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(回答先: 「放射能じゃん」「ごめん。怖い」…大好きな福島への侮辱、怒り涙こらえた小学校の記憶(東京新聞) 投稿者 蒲田の富士山 日時 2022 年 3 月 12 日 19:19:17)
2022年3月13日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/165251
連載「トンネルの先へ 少女と家族の軌跡」B
福島からの避難者が集まった時、少女ら子どもたちは親たちに聞こえない場所で、いじめの話をした。
「つらい。もう学校行きたくない」「死にたい」
小学校低学年の子まで死を口にした。避難して悩んでない子はいないのではないかと感じた。「私も同じ」と伝えたものの、内容は話せなかった。自分の事だけで精いっぱいだったが、受け止められるのは年長の自分だけだと感じ、同世代や年下の子にかける言葉を必死で探した。心は限界を超え、破裂しそうだった。
心が殺されても殺人にならないのか。原発事故さえなければ福島にいられたのに。全世界から原発が消えればいいと思った。
中高一貫の進学校に無事合格。誰にもおびえず過ごせる毎日は楽しかったが、それは短かった。仲間外れにされた同級生をかばった後、いじめの標的に。徹底的に無視され、いないかのように扱われた。逆にいじめの加害者だとうわさされ、人が信じられなくなった。教室での笑い声や話し声は、自分への嘲笑や悪口に聞こえた。
1度だけ郡山の同級生に連絡した。いじめの相談をしたかったが「避難できてよかったじゃん」と言われ、言葉が続かなかった。
「いつ、どうやって死のう」と考えるようになった。教室に行くと過呼吸になり、学校集会ではパニックになった。大半を保健室で過ごした。過呼吸で救急車で運ばれたのは7回。高校1年生の時、友だち2人と学校でありったけの薬を飲み、病院に搬送された。
◆母も職場で差別され、父も円形脱毛症に
両親も苦しんでいた。救急車の中、母親は泣きながら、意識がもうろうとする少女の手を強く握った。「お願い。手を握り返して」。声は届いているようだが、手は動かなかった。最悪の事態がよぎってゾッとした。何があっても守ろうと避難してきたのに。自分の無力さに打ちのめされた。
少女が中2の時、働き始めた職場で「この人、福島から来て危ないから近づかないで」と上司が客に言ったことがある。針のむしろだった。娘が受けてきた仕打ちはこれか。どんなに過酷だったかと思い知った。「ごめん」。心の中で娘の名を呼び、何度も謝った。
「福島に帰りたい」と少女が泣くたびに、「できることなら帰してあげたい」と思った。娘の健康のためだとしても、死ぬまで罪悪感を持つだろうと感じた。目を覚ましたら、この子が笑って生きていけるようにもっと闘おうと決めた。
父親も「親の選択を娘が恨んでいたら…」と悩んでいた。円形脱毛症になり、じんましんが出た。娘が死のうと思ったことが、やりきれなかった。もし死んでしまったら、立ち直れない。娘の意識が戻った時、目を真っ赤にして言った。「ばかやろう。おまえは生きているだけでいいんだ」
その後も少女は過呼吸をくり返し、学校で騒ぎを起こしたとして謹慎処分を受けた。高1の12月、進級が危ないと両親が呼び出された。学校の対応に「娘を守る姿勢がない」と感じた父親は、転校させることを決意した。(片山夏子)
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- 福島に帰りたいけど、やっと見つけた新しい故郷も好き 新潟に避難の少女、家族に言いたい「ありがとう」(東京新聞) 蒲田の富士山 2022/3/15 13:15:53
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