公開文書が不開示! 外務省の噓を生んだ闇(朝日新聞社 論座)
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投稿者 肝話窮題 日時 2019 年 10 月 28 日 23:42:38: PfxDcIHABfKGo isyYYouHkeg
公開文書が不開示! 外務省の噓を生んだ闇
「安全保障や外交に支障」のまやかし 意識改革と態勢強化が急務
藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
2019年10月27日
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019100800001.html
外務省が2010年から自主的に公開している日米関係の文書(左)と、2017年の情報公開請求に対し墨塗りにした同じ文書(右)=東京・麻布台の外交史料館。藤田撮影
「安全保障や外交に支障が出かねない」という理由で開示を拒んだ日米関係の文書は、すでに自ら公開している文書と同じ中身だった――。ウソをついたと言われても仕方がない外務省のずさんな情報公開への対応を2件、朝日新聞は10月にまとめて報じた。
この奇怪な不手際を生んだ外務省の闇を、筆者の私がどのように探り、日本外交の足腰に危うさを覚えたか。新聞に書ききれなかった経緯と実態を報告する。(朝日新聞編集委員・藤田直央)
「外務省、公開済み内容を不開示に 沖縄返還文書など」(10月27日付朝日新聞朝刊1面に掲載)
「すでに公開ずみです」
きっかけは8月、日米関係史に詳しい信夫隆司・日本大学教授からの指摘だった。
開示請求から2年4カ月も経ってやっと外務省が出してきた半世紀前の外交文書を示し、ニュース性を尋ねたときのことだ。「沖縄返還問題の進め方について」という文書に目をとめた信夫氏から、意外な反応が返ってきた。
信夫隆司・日本大学教授(日米関係史)
「私が驚くのは、すでに公開ずみ、それも極めて有名な文書群の中にあるものを、開示請求に対し当初墨塗りした(開示しない部分を黒く塗りつぶした)ことです。外務省の担当者が不勉強なのかどうかわかりませんが、歴史的文書の持つ重要性を全く認識していないのではないでしょうか」
そうとは知らなかった私の「外務省ずさん不開示問題」の取材はここから始まったのだが、本論に入る前にまず、まさに紆余曲折を経たここまでの外務省とのやり取りを述べておく。話がさらに溯るが、しばしおつきあい願いたい。
文書開示に至るこの2年4カ月の確執が、外務省自身がそこからさらに7年も前に公開していたのと同じ中身の文書を伏せたためだったという理不尽さを、読者にご理解いただきたいからだ。情報公開法に基づく文書開示請求という、多くの方にはなじみのない制度を理解する助けにもなるだろう。
2年4カ月の紆余曲折
私は2017年3月、朝日新聞社として外務省に文書開示請求をした。対象は、1968年の日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)に関する文書だ。SSCは今も続く日米の外交・防衛担当高官による非公開の協議の場で、私はその源流であるSSC発足当時の1960年代後半の協議に関心があった。
当時は、中国の核開発やベトナム戦争の長期化などアジアで安全保障上の懸案が絡み合う一方、日本は高度経済成長期にあり沖縄返還を求めていた。SSCは、米国にとっては日本にアジアの安全保障でより広い役割を促す場、日本にとっては米国に核戦略や沖縄をめぐる突っ込んだ話を望む場として動き出していた。
2001年施行の情報公開法は政府の各機関に対し、文書開示請求を受けてから原則30日以内に開示・不開示を決めるよう定めるが、特例として「相当の期間」まで延長できる。私の請求に対し外務省の決定が出そろったのは3カ月半後の2017年7月。対象文書計47点のうち「部分開示」とされた4点に、趣旨がわからなくなるほど多くの墨塗りがあった。
