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2022年3月11日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/164844
連載「トンネルの先へ 少女と家族の軌跡」@
高校最後の日、卒業証書授与で担任の男性教諭に名前を呼ばれた瞬間、少女(18)は涙がこぼれ落ちそうになった。この学校の先生や友だちが、心から笑えるようにしてくれた。卒業するのは寂しかった。小中学校の時は思わなかったのに。
東京電力福島第一原発で事故が起きた2011年3月11日、少女は7歳、小学校2年に上がる直前だった。進級して夏休み中に、福島県郡山市から新潟に避難した。安住を求めた地で「福島は汚れている」「放射能」といじめられ、何度も福島に帰りたいと泣き叫んだ。高校生になって、自殺未遂もした。
長く暗いトンネルで出口が見つからない日々が続いた。晴れ渡る空の下、今ようやくその出口を抜け出せたように感じる。「寂しくなったらいつでも帰っておいで」。先生たちの言葉に、次は笑顔を見せにこようと心に誓った。4月から、夢をかなえるため新潟県内の専門学校に通う。
◆次々転校するクラスメイト…「私の番が来た」
11年3月11日午後2時46分。郡山市の自宅で祖父とテレビを見ている時だった。激しい揺れで家具が倒れ、食器が割れる音が響いた。ひっきりなしに鳴る携帯電話の緊急地震速報。もぐった掘りごたつの脚と机に頭や体を強打し、恐怖で泣きじゃくった。「私、死ぬんだな」。家から飛び出すと吹雪だった。
福島第一原発では12日に1号機で、14日には3号機で水素爆発が起きた。自衛隊の家族がいる親戚から父親に「原発危ないらしいよ。うちは逃げる」と電話があり、両親も一時避難することを決断した。
16日早朝、1歳の妹を含む家族4人が乗った車は新潟へ向かった。身を寄せた避難所は温かいご飯があり、温泉に入れた。幼い子がいるからと個室が用意され、「避難指示区域からじゃないのに」と母親は小さくなっていた。避難してきた他の子どもたちと遊べて毎日、楽しかった。
4月の新学期に合わせて戻った郡山では、息苦しい毎日が待っていた。放射線被ばくをしないよう長袖、長ズボンに帽子やマスクをつけ、教室の窓は閉め切られた。校舎はブルーシートが掛かり、校庭は除染のため表土が剝ぎ取られ山積みに。担任から「土には触れないように」と言われた。
1学期の途中、級友が1人、また1人と転校していった。「ここは危ないと思うから、新潟に行こうと思うんだけど」。両親に問われた時、「私の番が来たんだ」と思った。
仕事のために福島に残る大好きな父親や祖父母と離れるのは寂しかったが、両親が自分や妹を守ろうとしていることは分かった。だから前向きに考え、明るく答えた。「いいよ。友だちが増えるだけじゃん」
1学期の終業式、「どこ行っても大丈夫だよ」「また福島に戻ってくるの待ってるね」と友だちに言われ、寂しさがこみ上げた。その日、クラスで集合写真を撮った。新潟でつらい時に何度も手にした1枚は、今も時々取り出して見る宝物だ。(片山夏子)
◇ ◇
記者は20年11月から少女とメールでやりとりを始め、その3カ月後から実際に会って話を聞いた。1年を超える取材を基に、少女と家族の11年の軌跡を4回にわたって伝える。
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