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英国でシオニストが逆襲、コービン前労働党党首の党員資格が停止に
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011050001/
2020.11.06 桜井ジャーナル
アメリカではシオニストに従うふたりの人物が次期大統領の座を手にしようと戦っているが、イギリスではシオニストによるパレスチナでの残虐行為に異を唱えていたジェレミー・コービン前労働党党首の党員資格が10月29日に停止された。イギリスの平等人権委員会(EHRC)がコービンの言動が「反セム主義」だとする報告書を発表したからだという。
反セム主義とはセム族を差別するイデオロギーであり、セム族とはヘブライ語やアラビア語などセム系の言葉を話す人びとを指す。反セム主義はユダヤ人やアラブ人を差別する思想ということになるが、なぜか「反ユダヤ主義」と同義語だと考える人が多いようだ。
イスラエルの建国が宣言されて以来、イギリスの労働党はイスラエルを支持していたが、その姿勢は1980年代の初めに転換する。1982年9月にイスラエル軍の指揮下、ベイルートのキリスト教勢力、ファランジスト党のメンバーが難民を虐殺したことが大きい。殺害された難民の数はイスラエル側によると700名、パレスチナ側によると2750名に達する。
この虐殺は計画的なものだった。1982年1月にアリエル・シャロン国防相がベイルートを極秘訪問、キリスト教勢力と会ってイスラエルがレバノンへ軍事侵攻した際の段取りを決め、その月の終わりにペルシャ湾岸産油国の国防相が秘密裏に会合を開いている。イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してPLOを破壊してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカを制裁しないという内容ことが決まる。
6月に3名のパレスチナ人がイギリス駐在イスラエル大使のシュロモ・アルゴブの暗殺を試みたが、この3名に命令したのはアラファトと対立していたアブ・ニダル派。イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティだという(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018)が、この組織には相当数のイスラエルのエージェントが潜入していて、暗殺の目標を決めたのもそうしたエージェントだったとされている。この事件を口実にしてイスラエルはレバノンへ軍事侵攻した。
ところが、この虐殺を批判する声はイギリスやヨーロッパに広がり、それを危惧したロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界に大きな影響力を持つルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスを呼び出し、BAP(英米後継世代プロジェクト、後に米英プロジェクトへ改名)の創設につながる。BAPには編集者や記者も参加、そのために報道はほとんどされなかった。
イスラエルを批判する声はイギリス労働党の内部にも広がり、党の軸がパレスチナ側へ移動する。それを懸念したシオニストの動きが表面化したのは1994年のことだ。この年の1月にトニー・ブレアが妻と一緒にイスラエルを訪問、帰国して2カ月後にロンドンのイスラエル大使館でユダヤ系の富豪、マイケル・レビーを紹介された。
さらに2カ月後、つまり1994年5月に労働党の党首だったジョン・スミスが心臓発作で急死、その1カ月後にブレアが新党首に選ばれた。ブレアはレビーのほかLFIという団体を資金源にしていたが、このLFIの活動目的はイスラエルとイギリスとの関係強化。ブレアは労働組合の意向を無視、マーガレット・サッチャーの新自由主義的な政策を継承、親イスラエルへ党を引き戻している。
ブレアの新自由主義的な政策、アメリカの侵略戦争への加担、イスラエルのパレスチナ人弾圧などに反発する党員に支持され、2015年9月に党首となったのがコービンだ。新自由主義で破壊された社会を修復、パレスチナ人や労働者の権利を回復させようという政策を打ち出した。
しかし、そうした政策は支配者たちの逆鱗に触れることになった。早い段階から西側の有力メディアはコービンを「反ユダヤ」だと批判している。そして今回、ふたりのユダヤ系富豪、レベッカ・ヒルゼンラートとデイビッド・アイザックが率いるEHRCはコービンに対する懲罰的な報告書を出したわけだ。労働党の新体制はブレア時代に党を戻そうとしている。
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