その理由は、そこを明かせば「国の安全が害される」「他国との信頼関係が損なわれる」などの「おそれ」があるといった、情報公開法上の不開示事由にあてはまるというものだった。
朝日新聞社が2017年に開示請求をした1968年の日米安保協議に関する文書について、外務省が一部を不開示とした理由を示す文書
2017年に朝日新聞社が1968年の日米安保協議に関する文書を開示請求したのに対し、外務省が半分ほどを墨塗りにして出した「沖縄返還問題の進め方」
決定に請求者が不服の場合は、総務省の情報公開・個人情報保護審査会に審査を求めることができる。私は2017年9月に「約50年前の文書を全て開示しても外務省の言うような『おそれ』はありえない」として審査を請求。外務省は10月に審査会に対し「対象文書の不開示事由の該当性を厳正に審査した」と反論した。
審査結果は請求から1年9カ月後の今年6月に出た。審査会は、外務省が「部分開示」とした文書4点の不開示範囲は広すぎるとして、2点は全て開示し、2点は開示範囲を広げるよう求めた。
2017年の朝日新聞社の文書開示請求に対する外務省の部分開示決定について、開示範囲を広げるよう求めた総務省の情報公開・個人情報保護審査会の答申書。赤線は藤田が記入
外務省はこれに沿って今年8月に私に文書を追加開示。全て開示となった2点のうちの一つが、当初は外務省が半分ほど墨塗りにしながら、タイトルと日付は出していた5ページの「沖縄返還問題の進め方について」だった。それを信夫氏に示したところ、2010年から外務省が公開しているのと同じ中身ですよと教えられたというわけだ。
密約調査での公開情報が…
以上の経緯があり、なぜこんなことが起きるのかと私は取材に取りかかった。最初は、米国でもあるように、いったん公開した文書の中身について国際情勢の変化などから開示基準を厳しくする対応を外務省がしたのかと思った。
だが、そうではなかった。その文書は今も外務省HPに載っている。リンクは次の通りだ。
外務省HP 「いわゆる『密約』問題に関する調査結果」
これは、外務省が2009~10年に行った、日米安全保障条約改定(1960年)から沖縄返還(1972年)にかけての対米外交文書の調査結果に関するページだ。自民党政権下の1960年代から70年代にかけてのこの時期、日米間に4つの密約があったと指摘されていたが、2009年の民主党政権への交代を機に、そうした密約の有無が岡田克也外相の主導で検証された。
日米密約調査の対象となった文書のファイル=2009年9月、外務省。代表撮影
その際に調査対象となった文書がここにアップされている。計331点のうち「その他関連文書(296点)」のリストを見ると、4つの密約調査の3本目の柱である「B1972年の沖縄返還時の有事の際の核持込みに関する『密約』調査」の関連文書の中に、「昭和43年7月15日 沖縄返還問題の進め方について」という文書がある。
この文書の中身が、私の2017年の文書開示請求に対し、外務省が趣旨がわからなくなるほど墨塗りにして出した文書と同じだったのだ。
外務省HPから密約関連の文書を見ると、手書きとタイプの文が混じり、校正の跡もある。全てタイプで書き込みのない私への開示文書と体裁は異なるが、密約関連の文書にある校正を反映させると私への開示文書と中身が同じになり、タイトルも「沖縄返還問題の進め方について (昭和)43.7.15 アメリカ局長」でそろう。
この密約関連の文書が、私に開示された文書を仕上げる一歩手前の原稿であることは明らかだった。それは外務省として日米密約の有無を検証する上で大切な文書だったからこそ調査対象となり、2010年からずっと外務省HPで公開されてきたのだ。
外務省が2017年の朝日新聞の開示請求に対し当初半分ほどを墨塗りにした文書「沖縄問題の進め方について」(下)と、外務省が2010年から公開を続ける同じ内容の文書(上)のそれぞれの1枚目
