしまう……。


 80年代に入るとメッセージソングは絶滅危惧種となり、ロフトのブッキング担当者に「森田童子なんか入れたら業界の笑いものになります」と言われ、絶句したことを鮮明に思い出す。

 ♪地下のジャズ喫茶 変われないぼくたちがいた 悪い夢のように時がなぜてゆく だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう 春のこもれ陽の中で 君のやさしさに埋もれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ♪

平野悠「ロフト」創業者
1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。

13. 中川隆[-8579] koaQ7Jey 2021年1月05日 11:57:30 : KoPkAW14ZU : NHlneEhGcUs5OFk=[3] 報告

464伝説の名無しさん2018/09/14(金) 01:19:36.33

森田童子は、コンサートやラジオ出演で歌うとき、曲の前に語りを入れてから歌に入ったり、曲の間奏の時に詩を朗読するような語りを入れたりしていた。

「ぼくたちの失敗」を歌う前には

「仲間が何人も申し合わせたように,規則正しく集まって来る喫茶店があった。

いつもアメリカへ行く事ばかり夢みている男,へたくそな自称詩人,売れない役者,映画青年,競馬新聞ばかり見ている退屈な男達,

それは遊園地のメリーゴーランドの様に騒々しく陽気でまた淋しいものでした。」

と語ってから歌が始まりました。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/legend/1533661210/

ジッタンボーレ・ヘンコッチョ伯爵さん 2007/4/18 23:55
森田童子の「ぼくたちの失敗」の歌詞の中で、

『あの子はまだ元気かい』

という一節がありますが、「まだ元気か」というのは、
2人の間に出来た子供が不治の病にでもとりつかれていたという事ですか?
それとも、『付き合い始めたあの子とはまだ元気に付き合っているの?』という意味ですか?

それにしても、「昔の話だね。」というのはずいぶんひどいような気がします。・・・・・????


ベストアンサー bou********さん 2007/4/19 18:28
「ぼく」って女の子が自分のことを言っているんですよね。
「きみ」は付き合ってたカレ。よって「あのこ」は、カレの新しいカノジョ。

<ボーイッシュなキャラ>が森田童子。
当時は自分を「ぼく」っていう女の子は、ぽつぽつといました。

やさしくしてくれる彼に甘えて(大丈夫だろうと思い、なにもできずに)あの子に彼を取られてしまった、
自虐的ナルシズムな少女の歌です。昔の純少女マンガの世界です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411356829


東京新聞夕刊 昭和51年5月31日より
「高校時代にサイモンとガーファンクルのLPを聴いて、わたしも歌を作りたくなったんです。僕と君という対話のことばが何かやさしくて思いやりがあっていいなと思った。


icoさん 2015/6/13 16:59
現在60歳以上のの女性が"僕"という一人称を使う(人がいる)のはどういうことが理由として考えられますか?

というか吉田美奈子と森田童子の一人称が"僕"らしいのですが、その二人が僕という一人称を使うのは時代的な要因は考えられるのでしょうか?

その二名は1953年生まれと1952年生まれで年代も似てますし、そこらへんの時代では僕という一人称を女性が使うのも特に変ではなかったみたいな感じだったのでしょうか?それとも当時ものすごい「僕っ子(娘)」の漫画が流行してそれに影響されて一人称が"僕"になった女性がすごくたくさんいたとか・・・?それともなんか当時はほぼ朝鮮戦争とかベトナム戦争とかがあったりで、規律を教えられるために"僕"で男も女も矯正されたとか・・・なんかそれっぽい理由ありますか?僕女の歴史が気になります


ベストアンサー you********さん 2015/6/14 11:19
昔から新しがりの女学生が使ってたそうです

大正時代の女子学習院で君僕が流行ったそうですし昭和8年の石原洋次郎の若い人と言う小説に函館の女学生が自分の事をボクと言つてます

著者は女学校の先生だったので本当の事でしょう

女が君僕、男がおねえ言葉

平和です
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13146667688


森田は女性(だろう)と思っていたが、歌詞を聴いていると、
「君」が女性のようで違うようで、「僕」は男性のようでそうでない。
後日、わかったことだが、森田は自分を「僕」と表現しているようなのだ。
女性が「僕」と言うと不思議な魅力を感じる。

間奏に森田が言う。
「あの頃、井の頭線の線路沿いのアパートに、君と暮らし始めた。
何もない無力なぼくは、ただ君を愛すことしか知らなかった」
https://11146484morita.blog.fc2.com/


後に森田童子として歌い始める若い女性が、アパートの一室で、自殺を図って睡眠薬を飲んだ友人、あるいは恋人を看病している。
http://www.gogorocket.jp/doji/h/dengon/m-deng9.html


ぴよにんじんさん 2010/10/7 1:06
森田童子のぼくたちの失敗について・・・ 歌詞の意味は分かりますか?一体、何を失敗したのですか?

