http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/797.html
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(回答先: 日本のアイヌ語地名―東北から沖縄まで 投稿者 中川隆 日時 2021 年 1 月 22 日 20:17:17)
日本人は6000年前に chousen に住んでいて、弥生時代初めに日本に移民してきたんだよ:
kan国釜山市の6000年前頃の人類のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/202011/article_34.html
最近ネットで、 chousen半島には「縄文人」がいた、というような主張を見かけます。確かに、縄文時代の九州と同時代の chousen半島との交流が考古学で明らかになっているので(関連記事)、「縄文人」が chousen半島に渡ったとしても不思議ではありません。こうした主張那主要な元ネタの一つとして、韓国釜山市の加徳島で発見された6000年前頃の人類のDNA研究があるようです。日本語記事によると、その研究に関わった一人である篠田謙一氏は公開シンポジウムで、この6000年前頃となる加徳島人集団が日本列島に到来したならば、(縄文人と)混血せずに現代(本土)日本人になる、と述べたそうです。
検索してみると、この研究は chousen語の学術誌である『文物』第9号に掲載された論文のようですが、ネットでは書誌情報しか見つけられませんでした。そこで、Wikipediaを利用して加徳島の chousen語表記を確認し、DNAとあわせて検索してみると、論文は見つかりませんでしたが、この論文内容を紹介したブログが見つかりました(内容紹介1および内容紹介2)。このブログ記事から推測すると、本論文は印刷版でしか公表されていないようです。私は chousen語を全く解さないので、機械翻訳に頼って内容を確認しましたが、著者は専門家である可能性が高く、少なくとも集団遺伝学に関してかなりの知見があるので、その内容紹介は信用できる、と判断しました。以下、このブログ記事に依拠して、この研究の内容を見ていきますが、機械翻訳なので私の誤認がかなり入っているかもしれません。
この研究は、釜山市の加徳島の獐遺跡で発見された6300年前頃の人類遺骸のDNAを解析しました。獐遺跡では、 chousen半島南岸地域の初期新石器時代で典型的な土器が発見されているようです。獐遺跡で発見された48個体のうち埋葬方法が識別可能なのは31個体で、そのうち23個体で屈葬が採用されていたそうです。屈葬は縄文時代の日本列島で一般的ですが、 chousen半島の新石器時代では基本的に見られないそうで、黒曜石や土器などで交流が確認されている、縄文時代の九州とのつながりが示唆されます。
- 「縄文人」とアイヌ・琉球・「本土」集団との関係 中川隆 2021/2/07 18:45:46
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