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米英の特殊部隊はすでにロシア軍と戦闘状態にある
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202204150001/
2022.04.15 櫻井ジャーナル
ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノはウクライナでの取材を終えて帰国、米英の特殊部隊、つまりアメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加している事実を伝えている。
1991年12月にソ連が消滅したが、その2カ月後にアメリカ国防総省はDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プランを作成した。その最高責任者は国防長官だったリチャード・チェイニーだが、作成の中心は国防次官のポール・ウォルフォウィッツだったことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。
まず旧ソ連圏の制圧に着手するが、1993年1月に大統領となったビル・クリントンは戦争に消極的。その流れが変わったのは1997年1月に国務長官がクリストファー・ウォーレンからマデリーン・オルブライトへ交代してからだ。オルブライトはヒラリー・クリントンと親しく、ズビグネフ・ブレジンスキーの教え子だった好戦的な人物である。
1999年3月にNATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃、破壊と殺戮を展開し、国を解体した。その前にセルビア人を悪魔化するための宣伝が繰り広げられたが、その仕事を請け負ったのはルダー・フィン・グローバル・コミュニケーションという広告会社。1991年に「民族浄化」を行ったクロアチア政府がこの会社と契約している。
アメリカはイメージ戦略を本格化させたのだが、メディアに対する工作も強化している。1999年にはアメリカ陸軍第4心理作戦群の隊員が2週間ほどCNNの本部で活動したのも一例。「産業訓練」というプログラムの一環で、編集に直接はタッチしていなかったというが、心理戦の部隊を受け入れると言うこと自体、報道機関としては許されない行為である。その後、CNNはプロパガンダ機関色が濃くなる。アメリカ軍の広報担当、トーマス・コリンズ少佐によると、派遣された軍人はCNNの社員と同じように働き、ニュースにも携わったという。(Trouw, 21 February 2000)
この当時、アメリカの支配層はロシア軍や中国軍を甘く見ていた。例えば、フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる日は近いとされている。
そうした認識は2008年8月のジョージア軍による南オセチアへの奇襲攻撃失敗で崩れた。イスラエルやアメリカを後ろ盾とするジョージア軍が北京オリンピックの開催に合わせて奇襲攻撃したのだが、ロシア軍の反撃でジョージア軍は完敗した。
この奇襲攻撃の前年、ウクライナのネオ・ナチ、ドミトロ・ヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加している。2007年5月に欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議がウクライナのテルノポリで開かれたが、その議長がヤロシュ。その時にアメリカのNATO大使を務めていたのがビクトリア・ヌランドだ。
NATOの秘密部隊ネットワークは1944年にアメリカの戦時情報機関OSSの1部門だったSOとイギリスの特殊部隊SOEによって編成されたジェドバラが源流。大戦中、西部戦線でドイツ軍と戦っていたのは事実上、市民のレジスタンスだけだが、その主力がコミュニストだったことから、これに対抗するために作り上げたのである。
戦後、ジェドバラは解体されるが、人脈は残り、アメリカ軍の特殊部隊や破壊工作機関OPCになり、ヨーロッパでも破壊工作機関がつくられる。NATOが組織された後、NATOの秘密部隊になった。この人脈はベトナム戦争で住民虐殺作戦、フェニックス・プログラムを実行している。その主体はCIAと軍の特殊部隊で、正規軍は無関係だった。
バラク・オバマ政権は2014年2月にネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したが、それと並行してオバマ政権はCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込んでいる。さらに、傭兵会社「アカデミー(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名がウクライナ東部の制圧作戦に参加したとも伝えられた。
クーデターでアメリカはウクライナ全域を支配し、ロシアの喉元にナイフを突きつけるつもりだったが、クリミアとドンバス(ドネツクやルガンスク)の制圧に失敗する。そうしたこともあり、CIAはクーデター軍の特殊部隊員を2015年からアメリカ南部で訓練していると伝えられている。
CIAの秘密工作にはイメージ戦略や情報操作が含まれている。第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃、アメリカでは情報操作を目的としてモッキンバードが始められた。(Deborah Davis, “Katharine the Great,” Harcourt Brace Jovanovich, 1979)
そのプロジェクトを指揮していたのは4人。第2次世界大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で戦後に極秘の破壊工作機関OPCを率いていたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。
フィリップ・グラハムはジョン・F・ケネディの友人だったが、ケネディが暗殺される3カ月前に死亡、妻のキャサリンが新聞社の経営を引き継いだ。キャサリン時代にワシントン・ポスト紙はウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだ。
その取材で中心的な役割を演じたカール・バーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。
その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
こうした情報操作システムを築いていたCIAだが、気骨あるジャーナリストが活躍する余地は残っていた。そこで1980年代に始められたのがプロジェクト・デモクラシー。アメリカは侵略、破壊、殺戮を続けるが、そうした行為に「民主的」というタグをつけ、人びとに支持させようとしたのだが、これは成功した。
こうしたイメージ作戦が本格化するのは1983年1月のことだ。ロナルド・レーガン大統領がNSDD11に署名、プロジェクト・デモクラシーやプロジェクト・トゥルースがスタートしたのだ。デモクラシーという看板を掲げながら民主主義を破壊し、トゥルースという看板を掲げながら偽情報を流し始めたのだ。インターネット支配も進めている。
フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテはオバマ政権がウクライナでクーデターを実行した2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版した。その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。
彼によると、CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開。その結果、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ているとしていた。そうした危機感を持っていたウルフコテは2017年1月、56歳の時に心臓発作で死亡している。西側メディアはロシアとの戦争へと人びとを導いていると警鐘を鳴らしていたのだ。
言うまでもなく、日本の状況も悪い。むのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭、「ジャーナリズムはとうにくたばった」と発言したという。(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)
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