ベストアンサー h_d********さん 2010/10/7 2:55
森田童子は友人の死を切っ掛けに歌い始めた人です。そして、その友人の死には学生運動(全共闘運動)が大きく関わっており、彼女も少なからず関わっていたと推測されます。この曲に登場する「君」がその友人で「僕」が森田童子。運動に敗北し「君」が死に「僕」は志も友人も失ってだめになってしまった。そんな内容の歌詞だと思いますので、生き方を「失敗」したのだと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1148245361


ken********さん 2007/4/12 17:36
森田童子さんの「僕たちの失敗」の歌詞を解読できる方いますか?
歌というのは理解とかではなく、感じるものだということは解かっているんですが、ここの歌詞はこう思うとか解かる人お願いします。


ベストアンサー jan********さん 2007/4/12 18:02
あくまでも個人的な解釈ですが。
この歌がリリースされたのは、1976年です。
60年代後半の全共闘など、日本は高度成長時代の歪みを抱え、
不安定な時代になっていました。

全共闘の時代を学生として過ごした面々も、結局は社会に取り込まれ、せかせかと働き個を消されていく。モラトリアムや、大人社会に埋もれる無力感が若者の間に蔓延した時代でありました。

森田童子さんが歌を歌いだしたきっかけは、自分の友人が亡くなったことだそうで、歌詞中には、歌詞上の主人公を見守る親友が描かれていることが多いです。この歌にも、主人公とその親友が描かれています。

「ぼくたちの失敗」は、サラリーマンとしての生き方になじめず、ジャズ喫茶などに入り浸っていた若者たちが、いつしか住む世界を変え、社会の荒波の中で自分を見失ったとき、ふと過去の出来事を思い出す姿を描いているのだと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311300653?query=%E5%83%95%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%A4%B1%E6%95%97%20%E6%AD%8C%E8%A9%9E

14. 中川隆[-8578] koaQ7Jey 2021年1月05日 12:05:01 : KoPkAW14ZU : NHlneEhGcUs5OFk=[4] 報告
2020-03-26
女性アイドル・女性アーティストの歌詞で一人称「僕」が多い理由を分析してみた
https://www.ongakunojouhou.com/entry/2020/03/26/231008


女性アイドルソングに多い一人称「僕」

先日このような記事を見つけた。


2020-03-23
アイドルソングの一人称「僕」の曲、あんまり俺をなめるな
https://www.kansou-blog.jp/entry/2020/03/23/174630

女性アイドルソングよく聴くんですけど、一人称「僕」の曲、あんまり俺をなめるな。

誰が教室の隅っこだ?誰が透明人間だ?誰が想いを伝えられないだ?

お、俺はな、友達だっているし、話題の中心になることもあるし、周りの大人とも上手くやってるし、好きな女子には「好き」って言えるんだよ。一緒にするな。決めつけるな。勝手に俺を代弁するな。

大前提としてそもそも女のアイドルソングにおける歌詞の主人公の「僕率」が異常に高すぎるだろ。美少女にさえない男の心情歌わせるのとかなんのプレイだオイ。特に秋元康の書く「僕」、マジでいい加減にしろ。

例えば『乃木坂46』、ざっと調べたけどな、全180曲中、一人称『私』55曲、『一人称なし』39曲、『俺』2曲、

『僕』…84曲

なんなんだよこのアホみたいな数は。もういいだろ。そろそろ書くことねぇだろ。いつまで同じこと歌ってんだよ。なにがハラワタ煮えくり返るって、「僕」の野郎、全然成長してねぇんだよ。曲中の9割が恋、成就してねぇ。それどころか、曲によっては「僕」と「君」は友達関係ですらねぇ。遠くから「君」を眺めてるだけ。

「誰も気付いてくれなかった僕のことを君だけが見つけてくれた…」

「君の笑顔でモノクロだった僕の世界が色づき始めた…」

「僕には話しかける勇気もない…でもそれでいいんだ…」

もう一度言う「なめるな」

まず、「僕」の外見のイメージがもれなくガリヒョロの文化系なのいい加減にしろ。なんでいっつも『桐島、部活辞めるってよ』の神木隆之介みたいなのが主人公なんだよ。ハイスペックすぎるだろ。あんな「キレイな陰キャ」がこの世に存在するかよ。現実はギットギトのベッタベタ、陰キャの9割が風呂に親殺されてますから。

で、すぐ惚れるだろ?一発話しかけられただけで「おはよう」だけで好きなるだろコイツ。そのくせなにをするわけでもなく言い訳に走る臆病者。

僕「いや…君がたとえ振り向いてくれなくても僕の人生において君という光があっただけでもじゅうぶん幸せで…」

うるっっっせェエエエなァァアアア!!!!!ウジウジウジウジごたく並べやがって、一回でもテメェから「おはよう」って言ったことあんのか?そのしょうもねぇ受け身根性いつまでやってんだ?

そのくせ、「行く!」って決めたら急に行くのなんなんだよ。なんで0か100なんだよ。「僕は脇目も振らずに君のもとへ走り出す」とか言って暴走しやがって。エヴァ初号機かお前?

いま告っても100億パーセントフラれるだけだろうが。いやフラれるだけじゃ済まねえぞ、「お前以外が入ってるクラスのグループライン」で一瞬でバラされるからな。そうなったら地獄坂46のはじまりだぞ?なのになんで止まらねぇんだよ、勝手にかっぱえびせんやってんじゃねぇよ。

いいか?お前が大大大好きな「君」は、お前だけの君じゃねぇんだよ。お前と違って君は男女問わずめちゃくちゃ友達多いし、それなりに恋愛もしてきた。このままいけば高3の体育祭から付き合い始めたサッカー部のハヤトとそのままゴールインするだけなんだよ。

冷静になれや、あの「おはよう」はただの「おはよう」なんだよ、それ以上でも以下でもねぇ。ただの気まぐれなんだよ。「僕を見つけてくれた…」じゃねぇんだよ。ヘタしたら名前すら覚えられてないからなお前。「僕」と「君」の関係はなにひとつ始まってねぇんだよ。なのになんでイケると思ったんだよ?

