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病院で治療だけが行われているとはかぎらない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010040000/
2020.10.05 櫻井ジャーナル
人びとの体を傷つけることのできる器具が存在、さまざまな薬品が保管され、人体に精通している専門家がいる場所が病院だ。病気や怪我の治療もできるが、死に至らしめるたり、死因をでっち上げことも可能である。ある種の人びとにとって病院はリスクの高い場所だ。
かつてジミー・ヘンドリックスという伝説的なロックギタリストがいた。マーチン・ルーサー・キング牧師が1968年4月4日にテネシー州メンフィスのロレイン・モーテルで暗殺されたことが切っ掛けになり、ヘンドリックスは戦争に反対し、ブラックパンサーなどを支援するようになる。
そうした言動を警戒したFBIは彼を監視するが、彼の周囲にはFBIより警戒すべき人物がいた。マネージャーのマイク・ジェフリーだ。この人物はイギリスの情報機関MI6の「元エージェント」だと言われているのだが、情報機関に「元」はないというのが常識。
ヘンドリックスは1969年5月、トロント国際空港で拘束された。少量の麻薬を保持していたことが理由だが、本人はそうしたリスクを冒さないと主張している。彼はマネージャーのジェフリーが仕組んだと疑い、解雇しようとした。
その年には8月にウッドストックで音楽のフェスティバルがあり、彼も参加したが、その直後に彼は誘拐されたと言われている。この時はジェフリーがマフィア人脈を使って救出したとされているが、誘拐自体をジェフリーが計画した疑いもある。
結局、ヘンドリックスは1971年9月にジェフリーを辞めさせるが、その翌日にヘンドリックスは死亡した。ロンドンのアパートで昏睡状態になっている彼を恋人のモニカ・ダンネマンが発見、すぐに救急車で病院へ運ばれる。彼女によると、発見時にジミーはまだ生きていた。
救急車は午前11時45分に病院へ到着、12時45分に死亡が発表されている。ロンドン警視庁は診断したジョン・バニスター医師の証言として、ヘンドリックスは病院へ到着した段階で死亡していたとしているのだが、救急隊はそれを否定している。
ジェフリーが解雇された日にパーティーがあり、そこでヘンドリックスはピルを渡されているが、それをダンネマンの前でトイレへ流している。寝るまでに飲んだのは通常の睡眠薬(ベスパラクス)だけだったが、検死の結果、20ミリグラムのアンフェタミン(覚醒剤)も検出された。(John L. Potash, “Drugs as Weapons Against Us,” Trine Day, 2015)
1963年11月22日、テキサス州ダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の場合、死亡が確認されたのはダラスのパークランド記念病院。死体を見た同病院のスタッフ21名は前から撃たれていたと証言、確認に立ち会ったふたりの医師、マルコム・ペリーとケンプ・クラークは大統領の喉仏直下に入射口があると記者会見で語っている。
しかし、その発表を好ましくないと感じた人びとがいた。そのペリーにベセズダ海軍病院から電話が執拗にかかり、記者会見での発言を撤回するように求められたという。これは同病院で手術や回復のための病室を統括していた看護師、オードリー・ベルの証言。数カ月後にペリーは記者会見での発言を取り消し、喉の傷は出射口だとする。(Peter Janney, “Mary’s Mosaic,” Skyborse, 2013)
海軍病院は発言を変えさせようとしただけでなく、大統領の死体をパークランド記念病院から強引に運び出し、自分たちで検死解剖を実施する。これは法律を無視した行為だった。しかも担当した軍医のジェームズ・ヒュームスは検死に不慣れだったとも言われている。
病院の中でも軍の病院はリスクが高いと言えるだろう。
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