私の日米関係の文書開示請求に対し、外務省自身が密約関連の文書として公開し続けている中身を不開示にしてしまった。それは、少なくとも密約調査の対象となった日米安保改定から沖縄返還にかけての日米関係文書について、どういう中身が公開されたのかが外務省の中で共有されていないかもしれないという可能性を示していた。
だが、「日米同盟は外交の基軸」と内外に唱え続けてきた外務省で、そんなずさんなことがあるのか。私への開示文書は公開済み文書と体裁が違うので見落としたのかもしれないが、外務大臣名での不開示決定に至るまでにそうした見落としを救うチェックは働かないのか――。
そんな疑問を知り合いの研究者らに投げかけていると、日米地位協定に関しても似た話があるという返事が8月にあった。それが上記の私のケースと合わせて、10月に朝日新聞で報じた2件目だった。
ツイッターで気付いた研究者
ジャーナリストの布施祐仁氏
ある若手の日米関係研究者が、ジャーナリストの布施祐仁氏がツイッターで2017年に発信していた内容を教えてくれた。布施氏は最近では南スーダンでのPKO(国連平和維持活動)に派遣された自衛隊の活動について防衛省に文書開示請求をし、自衛隊の「日報」隠蔽問題を追及したことで知られ、日米地位協定問題に関する著書も複数ある。
その研究者いわく、「1960年の日米安保条約改定に伴い、日本での米軍の活動について定める行政協定が改定され日米地位協定ができますが、布施氏がその行政協定改定の関連文書を開示請求したら、ほとんど不開示にされたとツイートしている。でもアップされた墨塗り文書の写真を見ると、かつて外務省自身が公開したのと同じ文書だと思うんです」。
ジャーナリスト・布施祐仁氏の2017年のツイート
外交文書の研究者ともなれば、専門分野についてはタイトルと日付を見るだけで、重要文書の見当がつくのだ。私のケースでは信夫氏がまさにそうだった。日米密約調査で公開された文書を時系列でファイルしており、「墨塗りされた文書と日付が一致したので、中身が同じだと簡単にわかった」という。布施氏のケースではこの研究者が、ツイッターに出ている文書の写真がほとんど墨塗りであっても「タイトルと日付でわかった」というわけだ。
そして、この2人の研究者はともに、外務省が過去に文書開示請求に対応した実例をふまえ、その情報公開基準のあいまいさにかねて疑問を感じていた。
外務省は、上記の密約関連文書の公開や、情報公開法による個別の開示請求への対応とは別に、1976年から「外交記録公開」を行っている。国際的な標準である「30年ルール」に基づき、外交文書をファイルごとに原則として作成から30年で随時公開していく制度だ。
外務省HP 「外交記録公開」
外務省が布施氏に対し2017年に墨塗りで出した文書について、その研究者は、外務省自身が2010年7月の外交記録公開で出した文書と同じではと指摘した。外交記録公開の対象となった文書ファイルは、霞が関の外務省から麻布台の外交史料館に移管されており、原本を閲覧できる。
私は今年8月に布施氏と会い、経緯を聞いた。布施氏は外務省に対し2017年、行政協定改定に向けた対米交渉に関する1950年代後半の文書を開示請求したが、大半が「国の安全が害される」「米国との信頼関係が損なわれる」などの「おそれ」を理由に不開示とされた。一枚目はタイトルと日付以外ほぼ墨塗りで、「次頁以下不開示」といった紙の束が出ていた。
外交史料館で閲覧の原本と酷似
東京・麻布台にある外務省の外交史料館
布施氏から墨塗り文書のコピーを受け取った私は、外交史料館の閲覧室に足を運び、2010年7月の外交記録公開の対象文書ファイルを開いて照合してみた。墨塗りを免れたタイトルと日付、文章の一部だけでなく、余白への書き込みや「極秘」の印の位置まで、それと酷似した墨塗りのない文書の原本がファイルにつづられていた。
布施氏もそのことを別途確認しており、外務省にただした。すると外務省は布施氏に対し今年9月、2017年に大半を不開示にした文書が2010年7月に外交記録公開で出した文書と同じだったと認め、全てを開示した。