僕「いや…別に付き合いたいとかそういうわけじゃないんだ…僕はただ自分の気持ちを君に素直に伝えたい…ただそれだけ…」

黙れ。二度と口開くなお前は。

勝ち目ねぇ勝負挑むのは美学じゃねぇ、ただのバカだ。なんにも努力しねぇでテメェの想いだけ伝えても相手が迷惑するだけだ。テロとなんも変わらねぇ。相手が天使だっていうんならそれなりの格好とそれなり覚悟を持てバカタレ。

まず、そのボサボサの髪型なんとかしろ。ワックス買え。ウーノのクソ安いやつでいいから買え。そのカサカサの肌もどうにかしろ。ニベアの青缶300円くらいで売ってるから。顔洗ったあとそれ全身に塗れ。とにかく相手にイヤな思いはさせるな。

あと毎朝「おはよう」の練習100回しろ。ボイスメモで自分の声聴け。最初は想像の10億倍キモい。でも大丈夫だ。聴いてるうちに自分の声にも慣れるし上手く話せるようになるから。絶対大丈夫。

そして自然に喋れるようになったら好きな子の好きなモノに触れてみろ。好きなドラマ、好きな音楽、なんでもいい。お前は流行りのドラマとか曲ダセェって思ってるかもしれねぇけど、「好きな子が好きなモノ」って思ったら100億倍素晴らしいものに思えるから。それで仮に自分が好きになれなくても絶対に否定はするな。相手に受け入れてほしかったらお前から受け入れろ。そしたら相手もお前のことを受け入れてくれるはずだ。

それを経て、彼女も他に好きな人いないし、お前の言ったくだらない冗談でも笑ってくれるし、ライン送ってもちゃんと向こうから「?」終わりのメッセージが来ることを確認したのちに、告白しろ。

回りくどいことはなにも言うな。それで何回人生失敗してきた?一言だけでいい、ただ一言

「好きです、付き合ってください」

これだけ言え。まっすぐ目を見て言え。

それができたらお前は最高だ…カラを破ったお前は無敵…誰もお前を笑う奴なんかいない…もうお前はアイドルソングの「僕」じゃない、湘南乃風の「俺」だよ…

そしたら彼女のほう見てみろ…?

「えっ…そんなつもりなかったんだけど…勘違いさせたなら…ごめんね…」

って顔するから…俺の名は絶望
https://www.kansou-blog.jp/entry/2020/03/23/174630


ネタ記事なので内容にツッコもうとは思わない。ユーモアがあって面白い内容だと思う。

ただ女性アイドルソングは一人称が「僕」であることが多いことを、ふと疑問に感じた。その理由について興味を持ってしまったので、分析してみることにした。

特に秋元康が書くアイドルソングは一人称「僕」が多い。正確な情報源は不明だがその理由を聞いたことがある。

男性がカラオケで歌いやすいことや、ファンの多数を締める男性が歌に感情移入しやすいためなどの理由があるらしい。これは正確な情報かは不明だが、納得できる理由ではある。

歌の主人公のキャラクターをわかりやすくするためという理由もあるかもしれない。

「僕」「俺」「わたし」「うち」など様々な一人称があるが、それを変えるだけでイメージが変わる。一般的には「僕」は男性が使うことが多く「私」は女性が使うことが多い。主人公の性別を一人称の変化でリスナーに伝えている面も大きい。

しかし他にも理由があるのではと思う。それに女性アイドルだけでなく、女性アーティストも一人称が「僕」の曲は多い。

これには複数の理由があり「僕」を使う必要性があるのかもしれない。

40年以上前から女性歌手は「僕」を使っていた

1975年に森田童子は『さよならぼくのともだち』でデビューした。楽曲自体は1970年には存在していた曲で、歌詞の一人称は「僕」である。

さよならぼくのともだち
森田童子

一人称が「ぼく」の曲が森田童子は多い。ドラマ主題歌になった代表曲もタイトルは『ぼくたちの失敗』だ。タイトルに「ぼく」が含まれる曲も多いのだ。

『男のくせに泣いてくれた』では「わたし」が一人称だがほとんどの曲の一人称が「ぼく」。40年前から女性歌手も「僕」を違和感なく使用していた。

空と君のあいだに
中島みゆき

中島みゆきは79年に発表した『僕は青い鳥』などで一人称を『僕』にしている。90年代に発売した代表曲『空と君のあいだに』も一人称は僕だ。日本を代表する有名シンガーソングライターも当たり前のように一人称に「僕」を使っている。

Voyage
浜崎あゆみ

2000年代をすぎると「僕」はより自然と使われるようになった。

社会現象と言えるほどのヒットを連発していた浜崎あゆみも代表曲の『Voyage』などで「僕」を使っている。また『M』や『Dearest』では一人称が使われていない。

Every Little Thingも「僕」を使う歌詞が多い。そして一人称を使わない歌詞も多い。『恋文』や『またあした』の一人称は「僕」だが『fragile』や『Time goes by』は一人称がない。

浜崎あゆみもELTも「私」を一人称に使っている曲もあるが、あまり使わないようにと避けているようにも感じた。その手段の一つとして「僕」を使ったり一人称を使わない歌詞を書いているように思う。

これにも理由があるはずだ。



「私」はメロディに乗せずらい

ほとんどの日本の大衆音楽は洋楽の影響を受けている。基本的には英語圏の音楽を取り入れたものが日本の主流になっている。

つまり元々は英語を乗せやすいメロディの楽曲が多いので、日本語をメロディに乗せづらいのだ。

英語詞は一つの音符に対して一つの単語を乗せることが容易だ。しかし日本語は一つの音符に対して一つの文字を乗せる場合が多い。日本語の発音では一つの音符に対して一つの単語を乗せることが難しい。

