この記事に関して、私もとても興味深いものを感じています。勿論、それは喜ばしい者ではありませんし、悲しくなる話ですが、私たちはこうした仕組みの中で生きていることを、免れないということを、強く自覚する必要がある、と私は考えています。 なお、私のgooブログ記事【日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉を考える】にある拙文(2020年6月17日付)を張り付けさせてもらいます。ご一読いただければ幸いです。 「システム論」から「今の」朝鮮半島情勢を巡る論議に接するとき 朝鮮半島がまた何か騒がしそうだ。北朝鮮が何かを爆破した云々。専門家がテレビの中で忙しくしゃべっていたが、7月の都知事選を巡る昨日の私の記事にある話と同様、「システム論」の立場からは「どうでもいい話」、「関係のないこと」である。 それでは、「システム論」の観点から「どうでもいいとされてはならない話」「関係のある話」を、少しだけでも開陳しておきたい。 先ず何よりも押さえておくべき点は、たとえ朝鮮半島で有事となって、北が南を、あるいは南が北を制圧するような事態となっても、またそこから「南北統一」と「朝鮮国」の誕生という事態となったとしても、何度も語ってきたように、{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)で描く「システム」には、何ら影響を及ぼすものではないということである。 Bの先頭には中国が、Aの先頭には米国が位置し、両国によるいわゆる「米・中覇権連合」の下で、「システム」は今後ますますB、Cグループにおける「高度化」とAグループにおける「低度化」を深化させていく。朝鮮半島での南北の衝突と、戦争と南北統一と朝鮮国の誕生は、「システム」のB、Cにおける「高度化」とAにおける「低度化」に作用氏ながら、「システム」全体の「高度化に、すなわち「金の成る木」としての「システム」の目標実現に貢献するのである。 「システム」内での韓国と北朝鮮の位置づけをしておくと、両者は共にBグループ内の下位か、あるいは韓国はBの下位に、北朝鮮はCの上位化中位あたりに位置しているのではあるまいか。私がここで言いたいのは、そのような両国による戦争や南北統一や朝鮮国の誕生といった「出来事」は、「システム」が、(とくにその重要な構成要素である米国と中国の両国による覇権連合の形成と発展が深く与っているが)つくり出すものであり、その意味では、「システム人」としての「己」を知る私には、とても悲しい、つらい話でしかないのだ。 少しここで「歴史」を、(私にとっては、「歴史」とは「システム」のそれを意味しているのだが、)ごくごく簡単に振り返ってみたい。 「システム」によって、19−20世紀転換期に、「今の」日本と日本人と、「今の」韓国と北朝鮮とそこに暮らす韓国人と北朝鮮人は、当時の蘭・英・仏・米とそれに加えて独・露に代表される欧米列強諸国が主導する理不尽極まりない国際秩序の下で、「どうにも始末に負えない」遭遇を迫られ、そこから対立・敵対し、朝鮮半島や中国、そして他のアジア地域とそこに生きている人々を巻き込みながら、戦争を継続し、その挙句、敗戦そして米国主導のGHQの占領下におかれ、「独立」以降も米国の半ば従属国として生きてきた。 戦後の日本と日本人は、すぐ横で引き起こされている朝鮮半島の痛ましい、悲惨な歴史を、「他人事」として見てきた、その意味では非常に「民度の低い」人間集団から構成された国家であり、その国民であったのだ。それはある面では、同情すべきことだとして論じられてもいい。というのも、「システム」は、戦争前も、戦中も、そして戦後も一貫して、民度の低い日本と日本人をつくり続けてきたのだから、仕方がないことなのだ。勿論、だれしもこんなもの言いで済まされるとは思わないだろうが、それがまた現実であったという以外にはないのである。 可哀そうなのは、韓国と北朝鮮の名も無しカネもない人々である。背負いきれない重荷を「システム」によってずっと背負わされてきたのに、当の日本と日本人はもとより、かつての欧米列強諸国と諸国民もまた同様に、他人事のように、み続けているのだ。 欧米諸国とその国民の「質(たち)の悪さ」は際立っている。(このような言い方をして誠に失礼だとは思うのだが、「民度の低い」「日本人」が話しているので、しばらくはご寛恕お願いするのみ。)と言うのも、彼らは朝鮮半島やアジア諸地域で繰り返された植民地の歴史に深く関係した「今の」モメゴトを、あたかもアジア諸国内で引き起こされた、アジア人の問題だとして、傍観したままなのである。いや、それならまだしもいいのだが、日本の「あの戦争」とそれに伴う戦後の歴史問題、従軍慰安婦問題、朝鮮半島の南北分離の原因を、日本と日本人が「すべて」背負うべき問題だとして、「国際ニュース」の題材にしていることである。そこでも常に、対立構図は韓国対北朝鮮、韓国対日本、北朝鮮対日本というように、「二項対立」図式にすり替えられたままなのだ。 こうして、私たち「システム人」としての連帯は、ことごとく「システム」により妨げられるのである。「システム」はその担い手である「システム人」を、例えば「日本人」に、「韓国人」に、「北朝鮮人」に、つくり替えていくのである。そうすることで、「本来の出自」である「システム人」としての自覚を妨げてしまい、「システム」にとって都合のいい「国民」を創るのである。 アジア地域を語る際に、「中国」と「中国人」を忘れてはならない。彼らも悲惨な歴史を歩んできた。欧米列強により、半ば植民地として蚕食され続け、「今の」香港問題もまさに、未だに半植民地時代の歴史が終わっていないことを、如実に示している。香港対中国(本土)の二項対立構図の中で、「主犯」である「システム」の重要な構成要素の英国は歴史の法廷に、「強制連行」されないままなのだ。その英国は、当時の覇権国であり、覇権システムを牽引していたことを忘れてはならない。 付言すれば、当時の覇権国である英国と他の欧米列強が中心となり主導した「システム」は、これまで何度も指摘してきたように、{[A]→(×)[B]→×[C]}の関係として描かれる。(省略形、共時態モデル)このモデルにおける当時の日本は、Bグループに、中国はCグループに、また韓国と北朝鮮はCグループの中位から下位に位置していたと私はみている。英国は中国に香港を割譲させたのだ。こんなおかしな話を「今の」私たちは、もう何もおかしなことだと判断したり評価することができないでいる。 さて、ここで冒頭の話に戻ろう。「今の」日本と日本人の中に、他人事のような顔をして、北朝鮮は怖い国だとか、韓国も「過去」の歴史を引きずり過ぎていて、とても付き合いしかねる云々を語る人がいるとすれば、と同時に、中国と中国人をことさら貶めるような物言いを繰り返すとすれば、ますます日本と日本人の安全保障は危ういものになるだろう。一刻も早く、日本人は「システム」の学習を必要としているのだが、当の「システム」が動員するマスコミの情報操作の前で、それこそ「民度の低い」幸せな国民として生き続けている。(以上) 手前みそな話で申し訳ないのですが、これで失礼いたします。
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