このずさんな対応は、何を意味するのだろう? 私と布施氏に関する2件が確認できたところで、外務省に説明を求める前に考えてみた。
外務省が2017年に布施氏に対しほとんどを不開示にした、1950年代後半の日米安保条約改定に関する文書20数点が含まれるファイルの裏表紙。2010年に外務省が公開したことが記され、今も外交史料館で閲覧できる=藤田撮影
この2件とも、外務省は2010年に自主的に公開した1950~60年代の日米安保関係の文書の中身を、2017年の個別の文書開示請求に対し不開示にしている。自主的な公開を今も続けていることを考えれば、同じ中身の文書を、安全保障や外交に支障が出かねないとして、私や布施氏に対し墨塗りにした判断は明らかに誤りだった。
にもかかわらず、そうした奇怪な判断を2017年に外務大臣名で相次いで下し、外部から指摘を受けた最近まで続けていた。やはり、外務省において、情報公開法による文書開示請求への対応にあたり、自主的に公開してきた文書の中身とクロスチェックする仕組みに問題があったと考えざるをえなかった。
民主党政権当時の2009年9月、日米密約調査の状況について外務省幹部に話を聞く岡田克也外相(左)=外務省。代表撮影
さらに気になるのは、一連の判断の時期だ。外務省は民主党政権下で、2010年の日米密約関連文書をはじめ外交文書を積極的に公開した。その中身を、自民党政権下の2017年には忘れてしまったかのように、個別の文書開示請求に対し開示範囲を不当に狭めている。背後に何かあるのだろうか?
状況を俯瞰できないかと、私は9月に波多野澄雄・筑波大学名誉教授を訪ねた。今年刊行の「日本外交の150年」を編集するなど、日本外交を文書から解き続ける波多野氏は、民主党政権下の日米密約調査では有識者委員会に参加。公文書を「民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけた2009年制定の公文書管理法もふまえ、調査報告書で外交文書の管理と公開の意義を唱える章を担当した。
「説明への緊張感が後退」
波多野澄雄・筑波大学名誉教授(日本政治外交史)
外務省の今回のずさんな不開示について聞くと、波多野氏は悩ましげに、言葉を選びながら語った。
「密約調査の際に対象文書を公開したことで、日米安保条約や沖縄返還交渉について不開示を続けねばならない文書はかなり減ったはずでした。外交記録を組織として継承、公開し、日本外交の説明能力を高めようという当時の緊張感に比べ、今は後退した感があります」
外務省も今回の2件について落ち度は認めざるを得ないだろう。だが、そこから波多野氏のような問題意識がどこまで共有できるか。そんな思いで、9月に外務省の「各担当者」に取材した。
ここで「各担当者」という言い方をするのは、情報公開法に基づく文書開示請求への対応の流れに関係がある。
朝日新聞社が2017年に開示請求をした1968年の日米安保協議に関する文書について、一部を不開示としたことを通知する外務大臣名の文書
外務省への請求は、まず公文書監理室で受け、それぞれの文書を管理する主管課室に回る。今回の2件はともに北米局(かつてのアメリカ局)で、私のケースは日米安全保障条約課、布施氏のケースは日米地位協定室だった。主管課室で開示・不開示を判断し、必要なら墨塗りをした文書が公文書監理室へ。公開ずみ文書が不開示にされていないかなどが最終的にチェックされ、「外務大臣之印」を押した公文書での決定通知となる。
「各担当者」が強調したのは、とにかく現場が大変ということだった。
外務省担当者「相当苦しい」
「正直、現場は相当苦しい」と言う日米安保条約課の担当者は、2018年度の状況を説明した。
外務省が受けた文書開示請求609件のうち、同課は省内で最多の91件を抱えた。課内や書庫で該当文書がありそうなファイルを探し出し、数万ページの中から対象文書約1万1千ページを絞り込み、コピーして不開示部分があれば墨塗りしていく。その作業は他の仕事も兼ねる若い職員2人が主に担当し、休日出勤もあったという。