桑田佳祐のように日本語を英語的な発音にして歌ったりと工夫をするアーティストもいるが、それは例外だ。だから少ない文字数で出来る限りの情報を乗せることが重要になってくる。

「ぼく」なら2文字だが「わたし」だと3文字になってしまう。自分を含めた複数人の場合は「ぼくら」「ぼくたち」とさらに長くなる。

「わたしら」「わたしたち」では一人称として使うには長すぎる。「わたしら」は一般的には「ぼくら」よりも日常的に使われることが少ないので、歌詞として使うなら「わたしたち」になってしまう。一人称に5文字も使うことは特殊な事情がない限りはメロディに乗せることが難しい。

逆に二人称も「あなた」よりも「きみ」を使われる歌詞が多い。これも文字数が関係しているのかもしれない。

つまり「わたし」ではメロディに乗せづらいため女性歌手も「僕」を使う場合が多く、「わたし」を避けて一人称を使わない歌詞を書くことが多いのかもしれない。

ちなみに秋元康が書いたおニャン子クラブの歌詞は一人称がない曲が多い。AKBや坂道グループと違い女性目線の曲が多いからだ。秋元康も「わたし」はメロディに乗せづらいので避けていたのかもしれない。

歌詞を先に書く女性アーティストは「わたし」と「あなた」を使う

「僕」を使うことが極端に少ない女性アーティストもいる。

aiko、鬼束ちひろ、SHISHAMOだ。この3組は一人称が「わたし」であることが多い。

花火
aiko

aikoは『カブトムシ』『ボーイフレンド』『花火』と大ヒットした代表曲は全て一人称は「あたし」で二人称は「あなた」だ。『ハナガサイタ』のように例外もあるが、「あたし」と「あなた」を使うことがaikoの特徴に思う。

月光
鬼束ちひろ

鬼束ちひろは「私」と「貴方」を一人称に使うことが多い。『月光』『流星群』『私とワルツを』と代表曲を含むほとんどの楽曲が当てはまる。『Sign』では「僕」と「君」を使っているが、例外として捉えていいかと思う。

君と夏フェス
SHISHAMO

SHISHAMOはフィクションの物語を書く手法で作られた歌詞も多い。『量産型彼氏』や『明日も』などは物語を作るように書かれた歌詞だと思う。そのためSHISHAMOの歌詞には「僕」も「私」も「君」も「あなた」も出てくる。

しかし『君と夏フェス』のようにメンバーと等身大の主人公の場合や、『熱帯夜』のように感情の動きを歌っている楽曲の多くは「私」と「君」を使っている。

この3組には共通点がある。

それは「曲よりも先に歌詞を書くアーティスト」であることだ。

曲を先に制作すると、歌詞は曲のメロディに合わせて書くことになる。そのためメロディに合うように歌詞を調整したり変更する必要が出てくる。その場合は文字数が多い「わたし」「あなた」は使いづらい。「僕」にするか思い切って一人称をなくした歌詞の方が書きやすいのだ。

しかし歌詞から先に書くのならば、文字数を気にする必要はない。歌詞に合わせて曲を書いて、メロディを当てはめればいいのだから。

そのため作詞者が日常的に使うことが多い一人称の「わたし」を使っているのかもしれない。その方が自分らしい表現ができる。あえて「僕」を使う必要がないのだ。

そう考えると秋元康も普段から「僕」を一人称に使っているので、歌詞の一人称に「僕」を使うことが多いのかもしれない・・・・・・。

「僕」か「私」かなんて、どうでもいい

一般的に一人称が「僕」だと男性が、「私」が一人称だと女性が主人公だと思いがちだ。しかしそれも変わりつつある。むしろ変えていった方が良いのかもしれない。

コレサワ:『たばこ』は、失恋して以降、家に閉じ籠もってしまったちょっと気持ちがくよくよしている女の子が主人公です。『たばこ』を発表して以降のリアクションは凄く驚きました。

とくに、カバーしてくれる人が多いのには、私もビックリです。自分の元から離れ、それぞれみんな自由に自分らしい歌い方で表現してくれているのも嬉しいことです。

中には、"君"と"僕"という言葉からボーイズラブ風に自分の好きなキャラに見立て、「なんか、ヤバい」と想像を掻き立てながら聞いてくれてる人もいるように、そういう解釈って面白いなと思います。

(引用:【インタビュー】全女子のミカタ、コレサワ先生の歌詞が本当に”わかりみが深い”)
https://utaten.com/specialArticle/index/1961?page=2

コレサワの代表曲『たばこ』の主人公は女性だ。しかし一人称は「僕」を使っている。そのためファンからも様々な解釈がされているようだ。

たばこ
コレサワ

「男=僕」で「女=私」という認識が古い考えかもしれない。最上もがも元ゆるめるモ!のあのちゃんも一人称は「僕」だ。一人称は自由で構わない。

英語の一人称は性別関係なく共通している。日本語は様々な一人称があり「男性が使う一人称」「女性が使う一人称」と自然と分かれている部分がある。

それによって日本語詞は深い表現ができるようになったし、一人称を変えることで奥行きのある魅力的な表現の歌詞を生み出せたと思う。

しかし女性でも「僕」を使いたい人もいるし、男性でも「私」を使いたい人もいる。

一人称が「僕」だから主人公は男と決めつけることも、「私」だから女性と決めつけることも誤りかもしれない。

今までは一人称の違いで歌詞の意味を変化させていたが、これからの時代はもう一歩先の表現が必要になってくるのかもしれない。

コレサワの『たばこ』の一人称が「僕」でありつつも主人公は女性であったように、一人称で主人公の性別を決めることができないが増えるかもしれない。それでも名曲を作れることはコレサワが証明した。それによって新しい表現も生まれるはずだ。

