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ウクライナの戦争でも行われている歴史のぶつ切りは一種の歴史改竄
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203180000/
2022.03.18 櫻井ジャーナル
ウクライナで戦争が続いている。西側の政府や有力メディアは今年2月21日にロシアのウラジミル・プーチン大統領はドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認し、2月24日にロシア軍が巡航ミサイル「カリブル」などで攻撃したところから戦争は始まったとしているが、これはアメリカやEUの見方にすぎない。
歴史は因果の連鎖であり、ひとつの出来事には原因がある。歴史を語る場合、始まりを設定しなければならないが、どこから始めるかで見える風景は大きく変わってくる。そうした連鎖を体制の要請に合わせて断ち切り、その断片を雇い主の都合に合わせて解釈して見せる人もいる。
プーチンが独立を承認する前からウクライナでは軍事的な緊張が高まっていた。2月17日頃からウクライナ側からドンバスへの攻撃が激しくなっているが、その前からアメリカ/NATOはロシアに対する軍事的な恫喝を強めていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。
ウクライナの政治家、オレグ・ツァロフは2月19日に緊急アピール「大虐殺が準備されている」を出し、ボロディミル・ゼレンスキー大統領がごく近い将来、ドンバスで軍事作戦を開始するという情報をキエフから得たとしていた。
そのアピールによると、この地域を制圧してからキエフ体制に従わない住民を「浄化」するという作戦で、西側から承認を得ているともしていた。この作戦と並行してSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。
ウクライナへの攻撃を始めた後、ロシア軍はウクライナの生物兵器の研究開発に関する、そして3月に予定していたドンバスへの攻撃計画に関する文書を発見したとロシア国防省は発表している。
西側ではロシア軍がウクライナへ軍事侵攻したと単純に表現しているが、ウクライナの現体制は2014年2月のネオ・ナチによるクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除したところから始まっている。その時のアメリカ大統領がバラク・オバマだ。
この事実を隠蔽したい人びとは2014年にロシアがウクライナを侵略したことにしている。事実を調べれば嘘だということが容易にわかるだろうが、事実を調べない人には効果があるだろう。
その時にホワイトハウスでクーデターを統括していたのがジョー・バイデン、現場で指揮していたのが国務次官補だったビクトリア・ヌランド。クーデターの1ヶ月ほど前、ヌランドは電話でジェオフリー・パイアット米国大使に対し、ヤヌコビッチを排除した後の閣僚人事について指示している。その際、話し合いで混乱を解決しようとしていたEUに対し、彼女は「クソくらえ」と口にしたのだ。
そのクーデターで主力になったネオ・ナチの中核は「右派セクター」だが、そのグループを率いていた人物がドミトロ・ヤロシュ。2007年からNATOの秘密部隊ネットワークに参加している。その時にアメリカのNATO大使を務めていたのがヌランド。その当時、ヤロシュなどネオ・ナチはチェチェンでアメリカが行っていた対ロシア戦争に参加、中東のジハード傭兵たちと結びついている。
1991年12月にソ連は消滅、翌年2月にアメリカ国防総省はDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プランを作成した。その最高責任者は国防長官だったリチャード・チェイニーだが、作成の中心になったのは国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツ。そのため「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。
このドクトリンは旧ソ連圏の復活を阻止するだけでなく、潜在的ライバルの中国やEUを潰し、覇権の基盤になるエネルギー資源を支配しようとしていた。つまり中東もターゲットだ。欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めていたウェズリー・クラークによると、1991年の段階でウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。(ココやココ)
ウォルフォウィッツ・ドクトリンのベースを考えたアンドリュー・マーシャルは国防総省のシンクタンクONAで室長を務めていた人物。バーナード・ルイスなる学者から世界観を学んだという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
ドクトリンが作成された当時、アメリカが「唯一の超大国」になったと信じた人は少なくなかった。そこで、アメリカは国連を無視して単独で行動できると考える人が出てくる。
ところが、1993年8月に日本の総理大臣となった細川護煕は国連中心主義を維持。そこで1994年4月に倒れた。細川政権が設置した諮問機関の防衛問題懇談会はその考えに基づいて「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」を作成するが、これをマイケル・グリーンとパトリック・クローニンは問題視、1995年2月に発表されたジョセイフ・ナイ国防次官補の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」につながる。これはウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいている。
この当時、ネオコンやアメリカの有力メディアは旧ソ連圏への軍事介入を煽っていたが、ビル・クリントン政権は軍事力の行使に消極的。その象徴が国務長官だったウォーレン・クリストファーだ。
この人物がマデリーン・オルブライトへ交代になった1997年から流れは変わる。その背後にいたのがヒラリー・クリントンやヌランドだ。この年、ズビグネフ・ブレジンスキーは『グランド・チェスボード』(日本語版は『ブレジンスキーの世界はこう動く』、後に『地政学で世界を読む』へ改題)というタイトルの本を出している。
この本(原書)が出版された2年後、NATOはユーゴスラビアを先制攻撃した。この攻撃ではスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅が破壊されただけでなく、中国大使館も爆撃されている。こうした攻撃を容認した西側はロシアのウクライナ攻撃を許さない。
ユーゴスラビア攻撃の目的はコソボのアルバニア系住民をユーゴスラビアから分離してアルバニアと合体させことにあったが、少なくとも結果としてこの国を解体し、NATOを拡大させる第一歩になった。ここからアメリカは侵略戦争を本格化させていく。
コソボでアメリカが手先に浸かっていた勢力の実態は麻薬業者。アメリカ/NATOの保護下のアフガニスタンではケシが栽培され、ヘロインが生産されてきたが、その麻薬販売ルートはコソボを通過している。彼らは後に臓器を売買していたことも判明する。
ただ、1990年代には支配層の内部にもNATOの拡大は危険だと考える人がいた。例えば「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンはNATOの拡大がロシアを新たな冷戦に向かわせると警告していた。こうした意見を封印することになるのが2001年9月11日に行われたニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎への攻撃、いわゆる「9/11」だと言えるだろう。
ウェズリー・クラークによると、その直後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺は新たな攻撃予定国リストを作成していた。そこにはイラク、シリア、イランのほか、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンが載っていたという。レバノンをリストに載せた理由のひとつはイランとの関係が強いヒズボラの存在にある。ハリリはそのヒズボラを連合政府へ参加させようとしていた。
9/11の後、アメリカはアフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ソマリアなどを攻撃している。2020年1月3日にはバグダッド国際空港でイランのコッズ軍(特殊部隊)を指揮していたガーセム・ソレイマーニーを暗殺した。その時、緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。
2014年2月のクーデターで危機感を強めた人の代理人として動いたのであろう人物はヘンリー・キッシンジャー。2016年2月10日に彼はロシアを訪問してプーチン大統領と会談、22日にはシリアにおける停戦で合意した。そして大統領候補として浮上してきたのがドナルド・トランプだ。ヒラリーはオバマやバイデンと同じ流れに乗っていた。
日本の近代史でも呼称は問題になる。典型例は日本軍の中国における戦争。「満州事変」、「上海事変」、「日支事変」、「大東亜戦争」というように歴史をぶつ切りにして別個の出来事だとする人がいる。「太平洋戦争」という呼称もある。そうした見方への疑問から「日中戦争」や「十五年戦争」という呼称が出てきたのだろうが、今でも歴史をぶつ切りにしたがる人が少なくない。ウクライナにおける戦争でもそうした手口が使われている。
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