そうした忙しさは私の開示請求に対応した2017年も同じだったと担当者は話し、こう語った。
「限られた人員と、情報公開法が定める期間の中で(私からの)開示請求も慎重に検討し、当時妥当と考える判断をしたが、ほぼ同一の文書を以前に公開しており若干一貫性に欠ける対応があった」
「米国の国防長官が来たらその対応とか、突発事案が起きたら何時までにブリーフ資料を持ってこいとか。情報公開への対応だけをする余裕はなく、開示請求にとうてい追いついていない」
北朝鮮のミサイル発射を受け開かれた自民党の会議。外務省や防衛省が作った資料が配られ、国会議員らの質問に両省の幹部らが答えた=10月4日、東京・永田町の自民党本部。藤田撮影
日米地位協定室の担当者も「現場は当時ベストを尽くしたと思うが、連日開示請求に追われ、限られた期間の中で外交記録公開の情報まで確認できなかった」と言う。
公文書監理室では外交記録公開を主管しており、個別の開示請求に対して主管課室がくだした開示・不開示の判断について、公開ずみ文書と照合する最後の砦(とりで)とも言える。だが、担当者は「主管課室から開示期限ぎりぎりに文書が持ち込まれることもあり、見落とすこともあるかもしれない」と話した。
「人も予算も増えない」
「行政文書の管理の在り方等に関する閣僚会議」で発言する議長の安倍晋三首相(中央)=2018年7月、首相官邸
確かにマンパワーの不足はあるだろう。史料的価値もある外交文書について、外務省は保存を続けつつ外交記録公開などで公開を進める一方、個別に来る開示請求の内容は過去から現在に至るまで幅広く、開示・不開示を判断する際の照合は年々大変になる。しかも、その判断を担う主管課室は目の前の外交案件や国会対応に追われているのが実情だ。
文書の管理と公開の態勢強化については、外務省に対しては日米密約調査の有識者委員会が提言し、政府全体でも森友問題での財務省の決裁文書改ざんなどで「行政への信頼が損なわれている」として、2018年に首相を議長とする閣僚会議で取り組みを確認している。それでも外務省では「人員も予算も増えていない」(公文書監理室)という。
首相官邸HP 「行政文書の管理の在り方等に関する閣僚会議」
そうであれば、なおさら深刻な問題がある。開示請求に対応する主管課室の現場が公開ずみ文書に気付かないといったミスを、なぜその課室の責任者が救えないのかということだ。
例えば私のケースで言えば、開示請求を受けた当時の日米安保条約課の課長ら責任者が、研究者なみに個々の文書についてピンと来ることは難しくても、密約関連文書の公開で表に出た中身の概要ぐらいは、安保条約の運用に関わる立場上知っておくべきではないのか。
私への開示文書で当初墨塗りにされた部分は、米国が沖縄を返還した場合に緊急時の核の持ち込みを日本が認めるかどうかをめぐるくだりだった。それこそまさに密約調査の柱の一つであり、関連文書が公開されると大きく報じられもしたのだ。
外務省の日米密約調査の結果を報じる2010年3月10日付の朝日新聞1面
責任者の判断を検証せず
外務省が2010年から自主的に公開している日米関係の文書(左)と、2017年の情報公開請求に対し墨塗りにした同じ文書(右)=東京・麻布台の外交史料館。藤田撮影
今回取材に応じた日米安保条約課の担当者も「密約調査は我々の意識の転換点だった」と語る。そうであれば、日米間の1968年の安全保障協議に関する私の2017年の文書開示請求に対し、当時の同課の責任者は密約調査での公表ずみ情報をふまえ、現場の職員に無駄な墨塗りをさせないよう助言するなり、墨塗りがされても消せるなりできたのではないか。
だが、そのあたりについて今の同課の担当者は「当時の者がいないのでわからない」「コメントしづらい」と繰り返した。日米地位協定室や公文書監理室も、担当者は「危機感を持って再発防止に努める」と深刻に受け止めているようだが、わずか2年前に起きた私や布施氏のケースについて、当時の責任者の判断に落ち度がなかったかについてはやはりあいまいだ。