好きな一人称を使えばいい。

メロディに乗せやすいからという理由で「僕」を使うのも問題ない。メロディに乗せずらくても「私」を使っても問題ない。性別関係なく一人称なんて好きなものを使って歌詞を書けばいい。普段の生活も好きな一人称を使えばいい。

もしかしたら「僕」と「私」に感じる固定概念をぶち壊したら、さらに深くて魅力的な歌詞が生まれるかもしれない。

秋元康には「僕」を使わせるべき

しかし秋元康には一人称を「僕」にした歌詞を書かせるべきだ。女性目線ではなく男性目線の歌詞をかかせるべきだ。

秋元康が作詞を行った、なこみく&めるみお(HKT48)の『アインシュタインよりディアナ・アグロン』という楽曲がある。この歌詞を見て驚いた。

女の子は
可愛くなきゃね
学生時代は
おバカでいい
今 一番 大切なことは そう
キャピキャピと
音が聴こえることでしょう?

世の中のジョーシキ 何も知らなくても
メイク上手ならいい
ニュースなんか興味ないし
たいていのこと
誰かに助けてもらえばいい

女の子は
恋が仕事よ
ママになるまで
子供でいい
それよりも重要なことは そう
スベスベの
お肌を保つことでしょう?

(なこみく&めるみお(HKT48) / アインシュタインよりディアナ・アグロン)

もしかしたら高田渡『自衛隊に入ろう』のように社会への皮肉を込めた歌詞かもしれないが、個人的にはアウトだと思う。

歌っている本人達の作詞による本人たちの意思での歌唱ならば話は変わってくるかもしれないが、プロデュースしている女性アイドルに”歌わせる”内容ではない。

秋元康のビジネスセンスは天才だと思っているし、良い歌詞もいくつも書いていると思う。例えば乃木坂46『君の名は希望』や『サヨナラの意味』は良い歌詞だ。

しかし女性目線の歌詞を書かせると、誰かを傷つける歌詞を書いてしまうかもしれない。

表現は守られるべきものだと思う。しかし超えてはいけないラインがある。それを無意識に超えてしまう人もいる。

その超えてはいけないラインを意識しつつ作品を作るべきだ。それで表現の幅が狭まるのならばその程度の作品ということだ。むしろそのラインを意識しつつ作品を作ることで、多くの人に受け入れられ、多くの人の心に残る名曲が生まれるのかもしれない。

https://www.ongakunojouhou.com/entry/2020/03/26/231008

15. 中川隆[-8567] koaQ7Jey 2021年1月05日 18:33:12 : 7LFOdaLgys : MVEvSFdXTk5SYXM=[2] 報告
「グッドバイ」の意味
2006年12月05日
http://doujinobigaku.jugem.jp/
大学時代に「美術史」という授業の試験で、“美”に関することならどんなテーマでも内容でも構わないというので、前期・後期ともに、「森田童子の歌に見る“青春の破滅と美学”」というタイトルで小論文を書いて提出した。
後にも先にも「秀」という成績を取ったのはこの授業だけ。

「青春の破滅と美学」というのは、森田童子自身が使っていた言葉で、色紙などに書いていた時期もあった。

高校生だった彼女が、新宿の「風月堂」という喫茶店で、少し年上の仲間たちの会話に耳を傾け、その仲間たちが学生紛争に加わり、クスリをやっている姿を見ていた時期。
自分自身はまだ行動に移せない、でもいつかは直接行動できると思っていた。
彼女のとても大切な人が、おそらく一緒に暮らしていたその人が、捕まったそのときも、まだその期待はあったのではないか。

「さよならぼくの友だち」を聴くと、この曲が始まりであり、本当はここで終結していたことを感じる。
「ぼくたちの失敗」は明らかにその続編であり、アンサーソング(過去の自分とその人への)ともいえる曲。

デビュー前、森田童子はソングライターとしてのみで、本当は他のシンガーに歌ってもらう予定だったと、本人から聞いたことがあった。
しかし、歌える人がいなかったので、仕方なく自分で歌ったのだとー。
デビューアルバム1枚で終わるつもりで「グッドバイ」というタイトルをつけたのだとも。

そのとき交わした彼女と私の会話はこんな風だった。

私「グッドバイというタイトルは、太宰治から取ったんですよね」
童子「そう」
私「もしかして、このデビューアルバムで終わるつもりで?」
童子「(笑いながら)へえ、よくわかったわね。本当はこの1枚で終わるつもりでつけたんだけど」

過去の自己と決別するために作ったアルバムだったのかもしれない。
でも、ライブで歌ううちに、彼女はそこに来る“病んだ”若者たち、“今に失望している”若者たちを目の前にして、「変わっていった」ではないか―。
本質的なものはもちろん変わってはいなかっただろうが、一種の「使命」のようなものを感じたように思うのだ。

