http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/350.html
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「【動画あり】カレンダーは「3月11日」 時が止まった双葉町役場を訪ねた
<あの日から・福島原発事故10年>」 (東京新聞 2021/3/9)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/90290
東京電力福島第一原発事故から10年となる今も、原発がある福島県双葉町は誰も住めない。2020年3月以降、JR双葉駅周辺などは自由に行き来できるようになったが、町役場は事故翌日から閉鎖されたまま。時が止まったかのような役場内に入った。(福岡範行)
◆ネズミが食べた跡、ぼろぼろの傘
4階建ての庁舎内は暗く、静かだった。「一人でいると気持ち悪いですよ。無音って」。同行した町職員橋本靖治さん(47)が漏らす。町の許可を得て、昨年12月18日に取材した。
通用口には、ぼろぼろに破れた傘。通信機械室には、避難者に出されたコンビニ弁当の空容器が重なって置かれていた。汚れてはいるが、臭いが全くしない。
原子力対策室があった企画課では、机の引き出しのあめをネズミが食べた跡があり、ソファの上にはふんが転がっている。
◆「計器の故障」疑い続け…
「放射線上昇」「作業員1名『呼吸なし脈なし』」。廊下のボードに、福島第一、第二原発の状況を書き留めた紙が貼られていた。これは複製で、原本は別の場所に保存されている。
2011年3月12日午前1時5分。福島第一1号機の状況で「格納容器圧力異常上昇」と書かれ、「計器の故障の有無検証中」と続く。核燃料が露出した恐れがある状況でもなお、計器の故障を疑っていた。
「爆発なんて万に一つもないものと思っていました。良い方に間違ってくれないかなと…」。企画課長として最後まで役場に残った武内裕美さん(67)は明かす。国や東電が説明してきた通りに多重防護が機能し、事故に至らないと信じた。
◆「自分も安全神話につかっていた」
3月12日午後3時36分、武内さんは1号機の水素爆発を役場駐車場で見た。「ドドーンと腹に響くような音だった」。森の向こうで煙が高く上がった。
支援に来ていた自衛隊員数十人と庁舎内に1時間ほど避難し、今後の対応を考えた。防災訓練で経験していたのは、原発が安全に停止する想定ばかりだった。
「頭の隅では2、3日で町に戻るんじゃないかと思っていた」。予測は完全に外れた。「自分も安全神話につかっていた」
-------(引用ここまで)------------------------------------
少なくとも双葉町は全く復興していませんね。
これが福島復興の真実です。
(関連情報)
「聖火リレーは「偽りの復興」、五輪に複雑な思い抱く双葉町民(字幕・2日)」
(ロイター 2020/3/5)
https://twitter.com/ReutersJapan/status/1235765797445754880
「かつては反原発、町長になるや原発容認、1F7、8号機増設を推進した福島・双葉町長」
(拙稿 2020/4/24)
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/657.html
「前双葉町長が語る 地震当日夜9時に東電社員とその家族は… (日刊ゲンダイ)」
(拙稿 2018/12/23)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/692.html
「「美味しんぼ」に抗議した福島県双葉町は町民が鼻血を出したことを把握していた! (byはなゆー)」
(拙稿 2014/5/9)
http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/867.html
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