そしてこの3つの課室は、遅くとも私と布施氏に対する外務大臣名でのずさんな不開示決定があった2017年以降、他の文書開示請求に対し同様に開示範囲を不当に狭めたケースがなかったかについて調査はしないという。「目の前の開示請求に対応するのが精いっぱい」(日米安保条約課)だといい、担当者からは「目的のわからないいたちごっこのような請求もあり、それは制度の悪用かと思う」という声すらもれた。
つまり外務省は、情報公開法に基づく文書開示請求へのずさんな対応が相次いで発覚したことを受けて、公開ずみ文書との照合が行き届かなかった現場のマンパワー不足を強調し、また趣旨を理解しかねる請求への不満を語ることはあっても、主管課室で公開ずみ情報を咀嚼(そしゃく)した上で開示請求をさばくべき責任者のかつての判断が適切だったかを問おうとはしないのだ。
説明責任のモラルハザード
2018年6月の衆院外務委員会。日米地位協定関連の質問への答弁を河野太郎外相はほとんど外務省北米局長に任せ、局長は紙を読み上げた=藤田撮影
これは実に危うい。公開ずみ情報への敏感さを欠き、とにかく目下の外交や安全保障上の懸案に支障が出ないようにと場当たり的に情報を伏せるというモラルハザードが、そのうち外務省で幹部となるような課室長クラスを蝕(むしば)みかねないからだ。
ことは文書開示請求への対応だけではない。日本外交に関する報道対応、国会答弁、諸外国への説明がどんどん後ろ向きになっていくという懸念が拭えない。
波多野氏はこう語る。
「外交文書の積極的公開は外交活動を内外に正しく説明する原動力であり、歴史解釈のヘゲモニー(覇権)を左右する場合もあります。米英が先行し、台湾や韓国もこの10年ほどで戦後文書の公開を進めて、対外発信力の強化に努めている。外務省の現状は心もとない」
信夫氏も手厳しい。
「多忙を理由に外務省でこうしたずさんな情報公開への対応が続くようなら、国立公文書館の権限を米国のように強化すべきです。作成後30年経った文書は外務省から公文書館へどんどん移し、開示請求への対応も任せた方がいいでしょう」
東京・北の丸公園の国立公文書館
信夫氏の指摘を極論とは思わない。
保存すべき過去の「行政文書」を他省庁が国立公文書館に移管するのと違い、外務省は傘下の外交史料館に移管していくが、今もなお重要だとして移管しない文書もある。
その外務省において、文書開示請求への対応の蓄積が主管課室の責任者の公開ずみ情報に対する感度を高め、現場が無駄な墨塗りに追われなくなるという好循環が生まれずに、責任者のその場しのぎの判断と現場の墨塗りの増加という悪循環を生んでいるなら、外務省に情報公開法の運用を任せる弊害が大きすぎるからだ。
今回の2件のずさんな不開示の発覚と外務省の反応は、その悪循環の「おそれ」を浮き彫りにした。同省の中堅によると、開示請求に対応する作業が嫌になって若い職員が辞めたケースも最近あるという。ある幹部は「かなりブラックですよ」と話す。
だが内情がどうあれ、外務省が起こした今回の2件は汚点として消えない。国民から情報公開を求められ、安全保障や外交に支障が出かねないという理由で伏せることを大臣名で決めた。しかし、その情報を外務省自身が別の形で公開し続けていた。すなわち、ウソの理由で国民に対し情報を伏せたことになるのだ。
意識改革と態勢強化を
民主主義国家・日本の外交の土台が揺らいでいないだろうか。外務省は安易に「国家の安全に関わる」「外交上のやり取りだから」といった決まり文句で説明責任を逃れる姿勢を戒め、以下に示すこの二つの法律の理念をかみしめて、情報公開を進めるべく意識改革と態勢強化に努めてほしい。
「この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする」(情報公開法第1条)
「この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする」(公文書管理法第1条)
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