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12月 01, 2019 日々雑感(My impressions daily)
<中曽根康弘元首相は1905年5月27日の日本海海戦の13年後の同日に生まれ、後に海軍に入る。軽武装・経済重点主義の「保守本流」の田中角栄氏や池田勇人氏と異なる「保守傍流」から首相の座に上り詰めた。若いころから首相を目指したが就任は82年。47年当選同期の田中氏(就任72年)や49年当選の池田(同60年)、佐藤栄作(同64年)の両氏より遅かった。
「青年将校」と呼ばれ
「自主憲法制定」を訴えて「青年将校」と呼ばれ、早くから注目を集めた。66年設立の中曽根派(新政同志会)は小派閥。大勢に順応する姿勢は、鶏をかたどった風向計になぞらえ「風見鶏」とやゆされた。中曽根氏は後に「風の方向が分からないで船を進めることはできない」と切り返した。
70年代には三木武夫、田中、大平正芳、福田赳夫各氏とともに「三角大福中」として次のリーダーの一人と目された。当時は派閥政治の全盛期。中曽根氏は闘争の中で力をつけ、82年の自民党総裁予備選で、主流派の田中派や鈴木派の支持を取り付けて2位の河本敏夫経済企画庁長官らを圧倒した。公明党の山口那津男代表は29日の党会合で「大きくはない派閥を率いて総理になったのは並大抵のことではない」と指摘した。
その後の党人事では、田中派の二階堂進幹事長を留任させ、組閣では官房長官に後藤田正晴氏、蔵相に竹下登氏など同派から6人を起用。「田中曽根内閣」「角影内閣」などと皮肉られた。
「死んだふり解散」で大勝
しかし2期4年の総裁任期終了が近づいた86年6月、奇襲的な衆院解散を断行。「死んだふり解散」による衆参同日選に臨み、300議席を超える大勝を果たし、異例の党総裁任期の1年延長を勝ち取った。
この時初当選した自民党の石破茂元幹事長には、鮮明に脳裏に残る場面がある。両院議員総会で登壇した中曽根氏は「もう1年やることになりました。しかし『待合室』も混んでいるようなので1年しかやりません」。竹下氏のほか安倍晋三首相の父の晋太郎元外相、宮沢喜一元首相が「安竹宮」として控えていた。約束通り1年後に竹下氏を後継指名して影響力を残して道を譲った。石破氏は「ものすごく政治に緊張感があった。長期政権であるが故に緊張感が失われる、というのは違う」と語る。
「命の限り 蟬しぐれ」俳句で締めくくり
97年には生前受章では最高位の大勲位菊花大綬章を受章し、「大勲位」と称されるようになる。だが政治家人生は突然終わりを迎えた。衆院比例代表の「終身1位」を約束されていたが、2003年10月、小泉純一郎首相が比例代表への73歳定年制を適用。当時85歳だった中曽根氏に対する引退勧告だ。この時、事務所を訪れて「高い見地から党をご指導いただきたい」と引退を迫ったのは当時幹事長の安倍晋三首相。首相はその後、この時に中曽根氏の「君も貧乏くじを引いたな」との一言に救われた、と語っている。中曽根氏は「承服できない」と抵抗したが受け入れられず、その後の会見を自作の俳句で締めくくった。「暮れてなお 命の限り 蟬(せみ)しぐれ」
引退後も国際社会の重要課題について内外に広く発信する「世界平和研究所」や、超党派の「新憲法制定議員同盟」などで精力的な言論活動を続けた。
旧日本軍の侵攻「まぎれもない侵略行為」と指摘
中曽根康弘元首相が「戦後政治の総決算」を掲げたのは、連合国軍総司令部(GHQ)占領下でできた「戦後体制」を改めるという問題意識からだ。だが、それを体現した1985年8月15日の初の靖国神社への公式参拝は、中国の反発を招き、今日まで靖国参拝が国際問題化し続けるきっかけとなった。首相在任時は持論の憲法改正を封印したが、改憲は現在も政治課題として積み残されている>(以上「毎日新聞」より引用)
中曽根康弘氏が101才の太寿を全うされた。保守政治家として大きな足跡を残されたが、戦後日本の総決算を果たし得なかったのはさぞ心残りであっただろうと推測する。
その反面「戦後体制の総決算」という言葉とは程遠い「旧日本軍の侵攻は紛れもない侵略行為」と指摘して、GHQの自虐史観をそのままなぞった。「青年将校」と呼ばれた男は戦後GHQ支配体制と米国に阿る政治家であった。
中曽根氏の果たした大きな足跡は電電公社解体と国鉄解体民営化、という日本の基本的な構造を解体したことにある。しかしそれは国民の富を奪い、国が投資した財産を処分したに過ぎない。
電電公社解体により、国民や企業が購入していた「電電公社への出資証券」は紙屑とされた。電話一回線引くのに社債一口必要とされ、購入と売却差損7万2千円を電話利用権として支払った。大企業などでは「電話加入権」が数億円以上にも達している。それが紙屑になってしまった。
巨額債務を抱える国鉄の救済策として、国費を投じて国鉄用地を買収し整備した国家財産たる国鉄を各地域ごとに解体し株式会社化にする、という荒療治を行った。その結果、社会インフラとしての鉄道が企業経営原則で運営されるようになり、地域間格差が拡大する大きな要因となった。
そうした「構造改革」路線は小泉内閣や安倍内閣に受け継がれ、日本の解体と地域格差拡大が促進され、結果として競争原理による効率化よりも地方切り捨ての悪影響が出ている。国土の均衡ある発展、という掛け声がいかに空しいものか、「構造改革」が果たした足跡を見れば明らかだ。
旧日本軍が行った戦争は欧米列強が行っていた帝国主義や植民地主義とは明らかに異なる。他国民を虐殺し、奴隷として使役し、他国を徹底的に搾取した欧米列強と日本を同列置いて「植民地解放戦争」を戦った日本を貶めようとするGHQ支配を、「青年将校」中曽根氏も受け容れざるを得なかったのだろうか。
その自虐史観受入れの悪しき伝統は自民党に受け継がれ、村山談話を生み、河野会見発言を生み、そして安倍晋三氏の「最終合意」などといった荒唐無稽な措置まで生み出した。彼らがいかに先人の名誉を傷つけ、現在と未来の日本国民を貶めているか。中曽根氏の大罪はレーガン大統領にリップ・サービスした「日本列島不沈空母」発言に如実に表れている。
いかに攻撃されても「日本列島」は沈まない(米国の)「不沈空母」だという発言は日本国民を蔑ろにしている。日本を米国の弾除けにするなどという飛んでもない発言の中身をスルーした当時の日本マスメディアも戦後GHQ支配体制の中にあったといえる。
日本は東アジアのスイスを目指すべきだ。国民が国家と国民を護るという強い信念のもと、軍備を完備し、いずれの陣営にも属さず人類世界の平和を希求する国家になるべきだ。軍産共同体に支配されている「戦勝国クラブ」の面々の「戦争ごっこ」に決して参加してはならない。「不沈空母」発言など以ての外だ。それはたとえ核攻撃を受けても日本列島は沈まない、米国のために日本国民は滅びても良い、という発言でしかない。死者に鞭打つつもりはないが、中曽根氏の政治的業績は日本の「構造改革」を戦後最初に行い、日本の社会インフラを分断し地方衰退の道を開き、複数分社民営化により利権の分け取りをしたに過ぎない。そして国際政治においても米国のポチ化を促進したに過ぎない。
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