そして、その必要がなくなった、と感じだときに、消えていったのではないかと。

しかし、時代を超えて今なお、どこか自分と社会(あるいはもっと目に見えないもの)に折り合いをつけることのできない人たちの耳にとまり、心を動かす―。

そして、聴いた者は彼女の歌に癒され、救われていく。

http://doujinobigaku.jugem.jp/

16. 中川隆[-8554] koaQ7Jey 2021年1月06日 02:28:59 : BlPirF74G2 : TVZFcWFqMFVsL1E=[15] 報告
「ぼくたちの失敗」がリバイバルヒット 森田童子のドラマ主題歌を一覧にしてみた。
2020.10.17
https://music-drm.com/drama-douji-morita/


今回は森田童子さんのドラマ主題歌をみていこうと思います。

1975年にデビューし、1983年の新宿ロフトでのライブを最後に、引退宣言などすることなく活動を休止した伝説的シンガーソングライター森田童子さん。1975年デビューから1983年まで10年に満たないほどの活動期間であったのに、なんでこんなにも平成を通して今令和の日本においても名前が知られているのか?

と聞かれたらそれは確実に人気ドラマ『高校教師』の存在と答えます。なかでも「ぼくたちの失敗」は1993年と2003年にTBSの制作・放送による同タイトルドラマにおいて一番にフィーチャーされ2度のシングル再リリース、それが大ヒットを記録すると彼女の代表曲として現代(当時)の日本に知れ渡りました。

でも考えてみるとこれってたまたま「ぼくたちの失敗」がフィーチャーされただけですよね。もちろん1976年11月発表の2ndアルバム『マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=』に収録されていた「ぼくたちの失敗」をその2ndアルバムと同時に2ndシングルとしてリリースしている点からして収録曲の中でひとつ頭抜けた楽曲であったことに間違いはないのだろうけど。

『高校教師』ではないドラマ作品が森田さんに目を付けてタイアップに別の曲を起用していたら代表曲は別になっていたかもしれない。そう思うと埋もれている名曲がまだまだありそう。聴かなきゃこれはわからない。

ぼくも正直「ぼくたちの失敗」以外ちゃんと聞いてなかったかもしれないです。ドラマによるリバイバルヒット以来入手困難であったCDも2016年に23年ぶりにCDが再発し、初のCD化も含む計9タイトルがリリースされています。引退した1983年から数えれば実に30年以上かかった全作品のCD化。

サブスク全曲配信もまだまだ期待できるようにも思います。

世界をまたに掛けてシティポップブームが起こっているのもこの1993年におこった森田童子さんのリバイバルブームが少なからずきっかけになっているとも感じています。

さて、

森田童子の歌う連続ドラマ主題歌は何曲あると思いますか?

今回の連続ドラマは『高校教師』だけ!!スッキリ。

始めます。

森田童子とは

日本の女性シンガーソングライター。1983年に引退。

2018年6月12日に2018年4月24日未明に亡くなっていたことを各誌が報じました。

1975年10月21日発売の1stシングル「さよならぼくのともだち」でデビュー。

1983年の引退までに、1981年1月25日発売の「ラスト・ワルツ」でシングルを4枚、1983年11月30日発売の『狼少年 wolf boy』でアルバムを6枚、発売した。

「ぼくたちの失敗」は1976年11月21日発売の2ndシングルで、1993年と2003年の2度に渡りシングルが再発されている。1980年11月20日発売の4thアルバム『ラスト・ワルツ』収録の「たとえばぼくが死んだら」もまた1993年の映画主題歌に起用されシングル用にミックスされリリース。

1993年のリバイバルヒットの最中はご本人は引退済のためひたすらに沈黙を守っていたが、2003年には『ラスト・ワルツ』収録の「海が死んでもいいョって鳴いている」の歌詞を一部変更した「ひとり遊び」を自宅で新たに歌唱・録音、これが最後の作品となり3月5日発売のベストアルバム『ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション』に収録されている。

TBS系金曜ドラマ『高校教師(1993)』真田広之と桜井幸子主演作品の使用曲リスト

ぼくたちの失敗
1976年発表の2ndアルバム『マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=』に収録。全編において主題歌。


男のくせに泣いてくれた
1976年発表の2ndアルバム『マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=』に収録。第4話エンディングテーマとして使用。

G線上にひとり
1977年発表の3rdアルバム『A BOY ボーイ』に収録。第5話のエンディングテーマとして使用。

ぼくが君の思い出になってあげよう
1977年発表の3rdアルバム『A BOY ボーイ』に収録。第7話エンディングテーマとして使用。

君と淋しい風になる
1977年発表の3rdアルバム『A BOY ボーイ』に収録。第8話のエンディングテーマとして使用。

君は変わっちゃったネ
1975年発表の1stアルバム『GOOD BYEグッドバイ』収録曲。第9話オープニングテーマとして使用。


▲△▽▼

TBS系金曜ドラマ『高校教師(2003)』藤木直人と上戸彩主演作品の使用曲リスト

ぼくたちの失敗
1976年発表の2ndアルバム『マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=』に収録。第1話、第4話、第5話、第7話、最終話の主題歌。

ぼくと観光バスに乗ってみませんか
1976年発表の2ndアルバム『マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか=』に収録。第9話の主題歌。

淋しい雲
1975年発表の1stアルバム『GOOD BYEグッドバイ』収録曲。第3話、第6話、第8話、第10話の主題歌。

君と淋しい風になる
1977年発表の3rdアルバム『A BOY ボーイ』に収録。第2話の主題歌。



▲△▽▼


【番外編】映画作品タイアップから1曲

たとえばぼくが死んだら
1980年発表の4thアルバム『ラスト・ワルツ』に収録。1993年11月6日公開、唐沢寿明さんと遠山景織子さん主演の映画『高校教師』の主題歌。ドラマ主題歌でヒットした「ぼくたちの失敗」も挿入歌として使用。


