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アフガニスタンでの戦争は1970年代にアメリカが始めた(2/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108120000/
2021.08.12 櫻井ジャーナル
アメリカがアフガニスタンを攻撃、占領した利用として、オサマ・ビン・ラディンなる人物をタリバーンが匿ったからだと言われることがある。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃された直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をせずに「アル・カイダ」が実行者で、そのトップがオサマ・ビン・ラディンだと主張してのことだった。
しかし、9月11日の出来事(9/11)にオサマ・ビン・ラディンが関係していることを示す証拠は示されていない。「アル・カイダ」なる組織は存在していない。アメリカ政府や有力メディアが作り出した悪霊の幻影にすぎない。
イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが2005年7月に明かしたように、「アル・カイダ」はCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リスト。アラビア語でアル・カイダはベースを意味、データベースの訳語としても使われる。
ムジャヒディンをアフガニスタンで戦闘員として使い始めたのはジミー・カーター政権で国家安全保障補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーだが、パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカがアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめたのは1973年だ。
ブレジンスキーの作戦に基づいてCIAがイスラム武装勢力への支援プログラムを始めたのが1979年4月、ソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻してきたのはその年の12月である。アメリカの軍や情報機関は戦闘員を訓練し、武器/弾薬を供給して支援、戦争はブレジンスキーの思惑通りに泥沼化、ミハイル・ゴルバチョフの命令で1989年2月にソ連軍は撤退した。
アフガニスタンを手に入れたと判断したCIAはパキスタンの情報機関と手を組み、新体制を動かすために「タリバーン」を組織する。この集団は1996年9月に首都のカブールを制圧、その際にムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取るなど残虐な行為を繰り返したため、イスラム世界におけるタリバーンの評価は高くなかった。
ところが、アメリカ支配層は違った。例えばCFR(外交問題評議会)のバーネット・ルビンはタリバーンと「イスラム過激派」との関係を否定、国防総省と関係の深いRAND研究所のザルマイ・ハリルザドも同じ見解を表明する。ちなみに、タリバーンのアメリカにおけるロビイストはリチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズだった。
アメリカの石油企業はタリバーンを使い、中央アジアの油田を開発しようとする。1991年12月にソ連が消滅した後、カスピ海周辺の石油を輸送するため、ジョージ・H・W・ブッシュ政権はアゼルバイジャンのバクー(B)、ジョージアのトビリシ(T)、トルコのジェイハン(C)を結ぶBTCパイプラインを計画した。その発案者は巨大石油企業のBPである。
このBPでブレジンスキーは1990年代に顧問を務めていた。彼はアメリカ政府に対してBTCプロジェクトを支援するように求め、1995年にはビル・クリントン米大統領がアゼルバイジャンのヘイダル・アリエフ大統領と会談する仲介をしている。
BTCパイプライン計画にはライバルがすでに存在していた。チェチェンのグロズヌイを経由するパイプラインだ。この競争相手を機能できなくするためにチェチェンを戦乱で破壊する計画が持ち上がり、その工作を指揮することになったのがCIAのグラハム・フラーだ。
この人物はアフガニスタンでジハード傭兵の仕組みを作り上げた人物で、その下にはベトナム戦争でCIAの秘密工作に深く関与、イラン・コントラ事件で名前が出てきたリチャード・シコードがいた。
シコードがアゼルバイジャンで活動の拠点として設立したのがメガ石油。またジハード傭兵数百名をアフガニスタンからアゼルバイジャンへ移動させるために航空会社を設立、1993年までにメガ石油は約2000名の戦闘員を雇い、カフカスでの工作に使ったという。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)
しかし、トルクメニスタンからのパイプライン敷設計画の思惑は崩れる。1998年1月にタリバーンはトルクメニスタン(T)からアフガニスタン(A)とパキスタン(P)を経由してインド(I)に至るTAPIパイプラインの敷設計画でUNOCALでなくアルゼンチンのブリダスを選んだのである。
そうした動きを察知したのか、クリントン政権は1997年にウズベキスタン、キルギスタン、カザフスタンの軍隊と演習を開始、アメリカ軍派遣の準備に着手している。
そして1998年8月、アメリカにとって好都合なことに、ケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームのアメリカ大使館が爆破された。アメリカ政府は大使館爆破はオサマ・ビン・ラディンの命令だと即座に断定、タリバーン政権とのパイプラインに関する交渉を停止、この月の20日にアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。また9/11の2カ月前、ブッシュ・ジュニア政権内でアフガニスタンへの軍事侵攻が計画されたと報道されている。
9/11の2日前、ロシアやイランとも友好的な関係を結ぼうとしていたアーマド・シャー・マスードが暗殺され、9月22日にCIAはウズベキスタン南部にある空軍基地へチームを送り込む。10月にはアフガニスタンを先制攻撃、抵抗らしい抵抗がないまま12月にタリバーン体制は崩壊したと言われた。そして反タリバーン派はドイツのボンで会議を開き、新政府の樹立について話し合い、ハーミド・カルザイ大統領が誕生する。
この段階で国連安全保障理事会はISAF(国際治安支援部隊)の創設を承認、2003年8月から形式上、NATO(北大西洋条約機構)が指揮権を握っている。建前はどうであれ、ISAFは占領軍にすぎず、相次ぐ「誤爆」で一般住民を殺害して状況を悪化させていった。その一方でケシ畑を保護してきた。
タリバーンがアメリカに従属しない場合、アメリカは空爆と同時に地上のジハード傭兵で新たな戦争を始める可能性が高い。これはリビアやシリアで使った戦術だ。(了)
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