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SARS-CoV-2に関する疑問を封印しきれていない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011200000/
2020.11.20 櫻井ジャーナル
現在、SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)の検出にPCR検査(ポリメラーゼ連鎖反応)が利用されているが、その方法を開発し、ノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスはPCRをウイルスの検査に使ってはならないと語っていた。ただ、この科学者は昨年8月7日に肺炎で死亡しているので、COVID-19(コロナウイルス感染症-2019)騒動についてコメントすることはできない。
勿論、PCR検査でSARS-CoV-2の存在を証明できるかどうかという議論はSARS-CoV-2の存在が前提になっているのだが、PCR検査でウイルスを検出することができないだけでなく、誰もSARS-CoV-2を分離できていないとする主張がスペインの医学雑誌に掲載された。
実は、日本にもSARS-CoV-2の存在は証明されていないと言い続けている学者が存在する。徳島大学名誉教授の大橋眞だ。確実なことは遺伝子構造が中国のグループから発表され、この遺伝子構造を使ってPCR検査が始まったということだけだとしている。
この遺伝子構造が正しいかどうかの確認、病原性や伝播性についての実証実験がなされていないと指摘、病原体の存在は未だに科学的に証明されていないとしている。WHO(世界保健機関)は中国人科学者の発表をそのまま受け入れている。WHOに対するアメリカに次ぐ高額寄付者はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団だ。
日本における伝染病対策の中心は国立感染研究所であり、PCR検査のデータもそこへ集められていた。この研究所はかつて国立予防衛生研究所(予研)と呼ばれていた。予研が設立されたのは1947年だが、その歴史は私立衛生会附属伝染病研究所(伝研)が作られた1892年までさかのぼれる。1916年に東京帝国大学附属伝染病研究所となり、その教授や助教授の半数が予研所員となった。
東京帝国大学は1930年代から京都帝国大学や陸軍の軍医学校と共に病原体を兵器として使う研究開発を進めていた。その研究開発で生体実験を行うために中国で部隊が編成される。当初は加茂部隊や東郷部隊と呼ばれたが、1941年からは第731部隊と呼ばれている。東京帝大で病原体を研究していた伝研も重要な役割を演じることになり、その人脈は予研、感染研に引き継がれたわけだ。
第731部隊の隊長は1936年から42年、そして日本の敗戦が決定的になっていた45年3月から敗戦までが石井四郎、その間、42年から45年2月までを北野政次が務めている。1945年8月には関東軍司令官の山田乙三大将の名前で部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺されたが、事態に気づいて食事をとならなかった者は射殺され、死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められたという。
1950年6月に朝鮮戦争が勃発するとアメリカ軍は輸血体制を増強する必要に迫られ、その年の11月に「日本ブラッドバンク」が設立される。その時に中心的な役割を果たした内藤良一は軍医学校防疫研究室に所属していた人物。1964年にこの会社はミドリ十字へ社名を変更、北野は同社の役員になった。ミドリ十字は薬害エイズやフィブリノゲン問題を引き起こした。その後、同社は合併を繰り返して現在は田辺三菱製薬に含まれている。
本ブログでは繰り返し書いてきたように、日本へ逃げ帰った石井は自宅でCIC(アメリカ陸軍対諜報部隊)の尋問を受けているが、厳しいものではなく、石井の娘によると、GHQ/SCAPのG-2(情報部門)を率いていたチャールズ・ウィロビー少将と夕食を一緒に食べるまでになる。それ以降、同少将は石井たちの擁護者となった。(Peter Williams & David Wallace, “Unit 731”, Free Press, 1989)
1947年にはアメリカ陸軍の生物化学兵器の拠点であるメリーランド州のキャンプ・デトリック(後のフォート・デトリック)からノーバート・フェルという研究者がやって来て、第731部隊の幹部を尋問しているが、その直前、厚木基地からほど近い倉庫でアメリカ軍極東医療分隊に所属する「406医療一般研究所」が活動を開始、後に丸の内の三菱ビル内に本部を移した。朝鮮戦争中、この部隊は戦闘地域へ要員を派遣している。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, "The United States And Biological Warfare", Indiana University Press, 1998)
フォート・デトリックは現在でも生物化学兵器開発の拠点だが、昨年夏、数カ月にわたって施設が閉鎖されたと伝えられている。廃液に絡む安全上の問題が発覚したことが原因のようだが、詳細は不明だ。
アメリカ国防省にはDARPA(国防高等研究計画局)やDTRA(国防脅威削減局)という機関も存在する。この2機関は2018年からコロナウィルスのコウモリからヒトへの感染に関する研究を進めていたと言われている。
DARPAは大学と共同研究もしているが、そうしたひとつがアメリカのデューク大学。このデューク大学と共同で武漢大学は昆山杜克大学を設立している。
COVID-19の患者が最初に見つかったとされる武漢には細菌に関する研究をしていた武漢病毒研究所もあった。この研究所は米国テキサス大学のガルベストン・ナショナル研究所やカナダのNML(ナショナル細菌研究所)と共同で細菌に関する研究を実施、タミフルやレムデシビルを開発したギリアド・サイエンシズともつながる。
NMLは2019年3月に中国へ非常に毒性の強いウィルスを秘密裏に運びこみ、中国当局から抗議されたとも言われているが、この輸送をカナダ政府は容認していたともいう。そして7月には中国のウイルス学者がNMLから追い出された。
一連のコロナ騒動で中国に人びとの関心を向けさせようとしている人もいるが、武漢の大学や研究所はアメリカ軍とも関係がある。しかもアメリカにはパンデミックを利用して支配構造を劇的に変化させようというプランもあった。
知られている中で最も古いものは2005年に出されたCIAの報告書。中国や東南アジアのような動物と近接した地域で人が密集して生活している地域でパンデミックが起こり、もし2020年までにこの伝染病が現れたなら、国の内外で緊張が高まり、戦乱が広がるとしている。
2010年にはロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)が「技術の未来と国際的発展のためのシナリオ」と題された報告書を公表した。
そのシナリオによると、2012年に新型インフルエンザのパンデミックが起こり、全人口の20%近くが感染して7カ月で800万人が死亡、人や物資の国際的な移動が止まり、旅行業のような産業や販売網は大きなダメージを受けるとしている。
さらにマスクの着用、公共施設やマーケットの入り口における体温の測定が強制され、そうした管理、監視体制はパンデミックが去った後も続くと推測。当然、そうした状態を支配層は継続させようとするが、それでなく、市民は安全と安定を得るために自らの主権やプライバシーを放棄するとしている。実際、そうした展開になっている。
SARS-CoV-2が存在しないのなら、症状が出ているのはなぜかということになるが、その症状はインフルエンザと区別がつかない。死亡者の多くは深刻な持病を持っていることもわかっている。
何らかの理由で免疫力が低下して常在ウイルスが増殖、肺炎などを起こす可能性が指摘されているが、これはエイズの発症パターンに似ている。PCRを開発したキャリー・マリスはHIVがエイズを引き起こすという定説に懐疑的だったことでも知られている。
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