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(回答先: 大西つねきの経済理論はMMTを知らなくてもおかしいし、MMTを知ってからだとなお、おかしいこと気にづきます。 投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 16 日 15:22:09)
大西 つねきさんの新自由主義的価値観は基本的に間違っている
医療費削減の先にある恐怖…アメリカのパンデミックが収束しない理由を内田樹と岩田健太郎が指摘
2020.9.30
コロナ・パンデミックは、「医療は商品である」という原理の無効性を可視化させた。そう語るのは、思想家の内田樹さんと医師の岩田健太郎さんだ。二人の対談が収められた『コロナと生きる』(朝日新書)から、なぜアメリカのパンデミックは収束しないのか、その背景について紹介する。
* * *
■コロナが晒した新自由主義の限界
内田:医療費の増加は、ここ20年ぐらい日本が抱える財政上の最大の問題とされてきました。国家財政を逼迫させているのは医療費である、だから医療費削減を達成することが焦眉の課題なんだと、政府も経済評論家も口を揃えて言い続けてきた。その結果、病床数を減らし、保健所を減らし、医薬品や医療器材の備蓄を減らすことになった。そうやって医療体制が十分に脆弱になったところに、今回のコロナのパンデミックが到来した。どう考えても医療費を削減させながら感染症に対応することはできません。
岩田:そうですね。
内田:国民の健康という点では何のプラスももたらさないはずの医療費削減政策がさしたる国民的な抵抗もなしにこれまですらすらと通って来たのは、新自由主義的な「医療とは商品である」という発想が国民の間に浸み込んでいたからなんじゃないかと僕は思います。医療は市場で金を出して買う商品である。だから、金があれば良質の医療を受けることができるけれど、金がなければ身の丈にあった医療しか受けることができない。不動産や自動車と同じで。そういうふうに考える人がいつの間にか多数派を占めるようになった。だから、「すべての国民が等しく良質の医療を受ける権利がある」と考える人は、今はむしろ少数派になったんじゃないでしょうか。
金のある人、あるいは社会的有用性の高い人、生産性の高い人は医療を受ける権利があるが、そうでない人の治療のために公金を投じるべきではない。ちゃんとした治療を受けられないのは当人の自己責任だ、という冷たい考え方をする人がほんとうに増えた。一般の疾病でしたら、そういう理屈も通るかもしれませんけれど、感染症にはこれを適用することができない。医療を受けられない人たちが感染源となっていつまでも社会のなかにとどまる限り、感染症は永遠に制御不能だからです。
岩田:まさにアメリカはそのせいで無保険の人々が大量に生まれ、所得が低い人は医療サービスを受けられなくなりました。
内田:アメリカには今、無保険者が2750万人いるそうです。この人たちは病気になってもまともな医療を受けることができない。それで重症化しても、死んでも、「自己責任」でこれまでは済んだかもしれません。でも、感染症ではそうはゆかない。貧しくて治療を受けられない人たちがコロナウイルスに感染して、感染源を形成することになれば、感染症はいつまでも終息しないからです。
「自己責任で医療を受けろ」というルールを押し通せば、社会機能が止まったままになる。感染症は「すべての国民が等しく良質な医療を受ける権利がある」という原理を採用しないと制御不能です。でも、アメリカは「医療は商品である。金がないやつは医療を受けられなくても文句を言うな」という原理でこれまで押し通してきたので、急には方向転換できない。だから未だに感染症拡大を制御できないでいる。これまでの考え方を棄てないと、アメリカのパンデミックは収束しないと思います。
岩田:まさに同感です。
内田:日本の医療費削減のロジックも、アメリカと同じく新自由主義的な発想です。医療行為や医薬品をすべて「マーケットで売り買いされる商品」として扱うようになってきた。だから、「命の選別」という話になったときに、「社会的有用性の多寡」を比較しようというような発言が出てくる。「医療資源は強者に優先配分すべきである」というのは「医療は商品だ」ということの言い換えに過ぎません。でも、そうやって社会的弱者から医療機会を奪ってみても、それはただ公衆衛生的環境を悪化させることにしかならない。
「医療は商品である」という原理そのものの無効性を今回のコロナ・パンデミックははっきり可視化したと思うんです。医療に関しては新自由主義的な発想は適用できないということがよくわかった。それはたぶん他の領域についても同じだと思うんです。グローバル資本主義は「必要なものは、必要なときに、必要なだけ、市場で調達することができる」ということを不可疑の前提に組み上げられたシステムですけれど、今回の各国の医療資源の奪い合いで、いくら必要でも市場で調達できないものがあるという当たり前のことを人々は思い知らされた。ジャストインタイム生産方式とか、「在庫ゼロ」とかいうのがいかに机上の空論に過ぎないか、思い知らされた。医療資源の戦略的備蓄が十分であれば、感染症を早い段階で抑え込むことができる。一方、医療資源を「在庫ゼロ」にして「コストカットができた」と喜んでいると、簡単に医療崩壊が起きる。それで経済が停止したら、「コストカット」で浮いた分なんか一瞬で吹き飛んでしまう。それくらいの損得の算盤は誰でも弾けるはずなんです。
新しいウイルスによる感染症はこれからも数年おきに必ず起こります。ウイルスから社会を守ろうと思ったら、「医療は商品ではない。すべての人は等しく良質の医療を受ける権利がある」という原理を「世界の常識」として採択するしかない。アメリカの現状を見れば、誰でもそう考えるはずです。
- 大西さんみたいに経済効率を優先するのが新自由主義 中川隆 2020/10/19 07:52:18
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- 英語を勉強したり、アメリカに留学したり、証券会社に就職するというのは文化と無縁だという事だからね。 中川隆 2020/10/28 08:01:10
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- 英語を勉強したり、アメリカに留学したり、証券会社に就職するというのは文化と無縁だという事だからね。 中川隆 2020/10/28 08:01:10
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