まとめ

いかがでしたでしょうか。

森田童子さんの連続ドラマ主題歌を紹介してきました。

挿入歌含め、1993年と2003年に使用された楽曲を合わせると8曲でした。

1993年の作品はあくまでも「ぼくたちの失敗」が主題歌であとは挿入歌という扱い、2003年は全てが主題歌というくくりとなっていました。

とはいえ、情報はWikipediaを中心に参考としているので何話で使用されたという表現は出てきてはいますが、実際は未確認なのでズレや間違いがある可能性もあります。ご了承ください。

あくまで曲紹介、聴くきっかけ!

ほか、番外編で1993年に公開した映画で唐沢寿明さん出演の『高校教師』の主題歌も入れました。合計で9曲紹介したことになります。

YouTubeも公式ではないのでリンクは控えますが、サブスクもないので今はCDで聴くのがベストです。一時は入手困難とされた作品もいまは再発され入手が可能となっている様子。ぜひゲットしていろいろ聴いてみてくださいね。

ぼくも聴いてみます。

では、
https://music-drm.com/drama-douji-morita/

17. 中川隆[-8553] koaQ7Jey 2021年1月06日 02:33:41 : BlPirF74G2 : TVZFcWFqMFVsL1E=[16] 報告
381可愛い奥様2020/12/27(日) 19:25:44.56ID:PCLbmfwo0

なかにし礼の実兄、中西正一の娘の中西美乃生は森田童子って知ってた?

森田童子の旦那がアドプロモーション社長の前田亜土(前田正春)
なかにし礼の兄は住吉連合の構成員だった、風吹ジュン軟禁事件の首謀犯
4人とも亡くなってるけど

豊悦がなかにし礼で、兄役がたけしのドラマが昔あったわ
現実はもっとドロドロだったんだね

なかにし礼はキャンディーズに1曲だけ作詞しているけど、
ナベプロとも何かありそうね
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/ms/1608963474/381


18tattyanneko2018/10/15(月) 10:15:52.09

なかにし礼の小説「兄弟」は森田童子ファンなら必読です
これを読むといろんな事がわかりますが、他の資料と照らし合わせるともっと詳しいことが見えてきます

たとえば、なかにし礼の他の著作で「翔べ!わが思いよ」というのがあります
1989年、東京新聞に連載された自伝です

なかにし礼と森田童子こと中西美乃生さんは1968年から1971年まで、東京都中野区にある同じ家に暮らしていました
前回引用した部分、美以子さんが十五歳のときから十八歳までです

一方でなかにし礼は「なかにし礼商会」を1970年に設立
1973年に解散しています

この会社に前田亜土がいたのです
以下は「翔べ!わが思いよ」新潮文庫版、232ページからです

中野区江原町に土地を買い、そこに家を建てた。北青山三丁目に小さなビルが売りに出たので、即金で買った。

思いもかけぬと言ったら嘘になる。ついに、待ちに待ったというべきか。とにかく、意外に早く大きな幸運がやって来たのだ。
三十歳になったばかりの私は、夢の中にいるように呆然としていた。
中野の家には兄の家族や母も一緒に住んだ。千家和也や初信之介といった弟子たちも寝泊まりしていた。

北青山のビルには″なかにし礼商会″という名の会社をつくり、私が社長になって、社の真似事をやつた。ワイワイただ騒いでいるだけのもので、会社らしい目的も実行力も持ち合わせていなかった。と言ったら、その時の仲間の、杜洋之輔、前田亜土、
沢井貞夫などにすまない気もするが、社長の私が言うのだから間違いなかろう。だけど、ワイワイ騒ぐというのは楽しいものだ。お祭り騒ぎ……有頂天……。
そういえば『日本の祭り』というチャンとした仕事もしたっけ。
年末のレコード大賞は残念ながら『いいじやないの幸せならば』に決まった。

https://imgur.com/vpbAlrK.jpg


じっさいにこのころ、なかにし礼の著作を前田亜土がいくつか装丁をしています
この本にあるように前田亜土もなかにし礼の家に寝泊まりしたかもしれません

こうして森田童子こと中西美乃生さんと、前田亜土さんこと正春さんが出会ったのでしょう
美乃生さんはまだ未成年だった頃ですね

19tattyanneko2018/10/15(月) 10:16:15.57

それからもう一つ、この文章で考えたことがあります

なかにし礼の弟子、千家和也と初進之介がなかにし礼宅に寝泊まりしていたという部分です

つまり家で作詞の仕方を教えていたわけで、そのときに森田童子も教わったんじゃんないかと想像しました
森田童子の歌は書きっぱなしポエムじゃなくて、ちゃんとした流行歌の歌詞になってます

詞のアクセントとメロディーを合わせる、聴かせどころに新奇なフレーズを使うといった作詞の基本などもこのときに学んだんじゃないでしょうか
だからあれだけすごい曲ができたのでは

私としては世の中に流布している「森田童子の作品はなかにし礼の代作説」より「森田童子はなかにし礼に教えを受けた仮説」のほうがそれらしく思えます

20tattyanneko2018/10/15(月) 11:43:19.49

ちょっと調べてみました
中西家は父方も母方も石川県出身ですね
森大河の本名「対馬」という名字は津軽地方土着のものです
だから血縁関係はないでしょう


21tattyanneko2018/10/15(月) 12:03:45.06

ついでに「森田」についても調べてみました
北陸地方に多い名字ですね
とくに金沢あたりです
なにか関係があるのかもしれません

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/legend/1539527568/

詳細は

なかにし礼の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1234.html

森田童子 ぼくたちの失敗
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html  

18. 中川隆[-8546] koaQ7Jey 2021年1月06日 12:58:21 : ZA3yXgdpkw : QUlhc0NGL0RrdVE=[7] 報告
森田童子の1枚目のオリジナル・アルバム「GOOD BYE グッドバイ」
(オリジナル発売日:1975年10月21日)

収録曲
01. 早春にて
02. 君は変わっちゃったネ
03. まぶしい夏
04. 雨のクロール
05. 地平線
06. センチメンタル通り
07. 淋しい雲
08. たんごの節句
09. 驟雨(にわかあめ)
10. さよならぼくのともだち


グッドバイ 森田童子   レコードA面  高音質





グッドバイ  森田童子  レコードB面  高音質


19. 中川隆[-8543] koaQ7Jey 2021年1月06日 13:07:34 : ZA3yXgdpkw : QUlhc0NGL0RrdVE=[10] 報告
森田童子 - (live)東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤


『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』は、森田童子の最初で最後のライブ・アルバム。1978年11月01日にポリドール(現:ユニバーサルミュージック合同会社)より発売された。


収録曲
全作詞・作曲・編曲:森田童子

地平線
逆光線
君は変わっちゃったネ
雨のクロール
ぼくと観光バスに乗ってみませんか
友よ泣かないのか
※オリジナルアルバム未収録
海を見たいと思った
センチメンタル通り
さよならぼくのともだち
風さわぐ原地の中に
※オリジナルアルバム未収録






20. 中川隆[-8541] koaQ7Jey 2021年1月06日 13:15:44 : ZA3yXgdpkw : QUlhc0NGL0RrdVE=[12] 報告
森田童子 夜行










21. 中川隆[-8539] koaQ7Jey 2021年1月06日 13:25:16 : ZA3yXgdpkw : QUlhc0NGL0RrdVE=[14] 報告
森田童子 - (best)友への手紙 森田童子自選集





22. 中川隆[-8537] koaQ7Jey 2021年1月06日 13:29:32 : ZA3yXgdpkw : QUlhc0NGL0RrdVE=[16] 報告
森田童子 - (best)僕たちの失敗 ベスト・コレクション


1. ぼくたちの失敗
2. 蒼き夜は
3. 雨のクロール
4. 蒸留反応
5. 哀悼夜曲
6. 孤立無援の唄
7. さよならぼくのともだち
8. 逆光線
9. サナトリウム
10. 男のくせに泣いてくれた
11. 春爛漫
12. G線上のひとり
13. ラストワルツ



23. 中川隆[-8536] koaQ7Jey 2021年1月06日 13:34:42 : ZA3yXgdpkw : QUlhc0NGL0RrdVE=[17] 報告
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 真田広之・桜井幸子 高校教师 (TBS 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1000.html
24. 中川隆[-8523] koaQ7Jey 2021年1月06日 19:31:01 : ZA3yXgdpkw : QUlhc0NGL0RrdVE=[32] 報告
桜井幸子 高校教師 ラストワルツ


25. 中川隆[-8522] koaQ7Jey 2021年1月06日 19:34:16 : ZA3yXgdpkw : QUlhc0NGL0RrdVE=[33] 報告
男のくせに泣いてくれた


26. 中川隆[-17185] koaQ7Jey 2021年8月16日 08:25:03 : Zuf7i5dxxo : MFFxVTlPQ00xLjI=[21] 報告
高校教師 插曲《男のくせに泣いてくれた》 作詞:森田童子 作曲:森田童子 主唱:森田童子


27. 中川隆[-12934] koaQ7Jey 2022年8月25日 18:57:40 : XboiKyUdfk : bkZRZERuckkuZVE=[5] 報告
テレビドラマ なかにし礼『兄弟 〜兄さん、お願いだから死んでくれ〜』(テレビ朝日 1999年)

脚本:竹山洋
制作:テレビ朝日、カズモ

動画
https://www.youtube.com/watch?v=nF7G3xh3hYI
https://www.youtube.com/watch?v=_RtekDfDZaY






「兄弟」はなかにし礼の小説である。

実兄・正一の人生を題材にした、自伝的小説となっている。

破滅的人生を送る実兄・正一に翻弄され、苦闘を強いられた弟・禮三の愛憎と葛藤を描いている。

1997年6月号から1997年12月号までオール讀物に連載(ただし10月号は休載)され、1998年に文藝春秋に刊行された。そして第119回直木賞候補になった。文庫本では2001年に文春文庫を、2004年に新潮文庫として刊行された。

テレビドラマ
『兄弟 〜兄さん、お願いだから死んでくれ〜』のタイトルで、1999年3月10日にテレビ朝日の開局40周年記念スペシャルとしてドラマ化された。

キャスト
ビートたけし
豊川悦司
桃井かおり
高島礼子
工藤静香
麻生祐未
余貴美子
馬渕晴子
梨本謙次郎、坂本長利、生井健夫、村田則男、磯村千花子、芦田昌太郎、田島基吉、西田聖志郎、市村直樹、北河多香子、森たまき ほか
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%84%E5%BC%9F_(%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E7%A4%BC%E3%81%AE%E5%B0%8F%E8%AA%AC)


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